F1 えきぞーすとのーと

よくあるニュースネタやこ難しいテクニカルな話ではなく、メインは予選や決勝のTV観戦したそのものを個人的観点から綴るF1ブログです。  また、懐かしのマシンやレースを振り返ったり、記録やデータからF1を分析。その他ミニカーやグッズ集めも好きなので、それらを絡めつつ広く深くアツくF1の面白さやすごさを発信し、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

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先日まで「名門チームとそれらを支えた代表的ドライバー」として10チームをみてきました。ドライバーをみればそのチームっぽい、逆にそのチームといえばその人ありき、みたいな色が出てましたよね。それぞれ「色の違い」が見えてきたと思います。これでチーム内での成績について各部門で点数化しましたので、チーム差や昔や最近、長い浅い関係なく単純に並列化できたはずです。しかしチームや時代、レギュレーションが異なるとそうもいかなくなる。ドライバーにはファン各々で好き嫌いや印象などがあるため、なかなか比較評価は難しいものですよね。以前も時代によって異なるポイントを変換して比較したりしましたが、今回は前回のティレルの時に話した、好みや印象を度外視した数的評価で「ミスターの中のミスターF1ドライバーは誰か」を決めてみたいと思います。
※予めお断りしておきますが、これはmiyabikunの定めた評価方法により算出したもので、miyabikunの好き嫌いは考慮していません。感情を抜きにした「無味乾燥」状態です。
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まずは軽く先日までに割り出した各チームのトップ5まで振り返りたいと思います。2017年シーズンまでのエントリー数、ポール獲得数と獲得率、優勝数と優勝率、表彰台獲得数と獲得率、ドライバーズチャンピオンにポイント付与した集計結果です。内訳詳細は以前の記事を参照下さい。

《フェラーリのトップ5》
  1 111pts M・シューマッハ   ★★★★★
  2   59pts A・アスカリ          ★★
  3   57pts N・ラウダ              ★★
  4   40pts J・M・ファンジオ ★
  5   33pts K・ライコネン       ★●
  ポイント獲得対象33人    総ポイント548

《マクラーレンのトップ5》
  1   90pts A・セナ            ★★★
  2   81pts A・プロスト     ★★★
  3   65pts M・ハッキネン ★★
  4   58pts L・ハミルトン  ★ ◯
  5   37pts J・ハント         ★
  ポイント獲得対象20人    総ポイント512

《ウィリアムズのトップ5》
  1   71pts N・マンセル       ★
  2   65pts D・ヒル              ★
  3   53pts A・プロスト       ★
  4   49pts J・ヴィルヌーブ ★
  5   45pts N・ピケ              ★
  ポイント獲得対象18人    総ポイント467

《ロータスのトップ5》
  1   85pts J・クラーク               ★★
  2   53pts M・アンドレッティ   ★
  3   50pts E・フィティパルディ ★
  4   48pts J・リント                   ★
  5   46pts A・セナ
  ポイント獲得対象18人    総ポイント458

《メルセデスのトップ5》
  1   96pts L・ハミルトン       ★★★●
  2   79pts J・M・ファンジオ ★★
  3   68pts N・ロズベルグ       ★
  4   50pts V・ボッタス           ●
  5   41pts S・モス
  ポイント獲得対象11人    総ポイント388

《レッドブルのトップ5》
  1 109pts S・ベッテル               ★★★★ ◯
  2   62pts M・ウェバー
  3   56pts D・リカルド               ●
  4   36pts M・フェルスタッペン ●
  5   18pts D・クルサード
  ポイント獲得対象9人     総ポイント307

《ブラバムのトップ5》
  1   85pts N・ピケ           ★★
  2   67pts D・ブラバム    ★
  3   47pts J・イクス
  4   44pts D・ガーニー
  5   42pts D・ハルム        ★
       42pts C・ロイテマン
  ポイント獲得対象15人   総ポイント452

《ルノーのトップ5》
  1   87pts F・アロンソ          ★★
  2   60pts A・プロスト
  3   59pts R・アルヌー
  4   44pts G・フィジケラ
  5   35pts J・P・ジャブイユ
  ポイント獲得対象13人   総ポイント381

《ベネトンのトップ5》
  1   90pts M・シューマッハ ★★
  2   44pts G・ベルガー
  3   39pts J・アレジ
  4   36pts N・ピケ
  5   32pts A・ナニーニ
  ポイント獲得対象13人   総ポイント356

《ティレルのトップ5》
  1   83pts J・スチュワート ★★
  2   57pts J・シェクター
  3   56pts P・ドゥパイエ
  4   34pts M・アルボレート
  5   32pts F・セベール
  ポイント獲得対象16人   総ポイント330

★はチーム所属時のチャンピオン獲得数、
●は2017年時点の現役所属、◯は過去に所属した現役

チーム優勝数上位10チームのさらにトップ5は延べ162人でこんな感じでした。同列比較したはずなのに、獲得対象者数とチーム総ポイントに差があるのはなぜ?!これはチームの歴史が浅く、10人にポイント付与できなかったために生じています。例えば現役チームであるメルセデスやレッドブルは多く優勝は挙げていますが、ブラバムやティレルより下回ってしまってしまうのです。またチャンピオン獲得者には特別に1回獲得につき10ポイントのボーナスを与えました。チャンピオンをそのチームで多く獲得していると、各人またはチームの総ポイント数に波及されますからフェラーリやマクラーレンが高めに出ます。
次にこれらをチームの分けを外し、ガチャっと合体されて並べると、こうなります。

《チームの分けを外したトップ30》
  1 111pts M・シューマッハ(フェラーリ 1位)
  2 109pts S・ベッテル(レッドブル 1位)
  3   96pts L・ハミルトン(メルセデス 1位)
  4   90pts A・セナ(マクラーレン 1位)
       90pts M・シューマッハ(ベネトン 1位)
  6   87pts F・アロンソ(ルノー 1位)
  7   85pts J・クラーク(ロータス 1位)
       85pts N・ピケ(ブラバム 1位)
  9   83pts J・スチュワート(ティレル 1位)
10   81pts A・プロスト(マクラーレン 2位)
11   79pts J・M・ファンジオ(メルセデス 2位)
12   71pts N・マンセル(ウィリアムズ 1位)
13   68pts N・ロズベルグ(メルセデス 3位)
14   67pts D・ブラバム(ブラバム 2位)
15   65pts M・ハッキネン(マクラーレン 3位)
       65pts D・ヒル(ウィリアムズ 2位)
17   62pts M・ウェバー(レッドブル 2位)
18   60pts A・プロスト(ルノー 2位)
19   59pts A・アスカリ(フェラーリ 2位)
       59pts R・アルヌー(ルノー 3位)
21   58pts L・ハミルトン(マクラーレン 4位)
22   57pts N・ラウダ(フェラーリ 3位)
       57pts J・シェクター(ティレル 2位)
24   56pts D・リカルド(レッドブル 3位)
       56pts P・ドゥパイエ(ティレル 3位)
26   53pts A・プロスト(ウィリアムズ 3位)
27   53pts M・アンドレッティ(ロータス 2位)
28   50pts E・フィティパルディ(ロータス 3位)
29   50pts V・ボッタス(メルセデス 4位)
30   49pts J・ヴィルヌーブ(ウィリアムズ 4位)
  ポイント獲得対象は延べ162人   総ポイント4199

各チームの1位が順当に上位にくる中、ウィリアムズは1位が少しライバルより出遅れ、逆に4位のヴィルヌーブまでがトップ30に入ってきているのが特徴的です。当時ウィリアムズの時にも書きましたが、ウィリアムズは各人エントリー数が多くなく、在籍期間も短い。さらに栄冠を勝ち取ると移籍する傾向にあり、フェラーリやレッドブルにある「一人独走状態」を招かなかったことで分散したようです。
同じチームで複数回チャンピオンを獲得すると、このポイントは上昇します。1位のM・シューマッハはフェラーリで5回チャンピオンを獲得して50ポイントを上乗せ。2位のベッテルはレッドブルでご存知の通り4回チャンピオンなので40ポイントを加算しました。同じくチャンピオンは4回でも、マクラーレンで1回、メルセデスで3回のハミルトンとは取り扱いが異なってきます。
このランキングは各チームで獲得したポイント数によるものですが、別のチームで上位を獲得してもランクインしてきますので、以下でそれを「ドライバー単位」で集約して並べ直してみます。

《ドライバー単位に集約した場合のトップ30》
  1 215pts M・シューマッハ
  2 206pts A・プロスト
  3 166pts N・ピケ
  4 154pts L・ハミルトン
  5 146pts A・セナ
  6 121pts S・ベッテル
  7 119pts J・M・ファンジオ
  8 111pts F・アロンソ
  9 107pts N・ラウダ
10   85pts J・クラーク
11   83pts J・スチュワート
12   81pts N・マンセル
13   80pts E・フィティパルディ
14   74pts G・フィジケラ
15   73pts N・ロズベルグ
16   71pts S・モス
17   67pts J・イクス
       67pts D・ブラバム
       67pts J・シェクター
20   66pts J・リント
21   65pts D・ヒル
       65pts M・ハッキネン
23   63pts C・ロイテマン
       63pts G・ベルガー
25   62pts K・ライコネン
       62pts M・ウェバー
27   59pts A・アスカリ
       59pts R・アルヌー
29   57pts D・クルサード
       57pts V・ボッタス

元はチーム単位で算出したものですが、合算すると順位がいくつか入れ替わり、よく見る優勝数ランキングみたいな順列に変わりました。フィジケラがN・ロズベルグやハッキネンを差し置いて14位ですと?!さすが流浪の苦労人です。この算出方法の弱点は「10チーム以外で好成績をおさめた者がカウントされない点(例えばブラウンGPのバトンなど)」「10チーム内の複数で移籍して好成績であれば上位に入る点(例えばノンチャンピオンのフィジケラやモスが上位に来る)」があります。本来ではあれば、全チームで同様の評価をすればより平等になるわけですが、miyabikunもそこまでの根気と時間がありませんでした。
特筆すべきは10位にランクインしたクラークです。彼は事故により若くして命を落としたドライバーの一人ですが、上位ドライバーが複数チームでポイント積み重ねる中でロータス一本でこの順位です。ちなみにクラークのほか、チャンピオンを獲得したマトラ時代をカウントしていないスチュワート、アロウズやジョーダンなどで晩年をダラダラと過ごしたD・ヒルもその手に属します。

《10チームのランキンググラフ》
最後にコンストラクターズランキンググラフを結合してみました。いつものようにグチャグチャしちゃっています。各チームで異なるカラーを使用していますので頑張って追ってみて下さい。
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コンストラクターズランキングは1958年からスタートしており、下限が14位より少ないエントリー数の時代はグレーで塗り潰しています。よってグレーにかかるティレルの93年は13位でビリなわけです。今回選択した10チームの内訳はワークス(メーカー)が4チーム(フェラーリ、ロータス、メルセデス、ルノー)、そしてプライベーターが6チーム(マクラーレン、ウィリアムズ、レッドブル、ブラバム、ベネトン、ティレル)となっています。今でこそマクラーレンはメーカーとして自社製の車を市販化するようにはなりましたが、元はドライバーが枝分かれさせて発足させて、今でもホンダやルノーからエンジンを供給してもらうプライベーターです。全ての期間で参戦しているのはフェラーリのみで、ほかメルセデスやルノーは会社の経営方針などの理由からか何度か休戦、復帰を繰り返しています。一方、プライベーターもいくつか消滅を余儀なくされたものもある中で、マクラーレンやウィリアムズなどは苦しいながらも参戦を続けています。
10チームがランキングの上位にしっかり居座っている様子がよくわかりますよね。新規チーム、零細チームではF1の頂点に立つのは困難を極めます。私達がF1をよく知るようになった80年代から90年代後半までの10年間はフェラーリ、マクラーレン、ウィリアムズ、ベネトンによるいわゆる「四強」が相見える形であったことがグラフからも読み取れます。そのほとんどはオレンジのマクラーレンと黒のウィリアムズが牽引していました。これら名門の強豪がひしめく中、ランキング1位が空いているシーズンがいくつかあります。古い順に初年58年のヴァンウォール、59,60年はクーパー、62年のBRM、68年マトラ、そして時も記憶にも新しい09年のブラウンGPでした。それら上記3チームは複数年参戦中の戴冠でしたが、ブラウンGPはデビューでダブルチャンピオン、そして直後に買収とたった一年で成し得て消滅した「時のチーム」の戴冠でした。

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いかがでしたでしょうか。10回に渡るチームとドライバー評価とランキング、そして今回はその10チームをまとめて並べました。今までこのブログでは「時代に合わせたポイント換算による評価」「チームごとの代表ドライバーによる評価」というやり方を使ってファンの永遠の課題である「F1で速く強いドライバー」を模索してきました。時代もドライバーもマシンもレギュレーションも、さらには行われたサーキットも異なる中で単純に比較することはなかなかできないことです。もちろん今回のデータでもそれを正確に解明することができませんでしたが、その時代時代に優秀なチームやドライバー、マシン、戦略があって、数々のバトルやドラマを繰り広げてきたわけで、それを見つけて比較、断言することは決して容易なことではありません。
今チームは存続自体が厳しいものとなり、かといって新興チームが台頭してきたり参入することも減ってきました。レギュレーションの緩和や「F1のあり方」によっては、今後ワークス、プライベーターとも新たな強豪チームがまた現れてくるかもしれません。

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名門チームを見ていく企画は今回10チーム目のティレルです。ティレルは1970年にケン・ティレルがマトラから枝分かれしたプライベートチームです。ティレルは以前に「若手育成チーム」としても取り扱ったこともあり、概要はそちらにある程度書いているので、今回は割愛しちゃおうかな(笑)よかったら1年半前のネタと併せてご覧下さい。

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ティレル
    初参戦          :1970年第11戦カナダGP
    最終参戦       :1998年第16戦日本GP
    参戦年数       :29年 / 68年 ※
    チーム参戦数:430戦 / 976戦 ※
    ドライバー数:47人 / 814人 ※
    優勝獲得数    :23勝 / 430戦 ※
    表彰台獲得数:77回 / 430戦 ※
    ポールポジション獲得数:14回 / 430戦 ※
    ドライバーズチャンピオン:2回 / 29年 ※
    コンストラクターズチャンピオン:1回 / 29年 ※
    ※各チーム横並びにするためデータは2017年終了時
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コンストラクターズランキングをグラフでみると、1971年をサミットに見事な右肩下がりです。チーム設立当初にチームのエース、スチュワートが勢力そのままに結果を残し、いきなりのチャンピオンチームとなりました。以降もスチュワートは73年にドライバーズチャンピオンを獲得しますが、ロータス率いるE・フィッティパルディとピーターソンのコンビに破れて2度目のチャンピオンは空振りに終わりました。
またチームは98年まで存続するもグラフは84年に一度途切れています。これは以前にも書いた「水タンク事件」によるコンストラクターズポイント剥奪があったためです。97年のM・シューマッハや07年のマクラーレンなどと同様に違反によってそのシーズン全てが「無かったこと」になってしまうという厳しい裁定が下りました。

《エントリー数 上位10位》
  1   80戦 P・ドゥパイエ       10pts
  2   64戦 片山右京                  9pts
  3   50戦 M・サロ                   8pts
  4   49戦 M・アルボレート     7pts
  5   48戦 J・パーマー(父)  6pts
  6   45戦 J・シェクター         5pts
  7   41戦 M・ブランドル        4pts
  8   40戦 J・スチュワート     3pts ★
  9   38戦 F・セベール            2pts
10   33戦 P・ストレイフ        1pt

今までもいくつか現存しないチームを取り扱ってきましたが、チーム消滅からさほど遠いわけでは無いものの、現役所属ドライバーを示す◯マーク、ならびに現所属を示す●マークはありません。チーム消滅は1998年ですから、現役最古参である2001年デビューのアロンソ、ライコネンもカスリもしませんでした。残念ながらこうして段々名門消滅から時が経ち、若いF1ファンからますます薄れてしまうのでしょう。
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ティレル所属ドライバーの特徴は過去にも取り上げたことがある「若手を起用し、強豪チームにステップアップする登竜門」であるとともに「日本人ドライバーを多く起用する」点です。エントリー数で見事2位にノミネートされた片山右京をはじめ、高橋国光、星野一義、中嶋悟、高木虎之介とスポット参戦者を含めた20人のうち5人がティレルでドライブしています。日本人が多く乗る時期はティレルはいわば「テールエンダー」をなしており名門には程遠いチームではありますが、プライベーターならではのタイアップ、スポンサーの関係もありますが、このようなチームは「カネとコネでガチガチ」のF1においては貴重な存在です。
1位のP・ドゥパイエはチーム初期に携わったドライバーです。下位カテゴリーでの実績を買われ、72年にサードドライバーに起用、スポット参戦を果たします。F1に参戦する傍ら下位カテゴリーも並行して参戦してF1でも優勝と多くの表彰台を挙げるなど将来を嘱望されますが、なかなかチャンピオン争いまでは絡めずに78年シーズンをもってティレルからリジェに移籍、80年にドライブしたアルファロメオのドイツGP前テストによりこの世を去っています。ドゥパイエもティレルから旅立ち、さらなる飛躍を目指していただけに惜しい存在でした。

《ポールポジション数》
  1   12回 J・スチュワート    10pts ★
  2     1回 J・シェクター         9pts
               P・ドゥパイエ          9pts

《ポールポジション率》
  1 30.0% J・スチュワート   10pts ★
  2   2.2% J・シェクター        9pts
  3   1.3% P・ドゥパイエ        8pts

ティレルでのポールポジション獲得者は3人に絞られます。1人ずば抜けたレジェンドはさておき、ドゥパイエと並ぶ貴重な1回を獲得したシェクターはドゥパイエと同じ時期にタッグを組んだ1人です。この後出てくる優勝は4回を数え、77年にウルフ、79年にはフェラーリへ移籍。移籍初年にG・ヴィルヌーブと勝利を重ねてチャンピオンを獲得しています。こちらは無事にステップアップを遂行できました。
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《優勝回数》
  1   15回 J・スチュワート   10pts ★
  2     4回 J・シェクター        9pts
  3     2回 M・アルボレート   8pts
  4     1回 F・セベール           7pts
               P・ドゥパイエ        7pts

《優勝率》
  1 37.5% J・スチュワート   10pts ★
  2   8.9% J・シェクター        9pts
  3   4.1% M・アルボレート    8pts
  4   2.6% F・セベール            7pts
  5   1.3% P・ドゥパイエ        6pts

優勝はポールポジションより多い5人となっています。アルボレートとセベールの2人が追加されました。フェラーリの創始者エンツォ・フェラーリから溺愛され、アスカリに次ぐ「フライング・ミラン」と評されたアルボレートはフェラーリドライバーで記憶されている方も多いと思います。アルボレートもティレルで優勝2回を獲得してうまく巣立っていきました。ただしフェラーリを駆る84〜88年はマクラーレンやウィリアムズが強く、優勝や表彰台を積み重ねるもチャンピオン争いには至れず。晩年は下位チームで過ごす形となり94年のミナルディを最後にF1引退、そして2001年のル・マン24時間レースに向けたテスト中に44歳の若さで事故死しています。

《表彰台回数》
  1   20回 J・スチュワート    10pts ★
  2   17回 P・ドゥパイエ         9pts
  3   14回 J・シェクター         8pts
  4   13回 F・セベール             7pts
  5     4回 M・アルボレート    6pts
  6     2回 D・ピローニ            5pts
               J・P・ジャリエ       5pts
               J・アレジ                 5pts
  9     1回 R・ピーターソン     2pts
               M・ブランデル        2pts
               S・モデナ                2pts

《表彰台率》
  1 50.0% J・スチュワート   10pts ★
  2 34.2% F・セベール            9pts
  3 31.1% J・シェクター        8pts
  4 21.3% P・ドゥパイエ        7pts
  5   8.3% J・アレジ               6pts
  6   8.2% M・アルボレート   5pts
  7   7.4% J・P・ジャリエ      4pts
  8   6.5% D・ピローニ           3pts
  9   6.3% R・ピーターソン    2pts
                S・モデナ               2pts
                M・ブランデル       2pts

表彰台20回で1位のスチュワートは20回と一見少なくもみえますが、表彰台率50%と高水準です。さっきの優勝回数と合わせて見ると、表彰台20回のうち15回が優勝、2位4回、3位1回という一般的な例からみたら真逆の戦績となっています。71年シーズンは驚異的で、全11戦中6回の優勝と7回の表彰台、リタイヤ2回ともはや優勝(表彰台)かリタイヤかのどちらかという驚異的かつメリハリある内容でした。ティレルとスチュワートのコンビがガッチリ決まった瞬間です。
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そのティレルとスチュワートのそばには若きフランス人のセベールがいました。F1ですでに名声を得ていたスチュワートに対してもF2で食らいつく走りをするセベールを気に入り、即F1引き抜き。スチュワートが優勝するレースは確実に2位を獲得し、デビュー2年目の71年のワトキンスグレンでの最終戦アメリカGPで早くも優勝に輝きます。以降もスチュワートの傍らでキャリアアップを続けた73年のワトキンスグレンでの最終戦アメリカGPで予選中にクラッシュ。期待の若手の衝撃的な死を目の当たりにしたショックは大きく、スチュワートはその100戦目のメモリアルレースを辞退、そのままF1も引退を決意し、以降事故に関して辛辣な意見を持つようになりました。
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《ドライバーズチャンピオン》
  1971年 J・スチュワート 6勝 / 11戦 10pts ★
  1973年 J・スチュワート 5勝 / 15戦 10pts ★

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《ティレル オブ ティレル ランキング》
  1 83pts J・スチュワート ★★
  2 57pts J・シェクター
  3 56pts P・ドゥパイエ
  4 34pts M・アルボレート
  5 32pts F・セベール
  6 11pts J・アレジ
  7   9pts J・P・ジャリエ
       9pts 片山右京
  9   8pts D・ピローニ
       8pts M・サロ

ティレルの栄光は「スチュワート」にある。仮にチャンピオンにならずとも、結果は歴然としています。
スチュワートはチーム設立当初が最も脂の乗り切っていた時期であり、チーム内の不幸があったことでそのエースは失えど、以降のチームは若手育成にも注力してシェクターやピローニ、アルボレート、アレジなどを成長させてトップチームに送り込む「登竜門」的な存在を確立。さらには76年にはノーズに「たいれる」でお馴染みの異端車P34、以前にネタで取り扱ったこともある現在のF1の原型といえる90年019のハイノーズを送り込んでくるなど、ユニークな一面もありました。そんな貴重な存在も晩年テールエンダーまで落ち込み、静かにフェードアウトするかの如くB・A・Rに飲み込まれて消滅ともの寂しい名門の末路を迎えています。近年もプライベーターのチーム存続についてチーム格差や資金繰りなどが話題になっていますよね。名門チームだったとしても明日は我が身、弱肉強食のF1界での永続は簡単なことではありません。
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歴代優勝数の多い順に見ていきましたが、このティレル以下は20勝以下となり、比較するにはサンプル数が少ないためあまり形になりませんので今回がこの企画の最終回となります。ここまでデータが揃えば、好き嫌いやひいき無しで数値化した「ミスターF1ドライバーは誰か」も導き出せそうですね。

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miyabikunはまだイギリスにいます。なぜなら今は懐かしベネトンはイギリスのコンストラクターだったから。えっと、ユナイテッド・カラーズ・オブ・ベネトンはイタリアのアパレルメーカーでは?そうなんです、会社はイタリア企業で間違いないのですが、ベネトンが名を馳せた時期はイタリアではなくイギリス所属のチームだったのです。F1はイギリスからドイツへ舞台を移す真っ最中ではありますが、遅れ馳せながら戦績もカラーリングもド派手の割には静かにワークスに吸い込まれて消えたこのチームを取り上げていきます。
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ベネトン
    初参戦          :1986年第1戦ブラジルGP
    最終参戦       :2001年第17戦日本GP
    参戦年数       :16年 / 68年 ※
    チーム参戦数:260戦 / 976戦 ※
    ドライバー数:17人 / 814人 ※
    優勝獲得数   :27勝 / 260戦 ※
    表彰台獲得数:102回 / 260戦 ※
    ポールポジション獲得数:15回 / 260戦 ※
    ドライバーズチャンピオン:2回 / 16年 ※
    コンストラクターズチャンピオン:1回 / 16年 ※
    ※各チーム横並びにするためデータは2017年終了時
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ティレルやアルファロメオのマシンが緑色をまとっていたのをご存知ですか?私もリアルタイムで観たわけではないので偉そうに言えないのですが、1980年代前半の時代のこと。そのカラーこそベネトンがF1のスポンサーとして参画していた初期になります。当初はアパレルメーカーがいきなりF1参戦し始めたわけではなく、実参戦は1985年シーズン終了後にスポンサーをしていたイギリスのコンストラクターのトールマンを買収、T・ファビと共に86年シーズンからがスタートとなります。
初号機B186は真緑のマシンにエンジンをハート製からBMW製に替え、85年終盤で入賞を重ねた若手ベルガーが大当たりして参戦3戦目の第3戦サンマリノGPで3位登壇。第15戦メキシコGPではベルガー自身初、チーム初の優勝を飾るなど幸先良いデビューイヤーとなります。その後しばらく優勝からは遠ざかるものの、ロリーバーンの作り上げるマシンとフラビオ・ブリアトーレの加入により、コンストラクターズランキングの上位を続け、89年の第15戦日本GPではナニーニが2勝目を挙げてマクラーレンの10勝、フェラーリ3勝、ウィリアムズ2勝に続く1勝を獲得して「四強時代」に名乗りを上げました。90年には晩年のピケがいよいよドライブするまで台頭する最中、チームを支えてきたバーンと入れ替わる形でジョン・バーナードが加入、サスペンションをはじめとしたマシンコンセプトも「太く高く」に毛色が変化していきます。91年シーズンは参戦チームでピレリタイヤを唯一履いてピケの1勝に止まる中、第12戦イタリアGPからは仲良しモレノに代わってお待ちかねの超大型新人M・シューマッハが登場するわけです。また92年にはバーンの復帰とトム・ウォーキンショーと従事していたロス・ブラウンが加入することでチームに化学反応が起こり始めました。


《エントリー数 上位10位》
  1   68戦 M・シューマッハ    10pts ★
  2   66戦 G・フィジケラ          9pts
  3   52戦 A・ヴルツ                  8pts
  4   46戦 A・ナニーニ              7pts
               G・ベルガー              7pts
  6   33戦 J・アレジ                  5pts
  7   32戦 T・ファビ                  4pts
               N・ピケ                      4pts
               T・ブーツェン           4pts
10   25戦 J・ハーバート           1pt

昨シーズンにこの企画をやっていたら、現役ドライバー◯マークに若きバトンが加われました(とはいえ意地悪なmiyabikunは「現役」とカウントするかは別)が、今シーズンは完全にいなくなりました。同様にチーム自体がないため現所属を示す●マークもありません。ベネトンも完全に過去のチームとなってしまったわけです。今後は「ベネトンって、ド派手な色使いの服屋でしょう?!」という印象が強くなってしまうんだろうな。
ベネトンも参戦期間がすごく多いわけでもなく、またドライバーも比較的短期間で入れ替わりや出戻りをしています。16年で17人ですから、ザッと均して1人2年がいいところ。というわけでこのあと続く成績も気になりますが、参戦数1位はひとまず68戦でシューマッハの手に。当時は1995年以外は年間16戦で行われており、割ると4.25年。うち2回の出場停止は除いています。ベネトンの初期メンバーのファビ、末期メンバーのフィジケラ、ヴルツも上位にノミネート。

《ポールポジション数》
  1   10回 M・シューマッハ     10pts ★
  2     2回 T・ファビ                  9pts
  3     1回 J・アレジ                  8pts
               G・ベルガー              8pts
               G・フィジケラ           8pts

《ポールポジション率》
  1 14.7% M・シューマッハ    10pts ★
  2   6.3% T・ファビ                 9pts
  3   3.0% J・アレジ                  8pts
  4   2.2% G・ベルガー             7pts
  5   1.5% G・フィジケラ          6pts

ポールポジションは17人中5人に厳選されます。96年シーズンからはシューマッハ1人に代わってフェラーリ所属だったベテランのアレジとベルガーのコンビとなりました。あくまで数字上の結果論ですが、シューマッハ10回に対してアレジ&ベルガーで2回ですから、だいぶ釣り合っていません。フェラーリ開花までは数年要したものの、いいトレードでした。幼心のmiyabikunには衝撃的過ぎて今でもよく覚えています。
ファビはブラバムの回でも登場したシューマッハより前の兄弟F1ドライバーの1人で、テオは兄の方です。昨年のアロンソ同様にF1参戦中にインディ500に参戦、その間に弟コラードを起用するというエピソードがブラバム時代にありました。ブラバムやトールマンに続いてドライブした兄はポールポジションや表彰台も獲得して戦績も上。

《優勝回数》
  1   19回 M・シューマッハ    10pts ★
  2     3回 N・ピケ                     9pts
  3     2回 J・ハーバート           8pts
               G・ベルガー              8pts
  5     1回 A・ナニーニ              6pts

《優勝率》
  1 27.9% M・シューマッハ   10pts ★
  2   9.4% N・ピケ                    9pts
  3   8.0% J・ハーバート          8pts
  4   4.3% G・ベルガー            7pts
  5   2.2% A・ナニーニ             6pts

優勝回数も5人で、ポールポジション獲得者との違いは「シューマッハとベルガー以外3人が入れ替え」となります。ポールは無くとも優勝を3つ稼ぐあたりがピケらしい。ピケの晩年といえば「獲得したポイントに応じた成功報酬」でシートをこぎつけたので有名ですね。「俺を乗せれば結果は出す。出したら出した分戴く」カッコいいじゃないですか。以前に「獲得ポイントからの収入試算」したことがありましたね。誰かさんもそうすればいいのに。そうすれば、飛躍的に辛抱強くなったり、予選からバキバキな速さ見せてくれるかな?!(笑)
先程もチラッと書いたナニーニの貴重な1勝は世界中が見守る第1期マクラーレン・ホンダの2人のチャンピオン決定戦となった日本GPでした。結果はご存知の通り残り10周で両者がカシオトライアングルで接触し、20分の審議によりナニーニの繰り上げ優勝となったもの。この接触が無ければ、ナニーニの優勝も無いーに。
ちなみにチーム初優勝は上でも書いた85年メキシコGP、最終優勝は97年ドイツGPでどちらもベルガーによるものでした。

《表彰台回数 上位10位》
  1   38回 M・シューマッハ    10pts ★
  2   13回 J・アレジ                  9pts
  3     9回 A・ナニーニ              8pts
  4     7回 N・ピケ                     7pts
               G・フィジケラ          7pts
  6     6回 G・ベルガー             5pts
               T・ブーツェン           5pts
  8     5回 M・ブランドル          3pts
  9     4回 J・ハーバート           2pts
10     2回 R・パトレーゼ          1pt
               J・フェルスタッペン 1pt

《表彰台率 上位10位》
  1 55.9% M・シューマッハ     10pts ★
  2 39.4% J・アレジ                   9pts
  3 31.3% M・ブランドル           8pts
  4 21.9% N・ピケ                      7pts
  5 20.0% J・フェルスタッペン 6pts
  6 19.6% A・ナニーニ               5pts
  7 18.8% T・ブーツェン           4pts
  8 16.0% J・ハーバート            3pts
  9 13.0% G・ベルガー              2pts
10 12.5% R・パトレーゼ           1pt

表彰台獲得者は17人中14人おり、回数の方は1回キリのモレノ、ファビ、ヴルツを除いた11人がノミネートされます。10位タイにいますよ、パパが。前にフェルスタッペン親子については親子間比較をしたことありますが、時代は違えど回数は息子マックスが15回と大幅に上回っています。今シーズンはパパの露出が減った気がします。親離れ子離れできてるのかな。
同じ時期にドライブしているのでどうしても比較対象にしてしまうアレジとベルガー。参戦数は出戻りのベルガーの方が多く、ポールポジションの数は1回ずつで同じ。よってポール率はアレジが上。優勝はベルガーが1回だけ記録されても、表彰台でみればアレジがベルガーの倍以上となる13回登壇しています。この後の集計で数字上の「ベネトン」での実績は明らかになりますが、両者ともフェラーリやマクラーレンでピークを迎え、ベネトンに移籍した頃にはライバルの台頭もあって勝機を失ってしまったなと感じます。
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《ドライバーズチャンピオン》
    1994年 M・シューマッハ 8勝 / 16戦 10pts ★
    1995年 M・シューマッハ 9勝 / 17戦 10pts ★

集計なんぞしなくても、1位の答えは誰だかわかってしまう。。

《ベネトン オブ ベネトン ランキング》
  1 90pts M・シューマッハ ★★
  2 44pts G・ベルガー
  3 39pts J・アレジ
  4 36pts N・ピケ
  5 32pts A・ナニーニ
  6 30pts G・フィジケラ
  7 22pts T・ファビ
     22pts J・ハーバート
  9 13pts T・ブーツェン
10 11pts M・ブランドル

5ポイント差でベルガーがアレジを上回りました。そのベルガーの倍のポイントを稼いだシューマッハでした。全ての項目で1位となって、先程話題に出した「アレジ+ベルガー<シューマッハ」という結果をみると、いかにシューマッハという若い逸材が大物であったかをまざまざと感じます。チームとしてはバーンやブラウン、ブリアトーレといったスタッフの力も味方につけて「シューマッハに勝利をもたらす」流れも確立、フェラーリへの移籍でそれらスタッフも後を追うように離脱し戦績を下げる形になったことからも、ベネトンを常勝チームとして名声を得たのはシューマッハとその周りを取り巻くスタッフの時代が色濃く、絶好のタイミングを生み出されたことが明確に表れます。
96年シーズンからイギリス所属からイタリア所属にチェンジし、アレジとベルガーのジョイントナンバー1体制やフィジケラとヴルツによる若手起用を企てますが、ウィリアムズやマクラーレンの台頭に歯が立たず、ベネトンもF1から撤退。2001年に21歳の若手バトンの起用するも、チームをルノーが買収したことを受けてチームが消滅しました。

アパレルメーカーらしく黄色や緑や青、さらには赤のアクセントといったビビットカラーをマシンにまとい、F1参入したベネトン。老舗でもワークスでもないチームでも優れた人材や戦略で一躍F1界に名を轟かせ、F1史にはしっかり功績が刻み込まれています。

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今のルノーは黄色、黒を渋く組み合わせた「遮断機カラー」で中団グループのボス的存在を確立しています。一昔前は水色や白、さらには真っ黒な時代も経験しつつ、一貫した黄色はボディのどこかに大抵まとっています。フランスGPを直前に控え、フランス代表する名コンストラクターのドライバー達をみてみましょう。

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ルノー
    初参戦    :1977年第10戦イギリスGP
    最終参戦:2018年第7戦カナダGP
    参戦年数:21年 / 68年 ※
    チーム参戦数:344戦 / 976戦 ※
    ドライバー数:24人 / 814人 ※
    優勝獲得数    :35勝 / 344戦 ※
    表彰台獲得数:100回 / 344戦 ※
    ポールポジション獲得数   :51回 / 344戦 ※
    ドライバーズチャンピオン:2回 / 21年 ※
    コンストラクターズチャンピオン:2回 / 21年 ※
    ※各チーム横並びにするためデータは2017年終了時
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ルノーはルイ・ルノーによって設立されたフランス企業です。フランスをはじめとしたヨーロッパ都市の道路環境に見合った比較的小型な車を販売しています。日本では日産自動車が傘下に入り、カルロス・ゴーンと共に知名度も上がりました。一時期は日産車も方向性が変わってラインナップやデザインもルノー色が色濃くなりましたよね。
ルノーは以前にも書いた通り、ワークスとしての参戦は3つの時代にくっきり分かれています。第1期が1977年から85年までの9シーズンでF1界にターボエンジンを取り入れた先駆けでした。第2期は2002年から11年の10シーズンでこの時代にアロンソが2年連続チャンピオンを獲得して記憶されているファンも多いと思います。そして現在の第3期は2016年からですね。ワークスではなく、エンジンサプライヤーとしてみると、1977年に始まり87,88年の2年間、98年から2000年の3年間は「ルノー」の明記はないものの98年のメカクロームや99年のスーパーテックやプレイライフもルノーカスタム、第2期と第3期の間は今話題のレッドブルとタッグを組んで断続的な供給を行い、F1には必要不可欠な位置を担っています。
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《エントリー数》
  1 106戦 F・アロンソ            10pts ★
  2   60戦 R・アルヌー              9pts
  3   54戦 G・フィジケラ          8pts
  4   48戦 J・トゥルーリ           7pts
  5   47戦 J・P・ジャブイユ     6pts
  6   46戦 A・プロスト              5pts
  7   38戦 V・ペトロフ              4pts
  8   37戦 J・パーマー(子)    3pts
  9   31戦 P・タンベイ              2pts
               D・ワーウィック       2pts

現役ドライバー●マークはご存知のヒュルケンベルグ、サインツの2人。◯マークの元所属はアロンソ、マグヌッセンの2人が対象です。ルノーエンジン使用者とするともっと多くの人が関わっていますね。
エントリー数1位は先日のカナダGPで300戦目をリタイヤで終えたアロンソの106戦となっています。キャリアの1/3をルノーで過ごしたことになります。今シーズンのマクラーレンはご存知の通りルノーということで、間接的な復縁と相なりました。アロンソは第2期のルノードライバー&唯一のチャンピオン獲得者なので誇らしい★マーク付きです。2位は「通せんぼジジイ」ことフランス人アルヌーの60戦です。第1期の中心人物として丸4年のお付き合いでした。先にルノードライバーやっているのに徐々に後釜のプロストにフォーカスされることになります。プロストと共に「元祖ターボマシン」に手を焼く時代を支えています。これがあって以降のパワー時代や今のハイブリッド時代があるわけですから、予選良い良い決勝白煙も価値のある功績です。
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近代はいわゆる「第2勢力」フィジケラ、トゥルーリ、元祖ロシア人ドライバーであるペトロフ、ザ・二世のパーマーもトップ10入りしてきます。

《ポールポジション数》
  1   16回 F・アロンソ             10pts ★
  2   14回 R・アルヌー               9pts
  3   10回 A・プロスト               8pts
  4     6回 J・P・ジャブイユ      7pts
  5     2回 G・フィジケラ           6pts
               J・トゥルーリ            6pts
  7     1回 P・タンベイ              4pts

《ポールポジション率》
  1 23.3% R・アルヌー            10pts
  2 21.7% A・プロスト              9pts
  3 15.1% F・アロンソ              8pts ★
  4 12.8% J・P・ジャブイユ     7pts
  5   4.2% J・トゥルーリ           6pts
  6   3.7% G・フィジケラ          5pts
  7   3.2% P・タンベイ              4pts

ポールポジションは獲得者が10人に満たさず7人に絞られます。スペイン人アロンソがアルヌー、プロスト、ジャブイユ、タンベイといったフランス勢を抑えての1位に。今でこそグロージャンやオコン、ガスリーとフランス人が復活してきましたが、アロンソのいた第2期はフランス勢の弱い時期。こちらも少数派のスペインを代表する貴重なドライバーです。
7人しかいないので2回のフィジケラ、1回のトゥルーリといった「アロンソのバーター」もノミネートされて高いポイントをゲット!本当はそこそこ速いドライバーなんだけど、相方の出来がいいと辛いです。

《優勝回数》
  1  17回 F・アロンソ            10pts ★
  2    9回 A・プロスト              9pts
  3    4回 R・アルヌー              8pts
  4    2回 J・P・ジャブイユ     7pts
              G・フィジケラ           7pts
  6    1回 J・トゥルーリ           5pts

《優勝率》
  1 19.6% A・プロスト          10pts
  2 16.0% F・アロンソ            9pts ★
  3   6.7% R・アルヌー            8pts
  4   4.3% J・P・ジャブイユ   7pts
  5   3.7% G・フィジケラ        6pts
  6   2.1% J・トゥルーリ         5pts

優勝はポールポジションからタンベイが脱落した6人となりました。でもちゃんといますよ、アロンソのバーター2人も。勝率2.1%で5ポイントになってしまうんだから、トゥルーリは得しましたね。この貴重な貴重な1勝は先日振り返った2004年のモナコGPのもので自身唯一の優勝です。恥ずかしいだろうから「3勝(の価値)」と補足しておいてあげましょうか(笑)
プロストは他で勝ちまくってるからルノーの9勝は練習って感じでしょうか。アルヌーの4勝は大事なので取っておいてあげましょう。でないと、後年ブーツェンに言い放った「悔しかったら7勝してみな」の価値が下がってしまいます。ちなみにブーツェンはウィリアムズ時代に3勝となっています。

《表彰台回数》
  1   41回 F・アロンソ           10pts ★
  2   17回 A・プロスト             9pts
  3   11回 R・アルヌー             8pts
  4     8回 G・フィジケラ         7pts
  5     4回 D・ワーウィック     6pts
               E・チーバー             6pts
  7     3回 P・タンベイ            4pts
               J・トゥルーリ          4pts
               R・クビカ                4pts
10    2回 J・P・ジャブイユ     1pt

《表彰台率》
  1 38.7% F・アロンソ          10pts ★
  2 37.0% A・プロスト            9pts
  3 26.7% E・チーバー            8pts
  4 18.3% R・アルヌー            7pts
  5 15.8% R・クビカ               6pts
  6 14.8% G・フィジケラ        5pts
  7 12.9% D・ワーウィック    4pts
  8   9.7% P・タンベイ            3pts
  9   9.1% N・ハイドフェルド 2pts
10   6.3% J・トゥルーリ         1pt

表彰台は数も確率もアロンソが1位ということは、、この後の結果もわかってしまいそうですね。チーム唯一の2回チャンピオンだし。
変わり種では今はウィリアムズの縁の下の力持ちクビカが3回登壇しており、表彰台率は15.8%をマーク。また意外にもハイドフェルドも「ロータス・ルノー」時代11年の11戦参戦で1度登壇しているため、表彰台率で9位となりました。クビカもハイドフェルドもBMWザウバーのイメージが強いですよね。でも晩年にドライブしています。ハイドフェルドは負傷離脱したクビカに代わっての起用で表彰台に乗っているのにも関わらず「大人の事情」で第11戦ハンガリーGPを最後に離脱してB・セナにシートを明け渡す形に。本当はそこそこ速かったのに成績より文句の多いドライバーでF1キャリアを終えています。

《ドライバーズチャンピオン》
  2005年 F・アロンソ 7勝 / 19戦 10pts ★
  2006年 F・アロンソ 7勝 / 18戦 10pts ★

といったルノーの面々の最終集計に入ります。
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《ルノー オブ ルノー ランキング》
  1 87pts F・アロンソ ★★
  2 60pts A・プロスト
  3 59pts R・アルヌー
  4 44pts G・フィジケラ
  5 35pts J・P・ジャブイユ
  6 34pts J・トゥルーリ
  7 17pts P・タンベイ
  8 14pts E・チーバー
  9 12pts D・ワーウィック
10 10pts R・クビカ

フランス人で1位の4回チャンピオンを差し置いてアロンソ様が27ポイント引き離し堂々のルノー1グランプリを制しました。まだ期間が浅く仕方がないけど残念ながら第3期のヒュルケンベルグやサインツは顔を出すこともありませんでした(第3期でノミネートされたのはパーマーのみ)こうしてみると、ミナルディを足掛かりにフェラーリやマクラーレンもドライブしてきたアロンソはルノーとの相性が一番良さげですね。三度ドライブすることになった今シーズンは案の定そこそこな結果を出せているし、そもそもが君はホンダじゃなかったんだよ、ルノーの人なんだよ(笑)あとはブリアトーレとのコンビネーションも抜群なハーモニーとなりました。こズルい面もあるオジサンだけど、シューマッハといいブリアトーレと波長の合うドライバーはいい成績を残します。目の付け所が卓越しており采配とバッチリ合えばかなり強力でした。
第3期は今シーズンで3年目となるルノー。ドライバーも予選屋さんヒュルケンベルグと安心保証付きサインツを抱えて徐々に中団グループのトップが定着してきました。あとは待たれる表彰台、そして優勝。いつになることでしょうか。ガレージには強力な先輩が動向を見守っています。いよいよ次回は久々の母国GP!
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今回はもうなくなってしまった名門、ブラバムです。私も晩年名前だけはリアルタイムで辛うじて観てはいますが、輝かしい時代は当然知りません。ドライバーが作り上げたプライベーター、アイデア満載の奇抜マシンてんこ盛りのこのチームを見ていきましょう。
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ブラバム
    初参戦           :1962年第6戦ドイツGP
    最終参戦       :1992年第11戦ハンガリーGP
    参戦年数       :29年 / 68年 ※
    チーム参戦数:402戦 / 976戦 ※
    ドライバー数:74人 / 814人 ※
    優勝獲得数    :35勝 / 402戦 ※
    表彰台獲得数:124回 / 402戦 ※
    ポールポジション獲得数   :39回 / 402戦 ※
    ドライバーズチャンピオン:4回 / 29年 ※
    コンストラクターズチャンピオン:2回 / 29年 ※
    ※各チーム横並びにするためデータは2017年終了時
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ブラバムはご存知の名ドライバー、ジャック・ブラバムが設立したプライベートチームです。クーパーで名を馳せたブラバムがロータス24を使って1962年にデビュー。第6戦ドイツGPから自社製BT3で参戦しています。初のドライバーはブラバム本人ただ1人!2年目となる63年は先日他界したアメリカ出身のガーニーを迎え、表彰台に名を連ねるようになり、参戦17戦目となる64年第4戦フランスGPは早くも初優勝を果たしました。ブラバム自身は参戦9年目の70年シーズンを最後に「ドライバー兼チーム代表」を引退、72年にバーニー・エクレストンが買収したことでチーム名こそ残りますが、徐々にチームの毛色が変わっていきます。
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ブラバムで特筆されるのが以前にも振り返ったことのある「独創的かつ奇抜なマシン」です。78年にたった1戦のみの採用に止まったBT46B通称「ファンカー」や83年から廃止されたフラットボトム規定(グラウンドエフェクトの使用禁止)に合わせ込んできた矢印マシンBT52など「真似されるどころか禁止すらされてしまうほど」のアイデアを持って優勝やチャンピオンを獲得してしまうというのも、他の名門にはあまりない特徴かと思います。
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創成期はブラバム自身をはじめ、ガーニー、リント、イクス、G・ヒル、ロイテマン、パーチェなど名ドライバーがステアリングを握り、勝利を導いてきました。チーム中期はワトソンやラウダ、若きピケがレギュレーション大改革時代を担い、チャンピオンを獲得しています。ピケが在籍していた85年頃までは、よかったのですが、、、ちなみに88年の1年間は資金繰りがうまくいかずお休みも経験しています。

《エントリー数 上位10位》
  1 107戦 N・ピケ                 10pts ★
  2   83戦 J・ブラバム             9pts ★
  3   65戦 C・ロイテマン        8pts
  4   61戦 R・パトレーゼ        7pts
  5   50戦 J・ワトソン             6pts
  6   40戦 C・パーチェ            5pts
  7   33戦 S・モデナ                4pts
  8   30戦 D・ガーニー            3pts
               N・ラウダ                3pts
               M・ブランドル         3pts

先日のロータスと同様に現役時代はとうの昔のため現役ドライバー●マークはおろか◯マークすらいません。若いファンの方には退屈な回かもしれません、ごめんなさい。いい機会ですのでドライバーの名前くらいは覚えて帰って下さいね。
エントリーはmiyabikun調べでは74人いました。74年頃までは2人以上のエントリーもありましたし、最終92年は予選すら通過できない時代もありますので単純に「年数×2人」ではありません。映えある第1位は創始者ブラバム(父)をも上回るピケ(父)が8シーズン(実質7シーズン分)エントリーで107戦となっています。四天王の一角はブラバムでの成績で積み上げました。他は当時の1シーズンのレース数が今より少ないこともありますが、長く在籍する者は多くなく、最近までF1界を牛耳ってきたエクレストンがドライバー時代よりも経営者となって手腕を見せ、スポンサーやドライバーの獲得に奔走、一気に戦闘力強化に繋がっています。
ブラバムはマシンだけではなくドライバー起用も他にはない経歴があります。F1で2番目となる女性ドライバーのL・ロンバルディは75年第4戦スペインGPで6位となり、ハーフポイントながら0.5ポイントを得た唯一の女性ドライバー。他、予選通過こそなりませんでしたが92年にもG・アマディがドライブしています。また二世や兄弟など血縁ドライバーも多いです。チャンピオンのエマーソンの兄ウィルソン・フィッティパルディ、ヒル家は父も息子もドライブしていますし、84年はテオ・ファビ、コラード・ファビという6つ違いの兄弟をピケの相方として交互に乗せています。当然ブラバムの息子デビッドもしっかりと。成績は、、到底父に敵わず。

《ポールポジション数 上位10位》
  1   18回 N・ピケ                  10pts ★
  2     8回 J・ブラバム              9pts ★
  3     2回 C・ロイテマン         8pts
               D・ガーニー              8pts
               J・イクス                  8pts
               J・リント                  8pts
               J・ワトソン              8pts
  8    1回 C・パーチェ              3pts
               N・ラウダ                 3pts
               R・パトレーゼ          3pts

《ポールポジション率 上位10位》
  1 18.2% J・イクス               10pts
  2 16.8% N・ピケ                    9pts ★
  3 15.4% J・リント                 8pts
  4   9.4% J・ブラバム             7pts ★
  5   6.7% D・ガーニー             6pts
  6   4.0% J・ワトソン             5pts
  7   3.3% N・ラウダ                4pts
  8   3.1% C・ロイテマン         3pts
  9   2.5% C・パーチェ             2pts
10   1.6% R・パトレーゼ         1pt

ポールポジションも本家ブラバムよりピケが上回ってきます。ブラバム(父)も当時は存命でしたから2度のチャンピオン獲得はとても喜んだことでしょう。現代で「カルロス」といえばサインツになりますが、このチームには同時期に2人のカルロスが活躍した時代があります。74年第9戦フランスGPから76年第12戦オランダGPの間のロイテマンとパーチェによるもの。75年はこの2人によってフェラーリに次ぐコンストラクター2位を獲得しています。カルロス・パーチェ、そう皆さんも良くご存知のブラジルGPインテルラゴスのサーキットに付けられた方です。フィッティパルディと同時期にブラジルを代表した有望ドライバーとして表彰台を重ねてきましたが、77年第3戦の南アフリカGPの帰路の航空機事故によって亡くなっています。生きていたら、もしかしたらエマーソンに続く、ピケの前にブラジル人チャンピオンも獲得できたかもしれない逸材でした。

《優勝回数 上位10位》
  1   13回 N・ピケ                  10pts ★
  2     7回 J・ブラバム             9pts ★
  3     4回 C・ロイテマン         8pts
  4     2回 D・ガーニー             7pts
                J・イクス                 7pts
                D・ハルム                7pts ★
                N・ラウダ                7pts
                R・パトレーゼ        7pts
  9     1回 C・パーチェ            2pts

《優勝率 上位10位》
  1 18.2% J・イクス              10pts
  2 12.1% N・ピケ                   9pts ★
  3   8.4% J・ブラバム            8pts ★
  4   7.7% D・ハルム               7pts ★
  5   6.7% D・ガーニー           6pts
                N・ラウダ               6pts
  7   6.2% C・ロイテマン       4pts
  8   3.3% R・パトレーゼ       3pts
  9   2.5% C・パーチェ           2pts

これまでのエントリー数、ポールポジション回数、優勝回数をみるといずれもピケ、ブラバム(父)、ロイテマンが占めています。ただご存知の通りロイテマンはブラバムでも後のフェラーリでも残念ながらチャンピオン獲得はなりませんでした。逆にチャンピオンを獲得したのは67年に2勝8表彰台を獲得したのはハルムでした。この年はエースのブラバム(父)とランキングトップ争いとなっており、結果的に2勝6表彰台のボスを上回ってのチャンピオンとなっています。それもあってかハルムはブラバムを離脱、翌68年からはマクラーレンへ移籍する形に。ハルムが抜けた後のブラバム(父)は怪我もあって引退、チーム喪失に向かうわけですから、67年は4回目が獲得できそうな最後のチャンスだったといえます。まあまあ、政治的な話は当然あれど勝負の世界ですからねぇ、3回チャンピオンってだけでも大したものなのに、要は勝ったもの勝ちってことですね。

《表彰台回数 上位10位》
  1  29回 N・ピケ                    10pts ★
  2  21回 J・ブラバム               9pts ★
  3  12回 D・ハルム                  8pts ★
              C・ロイテマン           8pts
  5  10回 D・ガーニー               6pts
  6    7回 N・ラウダ                  5pts
  7    6回 R・パトレーゼ           4pts
  8    5回 J・イクス                   3pts
              C・パーチェ               3pts
10    4回 J・ワトソン               1pt

《表彰台率 上位10位》
  1 46.2% D・ハルム              10pts ★
  2 45.5% J・イクス                 9pts
  3 33.3% D・ガーニー             8pts
  4 27.1% N・ピケ                     7pts ★
  5 25.3% J・ブラバム              6pts ★
  6 23.3% N・ラウダ                 5pts
  7 20.0% P・カレッジ              4pts
  8 18.5% C・ロイテマン          3pts
  9 15.4% J・リント                  2pts
10 14.3% H・J・シュトゥック 1pt

表彰台獲得数となれば上位3人はチームでのチャンピオン獲得者3人で占められます。これまでの名門チームシリーズで度々顔を出すイクス。こちらでも残念ながらチャンピオンならず(以前に「無冠の帝王、、」でも取り上げていますのでご参照下さい)イクスは時代が悪かったでしょうか。通算8勝は現在でいうリカルドの7勝、少し前だとモントーヤ7勝やウェバーの9勝に近い感じです。確かに結果的にチャンピオンには届かなかった面々ではありますが、ハルムはブラバムでたった2勝、通算でも8勝で1チャンピオンです。実力もさることながら、縁や運、タイミングは重要です。先日亡くなったときに取り上げたガーニーも「名前や遺産」は充分チャンピオン級ですね。

《ドライバーズチャンピオン》
  1966年 D・ブラバム 4勝 /  9戦 10pts ★
  1967年 D・ハルム    2勝 / 11戦 10pts ★
  1981年 N・ピケ        3勝 / 15戦 10pts ★
  1983年 N・ピケ        3勝 / 15戦 10pts ★

チャンピオンを複数回取ると、このまとめランキングは利きます。言うまでもなく、ブラバムを代表するドライバーはこちらになります。

《ブラバム オブ ブラバム ランキング》
  1 85pts N・ピケ            ★★
  2 67pts D・ブラバム     ★
  3 47pts J・イクス
  4 44pts D・ガーニー
  5 42pts D・ハルム        ★
     42pts C・ロイテマン
  7 33pts N・ラウダ
  8 25pts R・パトレーゼ
  9 20pts J・ワトソン
10 18pts J・リント

最後まで本家を凌駕したピケがブラバムの頂点に立ちました。そもそもが「ドライバー兼チーム代表」という構図が現代を知る我々からしたら不自然というか慣れない感じですよね。プロ野球の野村克也や古田敦也みたいな想像をすればいいのでしょうか。面々は皆古い時代のドライバーが占めていますが、チャンピオンを提げたラウダにまだ若き日のワトソンやパトレーゼなどいずれもビッグネーム揃いです。
2000年代後半にスーパーアグリを買収、引き継いで「ブラバム」という名が復活するのでは?!なんて噂になったことがありました。このブラバムとは全く関係がないものでしたが、実現はならず。今はF1に向かなかった息子デビッドが世界耐久選手権(WEC)に参戦、こちらはいわば直系のチームといって、いいのかな?!
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