F1 えきぞーすとのーと

よくあるニュースネタやこ難しいテクニカルな話ではなく、メインは予選や決勝のTV観戦したそのものを個人的観点から綴るF1ブログです。  また、懐かしのマシンやレースを振り返ったり、記録やデータからF1を分析。その他ミニカーやグッズ集めも好きなので、それらを絡めつつ広く深くアツくF1の面白さやすごさを発信し、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

タグ:未勝利

IMG_4324
このマシンを「名車」として取り扱うメディアはそうそうないでしょう。名車というよりかは「迷車」の部類になるかと思います。見覚えのあるカラーリングの名門も全てが名車であるとは限りません。miyabikunはそんなマシンも丁寧に注目していく所存です。前回に引き続き、負のループにさまよう名門。1994年型のマクラーレンMP4/9です。

《設計》
 ニール・オートレイ
 アンリ・デュラン
IMG_4327

《外見》
基本的には前年93年のMP4/8から正常進化させたマシンです。しかし1994年は他のライバルと同様にマシンレギュレーションの中の「ハイテクデバイス禁止」に準じた仕様とし、エンジンはフォード製からプジョー製にスイッチしたため、それに見合った改良を施しています。MP4/9の特徴的なデバイスとしてはコクピット内にある3つのフットペダルのうち、クラッチを無くした2ペダル式を採用しています。IMG_4321
またサイドポンツーン前方の整流効果を高めるべく、フロントサスペンション後方からコクピットに沿う形でディフレクター(バージボード)を初搭載。ライバルもこの時期からこぞって搭載するようになり、以降のF1マシンに欠かせないデバイスとなりました。IMG_4323
カラーリングは歴代と変わらずメインスポンサーであるマールボロの赤白のツートンカラー。エンジンカバー付近にプジョーのロゴマークがデカデカと入ります。またノーズにはプジョーのトレードマークであるフランシュ・コンテ州の紋章に使用される「ライオン」がシェルよりも大きく鎮座します。信頼性があればマークの重みも増したことでしょう。

IMG_4326
《シャシー》
 全長:    -    mm
 全幅:    -    mm
 全高:    -    mm
 最低車体重量:515kg
 燃料タンク容量: - kg
 ブレーキキャリパー:ブレンボ
 ブレーキディスク・パッド:
 サスペンション:フロント プッシュロッド
          リヤ    プッシュロッド
 ホイール:スピードライン
 タイヤ:グッドイヤー

《エンジン》
 プジョーA6
  V型10気筒・バンク角72度
 排気量:3,498cc
 エンジン最高回転数: - rpm(非公開)
 最大馬力: - 馬力(非公開)
 スパークプラグ:NGK
 燃料・潤滑油:シェル

92年を最後にマクラーレンはホンダとのパートナーシップを解消。前年はフォードと組んで何とか場を繋ぎました。そしてこのシーズンからフランスの小型車メーカーであるプジョーと複数年契約を結ぶことになります。この3年で毎年エンジンが変わるという、、マシンはエンジンとの組み合わせで作り上げていくものです。コロコロ変わるのはチームにとっても操るドライバーにとっても決していいことではありません。

IMG_4328
《ドライバー》
 No.7 ミカ・ハッキネン   (第10戦を除く全戦)
        フィリップ・アリオー (第10戦)
 No.8 マーティン・ブランドル(全戦)

IMG_4331
ドライバーはセナがウィリアムズに移籍した関係で若手のハッキネンがエース格として繰り上がりました。前年93年の第15戦日本GPで初の表彰台登壇を果たし「ポストセナ」を仰せつかります。相方はベテランのマーク・ブランデル、ではなく現在は解説やインタビュアーでお馴染みのマーティン・ブランドルを召集。くれぐれもお名前のお間違えないように(笑)ハッキネンは第9戦ドイツGPのターン1で接触事故を起こし1戦出場停止を受けたため、翌戦のハンガリーGPはプジョー推しのフランス人アリオーが代走しています。晩年はクリーンなファイターのイメージが強いハッキネンも若かりし頃はなかなか生意気なクラッシャー。若い頃はみんな通る道です。

《戦績》
 42ポイント コンストラクター4位
 (1位0回、2位2回、3位6回、4位1回ほか)
 ポールポジション0回

リタイヤについて、上記に記載はありませんが、このマシン、とにかくリタイヤが多い!特に前半8戦が酷く、ハッキネンが8戦中6回、ブランドルも5回リタイヤし、ダブルリタイヤは8戦中4回を数えます。これ、この時代の誰もが知るマールボロ・マクラーレンですよ、あのカラーリングにしてコレは非常に恥ずかしい。悪くなったのはセナが抜けたから?!いやいや、それ以上の欠陥がこのマシンにありました。一番の原因は「プジョーエンジン」でした。開幕当初は非常に信頼性が低く、開幕戦ブラジルGPはハッキネン8番手、ブランドル18番手。結局決勝は両者リタイヤし、前年の前戦オーストラリアGPにセナがポールトゥウィンだったことが嘘だと思えるような幕開けでした。image
以前に「過去のレース」で振り返った第2戦パシフィックGPではオーバーヒート対策としてラジエターを改良し挑むも、予選4番手でスタートしたハッキネンが蹴り出し鈍いポールポジションのセナに追突してその後リタイヤという、改良の成果すら確認できないダメレースを演出してしまいました。
image
前年まで隣にいて、初表彰台を讃えてくれたセナの逆鱗に触れてしまっていましたね。セナとハッキネンのレース上のコンタクトはこれが最後となりました。当時セナファンからハッキネンファンに切り替えたばかりのmiyabikunも絶句したの幼心ながら今でもよく覚えています。第3戦の「悲劇」の後、第4戦モナコGPでハッキネンはベネトンの宿敵M・シューマッハに次ぐ予選2番手を獲得しますが、こちらもスタート直後にD・ヒルと接触しリタイヤ。第5戦スペインGPは予選3番手からシューマッハ、ヒルら次世代のチャンピオン候補達と熱戦を繰り広げるも、48周目にプジョーエンジンが音を上げたためリタイヤとなりました。
IMG_4322
シーズン後半戦になると、マシンのドライバビリティがようやく改善、エンジンが信頼性を増したことで第11戦ベルギーGPの2位を皮切りに第14戦へレスでのヨーロッパGPまでハッキネンが4戦連続表彰台を獲得します。しかしブランドル含め優勝は無く、チャンピオン争いも程遠い不作なシーズンを終える形となりました。
ドライバー単位の成績はハッキネンが2位1回、3位5回。ブランドルが2位1回、3位1回となっています。ハッキネンはドライバーズランキング4位で翌年95年はそのままマクラーレンに残留。ブランドルは一度シートを喪失するも、リジェからお呼びがかかり、鈴木亜久里とシェアする形で参戦しています。

IMG_4320
マクラーレンは成績不振のガンともいえたプジョーエンジンをこの年限りの単年契約で切り上げ、95年から新規参戦となるメルセデスエンジンを採用することになりました。以降2年の歳月を経て、優勝。そして3年目にハッキネンによるダブルチャンピオンを獲得する「完全復活」を遂げます。現在2020年も引き続き復調を予感させるマクラーレン。来シーズンから再びメルセデスとタッグを組む予定となっています。名門の完全復活はメルセデスエンジンとのマッチングに期待が寄せられます。

にほんブログ村 車ブログ F1へ
にほんブログ村
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

IMG_3552
前回はフェラーリの駄馬を立て続けに2頭みてきました。フェラーリばかりディスっては可哀想ということで、今回はマクラーレンの「名車」を取り扱うことにしました。2006年型MP4-21です。以前取り扱った2005年のMP4-20や2007年のMP4-22はよく知っているけど、MP4-21なんてマシンあったっけ?!そのくらい地味ですね。地味には地味なりの理由がある。

《設計》
 マイク・コフラン
 ニコラス・トンバジズ
(エイドリアン・ニューウェイ)

マシンの基本はニューウェイによるものですが、2005年を最後にチームを離れているため、一応カッコ書きとしました。

IMG_3551
《外見》
地味どころでない、マシンディテール以上に目を引くのが、このカラーリングです。以前MP4-22の時にも書いたようなギンギラなメッキのシルバーを施したのはこのマシンからでした。初めて目にした時は今までの常識を覆したというか、これなら遅いわけはない、度肝を抜かれましたよね。10年近くメインスポンサーを続いたWestが完全に外れたことにより一新しています。とはいってもシルバー基調なのは変わりませんが。
IMG_3554
サイドポンツーンはメインスポンサーとなったジョニー・ウォーカーの黒が鎮座し、フロント、リヤ共に主翼はエミレーツ航空の赤の主張が強くなりました。白味が一切無くなり、銀をベースに黒と赤の3色で構成されて、一見冷たい印象を受けます。
IMG_3556
マクラーレンはしばらく先細りの鋭利なノーズコーンにチャレンジし続けますが、イマイチ成果が表れず、前作MP4-20では思い切って太めのものを採用しました。しかしやはり未練があったのか、このマシンはまたまた細いものに戻しています。何だか嫌な予感がしますね(笑)理論上は先端が細い方が有利なのは想像できても、F1の場合は単に細けれりゃイイってもんでもありません。
IMG_3553
ほか、チムニーダクトやホーンウィングを搭載するといった基本はMP4-20からの発展で作られたこのマシンも、色味のせいか似て非なるものにも見えます。エンジンが小型化されたため、ラジエーターやサイドポンツーンも小型にしてきました。

IMG_3555
《シャシー》
 全長:4,580mm
 全幅:    -    mm
 全高:    -    mm
 最低車体重量: - kg
 燃料タンク容量: - kg
 ブレーキキャリパー:
 ブレーキディスク・パッド:
 サスペンション:フロント プッシュロッド
          リヤ    プッシュロッド
 ホイール:エンケイ
 タイヤ:ミシュラン

《エンジン》
 メルセデス・ベンツFO108S
  V型8気筒・バンク角90度
 排気量:2,400cc
 エンジン最高回転数: - rpm(非公開)
 最大馬力: - 馬力(非公開)
 燃料・潤滑油:モービル

エンジンは変わらずのメルセデス製。パワーには定評があるものの、この2006年からは2.4ℓV10という今までにないコンパクトなNAエンジンを搭載して、パワー低下が噂されています。規制無きエンジン回転数で思い切りぶん回して補完してやるしかありません。ただ、2レースで1基というエンジンの使用制限もありますので、あまりぶん回すと、簡単に壊れちゃいます。

FullSizeRender
《ドライバー》
 No.3 キミ・ライコネン     (全戦)
 No.4 ファン・パブロ・モントーヤ(第1〜10戦)
        ペドロ・デ・ラ・ロサ   (第11〜18戦)

名前だけみるといかにも強くて速そうな、そして唯一無二のクセが特徴的な2人による2年目です。ライコネンはともかく、前年のモントーヤは2戦サボるなど精彩を欠いたシーズンでした。チャンピオンを狙えるタマなんですから、2人揃って青いルノーをギャフンと言わせたいですね。

《戦績》
 110ポイント コンストラクター3位
 (1位0回、2位4回、3位5回、4位2回ほか)
 ポールポジション3回

予選ワンアタック方式から、現在に通ずるノックアウト方式を初導入した開幕戦バーレーンGP予選はライコネンがクラッシュしてノータイムの22番手最後尾、モントーヤが5番手と2005年の飛躍を帳消しにするような内容で入りました。それでも何とかライコネンは1周目に13位まで一気に浮上し3位表彰台を獲得するものの、モントーヤは順位が入れ替わりつつ結局スタートのままの5位入賞とマシンの見た目に及ばない結果でした。
その後、ライコネン、モントーヤともコンスタントに表彰台には登壇しつつも、それ以外はリタイヤが多く、なかなか「表彰台のテッペン」に上がれずにシーズンは進行していきます。お決まりの信頼性の無さがチラホラ見え隠れし、そこの改善もなかなかみられません。
そしてここから2つの「出来事」がありました。一つ目は幼少期からマクラーレンが育て上げた若手、L・ハミルトンがF1のガレージを訪れ、翌2007年からレギュラーシートを得る可能性が現実的になったこと。まだシーズンを終えていない最中にこのようなプロモーションはドライバーにとっていいものではありません。
image
もう一つはライコネンが9番手、モントーヤが11番手で予選を終えた第10戦アメリカGPの決勝、スタート直後のターン2進入でモントーヤがライコネンに追突IMG_3547
IMG_3548
多重クラッシュを招いてレースを混乱させてしまいました。IMG_3549
この後ろ姿を最後にマクラーレンはモントーヤとの契約を突如解除し、デ・ラ・ロサにシートを譲る形となります。シーズン後半戦にライコネンによるポールポジションは3回記録するも、ドライバーの戦闘力を失ったマクラーレンは結局優勝を挙げることは一度も無く、コンストラクターランキングも3位に落とす不作の年に終わりました。

IMG_3558
前年は最多勝を挙げるも時すでに遅しのランキング2位。翌年は2回チャンピオンと大型新人が揉めてポイント剥奪と、その間に挟まれたこのマシン。ライコネンもモントーヤも当時のマクラーレンの体質には結果的に合わなかったという、地味でもインパクトだけは例年に負けない一台でした。

にほんブログ村 車ブログ F1へ
にほんブログ村
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

5003
珍しくフェラーリの連投になります。フェラーリなのに白のライン。見慣れないし何だか嫌な予感がしますね(笑)前回2014年型F14Tの「ある意味の大先輩」にあたる93年型F93Aです。まだやるか駄馬!

《設計》
 ハーベイ・ポスルズウェイト
 ジョン・バーナード
 マイク・コフラン
 ジョージ・ライトン

5003
《外見》
まず独特なカラーリングから見てみましょう。モノコックの高さでエンジンカバーまで真っ直ぐ白いラインが入っています。この色使いと位置をみれば1975年のラウダによってチャンピオンがもたらされた312Tが思い出されます。
5003
そこからしばらく紅と白のツートンカラーが採用されますが、ラウダが離れた頃から成績が落ち始め、80年代に入るとシャシー本体は基本的に紅一色、ウィング類が黒をまとって、アジップとフェラーリのロゴマーク「カヴァッリーノ・ランパンテ」の黄色で構成されています。しかし前年92年はオリジナリティあふれるF92Aで散々たるシーズンを送りました。その流れを断ち切るべく、チャンピオンを獲得した時代に「原点回帰」したかったのでしょうか。
5003
ベースはそのF92Aとしたため、軽く浮いたノーズコーン周辺に名残がみられます。しかし特徴的だった縦楕円のサイドポンツーン開口を角張った縦長に変え、高重心のタネにもなった「ダブルデッキ(ダブルフロア)」と呼ばれる二重床構造を廃止しました。ダブルデッキはリヤエンドへスムーズな気流を通し、ディフューザー効果を高める目論みがあったものの、エキゾーストパイプの取り回しなどに無理を強いられ、冷却効率の低下やエンジン出力の低下に繋がったと言われています。そこで一般的なおさまりに戻したというわけです。
5003
それ以外の特徴的な部分としては、一歩「遅れをとった」アクティブサスペンションの導入です。アクティブサスペンションと聞くと、前年92年のウィリアムズFW14Bが連想されますよね。これが大当たりしてウィリアムズ&マンセルにやりたい放題され、当然翌年ともなればライバル各車こぞって搭載してくるわけですが、このF93Aは大失敗を冒してしまいました。とにかく思うように機能しない。アクティブサスペンションはサスペンションそのもののハード面が正常に作動することはもちろんのこと、ソフト面、いわゆる「指示系統」がしっかりしていないと最適な状態を作れません。何度も何度もアクチュエーターに改良を重ね、危険な挙動を示すことも多々あり、ようやくまともになったのはシーズン終盤と時すでに遅しでした。
5003
シャシーのネーミング「F93A」の93は想像できるけど、末尾のAって何ぞやという話ですよね。Bがこの後に?!の予定でしたが結局立ち消えとなりました。F93Aをライトンに託し、バーナードは別系統でBを開発中だったものの、シーズン途中で「翌94年でハイテク装備(電子制御デバイス)禁止」を決定したことによって、94年型の開発にシフトしたためです。

5003
《シャシー》
 全長:  - mm
 全幅:  - mm
 全高:  - mm
 最低車体重量:505kg
 燃料タンク容量: - kg
 ブレーキキャリパー:ブレンボ
 ブレーキディスク・パッド:ヒトコ
 サスペンション:フロント プルロッド
          リヤ    プルロッド
 ホイール:BBS
 タイヤ:グッドイヤー

《エンジン》
 フェラーリTipo041(E2A-93)
  V型12気筒・バンク角65度
 排気量:3,497cc(推定)
 エンジン最高回転数:15,000rpm
 最大馬力:730馬力(推定)
 燃料・潤滑油:アジップ

ターボ廃止以降、90年代前半のフェラーリといえば何といっても3.5ℓV12気筒エンジンですね。太く力強いエキゾーストノートを奏でて、多くのファンを魅了してきました。しかし、ライバルと比べるとホンダV12や軽量かつコンパクトなルノーV10に比べてパワーの点で劣るという声も多くあり、90年代前半で遅れをとっていたのも事実でした。93年シーズンは少数派となったフェラーリV12は92年シーズンをもってF1を撤退したホンダと秘密裏に技術提携を図る策を採ります。ホンダV12はコンパクトでエキゾーストパイプの取り回しに定評があったことで有名でした。1シリンダーあたり5バルブ搭載していたものを4バルブ化するなどの進化を経て、結果的にシーズン終盤は戦闘力の向上を果たしています。
ギヤボックスは前年の後半車F92ATから引き継ぐ横置きとなっています。ただし、セミオートマチック7速から6速と1段数減らしたものを搭載しました。

IMG_2985
《ドライバー》
 No.27 ジャン・アレジ   (全戦)
 No.28 ゲルハルト・ベルガー(全戦)

若きエースのアレジを軸とし、マクラーレンからベルガーが再びフェラーリに復帰してきました。フェラーリ=ナンバー27と28。チームの持ちナンバー制が懐かしい。

FullSizeRender
《戦績》
 28ポイント コンストラクター4位
 (1位0回、2位1回、3位2回、4位3回ほか)
 ポールポジション0回

91年のプロスト&アレジ体制、92年のアレジ&カペリ、ラリーニ体制で未勝利と「暗黒期」を迎えたフェラーリはベルガーを呼び戻し、暗黒期からの脱却を狙います。
92年よりは多少減ったものの、シーズン通してとにかくリタイヤが多いです。その数は全16戦のうち、アレジが9回、ベルガーは7回と2台揃っての完走は第6戦モナコGP、第10戦ドイツGP、そして最終戦オーストラリアGPのたった3回しかありません。この「名車を振り返る」を書く時は記憶だけでなく一応そのシーズンの総集編ビデオをザッと眺めているのですが、おさめられるのは周回遅れになったり、リタイヤや接触するシーンばかりです。あのフェラーリが、それもアレジとベルガーをもってしても、かなり苦戦したシーズンを味わっています。28ポイントという数字だけみればとても低いように感じますが、この年はウィリアムズが最後のハイテクマシンFW15Cで大暴れした年でした。ウィリアムズが168ポイント、2位のマクラーレンがそのちょうど半分の84、3位ベネトンが72、そしてこのフェラーリはウィリアムズの1/6しか稼げないコンストラクター4位と聞けば「四強」と呼んでいいのか悩ましい結果ですよね(ちなみにランキング5位のリジェは23ポイント)ウィリアムズ天下で単に年が悪かった、という言い訳も苦しい領域です。
当然ポールポジションは無く、予選最上位は第13戦イタリアGPのアレジによる3番手となっており、アレジ、ベルガーともに大抵が5番手から酷いレースだと16番手なんてのもありました。決勝最上位はそのイタリアGPのアレジの2位をはじめ、モナコとハンガリーの3位2回と表彰台登壇もシーズンでたったの3回に止まりました。この不調の原因はウィリアムズの強さはさておけばやはり開発途上にあったアクティブサスペンションの不調や誤作動が大きかったと考えられます。その極め付けが第14戦ポルトガルGPのベルガーでした。ピットアウト時に急な誤作動が生じてスピンしてクラッシュしたものです。
IMG_2982
間一髪くぐり抜けてガードレールへ。
IMG_2983
例え単独事故であっても、あってはならないことですが、本線は最もスピードにのるストレートエンドだし、他車のちょうど隙に横切ったので大惨事は免れました。マシンがドライバーの理想としない挙動を示す。それはドライバーが信頼を寄せて車を操ることができないことに繋がります。私たちが車やバイクに乗る際にステアリングと逆方向にロールが入ったり、遅れたりしたら怖いですもんね。

F1の世界は何か問題や成績の不調がみられた場合、ドライバーやチーム代表、スタッフを契約の有無関係無く、容赦無く切ってきます。前年のカペリがいい例で、特にフェラーリはその傾向が強いチームです。この年、フランスGPからラリー界でプジョーの監督をしていたジャン・トッドに白羽の矢を立て、チーム再建にかけました。F1は全くの未経験者ですがトッドはシャシーの設計チームを一本化し、必要な人材を確保するなど、今まで無かった切り口でフェラーリを束ねていきました。IMG_2984
そうそう、左にいる帽子のおじさんもこの頃はフェラーリのアドバイザーでしたね。大ゲンカした方はこの頃もういませんので、安心して座っていられますね。

FullSizeRender
チャンピオンは第14戦でプロストに決まり、94年のハイテク禁止もあって、シーズン終盤のライバル達は消化試合と言わんばかりの姿勢を採りました。そんな中フェラーリはアクティブサスの改良、エンジンの改良を欠かすことなく取り組み続け、最終戦でようやくアレジ4位、ベルガー5位のダブル入賞でシーズンを終えます。開発の遅さ、未熟さ、そして優勝無しと引き続き「暗黒期」ではありましたが、その中でも「明るい将来」の期待を持たせるシーズンとなりました。一番悪い時代を味わえば、あとは上がるのみ。またフェラーリが「勝利」する日を目指して。

にほんブログ村 車ブログ F1へ
にほんブログ村
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

5003
今回はフェラーリ回にしました。先日のネタで駄馬駄馬言っていたら、駄馬もたまにはちゃんと取り上げなきゃなと思って選んだのは2014年型F14Tです。何気にライコネン車の連発になりました。まだまだ最近の話にもみえますが、もう6年も前の話ですね。インパクト抜群の見た目以上の駄馬、みていきましょう。

《設計》
 ニコラス・トンバジズ
 ジェームス・アリソン
 パット・フライ
 ルカ・マルモリーニ
 マッティア・ビノット
 浜島裕英
 ロリー・バーン

《外見》
開発担当者をいつもよりズラズラ多めに並べました。この方々がいわゆるA級戦犯、なんて言ったら失礼か(笑)
5003
先日も話題にしたフロントノーズからみていきます。この滑稽なフォルムは当時のレギュレーションである「ノーズ先端から50mm後方までの高さを185mmかつフロントタイヤ車軸から750mm以上1,200mm以下」に準拠したためです。フェラーリは掃除機のヘッドの如くローノーズを採りました。フェラーリ以外にはチャンピオンを獲得したメルセデスF1 W05 Hybridも同じ形状でした。
このマシン最大の特徴は「パワーユニット構成」にあります。空力性能を突き詰めるべくリヤエンドを絞ることをコンセプトとし、パワーユニットを集約化に努めています。インタークーラーに代わった「ヒート・エクスチェンジャー」と呼ばれる冷却器やMGU-Hなどの熱系機器類をエンジンのVバンク内側にまとめて、側部の空間確保に専念。エキゾーストマニホールドもエンジンに沿う形で平面的に合流させてシリンダー上方に立ち上げられていきます。
MGU-Kもエンジン側部でなく、エンジン後方にあたるクラッチやギヤボックスと一体化されました。とにかく中央に、上方に、後方に集約し、側部の空間を作り上げ、ライバルと色んな意味で一線を画しています。
5003
絞りに絞ったといっても、外見上はライバルとそんなに変わらない気もするんだけど、、(笑)
5003
フロントサスペンションは2012年型のF2012から引き継ぐプルロッド式となっています。

カラーリングはベースの深紅とウィング類の白に加え、マシン下部からエンジンカバー後部にかけて黒をまとっています。まさしくこの黒のエリアを絞りたかったのよーって。いつものマールボロを筆頭に、黄色い貝殻のシェル、白はサンタンデール銀行。スペインの銀行でエースドライバーさんのお得意スポンサーです。

5003
《シャシー》
 全長:  - mm
 全幅:  - mm
 全高:  - mm
 最低車体重量:691kg(ドライバー含む)
 燃料タンク容量:100kg
 ブレーキキャリパー:ブレンボ
 ブレーキディスク・パッド:
 サスペンション:フロント プルロッド
          リヤ    プルロッド
 ホイール:OZ
 タイヤ:ピレリ

IMG_2775
《エンジン》
 フェラーリTipo056/3
  V型6気筒・バンク角90度
  シングルターボ+ERS
 排気量:1,600cc(推定)
 エンジン最高回転数:  15,000rpm以下(制限)
 MGU-K 最高回転数:  50,000rpm以下(制限)
 MGU-H 最高回転数:125,000rpm以下(制限)
 最大馬力: - 馬力+120kW(非公開)
 燃料・潤滑油:シェル

2014年といえば現パワーユニット元年ですね。パワーはメルセデスには及ばず、ルノーよりは上という位置付けにはなりましたが、結果的にレッドブルに大敗していますから、結果的には苦労が報われなかったという悲しい結末に。

IMG_2795
《ドライバー》
 No.14 フェルナンド・アロンソ(全戦)
 No.7   キミ・ライコネン(全戦)

一度フェラーリを離脱しロータスの底上げに貢献するも不満を抱えていたライコネンを再び呼び戻し、2001年デビューのどちらもチャンピオン経験者を並べた豪華ラインナップとしてきました。歴代でみるとマッサ+ライコネン、マッサ+アロンソ、アロンソ+ライコネンと8シーズンでたったの3人。それも出戻りアリで当時のトップクラス、準トップクラスのドライバーを並べるあたりが「獲れない者は去るべき。獲れる者で狙う」フェラーリらしいですね。

5003
《戦績》
 216ポイント コンストラクター4位
 (1位0回、2位1回、3位1回、4位5回ほか)
 ポールポジション0回

当時のドライバーラインナップを考えれば、その戦績はピカイチです。2010年代前半は完全にレッドブルにやられて2番手に甘んじていた時期が続き、新たなパワーユニット元年となればフェラーリファン、F1ファンは「勢力図改変」を期待したことと思います。ただ蓋を開けてみたら、、ビックリするくらい、遅い!
開幕戦オーストラリアGP予選はアロンソがQ3に残り5番手を獲得しますが、ライコネンはQ2落ちの12番手に沈みました。決勝はアロンソ4位、ライコネン7位とベッテルやハミルトンといった他の優勝候補が脱落した中で散々たる結果に終わります。続く第2戦マレーシアGPはアロンソは同じく4位と表彰台まであと一つのところにつけますが、ライコネンは完走こそするもののラップダウンの12位入賞圏外と、まるで戦えていません。どこぞの中堅チームならまだしも、チャンピオンを経験したトップチームの結果ですから、ベッテルの絶不調、メルセデスの絶好調に引けを取らない衝撃的な事実でした。
以降、メルセデス、レッドブルの2チームのみならずウィリアムズやマクラーレンの後塵を拝することも多く、毎戦4位〜9位あたりをさまよう内容が続き、予選最高位はアロンソの第2戦マレーシアGP、第8戦オーストリアGP、第12戦ベルギーGPの4番手3回。決勝最高位もアロンソによる第11戦ハンガリーGPの2位1回となっており、ライコネンは結局一度も登壇できないというロータス時代よりも冴えない結果でした。ちなみにドライバーズランキングはアロンソがウィリアムズの一角(マッサ)を食う6位、ライコネンの12位は同じく登壇の無かった2001年ザウバーでの1年目を含めてもワーストです(2019年アルファロメオも無登壇でランキングタイ記録)フェラーリとして未勝利に終わったのは1993年のベルガー、アレジコンビ以来となる21年振りの大惨事となりました。5003
不作の原因として「空力を追求するあまりのコンパクトなパワーユニット」が挙げられます。エンジンのVバンクのエリアも活用し、エンジンカバー下部を絞った窮屈な設計は重量物を集中させ、重心も高くなりました。また、フロントエンドの処理、ブレーキ操作にも支障をきたすなど、マシン制御の繊細さを求めるライコネンはおろか、マシン性能を存分に引き上げる術を持つアロンソですら、表彰台登壇が精一杯という状況を作り上げてしまいました。勝利に飢えるアロンソは新しい活路としてこの年限りで長期契約を破棄してフェラーリを離れ、新生マクラーレンに移籍を決めます。そしてドライバーだけでなく首脳陣に対しても容赦無いフェラーリはチーム改革に踏み切り、開幕早々の4月に代表のステファノ・ドメリカリを解任、続いて8月にエンジン開発担当のルカ・マルモリーニを解任、9月に会長のルカ・モンテゼモロが辞任、さらにはシーズン終了とともにドメリカリの後任のマルコ・マティアッチも辞任という形で首脳陣もバタバタと斬られていきました。
5003
フェラーリに憧れるドライバーやファンは沢山います。F1にはなくてはならないワークス、コンストラクターには間違いありません。しかし潤沢な資金と揺るがぬブランドを引っ提げても「何かひとつ足りない。空回り。傲慢」なのもフェラーリ。フェラーリのネタになると毎回そう思い、書いてきましたが、フェラーリは「栄冠を掴んだ者の最終到達点」であり、フェラーリに属して栄冠を掴むのはかなり至難の業であるように感じます。古くはG・ヴィルヌーブ、ベルガーやアレジ、マッサもそうでした。アロンソやベッテルは「他で結果を出したドライバー」なのであまり心配に感じませんでしたが、ルクレールについては一抹の不安を覚えてしまいます。フェラーリが最後にチャンピオンを獲得してから、だいぶ日が経ってしまいました。

にほんブログ村 車ブログ F1へ
にほんブログ村
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

フェラーリはF1をするためにあるメーカー。車を知らない人でも名前くらいは知っているだろうし、ドライバーも一度は憧れる黄色いエンブレムに真紅のカラー。市販車を売るためにレースに出る他のメーカーとは違い、レーシングカーのデチューンを売ってた時代やレース投資のための市販車販売、なんてのも聞いたことがあります。

2014年に比べて2015年は立て直しましたが、そのF1に命をかけるフェラーリはこれまである周期で好調と不調を繰り返してきました。過去45年の結果から好調や不調の原因とその時採った動きを調べてみます。


《フェラーリの過去45年の成績》
※順位はドライバーランク上位/コンストラクターランク 
1970年→   4勝/13戦 2位/2位 312B
   シーズン後半に優勝を重ねたが、イタリアGPで死去したリントには及ばず2位止まり

1971年↘︎   2勝/11戦 4位/3位 312B2
   前半戦に優勝が2回。後半は下降して結局ランキング4位に終わる

1972年→    1勝/12戦 4位/4位 312B2
   ポールポジションを4回獲得するも、優勝に至ったものは1回のみ

1973年↘︎    0勝/15戦 9位/6位 312B3(73)
   マシンの改良のために欠場を強いられるなど、ますます不出来なシーズンを送る

1974年↗︎    3勝/15戦 2位/2位 312B3(74)
   ルカ・モンテゼモロが若いラウダを採用。レガッツォーニが最終戦でチャンピオンを逃す

1975年↗︎    6勝/14戦 1位/1位 312T
   ラウダが開花し11年振りにチャンピオン獲得。変革成功

1976年→    6勝/16戦 2位/1位 312T2
   ラウダが事故により戦線離脱し、マクラーレンのハントに最終戦日本GPで逆転を許す

1977年→    4勝/17戦 1位/1位 312T2
   ラウダがチームとケンカ別れし終盤2戦欠場するがチャンピオンはしっかり獲得

1978年↘︎    5勝/16戦 3位/2位 312T3
   抜けたラウダから代わったG・ヴィルヌーブが地元のカナダGPで初優勝を飾る

1979年↗︎    6勝/15戦 1位/1位 312T4
   シェクターとヴィルヌーブのフェラーリ2台で表彰台独占し、チャンピオン返り咲き

1980年↘︎   0勝/14戦 14位/10位 312T5
   改良に改良を重ねた旧型マシンで参戦したことで勝利はおろか表彰台にも上がれず

1981年↘︎    2勝/15戦 7位/5位 126CK
   長く貫いた水平対向12気筒を諦め、他チームに遅れてV6ターボエンジンを採用し2勝

1982年→   3勝/16戦 2位/1位 126C2
   ピローニの勝利はあったが、ヴィルヌーブの死とピローニの大事故で悲運のシーズン

1983年→   4勝/15戦 3位/1位 126C3
   アルヌーとタンベイのコンビでコンストラクターズのみチャンピオン

1984年↘︎   1勝/16戦 4位/2位 126C4
   エンツォ・フェラーリに気に入られていたアルボレートが1勝をあげたのみ

1985年→   2勝/16戦 2位/2位 156/85
   アルボレートがマクラーレンを駆るプロストに追従するも後半失速しチャンピオンならず

1986年↘︎   0勝/16戦 5位/4位 F186
   表彰台に5回登壇したが、優勝無しでコンストラクターズ順位を落とす

1987年→   2勝/16戦 5位/4位 F187
   終盤2戦でベルガーがチームに久々の勝利をもたらす

1988年↘︎   1勝/16戦 3位/2位 639(F188)
   マクラーレンMP4/4の圧勝をうけ、勝ったのは唯一リタイアしたおこぼれのイタリアGP

1989年↗︎   3勝/16戦 4位/3位 640(F189)
   アルボレートからスイッチしたマンセルが2勝、ベルガー1勝

1990年↗︎   6勝/16戦 2位/2位 641(F190)
   プロストが移籍してトップナンバーにはなったが、セナに惜敗し2位

1991年↘︎   0勝/16戦 5位/3位 642 643
   プロストは優勝がなく2位止まり。アレジは3位が3回

1992年↘︎   0勝/16戦 7位/4位 F92A
   アレジは健闘したが、この年はウィリアムズFW14Bが席巻し未勝利

1993年↘︎   0勝/16戦 6位/4位 F93A
   ウィリアムズのマンセルが抜けた席にプロストが復帰するため離脱。またも未勝利

1994年↘︎   1勝/16戦 3位/3位 412T1
   マンセル、プロストに続いたセナが死去するも主役はフェラーリでなくM・シューマッハ

1995年↘︎   1勝/17戦 5位/3位 412T2
   ルノーエンジン勢の活躍に泣き、アレジの1勝が精一杯。ベルガーと共に翌年ベネトンへ

1996年↗︎   3勝/16戦 3位/2位 F310
   R・ブラウンと共にベネトンから移籍したシューマッハが3勝してチームの立て直し成功

1997年→   5勝/17戦 7位/2位 F310B
   シューマッハが最終戦でJ・ヴィルヌーブへ故意に接触し、ドライバーズポイント剥奪

1998年→   6勝/16戦 2位/2位 F300
   最終戦まで粘ったシューマッハがスタートでエンストしチャンピオンはハッキネンの手に

1999年↗︎   6勝/16戦 2位/1位 F399
   シューマッハの戦線離脱でアーバインが活躍。またも最終戦でハッキネンに奪われる

2000年↗︎ 10勝/17戦 1位/1位 F1-2000
   シューマッハが最終戦でハッキネンの3連覇を阻止し、チャンピオンをもぎ取る

2001年→   9勝/17戦 1位/1位 F2001
   シューマッハが9勝してクルサードを大きく引き離す2年連続4回目のチャンピオン獲得

2002年→ 15勝/17戦 1位/1位 F2002
   シューマッハが全戦表彰台を獲得し勝率も88.2%を記録。第11戦でチャンピオン決定

2003年→   8勝/16戦 1位/1位 F2003-GA
   最終戦にまでもつれたマクラーレンのライコネンを振り切り、4年連続チャンピオン

2004年→ 15勝/18戦 1位/1位 F2004
   勝率83.3%で圧倒し、シューマッハが5回連続で最後となる7回目のチャンピオン獲得

2005年↘︎   1勝/19戦 3位/3位 F2005
   ルノーやマクラーレンに圧倒され、1勝はミシュラン勢が棄権したアメリカGPのみ

2006年→   9勝/18戦 2位/2位 F248
   アロンソに連続チャンピオンを許し、長年チームを支えたシューマッハが一度目の引退

2007年↗︎   9勝/17戦 1位/1位 F2007
   シューマッハから代わったライコネンが開幕戦を勝ち、最終戦に逆転のチャンピオン獲得

2008年→   8勝/18戦 2位/1位 F2008
   マッサが最終戦でハミルトンにわずか1ポイント差でチャンピオンを奪われる

2009年↘︎   1勝/17戦 6位/4位 F60
   わずか1勝しかできず、その1勝をあげたライコネンを1年前倒しで契約解消

2010年↗︎   5勝/19戦 2位/3位 F10
   ライコネンに代わりルノーからアロンソが移籍し、開幕戦優勝。5勝は全てアロンソ

2011年↘︎   1勝/19戦 4位/3位 F150°イタリア
   レッドブルに完敗し、アロンソのわずか1勝に終わる

2012年→   3勝/19戦 2位/2位 F2012
   アロンソが最終戦まで食らいつくが、3ポイント差でベッテルに敗れる

2013年↘︎   2勝/20戦 2位/3位 F138
   アロンソがシーズン後半で失速し、4年連続でベッテルに負ける

2014年↘︎   0勝/19戦 6位/4位 F14T
   ロータスからライコネンが再度移籍しチャンピオン2人並べるもメルセデスに敵わず

2015年↗︎   3勝/19戦 3位/2位 SF15-T
   アロンソに代わりレッドブルからベッテルが移籍しメルセデスから3勝をもぎ取る



矢印は個人的にその時のチームの調子を考えて付けてみました。↗︎は上向き調子、→は横ばい、↘︎は下降傾向です。あとおまけに載せたマシンのシャシー名はフェラーリは他チームと違い歴代一貫性がなく、その時のエンジンの構成や開発時のコードネームが採用されたり、何もない時は西暦を用いています。


集計した45年間では未勝利が1973,80,86,91〜93年と2014年の計7年。逆にドライバーズチャンピオンを獲得した年が1975,77,79年と2000〜04,07年の9年でした。1979年のチャンピオンから1980年の未勝利なんて地獄のような落ち込みです。

1973年の不調にはチーム代表であったアレッサンドロ・コロンボを1年で解雇し、現在アリタリア・イタリア航空の会長であるルカ・モンテゼモロを当時マネージャーから1974年にチーム代表へ昇格させます。そのモンテゼモロはエンツォ・フェラーリが目をつけたBRMで活躍するラウダを呼ぶことで1975年のチャンピオン獲得に結びつけました。

1980年はドライバーに問題はなく、長らく水平対向12気筒の312シリーズの改良にこだわった結果、ルノーエンジン勢に突き離される、完全にマシンの出遅れでした。3.0ℓのNAからドイツのKK&K社製のターボを載せた1.5ℓとし、ターボエンジンに見合うシャシー設計にフィッティパルディからハーベイ・ポスルスウェイトを呼び、G・ヴィルヌーブの活躍に繋がります。

1980年代はマルコ・ピッチーニ、チェザレ・フィオリオとチーム代表を代え、ドライバーを代えても成就せず、数年の暗黒時代を過ごします。長らくウィリアムズやマクラーレンの勢力に押されてしまいました。
今やFIAの会長を務めるジャン・トッドを1993年にラリーの世界からF1に招き、若手で活きのいいチャンピオン、M・シューマッハとロス・ブラウンのコンビをベネトンから集めてフェラーリの再建に託します。

ウィリアムズとルノーのタッグと強力なメルセデスエンジンを積み、エイドリアン・ニューウェイのデザインで進化したマクラーレンを撃墜するまで時間はかかりましたが、見事にトッド&ブラウン&シューマッハのチャンピオン獲得と勝利のために「徹底した帝国」を築き上げ、前人未到の5連覇を達成しました。

ただその時代も次第にルノーのアロンソやマクラーレンのライコネンといった次世代の若手ドライバー勢力には勝てず、チームを支えてきたシューマッハが去る要因の一つになります。そこでフェラーリは「その穴」を以前ライバルとしてきたライコネンやアロンソ、ベッテルといったトップドライバーを大金をはたいて引き寄せてしまうのが「ザ・F1」というフェラーリの魅力とやり方なんでしょうか。

近年ではトッドの後任となるステファ ノ・ドメリカリはチャンピオン知らずで7年頑張りましたが、2014年のマルコ・マ ティアッチはアロンソ&ライコネンのコンビを並べて21年振りの未勝利かつ表彰台2回でたった1年で辞任し、浜島裕英をはじめモンテゼモロ会長まで入れ替える大改革を迎えました。 チーム代表を替え、エンジンサプライヤーやドライバーを替えるのはどのチームにもよくある話ですが、フェラーリがそれの最たるもの、露骨にやってのけてしまうのが、何とも「らしい」です。またチームが不利に働くレギュレーション変更には頑なに拒み、F1から離れることも覚悟の主張をしてしまう、これがレース屋フェラーリです(決してフェラーリが嫌いなわけではありません)


2015年は何とか新体制で2人のドライバーの好みな車に仕上がり、ベッテルが3勝をあげるまで復調をみせました。今シーズンは同じドライバーラインナップで迎える2年目です。メルセデス独走の時代を打倒一番手、F1を代表する「赤い跳ね馬」が暴れてくれることに期待したいと思います。


にほんブログ村 車ブログ F1へ
にほんブログ村
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ