F1 えきぞーすとのーと

よくあるニュースネタやこ難しいテクニカルな話ではなく、メインは予選や決勝のTV観戦したそのものを個人的観点から綴るF1ブログです。  また、懐かしのマシンやレースを振り返ったり、記録やデータからF1を分析。その他ミニカーやグッズ集めも好きなので、それらを絡めつつ広く深くアツくF1の面白さやすごさを発信し、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

タグ:1979年

あれまあ、また今回も過去のレース。。miyabikun時間稼ぎと称してちょっと乱用し過ぎじゃないの?!た、確かに時間稼ぎの一環であることは認めますが、実は今回の最たる理由は違うんです。先日2/2にルノーF1の創成期を支えたジャン・ピエール・ジャブイユが80歳で亡くなりました。そこで今回は追悼を兼ねて、記念すべきルノーF1の初勝利レースである1979年にディジョン・プレノワで行われた第8戦フランスGPを余談も織り交ぜながら振り返ることとしました。今シーズンはフランスGPも無くなってしまいましたもんね!、、と力づくで帳尻合わせしてみる。

IMG_7576
ルノー(現アルピーヌ)のF1については、以前2016/1/6「ルノーF1のあゆみ」と題して、復帰参戦の際にまとめたことがありました。ルノーのF1は1977年よりF1で初めてキューネ・コップ&カウス製のターボチャージャーを搭載したRS01で参戦したのが始まりです。その時にステアリングを握ったのがヨーロッパF2のチャンピオンを獲得した経歴を持つフランス人ジャブイユでした。当時はジャブイユ一人体制で臨んだものの、以降はアルヌーやプロストといった若いフランス人を混えて徐々に頭角を示し、ターボエンジンをF1に浸透させた立役者となりました。
IMG_7597
先日の過去のレースで78年型ブラバムのマシンを注意深く観察しているジャブイユの姿です。ターボマシンで速いには速いけど、決勝レースとなると信頼性の脆弱さが改善されずなかなか結果に結び付かないというヤキモキしていた頃。

79年のレース振り返りは初となります。先日振り返った78年と同様に、ロータスを発端としたグラウンドエフェクトカーがライバル達に浸透、チャンピオンはそのロータスとM・アンドレッティが獲得して迎えてさらに円熟しています。
IMG_7578
独特な造形のフェラーリ312T4もグラウンドエフェクトを取り入れ、サイドポンツーン外縁下部に「スライディングスカート」と呼ばれるフロア下のベンチュリートンネルの機密性を高めるデバイスが取り付けられています。
IMG_7579
ルノーは第5戦スペインGPからRS10を投入。この時代のルノーといえば、ターボエンジンということに加え、このリヤウィングの造形もまた独特。

このフランスGPまでの7戦はリジェのラフィが開幕戦、第2戦と連続ポールトゥウィン。第3戦、第4戦はフェラーリのG・ヴィルヌーブが2連勝。第5戦スペインGPはリジェのドゥパイエが勝利を挙げ、第6戦、第7戦はフェラーリのシェクターが2連勝と勝者は分散しつつも、チャンピオンのロータスよりもフェラーリやリジェの好調さが際立っています。
IMG_7581
予選は地元ルノーのジャブイユが第3戦南アフリカGP以来のチーム2度目、自身も2回目となるポールポジションを獲得。2番手にはこの年からルノーでフル参戦を果たしたアルヌーが獲得。3番手はフランスが第二の母国ともいえるフェラーリのヴィルヌーブが獲得。
IMG_7583
一方で前年チャンピオンのロータスはアンドレッティが12番手、ロイテマンは13番手、そしてロータスのマシンを購入してプライベート参戦するレバークは出走27台中24番手に沈むという不出来。グラウンドエフェクトの先駆けがことごとく後発に打ち負かされてしまっています。どうしちゃったんだろう。。

《予選結果》
P.P. J・P・ジャブイユ(ルノー ミシュラン)
 2 R・アルヌー   (ルノー ミシュラン)
 3 G・ヴィルヌーブ (フェラーリ ミシュラン)

IMG_7584
スタートでは3番スタートのヴィルヌーブが好ダッシュを決めて、ルノー2台を簡単にぶち抜く。
IMG_7585
ポールポジションのジャブイユはヴィルヌーブに食らいつくものの、相方アルヌーはあれよあれよと後方に呑み込まれ、8位にまで後退してしまいます。せっかくのターボ車による母国GP最前列だったのにー。
IMG_6108
ディジョン・プレノワは以前掲載したレイアウトからもわかるように、とてもシンプルな線形の高速サーキットです(79年のレイアウトは図の赤線)しかし縦断勾配はなかなかのもの。
IMG_7586
このうねり。なかなか強烈。近年のレッドブルリンク(旧エステルライヒリンク)と同様に、サーキットの作りは平面のレイアウトだけではわからないものですね。それにしても黄色いルノーのアルヌーはだいぶ後ろに落ちました。この頃のアルヌーはまだ「通せんぼ」はしていないかな。
IMG_7587

IMG_7588
スタートダッシュを決めて逃げるヴィルヌーブ。簡単にトップの座を奪われてしまったジャブイユですが、実はこれも承知の上。ジャブイユらルノー勢はスタートからガソリン満タンの重タンク状態で発進しており、ヴィルヌーブはいずれブレーキなどで悲鳴を上げるはず。ジャブイユはレース中盤で形勢逆転を目論んでいました。
IMG_7591
レースが進行するにつれて間合いを詰め、トップに立つことに成功したジャブイユは初優勝がみえてきました。
IMG_7592
IMG_7589
ヴィルヌーブは徐々にジャブイユから離される。

そしてレース終盤は一度8位まで落ちたルノーのもう一台、アルヌーがヴィルヌーブの背後に迫ります。
IMG_7590
逃げ切れるか?!ヴィルヌーブ。
IMG_7595
追い付き、スタートの汚名を返上できるか?!アルヌー。

IMG_7596
《決勝結果》
 1 J・P・ジャブイユ(ルノー ミシュラン)
 2 G・ヴィルヌーブ (フェラーリ ミシュラン)
 3 R・アルヌー   (ルノー ミシュラン)

ルノーはワンツーフィニッシュこそ逃したものの、母国レースの今回はしっかりと完走、表彰台に登壇し、ファンを魅了。また2位のヴィルヌーブはカナダ人ですが、フランス系カナダ人であり、こちらも母国ブランドであるミシュランタイヤ使用となったため、ある意味「フランス一色」に染まる形でフランスGPが閉幕しました。
IMG_7594
2位ヴィルヌーブに14秒以上の差を付け、ようやく手にした自身初勝利とともに、念願のチーム初勝利に貢献したジャブイユは翌年80年までルノーをドライブしますが、第13戦カナダGPのクラッシュで両足を骨折。81年は同じく地元フランスのリジェからエントリーするも、怪我の影響もあってか振るわず、第7戦スペインGPでF1のステアリングを置きました。

現在は第三期の参戦となるルノー(アルピーヌ)は2021年のオコン以降は優勝から遠ざかっています。今シーズンは第一期のジャブイユ、アルヌー(その後のアルヌー、プロスト)以来久々となるオコン、ガスリーによるオールフレンチ体制でシーズンに臨むこととなります。残念ながらその成果をジャブイユに直接みせることはできなくなってしまいましたが、誇り高きフランスの血統を受け継ぎ、天に向けてよい結果報告ができるでしょうか。
IMG_7582
最後になりましたが、改めてジャブイユのご冥福をお祈りします。

にほんブログ村 車ブログ F1へ
にほんブログ村
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

先日の「名車を振り返る」は前グラウンドエフェクトカー最終年にあたる1982年のブラバムBT50(BT49D)を扱いました。今回みていくチャンピオン獲得前の名車はウィリアムズにとって初代グラウンドエフェクトカーとなる79年型FW07になります。

《設計》
 パトリック・ヘッド
 ニール・オートレイ
 フランク・ダーニー

《外見》
「グラウンドエフェクト」(地面効果)を利用した技術やマシンは以前からありましたが、なかなか成功に至らず77年にロータスが成功に導いたことをきっかけにライバル達も追従、研究が進められました。

79年型FW07自体は78年末から「グラウンドエフェクトカー」として研究開発が進められていたものの、シーズンオフで完成できず、開幕戦アルゼンチンGPは79年を戦ったFW06を引き続き使用するという判断を下します。FW06は「ウィリアムズ・グランプリ・エンジニアリング」というれっきとしたF1コンストラクターとしてパトリック・ヘッドが初めて手掛けたマシンであり、当然ながらノングラウンドエフェクトカーです。
IMG_4679
FW06はヘッドがウルフに在籍した時代のノウハウやコンセプトが盛り込まれていましたが、時代はグラウンドエフェクトを用いる時代を迎えていたため、チームとしても本意ではありませんでした。そこでシーズン1/3を消化するヨーロッパラウンド初戦、ハラマで行われる第5戦スペインGPでグラウンドエフェクトを盛り込んだFW07のデビューに踏み切ります。
IMG_4693
FW07は低めに角張ったサイドポンツーンにラジエター類を配置して「一枚羽根」のようなデザインに切り替えています。ぱっと見はグラウンドエフェクトの先駆けである78年型ロータス79に酷似しています。
IMG_4247
IMG_4711
ノーズはオイルクーラーを移設し、開口を廃止。アルミ製ハニカム構造のモノコック一体型で強固に仕立て上げられました。
FullSizeRender
サイドポンツーン側部は真っ直ぐ立ち上がり、今シーズン2022年型マシンでは許されていませんが、当時のグラウンドエフェクトカーの代名詞である「スライディングスカート」が備え付けられています。マシンのフロアと路面の間を走る速い気流を外部(ここでいうマシンの側面を走る気流)に対しリヤエンドまで気密状態にすることを目的としました。スカートについては後に可動の禁止やその材質、高さ、厚みなどに規制が加わっていきます。
FullSizeRender
ウィリアムズのようなプライベートチームがF1に参戦する上で最も重要なことは「スポンサーを付けて資金を集めること」です。フランク・ウィリアムズは航空会社「サウディア」(サウジアラビア航空会社)やTAG(後のタグ・ホイヤー)など実際にはF1が開催されることの無いサウジアラビア企業を味方につけて資金繰りを行っています。マシンの白地に緑と青のラインは当時のサウディアの機体のカラーリングそのものです。
IMG_4688

IMG_4709
《シャシー》
 全長: - mm
 全幅: - mm
 全高: - mm
 最低車体重量:588kg
 燃料タンク容量: - ℓ
 クラッチ: -
 ブレーキキャリパー: -
 ブレーキディスク・パッド: -
 サスペンション:フロント -
          リヤ  -
 ホイール: -
 タイヤ:グッドイヤー

IMG_4691
《エンジン》
 フォード コスワースDFV
  V型8気筒・バンク角90度
 排気量:2,993cc
 エンジン最高回転数:10,800rpm(推定)
 最大馬力:485馬力(推定)
 スパークプラグ:チャンピオン
 燃料・潤滑油:モービル

FullSizeRender
《ドライバー》FW07は第5戦スペインGPから
 No.27 アラン・ジョーンズ  (全戦)
 No.28 クレイ・レガッツォーニ(全戦)

ドライバーは前年までのジョーンズ一人体制からベテランのレガッツォーニを迎え、チームとしてさらなる戦闘力強化を図っています。
IMG_4703

《戦績》
 75ポイント コンストラクター2位
  ただしFW07としては71ポイント
 (1位5回、2位2回、3位2回、4位1回ほか)
 ポールポジション3回

1979年の開幕は前年使用したFW06が使用され、入賞はジョーンズによる第4戦アメリカ西GPでの3位1回に止まりました。そしてライバルから遅れること一年以上の時間を要し、ハラマでの第5戦スペインGPより、ウィリアムズ初のグラウンドエフェクトカーFW07が実戦走行を迎えます。
IMG_4681
初戦からいきなりグラウンドエフェクトカーによる飛躍がみられたというわけではなく、予選はFW06と大きく変わらずの13、14番手。決勝は両者ともリタイヤで終えています。ゾルダーで行われた翌第6戦ベルギーGPはジョーンズが予選で4番手を獲得、決勝は電気系トラブルにより惜しくもリタイヤとなりますが、第7戦モナコGPではレガッツォーニは予選16位から2位表彰台を獲得するなど、新車導入の成果が徐々に発揮し始めます。
IMG_4708
そして第9戦イギリスGPでジョーンズがチーム初となるポールポジションを獲得(ジョーンズ自身も初ポール)、予選4番手だったレガッツォーニがチーム初優勝を挙げ、ウィリアムズの母国レースに花を添えています。
IMG_4716
その後は初優勝がきっかけとなったか、成績が右肩上がりに転じ、ジョーンズが第10戦ドイツGPから三連勝を含めた4勝を挙げ、コンストラクターズランキングはリジェやロータスといった競合を上回る2位にランクアップ。ジョーンズはドライバーズランキングは3位を獲得しました。
IMG_4701

FW07での戦績は11戦中5勝、9表彰台、3回のポールポジションとなりました。この年のチャンピオンはフェラーリとシェクターによるダブルチャンピオンという形となった訳ですが、有効ポイントの計上が今とはだいぶ異なり「前半7戦から4戦分。後半8戦から4戦分の上位ポイントをカウントする」ものでした。チャンピオンを獲得したシェクターの前半は30ポイント、後半は21ポイントを数えて、トータルは51ポイント。一方でシーズン唯一の三連勝を挙げたジョーンズの前半はわずか4ポイント、後半は4勝分の36ポイントでトータル40ポイントと後半で稼ぐもシェクターに11ポイント上回っています。皆同じレギュレーション下でやっているため、公平や不公平などはありませんが、後半8戦だけでみたら、ジョーンズは誰よりもポイントを稼いだドライバーでした。つくづく序盤戦の「グラウンドエフェクトを期待しない」旧型マシンFW06での取りこぼしが悔やまれます。なお、チームメイトのレガッツォーニは前半6ポイント、後半23ポイントを獲得していることからも、このシーズンのウィリアムズのバイオリズムを象徴すると共に、FW07の戦闘力を知らしめるものでした。
IMG_3249
ただこの戦績は決して無駄なものではなく、ドライバーをレガッツォーニからロイテマンに代えた翌80年、改良型のFW07Bで臨んだジョーンズが5勝を挙げ、ウィリアムズ初のドライバーズおよびコンストラクターズの両チャンピオンを獲得。ウィリアムズは一気にトップチームに名乗りを挙げることとなりました。その足がかりとなったFW07はウィリアムズのみならずF1界でもれっきとした名車の一つに数えられます。

にほんブログ村 車ブログ F1へ
にほんブログ村
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

「あのマシンを書こうかな、いや同じチームが続いている。うーんそれならば、、」と悩んでいると、ついつい他のことをやってしまう。このシリーズがまたご無沙汰になっていました。まだ特筆すべきマシンは山ほどありますね。今回は以前に取り上げたことのあるフェラーリ312Tのマイナーチェンジ車。miyabikunが生まれる前の1979年312T4を選びました。マイナーチェンジとは言いつつも、この見た目、全く違うマシンに見えますね。
IMG_4660

《設計》
マウロ・フォルギエリ

《外見》
IMG_4669
種車は以前に取り上げた1975年に端を発する312Tです。名前の由来はわかりやすく「3.0ℓ12気筒」に「横」を意味する「Trasversale」の「T」から来ています。市販車ではポルシェやスバルなど水平対向エンジンに使用される「Boxer」は1975年序盤までの先代312Bシリーズで「B」は使われており、形式が異なるため名前を変えています。
IMG_4668
その後、T2は背の高いエアインテークが無くなり、ホイールベースの延長
IMG_4667
T3はサイドポンツーンのマイナーチェンジを経て
IMG_4661
このT4に変貌を遂げます。ここまで見た目が違うなら、いっそ名前を変えたらよかったのに。
ロータスの「グラウンドエフェクトカー」成功を受け、フェラーリが2年遅れのでようやくそれに対応させたことで生まれました。
今まではカウル上部の気流対策に滑らかにダウフォースを得るデザインを推してきましたが、当時の最新トレンドは逆。フロアパネルで「何かして」ダウンフォースを得るもの。そこでフェラーリはなんと「アッパーカウルをテーブル状に延長」してシャンプーハット(懐かしい!)のツバの下からノーズが生えるようなディテールです。上方を流れる気流と下方へ気流を誘導するものと分けるようにした結果があのディテールになりました。そこが「醜いアヒルの子」などと呼ばれていますが、miyabikunは「赤いカメムシ」に見えてなりません。正直言って、ダサいです(笑)2人のドライバーは初めて目にした時、果たしてどう思ったのでしょうね。速ければ文句はないでしょうが。
FullSizeRender
《エンジン》
フェラーリTipo015
水平対向12気筒
排気量:2,991cc(推定)
最高回転数:12,000
rpm(推定)
最大馬力:517馬力(推定)
燃料・潤滑油:アジップ
FullSizeRender
飛行機の主翼に埋め込める薄さにすることを目的として、空冷の水平対向12気筒エンジンは戦前にアメリカで開発。そこにヒントを得たフォルギエリはそれをF1に取り入れ、低重心化を目論みました。毎年改良を重ね、このT4に搭載された頃には517馬力(推定)を出力します。ただ燃費は良くなく、燃料タンク大型化を嫌った結果、タンクを左右に分割して補うことになります。グラウンドエフェクトカーはフロアパネルに空気の通り道を設けて、リヤで跳ね上げる形を採ることで効果を最大限に発揮します。左右分割の燃料タンクも決して最善の策であるとは言い難く、ライバルに比べるとグラウンドエフェクトは充分ではありませんでした。長らく水平対向12気筒にこだわったがための導入の遅れと、未完成な一面も残しています。

FullSizeRender
《シャシー》
全長:4,460mm
全幅:2,120mm
全高:1,010mm
最低車体重量:590kg
燃料タンク容量: - ℓ
シャシー材質:アルミニウム
タイヤ:ミシュラン
FullSizeRender
全高の1,010mmは変わりありませんが、全長、ホイールベースは前作と比べても延長され、燃料タンクの配置やグラウンドエフェクト効果を極力得られる工夫を施しています。
主なスポンサーはオイル提供のアジップ、そしてタイヤ供給のミシュランのロゴが真紅のボディに目立つ。歴代312Tシリーズの中では白のシェアはだいぶ減っています。

IMG_4659
《ドライバー》
No.11 ジョディ・シェクター(全戦)
No.12 ジル・ヴィルヌーブ(全戦)
    ※第1戦、第2戦は312T3、第3戦から312T4

FullSizeRender
《戦績》
113ポイント コンストラクター1位(1979年全体)
(1位6回、2位7回、4位4回ほか)
ポールポジション2回

ドライバーはロイテマンと入れ替わりでシェクターが参戦、ヴィルヌーブは在籍3年目を迎えています。前年1978年終盤を好調で終えたヴィルヌーブでしたが、翌1979年はシェクターが中盤まで安定した内容で進行したため、終盤はサポート扱いに回る形を採りました。ちなみにこの時代のフェラーリは2人のレーシングスーツの色が赤だけではなく、全身白を着るなど異なっている時もあります。
開幕当初は旧型T3で挑み、第2戦ブラジルGPはヴィルヌーブが5位、シェクターは6位入賞が精一杯でした。そこでシェクターの地元第3戦の南アフリカGPより満を持してT4を投入、ヴィルヌーブが優勝、シェクターは2位といきなりマシン投入の甲斐を示します。第4戦アメリカ西GPはヴィルヌーブがポールポジションからの優勝を決め、シーズンの流れを完全にリジェからフェラーリに呼び込むことに成功しました。
FullSizeRender
エースのシェクターは中盤のベルギーとモナコで連勝、他にも入賞圏内フィニッシュを重ねてポイントを着実に稼いでいきます。そしてルノーに予選で敗れた第13戦イタリアGPでは、ヴィルヌーブも優勝のチャンスもある中でシェクターに猛プッシュはかけずに0.46秒差のワンツーフィニッシュを決めてチャンピオン獲得を確実なものとしました。
IMG_4665
フェラーリは長きに渡りF1に君臨する名門です。ただこの40年でドライバーズチャンピオンを獲得したのはこの年のシェクターと2000年台前半のM・シューマッハ、そして2007年のライコネンのたった3人です。もっと勝っていいはずなのですが、勝てそうで勝てない、時折「駄馬」を生み出してしまうのもフェラーリです。決してシーズン最速マシンでなかったT4でチャンピオンを獲得した翌1980年は改良型T5で連覇を狙いますが、これは鳴かず飛ばず。チャンピオンのシェクターは予選落ちまで経験するという外れ年を送り、早くも嫌気がさしてF1引退。古いマシンコンセプトがいよいよ足かせとなり退役を決断、1981年からはフルモデルチェンジ126CKに移行するのでした。

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ