夏休みにマグヌッセン親子、フェルスタッペン親子を比較してみました。その時「もしかしたら今シーズンが見納めとなりそうな親子が出そう」なんて書きましたが、現実になってしまいましたね。成績はともかく、個人的にはちょっぴり残念に思ってしまいました。ガレージでは息子よりパパの方が映っている時間や回数が多かった気がしないでもない、そんな親子について今回比較してみます。
1956年11月7日生まれ
83年~89年 88戦参戦
0勝 PP0回 FL1回 表彰台0回 入賞8回
83年 ウィリアムズ 1回出走 予選25位 決勝13位
84年 RAM 15回出走 予選21位 決勝8位
85年 ザクスピード 8回出走 予選17位 決勝11位
86年 ザクスピード 16回出走 予選16位 決勝8位
87年 ティレル 16回出走 予選13位 決勝4位
88年 ティレル 16回出走 予選10位 決勝5位
89年 ティレル 16回出走 予選9位 決勝6位
ジョリオン・カーライル・パーマー
83年~89年 88戦参戦
0勝 PP0回 FL1回 表彰台0回 入賞8回
83年 ウィリアムズ 1回出走 予選25位 決勝13位
84年 RAM 15回出走 予選21位 決勝8位
85年 ザクスピード 8回出走 予選17位 決勝11位
86年 ザクスピード 16回出走 予選16位 決勝8位
87年 ティレル 16回出走 予選13位 決勝4位
88年 ティレル 16回出走 予選10位 決勝5位
89年 ティレル 16回出走 予選9位 決勝6位
父の方のJ・パーマー、ジョナサンは1980年代にF1をドライブしています。来週で61歳になります。参戦数は88レースとまあまあ多めではありますが、成績がすごく良かったわけではありません。ちょうど日本でフジテレビによるF1が始まった頃と重なり、また以前に書いた古舘伊知郎による「フライング・ドクター」なる呼ばれ方をしたために、古いF1ファンなら記憶にある方かと思います。自身もギリギリ名前を覚えているくらいで、すごく印象があるわけではありません。ジョナサンといえば、某ファミレスか陸上の三段跳びの世界チャンピオンであるジョナサン・エドワーズの方が先によぎります。
1981年はイギリスF3、1983年はヨーロッパF2にステップアップし、そこでチャンピオンを獲得して、ウィリアムズから第14戦ヨーロッパGPのスポット参戦をきっかけにF1の門を叩いています。1984年はRAM、85年のザクスピードでは完走すらままならない内容が続きますが、86年に一桁台フィニッシュがいくつかあり、87年にようやく名門のティレルのシートを得て、4位1回、5位2回と入賞にこぎつけるようになりました。晩年はティレルドライバーを3年続けるも、表彰台には一歩届かず、時折予選落ちなども経験して1989年を最後にF1を離れています。このあと出てくる息子ジョリオンは1991年生まれですから、父のF1ドライブ時代は知らないということになります。
その後は舞台をイギリスツーリングカー選手権に変え活躍して、解説者や「フォーミュラ・パーマー・アウディ」という名のジュニアフォーミュラを主催したり、イギリスGPの舞台にもなったブランズハッチサーキットを買収するなど、若手育成やビジネスとして現在に至ります。古舘伊知郎の話す「フライング・ドクター」とは、その名の通り、ドライバーの傍ら医師免許を取得した医師であったことに由来します。平日は医師、週末はドライバーをこなすという「2つの顔」を持つ方だったわけです。ビジネスに長け、医師にもなれる頭脳があると考えると、レースに勤しむことができる「育ちの良さ」だけではなく、頭もいい方なんだろうなということがわかります。余談ですが、二世ドライバーで昨シーズンにチャンピオンを獲得したN・ロズベルグも二世で育ちは当然いい中で、多ヶ国語を話せて大学では航空工学を専攻する秀才でしたよね。お金も頭も良くて、ルックスもいいとなれば、どこに欠点があるのか逆に探し出したくなる(笑)
1991年1月20日生まれ
16年~17年 36戦参戦
16年~17年 36戦参戦
0勝 PP0回 FL0回 表彰台0回 入賞2回
16年 ルノー 21回出走 予選14位 決勝10位
17年 ルノー 16回出走 予選10位 決勝6位
16年 ルノー 21回出走 予選14位 決勝10位
17年 ルノー 16回出走 予選10位 決勝6位
もう1人のJ・パーマー、息子のジョリオンの方です。医師の父と看護士の母との間に生まれました。ならばF1ドライバーよりよっぽど医系に進めばよかったのでは?!はナシで(笑)父の背中を見て育ったのでしょう。もちろんジョリオンも10代前半からカートに乗り出してはいますが、二世ドライバーの割には13歳となる2004年から本格的なデビューであると考えると、ちょっと遅い気もします。最近は0代前半(なんて表現をすると、語弊を招きそうですが)4歳や5歳からなんていうドライバーもいますもんね。学業優先だったかな。
2007年から、父の主催する「フォーミュラ・パーマー・アウディ」に参加していくこととなります。父親の名前のついた大会なんて、一般人からは想像つきませんね。2009年までの3年間でポールポジションや優勝もいくつか経験していますが、年間最上位は2008年の3位でした。うーん、物足りない。。2009年に父ジョナサンがウィリアムズと共同開発したシャシーがF2で採用されることが決まり、もちろんジョリオンも参戦、2010年シーズンは全18戦で5勝10表彰台をあげてランキング2位につけます。また2011年からは近年のF1への登竜門となっているGP2に参戦して3年目の2014年に第10代目のチャンピオンとなることで、フォース・インディアのテストドライバーの座を獲得、F1の世界にやってきました。
ロズベルグやハミルトン、ヒュルケンベルグもグロージャンもGP2チャンピオンであり、後輩にはバンドーンやガスリーといった若手が続いています。もちろん実力でチャンピオンとなってF1へ正常なステップアップしてきたには違いありませんが、過去を辿るとかなり「父の手助け」を借りるシーンが多いです。羨ましいことに、他人にはそうそうない恵まれた環境があるといえるし、悪くいえば強力なバックアップがあったからこそ、ここまでやってこれたともいえる。F1での戦績については、皆さんよく御存知な感じです。
親子でF1での戦績を対決させてみましょう。先日のマグ、フェル親子も数少ない表彰台があったのと時代が多少カブるので比較の甲斐がありますが、この親子は時代も離れていて優勝はおろか「表彰台」すらありませんから、かなり見応えがないかもしれません。それはmiyabikunのせいではありません(笑)寒色系が父ジョナサン、暖色系が息子ジョリオンです。いつものようにプロットから雰囲気だけを感覚的に見てみてください。
父ジョナサンは息子ジョリオンの2倍以上の参戦数ですから、寒色系がグラフ全体にプロットされます。ジョナサンの時代は予備予選まで行い、予選は26人に絞るところから始まりますので、参戦する分母がジョリオンの時代とは異なります。ジョリオンの時代は20〜22人が最大値ですもんね。こうしてみると、なんだ、ジョナサンの方が長く多く出ているけど、前から数えたら息子とそう変わらないじゃん!ともみて取れます。さっきの予選時の優劣を無視したら、パッと見らジョリオンの方が若干前に見えます。ただ、時代のカブらない2人を比較する決め手として「予選と決勝の差」をみてあげる必要があります。これは時代背景やレギュレーションの差も大いに関係してくることですが、ジョナサンの予選結果(水色丸)と決勝結果(紺四角)を見比べると、見辛いですが決勝は予選より当然ながらほとんど上の位置に来ていることがわかります。一方でジョリオンの予選(オレンジ丸)と決勝(赤四角)をみると、まあまあ近い位置に分布しています。ということは、ジョナサンは予選から「何らかの理由」(ライバルのリタイヤや自身のパッシング)のために決勝が上位となり、ジョリオンは予選と決勝の差があまりないことがわかります。これはパーマー親子に関わらず、最近のF1の風潮でもあるため、単にジョリオンがヘタクソとか抜けないとしてしまうのは可哀想ですが、このような違いが表れてきます。近年のF1は「壊れない」(壊れるときは壊れるが)「ぶつからない」「抜けない」というのが、戦績が近く、でも異なる時代での比較の場合は、まあまあわかりやすくなります。
あと、このグラフからわかりやすいまでに傾向として出ているのは、ジョナサンが後半のティレルに乗り出した頃から、予選、決勝とも成績が向上しています。年齢は重ねているのに成績が上がるということは、ドライバーの腕だけではない、マシンやチーム(コンストラクター)の良し悪しも、ドライバーの成績にかなり依存していることもわかりますね。2人の中での最上位は予選がジョナサンが記録した1989年の第7戦フランスGPの9番手、決勝が1987年の最終戦オーストラリアGPでの4位フィニッシュとなっています。息子は父を参戦数、予選、決勝、ファステストラップ数の全てで超えることができませんでした。
今回は比較対象が少ないので、それぞれのチームメイトと比較してみます。まずは父ジョナサンから。オレンジ、赤がジョナサン、水色と紺がチームメイトです。
父のチームメイトはK・ロズベルグ、アリオー、ロテンガッター、ストレイフ、ベイリー、アルボレート、アレジとなります。またグラフの下にずらずら並んでしまってるのが決勝リタイヤです。リタイヤが多いのは別として、チームメイト比較すると、予選、決勝ともそう負けているわけでもなさそうですね。予選は35対25でジョナサンの勝ち、決勝も28対16でジョナサンの勝ちとなっています。最終年は若いアレジに少しやられ気味でしょうか。このチームメイト対決で大敗しないというのは、少しでも長い期間F1をドライブするということにおいて、なかなか大切なことではあります。それはこの後のグラフが痛いほど分からせてくれます。
1年目の2016年はまあ、まあまあマグヌッセン と予選、決勝ともどっこいどっこいの争いでした。問題は今シーズン2017年です。チームメイトが大得意な予選もさることながら、決勝のトラブルやアクシデントを考慮しても皆さんご存知の通りの大敗です。セッティングや好みの違いはあれど、同じマシンに乗るわけですから、当然比較対象はチームメイトになってしまいます。今まではパパの力も使って何とか成績を残してきていたし、F1もパパの名が通るカテゴリーかもしれないけど、全世界の皆が目指す最高峰ですから「後ろ」がつかえています。 丸2年を待たずして判定を下されるのも可哀想ですが、仕方ありません。救いというべきか納得というべきか、後任が「実績もない新人」でなく「僕はまだまだ速く走れる」の経験者だったのは災難だったかもしれません。
もう父のいない私からしたら、ボンボンのドラ息子でも父と同じ道を選んで、毎戦楽しみにしてもらえるのは羨ましいし、ジョリオンも賢そうで真面目そうなナイスガイですから、父を越えられるよう1日でも長くF1をドライブして欲しかったなと思います。でも才能やタイミングはどうしようもない事実。もしかしたら、ジョリオンはF1よりフォーミュラEの方が合っている気がしないでもない。あちらには同様に父の後ろ姿を見て活躍の場を見出す「先輩」も何人かいるし、はたまた父と同様に「若手育成や経営面の活躍」の跡を継ぐかもしれない。今後の活躍に期待しています。