F1 えきぞーすとのーと

よくあるニュースネタやこ難しいテクニカルな話ではなく、メインは予選や決勝のTV観戦したそのものを個人的観点から綴るF1ブログです。  また、懐かしのマシンやレースを振り返ったり、記録やデータからF1を分析。その他ミニカーやグッズ集めも好きなので、それらを絡めつつ広く深くアツくF1の面白さやすごさを発信し、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

タグ:1987年

メキシコでのF1の歴史は古く、初開催の1963年(ノンチャンピオンシップを含めると前年62年)から一貫してメキシコシティにあるエルマノス・ロドリゲス(開業当時はマグダレーナ・ミシウカ)で行われていますが、途中に2回の非開催期間があるため、今シーズンはまだ23回目とさほど多くありません。今回はメキシコGP第二期、開催10回目で、現役母国ドライバーであるペレスの生まれる3年前にあたる1987年第14戦に行われたメキシコGPを振り返ります。1987年レースは全16戦中4戦目、メキシコGPの振り返りは今回5回目になるのですが、ことにメキシコGPにおいては段々在庫ネタが品薄になってきました(笑)仕方無い、だって1990年代後半から2010年代前半がスカーンとありませんものね。

1987年は日本において「F1本格元年」フジテレビによるF1中継放映や日本初のフル参戦ドライバーである中嶋悟誕生の年です。またシーズンが進行すると、ホンダエンジンを搭載するウィリアムズが勝ちに勝ちまくり、2年連続となるチャンピオンコンストラクターのエンジンサプライヤーとして名を轟かせています。
シーズン13戦までの戦績は、3勝ながら第4戦モナコGPから第12戦ポルトガルGPまで9戦連続の表彰台に登壇するウィリアムズのピケが有効67ポイントでトップ(前戦第13戦スペインGPは4位も、下位ポイントのためノーカウント)。2位はピケのチームメイトであり、初戴冠のチャンスを残すマンセルが5勝を挙げて52ポイント。3位はロータス・ホンダ期待のセナが2勝51ポイントでチャンピオン争いに望みを繋いでいます。ほか、前年86年のチャンピオンでマクラーレンのプロストは3勝の46ポイント、セナのチームメイトとしてロータスから参戦する日本の中嶋は6ポイントでメキシコ入りしています。

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予選はここまで14戦で12回目となるウィリアムズ、マンセルが8回目となるポールポジションを獲得し、自らの手で初戴冠をより近付けていきます。2番手はフェラーリの若手ベルガーがピケを0.037秒という僅差で上回る。ポールのマンセルと3番手ピケの差はわずか0.080秒。そのピケと4番手となったベネトンのブーツェンとの差は0.308秒も開いており、如何にウィリアムズがライバルを圧倒していたかということがわかります。気圧の低いメキシコ、ホンダターボのパワフルさ。中嶋は予選通過26台中、真ん中より少し下まあ16番手となっています(まあは息子の口癖か)

《予選結果》
P.P.N・マンセル(ウィリアムズ・ホンダ)
 2 G・ベルガー(フェラーリ)
 3 N・ピケ  (ウィリアムズ・ホンダ)
 ※タイヤはグッドイヤーのワンメイク

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スタートはポールのマンセルがモタつき、2番手ベルガーに先行を許してしまいます。またマンセルの後ろピケはスタートが冴え渡るも、4番スタートのブーツェンに抜かれて結局3位のまま。以降プロスト、マンセル、セナのオーダー。
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1周目に4位浮上のプロストがピケに仕掛ける。
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インをついたプロストがピケを押し出し、
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プロストはストップ、0周リタイヤ。
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ピケはコースマーシャルに押してもらって最後尾の戦列復帰。これがチャンピオン経験者同士のバトルというのが何とも情けない。

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2周目のストレートエンドの中嶋
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うわっ!!
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目の前で何かにぶつかりフロントタイヤがもげる。
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ぶつかったのはアロウズのワーウィックでした。ワーウィックはリヤウィングを完全に失い、そのままピットへ。ただ驚くことに、この後マシンを直して再びトラックインしてきます。今のF1には無い力強さ。
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決して笑い事では無いのですが、どこか速そうにも見える。

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最強ウィリアムズが消えれば、この上無きチャンス!3周目にブーツェンがベルガーに襲い掛かります。
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しかしチャンスはベルガーにとっても言えること。切り替えしでトップを取り戻す。
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上位を快走していたブーツェンは16周目に電気系のトラブルによりリタイヤ。
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これで戦いが楽になったベルガーでしたが、
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21周目にエンジンが根を上げる。高地メキシコはいつもとは異なる状況下。
次々と襲う悲劇で、次なるトップは誰かというと、、
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何と忘れた頃のマンセル登場!そういやポールシッターでしたね(笑)お帰りなさい!

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2位となったセナにブラバムのデ・チェザリスが追い抜きをかける。
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あらららら、、
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セナは全く触れていません。デ・チェザリスの自爆、落ち着きのない子です(笑)

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26周目にリヤウィングを直して復帰したワーウィックですが、マシンバランスが狂ったのか、コーナーエンドで膨らみ
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タイヤバリアに思い切りクラッシュ!
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ワーウィックの救護とタイヤバリア修復のため、レースが一時中断、スタンディングスタートを行い「タイム合算による2ヒート制」で争われることとなります(現代の赤旗中断、再スタートと異なります)現代はレーススチュワードとして辛辣な裁定を下すことで有名なワーウィック、このレースもある意味目立っています。

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再スタートで前を奪ったのは、1周目に最後尾に落ちたはずのピケ。ここまでジリジリと順位を上げ、上位まで戻ってきていました。
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ピケはアウトサイドからマンセルを抜きトップへ。ただし勝敗はタイム合算で決められるため、ヒート1で大差を築いたマンセルには43秒もの貯金があります。無理はせず。

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3位のセナはスピンからエンジンストップ。先程のピケのようにはいかず。
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代わって3位に浮上したのは元ピケの相方、将来はマンセルの相方にもなるブラバムのパトレーゼでした。

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見かけのトップはピケ。
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でも実際の優勝者はマンセル。ややこしや。。
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いずれにしても、ウィリアムズ。強し。

《決勝結果》
 1 N・マンセル (ウィリアムズ・ホンダ)
 2 N・ピケ   (ウィリアムズ・ホンダ)
 3 R・パトレーゼ(ブラバム・BMW)

マンセルは14戦で6勝、9ポイント得て61ポイント。ピケは3勝ながら6ポイントを得て73ポイントとしてあと2戦。残るは鈴鹿初開催となる第15戦日本GPと最終戦オーストラリアGP。ウィリアムズによるチーム内チャンピオン争奪戦は佳境を迎えます。

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先週末は久々にプライベートで2泊3日の旅行、週明けは仕事で新潟に1泊2日の出張と、miyabikun不調のデスクトップパソコンをよそ目にせかせかと動いておりました。帰宅後にパソコンをバラし、内部の溜まりに溜まったホコリを除去、メモリを抜き差ししてひとまず再始動も成功。このブログもようやく再始動に至ります。パソコン依存者とかではないのですが、パソコンが正常に動かなかった約10日間は何気に不便でした。今回はあくまで仮復旧、またいつ訪れるかわからない不調を前に真面目に買い替えも検討しなきゃ。

それはさておき、今回はオーストリアGP直前ですので1987年第10戦にエステルライヒリンクで行われたオーストリアGPをピックアップ、振り返ることとしました。エステルライヒリンクといえば、いわゆるA1リンク、今でいうレッドブルリンクのことでしょう、その通りです。位置こそ同じですが、レイアウトはやや異なります。
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図で示した黒ラインが現行のレッドブルリンク、そして赤ラインがエステルライヒリンク時代のレイアウトになります。さらに今回の87年、エステルライヒリンク時代末期はターン1にシケインが設けられた破線を通るレイアウトで行われました。現行と形こそ似ているものの、一回り大きく、鋭角カーブが無く緩やかな中速、高速コーナーのみで形成されており、GP屈指の超高速レイアウトでした。またこの平面図ではなかなか伝え切れない、ご存知通りココはかなり起伏がありますので、危険度もかなり高いサーキットの一つでした。

87年といえば、日本で初のフル参戦ドライバーとなった中嶋悟のデビュー年、フジテレビによる全戦テレビ放映の初年でもあります。これまでの9戦の戦績を確認しておくと、ランキングトップは2勝ながらコンスタントに2位獲得も多いウィリアムズ・ホンダのピケが48ポイント。2位は同じく2勝で初戴冠を狙うロータス・ホンダのセナの41ポイント。3位は30ポイントで最多の3勝を挙げながらもリタイヤも多いウィリアムズのマンセル。前年のチャンピオン、マクラーレンのプロストは2勝で30ポイントの4位につけており、いわゆる「F1四天王」がバチバチやり合っていた時代です。
一方で日本代表、ロータスの中嶋は第2戦サンマリノGPで6位入賞、続く第3戦ベルギーGPでは5位入賞、さらに第7戦ドイツGPでは4位入賞を果たして獲得ポイントは6となっています。

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予選もウィリアムズが絶好調。ホワイト6のピケがポールポジション
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レッド5のマンセルが0.102秒遅れの2番手を獲得し、ウィリアムズがワンツー。3位は地元オーストリア出身のベルガーが続いています。ただマンセルとベルガーの差は0.754秒も開いており、ホンダエンジンがパワーでライバルを圧倒する形となりました。
ほか、上位ランカーの予選結果はセナが7番手、プロストが9番手とウィリアムズからはだいぶ離されています。また中嶋は全26台中ちょうど真ん中の13番手。

《予選結果》
P.P. N・ピケ  (ウィリアムズ・ホンダ)
 2 N・マンセル(ウィリアムズ・ホンダ)
 3 G・ベルガー(フェラーリ)
 ※タイヤはグッドイヤーのワンメイク

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ウィリアムズが最前列を占めて決勝レースのスタート。
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この上り坂、エグいですよね。見る度に思います。現在の「外側はみ出し上等」右のターン1、カストロール・エッジよりもさらに先まで坂を駆け上がります。IMG_9074
登り切る手前で一台何やら真横を向いて煙が見えます。
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トラック内側にいる観客に向かってデブリが飛ぶ。こりゃただならぬ状況だぞ。
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あらら、ティレルのパーマーがフロントセクションを潰して止まっている。ザクスピードのブランドルをきっかけに5台が接触し、トラックを塞いだため再スタートが採られます。

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最終コーナーのバンクもすごい。。再スタートは内側2番グリッドのマンセルがモタついています。
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その影響もあってか、マンセルのさらにインのウォールギリギリに回避した8番スタートのブラバムのパトレーゼが12番スタートのアロウズのチーバーに乗り上げる。
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その後ろはぐちゃぐちゃ。接触の嵐。
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あーあ、酷い。。10台がマシンを壊してまたもや中断。2回マシンを傷めることとなったティレルのストレイフは予備のマシンが無くなったため出走ができなくなってしまいました。

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これが三度目の正直になるか、再々スタート。先程よりスターティンググリッドが短いように見えますが、1台の不出走、5台のピットレーンスタートを余儀なくされたためです。スタートだけで荒れています。
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後方の内側ガードレールのそばで1台弾んでウィリーしているようにもみえますが大丈夫か?!7番スタートのセナがモタついてものの、今回は無事に(?)スタートが切られました。

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逃げるピケの背後にはチームメイトのマンセルではなく、緑の影。ベネトンのブーツェンが追尾しています。マンセルは3回目のスタートも盤石とはいえず、ベルガーの後ろとなる4位に後退。
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ココ。

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なかなかしつこいぞブーツェン
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振り返ればブーツェンがいつでもピケの隙を狙っている。ベネトンはアパレルブランドだけあって、マシンも派手に目立ちます。

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スタートでさんざっぱら荒れたレースはまだまだ荒れ模様が続きます。マクラーレンのヨハンソンは右フロントタイヤを吹き飛ばして三輪で走る(ちなみにリタイヤはせず、7位完走しています)
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あーベルガー!せっかくの母国GPもターボチャージャーが6周目に根を上げておしまい。
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また2位のブーツェンは14周目にシフトが壊れて順位を落としています(こちらもレースは続けて4位入賞)

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ベルガーとブーツェンが下がったことで、マンセルは再び2位に浮上。
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スタートはしくじっても、マシンポテンシャルが高いウィリアムズのマンセルは周回遅れの出だした21周目にトップのピケを捕らえる。
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マンセルが前に。

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その後はマンセルが後続をぐんぐん引き離し、2位ピケは55.6秒、3位以下周回遅れにする圧勝。勝利数では頭二ついく4勝目を挙げました。3位はベネトンのファビ、4位はブーツェンが続き、ベネトンのスリーフォーフィニッシュ。中嶋はトップのマンセルから3周遅れにはなったものの13位完走を果たしました。

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《決勝結果》
 1 N・マンセル(ウィリアムズ・ホンダ)
 2 N・ピケ  (ウィリアムズ・ホンダ)
 3 T・ファビ (ベネトン・フォードコスワース)

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「はぁー、ちかれた。。やれやれ。。」
やれやれじゃないよ、この人騒がせな(笑)2回目のスタートでは後ろを何台を潰したことか。まあこういうのがマンセルらしいし憎めないところなのですが。
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「いいぞいいぞ、ここは2位でいい。まだトップ」
まだ2勝ながら表彰台を多く重ねるピケがまだランキングトップです。優勝は多い方がいいに越したことないですが、チャンピオンは最終戦までにライバルより1ポイントでも勝ればいいのです。ちなみに、ウィリアムズの2人のレーシングスーツはカーナンバーの色に合わせた白と赤に分かれています。今では考えられませんね。

また、高速な上、起伏に富んだレイアウトのエステルライヒリンクは危険度も高く、観客警備も甘いとされ、この年を最後にカレンダーから外れてしまいます。そしてヘルマン・ティルケの監修により「A1リンク」として再びカレンダーに戻るまで10年の空白期間を要しています。

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前回の1991年からまた4年ほど遡り、今回は87年の「チャンピオンまであと一歩のマシン」を追いかけていきます。マクラーレンMP4/3です。日本のF1ファンのみならず、全世界的に翌年88年のMP4/4は超有名マシンであり、前年までのMP4/2シリーズも紛れもないチャンピオンマシンのため、間に挟まれたこのMP4/3は地味ですよね。ただ普通の地味ではない、地味でも名車、翌年に再びチャンピオンに返り咲く要素はしっかり備えていました。

《設計》
 スティーブ・ニコルズ
(ジョン・バーナード)

前年のMP4/2Cまではジョン・バーナードの指揮下で開発が進められました。しかしこの87年からはフェラーリに移籍したため、バーナードに従事したスティーブ・ニコルズが主体となって引き続きMP4/3を作り上げています。そしてブラバムでチャンピオンマシンを手掛けてきた「空力の鬼才」ゴードン・マーレーがマクラーレンに加入したことで、以降のマシン(つまりMP4/4)にマーレーのセンスが存分に取り入れられていくこととなります。

《外見》
随分前に取り扱ったMP4/2シリーズの時も書きましたが、我々日本のF1ファンは特にこの時代のマクラーレンといえば88年型のMP4/4のフォルムが目に焼き付いていると思います。このMP4/3はそれの一年前にあたるモデルではあるものの、カラーリング以外は似て非なるものに見えますよね。そう見える一番の原因は太く短いノーズです。後継機のMP4/4はエンジン規定の違いもさることながら、前方のクラッシャブルゾーンの確保のため「各種ペダルはフロントアクスル(前輪)より後ろ」と定められたため、モノコック前方が細く長く引き伸ばされ、ホイールベース(前後輪間距離)も2,794mmから2,875mmに延長しています。この時代のマシンのドライビングポジションが如何に前方寄りで危険度が高かったことがわかります。
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今でこそ後継機との比較ができてしまいますが、前作MP4/2シリーズとの違いはどこにあるのかをみていきます。前作まではジョン・バーナードが主体となり、この年からはフェラーリに移籍したため、マクラーレンの所属ではなくなったものの、バーナードの下で共に働いたニコルズが引き継いだこともあり、マシンコンセプトやディテールなど基本的な大きな差はありません。
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外見でよくわかる違いとしては、ドライバー後方のエンジンカバーの膨らみがだいぶスリムとなりました。ヘッドレストあたりの断面はカラーリングも相まって、段差の付いた「雪だるま」のような感じ。
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またサイドポンツーン上端も開口付近から一度上部に持ち上がって、リヤエンドに向かいなだらかなカーブを描いていたMP4/2シリーズに比べ、このMP4/3は低く路面と平行に平らになっています。ニコルズはチャンピオンを獲得したMP4/2シリーズの流れを汲みつつ、少しでもダウンフォースを得られるような小変更に留めてきました。再び後継機の話に戻すと、この低く平らなサイドポンツーンはMP4/4に相通ずるところもあります。ゴードン・マーレーが本格的に手掛けたMP4/4はマーレーが推した「フラットフィッシュ」と呼ばれる低く平らにする思想が存分に盛り込まれたマシンでした。バーナードからマーレーに、このMP4/3は2人のビッグデザイナーの間に挟まれた「変形の最中」のマシンであったことがデザインからも充分読み取れます。
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カラーリングはお馴染みのマールボロです。オイル供給のシェルと併せて非常に有名だけど至ってシンプル。ガチャガチャと小口のスポンサーを連ねたチームもありますが、マクラーレンはこのカラーリングとスポンサーで充分目立ち、速さと強さもあり、インパクトは抜群です。

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《シャシー》
 全長: - mm
 全幅: - mm
 全高: - mm
 最低車体重量:540kg
 燃料タンク容量:195ℓ(ターボ車上限値)
 クラッチ: - ブレーキキャリパー: -
 ブレーキディスク・パッド: -
 サスペンション:フロント プッシュロッド
          リヤ    プッシュロッド
 ホイール: -
 タイヤ:グッドイヤー

《エンジン》
 TAG TTE PO1(ポルシェ製)
  V型6気筒・バンク角80度
  キューネ・コップ&カウス製ツインターボ
 排気量:1,496cc
 エンジン最高回転数:11,100rpm(推定)
 最大馬力:750馬力(推定)
 燃料・潤滑油:シェル

エンジンの実態としては1983年からドイツのスポーツカーメーカーであるポルシェで製造されているものの、ポルシェからの直接供給ではなくそれらには一貫してサウジアラビアの企業である「TAG」のバッジネームが付けられています。近年でいうレッドブルの「タグホイヤー(ルノー)」と同じですね。
前年のチャンピオンマシンMP4/2Cに搭載されたものと同じツインターボを装着したTAG TTE PO1が使用されていますが、この年から「最大過給圧が4bar(4気圧)に制限」されたため、過給時の最大馬力は低下。さらには「ターボ車の燃料搭載量は195ℓに制限」(ちなみにNA車は220ℓ)となったため、パワーと引き換えに「低燃費走行」を強いられることとなりました。

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《ドライバー》
 No.1 アラン・プロスト   (全戦)
 No.2 ステファン・ヨハンソン(全戦)

前年86年はチームメイトであったK・ロズベルグの助けも借り、ウィリアムズのマンセルに対して辛勝、二連覇を達成したプロスト。このシーズンから引退したロズベルグに代わり、フェラーリから歳下のヨハンソンを招き入れ、プロストの三連覇、チームとしては四連覇への期待がかかります。

《戦績》
 76ポイント コンストラクター2位
 (1位3回、2位3回、3位6回、4位1回ほか)
 ポールポジション0回

アデレイド市街地での開幕戦オーストラリアGPは二年連続のディフェンディングとして挑んだプロストが予選5番手からの優勝、ヨハンソンは予選10番手から3位表彰台獲得。第3戦ベルギーGPも予選こそ平凡だったものの、決勝のプロストは6番手スタートからの優勝、ヨハンソンも10番手スタートから2位となり、と幸先のよい序盤戦となります。
ところがシーズン中盤に入ると、優勝はおろか、表彰台登壇がやっとの状態が続きます。ヨハンソンはホッケンハイムでのドイツGPで2位を獲得しますが、エースのプロストは第4戦モナコGPから第11戦イタリアGPまでの8戦で3位3回に止まり、チャンピオン争いからは完全に脱落してしまいます。
その後プロストはエストリルでの第12戦ポルトガルGPで予選3番手を獲得。マシントラブルしたマンセルとレース終盤でフェラーリのベルガーを振り切ってシーズン3勝目を獲得。この勝利がポルシェエンジンのF1最終優勝であり、プロスト自身は当時のF1最多勝であったスチュワートの27勝を上回る、28勝目となり最多勝の単独トップを記録しました(その後51勝まで数を伸ばすものの、2000年代でM・シューマッハの91勝、さらに先日のロシアGPではハミルトンが100勝まで伸ばしました。この28勝目や生涯51勝が霞んでしまいますね)ヨハンソンは鈴鹿で初開催となる第15戦日本GPでの3位を最後にポイントの積み上げができず、結局前年チャンピオンのプロストはピケ、マンセル のウィリアムズ勢に加え、ウィリアムズと同様にホンダエンジンを載せるロータスのセナに上回られたドライバーズランキング4位に陥落。コンストラクターズランキングも前年と同様にウィリアムズ対して大敗し、さらには3位のロータスに詰め寄られる形でシーズンを終えています。

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先程の戦績からもわかる通り、このマシンにおいてポールポジションは一度も無く、シーズン通して速さをみせたのは前年のコンストラクターズチャンピオンであるウィリアムズ・ホンダでした。全16戦のうち、ウィリアムズが獲得したポールポジションは12回(ピケ4回、マンセル8回)その上、肝心のドライバーズチャンピオンは最多6回の優勝を果たしたウィリアムズのマンセルではなく、プロストと同じ3勝ながらシーズン後半に上位入賞を続けたピケに渡っています。パワーはポルシェではなくホンダの勢いに押されてしまいました。また、いかに速さがあっても、年間通じた安定性が無いとF1でチャンピオンは獲得できないということを体現したかのようなシーズンでした。
さらにマクラーレン敗北のもう一つの理由として、ポルシェエンジン最終年の低迷、信頼性不足が足かせとなりました。第8戦ドイツGPはレース終盤ではトップを走行するシーンがあったにも関わらず、オルタネーターの不具合によりレース残り5周でストップ(レースは一応7位完走扱い)と、優勝も狙えたレースを落としています。ヨハンソンが最終表彰台獲得となった第15戦日本GPもプロストは2番手スタートながらパンクに見舞われて後退。ファステストラップで猛追するも7位入賞圏外で終えるという「運気の無さ」もシーズン各所にみられました。
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そんなマクラーレンの朗報といえば、翌88年にはウィリアムズに代わってホンダエンジンを獲得することに成功。ほか、ドライバーもヨハンソンに代わり、株価急上昇中の若手セナの獲得で改めてチャンピオン返り咲きを図ります。このマシンは翌年型MP4/4がシェイクダウンする直前までホンダエンジンを換装した「MP4/3B」に改造。ブラバムより新加入したゴードン・マーレーの思想を加えられつつ、このマシンは常勝マクラーレンの「影の功労者」に形を変えることで役目を終えています。

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せっかく鈴鹿でのF1を振り返るならば、今回は初心にかえり1回目の開催となった34年前、1987年第15戦の日本GPを振り返りたいと思います。日本GPの振り返りは今回で12回目でGP最多、1987年シーズンはまだまだ少なめの2回目となります。IMG_2158
ゲートにかかる看板やフレーズが今とは異なり、英語併記など一切無いあたりが昭和の雰囲気を感じさせます。日本でのF1はこれより10年ほど遡った76年と77年に富士スピードウェイでの開催がありましたが、当時も日本チームやスポット参戦ドライバーがあったものの、この年ほど日本にF1が浸透しておらず、観客も根強いモータースポーツファンに限られていました。ただこの鈴鹿での日本GPはフジテレビによる全戦中継やホンダのエンジン供給、さらには日本人初のフルタイム参戦が重なってブームになりつつありました。雑誌やCMでF1が扱われ始めるなど、今では想像もつかない時代ですよね。40代以上の方なら、懐かしい思い出としてあると思います。

この1987年シーズンは翌88年を最後に廃止されるターボエンジンの準備期間として、過給圧を4bar(今の気圧の単位で揃えるならば4,000hPa)に制限され、逆に自然吸気エンジン(NAエンジン)の排気量を3,5ℓに引き上げられる措置が採られました。
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シーズンは全16戦中、日本GPは11/1決勝となる第15戦に設定され、チャンピオン争いも佳境に入っています。ランキングトップは有効ポイント73でウィリアムズ・ホンダのピケが3回目のチャンピオンに王手の状態であり、ランキング2位も同じチームで初チャンピオン獲得を目指すマンセルが61ポイントで追う展開で進行しています。ほか、ホンダを積むロータスのセナが51ポイントでランキング3位、チームメイトの中嶋悟は獲得ポイントこそ少ないものの、現在と異なり入賞6位という時代でもポイントを獲得するなど、日本としては誇らしい形で鈴鹿を迎えています。

そんなチャンピオン争いに重要な舞台を仰せつかった日本GPは決勝前から波乱が起きています。初開催ということを配慮し、決勝の3日前にあたる木曜日からフリー走行が行われました。好調な走り出しをみせていたマンセルが金曜日の予選1日目のS字でクラッシュ。
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「痛いよー、Mom..お家帰りたいよぅ、、」
マンセルはヘリで名古屋の病院に収容され、土曜の予選2回目と日曜決勝の欠場となりました(記録上は予選7番手)当時の優勝獲得ポイントは9であり、ピケとマンセルのポイント差は12だったため、最終戦オーストラリアGPを前にピケのチャンピオン獲得が決定となりました。
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「ママ言われてもなぁ。。喜び辛い戴冠だな」IMG_2165
余談にはなりますが、この顔にそっくりの娘が現代のF1でも「フェルスタッペンが勝った時だけ」お目にかかれます(笑)
結局予選はシーズン14戦で12回のポールポジションを誇ったウィリアムズが沈静化してしまい、ピケは5番手となりました。一方、フェラーリのベルガーがシーズン2回目となるポールポジションを獲得。2番手にはマクラーレンのプロストが並び、ホンダエンジンユーザーのロータスのセナはマンセルに続く形の8番手、中嶋は12番手となりました。
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《予選結果》
 1 G・ベルガー(フェラーリ・F)
 2 A・プロスト(マクラーレン・TP)
 3 T・ブーツェン(ベネトン・FC)
 ※タイヤはグッドイヤーのワンメイク
  TPはタグポルシェ、FCはフォードコスワース

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すごい数の観客がネットフェンスにかじりついています。1,000馬力をゆうに超えるF1マシン達がこれから日本の地に轟きます。
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ベルガーはスタートダッシュをうまく決め、記念すべき鈴鹿での初第1コーナーを制していきます。
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4番手でベルガーの相方アルボレートはスタートでミスをしたため、後方のマシンが巻き添えを食らう形となり、ラルースのアリオーが早々にウォールにクラッシュしてしまいました。
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ヘヤピンを通過。国際大会というよりかは国内大会の名残を感じさせる看板もみられます。
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バックストレッチの火花も懐かしいですね。FullSizeRender
後方を突き離しにかかるベルガーに対し、前年のチャンピオンであるマクラーレンのプロストはスタート直後にクラッシュしたアリオーのデブリを拾ったか、パンクし順位をズルズルと落としています。
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ベルガーがトップのままレースは進行、セナやマクラーレンのヨハンソンが失速したプロストの分まで奮起していきます。
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拍子抜けした形でチャンピオン獲得となったピケはラジエーターが故障したことでオーバーヒートを起こし、46周目に敢えなくリタイヤで15位完走扱い。勝っても負けてもチャンピオンには変わりありません。

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黄色いピットクルーが一点を見つめて並んでいます。その目線の先はIMG_2183
当然ベルガーです。現在は紅のイメージが強いフェラーリですが、コーポレートカラーはエンブレムにも使用される黄色なんです。昔のフェラーリは黄色や白など、時代によって多彩なカラーを身にまとっていますね。主役のウィリアムズが消えれば怖いもの無し。ベルガーがポールトゥウィンという形で初鈴鹿を制し、2位はファイナルラップにヨハンソンを追い詰め、翌年に代わってマクラーレンのシートを得たロータスのセナが獲得しています。母国の中嶋も地の利を活かし、順当に浮上。結果6位完走を果たしました。

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《決勝結果》
 1 G・ベルガー (フェラーリ・F)
 2 A・セナ   (ロータス・H)
 3 S・ヨハンソン(マクラーレン・TP)

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AS「優勝トロフィ、違くね?!」
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GB「えっ?!」
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慣れないせいか、やや取り乱した表彰式となりました(笑)
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仲良しのベルガーとセナが表彰台で戯れ合い、ヨハンソンは独りぼっちで何だか可哀想。チャンピオン争い的には決勝前に決着がつき、レースもベルガーのポールトゥウィンで終わりますが、鈴鹿のF1の歴史はここから始まり、数々のドラマや名シーンが生み出されました。来シーズンこそは無事に32回目の日本GPが開催されることを祈りたいですね。

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2015年からF1に復帰した第四期ホンダも今シーズンで6シーズン目を迎え、徐々に優勝や表彰台を獲得するまでに成長しました。ホンダのF1を語る上では1980年代中盤から90年代初頭にあたる第二期は必ず通る道です。当時最強エンジンと言われたその時代を象徴するかのようなレースの一つ、1987年シルバーストンでの第7戦イギリスGPを振り返っていきます。

1987年のレースを振り返るのは初になります。この年は現在と同じようにターボを搭載し、4バール(気象でいう4,000hPaでだいたい4気圧に相当)という過給圧制限はありつつも実にパワフルな出力のマシンがしのぎを削っていた時代です。また日本にとっては何よりも「日本人初のフルタイム参戦ドライバーの登場」「フジテレビによる全戦無料放送開始」とF1が一気に身近な存在になったシーズンでもあります。
イギリスGPを迎えるまでの6戦の戦績は2勝を挙げるウィリアムズのマンセル、今年こそ念願のチャンピオン獲得に意気込むロータスのセナも2勝、前年86年に僅差でチャンピオンを獲得したマクラーレンのプロストも2勝となっており、勝ち星は無くとも4回の2位で着実にポイントを積み重ねるウィリアムズのピケの4人がぶつかり合っています。ちなみに優勝3人のうちプロストを除く2人のエンジンはホンダです。「エンジンコンストラクターランキング」があったとしたら、ホンダは飛び抜けたトップに君臨しますね。「日本人初のフルタイム参戦ドライバー」の中嶋悟はセナの相方としてロータスに所属し、第2戦サンマリノGPで6位、第3戦ベルギーGPで5位と2回の入賞を獲得しています。セナとの比較は酷だけど、F1新人とはいえ34歳のベテランクラス。奮闘しつつも、これはちょっと離され過ぎ。
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この87年から「ブリッジ」という区間をトラック終盤に設置するレイアウト変更がありました(現在は廃止)地元レースを最多勝で入ったマンセルがこの新設コーナーに苦戦、第3戦ベルギーGPから続く5戦連続ポールポジションが潰えます。代わってチームメイトのチャンピオン経験者ピケがポールポジションを獲得。3番手はセナ、中嶋は12番手となっています。上位3人がホンダエンジンユーザー、この時代のテッパンです。

《予選結果》
 1 N・ピケ  (ウィリアムズ・H)
 2 N・マンセル(ウィリアムズ・H)
 3 A・セナ  (ロータス・H)
 ※タイヤはグッドイヤーのワンメイク

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スタートでイン側のピケ、アウト側のマンセルももたつき、ウィリアムズ2台してじゃれ合う。この時代のスタートって、パワーが有り余るせいか、ドラックレースの如くタイヤスモークを上げてテールを滑らすマシンが多かったですよね。それはそれで「荒ぶるモンスターマシン」を操るようでカッコいいですが。
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そんな中、さらにアウト側からスッと真っ直ぐ隙をうかがったプロストがウィリアムズまとめ抜きを敢行。このシレッと感がプロストらしい。
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しかしそれも束の間。やっとエンジンが馴染んできたのか半周足らずでピケが、
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ハンガーストレートでマンセルが易々とプロストを捕まえて定位置に戻っていきます。あたかもでっかいターボラグでもあったかのようなスロースタートでした。

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壊すのはお手のモノか9周目に早速ブラバムのチェザリスが火を吹く。
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快調にトップに食らい付くプロストとは裏腹にヨハンソンのタグポルシェも19周目に白旗。現在の信頼性あるマシンと違い、この日のシルバーストンは序盤からマシンに牙を剥きます。
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予選こそ離された中嶋は立て続く前方の離脱を得て、6位入賞圏内まで浮上。相方セナに少しでも近付きたい。

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レース終盤にはフェラーリのアルボレートがピットに戻るもリヤのサスペンション故障により離脱。
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さらにはセナと一進一退のバトルを続けたプロストもリタイヤし、マクラーレン、フェラーリ共に全滅。これらにより中嶋は4位に浮上、54周時点でホンダエンジン勢4台全てが1位から4位に連なる形を築きます。

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最終盤にマンセルがピケの尻尾を捉えて臨戦態勢に。
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ん、左からかな?
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いや右からだよー!
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迅速かつ絶妙なフェイントを入れ、同じマシンに乗る2人がサバイバルなイギリスGPのオーラスで見せ場を作ります。
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ココは俺の地元。今回は戴いたぜチャンピオンさんよ。
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《決勝結果》
 1 N・マンセル(ウィリアムズ・H)
 2 N・ピケ  (ウィリアムズ・H)
 3 A・セナ  (ロータス・H)

レースはわずか1.9秒差でウィリアムズがワンツーフィニッシュとなり、この2人だけが同一周回。セナは一周遅れの3位、そして中嶋はウィリアムズから二周遅れとなる4位を獲得して「ホンダエンジンによる1-2-3-4フィニッシュ」が完成しました。出走26台中、ライバルがバタバタとリタイヤ、完走たったの9台というサバイバルレースで、ホンダだけ全員無事に生き残ったという「伝説のレース」です。
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このシーズンは結局ウィリアムズが16戦中12ポール9勝を挙げ、文句無しのコンストラクターズチャンピオンを獲得。それは至って当たり前。しかし面白いのは「ドライバーズチャンピオンの行方」です。マンセルは8回のポールで6勝を挙げたものの、肝心のチャンピオンは4回のポールで3勝に止まったピケが獲ることとなったのです。それはなぜか、実はマンセルは2位が一度も無く4回のリタイヤと初鈴鹿開催となる第15戦日本GPを「不戦敗」しており、逆にピケは2位7回でリタイヤは第3戦ベルギーGPで1回で止めたためです。優勝の数より2位の数と入賞回数でチャンピオンが決まるという「両者のキャラクター」が明暗を分けた実にユニークなシーズンでした。

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