アルファタウリの角田くん、継続参戦が決まり一安心ですね。もう正面向いてくれて大丈夫ですよ!
いよいよ今週末は3年振りの日本GPが行われます。というわけで、いよいよ我が国日本人F1ドライバー1GPを開催する番が回ってきました。以前にこのブログでは18/2/17に「F1『日本人』グランプリ」と題して当時の日本人ドライバーの特集をしたことがあります。今回は新たに角田くんを加え、他の国と同様の評価基準を採りましたので比較がし易いと思います。
《日本人ドライバーの基礎情報》
人数 :21人
初参戦 :鮒子田寛
(1975年第8戦オランダGP)
初フル参戦 :中嶋悟
(1987年 ロータス)
表彰台経験者 :3人
初表彰台登壇者:鈴木亜久里
(1990年第15戦日本GP)
優勝経験者 :0人
初優勝 :無し
P.P.経験者 :0人
初P.P. :無し
チャンピオン :0人 0回
初チャンピオン:無し
現役ドライバー:角田裕毅(2021年開幕戦〜現在)
初母国GP開催 :1976年第16戦
(富士スピードウェイ)
日本人であるmiyabikunが多くご覧いただいているであろう日本の方に対して日本を語るのもおかしいので、ここはほんの障り程度にしたいと思います。
日本人F1ドライバーはスポット参戦含めて総勢21人います。先程のタイやマレーシア、中国、そして以前在籍のあるインドを含めても、日本はアジアでもF1大国であり、チームやメーカー、そしてGP開催を含めてもアジア諸国では頭一つ二つ突出していますね。本当ならばもう1人くらいシートが得られてもいいんじゃないか、と思いたいくらいF1と密接な関係を持つ国の一つです。
日本におけるF1はドライバーやGP開催よりも先にホンダによる「ワークスでの参戦」が先駆けとなりました(細かなパーツなどを含めたら、その限りではないのでしょうが)二輪で名を馳せたホンダは当初フルワークスでなくエンジンサプライヤーとして参戦を目指していたものの、ロータスから断られる形となりました。そこでホンダは急遽エンジンのみならずシャシーも自社製とし1964年シーズンで参戦を果たすこととなりました。
GP開催はホンダ(第一期)が撤退した8年後の76年に「F1世界選手権イン・ジャパン」と命名され、富士スピードウェイで行われています。初のアジア開催、それも(ヨーロッパからみて)極東に位置する日本GPは最終戦に設定されて、翌77年も開催されました。しかし77年の決勝レースで観客を巻き込む死亡事故(とはいえ、その観戦位置に問題はあったものの)が発生したこともあって、その年を最後に日本GPが消滅。現在の鈴鹿サーキットに舞台を移すまで10年の空白期間を経て現在に至ります。
日本人フル参戦ドライバーはワークス参戦、GP開催の中で最も歴史が新しく、皆さんもよくご存知、鈴鹿サーキットで日本GPが行われることになった87年に中嶋悟がロータスからデビューするまで時間を要しています。奇しくも先程のホンダ参戦のきっかけとなった「ロータス・ホンダ」の実現や鈴鹿サーキット初開催(もっと言えばフジテレビによる全戦テレビ放送)と重なるのが運命的というか、ようやくF1に日本を知らしめる、そして日本にF1を知らしめるきっかけとなるのが興味深いです。ただこちらもご存知の通り、中嶋悟がフル参戦を果たす前に6人ものスポット参戦者がいました。チャンピオン戦で日本初のF1参戦を果たしたのは75年第8戦オランダGPでフォードエンジンを搭載した日本のワークス「マキ」から参戦した鮒子田寛です。ホンダに続く日本で2番目のワークスチームから日本のドライバーがデビューしたわけですが、結果は予選不通過が続き、決勝レースで一度も走行することなくF1から撤退してます。また、ノンチャンピオン戦を含めた場合の初参戦は高原敬武が1974年にマーチから参戦したことがありました。
唯一の現役ドライバーである角田に至るまで、ドライバーのみならずチームやGPなど数々の出来事や苦難、チャレンジを経て「日本とF1の関係」が続いているわけです。
《参戦数》
1 97戦 片山右京 ◯ 10pts(95戦)
2 91戦 佐藤琢磨 ◯ 9pts
3 88戦 鈴木亜久里 ◯ 8pts(66戦)
4 80戦 中嶋悟(父)◯ 7pts(75戦)
5 76戦 小林可夢偉 ◯ 6pts
6 39戦 角田裕毅 ◯ ● 5pts
7 36戦 中嶋一貴(子兄)◯ 4pts
8 33戦 中野信治 ◯ 3pts
9 32戦 高木虎之介 ◯ 2pts
10 21戦 山本左近 1pt
11 18戦 井上隆智穂 ◯
12 4戦 井出有治
13 3戦 野田英樹
14 2戦 鮒子田寛(1戦)
2戦 高原敬武
2戦 星野一義
2戦 服部尚貴(0戦)
2戦 鈴木利男
19 1戦 桑島正美
1戦 長谷見昌弘
1戦 高橋国光
●は2022年現在現役ドライバー
◯はフル参戦ドライバー
データは2022年第17戦終了時
( )内は予選通過レース数
今回の参戦数は特別編として、チャンピオン戦に参戦した21人全員の参戦数を書き記しました。ただ、この後明らかになりますが、全てが予選、決勝に出場したものばかりでなく「エントリーし、予備予選で敗退してしまったもの」もカウントした数になります。付与ポイントの隣にカッコ書きで示しました(よって時代が悪かったか2戦中2回予選を通過できなかった服部は予選出走0戦)
日本人F1最多出走は100戦まであと少し、92年から97年まで6シーズンを戦った片山右京の97戦であり、予選不通過レースを差っ引いても単独の最多。2位は比較的近代でF1参戦ののちに渡米、インディ500を制した佐藤琢磨の91戦。3位は88年の日本GPでのスポット参戦から95年のスポット参戦で8シーズン88戦にエントリーするも、2年目の初フル参戦で全戦予選不通過という辛い過去を経験した鈴木亜久里になります。予選不通過をノーカウントすると、最多は片山、2位佐藤は変わらず、3位には浪人期間を経て76戦を戦い抜いた小林可夢偉が浮上してきます。
現役の角田は現在上位に倍半分の差がある6位39戦に位置します。少なくても来シーズンまでのシートを獲得していますので、何事もなければこの数は68まで延ばせるはずです。角田の下、7位に位置する中嶋一貴もフル参戦は角田と同様の2シーズンではありますが、一貴の時代は「1戦+18戦+17戦=36戦」であるのに対し、角田は「22戦+17戦+α=39戦」ですから、時代の差というか、単に比較するのも可哀想になってしまいますね。
フル参戦ドライバーを区別できるよう、名前の後ろに◯を印しています。フル参戦ドライバーは21人中10人となります。ちょうど半数程度にあたります。9位32戦の高木虎之介と11位18戦参戦の井上隆智穂までがフル参戦で、その間の山本左近は21戦参戦も参戦した3シーズンはいずれもスポット(代理)参戦でした。
スポット参戦が半数を占める中、今では想像できないシーズン(GP)があります。富士スピードウェイで行われた76年の日本GPです。高原がサーティース、星野はティレル、桑島はウィリアムズ、長谷見はコジマから参戦とスポット参戦ながら4人同時に参戦したことがあるんです。残念ながら桑島はスターティンググリッドに就くことができず、決勝は3人の参戦となりましたが、昔は日本によらずこのような「ご当地ならでは」の参戦が可能でした。
《表彰台登壇回数》
1 1回 鈴木亜久里 10pts
1回 佐藤琢磨 10pts
1回 小林可夢偉 10pts
日本人F1表彰台登壇者になります。皆さんよくご存知の三方が仲良く1回ずつで並びます。みんなに仲良く10ポイント。21人の中で登壇者が3人というのを多いとみるか少ないとみるかはそれぞれ異なるかと思いますが、フル参戦ドライバー10人中3人とすれば、なかなかの高水準にもみえてきます。貴重な貴重な3人の表彰台レースと予選、決勝の順位をまとめてみました。
〈日本人ドライバーの登壇者と予選、決勝順位〉
GP 予選※ 決勝
90年日本 鈴木亜久里 10番手 3位
04年アメリカ 佐藤琢磨 3番手 3位
12年日本 小林可夢偉 4番手 3位
※予選順位はグリッド昇降格前のもの
初代は90年にラルースから参戦した鈴木亜久里による3位表彰台です。F1で表彰台に登れるだけ素晴らしいことなのに、その舞台が日本の鈴鹿サーキットというのが何とも。失礼な言い方にはなりますが、このシーズンのラルースはお世辞にも表彰台はおろか6位入賞が精一杯のチームでした。マシンが悪いというよりかは「強者が多い」の方が正しい表現でしょうか。この日本GPはスタート直後の「事件」ありましたね。セナやプロストに加えてベルガーやマンセルとトップに立つ者が離脱。予選10番手、9番グリッドからスタートした鈴木はピケを擁するベネトン勢のワンツーに続く3位表彰台を獲得。さらにはティレルの中嶋悟が6位入賞と日本人参戦者2人が6位以内におさまっています。
2004年の佐藤琢磨はホンダエンジンを搭載したB・A・Rから参戦。第5戦スペインGPの予選は3番手、第7戦のニュルブルクリンクでのヨーロッパGPでは予選2番手を獲得するなど、入賞や表彰台登壇が期待できる位置にいました。第9戦にインディアナポリスで行われたアメリカGPの予選もフェラーリに続く3番手に座ります。決勝も序盤にセーフティカーが発動する荒れ模様の中、上位の失格やマシントラブルで順位浮上。終盤にはルノーのトゥルーリとのバトルを制し、予選順位のまま3位表彰台を獲得。佐藤はF1を離れた後渡米、インディ500で17年と20年に優勝するなど、インディアナポリスに所縁のあるドライバーとなりました。
最新の表彰台登壇者はザウバーから参戦した2012年の小林可夢偉でした。予選はレッドブルのフロントロウ、3番手はマクラーレンのバトンが獲りましたが、バトンはギヤボックス交換によりグリッドダウン。決勝は3番グリッドからスタートを切ることとなりました。スタートでは2番手のウェバーが失敗し、小林はベッテルに続く2位に浮上します。1回目のピット後の小林はトロ・ロッソのリカルドに付き合う形となり、フェラーリのマッサにオーバーカットを食らってしまいます。レース終盤はチャンピオン経験者のバトンの猛追を見事振り切り、日本人としては3人目、日本GPとして2回目となる3位表彰台を獲得。表彰式の「可夢偉コール」は今でもmiyabikunの脳裏にしっかりと刻まれています。
小林が表彰台に立ってから早くも10年の月日が経ちました。鈴木から佐藤までは14年、佐藤から小林までは8年を要したことを考えたら、そろそろ日本人4人目が生まれてもいい頃ですね(鈴木、佐藤、小林と表現したものの、苗字だけだと誰のこっちゃわからん)
《優勝回数》
無し
表彰台が3人3位1回ずつなわけですから、優勝はありません。言い換えれば、角田くんをはじめとしたこれからのドライバーから誕生するのではないかという期待を持てるというわけです。
で終わっちゃうのも寂しいので、スポット参戦を含めた日本人ドライバー全員の決勝最高位をピックアップしてみます。
〈日本人ドライバーの決勝最高位〉
決勝
片山右京 5位2回 ◯
佐藤琢磨 3位1回 ◯
鈴木亜久里 3位1回 ◯
中嶋悟 4位2回 ◯
小林可夢偉 3位1回 ◯
角田裕毅 ● 4位1回 ◯
中嶋一貴 6位1回 ◯
中野信治 6位2回 ◯
高木虎之介 7位1回
山本左近 12位1回
井上隆智穂 8位1回
井出有治 13位1回
野田英樹 リタイヤ
鮒子田寛 不出走
高原敬武 9位1回
星野一義 11位1回
服部尚貴 不出走
鈴木利男 12位1回
桑島正美 不出走
長谷見昌弘 11位1回
高橋国光 9位1回
◯は入賞圏内フィニッシュ
上位順に並べ直そうとも思いましたが、ある傾向がみられると思い、上記「参戦数」の並びのままとしました(面倒だったから、の説も少なからずあるかも)
全てに当てはまるわけではありませんが、参戦数が多い方、つまりフル参戦ドライバーの方が上位戦績が多いように感じます。今回の◯印は「当時の入賞圏内フィニッシュ」を示していますが、片山から中野までが入賞圏内で終えており、高木以下はフル参戦、スポット参戦含め、入賞圏内フィニッシュにはなりませんでした。スポット参戦の多くが「日本GP特別待遇」の方達であり、ちょい乗りの方よりも、何回も同じマシンに乗っている方がマシンにも慣れているわけで。
日本人最上位は先程の表彰台登壇3位の3人であり、次点は4位の中嶋悟と角田、5位の片山と続きます。高木や井上の順位も、現在であれば入賞圏内フィニッシュになります。時代は変わりました。
〈日本人ドライバーの決勝ファステストラップ獲得者〉
89年オーストラリア(アデレイド市街地)中嶋悟
12年中国 (上海国際) 小林可夢偉
決勝編はもう一つおまけに「日本人ドライバーの決勝ファステストラップ獲得者」も並べてみました。日本だから特別に行いますが、他の国と同様にポイント付与はしません。可夢偉ごめん。
89年の中嶋悟と2012年の小林の2件のみです。表彰台登壇数よりこちらの方が少ないんですね。決勝レースは「速く走ること」はもちろんのこと、ライバルとのバトルのみならず、自身のガソリンやタイヤとも戦っていますから、案外難しそうです。ファステストラップとは「決勝のポールポジション」それはちょっと違うか。
《P.P.獲得回数》
無し
表彰台登壇やファステストラップはあれど、日本人で未だコレを出した者はいません。考え方によっては、優勝よりもポールポジションの方が難しいんじゃないかと感じることがあります。決勝編と同様に、全ドライバーの予選最高位を参戦順に並べました。画面を上下になかなか比較し難いかもしれませんが、順番は同じなので合わせて見てみて下さい。
〈日本人ドライバーの予選最高位〉
予選※
片山右京 5番手2回
佐藤琢磨 2番手1回
鈴木亜久里 6番手1回
中嶋悟 6番手2回
小林可夢偉 2番手1回
角田裕毅 ● 7番手1回
中嶋一貴 5番手1回
中野信治 12番手1回
高木虎之介 13番手2回
山本左近 21番手4回
井上隆智穂 18番手4回
井出有治 21番手1回
野田英樹 23番手2回
鮒子田寛 25番手1回
高原敬武 19番手1回
星野一義 11番手1回
服部尚貴 予選不通過
鈴木利男 23番手1回
桑島正美 26番手1回
長谷見昌弘 10番手1回
高橋国光 22番手1回
※予選順位はグリッド昇降格前のもの
予選最高位は先程もチラッと書いた佐藤と小林の予選2番手が1回ずつ。以降はやや離れて片山と中嶋一貴の5番手、鈴木と中嶋悟は6番手があり、角田は昨年の第9戦オーストリアGPでの7番手が最高位となります。やはりこちらもフル参戦ドライバーが上位になっています。
一つ変わり種として、服部の「予選不通過」があります。唯一順位が付いていません。服部は91年第15戦日本GPと翌最終戦オーストラリアGPでコローニから2戦エントリーしています。この当時は17チーム34人という数のドライバーが各GPに参戦していましたが、グリッドに就けるのは26人と決まっていました。そこで予選の予選「予備予選」が行われ、予選人数を26人に絞っていました。服部は参戦数のランキングにも記した通り、2戦参戦と数えつつ、2戦とも予選不通過となってしまい、予選の記録すら無いという結果となっています。服部といえば日本国内のレースやスパ耐久を制した名うてのドライバーの1人。ただ世界最高峰のF1、それも戦闘力の低いコローニのマシンではまるで歯が立たなかったということです。F1に乗れるだけすごいこと。
《母国GP成績》1回につき5pts
〈P.P.〉
無し
〈優勝〉
無し
《ドライバーズチャンピオン》1回につき10pts
無し
母国GPでのポールポジション、優勝、そしてチャンピオン獲得は言うまでも無くありませんのでサクッと飛ばします。無いものは逆立ちしても無い、これからあることを願いましょう!
と、終わるとやっぱり寂しいので、シーズンの節目で行っている「予選、決勝の平均順位」をフル参戦ドライバーに限り算出してみました。
〈日本人ドライバーの予選、決勝平均順位〉
こちらは上から参戦数順ではなく、古い時代から並べています。算出法はいつもと同じ。予選は不通過はカウントせず「グリッド昇降格前の生の予選順位」平均値。決勝も生の決勝順位かつ「リタイヤや失格、決勝不出走は26位扱い」としています。
予選平均最上位は何と角田の13.18位。2番目はまあ中嶋一貴の13.97位、以下は小林が14.42位、佐藤ら14.69位と近代ドライバーが続いています。これはこれらドライバーの参戦時期は「予選で26人も参戦していない」ことが大きく影響してきます。チチ嶋や鈴木、片山らが不憫になってしまいます。そのへんはなかなか補正のし様が無いため、多めにみてあげて下さい。あと近年はマシンの信頼性も向上し、リタイヤ率も下がっている点が強みとなっています。
決勝でも同じことが言え、リタイヤの26位扱いはあっても、25位完走など近代ドライバーには無いものです。よって決勝平均上位はえーまあ中嶋一貴の14.50位であり、以下は角田の15.18位、小林の15.42位、佐藤は16.52位とまあなっています。佐藤は晩年の「オールジャパン」が無ければ、、もう少し低いアベレージになったかもしれません、なんて(笑)
ちょっと面白いのは、多くが予選より決勝で平均値を下げている(一般的には決勝で完走さえすれば、26位扱いになりませんし、ライバルがリタイヤすれば順位が上がるはず)のですが、中野だけは予選より決勝の方が平均値が下がっています。1年目の97年プロスト時代は全17戦中9回のリタイヤがあるものの、2年目98年のミナルディ時代は全16戦中6戦のリタイヤとなっており、90年代の先輩同期の方々よりも比較的少なめでした。2年間のF1ドライブに終わってしまいましたが、もう少し走るところを見ていたかったです。今でも相変わらずのイケメン!
というわけで、寂しくなりがちな記録関連のネタを膨らませるだけ膨らませての結果発表です。久々の日本人F1ドライバー参戦と3年振りの日本GPで沸く日本の「日本一」を決定したいと思います!
《日本人1GP(2022)の結果》
1 19pts 佐藤琢磨
2 18pts 鈴木亜久里
3 16pts 小林可夢偉
4 10pts 片山右京
5 7pts 中嶋悟(父)
6 5pts 角田裕毅 ●
7 4pts 中嶋一貴(子兄)
8 3pts 中野信治
9 2pts 高木虎之介
10 1pt 山本左近
1位は僅差で佐藤に決定!2位は鈴木、3位は小林(だから苗字だけだとわからんて)と、表彰台登壇者で参戦数が多い者が連ねる形となりました。現役の角田は5ポイントの歴代6位に位置します。角田は今後まだまだ参戦し、成長してくれるはずですから、まずは中嶋悟、続いて表彰台登壇者達に並び、追い抜くことに期待しましょう。
他の国に比べて獲得ポイントが少ないのは、膨らませた割には有効となるポイントが少ないから。寂しい。。まだまだ日本人が天下を取るのは先の話になるでしょうか。もう少しインプットを増やせばよかったかな。。ダメダメ、各国平等に!
日本GPが日に日に近付いて来ましたよ!天気が心配。角田くん、そろそろこちらにお顔を、、
うわ、やっぱ近いわ!
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