今元気のないホンダが元気があった頃のマシンを振り返ってみます。アイデアの宝庫ロータスとホンダ第2期がタッグを組んだ1987年の「ロータス99T」です。日本の初フル参戦ドライバーである中嶋悟と株価急上昇でホンダと共に名を馳せたセナによる代表車の一つです。

《設計》
ジェラール・ドゥカルージュ
マーティン・オジルビー

《外見》
ロータスといえば、先日振り返ったばかりのJPSによる漆黒に金文字、そしてこのシーズンからスイッチしたキャメルイエローの印象が強いですよね。今のルノーとはまた違う黄色がサーキットにおいてベネトンに引けを取らない異彩を放っていました。
マシンカラーの劇変によって目の錯覚に陥りそうですが、前作98Tからの発展系とはいえ、ノーズ形状は太く丸く、そこに秘策が隠されていました。一度諦めていたアクティブサスペンションの再導入です。ロータスは1982年にF1マシンに先駆けて、市販車からフィードバックした油圧のアクティブサスペンションにチャレンジしていました。コーリン・チャップリンの目論見がハマらなかったものを5年越しで盛り込みました。ノーズ両側にピトー管を備えて速度を検知し、さらに加速度センサーの情報を車載コンピューターで解析、電子油圧で制御するものとなっています。気のせいかもしれませんが、オンボードカメラの映像を観る限り、この時代にしてはブレがない気がしないでもない。
今回こそどハマりしたらマシン挙動を理想的に操作できる夢のようなマシンになり得ましたが、結果は中失敗。当時はまだ解析に時間がかかるため、高速サーキットでは特に理想的なポイントで制御できず、フロアが路面スレスレまで落ち込んだり、本来マシンが沈みこむべき地点でいたずらに突っぱねたりと、いわゆる「振り遅れ」みたいなものが多発してしまいました。車を運転される方だと、カーブやマンホールの蓋の上を走行している時に車が「逆の反応」を示したら驚いちゃいますよね(笑)乗り物に弱い方なら乗り物酔いしてしまいそう。。当然マシンが不安定であればタイヤへの入力も上手くいかず、温度調節に苦戦して「適正なタイヤ環境を作れない」などの二時的被害も起きました。何よりも他車にはない「負荷物」の搭載からくる重量配分の違いも少なからず足かせになったでしょう。

《エンジン》
ホンダRA167E
IHI製ツインターボ(過給圧4.0バール制限)
V型6気筒・バンク角80度
排気量:1,494cc(推定)
最高回転数:11,600rpm(非公開)
最大馬力:   882馬力(決勝時推定)
                  1,065馬力(予選時推定)
スパークプラグ:NGK
燃料・潤滑油:エルフ

1986年のウィリアムズでコンストラクターズチャンピオンを獲得したホンダは、この年からロータスにも同じエンジンを供給して4台体制を築きます。マンセルにピケ、セナといったトップドライバーに混ざる形で中嶋悟が誇れる母国のエンジンで初参戦しました。
1987年レギュレーションは来たる1988年シーズンいっぱいで廃止するターボエンジンの準備期間として写真左の人の右手付近にある筒状のポップ・オフ・バルブ(ブロー・オフ・バルブ)による過給圧を抜く措置が義務付けられ、5.0バールを超えたといわれていた過給圧を4.0バール上限としました。
(若い方には馴染みがない圧力の単位「バール」は一昔前に天気でも使われていました。わかりやすく今の単位「ヘクトパスカル」に換算すると4bar=4,000hPaで超々高気圧に値します)
過給圧制限によるパワー不足を補完すべくホンダは「吸気温度を調節し適正な燃焼を促す」装置を搭載して少しでもパワー向上に努めています。

《シャシー》
全長: - mm
全幅: - mm
全高: - mm
最低車体重量:540kg(ドライバー含む)
燃料タンク容量:195ℓ
クラッチ:AP
ブレーキキャリパー:ブレンボ
ブレーキディスク・パッド:ブレンボ
ホイール:O・Z
サスペンション:フロント プルロッド
                                 リヤ    プルロッド
  (フロント、リヤともアクティブサスペンション)
タイヤ:グッドイヤー

《ドライバー》
No.11 中嶋悟(全戦)
No.12 アイルトン・セナ(全戦)

《戦績》
64ポイント コンストラクター3位
(1位2回、2位4回、3位2回、4位2回ほか)
ポールポジション1回

レース内容をザックリみると、ポールポジションの数からも察することができるように「独走の速さ」は同じホンダエンジンでもウィリアムズが優勢でこのマシンによるものではありません。前がコケて粘って表彰台や入賞にこぎつけるパターンが多くなっています。前述の「スピードサーキットの取りこぼしや順位を落とす」シーンが続きました。
初優勝はセナによる第4戦モナコGPまで待つこととなります。バンピーで低速なサーキットではアクティブサスペンションに優位性を見い出し、デトロイト市街地で行われた第5戦アメリカと連勝するなどマシンの得手不得手が明瞭でした。有名なレースは第7戦イギリスGPで優勝はウィリアムズのマンセル、2位ピケ、3位セナ、4位に中嶋悟という「ホンダエンジンがトップ4」という快挙を成し得ました。
唯一無二の技術でシーズンを牽引できると思いきや、技術的に時期早々であったことに加え、後半の第11戦イタリアGPではFW11Bがいよいよアクティブサスペンションを導入し、早々とピケによる優勝を決められてしまいました。ロータスが長年秘密裏に構想、実践してきた「お家芸」はいつの間にかウィリアムズのものと化しています。名車であり迷車な面も兼ね備えたこのマシンでワークスチームがプライベートチームに完敗した瞬間です。アクティブサスペンションもロータスではまた1年で断念してしまいました。                 
デビューイヤーの中嶋悟は当時の日本国内では最強ドライバーの1人です。しかし比較的遅咲きでF1進出して世界の舞台に立つと、世界との差が露わになり最高位はイギリスGPの4位1回となっています。ただ彼の存在はホンダという日本ブランドがF1復帰し、それに合わせて「日本のモータースポーツ」を世界に知らしめた立役者の一人であったと考えています。以降日本のメーカーやワークスと一緒にF1にステップアップした後輩は多くいます。ホンダがなければ日本人フルタイムドライバーはなかった、日本の技術力を表すことでF1で多く活躍することができたわけで、我々ファンもこの1987年以降に身近で認知していくことができました。
近年は苦戦を強いられているホンダ。アロンソも憧れ苦難を想定した上で加入し、ドライバー側でやれる限りの努力を続けています。昔F1界を席巻した「ホンダ」を世界のファンは懐かしみ、多く期待しているはずです。