F1には長らくアロウズという老舗コンストラクターがありました。そのチームを日本企業が買収し、日本のエンジンと日本のドライバーで構成された頃があります。ベテランのF1ファンなら記憶にあるであろう「フットワーク」です。今は日本郵便、またアート引越センターの傘下に吸収されて、会社自体が無くなってしまいましたが、白地に赤のリボンがかけられたマークでお馴染みの運送会社が何とF1に参入していたんです。日本人ドライバー不在で久しい今日、まだ日本がF1に積極的だった頃の1993年、チーム3年目のFA14を取り上げたいと思います。

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《設計》
 アラン・ジェンキンス

《外見》
これまでのアロウズ時代のシャシー名は「A◯◯」という付番がされてきました。1991年にフットワークエクスプレスに買収されたことで頭文字に「F」が付けられ、以降97年に再びアロウズに戻るまで連番となっています。また日本企業が資本となりますが、チームの拠点はアロウズ時代と同じイギリスのミルトン・キーンズです。
93年開幕当初は前年のFA13の改良型となるFA13Bでの参戦となりますが、FA14はドニントンパークで行われた第3戦ヨーロッパGPで初お目見えとなりました。現在はほとんどのチームが開幕戦には新車を間に合わせてくるのが当たり前となっていますが、この頃はこのような新車の遅れは日常茶飯事でしたね。
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FA13はノーズ先端が少し持ち上ってフロントウィングと連結するような「ジョーダン191」に代表されるトーショナルウィングを採用していました。このFA14からはそのフロントセクションを一新、ベネトンが導入していたノーズコーンと分離させ、2本のステーで吊り下げるようなフロントウィングに切り替えています。今でこそ見慣れた吊り下げ型のウィング、当時はウィリアムズやマクラーレンといったチームは導入せず、まだ少数派でしたので逆にこのディテールに慣れるまでは少し時間がかかったように記憶しています。よくいえば、トレンドを先取りしていたということでしょうか。
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リヤウィングも特徴的で上部が前に羽根一枚分迫り出したような複層構造「メゾネットウィング」をいち早く搭載して、コーナリング性能を向上させています。こちらはウィリアムズをはじめとしたトップチームにも徐々に浸透したディテールではありましたが、決してスマートとは言えませんよね。
シーズンちょうど半ばにあたる第9戦イギリスGPでこのマシンはちょっとした進歩がみられます。当時ライバル達も懸命に研究を重ねてきた「アクティブサスペンション」をマクラーレンから購入して搭載しています。これでまた一歩トップチームに近付くきっかけとなります。
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カラーリングは自社のトラックに描かれるコーポレートカラーそのままに白地に赤のストライプが入るスタイリッシュさ。たばこ広告が蔓延する時代にちょっとした異彩を放っています。

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《シャシー》
 全長: - mm
 全幅: - mm
 全高: - mm
 最低車体重量:510kg
 燃料タンク容量:220ℓ
 ブレーキキャリパー:AP
 ブレーキディスク・パッド:カーボン・インダストリー
 サスペンション:フロント プッシュロッド
          リヤ    プッシュロッド
 ホイール:OZ
 タイヤ:グッドイヤー

《エンジン》
 無限ホンダ MF-351HB
  V型10気筒・バンク角72度
 排気量:3,493cc
 エンジン最高回転数: - rpm(非公開)
 最大馬力:720馬力(推定)
 スパークプラグ:NGK
 燃料・潤滑油:BP

ホンダ本体は92年シーズンをもって「F1第二期」を終えていますが、本田宗一郎の長男である博俊が設立した「無限」(現 M-TEC)によってホンダニズムが継承されました。 92年は前年91年のティレルに搭載されたホンダRA101Eを無限がカスタマイズし、MF351Hという名でチーム浮上に貢献。さらに翌年のこの年はそれをさらに高回転かつ高出力、軽量化を施したMF351HBを採用して、無限2年目さらなる飛躍を目指します。

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《ドライバー》
 No.9  デレック・ワーウィック(全戦)
 No.10 鈴木亜久里      (全戦)

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ドライバーは引き続き鈴木亜久里が残留。相方は前年にチームを牽引したベテランのアルボレートに代わり、こちらもベテランのワーウィックが31歳を迎える年に3年振りにF1のシートへ復帰しました。

《戦績》
 4ポイント コンストラクター9位
 ※ポイントと順位は1993年シーズンのもの
 (4位1回、6位1回、7位1回、9位1回ほか)
 ポールポジション0回

日本のエンジンに日本のドライバーということでひいき目で見てしまいたくなるところですが、結果としてはご覧のように表彰台は無く入賞は2回、コンストラクターズランキングも前年の7位6ポイントから9位4ポイントに落ちてしまいました。
アルボレートの抜けた穴をワーウィックで補う形で始まったシーズン序盤はビリではないものの予選は20番手付近をさまよい、決勝もワーウィック、鈴木ともにがシングルフィニッシュで終えるもリタイヤが非常に多く、6位入賞には程遠い内容が続きます。FullSizeRender
ところが第9戦イギリスGPでマクラーレンの搭載するアクティブサスペンションを手に入れると、マシンの安定性が一段と増し、ワーウィックのみならず鈴木も予選で速さをみせるようになります。予選最高位は鈴木による第12戦ベルギーGPでマクラーレンのセナを横目にサードロウとなる6番手を獲得。決勝は残念ながらリタイヤに終わりますが、あからさまにサスペンションの改良が成績に乗っかってきています。決勝の最高位はワーウィックによる第11戦ハンガリーGPの4位。その他第9戦イギリスGPも6位を獲得しますが、鈴木に入賞は一度も無く「後半戦の予選だけが冴え渡る」不作なシーズンを送ってしまいました。
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このマシンを一言で言い表すならば、様々なライバル達の「いいところ」を少しずつ導入して成り立たせているマシンといったところ。ドライバーもそこそこ、エンジンもなかなかなこのチームが低迷する形で終わった一つの理由として「メカニカル・ディレクター不在」であったことが挙げられます。デザイナーのアラン・ジェンキンスはデザイナーセンスは高く評価されていたものの、ライバルチームにいたメカニカル・ディレクターのような技術的指揮に欠けていたという見方がなされていました。見た目上は帳尻を合わせたり、ドライバビリティ向上に繋げようと尽力を注いだものの、マシンそのもののコンセプトや方向性が定まっていなかったために「成績が今ひとつ」に終わってしまいました。また一昨年のポルシェエンジンから無限ホンダにスイッチし進化しつつも、ギヤボックスのトラブルが目立ち、リタイヤの数ばかりが増えてしまいました。特にせっかく後半の改良型サスペンションを導入して予選は中団を獲得できるようになっても、鈴木は第9戦から第15戦日本GPまで7戦連続のリタイヤとなれば、その速さを成績に直結できません。

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後半戦はその名の通り軽快なフットワークで速さを見出しつつも、決勝もリタイヤへの早いフットワークに繋がってしまったFA14。ホンダなき後、無限ホンダという形でジャパンパワーを繋ぎ止めたわけですが、この年を最後に無限ホンダはロータスに身を移し、フットワークはフォードを選択。以降もたまにある入賞と度々起こるリタイヤを繰り返し、96年シーズンをもって元のアロウズへと戻っていきました。

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