F1 えきぞーすとのーと

よくあるニュースネタやこ難しいテクニカルな話ではなく、メインは予選や決勝のTV観戦したそのものを個人的観点から綴るF1ブログです。  また、懐かしのマシンやレースを振り返ったり、記録やデータからF1を分析。その他ミニカーやグッズ集めも好きなので、それらを絡めつつ広く深くアツくF1の面白さやすごさを発信し、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

タグ:2001年

またオープニングテーマのお世話になります(笑)このネタも無限にあるわけでもないので、むやみに使うのは避けなければなりませんね。F1中継のテーマソングといえばT-SQUARE「TRUTH」が代名詞となっていますが、そのTRUTHのアレンジ版が使用されたことが何回かありました。今回は2001年から2シーズン採用されたT-SQUARE「TRUTH 21c」のオープニングをみていきます。21cとは21centuryの略、つまり21世紀バージョンにアレンジされたものということ。
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時期はちょうど「21世紀」と呼ばれる時代に突入した頃。miyabikunの中学生や高校生といった学生時代はいわゆる「世紀末」でした。西暦は1990年代から2000年代になるのに、どうして20世紀と呼ばず21世紀となるのか、友人と議論したことがありました。理由はさほど難しいものではなく「西暦の区切り方」によるもので、

              西暦               世紀
          1年〜  100年       1世紀
      101年〜  200年       2世紀
    ・・・・・・・・・・・・
    1901年〜2000年     20世紀
    2001年〜2100年     21世紀

西暦0年、0世紀を除いて100年区切りしているだけです。よって「終了年の上2桁」を読めばその世紀がわかります。今このブログをご覧頂いている方のほとんどが21世紀で生涯を終えられる方なはずで、ほんのごく一部は22世紀を体験される方がいるかもしれません。当然ながらその頃までこのブログは続いていないし、miyabikun自身もいないでしょうから、22世紀を体験された方がいたら遠くにいるmiyabikunに「どんな時代になったか」お知らせ下さい(笑)

話を戻すと、フュージョンというジャンルに分類される原曲に比べて、ハードロック調な仕上がりで、上品で軽快、スピード感のあるTRUTHに「力強さとメリハリ」を加えたようなものになっています。初めて聞いた時は原曲慣れしていたこともあって違和感を覚えました。ただ聴いていけば(F1を観る以上、聴かざるを得ない)慣れるもので、映像の演出も相まってなかなかカッコいいです。

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2002年版はトヨタTF102のCG画像から始まります。昔のTRUTH時代をオマージュしたマシンをグルリと舐めるように眺めた画ですね。
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サイドポンツーンにはこちらも日本を代表する「世界の松下」Panasonicが堂々と鎮座しています。前にも書きましたが、トヨタのカラーリング、白地に赤の刷毛で塗ったような「和のテイスト」がカッコよかったです。「日の丸チック」はよそでお使いでしたしね。
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ステアリング中央にはクラクション、ではなくクッション材とスリーポインテッドスター。とくれば言わずと知れた
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マクラーレンMP4-17ですね。クッション材は1995年の最終戦オーストラリアGPで遭遇したハッキネンの「瀕死の大事故」によって取り付けられたもの。当のハッキネンは前年2001年をもって休養(のちに引退)したため、この年から後任として母国の後輩であるライコネンに代わっています。ノーズコーンは徐々にハイになった頃。
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続いてBMWのロゴが見えてきました。BMWといえばクビカやハイドフェルドが所属したザウバーとのタッグの印象が強いですが、F1第2期はウィリアムズからでした。こちらはウィリアムズFW24。
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BMWパワーが地元ドイツのR・シューマッハ、またF1に殴り込みをかけたJ・P・モントーヤの「あくなき挑戦」を手助けしています。
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それらの挑戦を受けて立つのがロゴの一部でもわかるあのチームです。
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丸みを帯びた赤のフォルムに白のアクセント。結果的に表彰台登壇率100%を誇った怪物マシン、フェラーリF2002。とにかく強かった。
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ボーダフォンって懐かしいですよね。miyabikunも当時使っていました。特別フェラーリ推しではなかったけど(笑)
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大トリはもちろんホンダ第3期で支えた黄色いジョーダンEJ12ですね。そりゃあまあ、フジテレビだもん。
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エンジンカバーに描かれたHONDAのロゴは現在の第4期トロ・ロッソに似たもので、かの有名な「POWERD by HONDA」は使われなくなってしまいました。最近思うのが、トロ・ロッソはあれだけ大きなロゴを入れているのに、レッドブルはなぜあんなに小さい!(笑)謙虚過ぎる。自信ないから?!アストンマーチンを配慮してのあのサイズ感なんでしょうか。先日のオーストリアGPでは第4期初優勝をあげましたもんね、日本GPではもう少し堂々と表記してもらえないかなぁ。
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今まではTRUTH時代ではないものばかりを取り上げてきました。ひとえにTRUTHといっても何パターンかありますよね。原曲の前にアレンジ版をみてきました。他のはまた別の機会に。

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https://youtu.be/8akcXGM-cL4

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前回は2001年にF1デビューし、来シーズンは格下ザウバーに出戻る形で活躍を続けるライコネンのマシンを取り上げました。今回は時は同じく2001年にミナルディからデビューを果たし、今シーズン限りでF1を降りることを決めたアロンソのマシンをみていきたいと思います。2001年型ミナルディPS01です。

《設計》
グスタフ・ブルナー
ロイック・ビコワ

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《外見》
1985年からF1参戦を始めた歴史あるミナルディはこの年からまた新たな転換期を迎えることになります。ヨーロピアン航空の経営者であるポール・ストッダートがオーナーに就任、これまで「M」を頭文字として付番してきたシャシーは頭文字の「PS」に改められました。厳密なチーム名は「ヨーロピアン・ミナルディ」となります。名前こそミナルディという名前で2005年まで参戦を続けたこのチームは「若手の登竜門」であるとともに「金策に翻弄」していたことも事実で、もしかしたらドライバー以上に「存続することに対して懸命」だったと思います。
マシン自体「輝かしい名車か」と聞かれたら、正直とりたてて光る結果は残していません。ただこのマシンにも特徴的なものがあります。前作2000年型M02でF1初採用された「チタン鋳造ギヤボックス」を引き継ぎ、マシンの軽量化に努めています。またフロントでプルロッドを採用している点も変わり種です。
先端が非常に細く、上面は平坦なノーズはこの年から採用した「黒地に白」で一層際立って見えます。前年「蛍光黄緑に青ライン」だったことを考えると、まるで別チームのマシンのよう。そんなマシンを作り上げたブルナーは第5戦スペインGPが終了する頃にトヨタからオファーを受けてチームを離れています。そのあたりもザウバーC20とどことなく似たシチュエーションですね。

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《シャシー》
全長: - mm
全幅: - mm
全高: - mm
最低車体重量:600kg
燃料タンク容量:− ℓ
ホイール:OZ
サスペンション:フロント プルロッド
                                 リヤ    プッシュロッド
タイヤ:ミシュラン

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《エンジン》
ヨーロピアンV10(フォードVJ ZETEC-R)
V型10気筒・バンク角72度
排気量:2,998cc(推定)
最高回転数:16,500rpm(推定)
最大馬力:700馬力(推定)
スパークプラグ:マニエッティ・マレッリ
燃料・潤滑油: - 

ヨーロピアンエンジンはとは名ばかり。実際にあるメーカー名ではありません。こちらもザウバーと同様のバッジネームです。実態はフォードのZETEC-Rであり、型は前回のペトロナス一年落ちどころかこちらはなんと三年落ちです。最高最先端の技術をいくF1において、その年式の差は正直痛手。ライバルと比較してパワーはまるで期待できませんでした。でも仕方がない、走れないよりマシ。これでも頑張って「走れるように整えた」ストッダート苦肉の策。

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《ドライバー》
No.20 タルソ・マルケス(第1戦〜第14戦)
           アレックス・ユーン(第15戦〜第17戦)
No.21 フェルナンド・アロンソ(全戦)

《戦績》
0ポイント コンストラクター11位
(9位2回、10位1回、11位1回、12位1回ほか)
ポールポジション0回

もちろん実力があれば申し分はないけど、とにかく手軽に、もっと言えば「持参金なんぞあればなおいい」というところからドライバー選定も入ります。エース(というより経験者と言った方が正しいか)として選んだのは96年はフィジケラの代走、97年は片山右京の相方もこなしたマルケス25歳を4年振りに起用。そして新人アロンソ様19歳をルノー様とブリアトーレ様からお借りする形で起用しています。
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アロンソは2001年デビューの中での前評判は比較的地味でした。何せ同期がアメリカで既に名を馳せてF1でどこまで通用するかモントーヤ、そして何だかバタバタ騒いでるけどちゃんと走れるかひとまず様子をみてみようライコネンの2人が開幕前から話題をさらっていました。
開幕戦オーストラリアGP予選はトップから6.3秒遅れ、ジャガーで21番手のブルティからも2.3秒遅れて107%タイムを叩き出したマルケス。対してトップから3.8秒遅れの19番手に抑えたアロンソは決勝12位完走と、非力なマシンでもフィジケラ&バトンのベネトン2人を上回る結果で期待値が一気に急上昇することとなります。
決勝の最高位はマルケスによる第3戦ブラジルGPと第8戦カナダGPの9位完走2回です(当時の入賞は6位まで)ただそんな中でもアロンソはそのカナダGPでフロントウィングの違反で予選タイム抹消した以外は予選でほぼマルケスを上回り続けました。そして毎度107%ギリギリのタイムでテールエンドと化したマルケスは第14戦ベルギーGPを最後に「よりチームのためになる」バックボーンを持つマレーシア人のユーンにシートをスイッチし、終盤3戦を戦い抜く選択を採ります。
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結果的には唯一のノーポイントコンストラクターとなる4年振りの最下位11位でシーズン終了。しかしアロンソの果敢に予選、決勝とも攻めの姿勢と安定した走りによって「速いマシンに乗せてみたい若手」に成り上がり、周囲の期待を獲得。2002年からブリアトーレの下に返還され1年の「我慢と熟成」に入りました。その後「青いルノー」を駆り同期の中で最も早く結果を出したのはご存知の通りですね。

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何だかマシン云々よりアロンソの下積み時代の栄光の話題が強い回となりました。今の若手、フェルスタッペンやルクレールを見ていると、格下チームで下克上を図る若き日のアロンソを思い出します。ハミルトンは例外として、アロンソもライコネンもベッテルも初めは入賞が精一杯のチームやマシンから実力を身につけ、晴れて頂点を極めました。アロンソが「屈強な赤い壁」を若くして打破したように、次はそんな彼らが「超速の銀の矢」をへし折る日が来ると思うと楽しみです。

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ペーター・ザウバーは存命ながら当人はおらず、チームとシャシーに名だけが残り、今や古豪の領域に入りつつあります。中団から下位を行ったり来たりするチームは近年フェラーリ色が一層強く、この名前が今後いつまで継承されるのかも非常に興味がありますね。(2019年2月1日に「アルファロメオ・レーシング」へ改称することを発表。ザウバーの名は消滅しました)
来シーズンはチャンピオン経験者のライコネンを迎え入れ、さらなる飛躍が期待されます。F1現役最高齢、最多出場のライコネンのキャリアスタート、共に才能を開花させたのもここザウバーからでした。今回はそのデビューマシン、2001年型C20を取り上げてみます。
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《設計》
(セルジオ・リンランド)
レオ・レス
ステファン・テイラー
ウィリー・ランプ

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《外見》
当時のチーム名は「レッドブル・ザウバー・ペトロナス」でした。今のレッブルグループと同様にノーズコーンの着色が施され、色はクレディスイスっぽい白へ。サイドポンツーンにはペトロナスの可愛らしいフォント。更にはエンジンはフェラーリという、今のライバルトップチームによる合作みたいになっています。ザウバーは元々メルセデスというバックボーンをもってF1参戦していますから、ありとあらゆる策を講じてF1で生き延びていることになります。プライベーターとして賢いやり方です。
優勝やポールポジションもないこのマシンでも、ある革新的なアイデアが盛り込まれています。フロントサスペンションの「ツインキール」化です。
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90年代中盤からシフトしたハイノーズマシンにおいて、ノーズ下の空間をいかに有効活用してダウンフォースを得るかが課題でした。一般的にはノーズ下にロワアームを接続させるコブ(キール)で支持しますが、そうなると空力的に邪魔となります。そこでリンランドはそのコブを二又に独立させて左右のロワアームに繋げてより効率的な下部気流となるようにしました。以降このマシンを模倣するチームが多く出現し、05年マクラーレンMP4-20が「ゼロキール」を導入するまでトレンドとなりました。このC20といいMP4-20といい、たまたまだと思いますがライコネンは「サスペンションの先駆けマシン」のどちらもドライブしていることになります。そんな工夫を施したリンランド当人は実はマシンは作るも開幕直前にフェルスタッペンらが所属するアロウズに移籍したため、まさにチーム成績上昇のための「置き土産」をする形となりました。
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その他、フロントウィングやノーズへのステーもサーキット特性に合わせた形で様々なバージョンを用意。また前作C19と比較して低重心化と35kgの軽量化も図られており、一年落ちとはいえチャンピオンマシンに搭載されたエンジンは若手ドライバー2人の台頭をさらに助けています。

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《シャシー》
全長:4,450mm
全幅:1,600mm
全高:950mm
最低車体重量: − kg
燃料タンク容量:− ℓ
クラッチ: −
ブレーキキャリパー:ブレンボ
ブレーキディスク・パッド:ブレンボ
ホイール:BBS
サスペンション:フロント プッシュロッド
                                 リヤ    プッシュロッド
タイヤ:ブリヂストン

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《エンジン》
ペトロナス01A
(フェラーリTipo049)2000年型の一年落ち
V型10気筒・バンク角90度
排気量:2,997cc(推定)
最高回転数: - rpm(非公開)
最大馬力:770馬力(推定)
スパークプラグ:チャンピオン
燃料・潤滑油:ペトロナス

エンジンは前年00年にM・シューマッハがハッキネン打破に成功したフェラーリF1-2000に搭載された「Tipo049」をペトロナスのバッジネームで使用していました。パワーは折り紙つき。

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《ドライバー》
No.16 ニック・ハイドフェルド(全戦)
No.17 キミ・ライコネン(全戦)

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《戦績》
22ポイント コンストラクター4位
(3位1回、4位3回、5位1回、6位6回ほか)
ポールポジション0回

ドライバーは一新し、プロストからデビューしてこの年からザウバーに移籍してきた2年目のハイドフェルド23歳。そして下位の下位カテゴリーとなるフォーミュラ・ルノーでたったの23戦しか出走していないライコネン21歳による若手コンビに変更して挑みました。ハイドフェルドもライコネンも今まで経緯については何回か取り上げてきましたし、わざわざ取り上げるまでもなく有名な話かと思いますが、ハイドフェルドはドイツを代表するメルセデス育成選手の一人としてマクラーレンのテストドライバーを経験するなどポストM・シューマッハと期待された若手。逆にライコネンは「どこの馬の骨かわからぬ」状態でスーパーライセンス発給についても「とりあえず4レースまでの条件付き」という仮免許状態と、今ではあり得ないスタートを切っています。
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怪しい面持ちで蓋を開けてみれば、開幕戦オーストラリアGPではハイドフェルドが予選10番手から決勝4位入賞、ライコネンは13番手スタートから6位入賞と予想を覆す結果で始まります。以降ハイドフェルドは第3戦ブラジルGPで自身初の3位表彰台を獲得して、プロストでの1年目を払拭する結果を残し、株を一気に上げています。ライコネンは表彰台こそないものの、最高位4位を2回、計4回の入賞を記録し、堂々とスーパーライセンスの発給にこぎつけています。
結果的にハイドフェルドは12ポイントを獲得してランキング8位、ライコネンは9ポイントでランキング10位となり、フェラーリ、マクラーレン、ウィリアムズに続くコンストラクターズ4位に浮上するという飛躍的なシーズンを迎えることとなりました。この順位は現在までのザウバー参戦23年(BMWザウバー時代を除く)の歴代最高位となっています。
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マクラーレン(メルセデス)のチャンピオンであるハッキネンがいよいよ休養、そうなれば表彰台を獲得し、さらにはテストドライバーであったハイドフェルドの出番か!?と思いきや、マクラーレンがハッキネンの後任に選んだのは同郷のライコネンの方でした。ライコネンはマクラーレンのドライバー初戦の02年開幕戦で早速3位表彰台、キャリア3年目の03年マレーシアGPで初優勝と出世街道まっしぐら。方やハイドフェルドは03年までザウバーに居座る形からジョーダン、ウィリアムズ、また(BMW)ザウバーとチームを転々。速さと安定した完走率は確保するも優勝はなく、11年にルノーを途中離脱する形でF1を去っています。キャリアも歳も浅い「2つの才能」はこのマシン以降、全く違う方向へ進むこととなりました。
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ライコネンは老いた今でもF1界を代表する人気ドライバーとして居続けています。半ば「賭け」だったかもしれませんが、当時のマクラーレンとメルセデスは先見の明があったのかもしれません。

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フェラーリのスタート練習の光景です。今回選んだ2001年の第5戦スペインGPは1994年で使用を禁止された「トラクションコントロールシステム」(ローンチコントロールシステムとも)の復活の初レースでした。トラクションコントロールシステム(以下トラコン)とは、発車や加速時にロスとなるタイヤの空転を電子制御するものです。当時はチームオーナーをしているプロストは
「腕のないドライバーも安心してレースに臨めるだろう」と語ります。賢く勝つこの方の腕は確かですが、晩年はトラコンをガッツリ搭載したマシンでチャンピオンを獲得した一人です。確かにおっしゃる通りでこれによってマシン制御は容易になりますが「各人の個性」は薄まり、プロのレーシングドライバーとしてどうなんだ?!と思う部分もあります。高出力、高トルクのマシンを制御するのが「プロ」ですもんね。
やはり導入には賛否両論があり、トラコン時代も経験のあるハッキネンは予選ではそれを切って2番手タイム。インタビューで「マクラーレンの装置は劣る?」と突っ込まれ「いや、そういうことではない」と苦笑い。

この年ミナルディからデビューした地元のF・アロンソは名門ルノーのフィジケラ、バトンを上回る18番手を獲得。それをみてF・ブリアトーレは「やっぱあの新人いいべ?来シーズン座らそや」とでも話しているかのよう(もちろんアロンソは腕のあるドライバーです)

《予選結果》
   1 M・シューマッハ(フェラーリ・F・BS)
   2 M・ハッキネン(マクラーレン・M・BS)
   3 D・クルサード(マクラーレン・M・BS)


予選3番手のクルサードはグリッド上でエンスト。マクラーレンのトラコンはまだ不安定なのでしょうか。再スタートではジョーダンのフレンツェンがスタートできず。すぐに再始動したのは救いですが、スタートを支援するはずのトラコンが足かせになってしまっています。

ポールスタートのM・シューマッハには問題はお構いなし。ピタリと真後ろにつくハッキネンを物ともせずスムーズに1コーナーをとります。
最後尾まで落ちたクルサードは普段並走しないであろう下位に接触、フロントウィング翼端板のMobilがこっち向いちゃってます。このレースは完全にハマってしまいました。クルサードらしいっちゃらしい(笑)

トラコンなんて邪道なもの、逆に要らないと予選イマイチだったウィリアムズのモントーヤはスタートで12番手から6番手にジャンプアップし、獲物をジョーダンのトゥルーリにロックオン!ピットストップも合わせて確実に狩る。
ピットで逆転を食らったトゥルーリはモントーヤから徐々に離されて、B・A・Rのヴィルヌーブにまでオーバーカットされる始末。無線でヴィルヌーブがペース上げてるから気を付けろって喚起されたのに、、こちらも予選よいよい決勝弱いのトゥルーリらしいっちゃらしい(笑)

トップ争いに話を戻すと、ピットを終えてもM・シューマッハはハッキネンに先行を許しません。コース上でかわすのは難しいと判断したハッキネンはM・シューマッハが2度目のピットに向かって暫定トップに立つとオーバーカット狙いでペースを上げます。
そして2度目のピットへ
シューマッハももちろんわかってます。飛ばす!
タイヤ交換完了!
ピットアウトするとハッキネンが前。普段はM・シューマッハの得意としている戦略でトップに。
予選でトラコン切ったの、怒らないでね!

喜んだのもつかの間、最終周のハッキネンはコーナーと逆にマシンの挙動を乱し、何か破片飛ばしてフロアから火花が
クラッチを壊してしまいました。決勝は逆転をみせたのに、こうなってしまっては文字通りお手上げです。壊れたハッキネンを横目に定位置に戻ったM・シューマッハでした。

《決勝結果》
   1 M・シューマッハ(フェラーリ・F・BS)
   2 J・P・モントーヤ(ウィリアムズ・B・MI)
   3 J・ヴィルヌーブ(BAR・H・BS)
      ※BはBMWエンジン

この3人の表彰式は強烈だ、我が強い(笑)モントーヤはこれがF1初表彰台、さらにヴィルヌーブはB・A・Rの初表彰台でした。F1に来てからの表彰台は超速だったのに、ウィリアムズから離れたヴィルヌーブは別人に見えてしまう。
この時代のマクラーレンは速いか壊れるかのどちらかでしたよね。また、レースは最後までわからないを証明するいい見本となってしまいました。ウィニングランで相方をタクシーに使うハッキネン。9位完走扱いでした。
そして優勝者を讃える。M・シューマッハも「レースで時にはこういうことはある。今回はミカに起きてしまった」と労います。この2人は長年ライバルとしてやってきた仲で大きな揉め事はありませんでした。互いに速さを認め合っての信頼もあったと思います。その後ハッキネンは第10戦イギリスGP、第16戦アメリカGPで優勝はしたものの、リタイヤも重なってモチベーションも下降線。結果ランキング5位で終え、このシーズンをもって休養宣言、そしてそのまま引退を迎えることとなりました。また、トラコンは2008年シーズンから改めて現在まで使用禁止になっています。
チャンピオン経験者がライバルとまともに戦えず、、本当に辛いと思います。そういえば、こんな感じは最近にもあった気が。。
頑張れって言って頑張れるものでもありません。地元でも腐らずに。

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