F1 えきぞーすとのーと

よくあるニュースネタやこ難しいテクニカルな話ではなく、メインは予選や決勝のTV観戦したそのものを個人的観点から綴るF1ブログです。  また、懐かしのマシンやレースを振り返ったり、記録やデータからF1を分析。その他ミニカーやグッズ集めも好きなので、それらを絡めつつ広く深くアツくF1の面白さやすごさを発信し、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

タグ:1990年代

カナダを終えて、一度カナタへ逃避行していたmiyabikunです。この間何をしていたか、実は「沢山のつぶつぶの作成」を進めていました。つぶつぶとは?!この後イヤというほどお見せしますので乞うご期待!(笑)
先日のカナダGPを終え、チャンピオン防衛にひた走るレッドブルのフェルスタッペンがF1参戦150戦を迎えました。あまりに勢い付いて勝ちに勝ちまくられると、今シーズンも夏休み前に終焉を迎えそうでいささか恐怖を覚えてしまいますが、一応キリ番の150戦。現代のF1を支えるフェルスタッペンの戦績を歴代のチャンピオンと並べて「どの位置付けにいるのか」を比較検証したいと思います。長くなりますが、一生懸命につぶつぶしましたのでお付き合い下さい。

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《フェルスタッペンと近代チャンピオンの戦績比較》
まずは今回の主役であるフェルスタッペンの予選決勝の主な戦績を示します。以下の歴代チャンピオンとの均衡を図るため、一応「全戦戦績」と「150戦戦績」を載せています。先日のカナダGPでキリ番150戦参戦を達成しましたので、数値は当然イコールになります。

〈各記録の算出基準〉
 記録は2022年第9戦カナダGPまで
 予選除外や失格、決勝リタイヤは「27位扱い」
 ※は「ペナルティ昇降格前」を採用したため、
  公式記録とは若干異なります
 ●は2022年現役ドライバー

 M・フェルスタッペン 決勝出走150戦継続中 ●
  150戦達成:2022年第9戦カナダGP
            予選    決勝
  全戦平均順位:  5.44位    8.45位
  150戦平均順位:  5.44位    8.45位
  全P.P.回数:    15回
  150戦P.P.回数:   15回
  全戦優勝回数:         26勝
  150戦優勝回数:         26勝
  全戦表彰台回数:         67回
  150戦表彰台回数:         67回

予選、決勝の各平均順位はいつもの「miyabikun算出法(強烈版)」として、予選での結果除外、失格最後尾、ならびに決勝リタイヤは「27位扱い」とし、決勝の失格やスタートできずは数からも除外しているため、公式記録との差やイメージしている数字よりは低めに出てくる点に注意して下さい。ただ過去のチャンピオン達とも同様の評価をしているため、イコールの比較がしやすいかと思います。
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こちらがフェルスタッペンの全150戦の予選、決勝の順位となります。予選はポールポジション、決勝は3位までの表彰台登壇の領域を薄い赤で強調しています。
フェルスタッペンの特徴として「初ポールよりも初優勝が早かった」こと、また「ポールポジションからの逃げ切りよりは決勝で抜く」戦い方であることが多いです。結果的に予選のポール回数より優勝数が上回ります。5勝目くらいまでは意識して数えていた記憶だったのですが、昨年と今年で勝ちに勝ちまくり、あっという間に26勝を挙げていたんですね。チャンピオンも一度獲得したし、歴代でも単独の9位に入りますから、レジェンド級のドライバーにまで成長しました。またこれまでに獲得したポールポジションは15回で歴代22位タイ(ちなみに今シーズンの最大のライバルであるルクレールと同じ回数)
このあと先輩チャンピオンとの比較に入るわけですが、フェルスタッペンの戦績はトロ・ロッソ時代はともかく、レッドブルに移籍してからは予選、決勝とも徐々に上位を安定して獲るに至っています。

〈2010年代との比較〉
次はつい先日までのチャンピオン、2010年代のチャンピオンと同列比較してみます。対象は現役バリバリのハミルトンとベッテル、そして「チャンピオン獲り逃げ」を敢行したN・ロズベルグの3人になります。10年でたった3人というのは何とも寂しい。このグループはロズベルグの戦績も立派ではありますが、ハミルトン、ベッテルが高水準をマークする現役ドライバーですので、比較対象になりそうです。

 L・ハミルトン 決勝出走296戦継続中 ●
  150戦達成:2015年第3戦中国GP
            予選    決勝
  全戦平均順位:  3.63位    5.24位
  150戦平均順位:  4.15位    7.09位
  全P.P.回数:     104回※↑
  150戦P.P.回数:    40回↑
  全戦優勝回数:         103勝↑
  150戦優勝回数:         35勝↑
  全戦表彰台回数:        184回↑
  150戦表彰台回数:        73回↑

 N・ロズベルグ 決勝出走206戦
  150戦達成:2014年第3戦バーレーンGP
            予選    決勝
  全戦平均順位:  6.83位    9.22位
  150戦平均順位:  8.72位    11.20位
  全P.P.回数:    30回↑
  150戦P.P.回数:   5回↓
  全戦優勝回数:         23勝↓
  150戦優勝回数:         4勝↓
  全戦表彰台回数:          57回↓
  150戦表彰台回数:        14回↓

 S・ベッテル 決勝出走285戦継続中 ●
  150戦達成:2015年第11戦ベルギーGP
            予選    決勝
  全戦平均順位:  5.99位    7.73位
  150戦平均順位:  5.33位    7.35位
  全P.P.回数:    57回↑
  150戦P.P.回数:   45回↑
  全戦優勝回数:         53勝↑
  150戦優勝回数:         41勝↑
  全戦表彰台回数:        122回↑
  150戦表彰台回数:          73回↑

冒頭のフェルスタッペンの記録に対し、そのドライバーがまだ上にいるものに「↑」逆にフェルスタッペンに上回られたものについて「↓」を付けています。またハミルトンのポールポジションに「※」を付けていますが、今回データ比較するにあたり「パワーユニット交換などによるグリッド降格」また「ライバルのそれによりグリッド昇格」を考慮しない数字、つまり「予選セッションで獲得した順位」を重んじたため、公式の数字と差が生まれています。
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先程のフェルスタッペンと先輩チャンピオン3人を同縮尺のグラフをドライバー別の色付けをしてプロットしました。あちゃー見辛い。。一つのグラフに150戦×4人=600の点が打ってあります(笑)一応今回の主役であるフェルスタッペンは目立つ黒で最上段にプロットをしたつもりですが、一つずつ目で追うのは大変だと思いますので、感覚的に捕まえて下さい。
このグループの特徴として「早熟のハミルトン、ベッテルと遅咲きのロズベルグ」と戦績が二極化しています。ハミルトンはご存知の通りデビューイヤーにトップチームであるマクラーレンで初ポールや初優勝を経験し、チャンピオン争いまで絡む超大型新人。ベッテルはBMWザウバーへのレンタルスポット参戦に始まり、中堅チームであるトロ・ロッソで初ポール、初優勝にこぎつけていますが、レッドブルに昇格してから5年間は勝ちに勝ちまくり、瞬く間にトップドライバーの地位を射止めています。一方ロズベルグも「ヒルやヴィルヌーブに続くF1二世ドライバー」としてウィリアムズから注目のデビューをするも、才能は評価されつつもなかなか優勝はおろか表彰台すらなかなか登壇できないという戦績が続きました。キャリア中盤でようやくメルセデスワークスが新レギュレーションにうまくハマり、ポールポジションや優勝を挙げるようになり、2016年にようやくチームメイトのハミルトン打破に成功となかなか苦労したチャンピオンでもあります。
今回はフェルスタッペン基準で「150戦到達時点」でデータおよびグラフを切ってしまっているわけですが、ハミルトンの150戦到達はメルセデスで初チャンピオンを獲得した翌2015年第3戦。ベッテルは既にチャンピオンに4回輝いた2年後にあたる2015年第11戦。そしてロズベルグはメルセデスでようやくポールポジションや優勝を挙げることができるようになった2014年第3戦で150戦に到達したため、ロズベルグのグラフは中団から下位にプロットされる結果となりました。フェルスタッペンと比較すると超早熟のハミルトンとは少し異なり、また遅咲きのロズベルグとも異なっているため、三者の中ではベッテルに一番近いのかなという印象です。ベッテルは紫、フェルスタッペンを黒でプロットしているため、判別にはやや困難ですが似ています。それにしても、ベッテルの戦績もすごいですね。今では想像もつきません。

〈2000年代との比較〉
続いて先程よりももう一世代前にあたるチャンピオン衆です。このあたりのドライバーは存命ながらもう現役からは退き、、失敬、アロンソ様がいらっしゃいました(笑)この対象は新しい順にバトン、ライコネン、アロンソの3人になります。miyabikunドンピシャの世代。貴重な現役アロンソとの比較は注目です。

 J・バトン 決勝出走305戦
  150戦達成:2008年第16戦日本GP
            予選    決勝
  全戦平均順位:  9.93位    11.36位
  150戦平均順位: 10.01位   13.03位
  全P.P.回数:     8回↓
  150戦P.P.回数:    3回↓
  全戦優勝回数:         15勝↓
  150戦優勝回数:           1勝↓
  全戦表彰台回数:        50回↓
  150戦表彰台回数:        15回↓

 K・ライコネン 決勝出走349戦
  150戦達成:2009年第12戦ベルギーGP
            予選    決勝
  全戦平均順位:  7.72位    10.05位
  150戦平均順位:  6.23位    10.59位
  全P.P.回数:    19回※↑
  150戦P.P.回数:   17回↑
  全戦優勝回数:           21勝↓
  150戦優勝回数:         18勝↓
  全戦表彰台回数:        103回↑
  150戦表彰台回数:        61回↓

 F・アロンソ 決勝出走342戦継続中 ●
  150戦達成:2010年第12戦ハンガリーGP
            予選    決勝
  全戦平均順位:  8.61位    9.91位
  150戦平均順位:  7.51位    8.91位
  全P.P.回数:      23回※↑
  150戦P.P.回数:  19回↑
  全戦優勝回数:         32勝↑
  150戦優勝回数:         23勝↓
  全戦表彰台回数:        98回↑
  150戦表彰台回数:        58回↓

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こちらもまた見辛い。プロット数は先程と同じ1グラフあたり600。予選、決勝とも23〜26位がスカンと抜けているのは「参戦ドライバーが22〜24人時代が続いたため、それ以下の順位が付かない」ことによります。
見辛いながらも、先程と同様に上下にバラツキはみられます。茶色のバトンと水色のアロンソです。バトンはロズベルグ以上の遅咲きドライバーであり、150戦到達はチャンピオン獲得の1年前にあたる2008年第16戦日本GPとなります。ホンダユーザーとして人気を博しますが、戦績は低迷し、このあたりの時期でみれば、チャンピオン獲得は絶望視されていました。しかし2009年にホンダから化けたブラウンGPが予想に反して新レギュレーションをうまくかいくぐり運気が好転し、シーズン前半で貯金できた結果チャンピオン獲得に至りました。また現役復帰し、勝負強く(ズル)賢いイメージの強いアロンソも、マクラーレン(第一期)を離脱してルノー(第二期)、フェラーリ期はハミルトンやベッテルの台頭で苦戦を強いられた時期を経験しています。このグラフには載ってきませんが、150戦以降のマクラーレン第二期の戦績を加えると、その苦労はさらに重なっていきます。アロンソと同期で昨シーズン限りで引退した「今現在のF1最多出走記録」を持つライコネンの150戦は2009年第12戦ベルギーGPで達成と一度F1から離れる前の戦績であることもあり、2人に比べると上位が続いています。
フェルスタッペンとの比較という観点でいけば、ピンクでプロットしたライコネンと近いものになっています。ライコネンも復帰後の戦績を加えたらちょっと違う結果になります。いつかはフェルスタッペンにも訪れることにはなるのでしょうが、今の時点ではまだあまり考えてあげたくはないことですね(笑)

〈1990年代後半との比較〉
この20年以上前の世代から「フェルスタッペンの親世代」に入ってきます。このグループも3人。ハッキネン、J・ヴィルヌーブ、M・シューマッハです。あれ、一人足りない。誰だ?!そうなんです。96年の「初代F1二世チャンピオン」D・ヒルがいません。理由はmiyabikunが嫌いだから、ではなく「決勝参戦数が114戦」であり150戦に未達であるため除外しました。ごめんなさい、でも大丈夫!あなたの苦労はちゃんと観てきて知っていますからね!
このグループは何と言ってもM・シューマッハの記録がずば抜けています。

 M・ハッキネン 決勝出走160戦
  150戦達成:2001年第6戦オーストリアGP
            予選    決勝
  全戦平均順位:  7.09位   12.58位
  150戦平均順位:  7.24位   12.72位
  全P.P.回数:    26回↑
  150戦P.P.回数:   26回↑
  全戦優勝回数:          20勝↓
  150戦優勝回数:        18勝↓
  全戦表彰台回数:          51回↓
  150戦表彰台回数:       48回↓

 J・ヴィルヌーブ 決勝出走162戦
  150戦達成:2005年最終戦中国GP
            予選    決勝
  全戦平均順位:  9.03位    13.70位
  150戦平均順位:  8.80位    13.55位
  全P.P.回数:    12回↓
  150戦P.P.回数:   12回↓
  全戦優勝回数:           11勝↓
  150戦優勝回数:        11勝↓
  全戦表彰台回数:        23回↓
  150戦表彰台回数:        23回↓

 M・シューマッハ 決勝出走304戦
  150戦達成:2001年第9戦ヨーロッパGP
            予選    決勝
  全戦平均順位:  4.79位   8.53位
  150戦平均順位:  3.16位   8.65位
  全P.P.回数:    68回↑
  150戦P.P.回数:   38回↑
  全戦優勝回数:             91勝↑
  150戦優勝回数:        49勝↑
  全戦表彰台回数:       155回↑
  150戦表彰台回数:       91回↑

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シューマッハっていうとどうしても赤、ハッキネンは毎回グレーを選んでしまうmiyabikun。赤のつぶつぶは目立ちますね。赤と黒は目に入るけど、グレーよりも黄色がわりかし目立ちます。ヴィルヌーブです。
ヴィルヌーブといえば、先日の「カナダ人ドライバー」でも書きましたが、ハミルトンに負けず劣らずの鮮烈デビューと2年目での戴冠が思い出されます。グラフからも読み取れるように、赤のシューマッハや黒のフェルスタッペンよりも早い段階で予選、決勝とも好成績を残しています。ただウィリアムズからルノーエンジンが撤退した後、急速に迷走する羽目になったのもヴィルヌーブです。シューマッハやフェルスタッペンが右肩上がりに成長し始めた頃にヴィルヌーブの成績は急降下、150戦を迎えた頃には中団から下位に止まり、旬が過ぎてしまいました。
グラフに選んだ色が悪かったか、ハッキネンが埋もれてしまってどこにいるのかよくわかりません。そんな中少し目立つのはデビューから2シーズン過ごしたロータス期の予選でしょうか。ロータスといえばベテランのファンからすれば超名門チーム。ただ晩年のロータスは全くの別モノにみえるくらいの戦績を彷徨っていました。ハッキネンがドライブしていた1991年頃のF1は「予選に出るための予選」予備予選まで行われるほど賑わっており、予選を得意としたハッキネンの若き時代は20番手中盤から予選落ちまで経験しています。同期のシューマッハと比べると、雲泥の差がありました。90年代終盤にようやく競争力の高いマシンに乗り、そんなシューマッハと対等に走れた頃はさぞかし嬉しかったでしょう。そんなハッキネンが150戦を迎えたのは、既に2回目のチャンピオンを獲得した少し後の2001年第6戦であり、そのシーズン終了とともにF1休養(のち引退)となったため、さほど落ちぶれた戦績で終えていません。フェルスタッペンはチャンピオン獲得まで7シーズンを要しています。ハッキネンはチャンピオンまで8シーズンかかって戴冠していますから、150戦までというタイミングでみれば、フェルスタッペンはシューマッハよりもハッキネンに近い成長具合にみえます。

〈1980年代後半〜90年代前半との比較〉
最後は日本のF1人気を牽引した主役達「四天王」と呼ばれるいつものマンセル、セナ、プロスト、ピケの四方です。フェルスタッペンからみれば父親、それよりも上の世代になります。この先のラウダあたりまでのデータは準備していたのですが、40年以上も前となると同じF1とて入賞やポイント付与、マシン規格、サーキットもだいぶ異なり、miyabikun自身もピンと来ないので、このグループまでとしました。
このグループではフェルスタッペン「速さのセナ寄りか、強さのプロスト寄りか」に注目です。またピケが将来の「義父」となり、戦績を上回ることができるのか(笑)

 N・マンセル 決勝出走184戦
  150戦達成:1991年第3戦サンマリノGP
            予選    決勝
  全戦平均順位:  6.46位   14.64位
  150戦平均順位:  7.40位   16.02位
  全P.P.回数:    32回↑
  150戦P.P.回数:   15回→
  全戦優勝回数:        31勝↑
  150戦優勝回数:        16勝↓
  全戦表彰台回数:       59回↑
  150戦表彰台回数:       37回↑

 A・セナ 決勝出走158戦
  150戦達成:1993年第11戦ハンガリーGP
            予選    決勝
  全戦平均順位:  3.18位   10.70位
  150戦平均順位:  3.22位   10.33位
  全P.P.回数:    63回※↑
  150戦P.P.回数:   59回↑
  全戦優勝回数:        41勝↑
  150戦優勝回数:        39勝↑
  全戦表彰台回数:       80回↑
  150戦表彰台回数:       78回↑

 A・プロスト 決勝出走199戦
  150戦達成:1989年第14戦スペインGP
            予選    決勝
  全戦平均順位:  4.11位   9.72位
  150戦平均順位:  4.37位   9.71位
  全P.P.回数:    33回↑
  150戦P.P.回数:   20回↑
  全戦優勝回数:        51勝↑
  150戦優勝回数:        39勝↑
  全戦表彰台回数:        106回↑
  150戦表彰台回数:        80回↑

 N・ピケ(父) 決勝出走202戦
  150戦達成:1988年第10戦ハンガリーGP
            予選    決勝
  全戦平均順位:  6.67位   13.00位
  150戦平均順位:  5.54位   13.27位
  全P.P.回数:    24回↑
  150戦P.P.回数:   24回↑
  全戦優勝回数:        23勝↓
  150戦優勝回数:        20勝↓
  全戦表彰台回数:       60回↓
  150戦表彰台回数:       52回↓

今回のグラフは4人+フェルスタッペン。ということは5人×150戦ですから、750もツブがある。判読できないだろ(笑)仕事でこんなグラフを作ったら怒られること間違い無しなので、良い子はマネしないように。
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80年代から90年代前半ともなると、デビュー間も無い予選はパラパラ散らばっていますね。ただ決勝戦績をみると、意外とそうでもない。何故か、決勝グラフの最下段「R」をご覧下さい。ココに溜まっているのです。リタイヤを示します。今でこそ完走率が上がり、接触や故障でもない限りはリタイヤしなくなりましたが、当時はターボが壊れるだのエンジンブロー、ガス欠、さらにプライドとプライドのぶつかり合いなど日常茶飯事。まさに「生きるか死ぬかの争い」が色濃く残る時代でした。腕があってもマシンが止まる。せっかくワンツーフィニッシュが確約されていても、容赦無くぶつけに行っておとしめる。今では想像もできない油臭さや汗臭さがありました。
そんな他のライバルが付け入る隙の無い時代ながらも、四者は相見え、レースを重ねる毎に成長して上位を確立していきました。ピケがまず1988年第10戦で150戦を迎え、チャンピオンを既に3回獲得して衰退を始め、続くプロストが1989年第14戦、1991年第3戦でマンセルが、そしてセナは亡くなる少し前の1993年第11戦に到達しています。4人の中でもマンセルは超遅咲きのチャンピオン獲得となりましたので、このグラフからピークを確認することができませんが、何よりもセナが158戦でマシンを降りていますから、この先の戦績がとても気になります。あくまでmiyabikun個人的な想像、タラレバな話にはなりますが、もしセナが1994年第3戦で命を落とすこと無く続けられたとしても、もしかしたら次なる若手の台頭(シューマッハやヒルなど)に追いやられてしまった可能性もあります。セナがドライブしたウィリアムズFW16は本当に扱い辛かったマシンだったと思います。
ピークが表し切れていない、さらにはフェルスタッペンと比較するにはマシンの信頼性や安全性、時代が異なり過ぎるため単純な比較は難しいですが、150戦までという節目でみれば、ピケを除く3人とも見劣りしない成長具合と戦績にみえます。

《150戦到達時と以降のポール、優勝、表彰台回数》
上記で挙げたポールポジション回数、優勝回数、表彰台回数をそれぞれひとまとめのグラフにしました。ダラダラ書かずに初めからこう表現した方が見易いのにね(笑)色は上グラフで用いたドライバーカラーで統一し、軸に近い「濃い色」は参戦150戦までの回数、「薄い色」は150戦以降に積み上げた回数を示し、当然ながらフェルスタッペンには150戦以降はまだありません。まずはポールポジション回数から。
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この手のグラフを描くと、今まではシューマッハ一人がとんでもない位置を走ってしまい、他が見応え無いものになりがちでした。しかし近代はキングがいる。単独の超高層ビルが一棟そびえ立ちます。時代は変わりましたね。フェルスタッペンとの比較の際は、各チャンピオンの「濃い色」をみて下さい。
150戦という節目でみても、名だたるチャンピオンと比較すればフェルスタッペンもまだまだ可愛くみえます。150戦で15回となると、ヴィルヌーブを上回りマンセルとピッタリ同じ、ライコネンには2つ足らずという数。フェルスタッペンより上をみると、近代ではベッテルが45回、ハミルトンは40回。もう少し遡るとシューマッハの38回がいます。予選王セナは150戦で59回。残りの8戦で4回(公式の数と異なります)ですから、如何に予選を得意としていたかがわかりますね。
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こちらは同じ尺度の優勝回数グラフです。ハミルトンとシューマッハは置いておくとして(笑)ベッテルってこうしてグラフにすると、かなり好成績なドライバーであることを再認識させられますね。150戦で41回、現在進行形ながら残る135戦で12回という落差もすごいですが。今は苦戦しながらも、戦績はプロストクラスなんですよね。フェルスタッペンの26勝は記録的にアロンソを上回るペースで来ているということ。150戦以降は0勝というドライバーもみられますが、さすがにこの先1勝もできないなんてことにはならないでしょうから、アロンソ超えは期待していいのかな。
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「150戦でこーんなに勝ってしまったよ、先輩!」
「うるせー!放っとけー」
150戦から200戦前後でキャリアを終えるドライバーが多いため、ほとんどが後半で失速しているタイプが多い中、ロズベルグとバトンは150戦を超えてから別人のように切り替わり、優勝を重ねているのも面白いですね。長く続けていていいことがあった稀有なパターンです。
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このコーナーの最後は表彰台回数になります。グラフの波形は当然優勝回数と似たものになります。チャンピオンを獲得するためには、優勝回数はもちろんのこと、仮に優勝は逃しても表彰台圏内には入る。これもかなり重要です。グラフの高いドライバーは大抵が複数回チャンピオンを獲得しているか、キャリア全般で競争力のあるマシンやチームに所属してきたドライバーです。フェルスタッペンの67回というのは、近年のライコネン、アロンソを上回り、ベッテルやハミルトンにも肉薄する位置にいます。参戦数や優勝回数などと同様に、この手の記録はオールドドライバーに比べて近年記録更新のチャンスは大きくなります。フェルスタッペンも着実にその流れに乗り、強さを兼ね備えたドライバーになりつつあります。ハミルトンの184回という記録も、現時点では途方もない記録にみえつつ、フェルスタッペンの若さを考えたら決して届かない数でもありません。あまりド派手に決められると、他の若手の目を積む可能性があるものの、この先「未踏の数字」に足を踏み入れることになるのかもしれません。

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久々の「グラフ祭り」でフェルスタッペンと近代ドライバーの戦績比較をしてきました。昨年、今年とF1は確実に世代交代が進み、フェルスタッペンやルクレール、さらにはラッセルやノリスといった若手が台頭してくることでしょう。150戦という節目を迎えたフェルスタッペン(実はサインツも)はこれからのF1をどう牽引していくのか、これからの活躍と食らい付くライバルたちの動向に期待したいと思います。

ヤベ、そろそろイギリスに頭を切り替えなきゃ!

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本当はコレを年末あたりにサクッと差し込みたかったんです。ちょっぴり久し振りとなる「コレだれGP in the 1990s」です。早いもので今から20〜30年前の話。つい最近、ってのはウソだけど数字で示すと「もうそんなに昔の話なのか」とビックリしますよね。この頃のF1は今とは違う盛り上がりをみせていました。濃密なこの時代を絞り込むのもなかなか酷な話ですが、簡単過ぎず難し過ぎずの厳選した10問になります。

Q①
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ヒント:この2人のうち、今回の出題は左側の方です。右側の方は、、皆さんご存知ですよね。残念でしたー、miyabikunそんな簡単な問題を出しませーん。見た目からしてドライバーでないのは一目瞭然です。チームは絞り込めると思いますので、チームのどんな関係者かということになりますね。
この方、元々はジャーナリストの出です。わかり易い例えをするならば、昨年亡くなった今宮純あたりのイメージになるでしょうか。そこからあるドイツの自動車メーカーに引き抜きで入社し、モータースポーツを直に担当することとなりました。1995年にそのメーカーがF1の名門チームにエンジンを供給するようになると、メーカーの責任者となり、チームの首脳陣の一人として、このように毎戦カメラで捉えられるようになりました。近年はサプライヤーからワークスとして参戦する某チーム。ワークスになってからも引き続き重役を任せられていますが、一時期のチャンピオン争いをしていた頃とは程遠く、2012年シーズンにトト・ヴォルフに椅子を預ける形でF1から退きました。もうちょこっと辛抱できたら、世界は変わっていたことでしょう。

Q②
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ヒント:日本人と思しきコースマーシャルの後ろでちょうど右手を振り歓声に応えるシーンのため、顔が少し見辛い画像でイジワルですね。すみません。最終戦のリタイヤ直後の画像でいわゆる「F1で目にする最後の姿」ということになります。でも心配はご無用、立派に存命して今でも競技者として活躍する方です。
イタリア人の彼はとても複雑で多彩な経歴の持ち主です。90年代初期は国際F3000で名を馳せ、1991年から94年までの4シーズンに渡りF1をドライブしています。しかしフル参戦に至らず、下位チームということもあって成績はイマイチで一度F1から離れ、舞台をCART(現在でいうインディカー)に活路を見出し渡米しました。そこで2年連続のチャンピオンを果たし、1999年に5年振りに再びF1のシートを得ることに成功しました。画像にある赤の「ウィンフィールド」カラーのチームは歴代でそこのチャンピオンと関わりがありますよね。ところが二度目の期待も虚しく、一度も入賞すら挙げることなく、たった一年でF1を降りる羽目となってしまいました。晩年は再び慣れ親しんだCARTに籍を移すも、2001年にドイツで行われたレースでクラッシュし両足を切断。モータースポーツ人生に幕を下ろしました。ただこの方は根っからのレーサー、ファイターなのでしょう。ステアリングを置いた後「腕を原動力」とするハンドサイクル競技を始め、2012年のロンドンパラリンピック、2016年のリオパラリンピックで金メダルを獲得するなど、今でも「車輪を使った競技」で大活躍しています。昨年6月のレース中にトラックと衝突して、一時期重体との報道もありますが、また奇跡の復活を果たしてくれることを祈っています。

Q③
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ヒント:ん、味気ないレーシングスーツでまた2人。今度はどっち?!今回に限り右と左の両方、それもフルネームで答えて頂きます。なぜなら、2人はセットの方が面白いから(笑)
まず左の方からヒントです。右の方よりも5歳歳上でF1は1984年からこの90年代中盤まで参戦するベテランドライバーです。序盤のキャリアは年に2、3回入賞するのが精一杯の地味な位置をさまようドライバーではありますが、90年代に入るとようやく走りが報われ、表彰台には9回登壇し、F1引退後は耐久レースにシフトしました。今でもある形でF1に関わり、顔を目にする機会が多くあります。
続いて右側の方は左の方と同じイギリス出身のドライバーでデビューイヤーの91年に画像にもある実況アナウンサーや我々視聴者にとっても間際らしい「奇跡のコラボレーション」を果たしました。こちらは表彰台は3回に止まっています。この方も②の方と同様にF1を降りた後、アメリカのCARTシリーズに参戦しています。

Q④
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ヒント:前面に見覚えのあるダボダボシャツを羽織るお兄ちゃんが見えていますが、今回の出題はその左肩奥に見える青いシャツの方が出題対象です。こちらもイジワル画像ですが、前に映るドライバーVといつも一緒にいる方を思い出して頂ければ、察しがつくと思います。
この方は元ドライバーでなく、前に映るドライバーVさんのマネージャー。経歴を調べてみるとビックリ。実はこの方、元々はドライバーVの学校の先生をしていた方なんです。教員を辞めた後、F1のメディアに関するビジネスを行なった際、日本のF3で活躍するVと再開を果たし、以降マネージャーという関係で帯同することとなりました。VがアメリカのCARTでチャンピオンを獲得すると、Vの父も活躍したF1へ導くことに成功し、わずか参戦2年目にF1でもチャンピオンを獲得する立役者となりました。勢いづくこの方はVのために名門ティレルを買収、チーム代表となって関係を続けますが、ビッグスポンサーの潤沢な資金をもってしても再びVをチャンピオンに導くことができず、VがF1を離れた後にマネージャー業をたたんでいます。

Q⑤
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ヒント:ヘルメットのバイザーに水色の十字。F1でよく見かける国のドライバーのようです。90年代のマールボロ系といえば、あの方を想像しますが、特徴的なヘルメットデザインとバイザーの奥の目が違いそうですね。よってその方ではありません。しかし、この国のF1ドライバーって有名な割に人数にすると多くありませんので、ある程度絞り込みは可能かと思います。ちなみにこの時代の候補といえば3人しかいません。名前にしたら2つしかない?!(笑)
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F1デビューはその3人のうち最も古い1989年です。ただチームに恵まれなかったこともあり、キャリア序盤は予選落ちを数回していたため、実質活躍できたのは1991年からとなります。その91年第3戦サンマリノGPはこの国のドライバー2人目となる表彰台を獲得。続く後輩に対して先輩風を吹かせられればよかったのですが、表彰台登壇はこの一度キリとなり、94年終盤に新たに加わった後輩と入れ替わる形でF1を降りています。名前が実に特徴的で、顔よりも名前の音で記憶されている方も多いと思います。テレビ中継や書籍で採用されていたのは実は愛称で、本名は結構長い。少し前にドライブした母国の先輩からのアドバイスで愛称を採用していたようです。よってこちらはよく聞く愛称の回答を可とします(miyabikunも本名は頭に入っていません)

Q⑥
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ヒント:シャンパンファイトの後ろに観衆がいる、ということはこの方はあそこで表彰台に立ったということですね。なかなかのヒントです。フランス人ドライバーとして母国のビッグメーカーを盾に長きに渡りF1を支えたドライバーです。F1デビューは1994年に母国のコンストラクターであるリジェからでした。その年の第9戦ドイツGPで2位表彰台を早々と獲得し「ポストプロスト」を期待されてはいましたが、その後しばらく表彰台からは遠退き、入賞がやっとのレースが続きました。キャリア3年目でリジェがプロストの手に渡った際も引き続き起用されるも、1997年第7戦カナダGPで大クラッシュを起こし、7戦欠場する出来事もありました。97年シーズンは中野信治のチームメイトを経験したり、晩年はB・A・Rでホンダエンジン、トヨタのレギュラードライバーを担うなど、日本とも縁の深いドライバーの一人です。
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「ボスが偉大だと、やり辛いー!」

Q⑦
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ヒント:日本人ドライバーです。この顔に見覚えありますか?!すぐに思い出せない方は名前を聞けばああと納得されるでしょうし、ご存知の方はもしかしたらニヤリと笑みを浮かべていることと思います。顔や戦績よりも珍しい名前とレース中の出来事などのインパクトが強いドライバーですね。今シーズンからドライブすることが決定した角田裕毅くんをはじめ、歴代の日本人ドライバーは「自動車メーカーの育成や結び付き」でシートを獲得する者が多い中、この方は「自身でスポンサー(持参金)を用意してチームに売り込みを図る」という独自の方法を採り、シート獲得したことで話題となりました。
若かりし頃はアルバイトをしながら参戦費用を貯め、単身でイギリスに渡ってからも資金調達をコツコツ集め、上位カテゴリーの門を叩いていきます。以降も日本の英会話スクールを味方につけ一つずつステップアップし、1994年第15戦日本GPでF1デビュー。翌95年は日本企業であるフットワークからフル参戦を果たしています。F1では「マシンの消火にあたる際に後から駆け付けたメディカルカーと接触して足を負傷する」という伝説を国際カメラで捉えられるなどで一躍有名となってしまいましたが、自らの売り込みや交渉力、行動力でF1シートを勝ち得たというのは立派なものだと思っています。また当時や以降のF1中継であまり彼のことを触れたりクローズアップされてこなかったのが不思議でありもったいないことだと個人的に感じます。

Q⑧
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ヒント:今回唯一の女性ノミネートとなります。F1ドライバーでないのは一目瞭然ですが「元関係者」であることに間違いありませんね。
あるドライバーの夫人として、90年代後半から2000年代序盤にかけて、毎レース1回は必ずと言っていいほどカメラでお目にかかれた方です。この方の存在はドライバーにとってとても大きなものでしたよね。ドライバーが90年代中盤に大きな事故に遭った際、献身的に看病してくれたことで愛を育み、1998年に結婚。以降腕を組みガレージで見守り、ドライバーは見事チャンピオンを獲得しました。ドライバーの才能もさることながら、マシンをはじめタイヤにエンジン、ライバルとの勢力図が一変したことでなし得たチャンピオンでしたが、もしかしたらこの方の存在がチャンピオン獲得に一番の原動力になったのかもしれません。詳しくは分かりませんが、残念ながら今はそのドライバーとは離婚された模様。

Q⑨
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ヒント:1990年代から2000年代のF1の歴史をみるにあたって、大なり大なりこの方の前を必ず通過する必要があります。F1屈指の手腕、そしてお騒がせ者の両面を持つこの方です。
元々はF1はもとより、モータースポーツとは関係の無いアパレル業界の人間でした。しかしそのアパレルメーカーがF1のビッグスポンサー、そしてチーム経営を始めると、1988年からこの方もF1の世界に関与するようになります。F1界の著名デザイナーの獲得、さらには有力な若手シューマッハの獲得にも成功すると、ドライバーズとコンストラクターズのダブルチャンピオンを獲得するまでに仕立て上げて名を馳せました。シューマッハ移籍後は一度低迷しますが、2000年代に入るとスペイン人の若手アロンソを見出し、再びダブルチャンピオンを獲得に至りました。チーム経営や統率力に長けた彼ではありましたが、それを欲しがるばかりスポーツでご法度の「禁じ手」を計画。一時期はF1界から永久追放される事件を起こしてしまいました。

Q⑩
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ヒント:ベネトンと思しき水色のガレージでモニターを見守る赤白黒のスーツ。今でも変わらぬ面持ちの彼は現在のF1中継でお馴染みの声と顔ですね。日本を代表するまん丸なタイヤです。いやいやタイヤ技術者です。ひとえにタイヤ技術者というだけでなく、時代によって所属や役割に違いがあります。90年代終盤から2000年代は「メーカーの開発者、総指揮」という立場でF1に関与。長らく続いたアメリカのグッドイヤーの勢力を急速に上回り、ナンバーワンタイヤを確立しました。新勢力として参入したフランスのミシュランの後塵を拝する時期も経験しましたが、長時間に渡りタイヤに負荷をかけるとされたインディアナポリスのバンク走行においても不安要素なく走り切ったのは日本企業として心強い誇りとなりました。2012年でタイヤメーカーを定年退職してからは「名門チームの足回り担当」として他メーカーのタイヤとマシンの相性をみる役を経験しています。テレビ解説ではソフトな語り口で専門であるタイヤや路面状況などをわかりやすく説明してくれていますが、そのソフトな口調の奥に「本当は言いたくて我慢している様子」をちらほら感じます。タイヤはソフトばかりでなく時にはズバッとハードにキメてくれてもいいと思うのですが、公衆の面前で本音はなかなか難しいでしょうか。


以上、今回はドライバーだけでなく関係者色強めの10問(10.5問)を出題してみました。超簡単にはしていないけど、超難しいようにもしないようにしました。みんな大好き90年代のF1ですから、大丈夫ですよね。
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「ん?うーん。。」
よく見て思い出して下さい(あなたは今回出題されている側なんですが)
いきますよ?!


 A①:ノルベルト・ハウグ
 A②:アレッサンドロ・ザナルディ
 A③:マーティン・ブランドル(左)
      マーク・ブランデル(右)
 A④:クレイグ・ポロック
 A⑤:J・J・レート
 A⑥:オリビエ・パニス
 A⑦:井上隆智穂
 A⑧:イリヤ・ハッキネン(当時)
 A⑨:フラビオ・ブリアトーレ
 A⑩:浜島裕英

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「あらボク忘れられている。。」
あと2、3年いたら、きっと忘れられない立ち位置でした。でも、この方があの机を叩いたら破壊しちゃいそうだ(笑)

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今年も5月に入り「何も無い」まま2020年も1/3が終わりました。例年であればゴールデンウィークでひと時の休息に入るわけですが、とてもそんな気分になれませんね。運動不足していませんか?!頭使っていますか?!事態が収束に向かえば緊急事態宣言を解かれて皆がまた仕事や学校に通う日常が戻ってきます。いつ日常生活に戻ってもいいよう、今回は20年以上前にあたる1990年代に活躍したマシンで頭の体操していきましょう。

Q①
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ヒント:あるレースシーンのオンボード映像からです。マシンのカラーリングをよーく見ると、右半分は青地に黄色い文字、左半分は白地に黒文字と、あたかも2チームを足して2で割ったようになっています。走行ラインの比較映像とか?!いえこれ1台分なんです。えー左右非対称カラー?!IMG_3108
見る角度によって、別のチームかと思わされるカラーリングとなっています。miyabikunがパッと思い出す限り、左右非対称のカラーを用いたのは後にも先にもこのマシンだけだった記憶です。2つのタバコブランドを1台で表現し、それをマシンのセンターでファスナー止めしており、本当の地の色はノーズコーンからライトシルバーかなと。面白いですよね。このチームはこの年デビューで、当初は2台のマシンをこの右と左の色で別々に出したい目論見があったようですが、許可が下りなかったために1台で2色を左右で塗り分けたというわけ。タバコをフルに押し出せた時代の話です。

Q②
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ヒント:おーこれは!このマシンがお好きな方は多くいらっしゃると思います。以前に名車シリーズでも振り返ったことがありました。このカラーリングとF1とは違うカテゴリーを思わせるフォルムは30年近く経った今でも多くのファンから絶大な支持を得る名車です。IMG_3131
①のマシンと同様にこのマシンもチームにとってはデビューイヤーでした。チームとして成績こそ常に上位にいるものではありませんでしたが、たまにひょんな優勝をしたり、活きのいい若手を見つけてくるのにも定評がありました。このマシン以外にもユニークなカラーリングを度々表現しています。

Q③
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ヒント:あるレースのスタート直後を背後から捉えています。あまり綺麗な画像でないため見辛いかも知れませんが、注目して頂きたいのは画像中段右の「PIAA」と書かれたマシンです。PIAAである程度チームは絞られると思いますが、黒いものが両サイドに載っていませんか?バックミラーにしてはデカいしずいぶん高い位置にあるような。IMG_3115
ああこれか。雨のモナコGPを正面からみてわかりました。ミラーではなく、どうやらちっちゃいリヤウィングがサイドポンツーン上に取り付けられているようです。このマシンが発祥で年を跨いだ1年間で様々なチームがこれを追従していました。マシンの乗り降りが大変そうですね。乗り降りならまだしも、ピットレーンで上を通すホースに引っかける事故が起きてから、急遽使用禁止となったアイテムでした。せっかく考えたのに、真似したチームが起こした事故で禁止されるとは、発祥のチームからしたらやり切れない気持ちになります。

Q④
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ヒント:出た、ウェストカラー。これはあのチームだ。でもこのカラーリングは2000年代半ばまで続いたもので、今回出題の1990年代もいくつかありますので、どの時代だろう。まずこのマシンの年から速度抑制を目的とした「車体幅の縮小化」がありました。前年よりマシン幅が20cm小さくなっています。またタイヤをよく見て下さい。晴れなのにフロントタイヤに3本の溝が入っています。これもグリップ低下を狙った「グルーブドタイヤ」と呼ばれるものが導入されています。IMG_3109
このマシンからある有名デザイナーがようやく手を加えたことで話題となりました。その結果があったからなのかマシン性能が一気に開花し、開幕戦ではぶっ飛んだ速さを見せ付けてライバルを唖然とさせましたね。カーナンバーから年も絞れるでしょうか。

Q⑤
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ヒント:真紅のボディにマールボロだし、リヤウィングもアジップの黄色が入るなどこの色はフェラーリっぽいですね。でもフェラーリではないんです。シャシーやエンジン提供もしていません。こんなそっくりだと文句言われそう(笑)
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ちなみにこの年のフェラーリはこんな感じでした。似てはいるけどよく見れば違う。あと戦績も全然違います。このチームのこのカラーリングはこの年だけではありませんが、画像ではなかなか判定し辛いので本家(?)のフェラーリのマシンから察してみて下さい。ちょっといじわる問題。

Q⑥
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ヒント:薄めの金色なんて何ともゴージャスで特徴的なカラーリングですね。車列の中でも一目でわかる異彩を放ちます。このマシンのカラーリングは個人的にカッコ良かったと思います。このカラーリングも例のタバコによるもの。
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チームは②と同じです。エンジンはプジョーの模様。シーズン当初はこの色と少し異なり、カメラ写りを考慮したもう少し黄みが強いものでした。その黄色が中途半端な濃さであまり評判が良くなかったために思い切って金色に変えています。この金色で充分目立ちますよね。

Q⑦
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ヒント:マットな水色もなかなか有名な色使いです。デザインは④と同じ方が携わり、このチームでの成績が評価されて以降各チームから引っ張りダコとなりました。IMG_3137
このカラーリングはこの年だけではありませんが、マシンの年と型を絞るためのヒントとしては「この年から日本企業がチームオーナー」になった点です。アパレルメーカー納得の明るい水色はレースでもよく目立ちました。また激戦な時代ながら戦績も健闘し、フランスGPではフェラーリと対等にやり合い、トップチームに割って入る2位表彰台を獲得しています。

Q⑧
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ヒント:あるマシンの新車発表の画像です。このマールボロのカラーはあのチームで間違いなし!あと気になるのはその年式ですね。外れたベールの先に実に小さなリヤウィングが付いています。これ「センターウィング」と呼ばれるエンジンカバー後方に備えられたサブウィングであり、メインのリヤウィングはまだベール包まれて見えていないタイミングです。この頃のこのチームはシャシー、エンジン、ドライバーとも負のループに陥っており、いささか迷走していた暗黒時代でした。IMG_3126
こちらはレース中にマシンをガレージに収める瞬間を捉えたもの。見辛いですがマールボロの「M」の上あたりにセンターウィングの端部が見えます。立ち上がるドライバーもF1ファンなら誰もが知る名ドライバーで、迷走時代を抜け出すべくわざわざアメリカでも活躍した後に呼び戻した逸材ではあるのですが、若きエースに遅れをとる不甲斐無さからこのレースをもって契約を解除しました。正しく「F1マシンを降りる最後の瞬間」ということ。エンジンはこの年からメルセデスを獲得しています。

Q⑨
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ヒント:見辛いけどノーズやディフレクターから読み取れるカーナンバーは1、ということはチャンピオンドライバーとチームである証ですね。こんな赤いチームでチャンピオンってフェラーリ以外にありましたっけ?!フェラーリと並んだシーンを見れば、フェラーリとまた違う赤なのもわかります。IMG_3113
もしかしたらカラーリングをこの年から飛躍的に変更したあの名門か?!このカラーリングも先程から度々出てくるタバコによるものです。1990年代あたりまではフェラーリのマールボロ以外にもこのようにタバコ広告でマシンカラーが決まっていた時代です。カラーを一新して挑んだ防衛は④のチームの健闘のあおりを受け、未勝利と屈辱的なシーズンに終わりました。

Q⑩
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ヒント:ノーズコーンが高い位置におさまり、フロントウィングの中央が斜め上に、ノーズの位置に向かって取り付いています。後ろに続くライバルと比較しても、一線を画するデザインですね。濃紺と白のツートンカラーで「ドルフィンノーズ」と呼ばれていました。IMG_3139
日本人ドライバーがドライブしたことで、日本でも大いに注目されたこのマシン。F1全体でみても革命的なデザインとして以降のマシンに「ハイノーズ」を普及させた名車です。また、このマシンで2位表彰台を獲得した若手ドライバーを見事トップチームに押し上げたという経歴を持っています。


頑張ってバラけさせたつもりですが、この年代は台数やチームも多く、何より時代が20年以上前のことなので記憶を呼び起こしたり復習するのにも苦労しました。

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「あーん、こんな時代、ボクよく知らないよー」

徐々に時代が古くなってきました。皆さんの記憶もだんだんと薄れてきた頃かと思います。ステイホームウィークの鈍った頭をフル稼働させて思い出してみて下さい。答え合わせいきますよー。

 A①:B・A・R001               (1999年)
 A②:ジョーダン191            (1991年)
 A③:ティレル025               (1997年)
 A④:マクラーレンMP4-13 (1998年)
 A⑤:ダラーラBMS191        (1991年)
 A⑥:ジョーダン196            (1996年)
 A⑦:レイトンハウスCG901(1990年)
 A⑧:マクラーレンMP4/10  (1995年)
 A⑨:ウィリアムズFW20     (1998年)
 A⑩:ティレル019                (1990年)

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「まあ仕方ないだろ。まだ生まれる前の時代だし」
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「クソぅ、年の功には敵わないということか」

細かい話になりますが、マクラーレンのシャシー名MP4は1996年のMP4/11までが「/」で97年型MP4-12から「-」となります。
次回はまた一段階古い時代からの出題となる予定ですので、ぜひ予習復習してみて下さい。miyabikunも怪しい時代に入るので、ビデオと本で出題できそうなマシンを見付けておかなきゃ!

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