F1 えきぞーすとのーと

よくあるニュースネタやこ難しいテクニカルな話ではなく、メインは予選や決勝のTV観戦したそのものを個人的観点から綴るF1ブログです。  また、懐かしのマシンやレースを振り返ったり、記録やデータからF1を分析。その他ミニカーやグッズ集めも好きなので、それらを絡めつつ広く深くアツくF1の面白さやすごさを発信し、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

タグ:1970年代

前回4月の上旬に差し込んだ「F1コレだれGP」の続編、1970年編です。さあここからは日本での毎戦テレビ中継もありませんし、miyabikunも完全に生まれる前の話となり、追いかけ観戦とその知識、印象で書いていく形となります。難易度も高くなってきますが、若いF1ファンの方にもとっつきやすい方からの出題としましたので、臆することなくチャレンジしてみて下さい。

Q①
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ヒント:眩しそうな目に高い鷲鼻、そして口髭。いかにもヨーロピアンで高貴な面持ちが漂っています。それもそのはず、2回のF1チャンピオンです。デビューは二十代半ばから始め、1958年からF1をドライブし、4年目にあたる62年とそこから6年後の68年にチャンピオンを獲得しました。活躍の場はF1に止まらず、スポーツカーレースや耐久レースにも参戦。F1モナコGP、インディ500、ル・マン24時間レースの全てで優勝を挙げた「唯一の世界3大レースの覇者」という輝かしい戦績を持つ者です。顔を知らずとも、そのキーワードはこの世に一人しかいませんのでかなりのヒントですね。
モータースポーツを生業とする前はボート競技を行なっていたこともあって、愛用のヘルメットは黒地に8本の白いオールが描かれたデザインを使用していました。また息子もF1ドライバーであり、父が初めてチャンピオンを獲得した35年後にこちらもF1史上初となる「親子二代のF1チャンピオン」を成し遂げています。
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これらの画像は晩年の70年や73年のものですが、別チームのマシンを買い取り、プライベーターとして参戦していた頃になります。輝かしい1960年とは裏腹、チャンピオンや3大レース覇者も苦戦を強いられ、入賞すらできない日々が続きました。そして75年のシーズンオフに行われたポール・リカールでの帰路で自ら操縦する飛行機が墜落。チームのドライバーと共に命を落とし、息子のF1デビューを見届けることはできませんでした。

Q②
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ヒント:3人のドライバーが表彰式で優勝者に贈られる月桂冠にところ狭しと入り込んでいます。今回のターゲットは向かって右のドライバーになります。中央と左のドライバーは皆さんもご存知ですよね。右の方はあまり見慣れないかもしれませんが、今現役でF1観戦しているファンであれば100%近く名前を知る超有名人なんです。
1972年にF1デビューを果たし、この後登場するQ⑥の方と共にまだF1発展途上であったブラジルをF1大国にしたパイオニアといえます。戦績こそQ⑥の方に遠く及びませんでしたが、唯一の優勝は何と地元のブラジルGPです。しかし参戦6年目となる77年にこちらも航空機事故により現役ドライバーの最中に命を落としてしまいます。大きな期待はされつつもチャンピオンにはなれず、優勝はたったの一度きり。以降も母国からは優秀な戦績や多くの優勝を重ねたドライバーは生まれつつも、彼の栄光を讃え、唯一優勝を挙げたサーキットは彼の名前に改称されています。

Q③
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ヒント:周りの大人に比べて随分小柄な方ですね。ポケットに手を突っ込んで何やら話しています。生意気にみえますが、れっきとした大人であり、これでもチームオーナーです。横顔だけじゃわからないって?!それではこちらを向いている画像を一枚。
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コクピットに座るラウダに対してこちらも何やら指示出ししています。最近はあまり見る機会は無くなりましたが、80年代くらいまでは監督やオーナーがよくコクピットに座るドライバーに顔を寄せて語りかけたり指示を出す光景がみられました。ヒントとしては「ラウダがドライブするあるチームのオーナー」ということになります。

この方自身もF1をドライブしたことがあり、1958年に2回ほど参戦しています。60年代にあるドライバーをマネージメントする立場となりF1の世界に復帰、見事にチャンピオンを獲得するまでにのし上げた経歴を持ちます。70年代に入ると、あるプライベートチームを買収してチームオーナーとなり、ラウダやピケといったドライバーを起用して80年代にしっかりチャンピオンを獲得するという敏腕っぷり。その後はさらに上のステージである「F1を統括する立場」まで上り詰めます。今も存命の方ではありますが、驚くのは髪の色や顔のハリこそ変わったものの、今でも風貌はほとんど変わりません。昨年御歳89にしてお子さんが産まれたことでも話題となりました。若いワケです。

Q④
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ヒント:月桂冠を片手に表彰台から降りてくる様子です。月桂冠を受け取っているということはF1で優勝経験があるということです。ベルギー出身のこのドライバーは1967年にF1デビューし、79年まで120戦ものレース参戦し、8勝を挙げたベテランの一人です。
元々父親がモータースポーツに関する仕事をしており、それがきっかけでモータースポーツを始めたといわれています。当初は二輪で腕を鳴らし1965年から四輪に転向後、ケン・ティレルに見初められてF2をドライブする機会を得ました。昔はF1にF2マシンが混ざって行われることも多く、67年の第7戦ドイツGPでは何とF1マシンを凌ぐ速さを見せ、F1昇格を果たしています。参戦3年目の69年にランキング2位、翌70年もランキング1位がシーズン中に死去したにも関わらず2位に終わり、残念ながらチャンピオン獲得には至りませんでした。前にもこのブログで書いたことがありますが、今現役バリバリのノリスくんをみる度にこの方を思い出しています。IMG_9117
画像向かって右側がこの方。どことなく似ていませんか?!miyabikunだけかな。この方は今でもご存命です。

Q⑤
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ヒント:こちらも表彰式での一コマ。今回は優勝した方ではなく、画像右端の方です。フランス出身で幼い頃は長きに渡りピアノを習っていたようですが、この方のお姉さんに紹介されたドライバーがきっかけでモータースポーツに勤しむようになり、父の反対を振り切りレーシングスクールに通うようになったと言われています。下位カテゴリーを着実にクリアし、Q④の方と同様にF2マシンをドライブしていると、練習を兼ねて参戦していたあるF1チャンピオンであるスチュワートの目に止まり、1970年第5戦オランダGPからF1のステップアップしています。恩人であるスチュワートと同じチームに加入すると目論見通りいい走りをし、翌71年には早くも数回の表彰台に登壇。また最終戦アメリカGPではQ④の方のリタイヤが功を奏し、F1初優勝を挙げ、将来を嘱望されるドライバーの一人となりました。ところが初優勝から2年後の73年最終戦アメリカGP予選にてコントロールを失いガードレールに激突し即死。日頃から安全面に注意を促していたにも関わらず、愛弟子を失ったスチュワートはそのレースの出走を急遽取り止め、併せてステアリングを置くきっかけにもなりました。この方も先程のQ④と同様に現役のある方をみると連想してしまいます。さて誰でしょう?!IMG_9152
似てねーしと言われるのも悔しいので、誰のことを言っているかはご想像にお任せします(笑)

Q⑥
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ヒント:先程Q②で出てきた方と同郷の方にはなりますが、前述の通りこちらの方の方が戦績としては上です。ブラジル人初のF1チャンピオン獲得者です。実はQ⑤の2枚目の奥にもチラリと横顔が写っています。太く濃いもみあげがトレードマークです。F1デビューはQ④より2年早い1970年のロータスからでした。デビューしてわずか3シーズン目の72年に早くも25歳にしてチャンピオン獲得を果たし、これは当時の最年少記録でした(この記録は2005年にアロンソが塗り替えるまで33年間保持していました)この方の特徴は最年少記録に止まりません。F1にも稀にいる兄弟F1ドライバーであった点。甥っ子に止まらず孫までF1をドライブしています。また自ら自分のチームを立ち上げF1参戦も経験。さらにはF1と並びフォーミュラカーの頂点に君臨するインディカー(当時はCART)チャンピオンも獲得しています。ちなみにF1とインディカーの両方でチャンピオンを獲得したことのあるのはこの方を含めたったの4人しかいません。

Q⑦
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ヒント:こちらの対象もQ③と同様にドライバーに近付き自ら指示出しするこのお方になります。横顔とはいえこの輪郭にこの髪型って、、あの人しか思い浮かばないんだけど、、おそらくその方で正解です。今から48年前の画像なんですが、今現在と全く変わりませんね。ということは、、若くしてあの髪型におなりになったというワケです(笑)若かりし頃は自らがドライバーやメカニックを行った経験もありますが、1966年に中古のF1マシンを購入し、ドライバーを雇ってレース参戦するいわば「プライベーター」の形でF1に関わるようになります。一度資金が底をつき、撤退を余儀なくされますが77年に再びチームを立ち上げ、それが今でも続く老舗チームとなっています(ただし現在は名前だけ)79年にレガッツォーニの手により初優勝を挙げ、翌80年にはジョーンズによってチャンピオンを獲得するに至ります。今回の時代から対象が外れますが、80年代から90年代は数々の優勝とチャンピオンを重ね「最強プライベートチーム」に君臨してきました。今でこそ、、まあここまでで答えはわかりますよね(笑)ではオマケにもう一枚。
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あるドライバーと談笑しています。このドライバーは雇ったことがないのですが、この画像で一つ気になる点がありませんか?!そう、立っているんです。さっきの1枚目もそうでしたが、80年代前半まではトレードマークの一つである車椅子には乗っておらず、自ら二足歩行されていました。86年にポール・リカールから空港に向かう車で交通事故に遭い、下半身麻痺を患ってしまいました。またポール・リカールか。ちなみにクレア姉はこの画像の頃にお産まれになっています。

Q⑧
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ヒント:とても高速なF1マシンをドライブしそうもない穏やかな顔つきでいらっしゃいますが、この方もドライバーの一人です。顔だけではピンと来ないかもしれませんが、先程のQ②の方と同様に今F1を観ている方であれば、嫌でも名前は知っているはず。いや知らないわけがない!

1963年デビューのメキシコ人ドライバーです。あ、この時点でわかった人も多いと思います。モータースポーツのきっかけは二輪で57年から四輪のレースに切り替えています。この方も「兄弟F1ドライバー」の一人ですが、デビューは弟の方が早く、弟が事故死した2年後にこのお兄さんがF1参戦しています。67年開幕戦の南アフリカGPで初優勝、70年第4戦ベルギーGPで2度目の優勝を経験しますが、71年のシーズン中に参戦したスポーツカーレースでクラッシュし命を落としてしまいました。F1で奮闘して共に命を落とした勇姿を讃え、母国のサーキットにはこの兄弟のファミリーネームが名付けられました。ここまで来ればわかったも同然かと思いますが、サーキット名に使われている名前がそのままこの方の名前ではありませんので気を付けて下さいね!あくまでこの方の名前をファーストネームでお答え下さい。

Q⑨
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ヒント:この顔、どこかで見たことありませんか?!昨シーズンもF1にいましたし、今シーズンももちろんサーキットのどこかに必ずいます。当然現役のドライバーではありませんが、ほらフェルスタッペンを応援する方、角田くんを応援するファンの方、知ってなきゃ怒られちゃいますよ!オーストリア出身のF1ドライバーでマクラーレンからデビューしました。ドライバーになる前に弁護士の資格をお持ちになっています。デビュー戦となった1971年ドイツGPの成績は、、予選落ち(笑)その後B・R・M(ブリティッシュ・レーシング・モータース)から9レース参戦するも最高位は72年のモナコGP8位完走(入賞圏外)でした。何だー今偉そうにあーだこーだいう割に、ドライバーの戦績は大したことないんじゃん!なんて、口が裂けても言えぬ、、(笑)

この方の手腕は先程のQ③の方と同じく、ドライバー引退後のマネージメントの方で活かされました。母国の後輩であるベルガーやヴェンドリンガーをF1の世界に導き、今ではオーストリアのあるチームの、、目元は今でも変わらないでしょう?!確か今日4/27が誕生日だったと思います。おめでとうございます。

Q⑩
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ヒント:口髭にハンチングを被るのがトレードマーク。この時代に活躍した人でこの特徴とくればあの人しかいない!この方はドライバーの出はなくエンジニアの出です。イギリスの大学で機械工学を学び、中でも航空宇宙工学の知識は豊富であったといいます。その知識を強みに自動車メーカーを立ち上げ、F1に参入し「新たな技術」を次々と投入したことで名を馳せた方になります。
数多くある技術の中でも大当たりし、ライバル達に急速に波及したものの一つに「グラウンドエフェクト」というものがあります。マシンを「一枚の羽根」に例え、航空機の羽根を上下逆さまにした様な形状とし、フロアの後端を跳ね上げることで強力なダウンフォースを得るという技法です。見事にこの技術でライバルを圧倒し、チャンピオンを獲得したわけですが、理想的な姿勢を乱した瞬間に危険な挙動を示すことが明らかとなり、使用禁止となったものの、この技術は現代のF1においてもレギュレーションの隙を縫った形で取り入れたいと考えるデザイナーが多くおり、今後もしかしたら復活するかもしれないという話もありますね。ほか、この方のアイデアは技術面に止まらず「F1マシン自体を広告塔にしてスポンサーマネーを得よう」というものもあり、俗にいう「たばこ広告」を真っ先に取り入れた人でもあります。実に頭脳明せきのアイデアマンですね。この方はレース後のこの仕草も有名です。自らのチームが優勝すると、、
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トラック内に立ち入り
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帽子をぶん投げて喜んじゃう!(笑)今では絶対に許されない行為です。


という10問でした。今回は日本人無し。ただ現在にも何らか関わる方達が多く、ヒントはたっぷり目に、画像ヒントも少しオマケに出題してみました。いかがでしたでしょうか。答え合わせの前にぶん投げた帽子は危ないから拾っておいて下さいね!IMG_9163
投げた後、拾いに戻るのが恥ずかしいですね(笑)準備はよろしいでしょうか。答え合わせいきます。


 A①:グラハム・ヒル
 A②:カルロス・パーチェ
 A③:バーニー・エクレストン
 A④:ジャッキー・イクス
 A⑤:フランソワ・セベール
 A⑥:エマーソン・フィッティパルディ
 A⑦:フランク・ウィリアムズ
 A⑧:ペドロ・ロドリゲス
 A⑨:ヘルムート・マルコ
 A⑩:コーリン・チャップマン

この位の時代ともなると、中にはすでにお亡くなりになった方も多くなってきますね。存命の方は少しでも長生きして頂きたいなと思います。このクイズ「F1コレだれGP」も1970年代編を最終回とします。また次回、早くも新シリーズの構想を準備していますので、整いましたら出題しようと思います。IMG_9166
JH「オレ様を出題しないとは、イカれてるぜ」
NL「安心しろ、私は2回ともバーターだ」

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久々にこの企画をやります!F1の名車をクイズ形式にした「F1コレどれGP」今回は1970年代編です。miyabikunの完全に生まれる前の時代に突入します。名車は沢山ありますし、有名どころを拾い上げましたので、若いF1ファンも簡単に答えられるかもしれません。張り切ってLets go!

Q①
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ヒント:丸っこくて可愛いですよね。これでもれっきとしたF1マシンです。画像の汚さは別にしても明らかに現代のマシンとは遠くかけ離れた時代だということが想像できると思います。
目に入る楕円型のフロントウィングは戦闘機からアイデアを得て、ノーズコーン先端から1本のステーで取り付けられており、その形状から「ティートレイ」と呼ばれていました。見た目の可愛らしさと裏腹に表彰台もピーターソンの手によって数回登壇しています。

Q②
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ヒント:これまた赤のカラーリングですね。オールドカーは今に比べて赤のカラーリングが多かったように思います。このマシン、以前にこのブログの「名車シリーズ」で取り扱ったことがあります。ファンは多くいると思いますので、あまり悪くは言えないけど、カメのようなカメムシのようなぺったんこしていて決してカッコいいものではないですね(笑)ただこちらも先程の①と同様、いやそれ以上の活躍をみせ、何とチャンピオンマシンです。だからチャンピオンの歴史を辿っていけば必ずこのマシンに当たることになります。ちなみにこのチームは40年以上前の時代のこのマシン以降、たったの3人しかチャンピオンドライバーを輩出していません。名門チーム?!はたまた迷門か?!

Q③
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ヒント:あまりスポンサーロゴの入っていない白のマシンにシュトメレン?マシンの絞り込みの手がかりになりそうな文字が入っていますが、そんなことよりコクピットの前に何か付いていませんか?!ハロのようなセンターピラーが立っています。これ空力デバイスにも見えますが驚くなかれ「バックミラー」なんです。何とも個性的!現在のハロ導入時に前方視界の支障が懸念されていましたが、思いの外問題無いという結果となりましたね。後ろを見る時に「上」を見なければならないのか。ライバルが横に並んだ時は捕捉できるのでしょうか。雨天時は気流でうまい具合に雨避けになるかも(笑)
あと残念ながらこの画像で捉えられていませんが、このピラーの前には一昔前の市販ターボ車のボンネットにあったような、センターに扁平なエアインテークが設けてあるのも特徴です。あるチームのマシンをカスタマイズして作られたこのマシン、見た目だけでなく戦績もダサく短命に終わりました。

Q④
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ヒント:黄色の車体に黒のアクセント。ノーズコーンにエルフのロゴとなれば、あのチームが頭に浮かびますね。◯◯といえばエルフ!なんてフレーズをこのブログでも呪文のように度々唱えてきました。近年再びターボを搭載し、ハイブリッドパワーユニットに変貌を遂げたF1マシンではありますが、これが「ターボをF1に初めて搭載」したマシンでした。
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ターボは高出力を得られる反面、NA(自然吸気)車に比べて燃費が悪く、排熱の対策など必ずしもメリットばかりではありません。このマシンとチームは予選一発の速さはあったものの決勝リタイヤも多く、チャンピオン獲得に至らぬままターボ後発のライバル達にやられてしまいました。戦績よりも「F1界の技術向上」という意味で一役買った一台です。

Q⑤
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ヒント:ワイドで扁平な一台がピットに滑り込んできました。こちらも年代を感じさせるディテールのマシンになりますが、特徴はリヤエンドにあります。
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何だ、この四角い切妻は?!充電式?!このマシンの動力源はガスタービンです。ガスタービンは一時期新たな動力源として航空業界や鉄道業界でも試作や実用を繰り返していたもので、F1にも参入したことがありました。メーカーは航空機エンジンで今でも有名なプラット・アンド・ホイットニー(P&W)社です。インディ500とF1の両方で競争力を持つことを目標にデビューしたこのマシンですが、見てもわかる通り車重が重く、振るわぬ結果で終わっています。あともう一つ特徴を挙げるならば、四輪駆動(4WD)であった点です。今は当然ながらレギュレーションで禁止されています。

Q⑥
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ヒント:見慣れないフォルムから皆の注目を集め、ダミーグリッドに向かう一台のマシン。リヤタイヤがやけにデカく見え、フロントタイヤの存在がよくわからないけど、ちゃんと付いているのかな?!
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ああコレは!多くの説明は不要ですね。6輪車のアレです。空気抵抗を低減する目的でフロントタイヤを10インチに小径化し、フロントウィング後端からサイドポンツーンまでの高さが綺麗に揃えられています。なぜフロントタイヤを四輪にしたかというと、タイヤを小径化したことによる接地面積の低下、またブレーキ力の低下を補うためです。見た目のインパクト抜群のこのマシンの戦績はシェクターによる1勝をはじめ複数回の表彰台を獲得する好成績を挙げますが、ライバルに比べると見た目以上の成績とはいかず、2シーズンで役目を終えています。こちらも先程の⑤と同様に現在のレギュレーション「四輪に限る」からは外れてしまうため適合しません。

Q⑦
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ヒント:あまりいいカットではありませんが、とあるタバコブランドがマシンに描かれています。初期のF1マシンは今のようにスポンサーロゴやカラーが施されるのではなく「ナショナル(ネーション)カラー」と呼ばれる国を代表する色で塗り分けられるのが基本でした。例えばイギリスは緑や深緑、フランスは青、ドイツが銀、イタリアは赤、そして日本はアイボリーなどになりますが、70年代からこの先のF1界を長く支える「タバコ広告」がチラホラ現れてきます。よく見るとチーム名がガッツリ書いてあるので半分答えが明らかになっていますので、型式までをお答え下さい。あ、残念ながらマクラーレンではありませんからね(笑)

Q⑧
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ヒント:リヤはシュッとスマートなのに、フロントが何だか厚ぼったいですね。画像があまり良くなく、肝心なところが暗くて見辛くなってしまっています。ごめんなさい。フロントウィング端部に四角く大きな開口が見えます。この中にはラジエターが仕込んであります。画像のヘルメットからも分かる通り、60年代に2回のチャンピオンを獲得したG・ヒル専用車として用意されていたものの、最高位は5位1回で入賞も1回キリ。

Q⑨
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ヒント:漆黒のマシンが見事なスタートダッシュを決めています。チャンピオン獲得から久しくなったこのチームはこの年からある新技術を投入してF1界を席巻することとなりました。
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設計者(一応名前は伏せます)が航空機を研究して「上下逆さまにすればダウンフォースを得られる」ことに気付き、サイドポンツーンのフロアパネルを跳ね上げるような形状を取り入れました。そのコンセプトが功を奏し、翌年にはチャンピオンに返り咲くことに繋がりました。かの有名な「グラウンド・エフェ、、」ここまで!(笑)

Q⑩
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ヒント:明らかに違うチームのスタッフやドライバーがある赤いマシンを覗き込んでいます。一昔前まではこのようにグリッド上やガレージを偵察する様子が見られたものですが、今は珍しい光景となりました。何を見つめているかというと、。image
コレか!でも何やら蓋をされてまだ何が仕込まれているか分からない状態。このブログをご覧になっているF1ファンなら、この時点で何か分かりますよね。ラストはかなりのサービス問題。
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グレーなデバイスだと分かりつつ、レギュレーションの「拡大解釈」により実戦投入。ラウダによりデビューレースでいきなり優勝を挙げ、当然周囲から非難轟々。たった1戦で姿を消すことになりました。参戦1戦1勝、勝率100%。


以上、70年代のマシンクイズとなります。コレ以外にも実に多彩な個性を持つマシンが集まった時代です。何問答えられるでしょうか?!この方達にもチャレンジして頂きましょう!FullSizeRender
LH「くっ、クイズと聞いて急に、腹が、、」
MV「えーこんな時に?!実はクイズ苦手?!」
さあさあ、答え合わせいきますよー!

 A①:マーチ711(1971)
 A②:フェラーリ312T4(1979)
 A③:アイフェラントE21(1972)
 A④:ルノーRS01(1977)
 A⑤:ロータス56B(1971)
 A⑥:ティレルP34(1976)
 A⑦:BRM P180(1972)
 A⑧:ブラバムBT34(1971)
 A⑨:ロータス78(1977)
 A⑩:ブラバムBT46B(1978)

有名どころバッチリでしょう?!今回は簡単だったと思います。

2010年代から10年毎にみてきた名車クイズ。60年代も面白いマシンは沢山ありますが、miyabikunの知識が怪しくなってしまうため、このシリーズは今回が最終回となります。次回はまた違った形のクイズを予定しておりますのでお楽しみに!

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