前回4月の上旬に差し込んだ「F1コレだれGP」の続編、1970年編です。さあここからは日本での毎戦テレビ中継もありませんし、miyabikunも完全に生まれる前の話となり、追いかけ観戦とその知識、印象で書いていく形となります。難易度も高くなってきますが、若いF1ファンの方にもとっつきやすい方からの出題としましたので、臆することなくチャレンジしてみて下さい。
Q①
ヒント:眩しそうな目に高い鷲鼻、そして口髭。いかにもヨーロピアンで高貴な面持ちが漂っています。それもそのはず、2回のF1チャンピオンです。デビューは二十代半ばから始め、1958年からF1をドライブし、4年目にあたる62年とそこから6年後の68年にチャンピオンを獲得しました。活躍の場はF1に止まらず、スポーツカーレースや耐久レースにも参戦。F1モナコGP、インディ500、ル・マン24時間レースの全てで優勝を挙げた「唯一の世界3大レースの覇者」という輝かしい戦績を持つ者です。顔を知らずとも、そのキーワードはこの世に一人しかいませんのでかなりのヒントですね。
モータースポーツを生業とする前はボート競技を行なっていたこともあって、愛用のヘルメットは黒地に8本の白いオールが描かれたデザインを使用していました。また息子もF1ドライバーであり、父が初めてチャンピオンを獲得した35年後にこちらもF1史上初となる「親子二代のF1チャンピオン」を成し遂げています。
これらの画像は晩年の70年や73年のものですが、別チームのマシンを買い取り、プライベーターとして参戦していた頃になります。輝かしい1960年とは裏腹、チャンピオンや3大レース覇者も苦戦を強いられ、入賞すらできない日々が続きました。そして75年のシーズンオフに行われたポール・リカールでの帰路で自ら操縦する飛行機が墜落。チームのドライバーと共に命を落とし、息子のF1デビューを見届けることはできませんでした。
Q②
ヒント:3人のドライバーが表彰式で優勝者に贈られる月桂冠にところ狭しと入り込んでいます。今回のターゲットは向かって右のドライバーになります。中央と左のドライバーは皆さんもご存知ですよね。右の方はあまり見慣れないかもしれませんが、今現役でF1観戦しているファンであれば100%近く名前を知る超有名人なんです。
1972年にF1デビューを果たし、この後登場するQ⑥の方と共にまだF1発展途上であったブラジルをF1大国にしたパイオニアといえます。戦績こそQ⑥の方に遠く及びませんでしたが、唯一の優勝は何と地元のブラジルGPです。しかし参戦6年目となる77年にこちらも航空機事故により現役ドライバーの最中に命を落としてしまいます。大きな期待はされつつもチャンピオンにはなれず、優勝はたったの一度きり。以降も母国からは優秀な戦績や多くの優勝を重ねたドライバーは生まれつつも、彼の栄光を讃え、唯一優勝を挙げたサーキットは彼の名前に改称されています。
Q③
ヒント:周りの大人に比べて随分小柄な方ですね。ポケットに手を突っ込んで何やら話しています。生意気にみえますが、れっきとした大人であり、これでもチームオーナーです。横顔だけじゃわからないって?!それではこちらを向いている画像を一枚。
コクピットに座るラウダに対してこちらも何やら指示出ししています。最近はあまり見る機会は無くなりましたが、80年代くらいまでは監督やオーナーがよくコクピットに座るドライバーに顔を寄せて語りかけたり指示を出す光景がみられました。ヒントとしては「ラウダがドライブするあるチームのオーナー」ということになります。
この方自身もF1をドライブしたことがあり、1958年に2回ほど参戦しています。60年代にあるドライバーをマネージメントする立場となりF1の世界に復帰、見事にチャンピオンを獲得するまでにのし上げた経歴を持ちます。70年代に入ると、あるプライベートチームを買収してチームオーナーとなり、ラウダやピケといったドライバーを起用して80年代にしっかりチャンピオンを獲得するという敏腕っぷり。その後はさらに上のステージである「F1を統括する立場」まで上り詰めます。今も存命の方ではありますが、驚くのは髪の色や顔のハリこそ変わったものの、今でも風貌はほとんど変わりません。昨年御歳89にしてお子さんが産まれたことでも話題となりました。若いワケです。
Q④
ヒント:月桂冠を片手に表彰台から降りてくる様子です。月桂冠を受け取っているということはF1で優勝経験があるということです。ベルギー出身のこのドライバーは1967年にF1デビューし、79年まで120戦ものレース参戦し、8勝を挙げたベテランの一人です。
元々父親がモータースポーツに関する仕事をしており、それがきっかけでモータースポーツを始めたといわれています。当初は二輪で腕を鳴らし1965年から四輪に転向後、ケン・ティレルに見初められてF2をドライブする機会を得ました。昔はF1にF2マシンが混ざって行われることも多く、67年の第7戦ドイツGPでは何とF1マシンを凌ぐ速さを見せ、F1昇格を果たしています。参戦3年目の69年にランキング2位、翌70年もランキング1位がシーズン中に死去したにも関わらず2位に終わり、残念ながらチャンピオン獲得には至りませんでした。前にもこのブログで書いたことがありますが、今現役バリバリのノリスくんをみる度にこの方を思い出しています。
画像向かって右側がこの方。どことなく似ていませんか?!miyabikunだけかな。この方は今でもご存命です。
Q⑤
ヒント:こちらも表彰式での一コマ。今回は優勝した方ではなく、画像右端の方です。フランス出身で幼い頃は長きに渡りピアノを習っていたようですが、この方のお姉さんに紹介されたドライバーがきっかけでモータースポーツに勤しむようになり、父の反対を振り切りレーシングスクールに通うようになったと言われています。下位カテゴリーを着実にクリアし、Q④の方と同様にF2マシンをドライブしていると、練習を兼ねて参戦していたあるF1チャンピオンであるスチュワートの目に止まり、1970年第5戦オランダGPからF1のステップアップしています。恩人であるスチュワートと同じチームに加入すると目論見通りいい走りをし、翌71年には早くも数回の表彰台に登壇。また最終戦アメリカGPではQ④の方のリタイヤが功を奏し、F1初優勝を挙げ、将来を嘱望されるドライバーの一人となりました。ところが初優勝から2年後の73年最終戦アメリカGP予選にてコントロールを失いガードレールに激突し即死。日頃から安全面に注意を促していたにも関わらず、愛弟子を失ったスチュワートはそのレースの出走を急遽取り止め、併せてステアリングを置くきっかけにもなりました。この方も先程のQ④と同様に現役のある方をみると連想してしまいます。さて誰でしょう?!
似てねーしと言われるのも悔しいので、誰のことを言っているかはご想像にお任せします(笑)
Q⑥
ヒント:先程Q②で出てきた方と同郷の方にはなりますが、前述の通りこちらの方の方が戦績としては上です。ブラジル人初のF1チャンピオン獲得者です。実はQ⑤の2枚目の奥にもチラリと横顔が写っています。太く濃いもみあげがトレードマークです。F1デビューはQ④より2年早い1970年のロータスからでした。デビューしてわずか3シーズン目の72年に早くも25歳にしてチャンピオン獲得を果たし、これは当時の最年少記録でした(この記録は2005年にアロンソが塗り替えるまで33年間保持していました)この方の特徴は最年少記録に止まりません。F1にも稀にいる兄弟F1ドライバーであった点。甥っ子に止まらず孫までF1をドライブしています。また自ら自分のチームを立ち上げF1参戦も経験。さらにはF1と並びフォーミュラカーの頂点に君臨するインディカー(当時はCART)チャンピオンも獲得しています。ちなみにF1とインディカーの両方でチャンピオンを獲得したことのあるのはこの方を含めたったの4人しかいません。
Q⑦
ヒント:こちらの対象もQ③と同様にドライバーに近付き自ら指示出しするこのお方になります。横顔とはいえこの輪郭にこの髪型って、、あの人しか思い浮かばないんだけど、、おそらくその方で正解です。今から48年前の画像なんですが、今現在と全く変わりませんね。ということは、、若くしてあの髪型におなりになったというワケです(笑)若かりし頃は自らがドライバーやメカニックを行った経験もありますが、1966年に中古のF1マシンを購入し、ドライバーを雇ってレース参戦するいわば「プライベーター」の形でF1に関わるようになります。一度資金が底をつき、撤退を余儀なくされますが77年に再びチームを立ち上げ、それが今でも続く老舗チームとなっています(ただし現在は名前だけ)79年にレガッツォーニの手により初優勝を挙げ、翌80年にはジョーンズによってチャンピオンを獲得するに至ります。今回の時代から対象が外れますが、80年代から90年代は数々の優勝とチャンピオンを重ね「最強プライベートチーム」に君臨してきました。今でこそ、、まあここまでで答えはわかりますよね(笑)ではオマケにもう一枚。
あるドライバーと談笑しています。このドライバーは雇ったことがないのですが、この画像で一つ気になる点がありませんか?!そう、立っているんです。さっきの1枚目もそうでしたが、80年代前半まではトレードマークの一つである車椅子には乗っておらず、自ら二足歩行されていました。86年にポール・リカールから空港に向かう車で交通事故に遭い、下半身麻痺を患ってしまいました。またポール・リカールか。ちなみにクレア姉はこの画像の頃にお産まれになっています。
Q⑧
ヒント:とても高速なF1マシンをドライブしそうもない穏やかな顔つきでいらっしゃいますが、この方もドライバーの一人です。顔だけではピンと来ないかもしれませんが、先程のQ②の方と同様に今F1を観ている方であれば、嫌でも名前は知っているはず。いや知らないわけがない!
1963年デビューのメキシコ人ドライバーです。あ、この時点でわかった人も多いと思います。モータースポーツのきっかけは二輪で57年から四輪のレースに切り替えています。この方も「兄弟F1ドライバー」の一人ですが、デビューは弟の方が早く、弟が事故死した2年後にこのお兄さんがF1参戦しています。67年開幕戦の南アフリカGPで初優勝、70年第4戦ベルギーGPで2度目の優勝を経験しますが、71年のシーズン中に参戦したスポーツカーレースでクラッシュし命を落としてしまいました。F1で奮闘して共に命を落とした勇姿を讃え、母国のサーキットにはこの兄弟のファミリーネームが名付けられました。ここまで来ればわかったも同然かと思いますが、サーキット名に使われている名前がそのままこの方の名前ではありませんので気を付けて下さいね!あくまでこの方の名前をファーストネームでお答え下さい。
Q⑨
ヒント:この顔、どこかで見たことありませんか?!昨シーズンもF1にいましたし、今シーズンももちろんサーキットのどこかに必ずいます。当然現役のドライバーではありませんが、ほらフェルスタッペンを応援する方、角田くんを応援するファンの方、知ってなきゃ怒られちゃいますよ!オーストリア出身のF1ドライバーでマクラーレンからデビューしました。ドライバーになる前に弁護士の資格をお持ちになっています。デビュー戦となった1971年ドイツGPの成績は、、予選落ち(笑)その後B・R・M(ブリティッシュ・レーシング・モータース)から9レース参戦するも最高位は72年のモナコGP8位完走(入賞圏外)でした。何だー今偉そうにあーだこーだいう割に、ドライバーの戦績は大したことないんじゃん!なんて、口が裂けても言えぬ、、(笑)
この方の手腕は先程のQ③の方と同じく、ドライバー引退後のマネージメントの方で活かされました。母国の後輩であるベルガーやヴェンドリンガーをF1の世界に導き、今ではオーストリアのあるチームの、、目元は今でも変わらないでしょう?!確か今日4/27が誕生日だったと思います。おめでとうございます。
Q⑩
ヒント:口髭にハンチングを被るのがトレードマーク。この時代に活躍した人でこの特徴とくればあの人しかいない!この方はドライバーの出はなくエンジニアの出です。イギリスの大学で機械工学を学び、中でも航空宇宙工学の知識は豊富であったといいます。その知識を強みに自動車メーカーを立ち上げ、F1に参入し「新たな技術」を次々と投入したことで名を馳せた方になります。
Q①
ヒント:眩しそうな目に高い鷲鼻、そして口髭。いかにもヨーロピアンで高貴な面持ちが漂っています。それもそのはず、2回のF1チャンピオンです。デビューは二十代半ばから始め、1958年からF1をドライブし、4年目にあたる62年とそこから6年後の68年にチャンピオンを獲得しました。活躍の場はF1に止まらず、スポーツカーレースや耐久レースにも参戦。F1モナコGP、インディ500、ル・マン24時間レースの全てで優勝を挙げた「唯一の世界3大レースの覇者」という輝かしい戦績を持つ者です。顔を知らずとも、そのキーワードはこの世に一人しかいませんのでかなりのヒントですね。
モータースポーツを生業とする前はボート競技を行なっていたこともあって、愛用のヘルメットは黒地に8本の白いオールが描かれたデザインを使用していました。また息子もF1ドライバーであり、父が初めてチャンピオンを獲得した35年後にこちらもF1史上初となる「親子二代のF1チャンピオン」を成し遂げています。
これらの画像は晩年の70年や73年のものですが、別チームのマシンを買い取り、プライベーターとして参戦していた頃になります。輝かしい1960年とは裏腹、チャンピオンや3大レース覇者も苦戦を強いられ、入賞すらできない日々が続きました。そして75年のシーズンオフに行われたポール・リカールでの帰路で自ら操縦する飛行機が墜落。チームのドライバーと共に命を落とし、息子のF1デビューを見届けることはできませんでした。
Q②
ヒント:3人のドライバーが表彰式で優勝者に贈られる月桂冠にところ狭しと入り込んでいます。今回のターゲットは向かって右のドライバーになります。中央と左のドライバーは皆さんもご存知ですよね。右の方はあまり見慣れないかもしれませんが、今現役でF1観戦しているファンであれば100%近く名前を知る超有名人なんです。
1972年にF1デビューを果たし、この後登場するQ⑥の方と共にまだF1発展途上であったブラジルをF1大国にしたパイオニアといえます。戦績こそQ⑥の方に遠く及びませんでしたが、唯一の優勝は何と地元のブラジルGPです。しかし参戦6年目となる77年にこちらも航空機事故により現役ドライバーの最中に命を落としてしまいます。大きな期待はされつつもチャンピオンにはなれず、優勝はたったの一度きり。以降も母国からは優秀な戦績や多くの優勝を重ねたドライバーは生まれつつも、彼の栄光を讃え、唯一優勝を挙げたサーキットは彼の名前に改称されています。
Q③
ヒント:周りの大人に比べて随分小柄な方ですね。ポケットに手を突っ込んで何やら話しています。生意気にみえますが、れっきとした大人であり、これでもチームオーナーです。横顔だけじゃわからないって?!それではこちらを向いている画像を一枚。
コクピットに座るラウダに対してこちらも何やら指示出ししています。最近はあまり見る機会は無くなりましたが、80年代くらいまでは監督やオーナーがよくコクピットに座るドライバーに顔を寄せて語りかけたり指示を出す光景がみられました。ヒントとしては「ラウダがドライブするあるチームのオーナー」ということになります。
この方自身もF1をドライブしたことがあり、1958年に2回ほど参戦しています。60年代にあるドライバーをマネージメントする立場となりF1の世界に復帰、見事にチャンピオンを獲得するまでにのし上げた経歴を持ちます。70年代に入ると、あるプライベートチームを買収してチームオーナーとなり、ラウダやピケといったドライバーを起用して80年代にしっかりチャンピオンを獲得するという敏腕っぷり。その後はさらに上のステージである「F1を統括する立場」まで上り詰めます。今も存命の方ではありますが、驚くのは髪の色や顔のハリこそ変わったものの、今でも風貌はほとんど変わりません。昨年御歳89にしてお子さんが産まれたことでも話題となりました。若いワケです。
Q④
ヒント:月桂冠を片手に表彰台から降りてくる様子です。月桂冠を受け取っているということはF1で優勝経験があるということです。ベルギー出身のこのドライバーは1967年にF1デビューし、79年まで120戦ものレース参戦し、8勝を挙げたベテランの一人です。
元々父親がモータースポーツに関する仕事をしており、それがきっかけでモータースポーツを始めたといわれています。当初は二輪で腕を鳴らし1965年から四輪に転向後、ケン・ティレルに見初められてF2をドライブする機会を得ました。昔はF1にF2マシンが混ざって行われることも多く、67年の第7戦ドイツGPでは何とF1マシンを凌ぐ速さを見せ、F1昇格を果たしています。参戦3年目の69年にランキング2位、翌70年もランキング1位がシーズン中に死去したにも関わらず2位に終わり、残念ながらチャンピオン獲得には至りませんでした。前にもこのブログで書いたことがありますが、今現役バリバリのノリスくんをみる度にこの方を思い出しています。
画像向かって右側がこの方。どことなく似ていませんか?!miyabikunだけかな。この方は今でもご存命です。
Q⑤
ヒント:こちらも表彰式での一コマ。今回は優勝した方ではなく、画像右端の方です。フランス出身で幼い頃は長きに渡りピアノを習っていたようですが、この方のお姉さんに紹介されたドライバーがきっかけでモータースポーツに勤しむようになり、父の反対を振り切りレーシングスクールに通うようになったと言われています。下位カテゴリーを着実にクリアし、Q④の方と同様にF2マシンをドライブしていると、練習を兼ねて参戦していたあるF1チャンピオンであるスチュワートの目に止まり、1970年第5戦オランダGPからF1のステップアップしています。恩人であるスチュワートと同じチームに加入すると目論見通りいい走りをし、翌71年には早くも数回の表彰台に登壇。また最終戦アメリカGPではQ④の方のリタイヤが功を奏し、F1初優勝を挙げ、将来を嘱望されるドライバーの一人となりました。ところが初優勝から2年後の73年最終戦アメリカGP予選にてコントロールを失いガードレールに激突し即死。日頃から安全面に注意を促していたにも関わらず、愛弟子を失ったスチュワートはそのレースの出走を急遽取り止め、併せてステアリングを置くきっかけにもなりました。この方も先程のQ④と同様に現役のある方をみると連想してしまいます。さて誰でしょう?!
似てねーしと言われるのも悔しいので、誰のことを言っているかはご想像にお任せします(笑)
Q⑥
ヒント:先程Q②で出てきた方と同郷の方にはなりますが、前述の通りこちらの方の方が戦績としては上です。ブラジル人初のF1チャンピオン獲得者です。実はQ⑤の2枚目の奥にもチラリと横顔が写っています。太く濃いもみあげがトレードマークです。F1デビューはQ④より2年早い1970年のロータスからでした。デビューしてわずか3シーズン目の72年に早くも25歳にしてチャンピオン獲得を果たし、これは当時の最年少記録でした(この記録は2005年にアロンソが塗り替えるまで33年間保持していました)この方の特徴は最年少記録に止まりません。F1にも稀にいる兄弟F1ドライバーであった点。甥っ子に止まらず孫までF1をドライブしています。また自ら自分のチームを立ち上げF1参戦も経験。さらにはF1と並びフォーミュラカーの頂点に君臨するインディカー(当時はCART)チャンピオンも獲得しています。ちなみにF1とインディカーの両方でチャンピオンを獲得したことのあるのはこの方を含めたったの4人しかいません。
Q⑦
ヒント:こちらの対象もQ③と同様にドライバーに近付き自ら指示出しするこのお方になります。横顔とはいえこの輪郭にこの髪型って、、あの人しか思い浮かばないんだけど、、おそらくその方で正解です。今から48年前の画像なんですが、今現在と全く変わりませんね。ということは、、若くしてあの髪型におなりになったというワケです(笑)若かりし頃は自らがドライバーやメカニックを行った経験もありますが、1966年に中古のF1マシンを購入し、ドライバーを雇ってレース参戦するいわば「プライベーター」の形でF1に関わるようになります。一度資金が底をつき、撤退を余儀なくされますが77年に再びチームを立ち上げ、それが今でも続く老舗チームとなっています(ただし現在は名前だけ)79年にレガッツォーニの手により初優勝を挙げ、翌80年にはジョーンズによってチャンピオンを獲得するに至ります。今回の時代から対象が外れますが、80年代から90年代は数々の優勝とチャンピオンを重ね「最強プライベートチーム」に君臨してきました。今でこそ、、まあここまでで答えはわかりますよね(笑)ではオマケにもう一枚。
あるドライバーと談笑しています。このドライバーは雇ったことがないのですが、この画像で一つ気になる点がありませんか?!そう、立っているんです。さっきの1枚目もそうでしたが、80年代前半まではトレードマークの一つである車椅子には乗っておらず、自ら二足歩行されていました。86年にポール・リカールから空港に向かう車で交通事故に遭い、下半身麻痺を患ってしまいました。またポール・リカールか。ちなみにクレア姉はこの画像の頃にお産まれになっています。
Q⑧
ヒント:とても高速なF1マシンをドライブしそうもない穏やかな顔つきでいらっしゃいますが、この方もドライバーの一人です。顔だけではピンと来ないかもしれませんが、先程のQ②の方と同様に今F1を観ている方であれば、嫌でも名前は知っているはず。いや知らないわけがない!
1963年デビューのメキシコ人ドライバーです。あ、この時点でわかった人も多いと思います。モータースポーツのきっかけは二輪で57年から四輪のレースに切り替えています。この方も「兄弟F1ドライバー」の一人ですが、デビューは弟の方が早く、弟が事故死した2年後にこのお兄さんがF1参戦しています。67年開幕戦の南アフリカGPで初優勝、70年第4戦ベルギーGPで2度目の優勝を経験しますが、71年のシーズン中に参戦したスポーツカーレースでクラッシュし命を落としてしまいました。F1で奮闘して共に命を落とした勇姿を讃え、母国のサーキットにはこの兄弟のファミリーネームが名付けられました。ここまで来ればわかったも同然かと思いますが、サーキット名に使われている名前がそのままこの方の名前ではありませんので気を付けて下さいね!あくまでこの方の名前をファーストネームでお答え下さい。
Q⑨
ヒント:この顔、どこかで見たことありませんか?!昨シーズンもF1にいましたし、今シーズンももちろんサーキットのどこかに必ずいます。当然現役のドライバーではありませんが、ほらフェルスタッペンを応援する方、角田くんを応援するファンの方、知ってなきゃ怒られちゃいますよ!オーストリア出身のF1ドライバーでマクラーレンからデビューしました。ドライバーになる前に弁護士の資格をお持ちになっています。デビュー戦となった1971年ドイツGPの成績は、、予選落ち(笑)その後B・R・M(ブリティッシュ・レーシング・モータース)から9レース参戦するも最高位は72年のモナコGP8位完走(入賞圏外)でした。何だー今偉そうにあーだこーだいう割に、ドライバーの戦績は大したことないんじゃん!なんて、口が裂けても言えぬ、、(笑)
この方の手腕は先程のQ③の方と同じく、ドライバー引退後のマネージメントの方で活かされました。母国の後輩であるベルガーやヴェンドリンガーをF1の世界に導き、今ではオーストリアのあるチームの、、目元は今でも変わらないでしょう?!確か今日4/27が誕生日だったと思います。おめでとうございます。
Q⑩
ヒント:口髭にハンチングを被るのがトレードマーク。この時代に活躍した人でこの特徴とくればあの人しかいない!この方はドライバーの出はなくエンジニアの出です。イギリスの大学で機械工学を学び、中でも航空宇宙工学の知識は豊富であったといいます。その知識を強みに自動車メーカーを立ち上げ、F1に参入し「新たな技術」を次々と投入したことで名を馳せた方になります。
数多くある技術の中でも大当たりし、ライバル達に急速に波及したものの一つに「グラウンドエフェクト」というものがあります。マシンを「一枚の羽根」に例え、航空機の羽根を上下逆さまにした様な形状とし、フロアの後端を跳ね上げることで強力なダウンフォースを得るという技法です。見事にこの技術でライバルを圧倒し、チャンピオンを獲得したわけですが、理想的な姿勢を乱した瞬間に危険な挙動を示すことが明らかとなり、使用禁止となったものの、この技術は現代のF1においてもレギュレーションの隙を縫った形で取り入れたいと考えるデザイナーが多くおり、今後もしかしたら復活するかもしれないという話もありますね。ほか、この方のアイデアは技術面に止まらず「F1マシン自体を広告塔にしてスポンサーマネーを得よう」というものもあり、俗にいう「たばこ広告」を真っ先に取り入れた人でもあります。実に頭脳明せきのアイデアマンですね。この方はレース後のこの仕草も有名です。自らのチームが優勝すると、、
トラック内に立ち入り
帽子をぶん投げて喜んじゃう!(笑)今では絶対に許されない行為です。
という10問でした。今回は日本人無し。ただ現在にも何らか関わる方達が多く、ヒントはたっぷり目に、画像ヒントも少しオマケに出題してみました。いかがでしたでしょうか。答え合わせの前にぶん投げた帽子は危ないから拾っておいて下さいね!
投げた後、拾いに戻るのが恥ずかしいですね(笑)準備はよろしいでしょうか。答え合わせいきます。
A①:グラハム・ヒル
A②:カルロス・パーチェ
A③:バーニー・エクレストン
A④:ジャッキー・イクス
A⑤:フランソワ・セベール
A⑥:エマーソン・フィッティパルディ
A⑦:フランク・ウィリアムズ
A⑧:ペドロ・ロドリゲス
A⑨:ヘルムート・マルコ
A⑩:コーリン・チャップマン
この位の時代ともなると、中にはすでにお亡くなりになった方も多くなってきますね。存命の方は少しでも長生きして頂きたいなと思います。このクイズ「F1コレだれGP」も1970年代編を最終回とします。また次回、早くも新シリーズの構想を準備していますので、整いましたら出題しようと思います。
JH「オレ様を出題しないとは、イカれてるぜ」
NL「安心しろ、私は2回ともバーターだ」
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帽子をぶん投げて喜んじゃう!(笑)今では絶対に許されない行為です。
という10問でした。今回は日本人無し。ただ現在にも何らか関わる方達が多く、ヒントはたっぷり目に、画像ヒントも少しオマケに出題してみました。いかがでしたでしょうか。答え合わせの前にぶん投げた帽子は危ないから拾っておいて下さいね!
投げた後、拾いに戻るのが恥ずかしいですね(笑)準備はよろしいでしょうか。答え合わせいきます。
A①:グラハム・ヒル
A②:カルロス・パーチェ
A③:バーニー・エクレストン
A④:ジャッキー・イクス
A⑤:フランソワ・セベール
A⑥:エマーソン・フィッティパルディ
A⑦:フランク・ウィリアムズ
A⑧:ペドロ・ロドリゲス
A⑨:ヘルムート・マルコ
A⑩:コーリン・チャップマン
この位の時代ともなると、中にはすでにお亡くなりになった方も多くなってきますね。存命の方は少しでも長生きして頂きたいなと思います。このクイズ「F1コレだれGP」も1970年代編を最終回とします。また次回、早くも新シリーズの構想を準備していますので、整いましたら出題しようと思います。
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