F1 えきぞーすとのーと

よくあるニュースネタやこ難しいテクニカルな話ではなく、メインは予選や決勝のTV観戦したそのものを個人的観点から綴るF1ブログです。  また、懐かしのマシンやレースを振り返ったり、記録やデータからF1を分析。その他ミニカーやグッズ集めも好きなので、それらを絡めつつ広く深くアツくF1の面白さやすごさを発信し、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

タグ:ヴォルフ

IMG_8025
現在のエンジンレギュレーションが取り入れられてから早8年目のシーズンに入ろうとしています。ご存知の通り、数々のライバル達の一歩も二歩も前を走るメルセデスが近年7年を完膚無きまでに支配する時代が続いています。物事には必ず始まりがあり、終わりがあるわけですが、この2021年シーズンにおいてもまだその勢いを緩める様子が容易に想像できません。今回はその最強時代のきっかけになったと言っても過言ではない、前エンジンレギュレーション時代のマシンである2013年型メルセデスF1 W04をフォーカスしてみます。

IMG_8011
《設計》
 パディ・ロウ
 ボブ・ベル
 アンディ・コーウェル
 アルド・コスタ
 ジェフ・ウィリス

メルセデスはこの年から長く重要なポジションに座っていたノルベルト・ハウグに代わり、ウィリアムズからトト・ヴォルフを招き入れ、技術陣も2011年にヒスパニアからウィリス、前年2012年にフェラーリからコスタを集めるなど翌シーズンに迎える「大型レギュレーション変更」に対抗すべく段階的な技術強化を行いました。
IMG_8021

IMG_8009
《外見》
前作W03と比べると、全体的にシャープさよりもふくよかになったような印象を受けます。メルセデスは2010年の復帰時から歴代で最高速重視のマシンで仕立て上げられてきました。そうなると弱点となるのはダウンフォースが不足するという点です。
IMG_8028
フロントウィングはW03の時にもみられた翼端部に取り付くフィンだけではなく、ノーズ下のステーに向かうフィンも踏襲しています。フロントウィングは元々「マシンのフロントタイヤへダウンフォースを与える」ことを目的として装着されています。ところが近年はF1マシンがオープンホイールであるが故の悩み「フロントタイヤへの空力的影響をいかに減らすか」もこのフロントウィングに課された重要な役割となっています。このメルセデスによらず、このあたりの時代から特に複雑怪奇なフィンや機構を取り入れるようになりました。フロントの足回りは油圧でライドハイトを制御するシステムを取り入れ、前後だけでなく左右を含めた4輪への姿勢を整え、バランスよくダウンフォースを伝達、グリップ向上に努めました。
IMG_8017
リヤに目をやると、前作W03よりもリヤエンドを下に向けるようなディテールとなりました。この時代のライバルもこぞって導入したコアンダエキゾーストを使って、課題となっていたリヤへのダウンフォース増加を期待しています。
目に見えないところの工夫としては、フェラーリ系やルノー系が先に導入した「キャビティリゾネーター」をメルセデス系も遅れ馳せながらこのシーズンから導入してきました。空洞共振器とも呼ばれるこれは「空洞の部屋に振動を与えてエネルギーを増幅する」デバイスで、エキゾーストマニホールドに装着するものです。エネルギーの増幅は形や装着、エンジンの回転数により異なるものの、ブレーキング時のエネルギーロスを補完することを目的としました。
IMG_8016
カラーリングは今と変わらずのライトシルバーを基本に、ブラックのアクセントが使われています。昨シーズンは急遽ブラック一色に染められましたが、メルセデスといえばこのシルバーがしっくりときます。スポンサーは今も引き続くペトロナスと一時期日本にも参入があったカナダの携帯電話メーカーであるブラックベリーがメインです。

IMG_8010
《シャシー》
 全長:5,094mm
 全幅:1,800mm
 全高:   950mm
 最低車体重量: - kg
 燃料タンク容量: - ℓ
 ブレーキキャリパー:ブレンボ
 ブレーキディスク・パッド:ブレンボ
 サスペンション:フロント プッシュロッド
          リヤ    プルロッド
 ホイール:アドバンティ
 タイヤ:ピレリ

《エンジン》
 メルセデス・ベンツ FO108F
  V型8気筒・バンク角90度
 排気量:2,400cc
 エンジン最高回転数:18,000rpm(制限)
 最大馬力: - 馬力(非公開)
 スパークプラグ: - 
 燃料・潤滑油:ペトロナス

IMG_8015
《ドライバー》
 No.9   ニコ・ロズベルグ (全戦)
 No.10 ルイス・ハミルトン(全戦)

前年に二度目の引退(完全引退)となったF1レジェンド、M・シューマッハ。ロズベルグがエースとして堂々の昇格を果たす中、そのシューマッハの後任として、マクラーレンの秘蔵っ子と呼ばれたチャンピオン経験者ハミルトンを招き入れた初年となりました。ハミルトンの移籍は前年途中から非常勤会長に就任したラウダの声掛けも大きく影響したと言われていますね。ハミルトンは当時どちらかといえばマクラーレンからみれば「格下」と目されたまだ日の浅いメルセデスへの移籍となり、軽く騒動になりましたよね。同世代で幼き頃にチームメイトでもありライバルとしてしのぎを削った2人が並び、3年にも渡ってF1を席巻する「無敵艦隊」レッドブル打破に向かいます。

IMG_8026
《戦績》
 360ポイント コンストラクター2位
 (1位3回、2位1回、3位5回、4位6回ほか)
 ポールポジション8回

若返りを図って挑む開幕前オーストラリアGP予選はチームの先輩ロズベルグがフェラーリ2人の後塵に拝する6番手で終えるも、新加入のハミルトンはレッドブルに続く3番手、ポールのベッテルの0.7秒落ちのところに迫ることに成功。決勝は6位まで順位を落としますが、さすがチャンピオン経験者という走りをみせました。第2戦マレーシアGPはハミルトンが4番手スタートから見事3位表彰台を獲得し、シーズン表彰台に登壇。第3戦中国GPは予選でハミルトンが鉄壁のレッドブル2台を上回ることに成功、移籍初のポールポジションから3位フィニッシュを果たし、先輩ロズベルグを凌駕していきます。この結果に黙っちゃいられないロズベルグは第4戦バーレーンGPから第5戦スペインGP、第6戦モナコGPで3戦連続のポールポジションから、モナコGPではポールトゥウィンを挙げてハミルトン優位を阻みます。またチームとしても第4戦、第5戦はハミルトンと共にフロントロウスタートを得るなど、徐々に「予選から逃げ切る」レッドブル包囲網を攻略するかのような位置に並ぶことに成功しています。第10戦ハンガリーGPまでのシーズン前半はロズベルグが3ポールの2勝、ハミルトンが4ポール1勝となり、実に力強い結果を積み重ねました。
IMG_8029
ところがサマーブレイク明けのシーズン後半戦はハミルトンに第11戦ベルギーGPで5回目のポールポジションを獲得するも、ベッテルやフェラーリのアロンソに先行を許し3位。以降はロズベルグは2位1回、3位1回。ハミルトンは3位1回となるなど両者表彰台は獲得できても「その中央」に立つことが出来ず失速。フェラーリを僅差で上回るコンストラクターズ2位に浮上しますが、レッドブルに大差をつけられる形でチャンピオンを逃しました。ドライバーズランキングはハミルトンが189ポイントの4位、ロズベルグは終盤2戦欠場したロータスのライコネンを間に挟んだ171ポイントの6位に終わります。IMG_8020
4連覇をかけたレッドブルを捕まえるところまでいった要因の一つに「ドライバー体制の入れ替え」が功を奏したところが挙げられます。レジェンドとはいえ40代前半となったシューマッハから、チャンピオン獲得からしばらく遠ざかったものの20代後半のハミルトンはマクラーレンで様々な苦難と戦い、鍛錬されたこと。ロズベルグとしても気心知れた同世代とのタッグで互いに切磋琢磨できたことと思います。またチームの首脳陣や技術者も強化され、ハミルトンが好みとしていたブレーキへの的確な改良もマシンへの適応性の面で有利に働きました。しかしこのマシンでも歴代のお決まりのように「リヤタイヤに厳しい特性」は改善できぬままシーズン終盤に早々と開発を終了。翌2014年シーズンの「大幅レギュレーション変更」にシフトしていくこととなりました。

IMG_8022
現パワーユニットでのレギュレーション下において、メルセデス以外からのドライバーズチャンピオンおよびコンストラクターズチャンピオンは輩出していません。一見「このパワーユニットになってからメルセデスが化けた」とみられがちですが、実は前年にあたるこのW04の時代からもドライバーをはじめチーム首脳陣強化、ドライバーの得意とするセッティングに近付けるなど、結果的に完膚なきまでのレッドブル4連覇の裏で着々とチャンピオン奪取を狙っていたことがうかがえます。ライバル達はこのシーズンでメルセデスがその後大化けし、脅威となることを薄々勘づいていたのかもしれません。

にほんブログ村 車ブログ F1へ
にほんブログ村
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

以前から気になっていたロータス(来期ルノー)のシミュレーター担当カルメン・ホルダについて調べてみました。とはいえ、ネットしか情報源がありませんので大して知ることができませんでした。写真もお借りしてちょこっと紹介したいと思います。


カルメン・ホルダ
1988年生まれスペイン出身の27歳です。お父さんはホセ・ミゲル・ホルダというレーシングドライバーだったようです。失礼ですが、父上は存じ上げませんでした。。その父の影響からか10歳からモータースポーツを始め、12歳の時にバレンシアのカートで3位、16歳の時のマスター・ジュニア・フォーミュラで7位になります。
その後スペインF3、ヨーロッパF3に参戦し、24歳になる2012年からGP3に昇格、2015年からロータスのシミュレーター担当としてチームに帯同しています。

F1に関わる前に日本のテレビ番組「所さんの笑ってコラえて!」に出演したことがあるとのこと。YouTubeで観れたりします(笑)


身長175cmでこのスタイルですから、モデルの仕事もしているそうです。ロータスのガレージはさぞかし華やかだろうなぁ。
あくまでシミュレーターを担当なので、レギュラードライバーが欠けたぐらいではなかなか本戦に出られるわけではないので残念ですが、しばらく出ていない「女性F1ドライバー」として参戦できるようにないいなぁと強く願います(笑)たまにテレビカメラが彼女を映してくれています。まずはしっかりと下のカテゴリーで結果を出すか、チームが喜ぶ「手土産」を持ってこれるようになるかが今のF1は非常に重要です。



写真ばかり並べて何のブログかわからなくなると困るので、最後にF1に関わってきた歴代女性ドライバー達を簡単に紹介します(笑)

マリア・デレーザ・デ・フィリッピス
1926年生まれの現在89歳でご存命(※)です。1958年に参戦した史上初の女性F1ドライバー。
予選を通過し、決勝走行は3レース。10位完走が最高位。


レラ・ロンバルディ
1941年生まれのイタリア人。1992年で病気により他界しています。
1974年から3年で12回決勝走行。獲得ポイントは0.5で史上最少獲得記録を持っています(0ポイントは除外)


ディビナ・メアリー・ガリカ
1944年生まれの本業はオリンピックに出るほどのスキーヤーでもあるイギリス人。1976年と1978年に3レースで予選に挑みましたが、決勝に出場できませんでした。


デジレ・ランドール・ウィルソン
1953年生まれの南アフリカ人ドライバーで1980年の第8戦イギリスGPで唯一F1に挑むものの、彼女も残念ながら予選落ちでした。


ジョバンナ・アマディ
1962年生まれのイタリア人。先日の「古舘語録」にも登場した彼女は1992年に参戦し、動くシケインのまま予選不通過で終わってしまいました。


マリア・デ・ヴィロタ
1980年生まれのスペイン人。F1もドライブしたエミリオ・デ・ヴィロタは父親です。2012年にマルシャ(現マノー)のテストドライバーに選ばれたものの、飛行場でのテストでトラックにぶつかり片目を失い、33歳になる2013年にスペインのホテルで亡くなりました。


スージー・ヴォルフ
1982年生まれのイギリス人で、名前でピンと来るかと思いますが、現在メルセデスでディレクターを務めるトト・ヴォルフの奥様です。
2012年にウィリアムズのテストドライバー契約し、2014年の第9戦イギリスGPでフリー走行を担当。2015年にテストドライバーに昇格しましたが2015年限りでモータースポーツ自体から引退してしまいました。



今回は「カルメン・ホルダと歴代の華たち」をご紹介しました。
続きを読む
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ