F1 えきぞーすとのーと

よくあるニュースネタやこ難しいテクニカルな話ではなく、メインは予選や決勝のTV観戦したそのものを個人的観点から綴るF1ブログです。  また、懐かしのマシンやレースを振り返ったり、記録やデータからF1を分析。その他ミニカーやグッズ集めも好きなので、それらを絡めつつ広く深くアツくF1の面白さやすごさを発信し、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

タグ:戦績

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もうすぐF1の夏休みも折り返しを過ぎ、後半戦開始が近付いてきます。今シーズンこそ速いと思われたフェラーリが想像以上の失速をみせ、代わって台頭してきたのがホンダエンジンを搭載するレッドブル(ほぼフェルスタッペン)ですね。ポールポジションを獲得して、前半戦の間に2勝を挙げたことも想像以上であったし、後半戦も楽しみを増やしてくれました。今回は日本では多くのファンが期待する「ホンダエンジン」にまつわる数字や過去を振り返っておきたいと思います。某F1情報誌に先を越されてしまいましたので、取り扱う目線は少し変えています。

《エンジン別の決勝戦績と勝率》
ホンダをフォーカスする前に、F1で名だたるエンジンメーカー(サプライヤー)上位5位の決勝戦績を並べてみました。あと、他のエンジンメーカー全ては記載できませんが、ホンダ以外の日本メーカーは参考まで。冒頭からいきなり余談として、決勝参戦数にF1ではあまり馴染みのないスバル(旧 富士重工業)が入っています。実はF1に参戦したことあるんです。スバルがコローニというイタリアのチームの株を取得、1990年に水平対向12気筒エンジンを引っ提げ、C3Bの名で予選に挑みました。しかしライバルに大きく水を開けられて1回も予備予選を突破できずにF1から撤退しています。
今回の数値は優勝やポールポジションを除いて、回数でなく「レース数」で横並びとしました。例えば、先日ホンダエンジンを搭載するフェルスタッペン、クビアトによるダブル表彰台のドイツGPは表彰台回数を「1戦」とカウントしています。

    データは2019年第12戦ハンガリーGP時点
    ◯はドライバー、エンジンとも2019年現役

・決勝出走数
  1 983戦   フェラーリ ◯
  2 631戦   ルノー ◯
  3 523戦  フォード
  4 471戦   メルセデス ◯
  5 433戦   ホンダ ◯
11 147戦   無限(無限ホンダ)
13 140戦  トヨタ
15 116戦   ヤマハ
  -  (8戦)スバル

・入賞レース数
  1 806戦   フェラーリ ◯
  2 499戦   ルノー ◯
  3 423戦   メルセデス ◯
  4 383戦   フォード
  5 266戦   ホンダ ◯
  8   83戦   トヨタ
14   56戦   無限(無限ホンダ)
23   18戦   ヤマハ

・表彰台レース数
  1 578戦   フェラーリ ◯
  2 322戦   メルセデス ◯
  3 312戦   ルノー ◯
  4 289戦   フォード
  5 128戦   ホンダ ◯
14   17戦   トヨタ
16   15戦   無限(無限ホンダ)
26     2戦   ヤマハ

・優勝レース数
  1 236勝   フェラーリ ◯
  2 183勝   メルセデス ◯
  3 176勝   フォード
  4 168勝   ルノー ◯
  5   74勝   ホンダ ◯
16     4勝   無限(無限ホンダ)

グラフで一言にまとめると、こんな感じ。表彰台数は優勝数を、入賞数は表彰台数と優勝数を、決勝出走数は全てを内包します。
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今シーズンのエンジンメーカー(サプライヤー)全てが歴代の中でも古参にあたります。その中ではホンダが最も歴が浅いです。言うまでもなくフェラーリエンジンが最多、かつ他のメーカーと異なる点はメルセデスやルノー、ホンダはサプライヤーに特化した時代を含む中で「ほぼワークスチーム」でのカウントというのがすごい!さすがレース屋フェラーリですねー、と感心するだけではつまらない。今回はあくまで「ホンダ」が主役、あれだけ勝ちまくった時代があるのなら「勝率」でみたらどうか、とグラフの下に割り出した結果を出しました。ところがフェラーリを上回ったのはルノー、フォード、メルセデスの3社で、肝心なホンダは勝率17.1%とメルセデスの半分以下に。うーん、メルセデス強し。最近はレース内容もブログネタもメルセデス過ぎてますね。この比較は失敗か。
日本メーカーでみると、ホンダ系列の無限、世界のトヨタ、バイクも楽器もおまかせヤマハを大きく引き離して日本1位!F1で優勝しているのはホンダと無限(ホンダ)の2社となっています。ホンダは長年「F1命」で頑張っているし、すごいメーカーなのだ!(笑)

《ホンダ各期の戦績》
ここからちゃんと「ホンダエンジン」に特化していきます。ご存知の通り、ホンダとF1との関わりは4つの期間に分かれます。チームによってはシーズン途中にエンジンメーカーや組織をを変えていることがあります。そこは「別チーム扱い」でカウントしています。2018年に関してはフォース・インディアの件で10チームではなく、11チーム扱いです。
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こちらはF1全体でみたホンダエンジン搭載のチーム(コンストラクター)ランキングです。グレーにハッチングされているのが空白期間で、限られたスペースの中でグラフ化するとくちゅくちゅっと非常に窮屈になります。ザッとみる限りだと、ホンダの黄金期ともいえる第二期をはじめ、なかなか上の方に位置してるじゃん?!なんて。以下で期で分けたデータと戦績にまとめていきます。パワーユニット構成を示すTTはツインターボ、HTはハイブリッドターボです。

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・ホンダ第一期
    期間       :1964年〜68年(5年)
    供給先    :ホンダ
    初P.P.     :J・サーティース(68年R9イタリア)
    初入賞    :R・ギンザー(65年R3ベルギー)
    初表彰台:R・ギンザー(65年R10メキシコ)
    初優勝    :R・ギンザー(65年R10メキシコ)

    ホンダ 1964年〜68年 ドライバー6人
        P.P.1回 決勝35戦 入賞13戦 表彰台5戦 2勝

    64年:RA271E 1.5ℓV12 NA
    65年:RA272E 1.5ℓV12 NA
    66年:RA273E 3.0ℓV12 NA
    67年:RA273E 3.0ℓV12 NA
    68年:RA301E 3.0ℓV12 NA
               RA302E 3.0ℓV8   NA

この時代を偉そうに書いていますが、毎度のことながらmiyabikunまだ生まれていません。両親でさえ青年少女の頃。よって恥ずかしながら雑誌やビデオの受け売りです。
1964年といえば、東京オリンピックにカラーテレビ、東海道新幹線開業、全国に少しずつ高速道路が出来始めたいわゆる「高度成長期」と呼ばれた頃。本田技研工業は今よりもバイクに力を注いでいた企業で、当初はワークス参戦ではなく名門ブラバムやロータスへのエンジン供給を予定していました。しかし64年シーズン開幕半年前に急遽頓挫、ワークスでの参戦を強いられたのがきっかけでした。
開幕戦には間に合わず、F1デビューは第6戦ドイツGPでした。ドライバーにはアメリカ出身のR・バックナムの1名体制で臨み、予選24人中22位、決勝は完走こそしますがフェラーリで優勝を飾るJ・サーティースから4周遅れとなる13位で終え、現実の厳しさや課題の残る初戦となりました。
日本ではまだ馴染みがなく、周りは四輪で何十年も活躍する一流ドライバーやチームに囲まれるホンダ。65年から加入したR・ギンザーによって最終戦メキシコGPの予選3位スタートから記念すべき初優勝を挙げます。さらに67年に二輪と四輪を制覇したサーティースが加入したことで大きな転機を迎えます。開幕戦南アフリカGPで3位表彰台に立つと、リタイヤ以外は全て入賞圏内のフィニッシュを続け、第9戦イタリアGPでサーティースにも優勝をプレゼントすることに成功。コンストラクターズランキングでフェラーリを上回る4位を獲得することができました。しかし順風満帆に思えた矢先の翌68年、第6戦フランスGPでスポット参戦したJ・シュレッサーが死亡、そのシーズンをもってF1から退くことになりました。

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・ホンダ第二期
    期間       :1983年〜92年(10年)
    供給先    :スピリット、ウィリアムズ、
                      ロータス、マクラーレン、ティレル
    初P.P.     :K・ロズベルグ(85年R7フランス)
    初入賞    :K・ロズベルグ(83年R15南アフリカ)
    初表彰台:K・ロズベルグ(84年R1ブラジル)
    初優勝    :K・ロズベルグ(84年R9アフリカ)

    スピリット    1983年            ドライバー1人
        P.P.0回   決勝6戦   入賞0戦   表彰台0戦     0勝
    ウィリアムズ 1983年〜87年 ドライバー6人
        P.P.19回 決勝65戦 入賞46戦 表彰台33戦 23勝
    ロータス        1987年〜88年 ドライバー3人
        P.P.1回   決勝32戦 入賞19戦 表彰台11戦   2勝
    マクラーレン 1988年〜92年 ドライバー3人
        P.P.53回 決勝80戦 入賞71戦 表彰台64戦 44勝
    ティレル        1991年            ドライバー2人
        P.P.0回   決勝16戦 入賞3戦   表彰台1戦     0勝

    83年:RA164E 1.5ℓV6   TT
    84年:RA164E 1.5ℓV6   TT
    85年:RA165E 1.5ℓV6   TT
    86年:RA166E 1.5ℓV6   TT
    87年:RA167E 1.5ℓV6   TT
    88年:RA168E 1.5ℓV6   TT
    89年:RA109E 3.5ℓV10 NA
    90年:RA100E 3.5ℓV10 NA
    91年:RA121E 3.5ℓV12 NA(マクラーレン)
               RA101E 3.5ℓV10 NA(ティレル)
    92年:RA122E 3.5ℓV12 NA

さあキラキラの第二期ですよー!この頃になればmiyabikunは半分リアルです。F1の時代は「小排気量にツインターボ搭載」が主流になるつつありました。下位カテゴリーでモータースポーツに関わるホンダは、撤退してから15年の歳月を経た83年第9戦イギリスGPでイギリスが地元のスピリットから、ワークスではなく「エンジンサプライヤー」として復帰し、ビッグパワーターボのレースに果敢にチャレンジすることとなりました。
そして何とチャンピオンチームであるウィリアムズへの供給が決まり、ドライバーはこちらもチャンピオン経験者のK・ロズベルグがもれなく付いてきます。2年目の84年第9戦アメリカGPでロズベルグによる復帰後初優勝、85年のフランスとドイツで2戦連続のポールポジション獲得と、改良とテストを繰り返した成果が早々と発揮されました。その後、ウィリアムズにはマンセルとピケが並び、ロータスでは若手のセナとホンダの飛躍に貢献した中嶋悟がシートにおさまるという、ホンダが演出したといっても過言ではない「日本F1絶頂期」に突入していきます。そしてツインターボ締めくくりの88年にウィリアムズからマクラーレンに鞍替えしたホンダは「例の偉業」を成し遂げる。
エンジンレギュレーションに大幅な変更を伴うことで変わるかと思われた勢力図をマクラーレンとホンダ3.5ℓV10 NAではね退け、ウィリアムズ時代から「コンストラクターズ6連覇」を成し遂げます。これは現時点の最長タイ記録です。もし今シーズンもメルセデスが獲得すれば、2000年代前半を席巻したフェラーリと合わせたタイ記録となります(同一コンストラクターとすると、ホンダは4連覇となり除外)
ただライバルもジリジリと差を縮めていたのも事実で、ルノーエンジンに鞍替えしたウィリアムズは様々な新技術を導入して政権交代を図り、ホンダは「本業」に注力すべく2度目のF1撤退を決心しました。その後の技術はグループ会社である無限が引き続き、エンジンサプライヤーとしてF1を支えていきます。

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・ホンダ第三期
    期間:2000年〜08年(9年)
    供給先    :ホンダ、B・A、R、ジョーダン、
                      スーパーアグリ
    初P.P.     :J・バトン(04年R4サンマリノ)
    初入賞    :J・ヴィルヌーブ(00年R1オーストラリア)
    初表彰台:J・ヴィルヌーブ(01年R5スペイン)
    初優勝    :J・バトン(06年R13ハンガリー)

    B・A・R          2000年〜05年 ドライバー6人
        P.P.2回 決勝102戦 入賞39戦 表彰台15戦 0勝
    ジョーダン       2001年〜02年 ドライバー6人
        P.P.0回 決勝34戦   入賞13戦 表彰台0戦   0勝
    ホンダ              2006年〜08年 ドライバー2人
        P.P.1回 決勝53戦   入賞21戦 表彰台4戦   1勝
    スーパーアグリ 2006年〜08年 ドライバー5人
        P.P.0回 決勝39戦   入賞2戦   表彰台0戦   0勝

    00年:RA000E 3.0ℓV10 NA
    01年:RA001E 3.0ℓV10 NA
    02年:RA002E 3.0ℓV10 NA
    03年:RA003E 3.0ℓV10 NA
    04年:RA004E 3.0ℓV10 NA
    05年:RA005E 3.0ℓV10 NA
    06年:RA806E 2.4ℓV8   NA
    07年:RA807E 2.4ℓV8   NA
    08年:RA808E 2.4ℓV8   NA

第二期から撤退した後、エンジンは無限によってF1参戦するに留まりますが、ホンダも内々でワークス参戦を夢に試作が続けられました。1999年にイギリスを拠点とするホンダ・レーシング・ディベロップメント(HRD)を設立。テストドライバーとしてF1走行経験のあるJ・フェルスタッペンを招いて準備段階に入りますが、テクニカルディレクターのH・ポスルズウェイトが心筋梗塞によって亡くなったため計画が白紙となり、エンジンサプライヤーとしての復帰を選びました(ちなみにこの頃M・フェルスタッペンが生まれています)
第三期は参戦して日の浅いB・A・Rへの供給となりました。潤沢な資金とチャンピオン経験者であるJ・ヴィルヌーブをもってしてもなかなか表彰台に手が届かず、初年2000年シーズンは決勝4位4回でコンストラクターズランキングも4位で終えます。01年から無限ホンダを搭載していたジョーダンを加えた2チーム体制とし、02年にホンダが育てた佐藤琢磨のシートを用意します。
この時代はグラフからも読み取れるように、決して順調なものではありませんでした。ホンダはお家芸ともいえた優勝はおろか、表彰台やポールポジションにもなかなか届きませんでした。何せ相手としているのは最強時代を確立したフェラーリ、底力をみせる名門ウィリアムズとBMWのタッグ、また成長著しいアロンソやライコネンといった若手の台頭と、ホンダ陣営はそれらに続く位置をさまよいます。同じく日本のワークスチームであるトヨタが徐々に実力を付け成長していくのも、ホンダとしては悔しかったことと思います。最高位はバトンと佐藤の組み合わせでいわば「確変」が起きた04年のランキング2位。ポールポジションもバトンによる同年の第4戦サンマリノGPまでお預けでした。
この頃からF1で必ず目にしてきた「タバコ広告の禁止」を受け、06年にホンダはBATの株式を取得。ホンダワークス第二期を迎えます。ただ成績は鳴かず飛ばずのまま、第13戦ハンガリーGPの荒れたレースを制したバトンが初優勝を挙げるものの、右肩下がりを抜け出せず。08年末に3度目のF1撤退を発表、チーム代表だったR・ブラウンに1ポンドで売却されました。今に続く「最強メルセデス」の前身なわけです。

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・ホンダ第四期
    期間       :2015年〜
    供給先   :マクラーレン、トロ・ロッソ、
                     レッドブル
    初P.P.     :M・フェルスタッペン(19年R12ハンガリー)
    初入賞   :J・バトン(15年R6モナコ)
    初表彰台:M・フェルスタッペン(19年R1オーストラリア)
    初優勝   :M・フェルスタッペン(19年R9オーストリア)

    マクラーレン 2015年〜17年 ドライバー3人
        P.P.0回 決勝60戦 入賞25戦 表彰台0戦 0勝
    トロ・ロッソ 2018年〜        ドライバー4人
        P.P.0回 決勝33戦 入賞17戦 表彰台1戦 0勝
    レッドブル     2019年〜        ドライバー2人
        P.P.1回 決勝12戦 入賞12戦 表彰台5戦 2勝

    15年:RA615H 1.6ℓV6 HT
    16年:RA616H 1.6ℓV6 HT
    17年:RA617H 1.6ℓV6 HT
    18年:RA618H 1.6ℓV6 HT
    19年:RA619H 1.6ℓV6 HT

まさに真っ只中の期ですね。振り返らずとも皆さんも記憶に新しいことと思いますので、多くは書きません。現パワーユニットになった1年遅れの15年から、それも輝かしい過去を持つマクラーレンとのタッグは日本のみならず世界中のF1ファンの目を釘付けにしたことでしょう。3シーズンのマクラーレンを経て、こちらもパワーユニット絡みでぐちゃぐちゃしてしまっていたレッドブルグループに載せ替え、今シーズンようやく久々に華開きました。単調で偏りのあるシーズンを盛り上げてくれる明るい話題でしたね。ホンダとレッドブルグループとは非常に良好な関係を築けていると思います。

全四期のチーム別の決勝成績内訳をグラフ化しました。さっきのメーカー別の「ホンダ」をチームに細分化したもの。一応、上から時系列で並んでいます。決勝レース数や入賞順位など、時代によって差があるため、一概にチーム別の優劣比較ができないことをご了承下さい。
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決勝の最多出走は第三期のB・A・Rの102戦です。しかし先程も書いた通り、長い割に優勝は残念ながらありません。グラフ化してみるとマクラーレンとの第一期の戦績は一段と強烈ですね。80戦の参戦で優勝は44勝は勝率は55.0%をマークします。一方でマクラーレン第二期は60戦で表彰台もポールポジションもゼロでした。伝説のタッグの再現なれば計算上は33勝してほしかったけど、チャンピオン経験者をもってしてもそうはいかないのが「スポーツの証」というべきか。
期待集まるレッドブルとのタッグは勝率16.7%、12戦全戦入賞で続いています。さすがに勝率を上回るのは難しいだろうけど、入賞率100%は誇らしいレベルですね。それもこれもフェルスタッペンの実力の賜物。このような下積み時代を経て、現在「最強」を誇るライバルに少しずつ近付いていくはずです。今後の活躍に大いなる期待が寄せられますね。

《ホンダエンジンでの個人成績》
最後にもう少しミクロにホンダをみてみます。ホンダエンジンに関わったドライバー個人の成績です。優勝とポールポジションをピックアップしました。結果はどうなるかくらい、言われなくてもわかるって?!

・優勝数ランキング
    ★はホンダエンジンによるチャンピオン獲得数
  1 32勝 A・セナ ★★★
  2 13勝 N・マンセル
  3 11勝 A・プロスト ★
  4   7勝 N・ピケ ★
  5   3勝 K・ロズベルグ
             G・ベルガー
  7   2勝 M・フェルスタッペン ◯
  8   1勝 R・ギンザー
              J・サーティース
              J・バトン

・ポールポジション数ランキング
  1 46回 A・セナ ★★★
  2 11回 N・マンセル
  3   6回 N・ピケ ★
  4   4回 A・プロスト ★
       4回 G・ベルガー
  6   3回 J・バトン
  7   2回 K・ロズベルグ
  8   1回 J・サーティース
             M・フェルスタッペン ◯

そうですね、こうなります。ホンダはセナ様々、セナもホンダ様々な関係でした。興味深いのは、80年代に「四天王」と呼ばれた4人全てがホンダのマシンをドライブし、ポールポジションを獲得し、優勝しています。ちなみに、チームくくりでみると4人全員が大なり小なりウィリアムズをドライブしています。数字的にはビッグメーカーに及ばないホンダでも、F1においてキーポイントになっていることがわかります。日本人の我々からしたら嬉しいですね。
様々な角度から「ホンダ」を覗くと、各期でキーマンとなったドライバーがみえてきます。第一期は初勝利を飾ったギンザーやサーティース。第二期は3回のチャンピオン全てをホンダで獲得したセナはもちろんのこと、パパベルグもあらゆる「初」を得てキャリアの多くをホンダで築きました。少し寂しい第三期もバトンが2チームを股にかけてポールポジションと優勝を獲るあたりがチャンピオンになる資質を作り上げたのかもしれません。そして第四期は暗い話題、悔しい発言、意見の不一致などがありつつもフェルスタッペンの活躍でようやく報われるようになりました。今後も充分に期待できる位置になりました。活躍が楽しみですね!
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ちょうどホンダ第四期のスタートと同じ15年開幕直前にライブドアに舞台を変えて始めたこのブログでは、ホンダについて少し冷ややかに、どこか否定的でもあり、正直距離を置いてあまり触れないできました。miyabikunがF1に興味を持つきっかけになったのはホンダの影響も大きく、今でもホンダのファンの1人であることは間違いありません。マクラーレン・ホンダの復活は嬉しいし楽しみではありつつも、心の中では「汚してほしくはない」という、保守的で逃げのある目線であったこと。また悪い予想がまんまと的中して各方面からの非難の声がとても悲しく、悔しく、怒りに感じていたからでした。メディアのように変に持ち上げたり、一喜一憂するのも、疲れてしまいますしね。
4年の歳月をかけて今シーズンようやくポールポジションと複数回優勝を手にすることができました。これはあくまで自論ですが、パワーがない、信頼性が無い、ダメだと言われていたエンジンも、ドライバーやチームも、もちろんエンジンも一丸となって「協力し合う」ことで目に見えた結果をもたらしたと考えています。結果を出せたことで自信がついたというのは勝手にみえるかもしれませんが、これからは変にうがった見方をせず、正面から見つめ、評価し、素直に応援できるようになりたいと思います。

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先日から気にはなっていたザウバーブランドは2/1より「アルファロメオ・レーシング」へ改称されました。長く続いた名門プライベーターが無くなるのは寂しいことではありますが、アルファロメオもF1にとって一時代を築いた名門ワークスです。miyabikunの年齢的にもあまり詳しくないこのブランド、これまでの戦績をこのタイミングで簡単にみておこうと思います。

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アルファロメオ
          初参戦     :1950年第1戦イギリスGP
        最終参戦   :1985年第16戦オーストラリアGP
        参戦年数   :9年
    チーム参戦数:110戦
    ドライバー数:18人
      優勝獲得数  :10勝 / 110戦
    表彰台獲得数:18回 / 110戦
    ポールポジション獲得数:12回 / 110戦
    ドライバーズチャンピオン:2回
    コンストラクターズチャンピオン:0回(2回)

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1906年に端を発するイタリアのスポーツカーメーカーです。名前の由来はAnonima Lombarda Fabbrica Automobili の頭文字ALFAと1918年に吸収合併した時の代表ニコラ・ロメオの名前を合体させ「アルファ・ロメオ」となりました。言わずと知れたF1の代名詞「フェラーリ」の創始者エンツォ・フェラーリはこの会社のテストドライバーとして入社し、レーシング部門を担った後に独立、起業していることからアルファロメオの枝分かれであり「母」と表現したことで有名ですよね。

《第1期 モータースポーツ無敵時代》
    50年  6回出走 6人出走 予選PP6回 決勝優勝6回
    51年  7回出走 7人出走 予選PP4回 決勝優勝4回

アルファロメオとモータースポーツとの関わりはF1が制定、開始されるもっと前の1921年頃からと言われています。F1初年の50年にはレーシングマシンとしてライバルに比べて既に成熟していました。開幕戦ドライバーはF1以前から活躍していたファリーナ43歳、ファンジオ38歳、ファジオーリ51歳(その3人のイニシャルから「3F」と呼ばれる)またパーネルは38歳とライバルと比べて高齢ながらも実力も戦績もトップクラスのラインナップで挑んでいます。初戦イギリスGPでファリーナによる記念すべき初ポールと初優勝を飾り、開催7戦中アメリカのインディアナポリスGPを除く全てで優勝して、ファリーナがF1制定初のチャンピオンを獲得。翌51年はフェラーリのアスカリに2戦優勝を奪われ優勝率こそ減ったものの、ファンジオが初のチャンピオンを獲得します(ただしコンストラクターズチャンピオンシップは当時未制定)
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アルファロメオ158は1.5ℓ直列8気筒でスーパーチャージャーによる過給機付きのエンジンを搭載、一方で兄弟チームのフェラーリはアルファロメオが43年に使用した125を改良、過給機付き以外にも4.5ℓV型12気筒のNAエンジンを採用するなど、プロセスの違いもみられました。
2年間はまさに敵無し状態で突き進んだアルファロメオでしたが、資金繰りに苦しみ52年の参戦に合わせ込めず、F1撤退を余儀なくされました。

《第2期 ん?!偽マクラーレン?時代》
    79年   5回出走 2人出走 予選14位1回 決勝12位1回
    80年 14回出走 4人出走 予選PP1回    決勝5位2回
    81年 15回出走 2人出走 予選6位3回   決勝3位1回
    82年 16回出走 2人出走 予選PP1回    決勝3位1回
    83年 15回出走 2人出走 予選3位2回   決勝2位2回
    84年 16回出走 2人出走 予選7位1回   決勝3位1回
    85年 16回出走 2人出走 予選4位1回   決勝9位3回

他チームへエンジンを供給しながら長い時を経て、79年にスポーツカーをベースとした3.0ℓ水平対向12気筒を搭載し177と名付けられたマシンで再びF1の舞台に現れます。第13戦イタリアGPから3.0ℓV12気筒エンジンを採用した179のカラーリングはなんとあの「マールボロカラー」をまとっていました。形は違えど異なるチームで同様のカラーリングを施してくるのは今では考えられませんよね。それだけF1とタバコ広告は根強かったことを象徴していると思います。ただ当時のカラーリングはマクラーレンよりアルファロメオの方が「後のマールボロカラー」らしいデザインでした。
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80年最終戦となるワトキンスグレンでのアメリカ東GPでジャコメリが復帰後初のポールを獲得するも、表彰台は一年後となる81年の最終戦ラスベガスでのアメリカGPまで待たれることとなります。また82年からは「マールボロといえば」のチェザリスが加入し、83年シーズンにドイツGP、南アフリカGPで2位表彰台2回が精一杯でした。晩年はメインスポンサーがマールボロからベネトンに替わり、マシンカラーも緑に急転します。決勝の戦績は入賞はおろか完走すらできない状況に陥り、85年後半は前年84年に使用した184Tを改良して使用するなど迷走したまま消滅。代わってスポンサーのベネトンがトールマンを買収して参戦開始というワークスにとっては何とも恥ずかしい終わり方となりました。
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《スポット参戦時代》
    63年 1回出走 1人出走 予選16位1回 決勝リタイヤ
    65年 1回出走 1人出走 予選17位1回 決勝10位1回

アルファロメオF1の基本は「2つの時代」から成り立っています。よって上記戦績にはカウントしていませんが「アルファロメオのマシンを使ってスポット参戦していた」ことがありました。63年と65年の南アフリカGP限定でピーター・デ・クラークという南アフリカ人がドライブしています。65年の決勝は10位完走を果たしていますが、当時は今のように10位までが入賞ではありませんでした。残念。

《エンジン供給先》
第1期と第2期の間はワークスとしての参戦ではなく「エンジンを供給する」エンジンワークスとして活躍していたことがあります。中でもブラバムに長きにわたり供給し、78年にはラウダの手によって第8戦スウェーデンGPでかの有名な「ファンカー」ことBT46Bで優勝を飾っています。
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    70年            マクラーレン   6戦使用
    71年            マーチ           10戦使用
    76年〜79年 ブラバム       62戦使用
    83年〜88年 オゼッラ       91戦使用

第1期の戦績が強烈過ぎて、近代(といっても30年近く前)は先細りな感じに見えてしまいますね。ザウバーの名が消え、アルファロメオとして再出発しますが、スタッフなどは引き続きザウバー時代のままでいくそうです。フェラーリやメルセデス、ルノーとは少し違った意味での「ワークス」ではあるものの、予算も増加しドライバーも一新して三度目に挑むアルファロメオの活躍に期待しましょう!

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クビカのおでこをしばらく見つめていたら、クビカの過去を振り返りたくなりました。若いF1ファンの方には「昔やっていたみたい」という感覚だと思いますが、実はなかなか期待の若手と評価されたドライバーでした。なんと9年振りにF1の表舞台に不死鳥の如く復活するクビカをクローズアップし、期待を込めたいと思います。

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ロバート・クビカ(クビサ)
    1984年12月7日生まれ ポーランド出身
    2006年 BMWザウバーからデビュー
    参戦6年目(2006年は第13戦より参戦)
    優勝1回              歴代76位タイ   2019現役7位
    表彰台12回         歴代68位タイ   2019現役6位
    参戦数76戦         歴代102位タイ 2019現役13位
    ポール1回           歴代76位タイ   2019現役6位タイ
    ファステスト1回 歴代83位タイ  2019現役9位タイ

F1には数少ない、というよりポーランド人唯一のドライバーです。見た目はあんな感じですが、歳は2019年ドライバーの中では上から2番目、最年長のライコネンよりも5歳若い現在34歳です。ハミルトンの1歳おじいさんということ。今までこのブログで戦績や過去のレースについては何回か触れてきたように、ベテランのチームメイトであるハイドフェルドを度々上回り、ちょっとハラハラする部分がありつつもアグレッシブに攻める姿勢は当時から印象的でした。
第1期となる2006年のシーズン後半から2010年までの戦績をみていくと、要所は必ず1回は押さえながらも歴代順位や現役順位でみると「埋もれている感」を覚えますが、クビカの凄みは「短期間と若さに濃縮されたレース内容」で評価してあげないとなかなか伝わりません。噛めば噛むほど味が出るその戦績について、このあとまた触れていきます。F1出走数76戦はちょうど小林可夢偉と同数で、今シーズン同じく復帰を遂げるクビアトよりほんの少し多い数です。表彰台には12回登壇し、歴代ではリントをはじめセベールやピローニ、G・ヴィルヌーブら「準チャンピオン」クラスに匹敵。現役でいえばグロージャンより多い数。

《所属チームとシーズン最高位》

所属はJ・ヴィルヌーブからのスイッチして本戦出場となったBMWザウバーからでした。このチームを語る中にクビサあり!というくらいイメージが色濃く残っていますよね。また第1期キャリア晩年は黄色いルノーで過ごしました。
ドライバーズランキング初年はフル参戦していないため、大目にみてあげて下さい。ランキング最上位はハミルトン、マッサ、ライコネンに続く4位となった2008年でした。ベテランのエース、ハイドフェルドをも上回り、第3戦バーレーンGPではポールポジション、第7戦カナダGPで優勝しています。
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    06年 BMWザウバー   6回出走 予選6位 決勝3位
    07年 BMWザウバー 16回出走 予選4位 決勝4位
    08年 BMWザウバー 18回出走 予選1位 決勝1位
    09年 BMWザウバー 17回出走 予選4位 決勝2位
    10年 ルノー             19回出走 予選2位 決勝2位
    19年 ウィリアムズ

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クビカの予選、決勝の全成績です。デビュー戦はチームと不穏な関係になったJ・ヴィルヌーブに代わった2006年の第13戦ハンガリーGPでした。決勝は7位入賞を獲得する鮮烈デビューを飾りますが、レース後の計量で最低重量を下回ったために敢えなく失格を食らってしまいました。驚くべきは参戦3戦目の第15戦イタリアGPで予選6番手から3位表彰台を獲得する快挙をみせ、一躍の期待を寄せられることとなります。この時期はハミルトンの鮮烈デビューやベッテルの走りなど、キャリアの浅い若手の台頭がみられましたね。この頃クビカはまだ21歳でした。
BMWザウバーはパワーをウリに成績が上昇傾向にあったことが強みでもありました。2008年シーズンはハイドフェルドと共にキャリアのクライマックスを迎えます。ところが2009年はマシンの不調、KERSの導入失敗を受けて成績が一気に落ち込み、マシン依存の走りから「テクニックによる走り」を強いられます。最上位フィニッシュは第16戦ブラジルGPの2位が精一杯でした。BMWのF1撤退を受けて2010年はルノーに移籍。チームメイトの新人ペトロフに格の違いを見せつけ、予選はシングルグリッドを獲得して入賞フィニッシュと3回の表彰台を獲得しています。
2011年も継続してルノーのシートに座り、開幕前のテストまでは参加していますが、個人的に参戦していた趣味のラリーで瀕死の大クラッシュを起こしてしまいました。シーズン中の復帰は絶望的となり、ご存知の通りF1はおろかレーシングドライバーの生命は(一度)完全に絶たれました。

《チームメイト対決》
先程の予選、決勝の戦績を切り離し、チームメイトとの比較を行いました。クビカの戦績は赤いプロットで強調しています。当然ながら先程のランキンググラフと似た波形を示します。
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対ハイドフェルドとは予選、決勝とも食らいついて近い位置に確実につけていたのが印象的です。序盤はハイドフェルドに惜敗する様子が伺えましたが、2008年を境に勝ち越しがみられます。ここは「優勝したか、していないか」でも印象に差を生みそうです。ルノーに移籍すると、以前「ロシアのネタ」でみたときからも明らかで「完勝」の内容。ルーキーと優勝経験者を横並びに評価するのも酷な話ですが、10位以下に止まるペトロフに対してクビカはシングルグリッドを獲得していたわけですからマシンの良し悪しがあったわけではなく「充分なポテンシャルを有していた」ことの証明にもなります。なお予選、決勝を勝敗表にすると、こんな感じです。
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《クビカといえば、カナダGP!》
クビカの初優勝、ならびに唯一優勝となっているのは「過去のレース」でも振り返ったこともある2008年カナダGPです。第1期の短めなキャリアの中に3回あるカナダGPで、このクビカは「何か」やらかしています。最後に「クビカのカナダ」を簡単に振り返ります。
★は以前に振り返ったことのあるカナダGP

2007年 予選8位 決勝リタイヤ ★
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セーフティカー明け26周目のヘヤピン手前で内側のコンクリートウォールに270km/hで激突して大破。大事には至らず捻挫と脳しんとうで済みますが、翌戦アメリカGPは欠場し、これがきっかけでS・ベッテルがF1代走デビューとなりました。

2008年 予選2位 決勝優勝 ★
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舗装補修でも一部剥離し、レースも荒れた様相を呈していますが、粘り強い走りをみせて参戦29戦にして自身初、ポーランド人初、チーム初の優勝を挙げました(今のところいずれも唯一)

2009年 カナダGP非開催

2010年 予選8位 決勝7位
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ルノーに移籍したクビカは復調を示し、表彰台争いには至らずも67周目に1分16秒972のファステストラップを記録(今のところ自身唯一)

本当はカナダGP前にネタにしようか考えていましたが、進化し続けるあの「おでこ」に魅了されて今回「クビカ縛り」で出してみました。今シーズンも第7戦にカナダGPは予定されています。ラリーのみならずF1においてもたまにド派手なクラッシュを起こすクビカではありますが、無事に迎えられること、送れること。そして低迷するウィリアムズの底上げに貢献してくれる「いぶし銀」の走り、みせてもらいましょう!

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2016年F1グランプリも開幕しましたね!まだ病院なのでフリー走行の1回目、2回目はネットの結果のみのチェックです。雨のオーストラリア、メルボルンのアルバートパークはメルセデスのトップとマクラーレンのセクター1の好調さにわいているようで。セクター1だけ速くても、、ねぇ(笑)

ベッテルが歴代マシン(詳しくはシャシー毎)に女性の名前を付けるのは有名な話ですね。今年もその名前が先日発表されました。今年は「マルゲリータ」とのこと。記者にピザみたいと笑われていました。ベッテルはもはやベテランに差し掛かる中堅の世代ですが、発想がイマドキというか、明るさや茶目っ気もあるチャンピオン経験者ですね。マシンを壊すと名前を変える。2014年こそ「勝ちに飢えた」1年だったと思います。名前を変えてませんが、2014年は名前を変える気も起きないくらい失望した年だったのでしょうか。

セバスチャン・ベッテル(2015年終了時)
   2007年 BMWザウバーからデビュー
   9年在籍
   優勝42回               歴代4位   現役2位
   表彰台79回           歴代7位   現役4位
   参戦数158戦         歴代31位 現役7位
   ポール46回           歴代4位   現役2位
   ファステスト25回 歴代7位   現役3位
   チャンピオン4回(2010,11,12,13年)


そして名付けてきた歴代彼女との戦績です。

2008年 トロ・ロッソSTR3 ランキング8位
           「Julie」ジュリー
             優勝1回
              
2009年 レッドブルRB5 ランキング2位
            「Kate」ケイト
             優勝0回
            「Kate's Dirty Sister」ケイトの汚れた妹
             優勝2回、2位1回、3位1回
            「Sexy Sadie」妖艶なセディ
             優勝2回、2位1回、3位1回
              
2010年 レッドブルRB6 ランキング1位
            「Luscious Liz」官能的なリズ
             優勝1回、2位1回、3位1回
            「Randy Mandy」淫乱なマンディ
             優勝3回、2位1回、3位2回
              
2011年 レッドブルRB7 ランキング1位
           「Kinky Kylie」変態カイリー
             1位11回、2位5回、3位1回
              
2012年 レッドブルRB8 ランキング1位
           「Abbey」アビィ
             1位5回、2位3回、3位2回
              
2013年 レッドブルRB9 ランキング1位
           「Hungry Heidi」飢えたハイジ
             1位13回、2位1回、3位2回
              
2014年 レッドブルRB10 ランキング5位
           「Suzie」スージー
             2位1回、3位3回
              
2015年 フェラーリSF15-T ランキング3位
           「EVA」イヴ
             1位3回、2位3回、3位7回
              
2016年 フェラーリSF16-H
           「Margherita」マルゲリータ
             1位?回、2位?回、3位?回


フェラーリ2年目の「彼女」マルゲリータとの相性は如何に?!


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