2021年は3人の新人と1人のドライバーが復帰参戦を果たしましたが、F1のシートは10チーム20人に限られているため、押し出される形で4人のドライバーがシートを失うことになります。その中には長くF1界を支えつつ、かねてから喪失の噂がちらほら飛び交っていたハースのグロージャンとマグヌッセンの2人の中堅ドライバーが含まれています。他、アルボンはまだまだ若いから復帰のチャンスは無くはないし、クビアトは「三度目の正直」が果たしてあるのかないのか。そんな4人の中、今回はmiyabikunが「マルH軍団」といじり倒してきたハースの2人の戦績を振り返りながら、次なる舞台へ送り出したいと思いました。ダラダラ長くなってしまいましたが、ご覧下さい。
ロマン・グロージャン(フランス、スイス)
1986年4月17日生まれ
2009年,12年〜20年 10シーズン 181戦参戦
0勝 P.P.0回 表彰台10回 入賞59回 F.L.1回
09 ルノー 7戦参戦 予選12番手 決勝13位
12 ロータス 19戦参戦 予選2番手 決勝2位
13 ロータス 19戦全戦参戦 予選3番手 決勝2位
14 ロータス 19戦全戦参戦 予選5番手 決勝8位
15 ロータス 19戦全戦参戦 予選4番手 決勝3位
16 ハース 21戦全戦参戦 予選7番手 決勝5位
17 ハース 20戦全戦参戦 予選6番手 決勝6位
18 ハース 21戦全戦参戦 予選5番手 決勝4位
19 ハース 21戦全戦参戦 予選6番手 決勝7位
20 ハース 15戦参戦 予選14番手 決勝9位
F1でのグロージャンはフランス籍でドライブしていましたが、実際はスイスにも国籍を持つ二重国籍者です。F1デビュー前はスイスやフランスの下位カテゴリーに参戦、頭角を示し、地元のワークスであるルノーの育成ドライバーの1人でした。2008年のGP2アジアで初代チャンピオンに輝くと、翌09年に08年第15戦シンガポールGPでルノーは故意のクラッシュによりレースを操作するいわゆる「クラッシュゲート」が発覚。対象ドライバーのピケが解雇されたことでテストドライバーからの昇格によりF1シートを手にします。
まずグロージャンの所属チームとポイントランキンググラフをみていきましょう。グロージャンはフランスということで以下に示すグラフのイメージカラーは青を充てました。所属チームは先述のルノーワークスをはじめ、2010年、11年の浪人期間を経て、12年からロータス(ルノー)に4シーズン在籍。16年からはアメリカの新興チームであるハースへ立ち上げ初年に移籍し、昨シーズンまで5シーズン在籍しました。F1は初年09年のスポット参戦から数えると10シーズンとなり、なかなかのベテランではありますが、チームとしては3チームの在籍、ロータスをルノーの直系と考えれば、ルノーとハースの2系統に絞られます。ランキング最高位はロータスで2年目にあたる13年の7位でした。その後15年に11位と多少の浮上はあるものの、下降の一途をたどり、最終年の昨年は入賞1回2ポイント。参戦23人中19位、レギュラードライバーのみでは18番目という不甲斐無い内容でF1キャリアを終えることとなりました。
細かな戦績をいつものグラフにしました。薄黄色の領域は表彰台圏内、薄緑色は入賞圏内になります。ちなみに09年の入賞は8位まででした。1年目の09年はシーズン終盤の7戦に参戦しますが、残念ながら入賞はなりませんでした。若いグロージャンは一度F1のシートを喪失、再びGP2に戻ってF1復帰の隙を伺います。11年はフランスのDAMSでチャンピオンを獲得して翌12年に再びF1シートを手にします。当時のGP2は多くの有望な若手を輩出することで有名でしたね。先輩にはN・ロズベルグやハミルトン、グロック、ヒュルケンベルグや後のチームメイトとなるマルドナド、パーマーなどがチャンピオンを獲得しており、バンドーンやガスリー、また名称は変われどルクレールやラッセルもこのカテゴリーの出です。
2012年シーズンからライコネンと共に再びレギュラーシートを得て「黒いルノー」を支えていきます。その初戦オーストラリアGP予選はライコネンが18番手に沈む一方、なんと同じルノーエンジンを積むチャンピオンのレッドブルを上回り、マクラーレンに続く3番手を獲得し周囲を驚かせました。結果的にはリタイヤで終えますが、まだ25歳と若く「さすがGP2チャンピオン」という速さをみせています。この年は第4戦バーレーンGPで3位、第7戦モナコGPで2位、第11戦ハンガリーGPで3位と3回の表彰台に登壇。そのうちの3位2回はライコネンとのダブル表彰台となり、ロータスのマシンポテンシャルの高さを証明することとなりました。翌13年も5回の3位と第18戦アメリカGPで2位を挙げ、ポイントランキングは自己最高の7位に浮上しています。2シーズンとも格上ベテランのライコネンに負けはしましたが、当時貴重な有力フランス人ドライバーとして名を上げています。
しかし切れ味ある走りの一方で度々大クラッシュを招くシーンも目立ちました。特に12年第12戦ベルギーGPは8番手スタートの直後ハミルトンやアロンソ、小林可夢偉らを巻き込み多くのリタイヤを出したことをとがめられ、罰金プラス次戦イタリアGPの出場停止を食らっています。グロージャンは他にもスタート直後やレース序盤でのクラッシュが多く、それも単独ではなく「他車を巻き込む」ものが目立ちました。結果として速さはあれど「近くを走るのが怖い」というレッテルを長きに渡り貼られることになりましたね。
16年から「ルノーの秘蔵っこ」から卒業、アメリカを本拠地としてフェラーリと密な関係を築く形で立ち上げたハースのエースとして、レースエンジニアの小松礼雄と共に移籍します。開幕戦オーストラリアGPの予選は19番手に沈むも決勝は6位フィニッシュ。続く第2戦バーレーンGPも予選9番手から5位の連続入賞を果たすなど、チームメイトのグティエレスに対して格の違いを見せつけました。17年からは表彰台登壇歴もあるマグヌッセンをチームメイトとし、さらなる飛躍を期待されますが、シーズン半分弱の8回の入賞を挙げるもののスピードを活かした走りができず、マシン側のトラブルや未完成さに苦しめられます。さらにはハースに移籍してからも「ドライビングの荒っぽさ」が抜け切れず、18年第5戦スペインGPの1周目で単独のスピンからまたも他車を巻き込むクラッシュを引き起こし、昨年20年の第15戦バーレーンGPもオープニングラップで詰まりかけた前車を回避する際にコントロールし切れずガードレールにクラッシュし爆発炎上してレースを中断する騒ぎとなったのは記憶に新しい出来事です。皮肉なことに自身のクラッシュによる火傷の治療のために契約よりも離脱が2戦早めてしまいました。
ハースでの最高位は予選が18年第13戦ベルギーGPの5番手、決勝も同じく18年第9戦オーストリアGPの4位と若手のロータス時代に予選、決勝とも及びませんでした。09年の代打デビューから昨年のバーレーンGPまでに181戦のエントリーとなっています。
ケビン・マグヌッセン(デンマーク)
1992年10月5日生まれ
2014年〜20年 7シーズン 120戦参戦
0勝 P.P.0回 表彰台1回 入賞35回 F.L.2回
14 マクラーレン 19戦全戦参戦 予選4番手 決勝2位
15 マクラーレン 1戦参戦 予選18番手 決勝不出走
16 ルノー 21戦全戦参戦 予選12番手 決勝7位
17 ハース 20戦全戦参戦 予選11番手 決勝7位
18 ハース 21戦全戦参戦 予選5番手 決勝5位
19 ハース 21戦全戦参戦 予選6番手 決勝6位
20 ハース 17戦全戦参戦 予選15番手 決勝10位
マグヌッセンについては3年半ほど前にあたる17年に「ヤンとヨス」なるF1の二世ドライバー4人に関する特集をしたことがあり、そちらで簡単に触れました。父のヤン・マグヌッセンは95年のスポット参戦を含め、98年まで3シーズン25戦のF1走行歴があります。息子ケビンが3〜6歳の頃ですから、微かに記憶があるかどうか。短い期間ながら父ヤンの走りを観てきた者からすれば、息子はどんなもんだろうとデビュー以降も大変興味をもって見守ってきました。
ケビン・マグヌッセン(以下マグヌッセン)の所属チームとポイントランキンググラフです。イメージカラーはデンマーク国旗の赤としました。所属チームはマクラーレン、ルノー、ハースの3チームとなります。最も長いのはハースの4シーズン在籍です。マグヌッセンは2010年からドイツやイギリスのF3でならし、その頃に父ヤンと同様にマクラーレンの育成ドライバーに選出されるなど、着実なステップアップを経てF1の世界に進出してきました。13年にマクラーレンの控えドライバーとなり、翌14年はペレスの後任として正ドライバーに昇格を果たしています。
近年はF1ど新人の若手ノリスの起用やその活躍などで違和感はさほどありませんが、あの名門マクラーレンがF1で実績の無い若手の起用は当時とても驚きましたよね。07年のハミルトンに続く「異例」の抜擢でした。さらに驚くのはデビュー戦となった開幕戦オーストラリアGPの予選は相方でチャンピオン経験もあるバトンが11番手で沈む一方、マグヌッセンはメルセデス、レッドブルに続く4番手を獲得。決勝はリカルドの失格もあり何と2位表彰台を獲得してしまうこと。デビュー戦でいきなり初表彰台ですから、一気に「父超え」を完了、そして大物新人っぷりを発揮しました。
デビューイヤーはリタイヤこそ少なく、全19戦中12回入賞と新人にしてはなかなかの出来といえますが、やはりマクラーレンであり相方バトンと見比べると一段階劣る結果が続きます。結果的にマクラーレンはメルセデスと決別、翌15年からホンダを搭載することが決まり、さらにはフェラーリからアロンソが復帰することもあって一年でレギュラーから控えドライバーに降格することとなりました。
16年から三度ルノーがワークスとして参戦することとなり、ルノーはマクラーレンでくすぶっていたマグヌッセンをチーム立ち上げに抜擢。1年振りにレギュラードライバーとしてF1復帰に成功します。相方は80年代にF1参戦していたジョン・パーマーの息子のジョリオン・パーマーを新人として迎えたことにより「F1二世ドライバーコンビ」が成立しました。20戦のうち入賞は2回、最高位は第8戦アゼルバイジャンGPの7位に止まり、ドライバーズランキングはデビューイヤーの11位を下回る16位で終えました。ただチームやマシンがまだ成熟していないこと、またチームへのポイントのほとんどはマグヌッセンによってもたらしますが、チームと契約がうまくまとまらなかったため、ルノーワークスをわずか1年で離れる決意をし、17年からまだ設立して日の浅いハースへ移籍、グロージャンとの「マルH」コンビネーションがココで堂々成立(笑)
ハースでのマグヌッセンは初年こそ年齢もキャリアも上のグロージャンの後塵を拝することが多くありましたが、2年目の18年シーズンはグロージャンが7回の入賞に対して、マグヌッセンは11回の入賞を記録し、ポイントランキングは上回る走りをするようになります。19年シーズンもグロージャンより一つ多い4回の入賞と少ないリタイヤ数でポイントランキングで上回りますが、メインスポンサー問題をはじめマシンの開発不足やタイヤとの相性、フェラーリパワーユニットの問題等も重なり予選順位よりも下がる決勝フィニッシュが続きました。グロージャンと共にマグヌッセンも20年シーズンをもってF1から離れる形となりますが、結果的には予選最上位はデビューイヤーである14年のマクラーレン時代の4番手が2回、決勝は先述のデビューレースの2位表彰台1回となっています。また今までデンマーク出身のF1ドライバーは父を含めたったの5人しか参戦が無く、マグヌッセンはデンマーク人唯一のF1表彰台登壇者で最高位の成績を残したことになります。
マグヌッセンの戦績の特徴は今シーズンに復帰参戦を果たすアロンソと同様に「現パワーユニット4社全てで(一応)参戦歴がある」という点です。15年のアロンソの代走をかって出た際は予選走行に止まり、決勝はマシントラブルによりスタートすることができずに終えていますが、現在のドライバーラインナップではかなり貴重な存在でした。またマグヌッセンといえばグロージャンと同様に「決勝レースでの走り方」について度々疑問を投げかけられる声が多くありました。グロージャンほどド派手なクラッシュはないものの、ライバルと接触して押し出したり、時にはチームメイトともバチバチやり合う姿を目にしましたよね。こちらもパッシングをかけたり近くを走るのにどこか覚悟が必要なドライバーであったという印象を持たれるようになってしまいました。
《戦績比較》
似て非なる2人の戦績比較をしていきます。まずは先程個々で示した大枠となる歴代のドライバーズランキンググラフを合体させてみます。
グロージャンが一足早い09年からの参戦であるため、グラフが右寄りになっています。また2人とも残念ながらチャンピオン争いはできずにきてしまいましたので、上1/4はスカスカになりました。ご存知の通り、17年から4シーズンにわたってコンビを組んでいたため、同じマシンで純粋に単純な成績比較ができてしまいます。
グロージャンの最高位は参戦3年目のロータス時代となる7位です。シーズン終盤に離脱した先輩ライコネンの5位に順位だけはかなり迫りました(ただしポイント差は51ポイントも開いている)その後も大きく崩れることはないものの、右肩下がりの順位で進み、昨年は最低位となる19位でF1人生の幕を閉じています。グロージャンは第15戦バーレーンGPで発生したド派手なクラッシュのため残り2戦を棒に振ってしまいました。16位に位置するアルファロメオのライコネンとの差はたった2ポイントであり、その2戦の結果云々によってはもう少し浮上できたかもしれません。不可抗力とはいえ、レース開始直後の自らのミスにより身体まで痛い思いをして参戦を早期で切り上げる形になっちゃうあたりが何ともグロージャンらしい。
マグヌッセンは14年に当時トップチームの一角であったマクラーレンということもあって、1年目はちょうど中間に位置する11番手でスタートしています。例の「デビュー戦で2位」が大きな助けとなっています。その後の15年の1戦限りのスポット参戦は完走どころか「スターティンググリッドにつけず」という苦さも感じないレースとシーズンを経験。ルノー時代も16位と低調に終わり、最高位はハース2年目にあたる18年の9位となっています。ハース時代のポイントランキング上の勝敗はグロージャン、マグヌッセン共に2勝2敗の五分五分でした。内容をもう少し細かくみていきます。
2人の予選、決勝の順位をクロスさせています。色遣いは先程のプロットと同じです。予選からみていくとマグヌッセンがまだ参戦していない13年やマグヌッセンがマクラーレンから参戦14年、マグヌッセンが控えに戻ったためお休みしていた15年を除く近年5年は両者似たような位置の予選順位となっています。特に17年以降の4年間は同じハースからの参戦となり、同様のプロットと考えると、両者の実力差は多少あるにせよ「ハースで走れる最大限」を示しているかのようにみえます。ハースは新興チームでありながら、フェラーリのパワーユニットをはじめ数々の技術提供を受けています。フェラーリの成績に準ずる形で19年中盤まではそこそこ速く走れており、19年終盤で急激に順位を落としてしまいました。昨年20年に至ってはフロントロウやセカンドロウスタートの経験もあるこの2人の中堅をもってしても、Q3進出が叶いませんでした。予選の重要度が高くなりつつある近年で予選順位が芳しくないと、この後みる決勝についても辛いのは目に見えています。
予選編とそう差のない位置に決勝結果も並び、さらにそのプロットはスカスカになりました。その理由は25位の位置にたまる「リタイヤ、失格」が多いためです。リタイヤは一般的に全てがドライバー理由というわけではなく、マシンやチーム、他車の影響によっても起こり得ます。感覚的な言い方にはなりますが、この2人は単独トラブルよりは「他車を巻き込むクラッシュ」が目立ちました。マシンが速いこと、チーム戦略が長けていることも上位フィニッシュするにあたって重要なファクターです。しかし最低限の目標として「マシンを壊さずガレージに戻ってくる」必要があります。それが叶えられない走りであったり対処が多かったようにも感じます。クドいですがグロージャンの2位2回はキャリア序盤、マグヌッセンはデビュー戦2位というのが輝いていますね。キャリアにおいて予選順位が下り坂であれば、決勝も下位を抜け出せず、自ずとポイントランキングも下降線を描く。2人は色んな意味で共通項があるように感じます。
2人のハース時代だけ抜き出し、いつものようにリタイヤや失格を最下位「20位扱い」とした場合の平均値を年毎に並べてみました。シーズンで勝る方の数字は赤く強調しています。若干の差はありつつも、2人の予選、決勝の平均順位は似通った数値を示し、予選が速い年は2人とも速いし、遅い年は2人とも同様に遅い、とシンクロしているあたりも、両者の実力差は遠からずで、マシンの許す限りの最大限は発揮できていたとみていい気がします。こちらもmiyabikunの感覚論にはなりますが、グロージャンは「予選などの一発速さ」に長け、マグヌッセンは「決勝で他車を間を縫って我慢するかぶつけて蹴落とす」印象があります。2人を足せば、色んな意味で「脅威の武器」が完成しそうな、、(笑)
《チームメイト対決》
最後は2人が共に切磋琢磨し、時には体当たりで戦ったチームメイトとの勝敗を比較します。まずはグロージャンから。
グロージャンの歴代チームメイトはアロンソ、ライコネン(コバライネン)などのトップドライバーからはじまり、一触即発かマルドナド、可愛こちゃんグティエレス、そしてマグヌッセンと並び、一番一緒にいる時期が長かったのがマグヌッセンでした。序盤はキャリアに反して強敵相手となったためボロ負けです。しかし予選においてはロータス時代のライコネンと対等にやり合い、マルドナドに対しては圧勝しました。
一方で決勝となるとライコネンが一枚二枚上手となり、帯の中央にある黒の「イーブン」が目立ってきます。両者が何らかの理由により両者で勝敗のつけられない「リタイヤ」が該当します。グロージャンのリタイヤ、もちろんグロージャン自身の理由ばかりではありませんが、グロージャンらしい想像をしてしまいますよね。
続いてマグヌッセンです。マクラーレン時代はバトン、ルノーではパーマー、そして先程の裏返しでハース時代のグロージャンとなり、グロージャン同様に相方はグロージャンが最多のお付き合いということになります。異例の15年を除くと、予選についてはチームメイトに対してまあまあいい勝負ができています。ハース初年の17年だけは先輩グロージャンが一歩有利か。
決勝は初年にボロ負けを喫した以外は予選と同様にいい勝負をしていたことがわかります。最終的なライバルはチームメイトより他チームに負けないことが必要となりますが、身近なチームメイトと比較するとさほど悪い結果とは言えません。
結果、グロージャンもマグヌッセンも本質が悪いわけではなく、実はマシンのポテンシャルに対しては比較的忠実であり、戦績が今ひとつだったのは乗るマシンの競争力が足りてなかったり、そのライバルの前での立ち振る舞いがF1らしからぬ「独特さ」であったが故とmiyabikunはフォローしたいと思います(笑)
時には走り方やクラッシュの仕方が問題となり、危険走行、荒くれ者のイメージが色濃い2人は奇しくも晩年は同じチームで並び、同時にF1界から去ることが決まりました。ただ年齢的にはまだドライバー人生を終えるには早く、これまた奇しくも今シーズンはカテゴリーに違いはあれど戦いの舞台をアメリカに移して現役を続けていくことが決まりました。2人とも会って話したことはなく、サーキットでは超遠目からで他ほぼテレビでしか見たことはありませんが、マシンを降りればグロージャンはお人好し、またマグヌッセンはサッパリ男気のあるナイスガイであるという人柄をよく聴きます。荒くれ者であっても、それら人柄のよさや一発の速さ、粘り強い走りができるドライバーということで短命に終わらず、表彰台登壇や新規チームの立ち上げに必要とされてきたのだと思います。毎レースで何か「小ネタ」をぶち込んできた2人。いればいたでハラハラドキドキだったし、いなくなると考えるとどこか物足りなさを覚えます。今後の若手があまり真似してほしくないキャラクターではありますが、F1ドライバーばかりがドライバーではない、楽しく走れて勝利を求めて活路を見出すことも時には必要です。今回は単に「F1離脱=さようなら」してしまうのも惜しい2人と感じ、最後にガッツリ特集しました。これからは目にかかる機会は減ってしまいますが、新天地でのさらなる活躍を願っています。
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ロマン・グロージャン(フランス、スイス)
1986年4月17日生まれ
2009年,12年〜20年 10シーズン 181戦参戦
0勝 P.P.0回 表彰台10回 入賞59回 F.L.1回
09 ルノー 7戦参戦 予選12番手 決勝13位
12 ロータス 19戦参戦 予選2番手 決勝2位
13 ロータス 19戦全戦参戦 予選3番手 決勝2位
14 ロータス 19戦全戦参戦 予選5番手 決勝8位
15 ロータス 19戦全戦参戦 予選4番手 決勝3位
16 ハース 21戦全戦参戦 予選7番手 決勝5位
17 ハース 20戦全戦参戦 予選6番手 決勝6位
18 ハース 21戦全戦参戦 予選5番手 決勝4位
19 ハース 21戦全戦参戦 予選6番手 決勝7位
20 ハース 15戦参戦 予選14番手 決勝9位
F1でのグロージャンはフランス籍でドライブしていましたが、実際はスイスにも国籍を持つ二重国籍者です。F1デビュー前はスイスやフランスの下位カテゴリーに参戦、頭角を示し、地元のワークスであるルノーの育成ドライバーの1人でした。2008年のGP2アジアで初代チャンピオンに輝くと、翌09年に08年第15戦シンガポールGPでルノーは故意のクラッシュによりレースを操作するいわゆる「クラッシュゲート」が発覚。対象ドライバーのピケが解雇されたことでテストドライバーからの昇格によりF1シートを手にします。
まずグロージャンの所属チームとポイントランキンググラフをみていきましょう。グロージャンはフランスということで以下に示すグラフのイメージカラーは青を充てました。所属チームは先述のルノーワークスをはじめ、2010年、11年の浪人期間を経て、12年からロータス(ルノー)に4シーズン在籍。16年からはアメリカの新興チームであるハースへ立ち上げ初年に移籍し、昨シーズンまで5シーズン在籍しました。F1は初年09年のスポット参戦から数えると10シーズンとなり、なかなかのベテランではありますが、チームとしては3チームの在籍、ロータスをルノーの直系と考えれば、ルノーとハースの2系統に絞られます。ランキング最高位はロータスで2年目にあたる13年の7位でした。その後15年に11位と多少の浮上はあるものの、下降の一途をたどり、最終年の昨年は入賞1回2ポイント。参戦23人中19位、レギュラードライバーのみでは18番目という不甲斐無い内容でF1キャリアを終えることとなりました。
細かな戦績をいつものグラフにしました。薄黄色の領域は表彰台圏内、薄緑色は入賞圏内になります。ちなみに09年の入賞は8位まででした。1年目の09年はシーズン終盤の7戦に参戦しますが、残念ながら入賞はなりませんでした。若いグロージャンは一度F1のシートを喪失、再びGP2に戻ってF1復帰の隙を伺います。11年はフランスのDAMSでチャンピオンを獲得して翌12年に再びF1シートを手にします。当時のGP2は多くの有望な若手を輩出することで有名でしたね。先輩にはN・ロズベルグやハミルトン、グロック、ヒュルケンベルグや後のチームメイトとなるマルドナド、パーマーなどがチャンピオンを獲得しており、バンドーンやガスリー、また名称は変われどルクレールやラッセルもこのカテゴリーの出です。
2012年シーズンからライコネンと共に再びレギュラーシートを得て「黒いルノー」を支えていきます。その初戦オーストラリアGP予選はライコネンが18番手に沈む一方、なんと同じルノーエンジンを積むチャンピオンのレッドブルを上回り、マクラーレンに続く3番手を獲得し周囲を驚かせました。結果的にはリタイヤで終えますが、まだ25歳と若く「さすがGP2チャンピオン」という速さをみせています。この年は第4戦バーレーンGPで3位、第7戦モナコGPで2位、第11戦ハンガリーGPで3位と3回の表彰台に登壇。そのうちの3位2回はライコネンとのダブル表彰台となり、ロータスのマシンポテンシャルの高さを証明することとなりました。翌13年も5回の3位と第18戦アメリカGPで2位を挙げ、ポイントランキングは自己最高の7位に浮上しています。2シーズンとも格上ベテランのライコネンに負けはしましたが、当時貴重な有力フランス人ドライバーとして名を上げています。
しかし切れ味ある走りの一方で度々大クラッシュを招くシーンも目立ちました。特に12年第12戦ベルギーGPは8番手スタートの直後ハミルトンやアロンソ、小林可夢偉らを巻き込み多くのリタイヤを出したことをとがめられ、罰金プラス次戦イタリアGPの出場停止を食らっています。グロージャンは他にもスタート直後やレース序盤でのクラッシュが多く、それも単独ではなく「他車を巻き込む」ものが目立ちました。結果として速さはあれど「近くを走るのが怖い」というレッテルを長きに渡り貼られることになりましたね。
16年から「ルノーの秘蔵っこ」から卒業、アメリカを本拠地としてフェラーリと密な関係を築く形で立ち上げたハースのエースとして、レースエンジニアの小松礼雄と共に移籍します。開幕戦オーストラリアGPの予選は19番手に沈むも決勝は6位フィニッシュ。続く第2戦バーレーンGPも予選9番手から5位の連続入賞を果たすなど、チームメイトのグティエレスに対して格の違いを見せつけました。17年からは表彰台登壇歴もあるマグヌッセンをチームメイトとし、さらなる飛躍を期待されますが、シーズン半分弱の8回の入賞を挙げるもののスピードを活かした走りができず、マシン側のトラブルや未完成さに苦しめられます。さらにはハースに移籍してからも「ドライビングの荒っぽさ」が抜け切れず、18年第5戦スペインGPの1周目で単独のスピンからまたも他車を巻き込むクラッシュを引き起こし、昨年20年の第15戦バーレーンGPもオープニングラップで詰まりかけた前車を回避する際にコントロールし切れずガードレールにクラッシュし爆発炎上してレースを中断する騒ぎとなったのは記憶に新しい出来事です。皮肉なことに自身のクラッシュによる火傷の治療のために契約よりも離脱が2戦早めてしまいました。
ハースでの最高位は予選が18年第13戦ベルギーGPの5番手、決勝も同じく18年第9戦オーストリアGPの4位と若手のロータス時代に予選、決勝とも及びませんでした。09年の代打デビューから昨年のバーレーンGPまでに181戦のエントリーとなっています。
ケビン・マグヌッセン(デンマーク)
1992年10月5日生まれ
2014年〜20年 7シーズン 120戦参戦
0勝 P.P.0回 表彰台1回 入賞35回 F.L.2回
14 マクラーレン 19戦全戦参戦 予選4番手 決勝2位
15 マクラーレン 1戦参戦 予選18番手 決勝不出走
16 ルノー 21戦全戦参戦 予選12番手 決勝7位
17 ハース 20戦全戦参戦 予選11番手 決勝7位
18 ハース 21戦全戦参戦 予選5番手 決勝5位
19 ハース 21戦全戦参戦 予選6番手 決勝6位
20 ハース 17戦全戦参戦 予選15番手 決勝10位
マグヌッセンについては3年半ほど前にあたる17年に「ヤンとヨス」なるF1の二世ドライバー4人に関する特集をしたことがあり、そちらで簡単に触れました。父のヤン・マグヌッセンは95年のスポット参戦を含め、98年まで3シーズン25戦のF1走行歴があります。息子ケビンが3〜6歳の頃ですから、微かに記憶があるかどうか。短い期間ながら父ヤンの走りを観てきた者からすれば、息子はどんなもんだろうとデビュー以降も大変興味をもって見守ってきました。
ケビン・マグヌッセン(以下マグヌッセン)の所属チームとポイントランキンググラフです。イメージカラーはデンマーク国旗の赤としました。所属チームはマクラーレン、ルノー、ハースの3チームとなります。最も長いのはハースの4シーズン在籍です。マグヌッセンは2010年からドイツやイギリスのF3でならし、その頃に父ヤンと同様にマクラーレンの育成ドライバーに選出されるなど、着実なステップアップを経てF1の世界に進出してきました。13年にマクラーレンの控えドライバーとなり、翌14年はペレスの後任として正ドライバーに昇格を果たしています。
近年はF1ど新人の若手ノリスの起用やその活躍などで違和感はさほどありませんが、あの名門マクラーレンがF1で実績の無い若手の起用は当時とても驚きましたよね。07年のハミルトンに続く「異例」の抜擢でした。さらに驚くのはデビュー戦となった開幕戦オーストラリアGPの予選は相方でチャンピオン経験もあるバトンが11番手で沈む一方、マグヌッセンはメルセデス、レッドブルに続く4番手を獲得。決勝はリカルドの失格もあり何と2位表彰台を獲得してしまうこと。デビュー戦でいきなり初表彰台ですから、一気に「父超え」を完了、そして大物新人っぷりを発揮しました。
デビューイヤーはリタイヤこそ少なく、全19戦中12回入賞と新人にしてはなかなかの出来といえますが、やはりマクラーレンであり相方バトンと見比べると一段階劣る結果が続きます。結果的にマクラーレンはメルセデスと決別、翌15年からホンダを搭載することが決まり、さらにはフェラーリからアロンソが復帰することもあって一年でレギュラーから控えドライバーに降格することとなりました。
16年から三度ルノーがワークスとして参戦することとなり、ルノーはマクラーレンでくすぶっていたマグヌッセンをチーム立ち上げに抜擢。1年振りにレギュラードライバーとしてF1復帰に成功します。相方は80年代にF1参戦していたジョン・パーマーの息子のジョリオン・パーマーを新人として迎えたことにより「F1二世ドライバーコンビ」が成立しました。20戦のうち入賞は2回、最高位は第8戦アゼルバイジャンGPの7位に止まり、ドライバーズランキングはデビューイヤーの11位を下回る16位で終えました。ただチームやマシンがまだ成熟していないこと、またチームへのポイントのほとんどはマグヌッセンによってもたらしますが、チームと契約がうまくまとまらなかったため、ルノーワークスをわずか1年で離れる決意をし、17年からまだ設立して日の浅いハースへ移籍、グロージャンとの「マルH」コンビネーションがココで堂々成立(笑)
ハースでのマグヌッセンは初年こそ年齢もキャリアも上のグロージャンの後塵を拝することが多くありましたが、2年目の18年シーズンはグロージャンが7回の入賞に対して、マグヌッセンは11回の入賞を記録し、ポイントランキングは上回る走りをするようになります。19年シーズンもグロージャンより一つ多い4回の入賞と少ないリタイヤ数でポイントランキングで上回りますが、メインスポンサー問題をはじめマシンの開発不足やタイヤとの相性、フェラーリパワーユニットの問題等も重なり予選順位よりも下がる決勝フィニッシュが続きました。グロージャンと共にマグヌッセンも20年シーズンをもってF1から離れる形となりますが、結果的には予選最上位はデビューイヤーである14年のマクラーレン時代の4番手が2回、決勝は先述のデビューレースの2位表彰台1回となっています。また今までデンマーク出身のF1ドライバーは父を含めたったの5人しか参戦が無く、マグヌッセンはデンマーク人唯一のF1表彰台登壇者で最高位の成績を残したことになります。
マグヌッセンの戦績の特徴は今シーズンに復帰参戦を果たすアロンソと同様に「現パワーユニット4社全てで(一応)参戦歴がある」という点です。15年のアロンソの代走をかって出た際は予選走行に止まり、決勝はマシントラブルによりスタートすることができずに終えていますが、現在のドライバーラインナップではかなり貴重な存在でした。またマグヌッセンといえばグロージャンと同様に「決勝レースでの走り方」について度々疑問を投げかけられる声が多くありました。グロージャンほどド派手なクラッシュはないものの、ライバルと接触して押し出したり、時にはチームメイトともバチバチやり合う姿を目にしましたよね。こちらもパッシングをかけたり近くを走るのにどこか覚悟が必要なドライバーであったという印象を持たれるようになってしまいました。
《戦績比較》
似て非なる2人の戦績比較をしていきます。まずは先程個々で示した大枠となる歴代のドライバーズランキンググラフを合体させてみます。
グロージャンが一足早い09年からの参戦であるため、グラフが右寄りになっています。また2人とも残念ながらチャンピオン争いはできずにきてしまいましたので、上1/4はスカスカになりました。ご存知の通り、17年から4シーズンにわたってコンビを組んでいたため、同じマシンで純粋に単純な成績比較ができてしまいます。
グロージャンの最高位は参戦3年目のロータス時代となる7位です。シーズン終盤に離脱した先輩ライコネンの5位に順位だけはかなり迫りました(ただしポイント差は51ポイントも開いている)その後も大きく崩れることはないものの、右肩下がりの順位で進み、昨年は最低位となる19位でF1人生の幕を閉じています。グロージャンは第15戦バーレーンGPで発生したド派手なクラッシュのため残り2戦を棒に振ってしまいました。16位に位置するアルファロメオのライコネンとの差はたった2ポイントであり、その2戦の結果云々によってはもう少し浮上できたかもしれません。不可抗力とはいえ、レース開始直後の自らのミスにより身体まで痛い思いをして参戦を早期で切り上げる形になっちゃうあたりが何ともグロージャンらしい。
マグヌッセンは14年に当時トップチームの一角であったマクラーレンということもあって、1年目はちょうど中間に位置する11番手でスタートしています。例の「デビュー戦で2位」が大きな助けとなっています。その後の15年の1戦限りのスポット参戦は完走どころか「スターティンググリッドにつけず」という苦さも感じないレースとシーズンを経験。ルノー時代も16位と低調に終わり、最高位はハース2年目にあたる18年の9位となっています。ハース時代のポイントランキング上の勝敗はグロージャン、マグヌッセン共に2勝2敗の五分五分でした。内容をもう少し細かくみていきます。
2人の予選、決勝の順位をクロスさせています。色遣いは先程のプロットと同じです。予選からみていくとマグヌッセンがまだ参戦していない13年やマグヌッセンがマクラーレンから参戦14年、マグヌッセンが控えに戻ったためお休みしていた15年を除く近年5年は両者似たような位置の予選順位となっています。特に17年以降の4年間は同じハースからの参戦となり、同様のプロットと考えると、両者の実力差は多少あるにせよ「ハースで走れる最大限」を示しているかのようにみえます。ハースは新興チームでありながら、フェラーリのパワーユニットをはじめ数々の技術提供を受けています。フェラーリの成績に準ずる形で19年中盤まではそこそこ速く走れており、19年終盤で急激に順位を落としてしまいました。昨年20年に至ってはフロントロウやセカンドロウスタートの経験もあるこの2人の中堅をもってしても、Q3進出が叶いませんでした。予選の重要度が高くなりつつある近年で予選順位が芳しくないと、この後みる決勝についても辛いのは目に見えています。
予選編とそう差のない位置に決勝結果も並び、さらにそのプロットはスカスカになりました。その理由は25位の位置にたまる「リタイヤ、失格」が多いためです。リタイヤは一般的に全てがドライバー理由というわけではなく、マシンやチーム、他車の影響によっても起こり得ます。感覚的な言い方にはなりますが、この2人は単独トラブルよりは「他車を巻き込むクラッシュ」が目立ちました。マシンが速いこと、チーム戦略が長けていることも上位フィニッシュするにあたって重要なファクターです。しかし最低限の目標として「マシンを壊さずガレージに戻ってくる」必要があります。それが叶えられない走りであったり対処が多かったようにも感じます。クドいですがグロージャンの2位2回はキャリア序盤、マグヌッセンはデビュー戦2位というのが輝いていますね。キャリアにおいて予選順位が下り坂であれば、決勝も下位を抜け出せず、自ずとポイントランキングも下降線を描く。2人は色んな意味で共通項があるように感じます。
2人のハース時代だけ抜き出し、いつものようにリタイヤや失格を最下位「20位扱い」とした場合の平均値を年毎に並べてみました。シーズンで勝る方の数字は赤く強調しています。若干の差はありつつも、2人の予選、決勝の平均順位は似通った数値を示し、予選が速い年は2人とも速いし、遅い年は2人とも同様に遅い、とシンクロしているあたりも、両者の実力差は遠からずで、マシンの許す限りの最大限は発揮できていたとみていい気がします。こちらもmiyabikunの感覚論にはなりますが、グロージャンは「予選などの一発速さ」に長け、マグヌッセンは「決勝で他車を間を縫って我慢するかぶつけて蹴落とす」印象があります。2人を足せば、色んな意味で「脅威の武器」が完成しそうな、、(笑)
《チームメイト対決》
最後は2人が共に切磋琢磨し、時には体当たりで戦ったチームメイトとの勝敗を比較します。まずはグロージャンから。
グロージャンの歴代チームメイトはアロンソ、ライコネン(コバライネン)などのトップドライバーからはじまり、一触即発かマルドナド、可愛こちゃんグティエレス、そしてマグヌッセンと並び、一番一緒にいる時期が長かったのがマグヌッセンでした。序盤はキャリアに反して強敵相手となったためボロ負けです。しかし予選においてはロータス時代のライコネンと対等にやり合い、マルドナドに対しては圧勝しました。
一方で決勝となるとライコネンが一枚二枚上手となり、帯の中央にある黒の「イーブン」が目立ってきます。両者が何らかの理由により両者で勝敗のつけられない「リタイヤ」が該当します。グロージャンのリタイヤ、もちろんグロージャン自身の理由ばかりではありませんが、グロージャンらしい想像をしてしまいますよね。
続いてマグヌッセンです。マクラーレン時代はバトン、ルノーではパーマー、そして先程の裏返しでハース時代のグロージャンとなり、グロージャン同様に相方はグロージャンが最多のお付き合いということになります。異例の15年を除くと、予選についてはチームメイトに対してまあまあいい勝負ができています。ハース初年の17年だけは先輩グロージャンが一歩有利か。
決勝は初年にボロ負けを喫した以外は予選と同様にいい勝負をしていたことがわかります。最終的なライバルはチームメイトより他チームに負けないことが必要となりますが、身近なチームメイトと比較するとさほど悪い結果とは言えません。
結果、グロージャンもマグヌッセンも本質が悪いわけではなく、実はマシンのポテンシャルに対しては比較的忠実であり、戦績が今ひとつだったのは乗るマシンの競争力が足りてなかったり、そのライバルの前での立ち振る舞いがF1らしからぬ「独特さ」であったが故とmiyabikunはフォローしたいと思います(笑)
時には走り方やクラッシュの仕方が問題となり、危険走行、荒くれ者のイメージが色濃い2人は奇しくも晩年は同じチームで並び、同時にF1界から去ることが決まりました。ただ年齢的にはまだドライバー人生を終えるには早く、これまた奇しくも今シーズンはカテゴリーに違いはあれど戦いの舞台をアメリカに移して現役を続けていくことが決まりました。2人とも会って話したことはなく、サーキットでは超遠目からで他ほぼテレビでしか見たことはありませんが、マシンを降りればグロージャンはお人好し、またマグヌッセンはサッパリ男気のあるナイスガイであるという人柄をよく聴きます。荒くれ者であっても、それら人柄のよさや一発の速さ、粘り強い走りができるドライバーということで短命に終わらず、表彰台登壇や新規チームの立ち上げに必要とされてきたのだと思います。毎レースで何か「小ネタ」をぶち込んできた2人。いればいたでハラハラドキドキだったし、いなくなると考えるとどこか物足りなさを覚えます。今後の若手があまり真似してほしくないキャラクターではありますが、F1ドライバーばかりがドライバーではない、楽しく走れて勝利を求めて活路を見出すことも時には必要です。今回は単に「F1離脱=さようなら」してしまうのも惜しい2人と感じ、最後にガッツリ特集しました。これからは目にかかる機会は減ってしまいますが、新天地でのさらなる活躍を願っています。
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