F1 えきぞーすとのーと

よくあるニュースネタやこ難しいテクニカルな話ではなく、メインは予選や決勝のTV観戦したそのものを個人的観点から綴るF1ブログです。  また、懐かしのマシンやレースを振り返ったり、記録やデータからF1を分析。その他ミニカーやグッズ集めも好きなので、それらを絡めつつ広く深くアツくF1の面白さやすごさを発信し、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

タグ:名車

F1には長らくアロウズという老舗コンストラクターがありました。そのチームを日本企業が買収し、日本のエンジンと日本のドライバーで構成された頃があります。ベテランのF1ファンなら記憶にあるであろう「フットワーク」です。今は日本郵便、またアート引越センターの傘下に吸収されて、会社自体が無くなってしまいましたが、白地に赤のリボンがかけられたマークでお馴染みの運送会社が何とF1に参入していたんです。日本人ドライバー不在で久しい今日、まだ日本がF1に積極的だった頃の1993年、チーム3年目のFA14を取り上げたいと思います。

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《設計》
 アラン・ジェンキンス

《外見》
これまでのアロウズ時代のシャシー名は「A◯◯」という付番がされてきました。1991年にフットワークエクスプレスに買収されたことで頭文字に「F」が付けられ、以降97年に再びアロウズに戻るまで連番となっています。また日本企業が資本となりますが、チームの拠点はアロウズ時代と同じイギリスのミルトン・キーンズです。
93年開幕当初は前年のFA13の改良型となるFA13Bでの参戦となりますが、FA14はドニントンパークで行われた第3戦ヨーロッパGPで初お目見えとなりました。現在はほとんどのチームが開幕戦には新車を間に合わせてくるのが当たり前となっていますが、この頃はこのような新車の遅れは日常茶飯事でしたね。
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FA13はノーズ先端が少し持ち上ってフロントウィングと連結するような「ジョーダン191」に代表されるトーショナルウィングを採用していました。このFA14からはそのフロントセクションを一新、ベネトンが導入していたノーズコーンと分離させ、2本のステーで吊り下げるようなフロントウィングに切り替えています。今でこそ見慣れた吊り下げ型のウィング、当時はウィリアムズやマクラーレンといったチームは導入せず、まだ少数派でしたので逆にこのディテールに慣れるまでは少し時間がかかったように記憶しています。よくいえば、トレンドを先取りしていたということでしょうか。
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リヤウィングも特徴的で上部が前に羽根一枚分迫り出したような複層構造「メゾネットウィング」をいち早く搭載して、コーナリング性能を向上させています。こちらはウィリアムズをはじめとしたトップチームにも徐々に浸透したディテールではありましたが、決してスマートとは言えませんよね。
シーズンちょうど半ばにあたる第9戦イギリスGPでこのマシンはちょっとした進歩がみられます。当時ライバル達も懸命に研究を重ねてきた「アクティブサスペンション」をマクラーレンから購入して搭載しています。これでまた一歩トップチームに近付くきっかけとなります。
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カラーリングは自社のトラックに描かれるコーポレートカラーそのままに白地に赤のストライプが入るスタイリッシュさ。たばこ広告が蔓延する時代にちょっとした異彩を放っています。

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《シャシー》
 全長: - mm
 全幅: - mm
 全高: - mm
 最低車体重量:510kg
 燃料タンク容量:220ℓ
 ブレーキキャリパー:AP
 ブレーキディスク・パッド:カーボン・インダストリー
 サスペンション:フロント プッシュロッド
          リヤ    プッシュロッド
 ホイール:OZ
 タイヤ:グッドイヤー

《エンジン》
 無限ホンダ MF-351HB
  V型10気筒・バンク角72度
 排気量:3,493cc
 エンジン最高回転数: - rpm(非公開)
 最大馬力:720馬力(推定)
 スパークプラグ:NGK
 燃料・潤滑油:BP

ホンダ本体は92年シーズンをもって「F1第二期」を終えていますが、本田宗一郎の長男である博俊が設立した「無限」(現 M-TEC)によってホンダニズムが継承されました。 92年は前年91年のティレルに搭載されたホンダRA101Eを無限がカスタマイズし、MF351Hという名でチーム浮上に貢献。さらに翌年のこの年はそれをさらに高回転かつ高出力、軽量化を施したMF351HBを採用して、無限2年目さらなる飛躍を目指します。

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《ドライバー》
 No.9  デレック・ワーウィック(全戦)
 No.10 鈴木亜久里      (全戦)

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ドライバーは引き続き鈴木亜久里が残留。相方は前年にチームを牽引したベテランのアルボレートに代わり、こちらもベテランのワーウィックが31歳を迎える年に3年振りにF1のシートへ復帰しました。

《戦績》
 4ポイント コンストラクター9位
 ※ポイントと順位は1993年シーズンのもの
 (4位1回、6位1回、7位1回、9位1回ほか)
 ポールポジション0回

日本のエンジンに日本のドライバーということでひいき目で見てしまいたくなるところですが、結果としてはご覧のように表彰台は無く入賞は2回、コンストラクターズランキングも前年の7位6ポイントから9位4ポイントに落ちてしまいました。
アルボレートの抜けた穴をワーウィックで補う形で始まったシーズン序盤はビリではないものの予選は20番手付近をさまよい、決勝もワーウィック、鈴木ともにがシングルフィニッシュで終えるもリタイヤが非常に多く、6位入賞には程遠い内容が続きます。FullSizeRender
ところが第9戦イギリスGPでマクラーレンの搭載するアクティブサスペンションを手に入れると、マシンの安定性が一段と増し、ワーウィックのみならず鈴木も予選で速さをみせるようになります。予選最高位は鈴木による第12戦ベルギーGPでマクラーレンのセナを横目にサードロウとなる6番手を獲得。決勝は残念ながらリタイヤに終わりますが、あからさまにサスペンションの改良が成績に乗っかってきています。決勝の最高位はワーウィックによる第11戦ハンガリーGPの4位。その他第9戦イギリスGPも6位を獲得しますが、鈴木に入賞は一度も無く「後半戦の予選だけが冴え渡る」不作なシーズンを送ってしまいました。
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このマシンを一言で言い表すならば、様々なライバル達の「いいところ」を少しずつ導入して成り立たせているマシンといったところ。ドライバーもそこそこ、エンジンもなかなかなこのチームが低迷する形で終わった一つの理由として「メカニカル・ディレクター不在」であったことが挙げられます。デザイナーのアラン・ジェンキンスはデザイナーセンスは高く評価されていたものの、ライバルチームにいたメカニカル・ディレクターのような技術的指揮に欠けていたという見方がなされていました。見た目上は帳尻を合わせたり、ドライバビリティ向上に繋げようと尽力を注いだものの、マシンそのもののコンセプトや方向性が定まっていなかったために「成績が今ひとつ」に終わってしまいました。また一昨年のポルシェエンジンから無限ホンダにスイッチし進化しつつも、ギヤボックスのトラブルが目立ち、リタイヤの数ばかりが増えてしまいました。特にせっかく後半の改良型サスペンションを導入して予選は中団を獲得できるようになっても、鈴木は第9戦から第15戦日本GPまで7戦連続のリタイヤとなれば、その速さを成績に直結できません。

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後半戦はその名の通り軽快なフットワークで速さを見出しつつも、決勝もリタイヤへの早いフットワークに繋がってしまったFA14。ホンダなき後、無限ホンダという形でジャパンパワーを繋ぎ止めたわけですが、この年を最後に無限ホンダはロータスに身を移し、フットワークはフォードを選択。以降もたまにある入賞と度々起こるリタイヤを繰り返し、96年シーズンをもって元のアロウズへと戻っていきました。

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ウィリアムズはフェラーリやマクラーレンと共に長きにわたりF1を支えてきたプライベートチームです。また日本との関わりも深く、様々な日本企業ともタッグを組んできました。近年はレッドブルグループと運命を共にする第四期ホンダですが、今回は第二期の名車。といってもマクラーレンではありません、もっと先輩1985年のウィリアムズFW10が今回の主役です。

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《設計》
 パトリック・ヘッド

《外見》
第二期ホンダとのタッグはこれよりも2年前の1983年に端を発します。S・ヨハンソン一人で戦うスピリットに供給していたホンダは最終戦南アフリカGPからウィリアムズにスイッチ。翌84年シーズンは名門ウィリアムズに2台体制でフル参戦を果たし、ダラス市街地での第9戦アメリカGPではK・ロズベルグによる第二期初優勝を飾っています。フル参戦2年目のFW10にも継続して同じRA164Eを搭載してスタートすることとなりました。
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外見をみていくと、まずノーズコーンが前作FW09に比べて低く、紺のカラーリングも相まってシャープに仕上げられました。コクピット後方のエンジンカバー付近にみられた凸上部も無くなり、カヌーを上下にひっくり返したかののような美しくスマートなフォルムとなっています。同じエンジンが載っているのにこんな違いがあるのは、実は前作FW09はフォード・コスワースを搭載する予定で設計されていた名残があり、このFW10からようやく完全にホンダエンジン搭載に合わせた仕様に変更したためです。パワーに定評のあるホンダはさらに信頼性を向上させるため、ターボチャージャーの位置を変更し、サイドポンツーン内の整流化にも成功しています。やはりエンジン(パワーユニット)の形や大きさはマシンコンセプトを決定したりシャシーを作り込む上で重要なファクターになるわけです。
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目に見えていない点の大きな違いとしては、このマシンからウィリアムズもサスペンションの一部を除いて「カーボンファイバー製」で構成されるようになったこと。カーボンといえばアルミフレームに比べて丈夫で軽いことが特徴です。マクラーレンをはじめライバルはより前からカーボン素材をふんだんに使ったマシンを手掛けていましたが、ウィリアムズはこのFW10からの導入となりました。
サスペンションも一新され、フロントはプルロッドからプッシュロッドに変更。またリヤはライバルよりも早くトップロッカーアーム、ロワウィッシュボーンからなるサスペンションを導入しました。のちにプルロッドへの変更が施されてしまいますが、初登場からかなり「攻めの姿勢」でライバルに勝負を挑んでいきます。

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カラーリングも特徴的ですね。この年から3年で11億円近いスポンサーマネーで日本を代表するカメラメーカー「キヤノン」が加わり、ウィリアムズの後押しをすることとなります。miyabikunも今年一眼レフカメラをキヤノンに切り替えて今シーズンの日本GPに乗り込む予定でしたが、残念ながらそれは実らず。もう一年練習に充てます(笑)上部は黄色、下部の白を分断するかのように、ノーズコーンから後方に向かって真っ直ぐ斜めにタスキがかる紺の帯は前衛的でカッコいいです。

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《シャシー》
 全長: - mm
 全幅: - mm
 全高: - mm
 最低車体重量:540kg
 燃料タンク容量:199ℓ
 ブレーキキャリパー:AP
 ブレーキディスク・パッド:SEP
             (カーボン・インダストリー)
 サスペンション:フロント プッシュロッド
          リヤ    プルロッド(のちに採用)
 ホイール:フォンドメタル
 タイヤ:グッドイヤー

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《エンジン》
 ホンダRA164E,RA165E
  V型6気筒・バンク角80度
  IHI製ツインターボ
 排気量:1,496cc(RA164E)
     1,498cc(RA165E)
 エンジン最高回転数: - rpm(非公開)
 最大馬力:669馬力以上(RA164E推定)
      881馬力以上(RA165E推定)
 スパークプラグ:NGK
 燃料・潤滑油:モービル

シーズン当初は前年に使用したRA164Eを搭載して挑むも、高回転時の異常燃焼(ノッキング)により、ピストンやシリンダーが変形を起こしてエンジンを壊すトラブルが続きます。ホンダはバイク発祥のメーカーということもあって、今までは「ショートストローク」により高回転を実現してきました。そこで第5戦カナダGPからピストンのボア(ピストンの内径)を8mm小径化させ、替わりにストローク(行程)を8mm長くさせたいわゆる「ロングストローク」化改良を行ったRA165Eを導入して対応することとしました。

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《ドライバー》
 No.5 ナイジェル・マンセル(全戦)
 No.6 ケケ・ロズベルグ  (全戦)

80年台前半のウィリアムズといえば、82年シーズンにわずか1勝でチャンピオンとなったロズベルグが代表格ですね。チームメイトにはラフィに代わってロータスでならしたマンセルを起用。荒ぶるドライビングでインパクト抜群の「髭男爵」の2人がラウダとプロストを擁するマクラーレン崩しにかかります。

《戦績》
 71ポイント コンストラクター3位
 (1位4回、2位3回、3位1回、4位2回ほか)
 ポールポジション3回

1985年シーズンは全16戦で争われ、そのうちの1/4にあたる4勝を挙げるなど、前年の1勝からホンダはフル参戦2年目にしてなかなか飛躍しました。2人の内訳は先輩ロズベルグが2回の優勝と2位2回、3位1回の合計5回の表彰台。マンセルも優勝2回、2位1回の合計3回の表彰台を獲得するも、それ以上に連続リタイヤも多いという「白黒はっきりした」戦績となりました。

革新的なリヤサスペンションをもって臨んだ開幕戦ブラジルGPはロズベルグが2番手、マンセル5番手で予選を終え、決勝は両者リタイヤという幸先がよくない形となりました。
その後しばらく表彰台に手が届かない入賞止まりのマンセルに対して、ロズベルグは第3戦サンマリノGPまで3戦連続のリタイヤが続いて、チャンピオンのマクラーレンはおろかフェラーリやロータスにも遅れをとる暗雲が立ち込めます。
その状況を抜け出すべくホンダは先述の第5戦カナダGPより新スペックエンジンRA165Eを導入。一度トラブルにより周回遅れ手前の後方までロズベルグはかなり速いラップを重ねて猛追し、それをみたロータスのセナがホンダエンジンに憧れを抱いたというのは有名な話です。
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6/23に行われた第6戦デトロイト市街地でのアメリカ東GPにおいて市街地レースを得意とするロズベルグがシーズン初優勝を挙げ、その4日後に息子のニコが誕生と、ようやくチームにもいい流れが舞い込みます。相方マンセルもシーズン後半戦に調子が上向きとなり、第13戦ベルギーGPで2位、そして続く第14戦の地元イギリスのブランズハッチでのヨーロッパGPでは当時最遅となる72戦目にして初優勝を挙げました。このレースから革新的なロッカーアームのリヤサスペンションをプルロッドに切り替えたことによりギヤボックスの小型化が図られ、エンジンカバーも低く改良されました。第15戦の南アフリカGPでマンセルが連勝、ロズベルグ2位のダブル表彰台を獲得。残念ながらコンストラクターズランキングはマクラーレン、フェラーリに及ばない3位で終わりましたが、チームにとっては前年の6位からの浮上のシーズンとなりました。

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1980年にジョーンズとフォードエンジンでダブルチャンピオンを獲得。81年はドライバーズチャンピオンは逃したもののコンストラクターズチャンピオンを防衛。混戦の82年はロズベルグによるドライバーチャンピオンを獲得したことで一躍トップチームに仲間入りしたプライベーターのウィリアムズ。一時期はブラバムやフェラーリ、マクラーレンといった古豪にいなされつつも、新たにホンダエンジンとキヤノンというジャパンパワーを得て再びトップの座への返り咲きを図るといった時代もありました。近年のウィリアムズは往年の輝きは無く、チーム名こそ残ったものの残念ながら「ウィリアムズ家」はF1から身を引く形を採ることになりました。どこで判断を間違えたか、あの時か、それともこれかと色々憶測してしまうこともいくつかありますが、今シーズンはようやくテールエンダーから脱しつつあります。若手のドライバーも健闘していますから、長年のF1を支えてきたフランク・ウィリアムズ氏が存命の間に恩返ししてもらえたらいいなと願うばかりです。
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祝!(?)F1復帰決定ということで、今回の名車は長年続いた「紅い帝王」を木っ端微塵に打破、チームに初戴冠をもたらした青いマシン。2005年のルノーR25をみていきます。
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《設計》
 ボブ・ベル
 ティム・デンシャム

《外見》
結果的にいえばチャンピオンマシンなわけで「速い、強い」マシンであるのはもちろんですが、ライバルのように「一際目立った特徴」があるわけではありません。その裏返し「一際」が無い分、安定したパフォーマンスが発揮できたのかもしれません。IMG_4966
目で見てわかる点としては、以前2006年型「R26」でも書いたサイドポーンツーンからエンジンカバーに当たるあたりに入るスリット「シャーク・ルーバー」があります。当時のフェラーリが先に始めた放熱対策の工夫ではありますが、ボディカラーである水色にこのような切れ込みがあると、本当にサメのエラのよう。フロントセクションは細く鋭利なノーズコーンとアッパーアーム付け根に猫耳のように取り付くウィングレットが特徴的です。またロワアームはV型のステー「Vキール」を採用、キールを無くしてきたライバルのマクラーレンとこの辺もまた思想が異なります。IMG_4961
フロントウィングの作り込みが独特で、ちょうど「iモード」のロゴが入る翼端部は翼端板を内側に90°折り曲げたコの字の形状をなし、モンツァやスパ・フランコルシャンなど高速指向のサーキットではそれを取り止めるなど「高い信頼性」と「どんな状況でもそつなく速い」マシン作りに励みました。ギヤボックスについても、ライバルのほとんどは7速まで多段化する中、ルノー6速ギヤの幅広いレンジのまま搭載されています。
マシンカラーはルノーの基本カラーである黄色に日本たばこ産業「マイルドセブン」の水色をまとうツートンです。日本企業が、それも今ではご法度とされている「タバコ」の会社ですから驚きですよね。日本企業がこんなデカデカと今も掲示し続けいるかはわかりませんが、続いていたらマイルドセブンではないんでしょうね。今はメビウスだったかな?!

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《シャシー》
 全長:4,800mm
 全幅:1,800mm
 全高:   950mm
 最低車体重量: - kg
 燃料タンク容量: - kg
 ブレーキキャリパー:AP
 ブレーキディスク・パッド:ヒトコ
 サスペンション:フロント プッシュロッド
          リヤ    プッシュロッド
 ホイール:OZ
 タイヤ:ミシュラン

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《エンジン》
 ルノーRS25
  V型10気筒・バンク角72度
  排気量:3,000cc
  エンジン最高回転数: - rpm(非公開)
  最大馬力: - 馬力(非公開)
  スパークプラグ:チャンピオン
  燃料・潤滑油:エルフ

フェラーリをはじめ、メルセデスやBMWもホンダといったエンジンがV10のバンク角90°を採用する中、ルノーは唯一バンク角72°を採用し続け、コンパクトかつ軽量であるコンセプトを貫いています。

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《ドライバー》
 No.5 フェルナンド・アロンソ (全戦)
 No.6 ジャンカルロ・フィジケラ(全戦)

エースとしてルノーに再び勝利をもたらしたアロンソはそのままチームに存続。相方には2001年まで前身のベネトンに所属し、ジョーダンやザウバーも渡り歩いたベテランのフィジケラが4年振りに復帰しています。

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《戦績》
 191ポイント コンストラクター1位
 (1位8回、2位6回、3位4回、4位4回ほか)
 ポールポジション7回

復帰初年の2002年は未勝利のランキング4位、 2年目3年目は若いアロンソによる1勝で2年連続のランキング3位、そしてわずか4年目にしてこの戦績。着実に成長して非常に立派です。ただこのマシンのこの戦績はシーズン最多勝ではありません。でもドライバーズ、コンストラクターズ共に紛れも無い立派なチャンピオンを獲得。どうしてこんなことになったのでしょう。
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開幕戦オーストラリアGPは開幕前テストの好調さそのままにベテランのフィジケラがポールトゥウィン、アロンソは予選13番手から3位表彰台を獲得と幸先良いスタートを切ります。第2戦サンマリノGPと第3戦バーレーンGPはアロンソがポールトゥウィン。そして過去のレースでも振り返った第4戦サンマリノGPではフェラーリのM・シューマッハとのガチンコ勝負を見事に耐え抜き、チャンピオン争いを堂々率いてシーズン序盤を終えます。ところがヨーロッパラウンドに入ると、フェラーリに代わってパワーと信頼性を向上させつつあるマクラーレンが追従し始め、アロンソばかり表彰台の真ん中は許さないというレースが続きます。
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抜群の速さはありつつつも時折自滅を繰り返すマクラーレンに対し、アロンソは第14戦トルコGPから最終戦中国GPまで6戦連続で表彰台に登壇するなど、シーズン一貫した安定感を続けた結果、3戦残しでダブルチャンピオン獲得に至りました。IMG_9903
シーズン最速を知らしめ、最多の10勝を挙げつつもチャンピオンを取り逃したマクラーレンとこのルノーとの違いの一つに「タイヤのなじみ方」が挙げられます。ルノーはミシュランタイヤの特性を理解した上で「乗り始めからグリップするマシン」にサスペンションを仕立て上げたのに対し、マクラーレンはどちらかというと「決勝追い上げ型」にしたためタイヤ作りが遅く、まず肝心な予選での好位置を取り逃し、決勝レースでなじんできた頃にはルノーに逃げられるかマシン自らが悲鳴を上げるなど、プロセスの違いがみられました。またアロンソの強みとして「確実にポイントを持ち帰る」といった安定感と達成感が終始続いた点も大きかったと思います。アロンソは全19戦で7勝、15回の表彰台、17回の入賞、2回のリタイヤ(うち1回は棄権)だったのに対し、最大のライバルとなったライコネンは同じく7勝、表彰台12回、入賞14回、リタイヤ3回(うち棄権1回)と優勝だけではなく表彰台や入賞数が効いています。アロンソのドライビングはミスが少なく、マシントラブルだけでなくライコネン自らのミスにより順位を落としたものもありました。これらが序盤から発揮され、ようやくマクラーレンが並び、追い抜き始めた頃にはライコネンの届かない領域に達することができたといえます。
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同じマシンを駆る相方フィジケラはわずか1勝、表彰台3回、入賞11回に止まります。次年2006年のようなライバルがアッと驚くデバイスが搭載されていたわけではなくとも、堅実さ、戦略、そしてミスの少なさが相まって「シューマッハ」というF1の高い壁を乗り越えられたのは、アロンソだからと言っても過言ではありません。ルノー唯一のチャンピオン経験者であるアロンソが来シーズン12年振りに戻ってきます。40代となる猛者は古巣をどう立て直すか、ルノーの本気さ、再建に今から大きな期待が寄せられています。

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このマシンを「名車」として取り扱うメディアはそうそうないでしょう。名車というよりかは「迷車」の部類になるかと思います。見覚えのあるカラーリングの名門も全てが名車であるとは限りません。miyabikunはそんなマシンも丁寧に注目していく所存です。前回に引き続き、負のループにさまよう名門。1994年型のマクラーレンMP4/9です。

《設計》
 ニール・オートレイ
 アンリ・デュラン
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《外見》
基本的には前年93年のMP4/8から正常進化させたマシンです。しかし1994年は他のライバルと同様にマシンレギュレーションの中の「ハイテクデバイス禁止」に準じた仕様とし、エンジンはフォード製からプジョー製にスイッチしたため、それに見合った改良を施しています。MP4/9の特徴的なデバイスとしてはコクピット内にある3つのフットペダルのうち、クラッチを無くした2ペダル式を採用しています。IMG_4321
またサイドポンツーン前方の整流効果を高めるべく、フロントサスペンション後方からコクピットに沿う形でディフレクター(バージボード)を初搭載。ライバルもこの時期からこぞって搭載するようになり、以降のF1マシンに欠かせないデバイスとなりました。IMG_4323
カラーリングは歴代と変わらずメインスポンサーであるマールボロの赤白のツートンカラー。エンジンカバー付近にプジョーのロゴマークがデカデカと入ります。またノーズにはプジョーのトレードマークであるフランシュ・コンテ州の紋章に使用される「ライオン」がシェルよりも大きく鎮座します。信頼性があればマークの重みも増したことでしょう。

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《シャシー》
 全長:    -    mm
 全幅:    -    mm
 全高:    -    mm
 最低車体重量:515kg
 燃料タンク容量: - kg
 ブレーキキャリパー:ブレンボ
 ブレーキディスク・パッド:
 サスペンション:フロント プッシュロッド
          リヤ    プッシュロッド
 ホイール:スピードライン
 タイヤ:グッドイヤー

《エンジン》
 プジョーA6
  V型10気筒・バンク角72度
 排気量:3,498cc
 エンジン最高回転数: - rpm(非公開)
 最大馬力: - 馬力(非公開)
 スパークプラグ:NGK
 燃料・潤滑油:シェル

92年を最後にマクラーレンはホンダとのパートナーシップを解消。前年はフォードと組んで何とか場を繋ぎました。そしてこのシーズンからフランスの小型車メーカーであるプジョーと複数年契約を結ぶことになります。この3年で毎年エンジンが変わるという、、マシンはエンジンとの組み合わせで作り上げていくものです。コロコロ変わるのはチームにとっても操るドライバーにとっても決していいことではありません。

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《ドライバー》
 No.7 ミカ・ハッキネン   (第10戦を除く全戦)
        フィリップ・アリオー (第10戦)
 No.8 マーティン・ブランドル(全戦)

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ドライバーはセナがウィリアムズに移籍した関係で若手のハッキネンがエース格として繰り上がりました。前年93年の第15戦日本GPで初の表彰台登壇を果たし「ポストセナ」を仰せつかります。相方はベテランのマーク・ブランデル、ではなく現在は解説やインタビュアーでお馴染みのマーティン・ブランドルを召集。くれぐれもお名前のお間違えないように(笑)ハッキネンは第9戦ドイツGPのターン1で接触事故を起こし1戦出場停止を受けたため、翌戦のハンガリーGPはプジョー推しのフランス人アリオーが代走しています。晩年はクリーンなファイターのイメージが強いハッキネンも若かりし頃はなかなか生意気なクラッシャー。若い頃はみんな通る道です。

《戦績》
 42ポイント コンストラクター4位
 (1位0回、2位2回、3位6回、4位1回ほか)
 ポールポジション0回

リタイヤについて、上記に記載はありませんが、このマシン、とにかくリタイヤが多い!特に前半8戦が酷く、ハッキネンが8戦中6回、ブランドルも5回リタイヤし、ダブルリタイヤは8戦中4回を数えます。これ、この時代の誰もが知るマールボロ・マクラーレンですよ、あのカラーリングにしてコレは非常に恥ずかしい。悪くなったのはセナが抜けたから?!いやいや、それ以上の欠陥がこのマシンにありました。一番の原因は「プジョーエンジン」でした。開幕当初は非常に信頼性が低く、開幕戦ブラジルGPはハッキネン8番手、ブランドル18番手。結局決勝は両者リタイヤし、前年の前戦オーストラリアGPにセナがポールトゥウィンだったことが嘘だと思えるような幕開けでした。image
以前に「過去のレース」で振り返った第2戦パシフィックGPではオーバーヒート対策としてラジエターを改良し挑むも、予選4番手でスタートしたハッキネンが蹴り出し鈍いポールポジションのセナに追突してその後リタイヤという、改良の成果すら確認できないダメレースを演出してしまいました。
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前年まで隣にいて、初表彰台を讃えてくれたセナの逆鱗に触れてしまっていましたね。セナとハッキネンのレース上のコンタクトはこれが最後となりました。当時セナファンからハッキネンファンに切り替えたばかりのmiyabikunも絶句したの幼心ながら今でもよく覚えています。第3戦の「悲劇」の後、第4戦モナコGPでハッキネンはベネトンの宿敵M・シューマッハに次ぐ予選2番手を獲得しますが、こちらもスタート直後にD・ヒルと接触しリタイヤ。第5戦スペインGPは予選3番手からシューマッハ、ヒルら次世代のチャンピオン候補達と熱戦を繰り広げるも、48周目にプジョーエンジンが音を上げたためリタイヤとなりました。
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シーズン後半戦になると、マシンのドライバビリティがようやく改善、エンジンが信頼性を増したことで第11戦ベルギーGPの2位を皮切りに第14戦へレスでのヨーロッパGPまでハッキネンが4戦連続表彰台を獲得します。しかしブランドル含め優勝は無く、チャンピオン争いも程遠い不作なシーズンを終える形となりました。
ドライバー単位の成績はハッキネンが2位1回、3位5回。ブランドルが2位1回、3位1回となっています。ハッキネンはドライバーズランキング4位で翌年95年はそのままマクラーレンに残留。ブランドルは一度シートを喪失するも、リジェからお呼びがかかり、鈴木亜久里とシェアする形で参戦しています。

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マクラーレンは成績不振のガンともいえたプジョーエンジンをこの年限りの単年契約で切り上げ、95年から新規参戦となるメルセデスエンジンを採用することになりました。以降2年の歳月を経て、優勝。そして3年目にハッキネンによるダブルチャンピオンを獲得する「完全復活」を遂げます。現在2020年も引き続き復調を予感させるマクラーレン。来シーズンから再びメルセデスとタッグを組む予定となっています。名門の完全復活はメルセデスエンジンとのマッチングに期待が寄せられます。

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前回はフェラーリの駄馬を立て続けに2頭みてきました。フェラーリばかりディスっては可哀想ということで、今回はマクラーレンの「名車」を取り扱うことにしました。2006年型MP4-21です。以前取り扱った2005年のMP4-20や2007年のMP4-22はよく知っているけど、MP4-21なんてマシンあったっけ?!そのくらい地味ですね。地味には地味なりの理由がある。

《設計》
 マイク・コフラン
 ニコラス・トンバジズ
(エイドリアン・ニューウェイ)

マシンの基本はニューウェイによるものですが、2005年を最後にチームを離れているため、一応カッコ書きとしました。

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《外見》
地味どころでない、マシンディテール以上に目を引くのが、このカラーリングです。以前MP4-22の時にも書いたようなギンギラなメッキのシルバーを施したのはこのマシンからでした。初めて目にした時は今までの常識を覆したというか、これなら遅いわけはない、度肝を抜かれましたよね。10年近くメインスポンサーを続いたWestが完全に外れたことにより一新しています。とはいってもシルバー基調なのは変わりませんが。
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サイドポンツーンはメインスポンサーとなったジョニー・ウォーカーの黒が鎮座し、フロント、リヤ共に主翼はエミレーツ航空の赤の主張が強くなりました。白味が一切無くなり、銀をベースに黒と赤の3色で構成されて、一見冷たい印象を受けます。
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マクラーレンはしばらく先細りの鋭利なノーズコーンにチャレンジし続けますが、イマイチ成果が表れず、前作MP4-20では思い切って太めのものを採用しました。しかしやはり未練があったのか、このマシンはまたまた細いものに戻しています。何だか嫌な予感がしますね(笑)理論上は先端が細い方が有利なのは想像できても、F1の場合は単に細けれりゃイイってもんでもありません。
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ほか、チムニーダクトやホーンウィングを搭載するといった基本はMP4-20からの発展で作られたこのマシンも、色味のせいか似て非なるものにも見えます。エンジンが小型化されたため、ラジエーターやサイドポンツーンも小型にしてきました。

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《シャシー》
 全長:4,580mm
 全幅:    -    mm
 全高:    -    mm
 最低車体重量: - kg
 燃料タンク容量: - kg
 ブレーキキャリパー:
 ブレーキディスク・パッド:
 サスペンション:フロント プッシュロッド
          リヤ    プッシュロッド
 ホイール:エンケイ
 タイヤ:ミシュラン

《エンジン》
 メルセデス・ベンツFO108S
  V型8気筒・バンク角90度
 排気量:2,400cc
 エンジン最高回転数: - rpm(非公開)
 最大馬力: - 馬力(非公開)
 燃料・潤滑油:モービル

エンジンは変わらずのメルセデス製。パワーには定評があるものの、この2006年からは2.4ℓV10という今までにないコンパクトなNAエンジンを搭載して、パワー低下が噂されています。規制無きエンジン回転数で思い切りぶん回して補完してやるしかありません。ただ、2レースで1基というエンジンの使用制限もありますので、あまりぶん回すと、簡単に壊れちゃいます。

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《ドライバー》
 No.3 キミ・ライコネン     (全戦)
 No.4 ファン・パブロ・モントーヤ(第1〜10戦)
        ペドロ・デ・ラ・ロサ   (第11〜18戦)

名前だけみるといかにも強くて速そうな、そして唯一無二のクセが特徴的な2人による2年目です。ライコネンはともかく、前年のモントーヤは2戦サボるなど精彩を欠いたシーズンでした。チャンピオンを狙えるタマなんですから、2人揃って青いルノーをギャフンと言わせたいですね。

《戦績》
 110ポイント コンストラクター3位
 (1位0回、2位4回、3位5回、4位2回ほか)
 ポールポジション3回

予選ワンアタック方式から、現在に通ずるノックアウト方式を初導入した開幕戦バーレーンGP予選はライコネンがクラッシュしてノータイムの22番手最後尾、モントーヤが5番手と2005年の飛躍を帳消しにするような内容で入りました。それでも何とかライコネンは1周目に13位まで一気に浮上し3位表彰台を獲得するものの、モントーヤは順位が入れ替わりつつ結局スタートのままの5位入賞とマシンの見た目に及ばない結果でした。
その後、ライコネン、モントーヤともコンスタントに表彰台には登壇しつつも、それ以外はリタイヤが多く、なかなか「表彰台のテッペン」に上がれずにシーズンは進行していきます。お決まりの信頼性の無さがチラホラ見え隠れし、そこの改善もなかなかみられません。
そしてここから2つの「出来事」がありました。一つ目は幼少期からマクラーレンが育て上げた若手、L・ハミルトンがF1のガレージを訪れ、翌2007年からレギュラーシートを得る可能性が現実的になったこと。まだシーズンを終えていない最中にこのようなプロモーションはドライバーにとっていいものではありません。
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もう一つはライコネンが9番手、モントーヤが11番手で予選を終えた第10戦アメリカGPの決勝、スタート直後のターン2進入でモントーヤがライコネンに追突IMG_3547
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多重クラッシュを招いてレースを混乱させてしまいました。IMG_3549
この後ろ姿を最後にマクラーレンはモントーヤとの契約を突如解除し、デ・ラ・ロサにシートを譲る形となります。シーズン後半戦にライコネンによるポールポジションは3回記録するも、ドライバーの戦闘力を失ったマクラーレンは結局優勝を挙げることは一度も無く、コンストラクターランキングも3位に落とす不作の年に終わりました。

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前年は最多勝を挙げるも時すでに遅しのランキング2位。翌年は2回チャンピオンと大型新人が揉めてポイント剥奪と、その間に挟まれたこのマシン。ライコネンもモントーヤも当時のマクラーレンの体質には結果的に合わなかったという、地味でもインパクトだけは例年に負けない一台でした。

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