F1 えきぞーすとのーと

よくあるニュースネタやこ難しいテクニカルな話ではなく、メインは予選や決勝のTV観戦したそのものを個人的観点から綴るF1ブログです。  また、懐かしのマシンやレースを振り返ったり、記録やデータからF1を分析。その他ミニカーやグッズ集めも好きなので、それらを絡めつつ広く深くアツくF1の面白さやすごさを発信し、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

タグ:鈴鹿

image
取り扱うこと最多の11戦目、なんちゃって日本GPとして今回振り返るのは、、1988年の日本GPです。えへへ、例のアレですよ。まだ振り返っていなかったんですよね。いつかのためにずっと温めてきました。このレースでF1が好きになった方も多いのではないでしょうか。これまで100戦以上振り返ってきたこのシリーズで88年のレースを取り扱うのは実は今回初となります。何せ「あるチーム」ばかりが勝ったシーズンでしたからね、ある方からみれば「神シーズン」だったことでしょうし、またある方からすれば呆れる程悔しく退屈なシーズンも無かったことと思います。

88年シーズンを簡単におさらいしますと、F1に急激な大出力をもたらしてきた「ターボエンジン」の最終年となりました。翌89年からは完全に自然吸気(NA)エンジンで揃えられることが事前に決定しており、この88年でターボを搭載する場合は前年87年の過給圧の半分となる2.5バール、さらにはガソリンはNAエンジンに比べて50ℓ少ない150ℓに制限をされるという条件付きでした。もちろんこの年から前倒しのNAエンジンで参戦することも可能でしたが、全般的にターボを搭載したマシンが上位に名を連ねました。この第15戦日本GPを迎えるにあたり、第12戦イタリアGPを除いた13戦でホンダエンジンを搭載したマクラーレンが優勝してしまうというとんでもない流れでシーズンが進んでいます。今でこそメルセデスの常勝に慣れて何だか麻痺してしまっていますが、当時はここまで偏りのあるシーズンはありませんでしたので、とても異様であり、F1をよく知らない方でも「マクラーレン、セナ、ホンダ」という固有名詞が広く知れ渡った時代でもあります。日本GPはシーズン終盤の15戦目ですので当然ながらこの時点でマクラーレンのコンストラクターズチャンピオンは決定しています。あとまだ決まっていないもの、それはドライバーズチャンピオンです。チャンピオン経験のあるエースのプロストはここまで6勝で84ポイント。未だチャンピオンが無くロータスからマクラーレンに移籍したセナは7勝の79ポイントと、この日本GPの結果如何でチャンピオンが決定するという緊迫したレースとなりました。

image
予選は直前のポルトガルGPとスペインGPを制して波に乗るプロストをセナが0.3秒上回り、鈴鹿で初のポールポジションを獲得。3番手には前年の鈴鹿の覇者であるフェラーリのベルガーが座りました。セナの元相方、ロータスに居残る中嶋悟は新相方ピケとサードロウに並ぶ形の6番手。そしてローラから急遽代走が決まり鈴鹿がF1初レースとなる鈴木亜久里は20番手スタートとなりました。
image

《予選結果》
 1 A・セナ  (マクラーレン・H)
 2 A・プロスト(マクラーレン・H)
 3 G・ベルガー(フェラーリ・F)
 ※タイヤはグッドイヤーのワンメイク

決勝前に小雨降り、路面はライトウェット状態となりますが、全車がドライタイヤで臨んでいます。
image
ポールポジションのセナは痛恨のエンジンストール。image
遅れて発進するもスタートでいきなり14位まで後退してしまいました。これで鈴鹿初優勝もチャンピオン争いもお手上げ状態か。
image
セナともう一人、6番手スタートの中嶋も地味に失敗し、順位をかなり落としています。

image
プロストにとってはレースもチャンピオン争いもだいぶ楽になりました。後ろにピタリとつく前年覇者のベルガーはいつも通り気にせず淡々とあしらっておけばいい。image
セナは1周目に8位まで順位を上げ、ターゲットに離される前にリカバリーしておきたいところ。2周目はフェラーリのアルボレート、ベネトンのブーツェンに続く6位。image
この画面いっぱいの順位表示、懐かしいですよね。この頃はフジテレビが自由に画面表示できていた古き良き時代です。3周目にブーツェン、4周目にアルボレートと、1ラップ毎に一つずつ順位を上げています。

image
トップをひた走るプロストから徐々に離され始めたベルガーの背後に水色のマシンが迫っています。若き「空力の奇才」エイドリアン・ニューウェイのデザインでNAエンジンを搭載し、4番手スタートとなったマーチのカペリです。ターボエンジンを搭載するフェラーリがまさか格下のNAエンジンに攻め立てられるなんて、あまり疑っている暇は無さそう。image
ストレートでスリップストリームに入り、第1コーナーをインから奪って2位浮上。image

image
11周目にセナもベルガーを捉えて、早くもプロストまでは11秒差の3位まで復帰しています。さらに勢いおさまらぬカペリもプロストとの差が1秒を切り始めました。このあたりから周回遅れとコンタクトするタイミングとなり、これはプロストもペースアップが必要です。ただプロストが苦手とする雨が降り始め、さらにはギヤボックスに不調の兆しが出始めています。
image

image
15周目の終わり、カペリが来たぞー!先程のベルガーと同様の作戦で最強マシンに襲いかかる!
image
抜いたか?!
image
セナに抜かれるよりはマシだけど、プロストも意地があります。インを守り切る。

image
プロスト、カペリが至近戦を繰り広げている間に、セナの姿がチラホラ映り込む距離に近付いてきています。とんでもないスピードでカペリに追い付きました。image
20周に入る頃、カペリのエンジンが不調をきたし、コントロールライン付近にマシンを止めてしまいます。うーん、惜しかった。金星とはいきませんでしたが、誇らしき殊勲賞モノです。

となると、自動的にセナが2位に繰り上がり、20周遅れのセナプロによるチャンピオン争奪直接対決が始まります。
image
image
プロストも尻に火がつきファステストラップで逃げを打つ。チャンピオンになりたければとにかく「勝ちゃあいい」単純明快。
image
レースも折り返しとなり、周回遅れが連なる28周目にセナがいよいよ戦闘モードに入ります。
image
image
メインストレートでイン側にはみ出しながら強引に前へ。セナ逆転!image

スタートのミスにより一旦14位まで順位を落とし、チャンピオンを諦めたのも束の間。レースが始まれば猛追撃をみせて、まるで何事も無かったかのようなポールトゥウィンを演じました。日本人ドライバーの中嶋は惜しくも7位で入賞ならず。またデビューレースの鈴木は16位完走で終えています。

image
《決勝結果》
 1 A・セナ   (マクラーレン・H)
 2 A・プロスト (マクラーレン・H)
 3 T・ブーツェン(ベネトン・Fo)
 ※Foはフォード

image
最終ラップの最終コーナーを過ぎると小さく右手でガッツポーズ。セナはブラジルの反対側、ホンダエンジンの地元鈴鹿で初のチャンピオンを獲得。
image
ロン・デニスやデザイナーのゴードン・マーレーも笑みが溢れます。image
ウイニングランでバイザーを上げるセナ。嬉しさで涙ぐむ様子と同時に、最強マシンで繰り広げたプロストとの激戦の終局に安堵の表情も読み取れます。ここから日本のみならず世界のF1ファンを虜にした「マクラーレン・ホンダ伝説」が始まりました。

にほんブログ村 車ブログ F1へ
にほんブログ村
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

日が短く肌寒い時期になると日本GPの到来を感じます。しかし残念ながら今年はお預け。ドイツのニュルブルクリンクで行われる「アイフェルGP」が急遽代理開催されます。今シーズンのGPウィーク直前にみてきた開催サーキットの歴代ポールポジションタイム推移ですが、ニュルブルクリンクについては先日のバクー市街地を取り扱った際に勢い余って一緒にやってしまっていました。だってまさかニュルブルクリンクでF1が行われると思わなかったんだもん。。
IMG_3622
IMG_3623(これはその際に作成、掲載したグラフの転記)
となればやっぱりこのタイミングでやるのが一番!日本GPが無いなら頭の中で妄想すればいい(笑)我らが鈴鹿サーキットの歴代ポールポジションをみていきましょうよ。

image
《鈴鹿の基本情報》
    全長   :5.859km(1987〜90)
       5.864km(1991〜01)
       5.821km(2002)
       5.807km(2003〜)
 コーナー数:18箇所(2003〜)
   開催回数  :31回

日本GP、鈴鹿サーキットとなればmiyabikunよりも詳しい方は山程いらっしゃると思います。他のサーキットと同様に今回もチラッと概要を一応記しておくと、本田技研工業によって日本初となる本格的な舗装サーキットとして1962年に開設されたサーキットになります。世界のトップグレードのサーキットでも珍しい「8の字」を描くレイアウトで1987年から2年の空白期間を経つつ、現在まで日本GPの舞台を担っています。起伏に富んだ地形に高速、複合コーナー、そしてシケインを有す難易度の高さもあって、F1カレンダーの中でも「ドライバーズサーキット」の一つとしてファンのみならずドライバーや関係者からも人気のサーキットでもあります。ただ日本はヨーロッパからの遠隔地ということもあり、毎年9月末から10月頃の開催とシーズン終盤に設定されるため、時には台風の直撃、また時にはチャンピオン決定の舞台として、今までのF1に多くの試練と感動を与えてくれました。また空白期間となっている07,08年の2年はトヨタ系の富士スピードウェイでの日本GP開催により鈴鹿での連続開催が一旦途絶えています。
今のところ鈴鹿での日本GPは来年2021年までの契約となっていますので、何事も無ければ来シーズンは鈴鹿でF1は行われるはずです。しかしその先が怪しい雲行きになってきましたね。「あちらもこちらも揃って21年限り」とならなければいいのですが。「大阪万博」まではまだかなり時間があるし、もしそうなったらそちらを前倒しにしちゃいますか?!(笑)
サーキットレイアウトの変更は数回あるものの、基本の形は大きく変わりません。前に作図したもので確認しておきます。
image
 ・1987〜90年 5.859km 水色(オリジナル)
 ・1991〜01年 5.864km 赤色(シケイン改良)
 ・2003〜現在 5.807km 黒色(130R改良)

91年に当時「カシオ・トライアングル」と呼ばれた速度抑制のシケイン形状が変わり、若干距離が伸びました。また近年03年に超高速左コーナー「130R」が改良され、今や130Rではない複合コーナーとなって現在に至ります。近年とはいいつつも、もう18年間同じレイアウトが保たれているということ。大きな変更が無いという時点で、オリジナルレイアウトは現代にも通用する完成度の高さであったといえますが、欲を言えば幅員の狭さやパッシングポイントが現代にはやや物足りないものになっています。

《鈴鹿の予選P.P.タイム変遷》
 87 5.859km 1分40秒042 ベルガー
 88 5.859km 1分41秒853 セナ
 89 5.859km 1分38秒041 セナ
 90 5.859km 1分36秒996 セナ
 91 5.864km 1分34秒700 ベルガー
 92 5.864km 1分37秒360 マンセル
 93 5.864km 1分37秒154 プロスト
 94 5.864km 1分37秒209 Mシューマッハ
 95 5.864km 1分38秒023 Mシューマッハ
 96 5.864km 1分38秒909 Jヴィルヌーブ
 97 5.864km 1分36秒071 Jヴィルヌーブ
 98 5.864km 1分36秒293 Mシューマッハ
 99 5.864km 1分37秒470 Mシューマッハ
 00 5.864km 1分35秒825 Mシューマッハ
 01 5.864km 1分32秒484 Mシューマッハ
 02 5.821km 1分31秒317 Mシューマッハ
 03 5.807km 1分31秒713 Rシューマッハ
 04 5.807km 1分33秒542 Mシューマッハ
 05 5.807km 1分46秒106 Rシューマッハ
 06 5.807km 1分29秒599 マッサ
 07
 08 
 09 5.807km 1分32秒160 ベッテル
 10 5.807km 1分30秒785 ベッテル
 11 5.807km 1分30秒466 ベッテル
 12 5.807km 1分30秒839 ベッテル
 13 5.807km 1分30秒915 ウェバー
 14 5.807km 1分32秒506 Nロズベルグ
 15 5.807km 1分32秒584 Nロズベルグ
 16 5.807km 1分30秒647 Nロズベルグ
 17 5.807km 1分27秒319 ハミルトン
 18 5.807km 1分27秒760 ハミルトン
 19 5.807km 1分27秒064 ベッテル

image
まずはいつものポールポジションタイムをみていきましょう。当初は5.8kmで1分40秒を要していたラップタイムも30年で13秒削る1分30秒かからないところまでF1は進化しました。ポールポジションを獲得した面々をみてもチャンピオン級のビッグネームが多く、同じドライバーが複数回登場するなど「得意不得意」が表れています。
飛び出たタイムをみると、開催2年目、時はちょうど「マクラーレン、ホンダ、セナ」にわく88年はターボの過給圧が2.5バールに制限されて1.8秒の遅れがみられています。無敵を誇るマクラーレンMP4/4ではありますが、過給圧低下は起伏のある鈴鹿においては不利側に働きました。またグラフ中央付近にそびえる05年の1分46秒106は記憶にある方も多いと思います。鈴鹿泣かせの一つである「雨」でしたね。当時の予選方式は今とは異なり「前戦の成績の悪い順に1本だけ走る」というもので、予選が進めば進むほど雨足が強くなったため、シーズン上位のドライバーがこぞって後方スタートという、まるで「リバースグリッド」のような状態でした。それが決勝レースをいつも以上に盛り上げ、面白く演出したというのも皮肉な話です。この年のドライ環境では当時マクラーレンの代走デ・ラ・ロサがフリー走行1回目で1分30秒532で走破。また決勝の最終周で劇的勝利を手にしたライコネンはその最終周で前年のポールポジションを上回る1分31秒540というファステストラップを記録しています。そのタイムは昨年19年のハミルトンが塗り替えるまで14年に渡って最速を保持していました。これだけのマシンの性能をここまで低下させてしまう雨はF1にとって天敵であり、ライバルとイコールコンディションを生みます。
鈴鹿の最速ポールポジションタイムとして長らく定着していたのは91年にマクラーレンを駆るベルガーが記録した1分34秒700が有名でした。ホンダ3.5ℓV12のNAエンジンで打ち立てたその記録を初めて抜いたのが、10年後となる01年のM・シューマッハのフェラーリ3.0ℓV10エンジンで1分32秒484でした。さらにNAエンジンでの最速はその5年後の2.4ℓV8のマッサによる1分29秒599となります。排気量が小さくコンパクトなエンジンを高回転に回せた方が速いラップを刻めたということですね。もちろんエンジンだけの問題ではなく、ボディワークも洗練され、迅速なコーナリングができるようになったのも強力な後ろ盾になりました。ちなみに同じ06年のQ2でのM・シューマッハはマッサをも上回る1分28秒954で走破しています。
近年3年は鈴鹿においても例外無くタイム向上が著しく、台風により「日曜予選」となった19年の眉唾モノのベッテルによって記録された1分27秒064が現在の鈴鹿最速タイムとなります。今シーズンがもし健全に、ドライ環境で行われていれば1分26秒台も夢ではありませんでしたね。もちろん「黒いチーム」で。
FullSizeRender

《鈴鹿の予選P.P.平均速度変遷》
 87 5.859km 210.8km/h 100%    ベルガー
 88 5.859km 207.1km/h   98.2% セナ
 89 5.859km 215.1km/h 102.0% セナ
 90 5.859km 217.5km/h 103.1% セナ
 91 5.864km 222.9km/h 105.7% ベルガー
 92 5.864km 216.8km/h 102.8% マンセル
 93 5.864km 217.3km/h 103.1% プロスト
 94 5.864km 217.2km/h 103.0% Mシューマッハ
 95 5.864km 215.4km/h 102.1% Mシューマッハ
 96 5.864km 213.4km/h 101.2% Jヴィルヌーブ
 97 5.864km 219.7km/h 104.2% Jヴィルヌーブ
 98 5.864km 219.2km/h 104.0% Mシューマッハ
 99 5.864km 216.6km/h 102.7% Mシューマッハ
 00 5.864km 220.3km/h 104.5% Mシューマッハ
 01 5.864km 228.3km/h 108.3% Mシューマッハ
 02 5.821km 229.5km/h 108.8% Mシューマッハ
 03 5.807km 227.9km/h 108.1% Rシューマッハ
 04 5.807km 223.5km/h 106.0% Mシューマッハ
 05 5.807km 197.0km/h   93.4% Rシューマッハ
 06 5.807km 233.3km/h 110.7% マッサ
 07
 08 
 09 5.807km 226.8km/h 107.6% ベッテル
 10 5.807km 230.3km/h 109.2% ベッテル
 11 5.807km 231.1km/h 109.6% ベッテル
 12 5.807km 230.1km/h 109.2% ベッテル
 13 5.807km 229.9km/h 109.1% ウェバー
 14 5.807km 226.0km/h 107.2% Nロズベルグ
 15 5.807km 225.8km/h 107.1% Nロズベルグ
 16 5.807km 230.6km/h 109.4% Nロズベルグ
 17 5.807km 239.4km/h 113.6% ハミルトン
 18 5.807km 238.2km/h 113.0% ハミルトン
 19 5.807km 240.1km/h 113.9% ベッテル

image
平均速度変換するとこうなります。当初の鈴鹿の速度域は210km/hを超えるあたりと、当時でいうニュルブルクリンク(GPコース)やポールリカール(ショートコース)、現在のハンガロリンクに相当する中速域にありました。それが年々速度を上げ、02年のV10NA時代で230km/h弱、20,000回転近くまで回せる06年V8NA時代では230km/hを超えるところまで上昇し、一般的に高速の位置付けである当時のシルバーストンに匹敵するまでになりました。昨年が最速となるハイブリッドターボ時代の240km/hは現在のシルバーストンやスパ・フランコルシャンには及ばないものの、起伏があり、幅員やレコードラインが狭い中でこれだけの速度域となることを考えると、鈴鹿でのラップは容易なものでなく、世界屈指の難サーキットであることが想像できますね。

image
皆さん、今週末は間違って鈴鹿に行かないようにして下さいね!Go ToもF1も残念ですが対象外ですよー(笑)

にほんブログ村 車ブログ F1へ
にほんブログ村
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

前回はフーゲンホルツの略歴と手がけたサーキットについてみてきました。今回はその中でも「日本との関わり」についてクローズアップしていきます。

《鈴鹿サーキット建設計画の変遷》
IMG_3020
世界から一歩遅れた形となった日本も戦後は高度成長期に突入し、自動車やバイクなどの輸送機器の発達や需要も加速していきました。本田技研工業は現存する自動車メーカーの中では後釜であり、その頃はまだバイクをメインとしていました。1959年に参戦した「マン島TTレース」を皮切りに本田技研工業の創始者、本田宗一郎は「国内に本格的なサーキットを建設したい」という野望を抱くようになります。

建設地の条件には
 ・大都市から遠く離れていないこと
 ・コース設計に適した自然環境があること
 ・近隣住民との折衝が円滑に行えること

が掲げられ、いくつかの候補地が選定されました。候補に挙がったのは水戸(茨城県)、既にダートコースが設営されていた浅間(群馬県)、ライバルのヤマハも近くホンダの技術研究所も近い浜松(静岡県)、亀山とスーパーカブの生産工場を建てたばかりの鈴鹿(三重県)、そして亀山から峠を越えたお隣の土山(滋賀県)の6つでした。
そこから「亀山」「鈴鹿」「土山」の3箇所に絞られます。亀山は既に宅地化されている地区の用地取得が必要であること。土山は国道や鉄道などの交通の便に難があるため却下。そこで起伏と平地を兼ね備えつつ工場建設で地域と良好な関係を築けていたことから、鈴鹿で決定したと言われています。60年(昭和35年)1月に描かれた鈴鹿レーシングコース建設計画にはこのようなレイアウトでした。IMG_3018
鈴鹿という名は同じですが、現在の形からは想像できないレイアウトです。それもこれは現在の位置から少し離れています。
IMG_3019
冒頭の図の倍の縮尺にするとおさまります。今よりも東側にあたる、今でいう国道23号バイパス寄りを予定していました。浄土池を周回し、アウトバーンを思わせる上下別の長く並行したストレートで構成されています。水田のある平坦なエリアでこのような計画を立てますが、本田宗一郎から「米を粗末に扱うな」との喝が飛び、以降西側の松林を造成し、度重なる検討が行われることとなります。以下のレイアウト変遷図は資料にもなっていますが、ただそれを流用するのでは芸が無いため、最近新設サーキットが無く、せっかくあっても開催されず、不要不急で手持ち無沙汰なミヤビマン・ティルケを久々に召集し、色分けのトレースをさせてみました。細かなRなどはわからないものの、イメージくらいは伝わると思います。

① 60年8月 塩崎定夫による原案(ピンク)
② 60年8月 ヨーロッパ視察後の修正案(赤色)IMG_3017
これが現地で計画された初期のレイアウトです。先程に比べると「鈴鹿感」はありますが、今でいうセクター1に強烈なインパクトがあります。鈴鹿サーキットの一番の特徴である本線立体交差が①では3箇所もあったんです。ちょっと見てみたかった気もしますが、当然ながら全長は延びます。西側のスプーンカーブも今と異なり鋭角ですね。これだときっと「スプーン」という愛称にはならなかったでしょう。
②は塩崎定夫、飯田佳孝、小川雄一郎の3人が本場ヨーロッパのサーキット(スパ、ホッケンハイム、ニュルブルク、アッセンなど)のレイアウト、施設、舗装などを目にし、調査した結果を反映したものです。セクター1の立体交差2箇所を無くし、クジラやヘビの頭のような線形に変えています。さすがに立体交差はやり過ぎかなと気付いたのでしょうか。こちらの方が今よりもパッシングポイントが多いようにも感じます。S字やデグナー、スプーンの原型となる線形がこのあたりから浮かび上がってきました。

③ 61年1月 フーゲンホルツによる助言案(黄色)
④ 61年5月 測量土木設計図(茶色)
IMG_3016
次のステップは③先日示した黄色のレイアウト、フーゲンホルツの鈴鹿現地調査を経て描かれたものです。ヘヤピンが東側に倒れて見えるのは気になさらずに(笑)ヨーロッパ視察時にオランダのカーディーラーの伝で紹介されたフーゲンホルツが新サーキット建設プロジェクトを快諾、遠い日本まで足を運んで頂きました。20日間の滞在と調査により、ココでフーゲンホルツのアイデアが鈴鹿サーキットに注入されるわけです。立体交差を廃止したセクター1をメインスタンドから遠避ける改良を施しています。理由は「メインスタンドがやかましくなり場内放送が聞こえなくなる」から。確かに。。それ以外の特徴としては①②もそうでしたがスプーン立ち上がりから第1コーナーまでとても滑らかな線形をしています。現代のF1なら間違いなく「直線扱い」ですね。フーゲンホルツのアイデアは第1デグナーの入りも減速を伴い、130R付近を軸に180°点対象なレイアウトにも見えます。
④は測量時に計画されたレイアウトです。第1コーナーと第2コーナーは今と異なる180°ターンのような綺麗な弧を描き、S字から逆バンク、ダンロップまでは現在に非常に似たものとなっています。一方でデグナーは一つのコーナーとなっており、スプーンは①のような北に張り出した形状、そして130Rと最終コーナーは現在に近く半径の小さなコーナーへと変化しています。

⑤ 62年1月 塩崎定夫による最終決定(緑色)
⑥ 20年4月 各種改良後の現在(青色)IMG_3015
⑤が当時の完成形といえるレイアウトです。ここまでくるとほぼ現在⑥に近いものとなりました。第1コーナーと第2コーナーはフーゲンホルツのアイデアが採用され、立体交差も今と同様に鋭角に交差しています。ちなみにデグナーとシケインは後から追加改良されて生まれたものです。
5003
このような経過を経て、鈴鹿サーキットのレイアウトが完成しました。一部線形変更がありますが、結果的にフーゲンホルツのアイデアに近いものが鈴鹿サーキットを作り上げたと言っていいと思います。まだ当時の日本には馴染みのなかったサーキット舗装についても、ヨーロッパ視察時に得た情報を日本鋪道(現 NIPPO)に提供し、様々な砕石サンプルから木曽川の砕石を選び抜いて採用するなど、日本の道路技術の発展にも貢献するプロジェクトとなりました。

《ホンダとの関わり》
鈴鹿サーキットの変遷が長くなりましたが、今回の主役も本当はフーゲンホルツです。1961年にホンダと出会い、来日までして鈴鹿サーキットの建設に携わったフーゲンホルツはその後も日本との関わりが続きます。64年にF1参戦を控えたホンダに対して、研究目的のクーパーのシャシーを手配したり、ザントフォールトサーキットを提供してテストやシェイクダウンの場を設けています。ホンダのチャレンジ精神はフーゲンホルツの協力があってなし得たのです。
IMG_3003

オランダGPは85年まで行われ、1年のブランクの後、87年から日本の鈴鹿サーキットでF1は行われています。自身が携わったサーキットがバトンの如く遠い日本に受け継がれ、戦いの舞台となったことをフーゲンホルツはどのようにみていたでしょうか。残念ながら95年にそれも自動車事故により他界し、20年に復活するザントフォールトでのオランダGPを見ることはできませんでした(もし生きていたとしたら106歳)自身が関わったホンダエンジンを搭載した地元の星フェルスタッペンの活躍を我々F1ファンと共に遠くから見守っていることでしょう。


にほんブログ村 車ブログ F1へ
にほんブログ村
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

以前にオランダGPのザントフォールトサーキットを取り扱った際に「いつかフーゲンホルツについて調べたい」と書いたことがあります。本来なら来週末がオランダGPの予定なのですが、残念ながら今年は延期となりました。時間はたっぷりあるし、せっかくなので「フーゲンホルツの残した功績と日本との関わり」について2回に分けて書いていきたいと思います。

IMG_2998
ジョン・フーゲンホルツ
1914年生まれのオランダ人です。一般的にF1やモータースポーツに携わる技術者は機械系や素材系の出身が多く、さらにはサーキットの設計となれば建築や土木などが専門分野ではありますが、フーゲンホルツは元々法律が専門だったようです。意外ですね。その中でオランダの自動車クラブを立ち上げるなど、当初は仕事とは別にアマチュアとしてモータースポーツと関わってきました。1948年に完成したザントフォールトサーキットで49年からサーキットの支配人に就任します。ザントフォールトはフーゲンホルツが設計したと言われていますが、それは誤りで「支配人」としての関わりとなっています。

《サーキット支配人として》
支配人になるとイタリアのモンツァ、イギリスにあるブランズハッチ、ドイツのホッケンハイムリンクやニュルブルクリンクとF1と馴染みのあるヨーロッパ諸国のサーキット支配人と「サーキット支配人連盟」なる会合の会長を務めています。組合みたいで面白いですよね。そこで「イベント時の観客誘導」「音響設備の設置方法」などのマニュアルを整備されたようです。確かにサーキットはレースの場であると同時に、観客に安全かつ快適な観戦をしてもらう場でもあります。このような活動が今日まで「エンターテイメントとして」のモータースポーツの発展に繋がっているのでしょう。

・ザントフォールト(オランダ)
 開業 :1948年
 F1開催:30回
 現状 :使用中(改修あり)
IMG_2997
1952年からザントフォールトがF1オランダGPの舞台に決まり、以降85年まで30回行われることになるわけですが、フーゲンホルツは74年までサーキットの支配人の傍ら、支配人以外の「別の顔」をもつことになります。新規サーキットの運営指導や設計です。

《サーキット運営の指導者、設計者として》
フーゲンホルツが携わったF1に馴染みのあるサーキットは皆さんお馴染みの鈴鹿をはじめ、スペインのハラマ、ベルギーのゾルダーとニヴェルがあります。またドイツのホッケンハイムリンクは改修に携わって今でも(昨年2019年まで)F1で実際に採用された区間が残っています。

・鈴鹿(日本)
 開業 :1962年
 F1開催:31回
 現状 :使用中(改修あり)
IMG_3014
鈴鹿は言うまでもなく日本のモータースポーツを代表する戦いの舞台の一つです。フーゲンホルツはこの鈴鹿をきっかけにサーキット運営の指導者、設計者として展開していきました。
この図をみると、鈴鹿っぽくはあるけど微妙に形が違うような、、これについては次回に少しだけ掘り下げてみたいと思います。黄色ラインでレイアウトを描いていることも覚えておいて下さい。現在は箇所の改修を経て、フーゲンホルツのアイデア以外の要素も加わりましたが、ベースは大きく変わっていません。

・ゾルダー(ベルギー)
 開業 :1963年
 F1開催:10回
 現状 :使用中
IMG_2994
鈴鹿に次いで関わったF1開催サーキットはオランダのお隣ベルギーのゾルダーです。元々ベルギーGPの舞台としてきたスパ・フランコルシャンは公道を使う一周全長14kmと非常に長く、レース自体の速度向上に伴って危険であるとの観点から1970年を最後にカレンダーから外れました。それによって1年のブランクを経て、72年に開業したばかりの後述ニヴェル、そして73年にこのゾルダーでベルギーGPが行われました。サーキット自体はニヴェルより前の63年開業です。短絡的なクローズドサーキットに改修されたスパ・フランコルシャンが誕生するまでの間、F1が10回開催され、84年シーズンをもってベルギーGPの座をスパ・フランコルシャンに戻しています。ゾルダーと聞くとやはりフェラーリ期待の若手G・ヴィルヌーブの事故死が有名です。ヴィルヌーブの名はコーナー名として残り、ゾルダーサーキットはまだ現役として活用されています。

・ホッケンハイムリンク(ドイツ)
 改修 :1966年(開業は1932年)
 F1開催:37回(再改修後を含む)
 現状 :使用中(再改修あり)
IMG_2996
今シーズンはカレンダーからまた外れたホッケンハイムリンクもフーゲンホルツの手が加えられています。1932年にホッケンハイムリンクは今よりも壮大な一周12kmを超える巨大サーキットで開業しました。そこからF1が制定される前の38年に楕円形のような一周全長7.725kmに短縮されています。
IMG_3009
しかしアウトバーンが南北に貫通するように建設されるのを機にフーゲンホルツが現在コントロールラインの置かれる「スタジアムセクション」を設置し、さらに反時計回りしていたトラックを時計回りに切り替えました。70年からF1ドイツGPの舞台に採用された際は森の中の高速区間に速度抑制のシケインを設けてGPを開催。長らくドイツGPとして定着してきました。近年は2002年にヘルマン・ティルケのデザインでさらに短縮化改良を経て現在に至ります(図の赤波線)

・ハラマ(スペイン)
 開業 :1968年
 F1開催:9回
 現状 :使用中
image
1950年代にペドラルベス市街地で行われたスペインGPはしばらくF1カレンダーから外れ、再びスペインGPが開催されたのはこのハラマサーキットでの開催によるものでした。81年までの間にモンジュイック・パークと交互の開催で9回F1で使用されています。全長は3.4kmと比較的短く、長いストレートと鋭角なコーナーで構成されています。しかし幅員も狭いため、追い抜きが困難だったといわれます。サーキットレイアウトを見る限り、個人的には四輪レースよりかは二輪や自転車レースの方が適しているような気もします。

・ニヴェル(ベルギー)
 開業 :1971年
 F1開催:2回
 現状 :廃止
IMG_2995
危険とされたスパ・フランコルシャンに替わってベルギーGPが開かれたニヴェルもフーゲンホルツがデザインした一つです。開業した翌年1972年に使用され、翌年は先述のゾルダー、そして1974年もベルギーGPで使用されました。現在はサーキットを廃止し、一般開放されて一部は緑に戻ったものの多くは周辺道路としてサーキットの片鱗を確認することができます。
FullSizeRender

《世界各地のサーキットに広まるアイデア》
サーキットの支配人からデザインまで手掛けてきたフーゲンホルツは、あるアイテムを開発し、それが世界中のサーキットに設置されました。それは「キャッチフェンス」です。
IMG_3013
これもフーゲンホルツのアイデアの一つです。ガードレールでクラッシュすると、時として身体を切断してしまう痛ましい事故が多くありました。これであれば衝突時の衝撃をある程度吸収してくれます。今ではさらに改良を経てあまり見かけなくなったものの、安全対策に力を入れていたフーゲンホルツならではの功績ですね。


フーゲンホルツは1995年にザントフォールトで運転中に事故に遭い、妻共々事故死しています。1974年にザントフォールトサーキットの支配人を退いた際は彼の数々の功績を讃え、ターン3は「フーゲンホルツ」という名前が付けられています。退いた後もフーゲンホルツは実に様々な角度からモータースポーツに関わり、後世に伝えてきました。特に日本とは鈴鹿サーキット以外にもいくつかの関わりがあったりします。次回は「フーゲンホルツと日本」についてみていきたいと思います。

にほんブログ村 車ブログ F1へ
にほんブログ村
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

予選と同じ日の決勝です。もう火曜も終わりますね。土曜セッションが中止になり日曜に詰め込んだわけですが、決勝は予定通りの時間にこなせちゃうんだからすごいと思います。F4など他のカテゴリーの協力をはじめ、マシンのセッティングや修理にあたったチームスタッフ、マーシャル、大会運営者など各方面のマンパワーに感謝ですね。今レースウィーク縮小案がチラホラ出ていますが、モデルケースになったのではないかと思います。miyabikun個人的な感想としては土曜にフリー走行2回を行い、日曜午前に予選、午後に決勝というのもアリかなという印象でした。走行機会が減っちゃうのは若手の芽を積むことになるし、運営側も減収になっちゃうし、何よりスタッフがかなり忙しいかな。皆さんはどう思いましたか。
IMG_8811
miyabikunが観戦したEスタンドからはこんな眺望でした。
IMG_8812
逆バンクからダンロップに向かってちょうど捻れるあたりで、遠く正面には第1コーナーの飛び込みと昨年まで座っていたCスタンド、左に向くと最終コーナーの立ち上がりが一瞬見える感じです。マシンまでの距離はCスタンドよりかは近いですが、やはりCスタンドに比べると、マシンを追える時間は短く、バトルが起きにくい区間ではあります。目の前にはフェンス越しの大型ビジョンがあったのは幸いでした。
今年は一人での観戦でしたので、行きのコンビニで飲み物といくつかのおにぎりを調達して、12時半過ぎに到着しました。残念ながら今年もドライバーズパレードには間に合わず。特に今年は現地に来れただけ感謝しないといけませんね。ホンダ自慢の「ホンダジェット」の華麗なるフライトを拝見し、決勝のスタートです。今回も終了からだいぶ時間が経っており、結果は皆さんよくご存知だと思いますので、ポイントを押さえて書き留めていきます。

《1997年生まれの好敵手》
1997年のF1日本GPといえば、チャンピオンに手をかける大物2年目のJ・ヴィルヌーブがポールポジションを獲得するも、予選時の黄旗無視が累積のレッドカードで失格となるレースでしたね(詳細はいつの日か振り返りましょう)その年のちょうどその頃に生を享けた若き天才2人がこの鈴鹿で介しました。フェラーリのルクレールとレッドブルのフェルスタッペンです。下位カテゴリーでも対戦してきた2人が今シーズンからF1のトップチームに並び、互いにポールポジションと優勝を経験して日本GP前から度々バトルを繰り広げています。
FullSizeRender
ポールポジションのベッテルと共に決していいスタートを切れなかった2番手ルクレールは第1コーナーを3位で通過できたものの、大外から5番手スタートのフェルスタッペンが虎視眈々と狙っていく。
FullSizeRender
第2コーナーで並びかけたフェルスタッペンとルクレールが「ある程度想定された」通りの接触。よりによってCスタンド至近の「ホンダ応援席」前という一番恥ずかしみっともないアクシデント(インシデント)でしたね。
IMG_8959
場内実況と大型ビジョンでEスタンドでもその様子は伝えられ、この日一番の歓喜悲鳴がサーキット内で轟きました。ルクレールは左フロントウィングの翼端板を破損するも順位を落とすことなく復帰。一方でフェルスタッペンは部品も順位も落とすという被害甚大。レース中は「レーシングアクシデントとして不問」という判定でしたが、結果的にはルクレールがレース後に及ぶ審議で「15秒のタイム加算ペナルティ」(5秒+のちの10秒合わせて)という重い裁定が下り、6位入賞から7位に陥落しました。
IMG_8961
ピット交換と遅れも相まって互いに後退した9周目にコンタクトして、あらあら。。
IMG_8962
寄せちゃって。見ていて可愛いんだけどね(笑)
IMG_8964
第9戦オーストリアGPではフェルスタッペンがルクレールを追いやり逆転優勝、第10戦イギリスGPはルクレールがフェルスタッペンを押し出した際に「抜き方を覚えた」と語っていました。ルクレール、ちょっと外側に寄っちゃったかな、ステアリング修正かな(笑)ルクレールは単独で走ると実に賢く、切れ味ある走りをみせますが、どうも相手がフェルスタッペンだとこういうヒヤヒヤものの走りになりがちです。仕方ないですよね、歳も同じ、ポールも優勝も経験する「次世代のチャンピオン候補」ですから。ルクレールだけでなくフェルスタッペンにも言えることですが、いくら若く、速く、いいマシンに乗っていても、つまらぬミス、接触、後退を招くうちはチャンピオン獲得はまだ遠い話になります。

《トラックを荒らしてはいけない!》
タイトルからしてピンときますよね。予選のマグヌッセンだけでなく、決勝でもこの光景がみられました。
FullSizeRender
直接触れたわけではないのに、後ろで決定的瞬間を目にしたキングが、先程の「若気の至り」のとばっちりを受けてしまいます。
IMG_8950
順位に痛手が表れなかったルクレールはマシンの方に痛手を負ってしまっています。翼端板が外開きになって、今にも脱落しそう。
FullSizeRender
ただ速さはあるフェラーリですし、抜きどころの少ない鈴鹿、そして頭が沸騰しかけているルクレールですから、安にパッシングをかけるのも危険です。二次被害を起こさぬためにも、本来であればマシンを直ちにピットに引き入れ、傷めた部品を取り替えるか除去しなければなりません。FIAからの指導を受け、チームもルクレールに指示は送りますが、
IMG_8954
「ペースは悪くない」と頑なに拒否します。気持ちはわかるんだけど、危ないですよね。フェラーリの大先輩達も前車の飛散部品でリタイヤに追い込まれたり、怪我のためシーズンの欠場を強いられたことがありましたよね。
そして3周目に恐れていたことが起きてしまう。。
IMG_8955
ルクレールから脱落したものがハミルトンのコクピット右側に当たり、ハミルトンは右サイドミラーを失う。ほら、言わんこっちゃない。若手が戯れて傷付き、さらにはごねたモンだからキングとっては本当にとばっちり。さらにはデブリを撒き散らかして、5位サインツも急回避していました。サーキット観戦当時は脱落したものを観れませんでしたが、テレビで観ると翼端板より大きく、デッカい左手のレーシンググローブみたいに見えますね。ルクレールもその直後に左のサイドミラーを根元から失っていますが、これで両成敗、なわけ無い!ルクレールには1周目のフェルスタッペン+このピットインに応じなかった行為によりさらに10秒、トータル15秒のボーナスペナルティに至りました。いくらハミルトンが速くて憎くても、いくら偉大な先輩に勝ち越して「勝利のエクスタシー」を知ってしまっても、ルールや指示には従い、他車を危険な目に合わせてはいけません。ケースは違うけど、この前大切なお友達を亡くしたばかりでしょう。チャンピオンを獲ってからでは誰も教えてくれないぞ。

《2回目は、得策だった?!》
今回の鈴鹿は例年にも増して「タイヤの保ち」についてデリケートだったように感じました。タイヤが保ち保ちのサーキットや舗装よりかは「タイミングとチョイス」に頭を使うのでmiyabikunとしてはいいと思います。
IMG_8966
ポールからのスタートでビビっちゃった件をうまーくもみ消すも、お恥ずかしい2位に甘んじる鈴鹿マイスター。17周目にソフトタイヤからソフトタイヤに履き替え、端から2ピットストップを露わにしたベッテル。
IMG_8967
ならば私もと、スタートでいとも簡単に赤い壁を貫いて開けた前方をひた走るボッタスは翌18周にミディアムをチョイスしました。一応、タイヤ装着義務は遂行。まだフィニッシュまで距離はあるけど、ベッテルとは異なり、ボッタスの「走り次第」では如何様にもできます。
IMG_8968
「片耳」を失ったキングはボッタスから4周遅れの22周目にミディアムへ。残りは31周、タイヤの扱いが上手いキングなら、ボッタスよりは自由度もあるし、むしろこの1回でこなせれば片耳無しでも優勝か2位にはなれる。この瞬間に正直「今回もメルセデスかぁ、コンストラクターズチャンピオンは決まったか」と、観覧車をボーッと見つめる時間が長くなりました(笑)
32周目にベッテルが義務を果たすミディアムに履き替え、37周目にボッタスが再びソフトタイヤに戻すまでは想定内でしたが、何と残り11周でまだタイヤのオイシさを保つキングまでがピットへ。
FullSizeRender
保たせれば優勝だし、入ればタイヤ交換前に逆戻りの3位ですが、、鈴鹿で抜けるって?!自ら茨の道を選択したメルセデスの珍戦略に久々の疑問です。前回ロシアGPのルクレールのデジャヴのようだ。フェラーリファンというわけではありませんが、結果的にそれが「お決まり」に繋がらず、助かりました(笑)

《これが本来あるべき「F1頂上対決」》
観戦していたEスタンドは冒頭に書いた通り、マシンまでの距離はCスタンドよりは近く迫力はあるのですが「この区間」でバトルになることはそうそうありません。それがレース最終盤に周辺のファン達と共に盛り上がりました。
FullSizeRender
意外なハミルトンの2ピットストップによって、ミディアムタイヤの2位ベッテルとちょっと使い込んだソフトタイヤのハミルトンが至近です。実際に生のEスタンドから見たバトルはこんな感じです。ビタビタに近付いていますね。
IMG_8846
いつものハミルトンなら右からも左からも、隙をみせた瞬間に差し込んできます。ただし、ここは鈴鹿、相手はそこらへんの輩ではなく、長年の宿敵、ベッテルです。抜きそうになる瞬間より、防ぎ切った時の歓声の方が気持ち多かったように聴こえました。互いにいまだ人気のあるドライバーです。
IMG_8975
両者とも複数回チャンピオン、そして4回の優勝を誇る「鈴鹿マイスター」の2人。本来ならシーズン序盤からこの2人の、それも2位争いでなく優勝争いが度々見られるものとばかり思いましたが、残念ながらこのレースはシーズン17戦目。どうあがいてもこのタイミングからベッテルはこのレースで競り勝つことしかできません。
IMG_8976
例えそれでもいいんです。汚い走りやふざけた裁定、理解し難い戦略でどうこうなるより、速さと強さ、巧みな腕でガチンコ勝負するレースがみたい。それを終盤のしばし、体験できたと思います。
IMG_8980

IMG_8983
《決勝結果》
   1 ボッタス (メルセデス・M)
   2 ベッテル (フェラーリ・F)
   3 ハミルトン(メルセデス・M)

帰りの近鉄電車で知らされたのですが、実は1周少ない52周レースだったのですね。場内実況も違和感が無かったし、ドライバーやスタッフも疑わなかったのかな。もし正規のあと1周行ったとしても、表彰台順位は変わらなかったことを祈りたいです。

《ファステストラップ》
   ハミルトン (メルセデス・M)1分35秒761
《ドライバー・オブ・ザ・デイ》
   ボッタス  (メルセデス)

《miyabikunの選ぶドライバー・オブ・ザ・デイ》
   ストロール (レーシングポイント)

今回のmiyabikunの選ぶドライバー・オブ・ザ・デイは悩みました。ベッテルを勝たせたかったけどつまずいてからのもみ消しがあったし、ルクレールではないし、フェルスタッペンは評価のしようがないし、ハミルトンは2ピットストップして抜けなかったし、アルボンはこの前あげちゃったし、、優勝のボッタスは存在を感じなかったのにあげるのも腑に落ちないし。非難されちゃうかもしれないけど、今回はストロールにあげたいな。えー何で?!って、難しい根拠はありません、走りの感覚です(笑)予選からもいつもと違う感じがして、決勝も頑張っていました。
逆に「よくなかった人、残念な人」ならば何人かいます。まずはライコネン、鈴鹿に限らず、後半戦はどこか集中力や闘争心が感じられず、ジョビナッツィにすら負け続けています。もちろんジョビナッツィも成長しているのでしょうが、単にライコネンが退化しているようにも感じる。次戦メキシコGPはいよいよ40歳で迎えます。あとはこちらもオールドドライバーのクビカです。予選も決勝もテールエンダーを確立してしまって、最近はつまらぬクラッシュが増えてきました。いくらウィリアムズのマシンが致命的な遅さだとしても、今回の鈴鹿を生で観る限り、ラッセルは遅れつつも隊列に食らいついていました。しかしクビカはタイミングモニターを見ないでもわかるくらい、致命的に遅いことがよく分かりました。一人だけ逆バンクの回転数が明らかに違ったし、ラップ毎にみるみる離れていきます。応援はしているし、過去の名レースも知ってはいますが、クビカ本人とクビカファンには申し訳ないけど、今のF1ドライバーにとてもついていけていません。

IMG_8863
《第17戦日本GPのポイント》
 ・またもや勝ってもボッタスの存在忘れる
 ・終盤の頂上決戦はアツかった!
 ・1周多めの300km超え設定でよかったね(笑)
 ・クビカは目で見て致命的に遅いことを理解

この鈴鹿でメルセデスは41ポイントを獲得して612ポイントに達しました。2位のフェラーリが残り4戦全てでワンツーフィニッシュ+ファステストラップポイントを獲得しても到達できない領域になりましたので、6年連続のコンストラクターズチャンピオンになりました。当然の結果です。

最後に、帰りの名古屋駅でお土産を買って新幹線ホームに上がると、どこかで見かけたことのあるおじさんが、、
IMG_8993
何と森脇基恭さん!写真をご一緒させて頂きました。miyabikunのお顔は恥ずかしながらお見せできませんが、あと30秒だけでもお話したかったなと、、。森脇さーん、ホームで2番目に写真を撮らせて頂いたmiyabikunでーす。いつもお世話になっておりまーす。素人ながらF1ブログを細々とやっておりまーす。これからも色々ご教授下さーい!
以上、長くなりましたが、鈴鹿観戦記でしたー。

にほんブログ村 車ブログ F1へ
にほんブログ村
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ