今回はF1に長く在籍し、速い車で輝かしいキャリアや印象がありながらチャンピオンになれなかったドライバーに個人的視点から着目します。ファンの方がいたらごめんなさい。決して「ダメなドライバーだった」と言いたいわけではなく、残念だった、と惜しむ気持ちで選んでいます。中にはワールドチャンピオンをも上回る結果を残した、いわゆる「ナンバー2ドライバー」もいたりします。
現役はまだ希望を込めて選ばず、あとは実際に観戦し始めた1990年以降あたりからピックアップしました。

マーク・ウェバー
   12年在籍 参戦数215戦 
   優勝9回 表彰台42回 
   ポール13回 ファステストラップ19回 
   年間総合3位2回 4位1回
最新のザ・ナンバー2です。遅咲きもあって、ピークの年齢は比較的高めです。
個人的には失礼ながら200戦を超える息の長いF1ドライバーになるとは思いませんでした。ウィリアムズ時代も含めチームメイトと比べるとパッとしないし、揉めたりもする。
初期のレッドブルでじっと耐え、尻すぼみな結果で引退する者が多い中、チャンピオンチームで積み上げた勝利で優秀の美を飾れたタイプでもありました。

ファン・パブロ・モントーヤ
   6年在籍 参戦数96戦 
   優勝7回 表彰台29回 
   ポール12回 ファステストラップ12回
   年間総合3位2回 4位1回
アメリカのCARTのチャンピオンを獲得し、ヨーロッパ仕込みのF1に殴り込みにきた暴れん坊です。
初めはウィリアムズ、次にマクラーレンと当時速いチームにのみ所属し、F1のしきたりや雰囲気を蹴散らし、物怖じしない走りと態度、個人的に嫌いではなかったです。
まだまだ衰えもなくバリバリの速さを持ちつつ、最後はチームとケンカ別れ。彼らしいF1の去り方でした。今はF1は観ないとのこと。

ジャンカルロ・フィジケラ
   14年在籍 参戦数231戦 
   優勝3回 表彰台19回 
   ポール4回 ファステストラップ2回
   年間総合4位1回 5位1回
甘いマスクはチームを変えること実に7回。息の長いドライバーでした。
いいチームで走れてもどこか一つか二つ足りない。チームメイトが優秀過ぎるのか、運の無さか。
雨は比較的得意でオーバーテイクをしていないフリして最後はしっかりポイントは稼ぐところがシート獲得の要素だったかもしれません。

ヤルノ・トゥルーリ
   15年在籍 参戦数256戦 
   優勝1回 表彰台11回
   ポール4回 ファステストラップ1回 
   年間総合6位1回 7位1回
彼には「予選番長」というニックネームがピッタリです。
記録を見る限り、参戦数以外はこの面々の中では地味です。ただポールポジションは4回ちゃんと獲得しています。予選は2列目あたりにはシレッといました。ただレースが始まると、、、短期集中型なのでしょうか。
トヨタで表彰台を獲得してくれたのは嬉しい出来事です。今はフォーミュラEのチーム代表兼ドライバー。ぶどう農園も経営してます。

ロバート・クビカ
   5年在籍 参戦数76戦 
   優勝1回 表彰台12回 
   ポール1回 ファステストラップ1回 
   年間総合4位1回 6位1回
あの事故さえなければ、、F1でもド派手なクラッシュをしていましたが、彼のF1生命は大好きなラリーで絶たれました。まだ今年30歳と今でも若いです。
前にも話しましたが、巧みなドライビングや立ち振る舞いが今のボッタスとダブったりします。もし事故が無ければライコネンのロータス復帰もなかったかもしれないし、チャンピオンも獲れていたかもしれないポーランド初の星でした。もう少し活躍を見てみたかったです。

ルーベンス・バリチェロ
   19年在籍 参戦数326戦 
   優勝11回 表彰台68回 
   ポール14回 ファステストラップ17回 
   年間総合2位2回 3位2回
ユーモラスな人間性と情熱家。亡きセナのブラジルの期待を背負い、最多F1参戦記録を更新した鉄人です。
クライマックスはフェラーリでの6年間。ナンバー2覚悟で所属し、堪えて堪えて、時には我慢の限界を超えてしまう一面もみられました。
2009年のブラウンGPフィーバーで最後のチャンスも逃し、そこで結果を出したもう一人はココにノミネートされるのを危うく免れました。

ラルフ・シューマッハ
   11年在籍 参戦数170戦 
   優勝6回 表彰台27回 
   ポール6回 ファステストラップ8回 
   年間総合4位2回 5位2回
この方もモントーヤ同様に車には恵まれていた方だと思います。兄ミハエルと同じジョーダンからデビューし、恵まれた結果を残すもののトゥルーリと組んだトヨタでF1を締めくくる。結果以上の高い収入も話題になってました。偉大なお兄ちゃんに「うまく乗っかった」賢い弟くん。

ハインツ・ハラルド・フレンツェン
   10年在籍 参戦数157戦 
   優勝3回 表彰台18回 
   ポール2回 ファステストラップ6回
   年間総合2位1回 3位1回
彼もいい時期にいい車に巡り会えた一人です。
ベンドリンガー、M・シューマッハと並び「メルセデス三羽ガラス」と称されてF1にやってきました。
余談ですがM・シューマッハ夫人であるコリーナは元彼女です。結果もさることながら彼女まで奪われて成績もマシンも右肩下がり。寂しいF1人生でした。

デビッド・クルサード
   14年在籍 参戦数247戦 
   優勝13回 表彰台62回 
   ポール12回 ファステストラップ18回
   年間総合2位1回 3位4回
セナの死後、ウィリアムズからデビューしたクルサード。クルサードもまた速い車に乗り続けられました。
ウィリアムズではヒル、マクラーレンではハッキネンやライコネンがチームメイトになり、恵まれなかった部分も多くあります。新生レッドブルの初代ドライバーとして常勝になる前の時代を経験しました。
堅実かつユーモアもあってコメンテーターをやりつつ、表彰台インタビューでベッテルにシャンパンをかけられてしまうのには毎回笑ってしまいます。

エディ・アーバイン
   10年在籍 参戦数146戦 
   優勝4回 表彰台26回 
   ポール0回 ファステストラップ1回 
   年間総合2位1回 4位1回
バリチェロと同様にフェラーリドライバーとしてナンバー1ドライバーが怪我で欠場中に優勝を重ね、99年はあと一歩ハッキネンに及びませんでした。実はポールポジションの獲得がないんですね。見直すまで知りませんでした。フェラーリのナンバー2になると優勝はできてもチャンピオンにはなれません。
鈴鹿を走り慣れていることもあり、S字や逆バンクに独自のラインを持ち、周回遅れで邪魔したとセナに叱られたのは有名ですね。

ジャン・アレジ
   12年在籍 参戦数202戦 
   優勝1回 表彰台19回 
   ポール2回 ファステストラップ4回 
   年間総合4位2回 5位2回
90年にティレルでマクラーレンを乗るセナとのサイドバイサイドや苦戦するフェラーリを懸命に駆る様は今でも彼の印象に残ります。ベルガーと合わせてシューマッハ一人とのトレードには驚きました。熱血な彼はマシンにイマイチ恵まれなかった気がします。
チャンピオン争いというより後藤久美子の旦那という方が日本では有名かもしれません。

ゲルハルト・ベルガー
   14年在籍 参戦数210戦 
   優勝10回 表彰台48回 
   ポール12回 ファステストラップ21回 
   年間総合3位1回 4位2回
セナと仲良しのベルガーも明るい性格やプレイボーイな一面、レースでのアツい走りで「記録より記憶に残る」ドライバーとしてチャンピオンに名を刻めませんでした。
一時期まで鈴鹿のレコードタイムを持っていたり、フェラーリからマクラーレンに一度移り再びフェラーリに戻るあたりも面白い経歴です。今でいえばマクラーレンとルノーを行き来するアロンソみたい。

リカルド・パトレーゼ
   17年在籍 参戦数257戦 
   優勝6回 表彰台37回 
   ポール8回 ファステストラップ13回 
   年間総合2位2回 3位1回
元祖「鉄人」です。91年はマンセルの陰に隠れてしまいますが、予選ではマンセルを上回っています。(マンセル7回、パトレーゼ9回)
後から知りましたが、94年に契約がなく、セナが亡くなった時に代役としてウィリアムズから声がかかっていたみたいです。それに応じていたらクルサードデビューもなかったかもしれないし、最多参戦記録も更新できていたかもしれません。


優勝しても、表彰台に乗っても、長くF1にいてもチャンピオンになれないで引退していくドライバーはたくさんいます。マシンに恵まれた者もいれば、ライバルの不在や不振のチャンスをものにする者。チャンピオン一回でも大したものなのに、それを複数回するのは本当に大変だとつくづく感じます。

現役でも勝てているのにチャンピオンになりあぐんでいるドライバーが何人かいます。銀の矢にもいますし白のブラジリアンもそうです。このような末路にならず、華を咲かせられたらいいですね!
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