F1 えきぞーすとのーと

よくあるニュースネタやこ難しいテクニカルな話ではなく、メインは予選や決勝のTV観戦したそのものを個人的観点から綴るF1ブログです。  また、懐かしのマシンやレースを振り返ったり、記録やデータからF1を分析。その他ミニカーやグッズ集めも好きなので、それらを絡めつつ広く深くアツくF1の面白さやすごさを発信し、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

タグ:改修

F1チームの中には同じチームで同じマシンに乗っていても「平等に勝利やチャンピオン獲得の可能性を与えるところ」と「優劣をはっきりさせてるところ」に分かれます。人間はみな平等、スポーツは「腕や技術(時には運)」により結果が競われるものでなければなりませんが、チームとしてシーズンの勝利を得るためには、時には後者の考えを取り入れる、つまりチームオーダー発令が許されているのが現状です。近年のレースでもそれが発令されるのか否かハラハラしながらレースを見守ることもありますが、このレースもどうなるか最後の最後まで目が離せませんでした。今回は2002年にニュルブルクリンクで行われた第9戦ヨーロッパGPを振り返ります。このシーズンはこの先の第12戦にホッケンハイムリンクでドイツGPを控えていたため「ドイツでの二開催の一開催目」という位置付けになります。

このシーズンは全17戦が予定されていましたので、このレース数的には「シーズン後半戦初戦」ということになります。シーズン5回目のチャンピオンを狙うフェラーリのM・シューマッハがここまでに四連勝を含めた計6勝を挙げ、ポイントランキングトップの70。残りの2勝のうち第2戦マレーシアGPで優勝したウィリアムズのR・シューマッハが27ポイントでランキング2位。マクラーレンのクルサードは第8戦モナコGPで優勝を挙げ4位26ポイントと続いており、未勝利ながら27ポイントでウィリアムズのモントーヤも僅差で追従しています。

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古くからドイツGP、またヨーロッパGPの舞台として採用されてきたニュルブルクリンク(GPコース)はこのレースから一部レイアウト変更が加えられました。
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下り坂のメインストレートの先にあるターン1のカストロールSを鋭角化し、サーキット内側にグルリと回り込みアリーナ(メルセデスアリーナ)を通過するインフィールドエリアが加えられたため、一周距離が伸びただけでなく、ターン1攻略の難易度が高くなりました。ドライバーの一人、モントーヤからは
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「スローコーナーは危険。玉突き事故が起きる」のような意見が出ています。モントーヤらしからぬ弱気発言。
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とは言いつつも予選はモントーヤがポールポジション、相方のR・シューマッハが2番手となり、ウィリアムズがフロントロウを独占。M・シューマッハの独壇場をどうにか止めたいところ。そのフェラーリは3番手、4番手の2列目、マクラーレンが3列目、ルノーが4列目とチーム毎にくっきり分かれています。
また、
ジョーダン・ホンダからフル参戦を果たした佐藤琢磨はチームメイトのフィジケラを上回る14番手を獲得しています。

《予選結果》
 1 J・P・モントーヤ(ウィリアムズ・B・MI)
 2 R・シューマッハ(ウィリアムズ・B・MI)
 3 M・シューマッハ(フェラーリ・F・BS)
 ※BはBMW、MIはミシュラン、BSはブリヂストン

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スタートは2番スタートのR・シューマッハの蹴り出しがよく、モントーヤに代わってトップ、と思いきや
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モントーヤが恐れていたターン1で軽く接触。
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その後ろでは黄色いジョーダンの2台、佐藤とフィジケラも接触し、両者傷を負ったまま早々にピットに向かっています。
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「おーい、フロントタイヤ無いぞ。冗談は止めて」

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先頭争いに戻ると、同士討ちしたモントーヤがまずバリチェロの餌食となり、ウィリアムズの壁が脆くも崩れ始めました。
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バリチェロはすぐさまトップのR・シューマッハを捕らえる。
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ウィリアムズの壁崩壊。。早い。。R・シューマッハにとっても母国GPだし、BMWエンジンを積むチームとしてもココが母国。第12戦ドイツGPまで我慢か。
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「母国言われたら、俺もなんだけどね」4位に後退していたM・シューマッハもモントーヤを捕らえて3位浮上。残るは弟と「子分」だからどうにでもなるかな。
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3周目にR・シューマッハをパスして、早くもフェラーリがワンツー体制となります。
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逃げていたバリチェロにみるみる近付くM・シューマッハIMG_5053
ほら、いつ指示を出すの?!早かれ遅かれ出すんでしょう。とシナリオを先読みした途端に
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M・シューマッハはテールを滑らせてランオフエリアに吸い込まれる。
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「ん?!まだ早いか、様子をみよう」
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一応ピットに戻ってルーティンの給油とチェックを行って全く問題無し。トラックインしてもR・シューマッハのやや前で復帰できて2位のまま全く問題無し。

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多めの燃料搭載量で1回ピットを企てていた4位モントーヤはマクラーレン2台に突かれっ放し。
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メルセデスエンジンを搭載するマクラーレンからしてもドイツは半母国。ベテランの腕で猛獣をねじ伏せるか?!
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27周目のターン1でクルサードが並びかける。ブレーキング勝負!
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触れぬままイン側でテールを滑らせるモントーヤ
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アウト側のクルサードにヒットしてクルサードの右フロントサスペンションはひん曲がり、両者ココでリタイヤ。モントーヤは危惧していたターン1で2度目の接触となります。
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DC「はいはい、やってくれましたよ。と」
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JM「は、何が『はいはい』だ。意味わかんねー」
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アウトから攻めるのは危険だけど、君のためにスペースを空けたとニヤけながら語るクルサード
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ぶつけにいったのではなく、マシンが既にスライドしていて、不可抗力だったと語るモントーヤ。不敵な笑い。
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一番得したのは5位を走行していたマクラーレンのライコネンでした。前方の2人が消えたお陰で労せず3位に浮上。

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再び徐々に背後に忍び寄るM・シューマッハ。
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モニター前でこちらも笑みをこぼすロス・ブラウン。例の「指示」は下るのか。
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勝ったのは、どっち?!

《決勝結果》
 1 R・バリチェロ (フェラーリ・F・BS)
 2 M・シューマッハ(フェラーリ・F・BS)
 3 K・ライコネン (マクラーレン・M・MI)

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バリチェロでした。フェラーリ移籍3年目、F1で2勝目を挙げました。初優勝は2000年にホッケンハイムリンクで行われたドイツGPと、何かと相方の母国「ドイツ」に縁のある方です。それにしても、3年在籍してもようやく「2勝目」って、どれだけ我慢させられたことか。バリチェロの後ろでは「今回くらいはまあ、いっか」的な表情のエース。そして3位ライコネンはF1で2回目の表彰台登壇なんですが、相変わらずの素っ気なさ。貰い表彰台とはいえ、若いんだしもっと喜びなよ(笑)

この週末金曜日は日韓共同開催のサッカーワールドカップのベスト4を決める試合があり、イングランドとブラジルの対戦で見事ブラジルが勝利を飾っています。F1にサッカー、ブラジル国内では沸きに沸いた一日になったことでしょう。
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PS「ワシはブラジル関係無いけど、、まあ、いいか」

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皆さん、イベリア半島の大移動お疲れ様でした。今回の移動はご近所って感じがしますね。まだまだ本調子ではないmiyabikunもどうにか移動してきました。今シーズン初の二週連続開催となるスペインGPです。今回のシーズン前合同テストからは外さざるを得ない状況となりましたが、チームやドライバーにとってはお馴染みのサーキットかと思います。
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《スペインGPの基本情報》
 カタロニアサーキット
  全長           :4.675km×66周=計308.550km
  開催回数 :31回目
  コーナー数:16箇所
  高低差       : 29.6m

  DRS区間数:2箇所

  母国レース :アロンソ、サインツ

《サーキットの個人的印象》
 ・空力がモノをいい、さらに風も気になる
 ・パワーだけでなくコーナー処理も重要
 ・とにかく抜けない、予選最重要!
 ・一昔前は「優勝=その年のチャンピオン」

昨シーズンのコロナ禍においてもしっかり開催して、1991年から絶やすこと無くスペインGPの地として32年連続で開催されています。今回のカタロニアサーキットはご存知の通りターン10「ラ・カイシャ」の改良が施され、2005年から続いた左鋭角コーナーが以前の複合左コーナーに戻されました。ランオフエリア拡張して安全面の向上を目論んでおり、平均速度向上や走行ラインの多様化に繋がるものとなりそうですが、レースで必要不可欠となるパッシングにおいては関係無いか、むしろ減っちゃうんじゃないかと個人的には心配しています。このサーキット全般的にトラック幅員があまり広いわけではないため、特にトップ争いには変化が生じにくいのは先日このブログでもご覧頂いた通りです。予選順位はかなり重要なサーキットの一つとなっています。

《過去5年のポールポジション》
 2020年 ハミルトン(メルセデス)
    1分15秒584
 2019年 ボッタス (メルセデス)
    1分15秒406
 2018年 ハミルトン(メルセデス)
    1分16秒173
 2017年 ハミルトン(メルセデス)
    1分19秒149
 2016年 ハミルトン(メルセデス)
    1分22秒000

《ポールポジションレコードタイム》(参考)
 2019年 ボッタス (メルセデス)
    1分15秒406(一周4.655km)

《現役ポールポジション獲得者と回数》
 ★はその年のチャンピオン

 5回 ハミルトン(2014★,16,17★,18★,20★)
 2回 ライコネン(2005,08)
 1回 アロンソ (2006★)
   ボッタス (2019)

毎年のことながら予選内容は近年5年を見ただけでもメルセデスだらけが続いています。もっと言ってしまうと、現パワーユニットが施行される前の2013年のロズベルグからこの状況が続いているため、今のところ「8年連続でメルセデス以外のポールシッターがいない」ということになります。これまではさすがにここまで偏ったことがないのですが、この予選で9年連続と数を増やすのか、それに待ったをかけるライバルが出てくるのかに注目です。しつこいですが、ここでのポールトゥウィンならびにフロントロウスタートは高確率で優勝への近道となります。予選から決勝レースが始まっていると言っても過言ではありません。

《過去5年の優勝者》
 2020年 ハミルトン   (メルセデス)
 2019年 ハミルトン   (メルセデス)
 2018年 ハミルトン   (メルセデス)
 2017年 ハミルトン   (メルセデス)
 2016年 フェルスタッペン(レッドブル)

《現役歴代優勝者と回数》
 5回 ハミルトン(14★,17★,18★,19★,20★)
 2回 ライコネン   (2005,08)
   アロンソ    (2006★,13)

 1回 ベッテル    (2011★)
   フェルスタッペン(2016)

優勝者もポールポジションとニアリーイコールとなりますので自ずとメンバーとその回数も似通ってきます。そんな中、2016年のフェルスタッペンによる「レッドブル移籍初戦で初優勝」というものが光っていますね。型から外れた若手のこういったひょんな優勝に期待したくなります。ベッテルもポールポジションこそありませんが一度優勝経験があります。でもそれからもう10年経つのか、、今のベッテルは色々変わり過ぎて、そんな記憶や期待はなかなかし辛いな。頑張れベッテル!

《過去5年のファステストラップ獲得者》
 2020年 ボッタス (メルセデス)
 2019年 ハミルトン(メルセデス)
 2018年 リカルド (レッドブル)
 2017年 ハミルトン(メルセデス)
 2016年 クビアト (トロ・ロッソ)

《現役ファステストラップ獲得者と回数》

 5回 ハミルトン(2010,11,15★,17★,19★)
 1回 ライコネン(2008)
   ベッテル (2014)
   リカルド (2018)
   ボッタス (2020)

ハミルトンはファステストラップも最多の5回と全て「5回ずつ」でスペインももはや我が家のような状態となっています。2016年はクビアトでしたね。何だか懐かしい名前です。来シーズンも無事にスペインGPが行われて、この記事を書く頃には残念ながら名前が下に隠れて消えてしまいます。アルピーヌで元気してるんでしょうか。

《使用されるタイヤコンパウンド》
 赤:ソフト  (C3)
 黄:ミディアム(C2)
 白:ハード  (C1)

タイヤは前戦ポルトガルGPと同様に硬めの3種が持ち込まれています。タイヤに厳しいサーキットですから、決勝レースはポルトガル以上にタイヤチョイスがカギとなりそうですね。

《スペインGPの個人的予選予想》
 〜Q1〜
  20.マゼピン    (ハース)
  19.シューマッハ  (ハース)
  18.ラティフィ   (ウィリアムズ)
  17.ラッセル    (ウィリアムズ)
  16.ライコネン   (アルファロメオ)
 〜Q2〜
  15.ジョビナッツィ (アルファロメオ)
  14.角田裕毅    (アルファタウリ)
  13.ストロール   (アストンマーティン)
  12.リカルド    (マクラーレン)
  11.ベッテル    (アストンマーティン)
 〜Q3〜
  10.アロンソ    (アルピーヌ)
    9.オコン     (アルピーヌ)
    8.ガスリー    (アルファタウリ)
    7.サインツ    (フェラーリ)
    6.ノリス     (マクラーレン)
    5.ペレス     (レッドブル)
    4.ルクレール   (フェラーリ)
    3.フェルスタッペン(レッドブル)
    2.ボッタス    (メルセデス)
   P.P.ハミルトン   (メルセデス)

本音ではこの方以外から、と言いたいところですが、現実的にはこの方がポールポジションとなるのが妥当ではないかなと思います。メルセデスが大得意とするサーキット、実績共に申し分無い。あくまでフリー走行の感じだけでみると、3番手フィックスのフェルスタッペンは手探りな感じもします。もしかしたらルクレールを筆頭としたフェラーリ勢、元気なノリスあたりがぴょこんと上回ってきそうな気もします。アルピーヌはここのところ覚醒しましたね。今回は揃ってQ3お出ましという予想を立てました。
中団以下はようやくエンジンがかかり出したかベッテルと予選はパッとしないリカルドを交え、角田くんを安定の位置に添えています。今回のラッセルはちょいとQ1突破難しいかな。予選一発のジョビナッツィと決勝粘り方のライコネンを並べて、あとはいつもの布陣。ハースのシューマッハは今回もラティフィ食いができるかな。予選でもし一気に超えてきたら、miyabikunのドライバー・オブ・ザ・デイ最有力候補にしたいと思います。

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ご覧いただいている99%近くの皆さんが日本の方なのに「歴史や地理」なんておかしな話ですが、他の国やサーキットと比較にもなると思うので変わらずココもやってみます。今回は「日本GP」というくくりのため、先日振り返ったパシフィックGPは除外しています。

《国の基本情報ほか》
国名称:日本国
  人口  :1億2680万人(世界第11位)
  面積  :37万8千㎢(世界第62位)
  設立  :前660年?7世紀後半頃?
主言語:日本語
  首都  :東京都特別区
  通貨  :円

F1開催期間と数:1976,77,87〜(33回目)
開催サーキット:富士スピードウェイ、鈴鹿
F1ドライバー数:20人(スポット参戦含む)
F1チャンピオン:0人
現役ドライバー:0人
著名ドライバー:中嶋悟、鈴木亜久里、
                            片山右京、佐藤琢磨、
                            小林可夢偉

地図上の青丸はmiyabikunのその時いた位置です。いつも日本にいますので気になさらずに。
歴史は強くないので毎回軽く調べてから書くのですが、日本国の設立は諸説?色々あります。正直ハッキリとわかってないというのが正しいのかもしれません。島国で大陸からは隔離してますから、島ができて人間が住むようになってからの国家というか集落が起源なのかもしれません。初代天皇(神武天皇)が即位したのが紀元前660年で「日本」という呼び名は飛鳥時代にあたる7世紀(600年代)後半頃に「倭国」から改称したようです。また、呼び名について「にっぽん」や「にほん」と呼ぶ場合もありますよね。個人的には後者を使うことが多いのですが、規定はないとのこと。いずれも詳しい方がいたら教えて下さい。
ヨーロッパを中心にみるとよく「極東」「東洋」などと表現されます。F1開催される国でみると日付変更はオーストラリアが最も早く、日本はその1時間後、中国、シンガポール、マレーシアが日本のさらに1時間後に日付が変わります。イギリスからみると日本は9時間(サマータイムで8時間)先になるため、決勝スタートの日本時間14時はイギリスでは朝6時となります。えへへ、早起き!ざまあみろ(笑)
日本は世界規模でみたら温帯に属します。細かくみると南北に細長い国ゆえ、亜寒帯や亜熱帯にも属しますが、鈴鹿サーキットのある三重県はれっきとした温暖湿潤気候の「太平洋側気候」です。その中でも鈴鹿市より南側に位置する尾鷲市では過去に1日降雨量800mmを記録するなど、三重県は比較的雨の多い土地柄ではあります。
ドライバーはスポットを含めると20人おり、フルタイムドライバーとなると半数の10人、表彰台獲得者は3人、優勝経験およびチャンピオン獲得者は未だいません。F1に関わり始めてからだいぶベテランの域に達してきた日本。経済力や技術力、開催数やコンストラクター参戦などを考えるともう少し多く輩出してもいい気がするし「世界の20人」の中にコンスタントに1人はいてほしいと思うのですが、複数いる年と全くいない年とではっきりしているのも興味深いです。

《富士スピードウェイ》
  所在地 :静岡県駿東郡小山町
町域人口:1万9千人
町域面積:136㎢
標準時差:UTC+7:00
  F1開催 :1976,77,07,08(4回)
一周距離:4.400km(1976,77)
                  4.563km(2007,08)
初代優勝:M・アンドレッティ(ロータス)
最多優勝:全4回バラバラ(1回ずつ)
最多P.P. :アンドレッティ、ハミルトン(2回)
最速P.P. :1分12秒230 M・アンドレッティ(1977)
                  1分18秒404 L・ハミルトン(2008)
最多F.L. :全4回バラバラ(1回ずつ)
最速F.L. :1分14秒300 J・シェクター(1977)
                  1分18秒426 F・マッサ(2008)

富士スピードウェイは大手総合商社の丸紅から当時の建設大臣である河野一郎(河野洋平議員の父)に建設の提案があり、1963年に「日本ナスカー株式会社」というアメリカのNASCARを呼び込むべく会社を設立、1966年に完成しています。当初は傾斜地にオーバルのサーキットを計画していましたが、現地視察に来たS・モスにこの地にオーバルは困難であるという助言を受け、アメリカのようなオーバルタイプではなく、ヨーロッパに多いロードコースタイプのレイアウトとしています。初期のレイアウトはオーバルを狙ったバンクを擁するコーナーがありました(現在廃止)
現在解説でお馴染みの森脇基恭が主催者の事務局次長、JAF(日本自動車連盟)の代理人のとして奮闘し、1976年に日本初のF1にこぎつけた話は有名ですね。当時の日本でのレース名は「F1世界選手権イン・ジャパン」という名称であり、日本GPと名乗れませんでした。それは日本最高峰カテゴリーの全日本F2000選手権が日本GPを名乗っていたためです。翌1977年は晴れて日本GPとして開催され、チャンピオン争いの舞台になるものの、赤字と観客を巻き込む死亡事故が発生したこともあってF1開催は休止してしまいます。また、以降は鈴鹿に日本GPを譲る形となりました。
2000年にトヨタ自動車が三菱地所の株を買収。2005年に老朽化した施設とともにヘルマン・ティルケによってコースレイアウトを名残を残しつつ、近代的に変更したことで2006年で契約が切れる「ホンダ=鈴鹿」に対して2007年からの「トヨタ=富士」でF1開催に再度名乗りをあげます。結果的に鈴鹿も開催延長を希望したため、富士と鈴鹿の交互開催で折り合いをつけましたよね。
初開催から30年振りの開催となる2007年は「パークアンドライド」方式を採用してアクセスの悪さや周辺道路渋滞解消に貢献すると思いきや、悪天候も拍車をかけ、、皆さんご存知の「世界的な訴訟沙汰」となってしまいました。さらに観戦することが目的のスタンドからコースが見えないという大失態も。ご覧頂いている中にも被害に遭われた方は多いのではないでしょうか。2008年はそれら問題を解決させるもスポンサーなどの不況もあってF1開催を辞退するに至りました。個人的には住まいから近いしFujiって名前は世界的にウケがいいとは思うけど、改修されたとはいえレース内容もイマイチだったし、イメージがあまり良くありません。ただ今でもFIAのサーキット格付けは日本で数少ない最上級であるグレード1です。

《鈴鹿》
  所在地 :三重県鈴鹿市
市域人口:19万6千人
市域面積:194㎢
標準時差:UTC+7:00
  F1開催 :1987〜06,09〜(29回目)
一周距離:5.859km(1987〜90)
                  5.864km(1991〜01)
                  5.821km(2002)
                  5.807km(2003〜)
初代優勝:G・ベルガー(フェラーリ)
最多優勝:M・シューマッハ(6回)
最多P.P. :M・シューマッハ(7回)
最速P.P. :1分36秒996 A・セナ(1990)
                  1分34秒700 G・ベルガー(1991)
                  1分31秒317 M・シューマッハ(2002)
                  1分29秒599 F・マッサ(2006)
最多F.L. :M・シューマッハ(4回)
最速F.L. :1分43秒506 A・プロスト(1989)
                  1分38秒942 H・H・フレンツェン(1997)
                  1分36秒125 M・シューマッハ(2002)
                  1分31秒540 K・ライコネン(2005)

一方鈴鹿サーキットは1962年に本田技研工業によって日本初の舗装路面と観戦スタンド付きの本格サーキットとして開設されました。基本設計はホンダ社員の塩崎定夫が行い、ヨーロッパの多くのサーキットを手がけたジョン・フーゲンホルツが詳細設計を行いました。当時日本は高速道路もなく、ヨーロッパのサーキットの舗装サンプルを視察した際に入手し、日本鋪道(現 NIPPO)と共に高速度走行可能な路面を研究して採用、その後の高速道路技術の礎となっています。以前にも書きましたが、世界的にも珍しい立体交差のあるレイアウトは「8の字にすることで、タイヤの片減りを防げる」という考えから生み出されたそうです。
1987年に改修を行い、日本で10年振りの日本GPの舞台となるとシーズン終盤に設定されたことから「チャンピオン決定の舞台」を担ってきました。初開催の87年から5年連続、今までに11回はF1創世記のモンツァに次ぐ2番目に多い回数となっています。またS字から始まるテクニカル区間はライン採りでタイムに大きな影響を及ぼし、終盤の130Rはスロットルを戻すか戻さないかといったドライバーの度胸を試されます。抜きどころは決して多くない、開設から大幅な変更がないクラシカルなサーキットではありますが、ドライバーや関係者、ファンからも支持されたサーキットの一つです。如何に詳細設計の完成度が高かったかということを示しています。
レイアウト変更は終盤区間の軽微なものが多いです。1991年(図の赤ライン)から最終シケインを浅くし、2003年(黒ライン)に130Rを85Rと350Rの複合左コーナーに改良して緩やかになっています。以前はスロットルを少し戻すのが定説でしたが、近年のハイダウンフォースマシンはベタ踏みで走行できてしまうとのこと。
難しい、面白い、緊張感あるといいことづくめの誇らしいサーキットではありますが、課題や問題も昔からいくつか抱えています。当初二輪向けに設計されていたこともあって、改良はされつつもコース幅員は近代サーキットと比べると決して広くありません。またランオフエリアが狭いという指摘から、度々拡張やグラベルをターマックに変更する措置。さらには富士よりはアクセスがいいものの、都市や空港、ホテルなどは離れており、チームスタッフや海外の来客者にとっては決して楽とは言えない環境であることは否めません。

今回は特にサーキットの歴史に着目してまとめてみました。毎年退屈ではないレース運びが期待できるのが日本GPです。生観戦される方も、テレビ観戦の方も大いに楽しみましょう!
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ヨーロッパの締めくくりはイタリア、モンツァですね!開催を前にココも空から旧跡をみていきます。今回は南が上になります。

この向きであまり見たことがありませんでしたが、ずっとローカットのスニーカーに見えたコースレイアウトも、南上にするとイタリアの国の形と同様にロングブーツというか「ロボットの膝下」を横から見てるようにも思えます。クリップでも作れそうですね(笑)今度挑戦してみようかな。
ゴルフ場や森も生い茂って田舎そうにみえて、ココはイタリア第2の都市のミラノが近く、まあまあ都会から近い方だと思います。自身唯一海外のF1サーキットで近付いたことがありますが、残念ながら時期が悪く観戦はできず。。

モンツァは1950年のF1初年度から1980年以外はイタリアGPとして開催した最多サーキットです。あのモナコGPより回数は多いんです。そして有名な「オーバルレイアウト」が残るハイスピードのオールドサーキットです。1枚目の航空写真でもオーバルがはっきり確認できますね!
オーバルがF1で使用されていたのは1955,56年と60,61年のたった4回です。1961年にW・V・トリップスが観客を巻き込み、自身も死亡する事故を起こしたため、オーバル区間が廃止されました。距離は現在の5.793kmの倍近い10.0kmで、コントロールラインがあるストレートを2度通るレイアウトです。現コースを観ていて最終のパラボリカの終端の取り付きが緩やかに左にシフトしているのは、ちょうど旧コースがパラボリカの外側から現れて、それに乗るためなんですね。

コントロールラインから現コースの第1シケインがある手前を旧コースが右に弧を描きながら別れていきますが、まずは現コースと同じ方向を「シケインを無視」で直進します。減速なんかしません。
ちなみに今設置されているこの第1シケイン進入でR・ピーターソンが1978年に死亡しています。死亡事故があってシケインが設置されるケースはよくありますが、シケインの事故が原因で命を落としてしまうという逆パターン、何とも皮肉なものです。

グランデカーブで高速なまま北から北東へ向きを変えて二つ目のシケイン、も昔はありませんでした。速度がなかなか落ちません。レズモは今も昔もあまり変わらずです。
レズモから向きを南西に変えて現在アスカリ・シケインがあるのは、ココで偉大なるA・アスカリが命を落としたためです。昔はシケインもないので高速左コーナーでした。また、現在のテレビ観戦でも旧コースの跡を確認できるのが、アスカリ・シケイン手前のこのオーバークロス
観戦用の跨道橋とかではなく、オーバルが現コースと立体交差している証です。現コースがアンダーパスしている、の表現が正しいでしょうか。

バックストレートからパラボリカに進むところは現在も同じ。ただ、先程触れた「パラボリカからのシフト」を旧コースはシフトせず、ピットロードあたりを直進していよいよ2周目、ではなくオーバル区間突入になります。

このオーバルに付けられた見事なバンク。競輪場ではなくこれがF1サーキット、圧巻です!今は荒れていて草が生えているところもあるようですが、今でもこのオーバル区間がはっきり見えてるのは、通常の路面のようなアスファルトではなく、コンクリートだからのようです。コンクリートは雨や日差しの影響で白華がみられる弱点があるものの、アスファルトより頑丈で、酷使した国道のように轍も出来にくいです。それが上空からも白く目立って見えるのに貢献しているのでしょう。

F1も開催歴のあるインディアナポリスよりも綺麗なオーバルを描くと、3回目の登場となるパラボリカの出口を外側から進入してコントロールラインに戻ってきます。ほとんどが緩やかなコーナーとなっており、オーバルは高いバンクが付いているため、ほとんど速度を落とさず周回できます。ポールポジションの平均速度は223.0km/hなっており、マシン性能を考えても近代F1に引けを取りません。さすがスポーツカー大国イタリアの代表サーキットです。


これまでオーストリアのレッドブルリンク、ドイツのホッケンハイム、ベルギーのスパ・フランコルシャンとこのイタリアのモンツァと4つのオールドサーキットを空から巡ってきました。今シーズン残る鈴鹿以外は近代サーキットとなり、改修の名残ある現役サーキット編は今回が最終回になりそうです。今後機会があれば、昔使用されたサーキットも見てみたいと思います。



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ベルギーも空から見応えのあるサーキットの一つです。まずはいつもの縦長で北上にした上空写真です。
なかなかの田舎っぷりですね!この田舎が近年少数派になりつつあるパーマネントな高低差やコーナーを形成し、難易度を上げている所以です。
このレイアウトでお馴染み、現在最長7kmもあるサーキットのスパ・フランコルシャンも、昔々はもっともっと長いサーキットでした。その長さは今のちょうど倍の14.1km!
今回は見辛いので横着せず旧コースをなぞりました。一応同じ土地で現コースも使用したものですが、ご覧の通り極々一部を残したのみで、原型があまりありません。うっすらと現コースも見えるので、そのスケールのデカさは伺えます。鳥の手羽先、いやスライムみたいな形ですね。

現コースは第1コーナーのラ・ソースからオー・ルージュ、勾配を登り切ってからのケメル・ストレートまでで、昔のレ・コームは右に曲がらず直進しています。
上の写真のレ・コームで下から左に斜めに抜けていくイメージです。そこから今のN62号線のスパ道路と名付けられている道路が正しく旧コースの始まりです。

大きく右へ回り込むと今のN68号線となっている区間に入り、ロングストレート、そして途中にキンクがあるもののかなりハイスピードな区間になっています。

続いてまた右に向きを変え、現在あるスタブローの先から超高速左コーナーのブランシモン手前あたりまでオー・ルージュという名の小川に沿いながら現コースに合流していきます。


最終セクションはコントロールラインまで概ね同じラインを辿るなか、現在のバスストップは当時ありませんでした。

1970年まで使用された旧コース当時のレースを詳しくは知りませんが、J・スチュワートが14.1kmを予選で3分28秒で走破しているので、平均速度は244.0km/hとなり、現コース予選最速のウェバーの238.5km/hと比較しても、だいぶハイスピードだったことがわかります。今でこそ安全対策に向けられ、またさらに進化しようとしているマシンやレギュレーション。40年以上前も速度が高いという危険性から旧コースは廃止され、今のコースレイアウトに変更されました。他のサーキットで廃れていく旧コースと異なり、ここは公道として一般車も通行するように利用されています。


F1を観始めた小学生だった頃はこのスパ・フランコルシャンのコースを見る度にこれに見えてなりませんでした。
どうですか、ザックリ似ていませんか?今では見ることが無くなったこのマーク。実物を体操競技のように1回転半ほどひねるとスパ・フランコルシャンの出来上がり!(笑)



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