F1 えきぞーすとのーと

よくあるニュースネタやこ難しいテクニカルな話ではなく、メインは予選や決勝のTV観戦したそのものを個人的観点から綴るF1ブログです。  また、懐かしのマシンやレースを振り返ったり、記録やデータからF1を分析。その他ミニカーやグッズ集めも好きなので、それらを絡めつつ広く深くアツくF1の面白さやすごさを発信し、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

タグ:復活

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昨年発表されたベトナムに続いて2020年に新たな開催地が復活しますね。フェルスタッペンの活躍にわくオランダGP。スタンドはオレンジ一色に染まることでしょう。舞台は昨年夏休み明け頃に「今はなきGPとサーキット ヨーロッパ編①」でも取り上げたザントフォールトサーキットです。そちらも引用しながら改めて予習しておきましょう。

《オランダGPの基本情報》(以前の転記)
    ザントフォールト
        所在地 :北ホラント州ザントフォールト
        F1開催 :1952,53,55,58〜71,73〜85(30回)
      一周距離:4.193km(1952,53,55,58〜71)
                        4.226km(1973〜79)
                        4.252km(1980〜85)
      初代優勝:A・アスカリ(フェラーリ)
      最多優勝:J・クラーク(4回)
      最多P.P. :R・アルヌー(3回)
      最速P.P. :1分17秒420 J・イクス(1971)
                        1分15秒461 R・アルヌー(1979)
                        1分11秒074 N・ピケ(1985)
      最多F.L. :J・クラーク(5回)
      最速F.L. :1分19秒230 J・イクス(1970)
                        1分19秒438 G・ヴィルヌーブ(1979)
                        1分16秒538 A・プロスト(1985)
     2020距離:4.307km× - 周=計 - km(71周?)
   コーナー数:14箇所
       高低差   : - m
     最高速度  : - km/h
   DRS区間数: - 箇所(2箇所くらいか?)

ご存知の通り、今まで30回コンスタントに開催され、この度35年の時を経てF1カレンダーに組み込まれることになりました。その頃からはコースレイアウトの半分近くが変更されました(旧レイアウトは今回割愛します。以前の記事を参照下さい)
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大都市アムステルダムからも近く、スキポール空港からさほど離れていません。東京駅からの行き方は、まず、、いや、それは将来のためにとっておこう(笑)海がとても近いのでいいロケーションではありますが、浜風を受けそうですね。
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全長は4.3kmとかなり短い部類になります。ただまだ数字を追えていませんが、高低差はまあまあありそう。昨年下書きをしたものがこちら。
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市街地サーキットではなく専用サーキットなのでトレースは楽です。コーナー名は一旦削除しました。近年増えた味気ない「ターン◯」ではなく、有名な「ターザン」をはじめ、企業名などを冠したちゃんとしたコーナー名が続きます。これぞオールドサーキットのいいところ!ただし、幅員が狭い!
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ちょっとした紹介ビデオも公開されて、サーキット俯瞰が観れたりもしますが、ポイントで見ると、どこか見覚えがあるような、ないような。
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これとかも。似ていませんか?
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鈴鹿?!似ている。確か鈴鹿サーキットの基本設計はホンダ社員の塩崎定夫が行い、詳細設計はオランダ人技術者ジョン・フーゲンホルツが行いました。フーゲンホルツは1949年からこのザントフォールトサーキットの支配人をしていたそうです(ただし設計者ではない)鈴鹿サーキットは1961年にこちらは設計、翌1962年に完成していますので、いわば「鈴鹿サーキットの兄貴分」という。似ているわけだ。鈴鹿といえばホンダ、ホンダといえばレッドブル、レッドブルといえばフェルスタッペン、フェルスタッペンといえばオランダ、オランダといえばザントフォールト、ザントフォールトといえばフーゲンホルツ、フーゲンホルツといえば鈴鹿。おお、繋がった!無理矢理なようで実は「日本に縁のある地」ということですね。サーキット縮尺ネタのお決まり「兄弟サーキットの揃い踏み」です。
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並べるとスケール感がまず違うし、近い形はいくつかあるけど、この兄弟そう似ていないな(笑)フーゲンホルツについては他にもいくつか手がけたサーキットがあるので、今後改めて取り上げてみたいと思います。

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新たな地が追加されるのはワクワクしますね!あとは「新GPが追加される=どこが無くなる?」問題がわいてきます。ベトナムとオランダが追加されることは明らかになりました。どこも無くならないのであれば、2020年は全23戦。どこか危ういところ2〜3箇所入れ替わりになり、年間20戦くらいになるのでしょうか。ドライバー情報やマシン情報もさることながら、開催地情報も非常に気になるところです。 

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先日から気にはなっていたザウバーブランドは2/1より「アルファロメオ・レーシング」へ改称されました。長く続いた名門プライベーターが無くなるのは寂しいことではありますが、アルファロメオもF1にとって一時代を築いた名門ワークスです。miyabikunの年齢的にもあまり詳しくないこのブランド、これまでの戦績をこのタイミングで簡単にみておこうと思います。

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アルファロメオ
          初参戦     :1950年第1戦イギリスGP
        最終参戦   :1985年第16戦オーストラリアGP
        参戦年数   :9年
    チーム参戦数:110戦
    ドライバー数:18人
      優勝獲得数  :10勝 / 110戦
    表彰台獲得数:18回 / 110戦
    ポールポジション獲得数:12回 / 110戦
    ドライバーズチャンピオン:2回
    コンストラクターズチャンピオン:0回(2回)

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1906年に端を発するイタリアのスポーツカーメーカーです。名前の由来はAnonima Lombarda Fabbrica Automobili の頭文字ALFAと1918年に吸収合併した時の代表ニコラ・ロメオの名前を合体させ「アルファ・ロメオ」となりました。言わずと知れたF1の代名詞「フェラーリ」の創始者エンツォ・フェラーリはこの会社のテストドライバーとして入社し、レーシング部門を担った後に独立、起業していることからアルファロメオの枝分かれであり「母」と表現したことで有名ですよね。

《第1期 モータースポーツ無敵時代》
    50年  6回出走 6人出走 予選PP6回 決勝優勝6回
    51年  7回出走 7人出走 予選PP4回 決勝優勝4回

アルファロメオとモータースポーツとの関わりはF1が制定、開始されるもっと前の1921年頃からと言われています。F1初年の50年にはレーシングマシンとしてライバルに比べて既に成熟していました。開幕戦ドライバーはF1以前から活躍していたファリーナ43歳、ファンジオ38歳、ファジオーリ51歳(その3人のイニシャルから「3F」と呼ばれる)またパーネルは38歳とライバルと比べて高齢ながらも実力も戦績もトップクラスのラインナップで挑んでいます。初戦イギリスGPでファリーナによる記念すべき初ポールと初優勝を飾り、開催7戦中アメリカのインディアナポリスGPを除く全てで優勝して、ファリーナがF1制定初のチャンピオンを獲得。翌51年はフェラーリのアスカリに2戦優勝を奪われ優勝率こそ減ったものの、ファンジオが初のチャンピオンを獲得します(ただしコンストラクターズチャンピオンシップは当時未制定)
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アルファロメオ158は1.5ℓ直列8気筒でスーパーチャージャーによる過給機付きのエンジンを搭載、一方で兄弟チームのフェラーリはアルファロメオが43年に使用した125を改良、過給機付き以外にも4.5ℓV型12気筒のNAエンジンを採用するなど、プロセスの違いもみられました。
2年間はまさに敵無し状態で突き進んだアルファロメオでしたが、資金繰りに苦しみ52年の参戦に合わせ込めず、F1撤退を余儀なくされました。

《第2期 ん?!偽マクラーレン?時代》
    79年   5回出走 2人出走 予選14位1回 決勝12位1回
    80年 14回出走 4人出走 予選PP1回    決勝5位2回
    81年 15回出走 2人出走 予選6位3回   決勝3位1回
    82年 16回出走 2人出走 予選PP1回    決勝3位1回
    83年 15回出走 2人出走 予選3位2回   決勝2位2回
    84年 16回出走 2人出走 予選7位1回   決勝3位1回
    85年 16回出走 2人出走 予選4位1回   決勝9位3回

他チームへエンジンを供給しながら長い時を経て、79年にスポーツカーをベースとした3.0ℓ水平対向12気筒を搭載し177と名付けられたマシンで再びF1の舞台に現れます。第13戦イタリアGPから3.0ℓV12気筒エンジンを採用した179のカラーリングはなんとあの「マールボロカラー」をまとっていました。形は違えど異なるチームで同様のカラーリングを施してくるのは今では考えられませんよね。それだけF1とタバコ広告は根強かったことを象徴していると思います。ただ当時のカラーリングはマクラーレンよりアルファロメオの方が「後のマールボロカラー」らしいデザインでした。
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80年最終戦となるワトキンスグレンでのアメリカ東GPでジャコメリが復帰後初のポールを獲得するも、表彰台は一年後となる81年の最終戦ラスベガスでのアメリカGPまで待たれることとなります。また82年からは「マールボロといえば」のチェザリスが加入し、83年シーズンにドイツGP、南アフリカGPで2位表彰台2回が精一杯でした。晩年はメインスポンサーがマールボロからベネトンに替わり、マシンカラーも緑に急転します。決勝の戦績は入賞はおろか完走すらできない状況に陥り、85年後半は前年84年に使用した184Tを改良して使用するなど迷走したまま消滅。代わってスポンサーのベネトンがトールマンを買収して参戦開始というワークスにとっては何とも恥ずかしい終わり方となりました。
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《スポット参戦時代》
    63年 1回出走 1人出走 予選16位1回 決勝リタイヤ
    65年 1回出走 1人出走 予選17位1回 決勝10位1回

アルファロメオF1の基本は「2つの時代」から成り立っています。よって上記戦績にはカウントしていませんが「アルファロメオのマシンを使ってスポット参戦していた」ことがありました。63年と65年の南アフリカGP限定でピーター・デ・クラークという南アフリカ人がドライブしています。65年の決勝は10位完走を果たしていますが、当時は今のように10位までが入賞ではありませんでした。残念。

《エンジン供給先》
第1期と第2期の間はワークスとしての参戦ではなく「エンジンを供給する」エンジンワークスとして活躍していたことがあります。中でもブラバムに長きにわたり供給し、78年にはラウダの手によって第8戦スウェーデンGPでかの有名な「ファンカー」ことBT46Bで優勝を飾っています。
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    70年            マクラーレン   6戦使用
    71年            マーチ           10戦使用
    76年〜79年 ブラバム       62戦使用
    83年〜88年 オゼッラ       91戦使用

第1期の戦績が強烈過ぎて、近代(といっても30年近く前)は先細りな感じに見えてしまいますね。ザウバーの名が消え、アルファロメオとして再出発しますが、スタッフなどは引き続きザウバー時代のままでいくそうです。フェラーリやメルセデス、ルノーとは少し違った意味での「ワークス」ではあるものの、予算も増加しドライバーも一新して三度目に挑むアルファロメオの活躍に期待しましょう!

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次はロシアGP。いつもは週末に行われるGP前に過去のGPを振り返っていますが、ロシアGPは「ついさっき」開催されたばかりでまだ記憶にあることと思います。それならばと今回は2018年に念願の復活が決まった1990年のフランスGPを振り返ります。フランスGPといえば最近はマニ・クール、そして今回は復活を遂げるポール・リカールを選びました。

ポール・リカールは地名でなく人名です。それも自動車業界やドライバーでもない酒造メーカーの創始者からとっています。サーキット自体はマルセイユやモナコにも近いフランス南部の田舎にあります。古くは長いストレートを有するライフルの様な形をした一周5.8kmのサーキットで、2018年も同様のレイアウトで予定されていますが、1986年にE・デ・アンジェリスの死亡事故によって3.813kmの簡略的なレイアウトに変更され行われました。一周が短いため、周回数はなんと80周でした。目が回りそう。。

全16戦の6戦を終えて、セナが4ポール、ベルガーが2ポールと全てでマクラーレンが予選を制するも、決勝はフェラーリのプロストに2つ、ウィリアムズのパトレーゼに1つ優勝を奪われる形となってマクラーレンの一人勝ちを阻みました。

ウィリアムズはこのフランスからFW13Bの改良型を投入。ノーズはどこかで見たことあるこの形。プロストサスペンションのロッドの根元に装着したコイルスプリングの影響です。

予選はマクラーレンの流れを断ち切るフェラーリのマンセルがシーズン初ポール。4位にはしっかり地元のプロストがつけてマクラーレンVSフェラーリの構図です。日本人ドライバーはローラの鈴木亜久里が13番手、ティレルの中嶋悟が14番手で続いて、予備予選落ちは無し。

《予選結果》
1 N・マンセル(フェラーリ・F・GY)
2 G・ベルガー(マクラーレン・H・GY)
3 A・セナ        (マクラーレン・H・GY)
   ※GYはグッドイヤー


スタートは3番手セナが若干鈍めで5番手から好スタートを決めたベネトンのナニーニに並ばれてしまいます。また、地元で4勝して滅法強い4番手スタートのプロストは珍しくミスして6位まで順位を落としました。
2周目に早くもベルガーがマンセルを捕らえてトップに。続いてセナもマンセルを抜いてマクラーレンは早い段階でワンツー体制を築いてきます。

教授はスタートのミスに動じません。ハードタイヤで5番手に上がったウィリアムズのパトレーゼにピッタリくっついて離れません。しかしトップのマクラーレンに逃げられても困ります。そこで予定よりも早めにピットへ。7.64秒。

トップのベルガーはタイヤがタレ始め、セナやマンセルに近付かれてしまいます。ベルガーはセナに前を譲り、たまらずタイヤ交換へ。しかしココでマクラーレンのピットは大失態を犯してしまいます。左リヤタイヤの装着に手間取り、停止時間は12.73秒。
続いてセナもピットイン。なんと16.62秒!時間かかり過ぎ!思わず数字までデッカくなっちゃいました。近年はタイヤのみで2秒台だ3秒だと競う時代。昔はこんな感じでした。にしても、フェラーリのプロストと比較しても無駄な時間をかけ過ぎました。犯人はいずれも左リヤのこのホイールガン、これはもはや処刑モノです。

この年のフランスGPの最大の注目点はココから!スタート直後に順位を落としたフェラーリやホイールガンに泣いたマクラーレンといった名門を尻目に、ピットストップ無しの戦略を目論んだレイトンハウスがワンツーとなります。レイトンハウスはマーチを買収した日本のアパレル系コンストラクターです。カペリがトップ、グージェルミンが2位に上昇してきました。若きエイドリアン・ニューウェイの過激作CG901がド派手な水色をまとってプロスト教授を抑え込んでいます。

ただ驚きの時間は長く与えてもらえませんでした。グージェルミンが力尽きてしまいました。80周レース、カペリは逃げ切れるか?!
来ましたよ、教授が!フランスの英雄ですよ!まだ抜いていないのに歓声がすごいです。結果は、、、。


《決勝結果》
1 A・プロスト(フェラーリ・F・GY)
2 I・カペリ     (レイトンハウス・J・GY)
3 A・セナ       (マクラーレン・H・GY)
   ※Jはジャッドエンジン

残念!主役はプロストでした。チャンピオンは最後となるポール・リカールも確実に勝ってきます。容赦ありません。その後、先日振り返った第15戦日本GPの「あの1コーナー」が起き、1990年のチャンピオンはセナに。このレースでカペリが踏ん張っていたら、日本GPも違った形で迎えたかもしれません。プロストはポール・リカールに続くマニ・クールでも1勝し、フランスGPは通算6勝。そして政治的な働きかけも使いつつ苦労してルノーと共に「母国GP」復活に貢献しています。
ちなみに2018年フランスGPのコースレイアウトはこんな感じが予定されています。元来のライフル型になりそうです。

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