F1 えきぞーすとのーと

よくあるニュースネタやこ難しいテクニカルな話ではなく、メインは予選や決勝のTV観戦したそのものを個人的観点から綴るF1ブログです。  また、懐かしのマシンやレースを振り返ったり、記録やデータからF1を分析。その他ミニカーやグッズ集めも好きなので、それらを絡めつつ広く深くアツくF1の面白さやすごさを発信し、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

タグ:日本

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アルファタウリの角田くん、継続参戦が決まり一安心ですね。もう正面向いてくれて大丈夫ですよ!
いよいよ今週末は3年振りの日本GPが行われます。というわけで、いよいよ我が国日本人F1ドライバー1GPを開催する番が回ってきました。以前にこのブログでは18/2/17に「F1『日本人』グランプリ」と題して当時の日本人ドライバーの特集をしたことがあります。今回は新たに角田くんを加え、他の国と同様の評価基準を採りましたので比較がし易いと思います。

《日本人ドライバーの基礎情報》
 人数     :21人
 初参戦    :鮒子田寛
        (1975年第8戦オランダGP)
 初フル参戦  :中嶋悟
        (1987年 ロータス)
 表彰台経験者 :3人
 初表彰台登壇者:鈴木亜久里
        (1990年第15戦日本GP)
 優勝経験者  :0人
 初優勝    :無し
 P.P.経験者   :0人
 初P.P.     :無し
 チャンピオン :0人 0回
 初チャンピオン:無し
 現役ドライバー:角田裕毅(2021年開幕戦〜現在)
 初母国GP開催  :1976年第16戦
         (富士スピードウェイ)

日本人であるmiyabikunが多くご覧いただいているであろう日本の方に対して日本を語るのもおかしいので、ここはほんの障り程度にしたいと思います。
日本人F1ドライバーはスポット参戦含めて総勢21人います。先程のタイやマレーシア、中国、そして以前在籍のあるインドを含めても、日本はアジアでもF1大国であり、チームやメーカー、そしてGP開催を含めてもアジア諸国では頭一つ二つ突出していますね。本当ならばもう1人くらいシートが得られてもいいんじゃないか、と思いたいくらいF1と密接な関係を持つ国の一つです。
日本におけるF1はドライバーやGP開催よりも先にホンダによる「ワークスでの参戦」が先駆けとなりました(細かなパーツなどを含めたら、その限りではないのでしょうが)二輪で名を馳せたホンダは当初フルワークスでなくエンジンサプライヤーとして参戦を目指していたものの、ロータスから断られる形となりました。そこでホンダは急遽エンジンのみならずシャシーも自社製とし1964年シーズンで参戦を果たすこととなりました。
GP開催はホンダ(第一期)が撤退した8年後の76年に「F1世界選手権イン・ジャパン」と命名され、富士スピードウェイで行われています。初のアジア開催、それも(ヨーロッパからみて)極東に位置する日本GPは最終戦に設定されて、翌77年も開催されました。しかし77年の決勝レースで観客を巻き込む死亡事故(とはいえ、その観戦位置に問題はあったものの)が発生したこともあって、その年を最後に日本GPが消滅。現在の鈴鹿サーキットに舞台を移すまで10年の空白期間を経て現在に至ります。
日本人フル参戦ドライバーはワークス参戦、GP開催の中で最も歴史が新しく、皆さんもよくご存知、鈴鹿サーキットで日本GPが行われることになった87年に中嶋悟がロータスからデビューするまで時間を要しています。奇しくも先程のホンダ参戦のきっかけとなった「ロータス・ホンダ」の実現や鈴鹿サーキット初開催(もっと言えばフジテレビによる全戦テレビ放送)と重なるのが運命的というか、ようやくF1に日本を知らしめる、そして日本にF1を知らしめるきっかけとなるのが興味深いです。ただこちらもご存知の通り、中嶋悟がフル参戦を果たす前に6人ものスポット参戦者がいました。チャンピオン戦で日本初のF1参戦を果たしたのは75年第8戦オランダGPでフォードエンジンを搭載した日本のワークス「マキ」から参戦した鮒子田寛です。ホンダに続く日本で2番目のワークスチームから日本のドライバーがデビューしたわけですが、結果は予選不通過が続き、決勝レースで一度も走行することなくF1から撤退してます。また、ノンチャンピオン戦を含めた場合の初参戦は高原敬武が1974年にマーチから参戦したことがありました。
唯一の現役ドライバーである角田に至るまで、ドライバーのみならずチームやGPなど数々の出来事や苦難、チャレンジを経て「日本とF1の関係」が続いているわけです。

《参戦数》
 1   97戦 片山右京 ◯    10pts(95戦)
 2   91戦 佐藤琢磨 ◯    9pts
 3   88戦 鈴木亜久里 ◯   8pts(66戦)
 4   80戦 中嶋悟(父)◯   7pts(75戦)
 5   76戦 小林可夢偉 ◯   6pts
 6   39戦 角田裕毅 ◯ ●   5pts
 7   36戦 中嶋一貴(子兄)◯ 4pts
 8   33戦 中野信治 ◯    3pts
 9   32戦 高木虎之介 ◯   2pts
  10   21戦 山本左近     1pt
  11   18戦 井上隆智穂 ◯
  12     4戦 井出有治
  13     3戦 野田英樹
  14     2戦 鮒子田寛(1戦)
      2戦 高原敬武
      2戦 星野一義
      2戦 服部尚貴(0戦)
      2戦 鈴木利男
  19   1戦 桑島正美
      1戦 長谷見昌弘
      1戦 高橋国光

 ●は2022年現在現役ドライバー
 ◯はフル参戦ドライバー
 データは2022年第17戦終了時
 ( )内は予選通過レース数

今回の参戦数は特別編として、チャンピオン戦に参戦した21人全員の参戦数を書き記しました。ただ、この後明らかになりますが、全てが予選、決勝に出場したものばかりでなく「エントリーし、予備予選で敗退してしまったもの」もカウントした数になります。付与ポイントの隣にカッコ書きで示しました(よって時代が悪かったか2戦中2回予選を通過できなかった服部は予選出走0戦)
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日本人F1最多出走は100戦まであと少し、92年から97年まで6シーズンを戦った片山右京の97戦であり、予選不通過レースを差っ引いても単独の最多。2位は比較的近代でF1参戦ののちに渡米、インディ500を制した佐藤琢磨の91戦。3位は88年の日本GPでのスポット参戦から95年のスポット参戦で8シーズン88戦にエントリーするも、2年目の初フル参戦で全戦予選不通過という辛い過去を経験した鈴木亜久里になります。予選不通過をノーカウントすると、最多は片山、2位佐藤は変わらず、3位には浪人期間を経て76戦を戦い抜いた小林可夢偉が浮上してきます。
現役の角田は現在上位に倍半分の差がある6位39戦に位置します。少なくても来シーズンまでのシートを獲得していますので、何事もなければこの数は68まで延ばせるはずです。角田の下、7位に位置する中嶋一貴もフル参戦は角田と同様の2シーズンではありますが、一貴の時代は「1戦+18戦+17戦=36戦」であるのに対し、角田は「22戦+17戦+α=39戦」ですから、時代の差というか、単に比較するのも可哀想になってしまいますね。
フル参戦ドライバーを区別できるよう、名前の後ろに◯を印しています。フル参戦ドライバーは21人中10人となります。ちょうど半数程度にあたります。9位32戦の高木虎之介と11位18戦参戦の井上隆智穂までがフル参戦で、その間の山本左近は21戦参戦も参戦した3シーズンはいずれもスポット(代理)参戦でした。
スポット参戦が半数を占める中、今では想像できないシーズン(GP)があります。富士スピードウェイで行われた76年の日本GPです。高原がサーティース、星野はティレル、桑島はウィリアムズ、長谷見はコジマから参戦とスポット参戦ながら4人同時に参戦したことがあるんです。残念ながら桑島はスターティンググリッドに就くことができず、決勝は3人の参戦となりましたが、昔は日本によらずこのような「ご当地ならでは」の参戦が可能でした。

《表彰台登壇回数》
 1   1回 鈴木亜久里 10pts
      1回 佐藤琢磨  10pts
      1回 小林可夢偉 10pts

日本人F1表彰台登壇者になります。皆さんよくご存知の三方が仲良く1回ずつで並びます。みんなに仲良く10ポイント。21人の中で登壇者が3人というのを多いとみるか少ないとみるかはそれぞれ異なるかと思いますが、フル参戦ドライバー10人中3人とすれば、なかなかの高水準にもみえてきます。貴重な貴重な3人の表彰台レースと予選、決勝の順位をまとめてみました。

〈日本人ドライバーの登壇者と予選、決勝順位〉
  GP           予選※ 決勝
 90年日本   鈴木亜久里 10番手 3位
 04年アメリカ 佐藤琢磨    3番手 3位
 12年日本   小林可夢偉   4番手 3位
 ※予選順位はグリッド昇降格前のもの

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初代は90年にラルースから参戦した鈴木亜久里による3位表彰台です。F1で表彰台に登れるだけ素晴らしいことなのに、その舞台が日本の鈴鹿サーキットというのが何とも。失礼な言い方にはなりますが、このシーズンのラルースはお世辞にも表彰台はおろか6位入賞が精一杯のチームでした。マシンが悪いというよりかは「強者が多い」の方が正しい表現でしょうか。この日本GPはスタート直後の「事件」ありましたね。セナやプロストに加えてベルガーやマンセルとトップに立つ者が離脱。予選10番手、9番グリッドからスタートした鈴木はピケを擁するベネトン勢のワンツーに続く3位表彰台を獲得。さらにはティレルの中嶋悟が6位入賞と日本人参戦者2人が6位以内におさまっています。IMG_6745
2004年の佐藤琢磨はホンダエンジンを搭載したB・A・Rから参戦。第5戦スペインGPの予選は3番手、第7戦のニュルブルクリンクでのヨーロッパGPでは予選2番手を獲得するなど、入賞や表彰台登壇が期待できる位置にいました。第9戦にインディアナポリスで行われたアメリカGPの予選もフェラーリに続く3番手に座ります。決勝も序盤にセーフティカーが発動する荒れ模様の中、上位の失格やマシントラブルで順位浮上。終盤にはルノーのトゥルーリとのバトルを制し、予選順位のまま3位表彰台を獲得。佐藤はF1を離れた後渡米、インディ500で17年と20年に優勝するなど、インディアナポリスに所縁のあるドライバーとなりました。
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最新の表彰台登壇者はザウバーから参戦した2012年の小林可夢偉でした。予選はレッドブルのフロントロウ、3番手はマクラーレンのバトンが獲りましたが、バトンはギヤボックス交換によりグリッドダウン。決勝は3番グリッドからスタートを切ることとなりました。スタートでは2番手のウェバーが失敗し、小林はベッテルに続く2位に浮上します。1回目のピット後の小林はトロ・ロッソのリカルドに付き合う形となり、フェラーリのマッサにオーバーカットを食らってしまいます。レース終盤はチャンピオン経験者のバトンの猛追を見事振り切り、日本人としては3人目、日本GPとして2回目となる3位表彰台を獲得。表彰式の「可夢偉コール」は今でもmiyabikunの脳裏にしっかりと刻まれています。
小林が表彰台に立ってから早くも10年の月日が経ちました。鈴木から佐藤までは14年、佐藤から小林までは8年を要したことを考えたら、そろそろ日本人4人目が生まれてもいい頃ですね(鈴木、佐藤、小林と表現したものの、苗字だけだと誰のこっちゃわからん)

《優勝回数》
 無し

表彰台が3人3位1回ずつなわけですから、優勝はありません。言い換えれば、角田くんをはじめとしたこれからのドライバーから誕生するのではないかという期待を持てるというわけです。
で終わっちゃうのも寂しいので、スポット参戦を含めた日本人ドライバー全員の決勝最高位をピックアップしてみます。

〈日本人ドライバーの決勝最高位〉
         決勝
 片山右京     5位2回 ◯
 佐藤琢磨     3位1回 ◯
 鈴木亜久里    3位1回 ◯
 中嶋悟      4位2回 ◯
 小林可夢偉    3位1回 ◯
 角田裕毅 ●       4位1回 ◯
 中嶋一貴     6位1回 ◯
 中野信治     6位2回 ◯
 高木虎之介    7位1回
 山本左近    12位1回
 井上隆智穂       8位1回
 井出有治    13位1回
 野田英樹    リタイヤ
 鮒子田寛    不出走
 高原敬武      9位1回
 星野一義    11位1回
 服部尚貴    不出走
 鈴木利男    12位1回
 桑島正美    不出走
 長谷見昌弘   11位1回
 高橋国光      9位1回
 ◯は入賞圏内フィニッシュ

上位順に並べ直そうとも思いましたが、ある傾向がみられると思い、上記「参戦数」の並びのままとしました(面倒だったから、の説も少なからずあるかも)
全てに当てはまるわけではありませんが、参戦数が多い方、つまりフル参戦ドライバーの方が上位戦績が多いように感じます。今回の◯印は「当時の入賞圏内フィニッシュ」を示していますが、片山から中野までが入賞圏内で終えており、高木以下はフル参戦、スポット参戦含め、入賞圏内フィニッシュにはなりませんでした。スポット参戦の多くが「日本GP特別待遇」の方達であり、ちょい乗りの方よりも、何回も同じマシンに乗っている方がマシンにも慣れているわけで。
日本人最上位は先程の表彰台登壇3位の3人であり、次点は4位の中嶋悟と角田、5位の片山と続きます。高木や井上の順位も、現在であれば入賞圏内フィニッシュになります。時代は変わりました。

〈日本人ドライバーの決勝ファステストラップ獲得者〉
 89年オーストラリア(アデレイド市街地)中嶋悟
 12年中国     (上海国際)    小林可夢偉

決勝編はもう一つおまけに「日本人ドライバーの決勝ファステストラップ獲得者」も並べてみました。日本だから特別に行いますが、他の国と同様にポイント付与はしません。可夢偉ごめん。
89年の中嶋悟と2012年の小林の2件のみです。表彰台登壇数よりこちらの方が少ないんですね。決勝レースは「速く走ること」はもちろんのこと、ライバルとのバトルのみならず、自身のガソリンやタイヤとも戦っていますから、案外難しそうです。ファステストラップとは「決勝のポールポジション」それはちょっと違うか。

《P.P.獲得回数》
 無し

表彰台登壇やファステストラップはあれど、日本人で未だコレを出した者はいません。考え方によっては、優勝よりもポールポジションの方が難しいんじゃないかと感じることがあります。決勝編と同様に、全ドライバーの予選最高位を参戦順に並べました。画面を上下になかなか比較し難いかもしれませんが、順番は同じなので合わせて見てみて下さい。

〈日本人ドライバーの予選最高位〉
         予選※
 片山右京    5番手2回
 佐藤琢磨    2番手1回
 鈴木亜久里   6番手1回
 中嶋悟     6番手2回
 小林可夢偉   2番手1回
 角田裕毅 ●      7番手1回
 中嶋一貴    5番手1回
 中野信治     12番手1回
 高木虎之介    13番手2回
 山本左近     21番手4回
 井上隆智穂    18番手4回
 井出有治     21番手1回
 野田英樹     23番手2回
 鮒子田寛     25番手1回
 高原敬武     19番手1回
 星野一義     11番手1回
 服部尚貴     予選不通過
 鈴木利男     23番手1回
 桑島正美     26番手1回
 長谷見昌弘    10番手1回
 高橋国光     22番手1回
 ※予選順位はグリッド昇降格前のもの

予選最高位は先程もチラッと書いた佐藤と小林の予選2番手が1回ずつ。以降はやや離れて片山と中嶋一貴の5番手、鈴木と中嶋悟は6番手があり、角田は昨年の第9戦オーストリアGPでの7番手が最高位となります。やはりこちらもフル参戦ドライバーが上位になっています。
一つ変わり種として、服部の「予選不通過」があります。唯一順位が付いていません。服部は91年第15戦日本GPと翌最終戦オーストラリアGPでコローニから2戦エントリーしています。この当時は17チーム34人という数のドライバーが各GPに参戦していましたが、グリッドに就けるのは26人と決まっていました。そこで予選の予選「予備予選」が行われ、予選人数を26人に絞っていました。服部は参戦数のランキングにも記した通り、2戦参戦と数えつつ、2戦とも予選不通過となってしまい、予選の記録すら無いという結果となっています。服部といえば日本国内のレースやスパ耐久を制した名うてのドライバーの1人。ただ世界最高峰のF1、それも戦闘力の低いコローニのマシンではまるで歯が立たなかったということです。F1に乗れるだけすごいこと。

《母国GP成績》1回につき5pts
〈P.P.〉
 無し
〈優勝〉
 無し

《ドライバーズチャンピオン》1回につき10pts
 無し

母国GPでのポールポジション、優勝、そしてチャンピオン獲得は言うまでも無くありませんのでサクッと飛ばします。無いものは逆立ちしても無い、これからあることを願いましょう!
と、終わるとやっぱり寂しいので、シーズンの節目で行っている「予選、決勝の平均順位」をフル参戦ドライバーに限り算出してみました。

〈日本人ドライバーの予選、決勝平均順位〉
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こちらは上から参戦数順ではなく、古い時代から並べています。算出法はいつもと同じ。予選は不通過はカウントせず「グリッド昇降格前の生の予選順位」平均値。決勝も生の決勝順位かつ「リタイヤや失格、決勝不出走は26位扱い」としています。
予選平均最上位は何と角田の13.18位。2番目はまあ中嶋一貴の13.97位、以下は小林が14.42位、佐藤ら14.69位と近代ドライバーが続いています。これはこれらドライバーの参戦時期は「予選で26人も参戦していない」ことが大きく影響してきます。チチ嶋や鈴木、片山らが不憫になってしまいます。そのへんはなかなか補正のし様が無いため、多めにみてあげて下さい。あと近年はマシンの信頼性も向上し、リタイヤ率も下がっている点が強みとなっています。
決勝でも同じことが言え、リタイヤの26位扱いはあっても、25位完走など近代ドライバーには無いものです。よって決勝平均上位はえーまあ中嶋一貴の14.50位であり、以下は角田の15.18位、小林の15.42位、佐藤は16.52位とまあなっています。佐藤は晩年の「オールジャパン」が無ければ、、もう少し低いアベレージになったかもしれません、なんて(笑)
ちょっと面白いのは、多くが予選より決勝で平均値を下げている(一般的には決勝で完走さえすれば、26位扱いになりませんし、ライバルがリタイヤすれば順位が上がるはず)のですが、中野だけは予選より決勝の方が平均値が下がっています。1年目の97年プロスト時代は全17戦中9回のリタイヤがあるものの、2年目98年のミナルディ時代は全16戦中6戦のリタイヤとなっており、90年代の先輩同期の方々よりも比較的少なめでした。2年間のF1ドライブに終わってしまいましたが、もう少し走るところを見ていたかったです。今でも相変わらずのイケメン!

というわけで、寂しくなりがちな記録関連のネタを膨らませるだけ膨らませての結果発表です。久々の日本人F1ドライバー参戦と3年振りの日本GPで沸く日本の「日本一」を決定したいと思います!

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《日本人1GP(2022)の結果》
 1  19pts 佐藤琢磨
 2  18pts 鈴木亜久里
 3  16pts 小林可夢偉
 4  10pts 片山右京
 5    7pts 中嶋悟(父)
 6    5pts 角田裕毅 ●
 7    4pts 中嶋一貴(子兄)
 8    3pts 中野信治
 9    2pts 高木虎之介
  10 1pt      山本左近

1位は僅差で佐藤に決定!2位は鈴木、3位は小林(だから苗字だけだとわからんて)と、表彰台登壇者で参戦数が多い者が連ねる形となりました。現役の角田は5ポイントの歴代6位に位置します。角田は今後まだまだ参戦し、成長してくれるはずですから、まずは中嶋悟、続いて表彰台登壇者達に並び、追い抜くことに期待しましょう。
他の国に比べて獲得ポイントが少ないのは、膨らませた割には有効となるポイントが少ないから。寂しい。。まだまだ日本人が天下を取るのは先の話になるでしょうか。もう少しインプットを増やせばよかったかな。。ダメダメ、各国平等に!

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日本GPが日に日に近付いて来ましたよ!天気が心配。角田くん、そろそろこちらにお顔を、、
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うわ、やっぱ近いわ!

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CMシリーズは2ヶ月振りの登場です。ズラズラ数字ばかりみてきたのでたまには息抜きしましょう。今回は2005年に放映された「ミシュランタイヤ」編です。長らく続いたグッドイヤー時代を日本のブリヂストンが引きずり下ろし、いよいよフランスの巨人ミシュランもF1に名乗りを挙げました。ちょうどその勢いが最高潮の頃です。
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このCMは15秒なので実に忙しいです。明らかにトヨタとわかるチームスタッフ。初めはパニスかななんて思いましたが、パニスは前年2004年を最後に現役を離れてテストドライバーになったし、ヘッドフォンにメモを取る様からドライバーではないことも察しが付きます。
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おお、そこにいるんですか。わざわざ円で囲って色鮮やかに強調ありがとう!危うく見逃すところでした(笑)ちなみにパニスは1996年第6戦モナコGPで1勝を挙げ、2004年のトヨタでF1引退した後は耐久レースや氷上レースに出場するなど、多岐にわたってレースに携わりました。
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2005年シーズンはブリヂストンとこのミシュランの2社供給でした。ミシュランは参戦10チーム中のB・A・R、ルノー、ウィリアムズ、マクラーレン、ザウバー、レッドブル、そしてこのトヨタと7チームへ供給しています。前年から1チーム増えて、開幕戦オーストラリアGPから第8戦カナダGPまで連続優勝を挙げたことでミシュランへの注目もさらに大きいものになっていきます。
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その一方で第9戦のインディアナポリスで行われたアメリカGPでは、フリー走行2回目にトヨタのR・シューマッハがバンク部であるターン13で左リヤタイヤが突如バーストして大クラッシュを起こしてしまいました。
それにより前代未聞の「ミシュランタイヤユーザーの決勝レース一斉棄権」を招き、信頼性が懸念されて、この事件が全てではありませんがミシュランは翌2006年をもってF1への供給を終了しています。
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タイヤそのもの、特に我々一般ユーザーにとっては危険性は全く心配するものではなく、F1をはじめとしたモータースポーツからのフィードバックがなされています。
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ほら、ここにいたいた。ビバンダムくん。miyabikunは大学生の頃にビバンダムの携帯電話ストラップを付けていました。ビバンダムの正体は言わずと知れた「タイヤが重なり合ったもの」です。白だから包帯を巻いたミイラに見えてしまいますね。今でこそ可愛らしい「こういうキャラ」で完成されていますが、今までに軽微変更を何回か行っています。初登場は1899年に「ミシュランマン」という名で白いタイヤの中に人が入っているかのような生々しい、そしてちょっと不気味にも見えてしまうものでした。今回はその件に細かく触れませんが、興味のある方はその歴史や変遷を調べてみて下さい。
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このカットはとても印象に残っています。タイヤは本来回転しているもの。低速走行時でもサイドウォールやショルダーに記載されたロゴマークや印字を目で追うのは至難の業です。しかしこれはタイヤメーカーのCMであり、あくまで「タイヤが主役」なのです。
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タイヤが回るのではなく、タイヤを軸に車が回る。
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これを初めてみた時に面白いなと感心すると同時に懐かしく思ったのを覚えています。miyabikunは幼い頃からトミカやチョロQが「身近なお友達」としていたのですが、親指と中指や薬指で前か後ろの車軸を押さえて回して遊んだりもしました。まさしくそれじゃん、と。リアルな車でやるとそう見えるのか、と。トミカは自力で腕を振るか逆の手で引っ叩かないと車は回りませんが、チョロQの後輪はバネが入っているので予め回しておけば、支えを外した瞬間に挟んだ指の間でブルブルブルンと高速回転します。1,2回は面白く感じると思いますので、まだやったことがない方はお子さんのを借りたりコレクションのものでやってみて下さい。
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終わってしまいましたね。15秒は早い。。
F1には関係ないことだけど、余談をもう一つ入れようかな。

ミシュランはタイヤメーカーである以外に「ミシュランガイド」なるレストランの格付けや観光案内としても有名です。先日は木村拓哉、鈴木京香主演「グランメゾン東京」という連続ドラマでもその「星を獲りたい」という熱き夢に奮闘するもので人気を博しました。タイヤとガイド出版のこの両者は同じ会社のものです。
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もちろん主体、発祥はタイヤメーカーに違いありませんが、その「タイヤを売るために外食や旅行に出向いてもらう」目的でガイドを作ったそうです。ミシュランは世界的にどちらが知名度があるんでしょうね。タイヤでないと報われない(笑)星は3段階あります。

 ★★★:それを味わうために旅行する価値がある
      卓越した料理
  ★★:極めて美味であり、遠回りしてでも訪れる
      価値がある料理
   ★:その分野で美味しい料理

「五つ星」なんて言葉もたまに耳にしますが、ミシュランのレストランガイドにはありません。一つ星と聞くとあまり美味しくないのかなと思ってしまいそうですが、星が付くと売り上げが30%上がると言われるくらいの価値があるそうで、それを求める店や料理人が多くいるのも納得できますね。
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何の記事がわからなくなるくらいの余談で15秒CMを3分くらいに引き延ばせたでしょうか。F1にまつわるテレビCMでした。

https://youtu.be/TyYBHGm4dDs

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「ながら運転」「ながらスマホ」近年は運転中だけでなく街中や駅のコンコースでも厳しく強化され、批判の対象になっています。皆さんは「ながら〜」していませんか?!ながら運転については、2019年12月1日より「していた場合違反点数が3点、それによって事故を起こした場合は6点減点」となり、一発で免許停止となります。渋滞した運転中にもしもこのブログを読みたくなっても、2秒以上読んではいけませんよー気を付けましょうね。

古き良き時代、日本の古舘語録の中に「サテライト・クルージング走法」なんて言葉があります。サテライト=衛星、クルージング=巡航でしょう。古舘氏は何のこと言っているかよくわかりませんよね。その理由はここにあります。1991年から92年に放映されたパイオニア「カロッツェリア」のテレビCMです。
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カロッツェリアはパイオニアが発売するカーナビゲーションシステムです。お使いになっている方も多いかと思います。miyabikunの車は車自体にインダッシュのカーナビが付いているのですが、そのメーカーのカーナビがどうも好みではないため、前の車から歴代で使ってきたカロッツェリアをオンダッシュで付けるほどこのブランドを気に入っています。何といっても地名のフォントが好きです。カーナビは目的地に向かうのに使うのではなく「現在地を知る」だけの目的で使っているのに、カーナビが2台もあるとよく笑われますが、縮尺を変えて使っています。
当時フェラーリをドライブしていたアレジはこう話しています。IMG_1892
「こんど日本に行ったら、僕は京都をドライブしたい」
いいですね、テスタロッサで京都はあまりピンと来ないけど(笑)
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肝心のカーナビはこちらです。画面がとても小さい。これでは見るのに目を凝らさないとならなそうだ。ただ贅沢は言えません。何せこのカーナビは日本はおろか世界でも始祖に近い「GPS機能」付きのモデルなんです。
カーナビは1980年台初頭、ホンダがアコードに「エレクトロ・ジャイロケータ」と呼ばれる自車の方位を示し、地図は紙芝居のように自分の手で入れ替えるというものを世に出しました。そこからパイオニアは上空を飛ぶ衛星からGPS(グローバル・ポジショニング・システム)を使って自車の位置を測位して地図に落とす機能を世界初で開発、発売しました。とても画期的な商品ではあるのですが、GPSの測位は24時間できるものではなかったそうです。
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東本願寺の横を走るアレジのテスタロッサ
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カーナビでもしっかり表示されています。カーナビの縮尺表示のデフォルトを100mや200mにされている方は多いと思います。このモデルは一番拡大して250mまでしか寄れませんでした。紙の地図をくるくる回していたよりは便利なのかな。
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あ、矢印が右下を向いている。このマップは北上表示なんですね。miyabikunは進行方向北が好きです。
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「京都の人より、京都を知っている」
なるほど。京都は特に地元の人には勝てないだろうけど、キャッチコピーとしてはいい。
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「道は星に聞く」Satellite Cruising System
定価23万円かぁ、高い!今でいうサイバーナビシリーズみたいな価格帯だ。富裕層の高級車にしか載せられなさそう。
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「鈴鹿が終わったら、これで京都を走れる」
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このCMには続きがあります。
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「鈴鹿の後、京都を走った」
おおセリフが変わっていますね。夢が現実になったのですね。さっきテスタロッサで既に走っていたようにも見えるけど、グミゴとお忍びで京都にでも行っていたときのやつなのかな?!まあ細かいことは気にしない。
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うーんさっきはミスマッチみたいな言い方しちゃったけど、この辺のクラスがやるにはアリなのかな。miyabikunレベルでは想像もつきません。
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カーナビの取り付け位置は結構下の方になるんですね。一度ダッシュ付近を覗き込まなければならないし、これでは今の道路交通法を遵守している場合じゃなさそう。京都を走った気分はどうだった?!IMG_1915
「京都の街は、エキサイティングだった」
今でいうバクー市街地を走るような感じでしょうか。嵐山エリアも絡めれば、似たようなコースレイアウトができそうですね。

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クドいですが、ながら運転はしないようにしましょう!
https://youtu.be/ahWKUJyxGNw
https://youtu.be/e-C8GwtaadU

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今回のこちらも実はご無沙汰でした「F1関連CM」です。以前にプレイステーション時代の「FORMULA 1 ‘97」を取り扱いました。今回は時代は進みプレイステーション2で初めて収録された「FORMULA ONE 2001」です。
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小学生の頃はテレビゲーム=ファミリーコンピューターとして育ったmiyabikunとしては、高校生の頃になりソニーのプレイステーションが発売された頃はその綺麗さに大変驚き、憧れたのを思い出します。頭の中は勉強そっちのけで車漬けな高校生miyabikunは金を貯め苦労して「グランツーリスモ」を入手。ただしゲーム機の進化は待ってくれず、早くも成人式を迎えた2000年には次世代機プレイステーション2が発売。今回のこのシリーズからF1もプレイステーション2に移植されました。せっかく金を貯めて買ったのに、もう新しいハード機だもんな。大人って、やり方がキタナい!(笑)
前回紹介の’97と同様にこちらもF1公式ライセンスを取得しており、たばこ広告を除いたマシンカラーリングをはじめ、ドライバーの名前やサーキットも全て実在するものが収録されています。今のようにスマートフォンで自由にF1を走らせられる時代ではありませんでしたし、他のレーシングゲームにあったような「F1っぽいマシンにどこかありそうでなさそうなサーキット」でない、全て実在する本物であることがプレイする喜びであり、F1をより身近に感じられるゲームでした。

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グラフィックはだいぶ滑らかに、音もリアルになりました。このCMは日本GP中に放映されていたもののようで、実況や文字情報にも工夫が施されています。
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「日本GPの途中ですが、引き続き日本GPをお楽しみ下さい」
F1を意図して観ている視聴者ならば、言っている意味はわかりますが、何となくテレビを映していた人だと、何のこと言っているか一瞬わかりませんよね(笑)実況は当時のF1といえばフジテレビの三宅正治アナです。CMには出てきませんが、前作と同じく今宮純の合いの手も入っています。飽きてくると逆走したりしてね、「あらららら」なんて今宮さんを困らせるのを楽しみました。F1の声は今宮サウンド込みで完成します。今宮さん、今まで沢山からかってごめんなさい。

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本当にリアルですね。今の若い子はもっと綺麗なグラフィックやサウンドに慣れてしまって、こんなのじゃ感動しないんだろうな。これ20年前よ、当時は本当にすごかったんだからね?!
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このリヤビューは今でもオンボードカメラで確認できますよね。

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ここでベネトンのフィジケラがピットイン。と同時に実況の三宅アナもピットイン。
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そうですよね、出場しているドライバーやスタッフは当然ながら、実況や解説している方たちもレース中に「ピット」に行きたくなることもあるでしょう。実はmiyabikunのF1観戦は「放送より30分ほど遅らせた、録画追いかけ」で行っています。そうすれば、ここぞというシーンで一時停止できたり、体調不良時の「緊急ピット」にも対応できるからです。
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さあ三宅アナのピット時間は何秒だ?!ロリポップが丸くなくカクカクしていたり、ジャッキマンが撫で肩で頼りなさそうに見えるのはご愛敬ということで。。
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おお、12秒3か。なかなかな好タイムです。でもそんな短時間でピット終えられるもの?!いくら「小」の方でもコクピットに戻るまでに30秒くらいかからないかな。ピットの中に「ピット」がない限り、こんな早く復帰できるとは思えないんだけど?!まあいいか(笑)

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アングルはトップを捉えています。マシンからも左上の文字情報からもどのドライバーかは明瞭なのですが、CM内の実況は「例のチームの例の男が、例のエンジン、、」と言ってごまかしています。何でCMで言えないんだろう。他のスポンサーへの配慮でしょうか。
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2番手はこの黄色いジョーダンです。いきなりコースアウトして、グリーンでバタつく挙動までもなかなかのリアルさです。
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このシリーズから、コントローラーだけでなく「GT FORCE」なるステアリングでプレイできるようになったのも特徴です。結局一度もそれでプレイすることはありませんでした。もう大人を通り越しておっちゃんの領域に入りつつあるけど、今更ながらデビューしちゃおうかな(笑)
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最近はゲーム機でなくスマートフォンのゲームで気軽に済ませてしまっていますが、久々にちゃんとしたテレビ画面でゲームがやってみたくなりました。
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https://youtu.be/ZE0-1EPsOOQ

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今回のCMは誇らしき日本ブランド「ブリヂストン」の1999年バージョンをみていきます。
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ブリヂストンは1930年に福岡県久留米市で始めた「日本足袋株式会社」に端を発します。今でも子供向けのスニーカーを多く扱う「アサヒシューズ」という靴メーカーがありますが、その会社のタイヤ部門でした。ご存知の方も多いと思いますが「ブリヂストン」は創業者である石橋正二郎の「石橋」の英単語読みを逆にした「ブリッヂ+ストーン」から取られています。この石橋正二郎という方は「地下足袋」と呼ばれる足袋のスタンダードを作り上げた生みの親です。またプリンス自動車工業(現 日産自動車)の創立者でもあります。とにかくすごい方です。もっと言えば、このすごい方のお孫さんにあたるのが政治家の鳩山由紀夫、邦夫になります。鳩山家は父方のおじいさんも総理大臣ですから、すごいおじいさん2人を持つわけですね。
2018年に発表された2016年の世界シェアは1位はこのブリヂストン(日本)で14.6%のシェア率だそうです。以下は2位ミシュラン(フランス)、3位グッドイヤー(アメリカ)、4位コンチネンタル(ドイツ)、5位ピレリ(イタリア)、6位ダンロップ(日本、ただし発祥はイギリス)、7位ハンコック(韓国)、8位横浜ゴム(日本)と続きます。日本メーカーが上位を占めており、上位にはF1参戦歴のあるメーカーが多くありますね。
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余談が過ぎましたが本題に入ると、おばあちゃんが大型モニターに映し出されたF1に見惚れています。
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若者に混じって観戦していると、ある若者から
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「おばあちゃんもF1観てわかるの?」の一言。
おばあちゃんは特に言葉を返すことなく「まぁイヤねぇ」と言わんばかりのこの表情。その訳がこの後明らかになります。
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会場を後に赤のミニに乗り込む。
シートベルトが赤のサベルト?!満足げな表情。
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ステアリングが
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F1のものに変身!もしや、、
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おばあちゃん、さっきまでかけていたメガネを「ターミネーター」のようなバイザーにかけ替える。
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ここまでくれば、どんなストーリーかは想像できますよね。ここでミニのタイヤがブリヂストンのF1用ポテンザにトランスフォーム。
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おいおい、エキゾーストもミニに可愛いセンターマフラーではなくゴツいものに替わって、バックファイヤーしているぞ!
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「乗らなきゃ、わからないわよ」
これには料金所のオヤジもビックリですね。
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人は見かけで判断してはならない。実はスーパーおばあちゃんでしたというのはわかるが、設定が不自然(笑)無理矢理F1タイヤと一般人を結び付けたかったのかな。ポテンザを履けば、誰でもF1ドライバー気分。昔ポテンザを履こうかと思ったこともありますが、高いんですよね。

同じ頃のをもう1本。ブリヂストンは1997年からF1に参戦。全12チーム中、ヤマハエンジンを搭載するアロウズ、無限ホンダエンジンを搭載するプロスト、ほかスチュワート、ローラ、ミナルディの5チームに供給したのが始まりでした。翌98年には11チーム中、強豪チームであるマクラーレンとベネトンにも供給先を増やし、2年目にしてマクラーレンのチャンピオン獲得に貢献しました。
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誇らしく掲げる。タイヤよりもチームを(笑)
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ひたすらマクラーレンMP4-13の快走が続きます。レース中の映像を使用する場合、ライバルチームも入ってしまうわけですが、この年のマクラーレンのスタートはポールポジションやフロントロウが多く、レースも単独走行してくれるから見やすくガッチリ使えます。このマクラーレンの後ろを走るベネトンもこの年(98年)はブリヂストンユーザーでしたね。
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ウェット路面もブリヂストンなら問題無し!
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これは以前に振り返った強烈な開幕戦オーストラリアGPのワンツーフィニッシュですな。このシーンはCMにピッタリだ。
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今はピレリのワンメイクですから、メーカーによる得意不得意はなくなりました。しかしながら、温度管理などタイヤの取り扱いに苦戦するチームが多くあります。F1では「レース毎の使い捨て」ではありますが、自動車の本質「路面を掴み、動力を伝達して後方に蹴り出す」という行為においてタイヤはとても重要な道具の一つです。タイヤの適正な使い方ができれば、タイヤ一つで些細なパワー差やドライバーの実力差も帳消しになっちゃいます。
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https://youtu.be/KVN2ZH5pTls
https://youtu.be/QSxZNsU-uao

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