F1 えきぞーすとのーと

よくあるニュースネタやこ難しいテクニカルな話ではなく、メインは予選や決勝のTV観戦したそのものを個人的観点から綴るF1ブログです。  また、懐かしのマシンやレースを振り返ったり、記録やデータからF1を分析。その他ミニカーやグッズ集めも好きなので、それらを絡めつつ広く深くアツくF1の面白さやすごさを発信し、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

タグ:2000年

あれからクビカのおでこを追い続けて一週間近く留守してしまいました。おかげで「どこまでおでこでどこからが頭皮か」を見分けることができるようになりました。

それはさておき、シーズンオフは「過去」ばかり追いがちになります。情報源があるわけでもないし、取材できるわけでもないので致し方がないのですが。。毎回昔の話ばかりですみません。今回も「過去の話」です。

以前にF1のオープニングテーマ曲に注目したことがありました。日本のF1といえばT-SQUARE「TRUTH」が真っ先に思いつきますよね。今でもF1=TRUTHを連想して、様々なメディアで使用されています。ただ今回はフジテレビのF1中継で「TRUTH」に替わって採用されたオープニングテーマ曲を振り返りたいと思います。B'zのギタリスト松本孝弘によるソロのインストゥルメンタル「GO FURTHER」です。直訳するなら「遠くへ行け」確かに飛行機に乗っているようなダイナミックさや壮大さを感じる曲だ。聴く度に誇らしく、何だか強くなったような錯覚になります。また「さらにその先へ」とも訳せます。
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これはオープニングテーマ曲として1999年と2000年の2年間だけ採用されました。当時からB'zはもちろん知っていたし、好きでよく聴いていたアーティストだったのですが、先ほど書いたようにF1=TRUTHという回路が頭にできてしまったこともあって、初めは受け入れるまで数戦要した記憶をしています。
miyabikunが持っているVHSでもいくつか残ってはいますが、もう20年ものということで2秒に一度のペースで画像が欠けます。よってYouTubeさんから引用させて頂きました。当時はまだアナログ映像ということもあり、借りておいて言うのも何ですが、決して綺麗でありません。また演出上なのか、高速かつぼんやりとした映像で作られているため、今回のように画像で観るには適していないかもしれません。是非動画でお楽しみ下さい。
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「光陰矢の如し」という言葉がピッタリな、高速で走るF1の輝くシルエットから入ります。乗っけから暴れるもんだから、理想的な瞬間を捉えるにも一苦労。とにかくスピード感たっぷりです。
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この人当時から誰なんだろうなと考えていました。当時は日本でも人気の高かったハッキネンがチャンピオンを獲得した頃ですから、おそらくハッキネンかな。
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矢のような速さのF1は豪快にストレートを駆け抜けていきます。これは何となくオーストラリアのアルバートパークっぽい。見えていないけどグリーンにQANTASっていう赤いカンガルーがいそうな気がする(笑)
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これもアルバートパークのコントロールラインっぽく見えませんか?!単独で走るマクラーレンのハッキネンが決定的な証拠に感じます。ここで当時参戦していたコンストラクターの名前がパカパカ色んな所から湧いて出てきますが、早過ぎて全てを認識できません。ただやっぱり日本のテレビ局、それもフジテレビですからね、BAR・ホンダとジョーダン・無限ホンダはしっかり確認できるようになっています。全般的にその2チームとマクラーレンが多い。やっぱりテレビも「商売」ですから(笑)
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あ、これはベネトンだ。エンジンブローしている、縁起でもない。ハラハラするけどこういう限界走行を観るのもF1の醍醐味でした。最近は本当にこういうシーンが減りましたよね。今は保たせなければならない時世です。
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これは一台に見えるけど、マクラーレンとフェラーリによるデッドヒートです。こちらもリヤから何か噴き出していますが、エンジンブローではありません。
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やっぱりホンダが多い。仕方がない。あまり真紅の人気チームを見かけませんね。あ、チラッと。
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最後のシーン。これもボンヤリしていて誰だか判り辛いのですが、このポーズをやる人、あの人しかいない。たぶん。この時代はまだがっちり「腰を据えられていない」頃でしたからね。でも出さないわけにもいかないよな、ミスターF1だもん。

終始断定し辛いカットが多いので手探りなコメントばかりになりました。これはこれで想像力豊かに、ファンがそれぞれの目線で決め込んだり宝探しするみたいでいいのかもしれませんね。
https://youtu.be/gXZXLnOtpcs

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たまに「どこの自動車ブランドが好き?」と聞かれることがあります。miyabikunはイギリス車が好きです。実際に乗っているのは日本車だし、将来乗るかと言われれば、手が出ることもないだろうけど、ドイツ車やイタリア車にはない「気品」とその見た目とは裏腹の「高出力」が芸術品の様にも感じます。残念ながらそのブランドは近年F1参戦していないのですが、今回は日本でも見かけるイギリス車の代表格の一つ、ジャガーの処女作2000年のR1を取り上げていきます。ヨーグルトにありそうなシャシー名だ。
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《設計》
ゲイリー・アンダーソン

《外見》
ジャガーは象徴的なエンブレム「リーピングキャット」でお馴染みイギリス車の名門です。F1におけるジャガーはフォードのワークス的立場にあった「スチュワート・グランプリ」をフォードが買収して誕生しました。よって「あのジャガーによるF1参戦なのか?!」と言われると、実質は「アメリカのフォード社が傘下に入れたジャガーの名を冠していた」が正しい表現になります。ちなみに、現存するジャガーはフォード系列からは離れ、2008年にインドの自動車メーカーであるタタ社の傘下となっています。
テクニカルディレクターはスチュワート時代から引き続きゲイリー・アンダーソンが就いています。アンダーソンといえば、今でも高い人気を誇る芸術車「ジョーダン191」に携わった人物です。ジョーダンで採用されたブリティッシュグリーンをまとい、さらにはメタリック調の塗色に仕上げてあって個人的には好きです。色からして上品!リーピングキャットもしっかり前を向いて前方のライバルを捕まえんばかりに鎮座しています。
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でもこのマシン、綺麗なグリーン色に騙されそうだけど、どこかで見たことあると思いませんか?!頭の中で塗装を剥いでみて下さい。あ、マクラーレン!そう、このマシンの大筋はチャンピオンマシンであるマクラーレンを模しているのです。ノーズの形、フロントウィング、大型なディフレクター、サイドポンツーン形状もよく似ていますよね。以前に取り扱った「スチュワートSF3」もマクラーレン似だったし、要はタータンチェックを緑に変えただけ?!出来のよかった前作SF3から小変更と思いきや、実はこのマシンに大胆な改良を施しています。それはリヤサスペンションの「支持方式」です。
リヤサスペンションはプッシュロッドを採っています。ロッドの回転する中心に向かって水平にトーションバー(板バネ)を設置するのが一般的ですが、このマシンはそれを下向きに取り付けて、ダンパーを車体下方となるように設置して低重心化を図りました(ダブルロッカー)ギヤボックスも低く、エンジンカバーも後端部は低く仕上がっています。F1において低重心化は今までも各チームが命題としており、うまくハマればマシン挙動が大幅に安定します。そこはライバルにはない「大胆かつ独特な試み」であったといえます。

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《シャシー》
全長: - mm
全幅: - mm
全高: - mm
最低車体重量: - kg
燃料タンク容量:− ℓ
ホイール:BBS
ブレーキ:AP
サスペンション:フロント プッシュロッド
                                 リヤ    プッシュロッド
タイヤ:ブリヂストン

《エンジン》
フォード コスワースCR-2
V型10気筒・バンク角72度
排気量:2,998cc(推定)
最高回転数: - rpm(非公表)
最大馬力: - 馬力(非公表)
スパークプラグ:ビステオン,チャンピオン
燃料・潤滑油:テキサコ

エンジンは前年のSF3と同じフォード・コスワースCR-1から改良されたCR-2で挑んでいます。エンジン改良に奇抜なサスペンション機構はこの後に示す戦績で成功だったか失敗だったか一目瞭然です。

《ドライバー》
No.7 エディ・アーバイン(第10戦を除く全戦)
         ルチアーノ・ブルティ(第10戦)
No.8 ジョニー・ハーバート(全戦)
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《戦績》
4ポイント コンストラクター9位
(4位1回、6位1回ほか)
ポールポジション0回

なかなかの成績で終えたスチュワート時代のバリチェロからアーバインにスイッチして、イギリス人のベテランドライバーで揃えてきました。ハーバートは「帝王」の下積み時代に嫌な感じにされた被害者。アーバインも「帝王」に仕えてチャンピオンを獲得する絶好のチャンスをモノにできなかったドライバー。さらにバリチェロはそのアーバインに代わって「帝王」に仕えるべくフェラーリに移籍し、結果はご存知の通りと「帝王」にまつわるドライバーがこの時代のこのチームに関わっています。
それはさておき戦績は前作スチュワートSF3の好成績と前年チャンピオン争いを演じたアーバインをもってして「低調」なものとなっています。序盤2戦は完走すらならず、第3戦サンマリノGPでアーバイン7位、ハーバート10位(いずれも当時は入賞圏外)と苦戦が続きました。原因の一つはあの奇抜なリヤサスペンションがマシンに不安定な挙動を招き、操作性が困難であったと言われています。チーム初入賞かつ最高位は第6戦モナコGPでのアーバインが4位がやっと。おまけに第10戦オーストリアGPでアーバインが腹痛のためブルティが急遽代走を務めるなど、アーバインの悪いところでもある「やる気の浮き沈み」もみられました。またハーバートは結局一度も入賞することなくこのシーズンを最後にF1を引退しています。話題性のあるチーム、実績あるドライバーを引っさげての「ジャガー初年」はそれを裏切るかのような出来で、入賞はたったの2回という屈辱的な結果に終わりました。
ジャガーF1はこの2000年から2004年まで5シーズンを戦い、結果的にポールポジションと優勝はなく、最高位は後にアーバインによって2回の3位表彰台を獲得したまでです。フォードをバックボーンとした名ブランド「ジャガー・レーシング」はF1で大成することができませんでした。マシンはカッコよかっただけに残念でした。なおチームは2004年末に飲料水メーカーの「レッドブル」が1ドルで購入して今日に至ります。

miyabikunは週末に不覚にも5年振りにインフルエンザを患ってしまいました。発熱と頭痛があるものの食欲はあるのが救いです。今後アップが少し遅れるかもしれません。皆さんもインフルエンザには気をつけて下さい。

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日本GPを前にもう一つ日本GPを振り返っておきましょう。2週連続の限られたタイミングに無理矢理差し込みました。このあげまんがバックにいたら結果を出さないわけにはいかない2000年の日本GPです。自身もこのレースは逆バンクから生で観ていました。土曜日も大学があったため予選はテレビ観戦で我慢し、土曜夜に東京から「ムーンライトながら」に乗って友達と四日市駅ホームで仮眠、帰りはずぶ濡れで白子駅まで歩くというハードスケジュールでした。当時はフェルスタッペンと同い年だからできた。今はライコネンの歳なので、できないだろうな。もう徹夜はできません。したとしても翌日が本当に使い物にならん。ありがとう、体育の日!

2000年を振り返るのは3レース目です。序盤でフェラーリのM・シューマッハが幸先よくリードし、逆にマクラーレンのハッキネンが精彩を欠くレースが続き、後半戦のオーストリア、ハンガリー、そして以前に振り返ったベルギーのスーパーパッシングで何とかチャンピオン争いに食らいついて、この鈴鹿を迎えています。毎年この鈴鹿でチャンピオンを決め、2年連続チャンピオンとなったハッキネンと、移籍5年目でそろそろ真価を発揮したいシューマッハの一騎打ち。歳もF1デビューもほぼ同じ、四天王の次の世代の2人はどちらが先に3回チャンピオンを獲得するのか?!

7年前となる前回の1993年も予選から白熱していましたが、この年も予選からすごいです。ずシューマッハがマクラーレンのクルサードの出した暫定トップタイムを0.539秒上回る1分36秒094で格の違いを見せつけてます。
続いてハッキネンがそれを0.077秒上回る1分36秒017で暫定トップが入れ替わります。この2枚の画像、ヘルメットがマシンと同化していて、ドライバーがいないように見える(笑)それをシューマッハが0.109秒上回り、いよいよ1分35秒台に入れてきました。
ハッキネンは「こいつしつこい」と言いたげに首を傾げてます。入れ替わりでガレージに戻ったシューマッハもハッキネンのアタックをしかと見つめます。セクター1はまだ勝っていましたが、1ラップ終えてくると0.074秒刻んで暫定ポールが移り
ドライバーがあまりカメラ目線をくれる機会はありませんが、この結果にシューマッハは笑うしかありません。カメラを見つめて「またやってくれたな」と言った感じで、悔しさよりも手応え充分な嬉しさにも見えます。
逆にガレージに戻ってきたハッキネンもシューマッハのラップをタイミングモニターで伺います。セクター1は勝ってますが、セクター2で上回られて時間いっぱい。結果を見ずに自身も最後のアタックに。
最後のシューマッハはハッキネンをわずか0.009秒上回るタイムです。シューマッハはもうマシンを離れてもいいのにコクピットで立ったままモニターに釘付けです。
セクター1をマイナスできたハッキネンでしたが、遅いマシンに前を阻まれてタイム更新ならず、シューマッハの勝ち。3番手のクルサードは2番手のハッキネンから0.4秒も離れています。まさに2人だけの別次元のポール争いとなりました。予選だけでお腹いっぱいなバトルですよね。予選方式の違いはあるけど、ハミルトンとベッテルで今こうにはならないんだよなぁ。

《予選結果》
   1 M・シューマッハ(フェラーリ・F)
   2 M・ハッキネン(マクラーレン・M)
   3 D・クルサード(マクラーレン・M)
     ※タイヤはブリヂストンのワンメイク


考えてみれば1998年も99年もこの年もフロントロウの順列が同じですね。前年のフェラーリの主役はあくまでアーバインでしたが、今回はシューマッハ自身が主役です。
スタートでシューマッハはわかりやすいまでのハッキネンのけん制に出てイン側へ思い切り寄せていきます。ハッキネンは動じることなく1コーナーまでに前に出て、このレースでのチャンピオン決定を自らの手で阻止します。この画もどこかで見た展開だ。

1回目のピットはトップのハッキネンが先に終え、シューマッハが即座に反応するも順位変動はなし。ハッキネンが前。
ここでさっき話に出した雨が降り始めます。鈴鹿も秋とはいえ、雨のGPになることが過去にもありましたよね。路面はちょい濡れでも2回目ピットではドライタイヤで出るハッキネン。ただ戻ったトラックがよくなく、アロウズのデ・ラ・ロサに付き合うことになります。
ちょい濡れ路面はハッキネンよりシューマッハが上手です。高速ラップを連発してピットも迅速に済ませて戻るとハッキネンの前に戻ります。オーバーカット成立です。
最終周までハッキネンはシューマッハを追いますが、少し足らず。シューマッハが逆転優勝&最終戦に持ち込むことなく3回目のチャンピオン獲得となりました。


《決勝結果》
   1 M・シューマッハ(フェラーリ・F)
   2 M・ハッキネン(マクラーレン・M)
   3 D・クルサード(マクラーレン・M)

結局予選と全く変わらない順列のままの表彰台。ハッキネン3連覇を目の前で奪われて、帰り道は雨に打たれてレインコートの中までびっしょりで辛かったです。シューマッハとハッキネンの差は同じファインダーに入る1.8秒差でしたが、こちらも3位クルサードとなるとハッキネンの1分10秒も後方になります。順位だけではわからない、タイムまでみるといかにこの2人がこの時代で抜け出ていたかわかりやすい予選と決勝でした。

在籍5年かけて初めてフェラーリでの初戴冠となったシューマッハはここからご存知の通り5年連続でチャンピオンを獲得する「伝説の領域」に入っていきます。一方でハッキネンは翌2001年もマクラーレンに在籍するも、マシンの信頼性のさらなる低下とそれに伴うモチベーション低下で2勝するに留まり、休養宣言後の2001年日本GPは4位フィニッシュと話になりませんでした。
何回か書いてますが、無敵王者シューマッハを引退に追い込んだのは今も現役のアロンソでした。ただ勝ちグセや肉体的年齢的老化、タイヤとのマッチングなどを無視した「脂が乗り切った」バキバキのシューマッハと唯一複数年やり合ってきたのはハッキネンであり、それはシューマッハ自身も「最大のライバルであった」ことを常々語っています。四天王がいなくてもその時代とは違う、 り合っても揉め事や因縁にはならない、クリーンで安心したバトルを別チームで観れていた古き良き時代でした。
先日から3回続けて日本絡みの「四天王の終焉と続く世代」として振り返ってきました。今まさしくチャンピオン争いを演じるハミルトンとベッテルも歴代の上位に連ねるドライバーとなりました。キャリアもマシンも他の追従を許さない現役の二強です。ここにきてメルセデスとハミルトンが優位に立ち始めました。ベッテルにも食らいついてもらい、どうにか最終戦まで楽しませてもらえるバトルと「クリーンなライバル関係」で今後もF1界を牽引していってほしいと願っています。

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まだ大阪出張中です。
あれ?!今回はこのタイミングで振り返り?!来週のアゼルバイジャンGP(ヨーロッパGP)はご存知の通りまだ1戦しか行われていないのと、先日までみてきた「初優勝」の絡みを考えて、今回は2000年ドイツGPを振り返ることにしました。ドイツGPを振り返るのは初、2000年レースは雨に荒れたベルギーGP以来2レースになります。バトンがデビュー年の2000年と聞くと最近のようでもう17年も前の話になるんですね。この頃生まれた方はもう高校生になるわけか。自身はこの頃に成人式。時が経つのは本当に早いですね。

この頃のホッケンハイムリンクはまだ森の中を抜ける6.823kmの時代です。1998,99年と2連覇を果たしたマクラーレンのハッキネンとチャンピオンから久しく遠ざかるフェラーリ移籍5年目のM・シューマッハはこの年から子分、いや相方をバリチェロに代え「両者3回チャンピオン」に挑むシーズン後半戦になります。

予選は雨となり、早いタイミングでタイムを出したいとピットレーン出口は渋滞が起きています。M・シューマッハは2番手、ハッキネンが4番手タイムに沈む中、ポールポジションはいい環境下でアタックできたマクラーレンのクルサードが獲得します。もちろんこの第11戦時点ではクルサードも三者僅差でチャンピオン争いできるタイミングです。
フェラーリ1年目のバリチェロはマシンの不調でM・シューマッハ用のTカーを使用して予選は18番手に沈んでいます。

《予選結果》
   1 D・クルサード(マクラーレン・M)
   2 M・シューマッハ(フェラーリ・F)
   3 G・フィジケラ(ベネトン・PR)
      ※PRはプレイライフ(ルノーカスタム)


決勝は雨が上がり、スタートでクルサードはM・シューマッハをモロに牽制します。すると前が開けた4番手スタートのハッキネンはその間にあれよあれよと間隙を縫ってトップに。
前がジャレてるため3番手のフィジケラも牽制でもたついたM・シューマッハにオカマしてしまい、両者リタイヤ。
昔は結構こういうシーンもみられたのですが、最近はお利口さんばかりで、みれなくなっちゃいましたよね。

1周目からハッキネン、クルサードの順でマクラーレンが楽な状況でワンツーとなって逃げに入ります。
本来はこんなに後方を走るマシンではないバリチェロはフェラーリのナンバー2前任者でジャガーに移籍したアーバインにハーバート、アロウズのデ・ラ・ロサやジョーダンのフレンツェンと軽いマシンで着実にパスを重ねてバリバリ順位を上げています。

25周目にカッパを被った乱入者現る!これによって身柄確保のため当然セーフティカーが入ることになり、トップのハッキネンは盤石のピットインを行います。
マクラーレンはココでハッキネンとクルサードの連続ピットを採らず、クルサードはセーフティカーランにつけて1周我慢させしまいます。真裏にピットアウトしたハッキネンがつきました。
ハッキネンの同一タイミングでピットを終えたジョーダンのトゥルーリが2番手、3番手まで追い上げできたバリチェロにフレンツェンが続いてその後ろにクルサードになります。クルサードにとっては大損!マクラーレンはもっと上手くやれなかったのでしょうか。前を走るものが優先が基本。でもその先の結論までは思いつかない最近のどこかのチームにも考えた方が似ているような。。

29周目にセーフティカーが退去した直後にザウバーのディニスがプロストのアレジにヒットしてアレジがクルクル回り、リタイヤ。再度セーフティカーが登場となります。アレジはヘルメットにグローブを投げ捨ててブチ切れ!

その後ホッケンハイムリンクの一部で雨が降り始めました。タイヤの見極めが肝心です。
トップのハッキネン、2番手トゥルーリはウェットタイヤに履き替え、3番手まで上がったバリチェロ、クルサードらはコースに留まります。この判断がこのレースの勝敗を決めました。バリチェロは濡れた路面をぺったんこウィングで水しぶきを上げながらドライタイヤでウェットタイヤのハッキネンと遜色ないペースで快走。エースで母国のM・シューマッハは消えたのでサポートの必要なし。こうなればハッキネンの猛追もなくそのままチェッカーフラッグを受けます。
《決勝結果》
   1 R・バリチェロ(フェラーリ・F)
   2 M・ハッキネン(マクラーレン・M)
   3 D・クルサード(マクラーレン・M)

序盤のセーフティカーでのクルサードのタイミングといい、雨でもドライタイヤで粘るバリチェロといい、ピットのタイミングが絶妙な化学反応を起こした結果、バリチェロはF1参戦8年目、124戦を要してフェラーリで念願の初勝利を挙げました。それも予選は他人のマシンで18番手スタートから挑んだ末の大飛躍です。
表彰台で国旗を片手に人目もはばからず大泣きのバリチェロ。当時のフェラーリで勝つには「絶対エースへのサポートが要らないタイミング」に限ります。チャンスを雨にも屈さず賢く攻め続ける殊勲賞。17人抜きは過去に調べた通り歴代3位のジャンプアップ、そして124戦目は当時最遅優勝(以降M・ウェバーが132戦目に更新)です。
以上、最多322戦出場の「苦労の鉄人」初勝利でした。 

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F1で最も偉大な記録、といえばやはりM・シューマッハの5年連続7回のチャンピオン獲得でしょう。数々のドラマや記憶を「数字と結果」で凌駕する、前人のみならず後人未踏の記録になっちゃうんだろうなと感じています。もちろんその記録はM・シューマッハの才能や実力はもちろんのこと、様々な巡り合わせや待遇がありました。それらがカリスマとなって成就し、このマシンから大記録が始まりました。2000年モデルの「フェラーリF1-2000」です。どこかのTVゲームのタイトルみたいですよね。フェラーリ独自の開発中のコードネームは651になります。

《設計》
ロリー・バーン
ロス・ブラウン

《外見》
このマシンは1999年シーズン中から開発が始まっていたと言われています。ちゃんとしたタイミングは定かではありませんが、もしかしたらM・シューマッハがクラッシュし、戦線離脱した第8戦イギリスGP以降からかもしれません。1999年は最終戦日本GPまで相方のE・アーバインがマクラーレンのM・ハッキネンとチャンピオン争いをしていましたが、2000年はジャガーへの移籍が決まっていたことや速さで若干勝るマクラーレンMP4-14への対抗を止めて、早々と切り替えたのかもしれません。前に振り返った「1999年日本GP」でポールからのスタートのM・シューマッハが「本当にミス」であったのか、、考えただけで恐ろしいです。

話を戻して、このマシンの特徴は前作F399の余韻を残しつつ「チャンピオン獲得」のための細部の変更を存分に表現してきています。まず目立つのは高く太いノーズコーンから下がる「後退型フロントウィング」に目がいきます。2017年シーズンに迎える新レギュレーションを17年前から先取りです!それまでフロントウィングは真紅の中で黒のアクセントを担ってきました。そこを真逆の白に染め、航空機の主翼のように中心から浅く後退するデザインとしています。また、サイドポンツーンは外側に一段高い開口から、逆に低くなる開口に変更しており、全体的にシャープにも見え、フロントウィングの白があるせいか柔らかさを感じます。
そして何よりも徹底的な軽量化を図っていることも特徴の一つです。エンジンも前作Tipo048のバンク角を10度広げた90度として低重心化改良を施し、先駆けの上方排気も引き続き採用されています。

《エンジン》
フェラーリ Tipo049
V型10気筒・バンク角90度
排気量:2,997cc(推定)
最高回転数: - rpm(非公開)
最大馬力:770馬力(推定)
スパークプラグ:チャンピオン
燃料・潤滑油:シェル

《シャシー》
全長:4,397mm
全幅:1,795mm
全高:959mm
最低車体重量:605kg
燃料タンク容量:− ℓ
クラッチ:AP
ブレーキキャリパー:ブレンボ
ブレーキディスク・パッド:ブレンボ
ホイール:BBS
タイヤ:ブリヂストン


《ドライバー》
No.3 ミハエル・シューマッハ(全戦)
No.4 ルーベンス・バリチェロ(全戦)

《戦績》
170ポイント コンストラクター1位
(1位10回、2位6回、3位5回ほか)
ポールポジション10回

2000年シーズンはこの2年、1998年のマクラーレン9勝vsフェラーリ6勝、1999年の7勝vs6勝とマクラーレンにあった優位性を打ち消し、さらに上回る開幕3連勝で始まりました。途中のモナコ、フランス、ハンガリー、ドイツとM・シューマッハの連続リタイヤの間にM・ハッキネンが3連覇をかけて、ベルギーGPでの有名なパッシングをみせるなど猛追をかけますが「チームワーク」も借りて第15戦アメリカGPまでに逆転、続く日本GPではガチンコ対決に競り勝ち、しっかりドライバーズチャンピオン3回目を獲得しました。当時ハッキネンの応援をしに日本GPを生観戦し、予選では1/1,000まで同タイム、そして目の前で勝利しチャンピオンを獲得されて悔しんだのを覚えています。結果、全17戦でマクラーレン7勝vsフェラーリ10勝と文句のつけようが無い勝利で終えました。

この年から「子分第2号」になったR・バリチェロは「親分」が0周リタイヤとなった第11戦ドイツGPで当時最遅となる参戦125戦目で初優勝が許されたのもこのマシンでした。前任のE・アーバイン、後任のF・マッサとも、優勝は経験できてもチーム「スクーデリア・シューマッハ」ではチャンピオンの道がないのは残念です。

F1での絶対的財産の成功を誓い、5年の時を経て見事に「最強フェラーリ」を確立、成功させたマシンF1-2000でした。
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