長らく去就を問われたレーシングブルズのリカルドは前戦シンガポールGPを最後にシートを失いました。独特なキャラクターで長きに渡り我々ファンに愛され、数々のF1での功績を残してきました。2022年いっぱいでマクラーレンを追われた際に取り上げようと考えたことがありましたが、古巣レッドブルグループに拾われて「これはワンチャンあるかもしれない」と思い、その時はやりませんでした。しかし今回は正真正銘のF1引退と感じたため、今回特集を組むことにしました。今日はリカルドが主役、とことんリカルド「リカルド祭り」だぞー!

FullSizeRender
ダニエル・リカルド
 1989年7月1日生まれ
 2011年 ヒスパニア(HRT)からデビュー
 14年在籍(スポット参戦含む)
 優勝8回 歴代37位
 表彰台32回 歴代32位
 参戦数257戦 歴代10位
 ポール獲得3回 歴代58位
 ファステスト獲得17回 歴代22位
 チャンピオン0回
 ※記録、歴代順位は2024年第18戦終了時点

1989年といえば日本でいう「平成」という元号に切り替わった年で年齢は35歳です。miyabikunからみればまだまだ若いし、もうちょい出来るんじゃね?と言いたくなりますが、F1ドライバーとしてはなかなかのベテランの領域であり、人にもよるものの「下り坂」に差し掛かる年齢です。
今回調べて驚いたのは、参戦数が257戦で歴代10番目に位置していたことです。デビューイヤーはシーズン後半からのスポット参戦で、キャリア晩年も古巣からスポット参戦や閉幕を待たずに離脱とフルシーズンで戦ったのは11シーズンでこんなに上位の位置付けになるとは。近年はシーズンのGP数が如何に増えたかということか。
ご存知の通りリカルドは残念ながらドライバーズチャンピオン獲得はなりませんでしたが、優勝8回、表彰台登壇32回は立派な戦績であり、この数でチャンピオンを獲得している者がいると考えると、チャンピオンを獲得してもおかしくない、決して恥ずかしい戦績ではないことは明らかです。

《リカルドの略歴》
いつもながら簡単にリカルドの経歴を振り返りたいと思います。
リカルドはよくご存知の通り、南半球のオーストラリアの大都市パースの出身です。近年は現役のピアストリをはじめ、レッドブルの先輩ウェバーなどで知られるオーストラリア勢も過去を振り返るとさほど多くなく、歴代で17人しかいません。そんなF1で少数派ながら、複数回チャンピオンでありチームも設立したJ・ブラバムやウィリアムズで初のチャンピオンを獲得したジョーンズなど名ドライバーを輩出してきた国でもあります。先程みた参戦数はオーストラリア人歴代最多、優勝回数はウェバーに1つ足らずの歴代4位、表彰台回数もウェバーに次ぐ歴代2位、ポールポジション回数3回は歴代4位といずれも上位となります。
9歳からカートを始め、オセアニア、アジアのレースを経験したのち、2007年からヨーロッパに渡ってフォーミュラ・ルノーに参戦。翌2008年からレッドブルのジュニアチームに加入しています。2009年のイギリスF3でチャンピオンを獲得、2010年のシーズンオフにF1のテストに参加し好タイムをマークして注目を集めることとなりました。
2011年よりレッドブルのジュニアチームの位置付けにあるトロ・ロッソのテストドライバーに任命され、F1の舞台に歩を進めると、ライバルチームのヒスパニアレーシング(HRT)のカーティケヤンのシートをレッドブルが買い取り、第9戦イギリスGPからレースデビュー。参戦24人中、予選最下位の24番手、決勝は完走19人中最下位の19位というF1の洗礼を浴びる苦いレースとなりました。
2012年からは同じ育成ドライバーのベルニュと共に晴れてトロ・ロッソからフル参戦を果たして2シーズンを戦い、ベルニュに対して遜色無い戦績を挙げます。トロ・ロッソ時代の最高位は予選5番手(2013年イギリスGP)、決勝は7位2回(2013年中国GPとイタリアGP)その結果もあってトロ・ロッソに居残りになったベルニュに対し、リカルドは同郷の先輩ウェバーの後任としてレッドブルに昇格を果たします。
IMG_2481
4年連続のダブルチャンピオンを獲得したレッドブルへの昇格という喜ばしい大抜擢の反面、当時一番流れに乗っているベッテルのチームメイトということで、厳しい評価の対象と真価が問われるリカルドですが、蓋を開ければ開幕戦で地元のオーストラリアGP予選からベッテルを凌駕。新マシンレギュレーションに大苦戦するベッテルを横目に2013年第7戦カナダGPでは予選6番手から初優勝を挙げると、第11戦ハンガリーGP、第12戦ベルギーGPと立て続けに優勝を重ね、優勝の無かった4回チャンピオンのベッテルに対して完勝してしまうという快挙を成し遂げます。
翌2015年はベッテルに代わってトロ・ロッソからクビアトが昇格、新たなチームメイトを受け入れることとなりますが、ドライバーズランキングこそクビアトに負けるも、表彰台回数で上回るなどレッドブルの新エースを担いました。2016年はクビアトの不振より、第5戦スペインGPからフェルスタッペンが昇格となり、昇格直後に初優勝というインパクトを与えられますが、予選、決勝とも内容的にはまだまだリカルドの方が上位を連ねて存在感と安定感をしっかりキープし続けます。ところがフェルスタッペンがレッドブルに慣れ始めると徐々に劣勢を強いられ、コンビ3年目の2018年第3戦アゼルバイジャンGPでは同士討ちでダブルリタイヤを喫し、徐々にチーム内でギクシャクし始めることとなりました。
IMG_2471
パワーユニットとしてホンダを起用することとなった2019年にリカルドはレッドブルを去ることを決め、新たなチームとして同じレッドブル育成の後輩であるサインツがマクラーレン移籍したことに伴い、シートに空きが出来たルノーワークスに移籍することとなります。ポールポジションや優勝はおろか、表彰台登壇から遠退くこととなりますが、ベテランのヒュルケンベルグや勢いある若手のオコンに対しても圧倒する戦績を重ねて、2020年には2回の表彰台を獲得しています。IMG_2477
2021年はまたもやサインツがマクラーレンからフェラーリに移籍したことに伴い、空いたシートにリカルドが座り、若手のノリスとのコンビを務めました。F1で11年のキャリアを積むリカルドとまだ3年目のノリスという組み合わせで、リカルドがマクラーレンでもエースを担うと思いきや、戦績で成長著しいノリスに完全に上回られるという話題性、さらには劣化を疑われるという悔しさを味わうこととなります。2021年第14戦イタリアGPでチームとして9年振り、自身として8勝目を挙げるも、翌2022年は予選、決勝とも完全にノリスに株を奪われ、とうとうF1のレギュラーシートを喪失するという事態に陥りました。
IMG_2475
ところが古巣のレッドブルよりサードドライバーとして受け入れてもらったことで、首の皮一枚、F1帯同にこぎつけます。以降しばらくはテスト走行やプロモーション活動を行うこととなるわけですが、アルファタウリ(旧トロ・ロッソ)のレギュラードライバーであるデ・フリースの成績不振から急遽シートを与えられることとなり、第11戦ハンガリーGPから角田裕毅のチームメイトとして復帰します。ただ復帰して間もない第13戦オランダGPフリー走行で左手を骨折、欠場を強いられ、チームはテストドライバーのローソンを起用するというアクシデントに見舞われました。怪我から復帰した後、また今年2024年も角田と共にアルファタウリ改めレーシングブルズ(RB)のレギュラードライバーを務めますが、安定感を身に付けた角田に対して劣勢が続き、先日の第18戦シンガポールGP直後にシートを喪失。F1ドライバーとしての道を断たれることとなりました。

《リカルドの戦績とその特徴》
ここから今までのはなむけ企画と同様に、予選、決勝の全戦績をグラフを用いながら特徴をみていきたいと思います。

〈予選順位、決勝順位の全結果〉
こちらは予選における全戦績、順位を時系列と共にプロットしたグラフになります。プロットの色はヒスパニア(HRT)時代をえんじ色、トロロッソ、アルファタウリ、レーシングブルズ(RB)時代は同一チームとして青色、レッドブル時代は紺色、ルノーは黄色としたかったのですが見易さを考慮して黒、マクラーレン時代はオレンジ色とし、グラフ背景の色は赤が「Q3進出」黄色が「Q2敗退」青が「Q1敗退」をざっくり示し、予選失格はグレーの範囲(25番手)におさめました。
IMG_2465
過去のレジェンドクラスの戦績グラフにも似た山型(中央が高く、キャリア序盤と終盤は低い)という波形を示しました。
レンタルスポット参戦となった序盤のヒスパニア時代はF1乗り始めとそもそものマシンの戦闘力が足かせとなり、Q2進出は一度もありませんでした。トロ・ロッソに移籍するとQ2進出は常連、たまにQ3に顔を出すという内容にステップアップし、トロ・ロッソ時代の予選最高位は2013年第8戦イギリスGPの5番手でした。ウェバーの後釜としてトップチームのレッドブルに移籍すると、予選戦績は急上昇、Q3進出は当たり前というトップチームに相応しい内容で進行。キャリア3回のポールポジションはいずれもこの時代からの記録となっています。
いわばキャリア絶頂での移籍となった2019年のルノーでは、パワーユニットの親元であるワークスでありながらやはりチームとしてはレッドブルより格下。リカルドもその流れに反することはできず、Q3進出の数が少しずつ減り、Q2止まりを強いられます。ルノー時代の予選最高位は2019年第7戦カナダGPと2020年第7戦ベルギーGPの4番手でした。大暴落から復調の兆しがあるマクラーレンに移籍しても、相方ノリスに比べるとリカルドの内容は平凡と言わざるを得ない内容が続きました。マクラーレン時代の予選最高位は移籍初年2021年第12戦ベルギーGPで、グリッドは久々の優勝となった同年第14戦イタリアGPの2番グリッドとなっています。
一度シートを喪失するも急遽代走を担うことになった晩年のアルファタウリならびにレーシングブルズ時代はQ2敗退が多く、たまにQ3に顔を出すというところまで順位を落としてしまいました。この時代の最高位は昨年2023年第19戦メキシコGPの4番手でした。
IMG_2464
続いて決勝の戦績をプロットしています。グラフ背景の塗り分けは赤が優勝を含む表彰台圏内、黄色が10位以内の入賞圏内、青が入賞県外で、グレーはリタイヤならびに失格となります。こちらも予選と似たキャリア中期、中でも前半のレッドブル期に山のサミットがあります。
ヒスパニア期は10位以内の入賞圏内フィニッシュが一度も無く、最高位は出走24人中18位が2回と苦しいキャリアスタートを味わいました。続くトロ・ロッソに入ると徐々に頭角を示し、移籍初戦の2012年開幕戦オーストラリアGPで9位初入賞。2年目の2013年は7位フィニッシュが2回ありました。レッドブルに移籍すると、2014年第5戦スペインGPで初の3位表彰台を獲得し、第7戦カナダGPでは初優勝を挙げています。2014年は3勝、2015年は優勝無く2回の表彰台登壇、2016年、17年は1勝ずつで2018年に2勝を挙げてレッドブルをあとにします。
2019年のルノー期初年は優勝はおろか表彰台から一度遠ざかるも、2年目は3位2回を挙げました。マクラーレン期の2年間の表彰台は1回きりで、その1回がリカルドの最終優勝ならびに最終表彰台登壇となる2021年第14戦イタリアGPとなっており、アルファタウリならびにレーシングブルズの2年間、全25戦では7位を最高位とした4回の入賞に止まっています。
IMG_2494
こちらはシーズン別の決勝結果の割合をグラフ化しました。グラフの色分けは上から赤が勝率、オレンジが表彰台登壇率、薄いオレンジが入賞率、青が完走率を示し、黒がリタイヤや失格となります。注意点として、下位の色が上位の色を内包するため、パーセンテージはそれを反映したものとなります。
リタイヤ無しの100%完走のシーズンはレッドブル時代の2016年と晩年でスポット参戦となったアルファタウリ時代の2023年であり、他の12シーズンは何らかで完走率を下げています。このグラフからリカルドのキャリアハイが薄らわかってきます。どこに注力するかにもよりますが、勝率15.8%をマークした2014年や勝率はやや劣りながらも全戦完走し入賞率95.2%を誇る2016年あたりがトップだったのかなと感じます。

〈シーズン別の各種獲得率〉
先程提示したリカルドの戦績のプチプチをシーズン毎予選決勝毎に平均化してみました。予選の失格や決勝のリタイヤ、失格はそのシーズンの参戦者最下位(20〜24位)扱いとして算出しています。
IMG_2502
 リカルドの通算戦績
  予選平均:10.42番手 決勝平均:10.96位

グラフの上段、薄い色で青数字が予選平均順位、下段の濃い色、赤数字が決勝平均順位となります。
予選、決勝とも最も平均順位が低かった(上位だった)のはレッドブル期中盤の2016年でした。予選は平均4.19番手、決勝は4.38位となっています。考えられる理由としては、この時代は依然としてメルセデスがアタマ一つ優位に進めながらも拮抗し、リカルド自身もチームメイトのチェンジがある中でポールポジションを1回、優勝1回獲得していたことが強みとなっています。現にリカルドはこのシーズンのドライバーズランキングでメルセデス勢に続く3位となりました。
もちろんキャリア序盤は中団下位のチームになってしまうのは仕方がないことですが、レッドブルに所属していた時期は一桁台をキープしていたものの、キャリア後半のマクラーレン時代に戦績を落としてしまうのは残念ですし、現代のF1は「マシン依存」なんだなということを知らしめられます。あと意外にもルノーの2年目となる2020年は予選平均が7.71番手、決勝平均7.53位となかなか健闘したことも今更ながら気付きました。

〈ポールスタート、決勝優勝の各内訳〉
リカルドの輝かしい功績、ポールポジションと優勝の戦績をそれぞれピックアップしました。

・ポールポジション
 2016年第6戦  モナコGP   P.P. 2位
 2018年第6戦  モナコGP   P.P. 優勝
 2018年第19戦メキシコGP  P.P. リタイヤ

・優勝
 2014年第7戦  カナダGP      6番手 優勝
 2014年第11戦ハンガリーGP    4番手 優勝
 2014年第12戦ベルギーGP     5番手 優勝
 2016年第15戦マレーシアGP    4番手 優勝
 2017年第8戦  アゼルバイジャンGP  10番手 優勝
 2018年第3戦  中国GP       6番手 優勝
 2018年第6戦  モナコGP      P.P.    優勝
 2021年第14戦イタリアGP    (2番手)優勝

ポールポジションは3回でいずれもレッドブル時代によるもの。ただポールトゥウィンは1回しかありません。印象的なのは初ポールから2位に終わった2016年です。
IMG_2503
この表情からの、決勝はタイヤがなかなか出てこないだと?!
IMG_2504
2位なのにこの表情。
IMG_2491
その借りは2年後の2018年にしっかり返しました。リベンジできて本当によかった。
そして優勝は全8回となります。内訳はレッドブル時代に7勝、マクラーレン時代の1勝です。リカルドは予選より決勝レースの方が得意でした。優勝したレースの予選順位をみると、2番手や3番手からではなく、4番手や6番手といった2列目や3列目、2017年のアゼルバイジャンGPは10番手から勝利を挙げています。これぞリカルドの真骨頂。タイトなコーナーやシケインの進入でドカンとビッグブレーキを使ってズバっとさすいわば必殺技。観ていて気持ちいいパッシングを度々見せてくれました。先行逃げ切りもいいけど、レースを観ている者を存分に楽しませてくれました。

《チーム内対決》
F1での敵はチームメイトでもあります。毎回恒例のチーム内対決を予選、決勝に分けて全年グラフ化してみます。グラフの色はmiyabikunの独断と偏見でチームカラーを決め、濃い方が勝者、薄い方が敗者を示します。
通常であれば予選は必ず順位付けされますので引き分けはありません。しかし2014年最終戦アブダビGPでレッドブルは「フロントウィングに規定違反」があり、リカルドとベッテルは揃って結果除外されたため両成敗、異例の引き分けを適用しています。まずは予選編。
IMG_2463
勝ち越しているのはキャリア序盤のトロ・ロッソ2年とレッドブルの3年、ルノーの2年のトータル7シーズン。逆に負け越しているのがデビューイヤーのヒスパニア、勢い付いたフェルスタッペン相手のレッドブルの後半2年、晩年にあたるマクラーレン2年と角田のチームメイトとなった2年のトータル7年でした。
IMG_2462
こちらは決勝のチームメイトバトルの結果です。予選ほど圧倒的な勝利は減りましたが、ヒスパニア時代もトロ・ロッソ時代も、レッドブルは2014年と16年も勝っています。マクラーレン時代はコテンパンにやられてしまっていますが(笑)
トロ・ロッソ時代にチームメイトのベルニュ相手に圧勝し、上級クラスのレッドブルのシートを射止めたリカルド。初年に4回チャンピオンであるベッテル相手に予選、決勝とも勝利した時は「政権交代」を感じさせる出来事でした。ベッテル自体の腕が落ちたというよりは、ベッテルが前マシンレギュレーションにマッチし過ぎていて、適応に時間がかかったのがリカルドにとって助けになったのかもしれません。ベッテルを追いやり、若手のクビアトやフェルスタッペン相手にも圧倒出来ると思われたのですが、、残念でした。フェルスタッペンがマシンに慣れると、立場が逆転してしまったのが、リカルドの運命を分けたように思います。角田くんファンの皆さんには失礼ですが、晩年のアルファタウリ、レーシングブルズでスポット参戦とはいえ惜敗してしまったのは期待外れでした。先輩風吹かしてチームの底上げが出来なかったのが悔やまれます。IMG_2482

《ドライバーズランキング》
リカルド祭りの最後はリカルドの現役時代のドライバーズランキングをグラフ化していきます。
IMG_2468
グラフ背景は所属チームのカラーで塗っています。ノーポイントで順位の付かないシーズンはグラフ外(25位相当)とし、今シーズン2024年はまだランキングが確定していないため、第18戦シンガポールGP終了時点のランキングを仮置きしました。
初年ヒスパニアはランク外ながら、年々ランキングを浮上させ、レッドブル移籍初年はハミルトン、ロズベルグらメルセデス勢に続くランキング3位を獲得しました。翌2015年は一度落ち込むも、2016年は盛り返してまたもや「打倒メルセデス」に一番近い位置まで戻しています(ポイント差は2位のハミルトンに対して124も開いてしまいましたが)そこからは年々右肩下がりの状態が続いてルノー移籍やマクラーレン移籍で復調することがありませんでした。現在のランキングはチームメイトの角田の下、12ポイントの14位でピリオドを打っています。このまま維持出来れば何よりですが、残り6戦残していますので上がることは無い。維持か下がるだけです。
IMG_2466
こちらは先程のリカルドに加え「主要のチームメイト」を挙げてポイントランキングを比較していきます。ピックアップしたのは古い順にベッテル、クビアト、フェルスタッペン、ヒュルケンベルグ、オコン、ノリス、角田の7人とし、それぞれのイメージカラーを充てています。また年のところには当時所属したチームカラーとしましたので、当時のチームメイトは皆さんで思い出してみて下さい(笑)大体グラフの色に近付けたから大丈夫カナ。
太黒実線でリカルドを同じチームで上回ったチームメイトは2015年のクビアト、2018年のフェルスタッペン、2021年と22年のノリス(とスポット参戦を含めれば2023年と24年の角田も)の4シーズン、グラフに無い2012年のベルニュと5シーズンとなります。スポットの3年間を除く11シーズンで6勝5敗ならばそう悪くない内容です。今やトップクラスに上り詰めたフェルスタッペンと成長著しいノリスはともかく、最後残念な形でF1を去ったクビアトに一度やられているのは意外というか当時驚きました(当時クビアトはもうちょいやれると思ったんですが、、)リカルドの晩年を共にした角田も今や中堅キャリア。だいぶ成長してきています。
IMG_2467
似たようなグラフのこちらはメンバーを少し替え「主要のレッドブルグループドライバー」で比較してみました。メンバーはベッテル、クビアト、フェルスタッペン、角田に加えてガスリー、アルボン、ペレスをチョイス。本来ペレスはフェラーリの育成なので入れるべきか迷いましたが、サインツを外した8人にさせていただきました(理由は、、深く聞かないで)レッドブルで大成したベッテル、フェルスタッペンの二代巨頭は別格として、次に成功したのはランキング2位を(一応)経験しているペレスや今回選定から漏れたウェバー、そしてリカルドが入って来るのかなと思います。ガスリーやサインツはタイミングが悪く他チームに移籍して戦績を積んでおり、レッドブルグループでみた場合、リカルドは決して「失敗作」ではありません。リカルドがキャリアハイとなった時期は第一期レッドブル勢力と第二期レッドブル勢力の間、ライバルのメルセデスが無敵状態であり、ちょうど「端境期」となってしまいました。

IMG_2480
ここまで経歴や戦績をまとめて、リカルドのF1人生を振り返ってきました。現在のF1ドライバー一人一人に個性的なキャラクターや特徴はありつつも、全般的に「優等生のお利口さん」が多くなったと感じます。その中でもリカルドといえば心の底から、また顔全体で表現する笑顔。表彰台での母国の伝統芸「シューイ」のパフォーマンスなど、最近のドライバーには無い一線を画すひょうきんさが印象的でした。リカルドのキャリアハイはやはりレッドブル期の2014年や16年であり、その後の離脱がmiyabikun個人的にとても悔やまれます。巷で騒がれていた「金銭条件」や「あるパワーユニットメーカーを避けた」のか、はなまた「成長著しい若手のサポート役を避けた」などの報道も飛び交い、一時期は風当たりの悪い時期もあったかと思います。何が真意か、我々は知る由もありませんし、どの選択が正だったか決めつけることもできません。それでもファンや関係者からは期待や愛されてきた部分もありました。トップチーム昇格が母国の先輩の後任として得て、また陥落が母国の後輩が引き継いだ点もどこか運命めいたものを感じます。晩年は去就でざわつく中も懸命に戦い続け、己の将来について考えてきたと思いますので、これからは持ち前の明るさとキャラクターでF1のみならずオーストラリアを代表するアスリートの一人として活躍できることを祈っています。

IMG_2486
14年間のF1キャリア、お疲れ様でした。

モータースポーツランキング
にほんブログ村 車ブログ F1へ
にほんブログ村