レース前の記者会見で鋭い質問を受けるバリチェロ。先週振り返った2001年のレースで「シューマッハに2位を順位を譲った件」について再び問われています。
バリチェロは「先のことを考えても仕方がないし、心配し過ぎの人生はもったいない。日曜日になればわかる」と回答。よい事をしたはずなのに、色々詰め寄られ、心中は当然納得していないだろうし、葛藤していると思います。今回振り返るのもオーストリア2連戦目、前回の翌年にあたる2002年、A1リンク(現 レッドブルリンク)での第6戦オーストリアGPです。このシーズンも「諸事情」により取り扱いは少なく、今回でまだ3レース目です。このレース自体も面白いかと聞かれれば???ですが、この時代を象徴する一つとして挙げてみました。
これまでのポイントリーダーはフェラーリのM・シューマッハが第2戦マレーシアGP以外の5戦全てで勝ち、絶賛独走中。チームメイトのバリチェロは逆に第4戦サンマリノGPの2位以外はノーポイントと、同じチームでも天地の差を築いています。M・シューマッハの落とした第2戦の勝者はこの方
金髪に仕立て上げられた弟、ウィリアムズのR・シューマッハ。脱シューマッハしたかったのかな、金髪は全然似合っていにゃい(笑)ということでこの5戦は全て「シューマッハ姓」の優勝となっています。ポイントランキング上の2位は同じウィリアムズのモントーヤではあるものの、どうした非シューマッハ諸君、という感じ。
チームメイトが2年目にして「自分がリザーブしていたはず」のトップチームに引き抜かれ、ザウバーに居残る形となったハイドフェルド。この年から参戦したマッサと共に「リアルサッカーゲーム」になり切って戯れています。
まさかこのあと大飛躍を遂げて、別々の系譜を辿るとは、この時点で予想もしていなかったでしょう。コレ、どこかで聞いたセリフだな(笑)
予選は外野の雑音をものともせず、2番手に0.282秒の差でバリチェロがポールポジションを獲得。今回は文句無しか?!一方M・シューマッハは急遽、今では許されていないスペアカーでのアタックとなり3番手。またこの年から(ジョーダン・)ホンダでF1デビューを果たした佐藤琢磨はフィジケラに及ばず18番手となっています。悔しいけど、まあそこはあまり気にしてないC。
いやー近い近い近い!!
《予選結果》
1 R・バリチェロ(フェラーリ・F・BS)
2 R・シューマッハ(ウィリアムズ・B・MI)
3 M・シューマッハ(フェラーリ・F・BS)
※BSはブリヂストン、MIはミシュラン
BはBMW
2番手の弟は3番手の兄を乗っけから、、いやフェラーリ2台が好スタートを決め、ターン1までにワンツー体制を確立。またこのパターンか(笑)
5周目、BAR・ホンダのヴィルヌーブが13位走行のルノーのトゥルーリをターン1でかわすと、アウトサイドに白煙が立ち昇っています。
この年からマクラーレンのシートを得た2年目のライコネンでした。シルバーカラーにホワイトの煙。エンジントラブルはこのチームお決まり。
この日のヴィルヌーブは珍しく、実に元気でした。13周目にもう一人のルノー、バトンをかわすと、18周目には次なるターゲットである参戦1年目トヨタのサロをパス。
地味に「日本対決」を演じています。こればかりはトヨタも黙っちゃいないぞ、こちらは妻も日本人なんだぞ!どうだ、参ったか?!
珍しくヴィルヌーブが頑張っているのに、サブ格の先輩パニスはというと、22周目に入ったコントロールライン付近で
負けじとド派手な演出。こちらもエンジンが悲鳴を上げて、セーフティカーを呼ぶ。
となれば、フェラーリは2台続けてタイヤ交換に入ります。ギャップはたっぷり。後ろは気にせず、余裕余裕!しかし戻るとM・シューマッハはバリチェロを待った分、ステイしたR・シューマッハが間に割って入ります。弟だから、まあココはどうにでもなるか(笑)
26周目にヒヤリハットでは済まず、ヒヤリ「ドッカン」が起きてしまいました。レムズ手前でバランスを崩したハイドフェルドが制御の利かないマシンでレムズに進入ラップダウンの佐藤に突っ込んでしまいます。
お互いに命には別条ありませんでしたが、佐藤にとってはいい迷惑なもらい事故。サッカーゲームなんてして戯れている場合ではありませんでしたね。
レース最終周では「珍しく」気合が入っていたヴィルヌーブまで
燃え尽きた。一応10位完走扱いではあるものの、2台がエンジン絡みで1台はアクシデント。健全だったのはフィジケラたった1台とホンダにとって辛い週末となりました。
話を上位勢に戻し、さり気なく2位に復帰したR・シューマッハが47周目に最初で最後のピットを終え、3位に後退すると、またまたバリチェロ1位、M・シューマッハが2位のワンツー体制に戻りました。ここでジャン・トッドとロス・ブラウンが何やらコンタクトして、、まさか?!
デジャヴなんかでなく、身に覚えのある宣告が。
2位のM・シューマッハがみるみるうちにバリチェロの背後に。
《決勝結果》
1 M・シューマッハ(フェラーリ・F・BS)
2 R・バリチェロ(フェラーリ・F・BS)
3 J・P・モントーヤ(ウィリアムズ・B・MI)
バリチェロ、M・シューマッハとも、力無くコントロールラインを通過していきます。イン側のM・シューマッハが前、ということは2年連続のフォーメーション成立。それも前年の2位3位ではなく、今回は1位と2位。バリチェロは指示に従い、ポールポジションからの優勝を自ら棄てました。
さすがのM・シューマッハは遠慮がちに手を振る。
観客は総立ちでブーイング。
表彰台では、一応バリチェロを中央に立たせ、トロフィーを持たす。コレ本当はダメなんですよね。こんなことではバリチェロもレースを観に来たファン達も納得しません。バリチェロは心の中で思ったでしょう
「本当の勝者はボクなんだ、みんな知っている」
JM「先輩、今回のコレはマズいんとちゃいます?」
RB「うーん、いやぁ、、まあ、、」
MS「ん、何がかな?言われなくても知ってるよ」
日曜になればわかること。これがバリチェロの本音です。M・シューマッハの前人未到の7回チャンピオンに91勝、今でも語り継がれるF1の輝かしい大記録ではありますが、このような計らいがあってなし得たことも忘れてはならない事実です。2週連続で振り返ったオーストリアGPでの出来事、バリチェロはこの先2005年までこの悩みと葛藤し続けることとなります。またいつの日か、続く。。
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バリチェロは「先のことを考えても仕方がないし、心配し過ぎの人生はもったいない。日曜日になればわかる」と回答。よい事をしたはずなのに、色々詰め寄られ、心中は当然納得していないだろうし、葛藤していると思います。今回振り返るのもオーストリア2連戦目、前回の翌年にあたる2002年、A1リンク(現 レッドブルリンク)での第6戦オーストリアGPです。このシーズンも「諸事情」により取り扱いは少なく、今回でまだ3レース目です。このレース自体も面白いかと聞かれれば???ですが、この時代を象徴する一つとして挙げてみました。
これまでのポイントリーダーはフェラーリのM・シューマッハが第2戦マレーシアGP以外の5戦全てで勝ち、絶賛独走中。チームメイトのバリチェロは逆に第4戦サンマリノGPの2位以外はノーポイントと、同じチームでも天地の差を築いています。M・シューマッハの落とした第2戦の勝者はこの方
金髪に仕立て上げられた弟、ウィリアムズのR・シューマッハ。脱シューマッハしたかったのかな、金髪は全然似合っていにゃい(笑)ということでこの5戦は全て「シューマッハ姓」の優勝となっています。ポイントランキング上の2位は同じウィリアムズのモントーヤではあるものの、どうした非シューマッハ諸君、という感じ。
チームメイトが2年目にして「自分がリザーブしていたはず」のトップチームに引き抜かれ、ザウバーに居残る形となったハイドフェルド。この年から参戦したマッサと共に「リアルサッカーゲーム」になり切って戯れています。
まさかこのあと大飛躍を遂げて、別々の系譜を辿るとは、この時点で予想もしていなかったでしょう。コレ、どこかで聞いたセリフだな(笑)
予選は外野の雑音をものともせず、2番手に0.282秒の差でバリチェロがポールポジションを獲得。今回は文句無しか?!一方M・シューマッハは急遽、今では許されていないスペアカーでのアタックとなり3番手。またこの年から(ジョーダン・)ホンダでF1デビューを果たした佐藤琢磨はフィジケラに及ばず18番手となっています。悔しいけど、まあそこはあまり気にしてないC。
いやー近い近い近い!!
《予選結果》
1 R・バリチェロ(フェラーリ・F・BS)
2 R・シューマッハ(ウィリアムズ・B・MI)
3 M・シューマッハ(フェラーリ・F・BS)
※BSはブリヂストン、MIはミシュラン
BはBMW
2番手の弟は3番手の兄を乗っけから、、いやフェラーリ2台が好スタートを決め、ターン1までにワンツー体制を確立。またこのパターンか(笑)
5周目、BAR・ホンダのヴィルヌーブが13位走行のルノーのトゥルーリをターン1でかわすと、アウトサイドに白煙が立ち昇っています。
この年からマクラーレンのシートを得た2年目のライコネンでした。シルバーカラーにホワイトの煙。エンジントラブルはこのチームお決まり。
この日のヴィルヌーブは珍しく、実に元気でした。13周目にもう一人のルノー、バトンをかわすと、18周目には次なるターゲットである参戦1年目トヨタのサロをパス。
地味に「日本対決」を演じています。こればかりはトヨタも黙っちゃいないぞ、こちらは妻も日本人なんだぞ!どうだ、参ったか?!
珍しくヴィルヌーブが頑張っているのに、サブ格の先輩パニスはというと、22周目に入ったコントロールライン付近で
負けじとド派手な演出。こちらもエンジンが悲鳴を上げて、セーフティカーを呼ぶ。
となれば、フェラーリは2台続けてタイヤ交換に入ります。ギャップはたっぷり。後ろは気にせず、余裕余裕!しかし戻るとM・シューマッハはバリチェロを待った分、ステイしたR・シューマッハが間に割って入ります。弟だから、まあココはどうにでもなるか(笑)
26周目にヒヤリハットでは済まず、ヒヤリ「ドッカン」が起きてしまいました。レムズ手前でバランスを崩したハイドフェルドが制御の利かないマシンでレムズに進入ラップダウンの佐藤に突っ込んでしまいます。
お互いに命には別条ありませんでしたが、佐藤にとってはいい迷惑なもらい事故。サッカーゲームなんてして戯れている場合ではありませんでしたね。
レース最終周では「珍しく」気合が入っていたヴィルヌーブまで
燃え尽きた。一応10位完走扱いではあるものの、2台がエンジン絡みで1台はアクシデント。健全だったのはフィジケラたった1台とホンダにとって辛い週末となりました。
話を上位勢に戻し、さり気なく2位に復帰したR・シューマッハが47周目に最初で最後のピットを終え、3位に後退すると、またまたバリチェロ1位、M・シューマッハが2位のワンツー体制に戻りました。ここでジャン・トッドとロス・ブラウンが何やらコンタクトして、、まさか?!
デジャヴなんかでなく、身に覚えのある宣告が。
2位のM・シューマッハがみるみるうちにバリチェロの背後に。
《決勝結果》
1 M・シューマッハ(フェラーリ・F・BS)
2 R・バリチェロ(フェラーリ・F・BS)
3 J・P・モントーヤ(ウィリアムズ・B・MI)
バリチェロ、M・シューマッハとも、力無くコントロールラインを通過していきます。イン側のM・シューマッハが前、ということは2年連続のフォーメーション成立。それも前年の2位3位ではなく、今回は1位と2位。バリチェロは指示に従い、ポールポジションからの優勝を自ら棄てました。
さすがのM・シューマッハは遠慮がちに手を振る。
観客は総立ちでブーイング。
表彰台では、一応バリチェロを中央に立たせ、トロフィーを持たす。コレ本当はダメなんですよね。こんなことではバリチェロもレースを観に来たファン達も納得しません。バリチェロは心の中で思ったでしょう
「本当の勝者はボクなんだ、みんな知っている」
JM「先輩、今回のコレはマズいんとちゃいます?」
RB「うーん、いやぁ、、まあ、、」
MS「ん、何がかな?言われなくても知ってるよ」
日曜になればわかること。これがバリチェロの本音です。M・シューマッハの前人未到の7回チャンピオンに91勝、今でも語り継がれるF1の輝かしい大記録ではありますが、このような計らいがあってなし得たことも忘れてはならない事実です。2週連続で振り返ったオーストリアGPでの出来事、バリチェロはこの先2005年までこの悩みと葛藤し続けることとなります。またいつの日か、続く。。
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