F1 えきぞーすとのーと

よくあるニュースネタやこ難しいテクニカルな話ではなく、メインは予選や決勝のTV観戦したそのものを個人的観点から綴るF1ブログです。  また、懐かしのマシンやレースを振り返ったり、記録やデータからF1を分析。その他ミニカーやグッズ集めも好きなので、それらを絡めつつ広く深くアツくF1の面白さやすごさを発信し、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

タグ:ロズベルグ

近年最強を貫くメルセデスはF1のみならず市販車についても世界規模で知れ渡る巨大企業です。いつからこんなに強かったんだっけと思い返すとパッと思い浮かばなくなりそうですが、参戦復帰してからまだそう古い話ではないんですよね。当然ながらいきなり強かったわけではなく、下積み時代もありました。今回は近代メルセデスワークスの初号機、2010年のW01をみていきます。
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《設計》
(ロス・ブラウン)
ロイック・ビコワ
ヨルグ・ザンダー
ケビン・テイラー

《外見》
今や「EQ Power+」なんて特別感のありそうなのが後ろに付きまとうネーミングとなっていますが、当時のこのマシンの正式名称は「MGP W01」というものでした。Wはこの頃から欠番無く現在まで一貫して付番されており、まだ発表されていませんがおそらく今シーズンは「W10」となればその名の通り「メルセデスF1の10年目」の節目となるわけです。つい先日みたように、それで5連覇しちゃうもんだから「モウイイデス」と言いたくもなる(笑)ちなみにWとはドイツ語の「車」を意味するWagenの頭文字からきています。
現在のメルセデスワークスの根源はご存知の通りの「ブラウンGP」でした。2008年限りで撤退したホンダから引き継いだブラウンはまさに束の間の「チャンピオン」という置き土産をもってそのままメルセデスという「巨大ワークス」に後任を託しました。イギリス系チームからドイツ系チームにこれからシフトしていきます。
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マシンも本流はブラウンBGP001の名残を感じることができます。ノーズコーンこそ高くなったものの、フロントウィングの造形、フィンの形や取り付き方は踏襲されています。エンジンカバーも低い位置まで絞られてエキゾーストを取り込んだ気流をリヤウィング下部へと導いています。サイドポンツーン開口はブラウン時代よりも縦に大きく開けています。
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ノーズ上面はこの時代のトレンドとなっていた両端がせり立つ断面形状をなし、これを見る度に指とはスケール感が全くマッチしませんが「指紋認証し易そう」と思ってしまいます(笑)
また併せてトレンドとなっていた「Fダクト」なるデバイス。多く知られているのがマクラーレンに端を発すると言われていた「エアインテーク後方から管を伝ってリヤウィングの『メインエレメント』に向かって取り付ける」タイプでした。少し前の「シャークフィン」がリヤウィングに繋がっている感じのやつ、ありましたよね。ただメルセデスはココでオリジナルな取り組みを行っていました。それは吸気をエアインテークからではなく「リヤウィングのメインエレメントやフロントサスペンション付近側面から吸気し、アッパーエレメントのスリットから排出する」方式を唯一採用しています(文字で説明するより絵を描けば想像しやすいのにね)昔みたいにリヤウィングにステーがあるわけでもないし、マシンからウィングまでどうやって?!と思いますよね。どうやらリヤウィング翼端板に厚みを持たせ、中を伝うようになっているそうです。メインエレメントの方は中央付近にコブがあるため、開口の存在もわかります。その効果の程は、、前者のシャークフィン型の方が強力に機能したようです。メルセデスはシャークフィンの設置を好まなかったからとのこと。確かにmiyabikunもカッコいいとは思わなかった。でも、目が出てきそうなリヤウィングのコブも決してカッコいいものでもない。
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あと、このマシン独自のディテールといえば、エアインテーク付近のおさまりです。マシンが転覆した際の安全性を考慮し、カメラの搭載されているT型ピラーの強度を確保しなければなりません。そこをエアインテーク内も貫通させて開口が縦に二分された、いわゆる「ブタの鼻」みたいな形になっています。リヤウィングにあたる気流を考慮し、シーズン序盤の第5戦スペインGPからはエアインテーク自体を後退、低くしそのピラーがより目立つものとなっています。
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あとはこちらも流行った「ブロウン・ディフューザー」(別名 エキゾースト・ブローイング)はもちろん搭載されています。決してBrawnではありませんぞ、Blownね。
近年は嫌でも目に入るメルセデスのマシンはつや消しシルバーに黒とエメラルドグリーンのアクセントによって躍動的な演出をしています。この初期型メルセデスにはまだエメラルドグリーンはなく、どちらかといえば「黒みが強い」テイストでした。どうしてもシルバーに黒というと、同じくメルセデスのエンジンを搭載したマクラーレンを連想してしまいます。当時は戦績から格付けしてもマクラーレンの方が上手だったので、当初はワークスと言いつつも「マクラーレンのBチーム」なイメージが勝手にありました。ところがどっこい、今となっては天と地の差。マクラーレンにはメルセデスの「メ」の字もなく、目に見えないくらい離れた位置になってしまいましたね。

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《シャシー》
全長:4,800mm
全幅:1,800mm
全高:   950mm
最低車体重量:620kg
燃料タンク容量:− ℓ
ホイール:BBS
ブレーキキャリパー:ブレンボ
ブレーキディスク・パッド:ブレンボ
サスペンション:フロント プッシュロッド
                                 リヤ    プッシュロッド
タイヤ:ブリヂストン

《エンジン》
メルセデス・ベンツ FO108X
V型8気筒・バンク角90度
排気量:2,400cc(推定)
最高回転数:18,000rpm(制限)
最大馬力: - 馬力(非公表)
燃料・潤滑油:ペトロナス

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《ドライバー》
No.3 ミハエル・シューマッハ(全戦)
No.4 ニコ・ロズベルグ(全戦)

な、な、なんと、あのシューマッハ様が赤のユニフォームを脱ぎ捨て、4年振りに表舞台に復帰なさるとは!当時話題になりましたよね。元はといえばシューマッハはドイツ生粋のメルセデス出身。新興チームにはやはりベテランの経験と知恵、この晴れ舞台には必要なスキルだったと思います。miyabikunは熱烈なファンではなかったので半分以上冷静な目で見ていましたが、ブラウン&シューマッハとなれば、何かが起こるかもしれない?!この後その結果が明らかになります。

《戦績》
214ポイント コンストラクター4位
(3位3回、4位4回、5位5回、6位5回ほか)
ポールポジション0回

ブラウンGPからはドライバーを一新し、シューマッハに加えてウィリアムズでくすぶっていた若手N・ロズベルグを招集して「ドイツコンビ」による母国ワークス復帰のこけら落としとなりました。
序盤からシューマッハよりもロズベルグの方が予選、決勝ともマシンとの相性が良く、第3戦マレーシアGPの予選2位から決勝3位表彰台獲得。続く中国GPも3位と「時代はボクら」と言わんばかりの存在感を示します。第5戦スペインGPからマシンの改良に取り組み、先程のエアインテーク部の変更やロングホイールベース化を図っています。
改良以降もシューマッハ、ロズベルグとも堅実に入賞圏内は確保しつつも決定的な速さという点でライバルには及ばず。第10戦イギリスGPのロズベルグ3位を最後に表彰台はなく、チームはシーズン後半に早くも開発を翌2011年に向けて頭を切り替えることとしました。結果的に最上位は全てロズベルグによる3位3回、コンストラクターズランキングはレッドブル、マクラーレン、フェラーリに続く4位で初年度を終えています。内訳もロズベルグ142ポイントに対してシューマッハは半分となる72ポイントと大差となりました。皆が注目するシューマッハの復帰ではありましたが、往年の「シューマッハらしさ」は健在で第12戦ハンガリーGPではフェラーリ時代のチームメイトのバリチェロに危険な幅寄せ行為によるペナルティが下るなど、模範的走りというよりかは後輩や若手相手に「精一杯食らいつく姿」がちょっぴり残念だった印象を覚えています。
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今日の最強チームも過去には最強ドライバー、莫大な資金を投じても模索する時代を経験しました。変わらずは「銀のカラー」と「高出力エンジンサプライヤー」であること。世界最古の「ワークス」はF1においてもそのプライドと本質は貫いています。

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2017年シーズンも閉幕し、12月は「まとめ」月間となります。いつものグラフをペタペタ貼ることと思いますが、懲りずにお付き合い頂ければ幸いです。
さて、この企画も今回が最後です。12月生まれのドライバーも少数派のドライバー60人です。

《12月生まれのドライバー》
1948年12月6日   K・ロズベルグ ★
1984年12月7日   R・クビカ
1946年12月12日 E・フィッティパルディ(弟)★
1918年12月13日 B・ヴコヴィッチ
1993年12月14日 A・ジョヴィナッツィ ◎
1923年12月19日 O・マリモン
1968年12月20日 K・ベンドリンガー
1935年12月21日 L・バンディーニ
1956年12月23日 M・アルボレート
1962年12月23日 B・ガショー
1934年12月25日 G・バゲッティ
1943年12月25日 W・フィッティパルディ(兄)
1985年12月27日 J・ダンブジオ
1969年12月29日 A・マクニッシュ

★はチャンピオン獲得者、◎は2017年現役

著名ドライバーのみに絞るとさらにだいぶ少なくなってしまいます。日本人ドライバーはいません。チャンピオンは1勝で成り上がったパバベルグとレース一家代表E・フィッティパルディが兄と共に12月生まれです。また、最近よく聞く名前なのは貴重なイタリアンであるフェラーリ製A・ジョヴィナッツィ、個人的には久々にF1の舞台で見てみたい33歳のR・クビカ(クビサ)がノミネートです。プロストやシューマッハ、ライコネンもF1復帰系の面々ですが、もしクビカがF1復帰となれば、2010年から7年離れていたことになります。7年振りに親戚に会うくらいなら問題ないけど、テストをこなしているとはいえ7年振りの「運転」ですから容易ではありませんね。ペーパードライバーがいきなり7年振りに首都高を2時間グルグル走り続ける感じの開幕戦となるわけか。それも世界規模、四輪最高峰のプロだし。

今回はネタも少なく、最後となるため、ここでも恒例の「まとめ」やります。


  1月生 計:  84 うち日本4   現役4   王者4 
  2月生 計:  65 うち日本2   現役1   王者5
  3月生 計:  78 うち日本3   現役1   王者2
  4月生 計:  73 うち日本1   現役4   王者5
  5月生 計:  61 うち日本1   現役0   王者0
  6月生 計:  59 うち日本2   現役0   王者4
  7月生 計:  72 うち日本2   現役3   王者3
  8月生 計:  59 うち日本0   現役2   王者3
  9月生 計:  62 うち日本4   現役4   王者2
10月生 計:  81 うち日本0   現役4   王者2
11月生 計:  54 うち日本1   現役1   王者1
12月生 計:  60 うち日本0   現役1   王者2
        合計:807 うち日本20 現役25 王者33

※現役のスポット参戦も「現役」に含む
   該当月以降にスポット参戦しているケースも
   あるため、当時の数と一致しない場合あり

先日の名前、イニシャルと同様にこればかりは分析や理由も何もないですが、1月生まれが最も多く、チャンピオンは2月生まれと4月生まれが最多の5人輩出でした。
皆さんの誕生月はいかがでしたでしょうか。全く同じ生年月日のドライバーはいたでしょうか。これにて「ドライバーの誕生月を祝おう」を〆させて頂きます。

最後に、12月生まれの皆さん、そしてドライバー、おめでとう!

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またまた放置気味だった「F1登竜門チーム」を思い出したかのように復活させます。今回は現在もF1界に名を連ねる「ミスター・プライベーター」のウィリアムズです。皆さんよくご存知の車椅子のおじいさんが生業とする古豪の名門チームは「チャンピオンチーム」というだけでなく近年は特に「若手の発掘」もこなすチームにもなるといったワークスにはない「チーム存続の難しさ」や「時代ごとに変化する立ち振る舞い」などF1の縮図ともいえる変遷があります。
《ウィリアムズ》
ドライバーやメカニックの経験もあるフランク・ウィリアムズが1966年にF2のチームを設立、傍らブラバムから中古のF1マシンを購入してF1にスポット参戦し始めたのがF1参入のきっかけです。その後1977年当時、チームに在籍していたエンジニアであるパトリック・ヘッドと独立し共同創設によって、完全なフランク・ウィリアムズのチームがスタートとなりました。今年はそこから40年、シャシーも無理矢理FW40で合わせ込んできたメモリアルな年ですね。
以下に挙げる主なドライバーをみると創成期よりは近年にF1初ドライブとなるドライバーが多く見受けられると思います。当初は数々のチームやGPを経験したベテランや「ピークを若干過ぎた」ドライバーを多く起用してきました。ワークスと違い、開発力や競争力の乏しい時期は致し方がない部分もあります。徐々にチームが開発力や競争力をつけ、強いエンジンを得ると、大型スポンサーもついて資金面で潤ってきます。フォードエンジンとタッグを組む1980年にベテランのA・ジョーンズが開花、初めて獲得したチャンピオンが好転となり、優勝や表彰台を量産するチームまで成り上がりました。後輪四輪車にアクティブサスペンション、ABSなど変わり種やハイテクを駆使して、80年代後半から90年代前半はF1人気も味方に付けながらワークスチームを完全に凌駕した絶頂期を迎えます。

《主な輩出ドライバー》
   成績はウィリアムズ時代のもの
   ◎は2017年の現役ドライバー
   ◯はウィリアムズがデビューではないドライバー
    ※は他チームF1ドライバーとして移籍
   ★は後にチャンピオン獲得
   
J・ラフィ※
   1974年~1975年,1983年〜1984年 優勝0回 入賞9回
   →1976年から、また1985年からリジェへ
T・ブライズ※
   1975年 優勝0回 入賞0回
   →1975年の第6戦からエンバシー・ヒルへ
J・パーマー(父)※
   1983年 優勝0回 入賞0回
   →1984年からRAMへ
A・セナ◯※★(デビューはトールマン)
   1994年 優勝0回 入賞0回
   →1983年にテスト、11年越しの94年第3戦で死亡
D・クルサード※
   1994年〜1995年 優勝1回 入賞14回
   →1996年からマクラーレンへ
J・ヴィルヌーブ※★
   1996年〜1998年 優勝11回 入賞31回
   →1999年からB・A・Rへ
J・バトン※★
   2000年 優勝0回 入賞6回
   →2001年からベネトンへ
J・P・モントーヤ※
   2001年〜2004年 優勝4回 入賞41回
   →2005年からマクラーレンへ
N・ロズベルグ※★
   2006年〜2009年 優勝0回 入賞25回
   →2010年からメルセデスへ
中嶋一貴
   2007年〜2009年 優勝0回 入賞5回
   →2009年でF1シート喪失
N・ヒュルケンベルグ◎※
   2010年 優勝0回 入賞7回
   →2011年からフォース・インディアへ
P・マルドナド※
   2011年〜2013年 優勝1回 入賞7回
   →2014年から(新)ロータスへ
V・ボッタス◎※
   2013年〜2016年 優勝0回 入賞46回
   →2017年からメルセデスへ

フランク・ウィリアムズに直接聞いたわけでもない、あくまで個人的な見解ですが、ウィリアムズのドライバーチョイスは「A・セナの死」も影響ある分岐点にみえます。セナはファンの方ならご存知の通り、F1へのステップアップは下位カテゴリーでの活躍に合わせてウィリアムズでのテストに端を発します。テストで圧倒的なタイムを叩き出したセナを「若く未経験だ」という理由でウィリアムズは起用せず、半決まりだったブラバムにも蹴られて、1984年にトールマンからのデビューとなったわけですが、共に大成したホンダ撤退とともに次の活路と考えたセナが「誰もが乗りたい」ウィリアムズに巡り会えたのは11年後となる1994年。政治的な力や外野の雑音など様々な要因を経てやっとの思いで得たマシンは前衛的な設計なのかはたまた対応不足かの「ナーバスマシン」必ずしもセナが求め、好むマシンではなく「何らかの原因」からF1最大の悲劇を生むことに。セナの才能を早い時期から理解しつつも、いざドライブすることになった矢先でした。それによってフランク・ウィリアムズを含めた関係各位は起訴され、その後無罪放免となるも、以降チームはチャンピオンクラスからの「選びたい選ばれたい放題」から人選に気を配る「若手の着目、育成」の目線に切り替わったのではないかと考えます。

近年におけるウィリアムズの「大当たり」は1996年のJ・ヴィルヌーブでしょうか。もちろんルノーエンジンともマッチした「期待のF1二世ドライバー」ではありますが、アメリカで結果を出してきたその「大物」を確実に手に入れ、デビュー戦でのポールポジション、2年目で「今のところ最終」となるチャンピオン獲得に成功しています。2001年に同様にアメリカから引き抜いたモントーヤも同じ流れを組むかと思いきや、こちらは「F1自体が合わず」の惜しいケース。また、当時としては若き20歳のバトンを起用したり、こちらは父親でも縁のあるN・ロズベルグも大事に大事に育て、巣立って以降チャンピオンを成し得ました。近年だとボッタスも同じような旋律をとって成長真っ盛りで期待が持てます。
ただウィリアムズはあくまでプライベーター、近年はエンジン選択や金策にも苦労し、ルノーエンジンと一度決別してからはカスタマーエンジンや「ドライバー付き」エンジン、ワークスに食われそうなエンジンを搭載するなど、迷走感たっぷりな不安定期も経験することになります。近年の不況に合わせて参戦やマシン改良にかかる費用の高騰、手強なワークスや新規参入チームによる成績不振、成績不振からのトップドライバーや大型スポンサー確保の困難さなど、負のループから抜け出せない状態が続いています。今やペイドライバーやエンジン格安キャンペーンにすがらなければならないのも事実です。

今シーズンも安定のベテランと裕福な新人のコンビネーションで臨むウィリアムズ。コツコツからの開花、左うちわからの悲劇、不況にワークスの台頭と「酸いも甘いも」知る騎士も今年で御歳75。同じ眼差しを持つ娘のクレアに副代表を託しつつ、大病を乗り越え今でもれっきとしたチーム代表です。

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6月生まれのF1ドライバーを総勢59人います。

《6月生まれのドライバー》
1959年6月1日   M・ブランドル
1951年6月6日   高原敬武
1898年6月9日   L・ファジオーリ
1939年6月11日 J・スチュワート★
1949年6月11日 T・プライス
1964年6月11日 J・アレジ
1966年6月13日 服部尚貴
1980年6月13日 M・ヴィンケルホック
1958年6月15日 R・パレッティ
1960年6月17日 A・カンポス
1936年6月18日 D・ハルム★
1911年6月24日 J・M・ファンジオ★
1949年6月25日 P・タンベイ
1964年6月25日 J・ハーバート
1985年6月27日 N・ロズベルグ★
1975年6月30日 R・シューマッハ

★はチャンピオン獲得者、◎は2017年現役

今回も1日にアップすることができず、M・ブランデル、いやM・ブランドル(左)の誕生日は過ぎてしまいました。M・ブランデル、いやいやM・ブランドル(左)、ごめんなさい!

6月も著名ドライバーは少な目です。現役ドライバーはいませんが、チャンピオンは多めの4人いました。ロズベルグは今年でまだ32歳なんですね。まだまだやれるのに勿体ない。日本人ドライバーは中嶋悟よりも先にF1をドライブした「本当の元祖」高原敬武、そして同じく中嶋悟に「予選落ちでマシンに八つ当たりしたらダメ」と酷評されてしまった服部尚貴の2人です。

6月生まれの皆さん、そしてドライバー、おめでとう!

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ボクは代役だし勝手にペナルティだし、といった具合でピットスタートのバトンはダミーグリッド中でも余裕です。アロンソからもしっかり激励されていました。予選はよかったのに、犯人は遠いアメリカです。
今回のプレゼンターは今シーズンのストーブリーグを引っ掻き回した最新のモナコマイスターです。
ロズベルグの奥さんって見る度に思うんですが、毎回思うのですがロズベルグはイケメンなのに奥さんって、、止めておきます(笑)レースしっかり観て勉強しておくように!


大抵何かあるスタートは今回は特に問題もなく順調。直後にタイヤ交換にきたバトンとウェーレインがピット出口で交錯して、ウェーレインにペナルティが下ります。序盤は本当に接触やクラッシュもなく皆お利口さんです。

荒れないスタートから落ち着いてしまった感のある「モナコ」の上位で初めに動きをみせたのは33周目のフェルスタッペンからでした。フェラーリについていけないボッタスのアンダーカットを狙います。
当然すぐさまボッタスも反応して、結果変わらず。

周回遅れも出だして、唯一のピットストップも無事に終えて久々優勝を盤石なものにしたいライコネンが続く35周目にピットへ。
前が開けるとライコネンにピッタリ1秒前後でくっついてきたベッテルは飛ばしに飛ばします。1分15秒238は早っ!

ファステストラップ連発で4周引っ張ってピットへ。ライコネンをケガなくパスするチャンスです。結果は、、
ベッテルの勝ち。最近減ったオーバーカットを決めたレース巧者。仲良しでもチャンピオン争いを考えたら、コレは非常に大きいです。ライコネン、残念!次はベルギーあたりに期待してます。また、5番手に甘んじたリカルドも2人まとめてオーバーカットを成功させて3位に浮上しています。
「モナコの定理」にがっちりハマって策がないハミルトンは78周レースのなんと47周まで「一番寿命の短いタイヤ」を保たせてきました。やっぱりもう一段階グズグズのグリップタイヤが必要ですね。

さらには再舗装したての1コーナー、サン・デボーテのライン上の舗装が剥がれ出しています。どこかの新興サーキットでたまにみる光景ですが、伝統モナコではそこのところはちゃんと押さえてほしかったですね。

短期アルバイトで最後尾を味わうチャンピオン、バトンがさっき裁判に持ち込んで勝ったウェーレインをポルティエのインから制裁。
チャンピオン、そりゃ無茶だよ!鋭角だもん。
過去に海にダイブしたチャンピオンもいますが、F1マシンの90°横転停止とは珍しい。ウェーレインは無事で何よりですが、バトンは無傷とはいかずヌーベルシケイン直進して呆気なく短期アルバイト終了。お疲れ様でした。

ザウバーとマクラーレンの片割れの事故がきっかけのセーフティカー中にもう片割れのエリクソンがサン・デボーテに突き刺さり、
セーフティカー退去直後にもう片割れのバンドーンもペレスの猛攻に耐え切れず、サン・デボーテ仲間に。 ザウバーとマクラーレンの下位争い、4台これにて一瞬で終結。
さらには勢いを増してモナコが得意げなペレスもこれまたパッシングポイントではないラスカスでクビアトをインから狙って
こうなるだろうな。偉大な先輩も昔そんなインをナメて曲がり切れなかったでしょうが。序盤は静かに進行していた貴族の集う「パーラー・モナコ」は予選に引き続いて「連鎖と確変」の嵐になり始めました。
行きは良い良い、帰りは怖い。

《決勝結果》
   1 ベッテル    (フェラーリ・F)
   2 ライコネン(フェラーリ・F)
   3 リカルド    (レッドブル・TAG)

《ドライバーズランキング》
   1 ベッテル    (フェラーリ・F)    129
   2 ハミルトン (メルセデス・M)  104
   3 ボッタス    (メルセデス・M)     75
   4 ライコネン (フェラーリ・F)     67
   5 リカルド     (レッドブル・TAG)52

モナコも表彰台始めたんですね。昨年ありましたっけ?!でもやっぱりもう一段上に並ぶのね。モナコルール。
ライコネン、浮かぬ顔。
さぁボクの出番です。インタビューしちゃいますよ!
《第6戦モナコGPのポイント》
・ライコネン残念。実は裏では思惑通り?!
・逃げてよし、追ってよしのベッテル
・メルセデスにとってモナコは数少ない弱点
・抜けなくなるとプロとて見境がなくなる
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