F1 えきぞーすとのーと

よくあるニュースネタやこ難しいテクニカルな話ではなく、メインは予選や決勝のTV観戦したそのものを個人的観点から綴るF1ブログです。  また、懐かしのマシンやレースを振り返ったり、記録やデータからF1を分析。その他ミニカーやグッズ集めも好きなので、それらを絡めつつ広く深くアツくF1の面白さやすごさを発信し、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

タグ:レギュレーション

F1界によくあるタラレバ話「昔の名車(ドライバー)が今あったらどうなる?」当然答えが出るはずもなく、想像の領域を越えることはありません。そんな想像の助けになる面白いサイトを先日見つけました。既にご存知の方も多いかもしれませんが「過去の名車を今のレギュレーションに充てたらどう見えるのか」を絵に描いているデザイナーがいます。ショーン・ブルという方によるコンピューターグラフィックを用いた作品です。自身のセンスや環境ではやりたくても決して真似できないそれらの絵をお借りしてご紹介します。
種車が何なのかは分かりません(メルセデスW08?!)が、シャークフィンに後退型リヤウィングと2017年モデルに準拠しているようです。またタイヤは現在のピレリP ZEROを履かせたものやその当時使用していたメーカーだったりホイールのインチなどにしているようで、なかなか凝ってます。

◯はシングル、◎はダブルチャンピオンマシン
★は当ブログでクローズアップしたマシン

《フェラーリ》
フェラーリ312T(1975年)◎★
フェラーリ126C2(1982年)
フェラーリ641/2(1990年)
フェラーリF2002(2002年)◎★
フェラーリ248F1(2006年)
フェラーリF2007(2007年)◎★
フェラーリF2008(2008年)◯
フェラーリF10(2010年)
フェラーリF14T(2014年)
一貫して光沢や陰影も表現されており、どれもカッコよく仕上がっていますよね!
さすがF1界の雄、フェラーリの作品は多くあります。勝たなくても名車、勝てなくてもファンは世界的に多いでしょう。フェラーリの再建に一躍買い、昨シーズンのSF16-Hにオマージュ?されたラウダの名機312Tをはじめ、歴代フェラーリ最強のF2002もあります。最近のマシンではF2008によるマッサがチャンピオンまであと一歩、アロンソによるF10でも惜敗しています。振り返るとF2007とライコネンのダブルチャンピオンがフェラーリの最終チャンピオンであり、今年で10年もの歳月が経過しています。果たして今シーズンの復活や如何に?!

《ロータス、セナ、マクラーレン系》
ロータス72(1970年)
トールマンTG184(1984年)
ロータス98T(1986年)
ロータス99T(1987年)★
マクラーレンMP4/4(1988年)◎★
マクラーレンMP4-13(1998年)◎★
ここではロータスとマクラーレンというライバルチーム同士を「セナ」というキーワードでグルーピングしてみました。勝率歴代最高のMP4/4がマールボロカラーを提げて現代に登場するとこんな見栄えになるんですね。カッコいいけど、低く角ばった猫背の種車と比較すると丸みとシャークフィンのせいで特徴も台無しになってしまいます。またナローサイズ初年のパワーマシンMP4-13は特徴である大型三角形のディフレクターは小さくなるも、全体的に筋骨隆々と巨大化してさらにパワフルに変身です。このマシンだったらハッキネンは8勝どころか12勝くらいしたりして。

《ウィリアムズ、ルノー系》
ヘスケス308B(1975年)
ウィリアムズFW08B(頓挫)◯★
ウィリアムズFW14(1991年)
ウィリアムズFW16(1994年)
ベネトンB195(1995年)◎
ルノーR26(2006年)◎★
パパベルグのチャンピオンマシンは幻のFW08Bで再現されています。こうなると短小な最小勝率チャンピオンマシンもさまになりますが、後輪四輪F1は見慣れないせいか10tトラックみたい(笑)
セナが最後に選んだFW16もこう安全対策していたら、最悪な結末は招かなかったかもしれません。ただし、チャンピオンになれたかと考えるとナーバスなドライバビリティの不安もあって何とも言えません。
11年も前になるアロンソの「今のところの」最終チャンピオンマシンは、シャークフィンもしっくりきて思いの外違和感がない。このマシンは当時から比較的丸みを帯びてましたよね。

《ジョーダングランプリ》
ジョーダン191(1991年)★
ジョーダン199(1999年)★
ジョーダンの芸術的人気車191はよりスタイリッシュに!7upからスポンサー料もUPしてもらえそうな気がします。このマシンならM・シューマッハはたった1戦とは言わずシーズン終了まではドライブしてくれたかな?!

《古き良き異端車、アイデア車系》
リジェJS5(1976年)
ティレルP34(1976年)
ブラバムBT46B(1978年)
ブラバムBT52B(1983年)◯★
元祖六輪車のティレルP34も現代風に変身しました。こうしてみるとフロントタイヤちっちゃいですね。今のピットストップだったら何秒でタイヤ交換を終えるのでしょう。
そしてキワモノのBT46Bはシャークフィン無しで長ーく伸ばされています。このストロークがあればファンだなんて小さいこと言わずジェットエンジンを積めそうですよ、マーレーさん(笑)
真横からでは分からないピケの「矢印マシン」BT52Bは真上から見たらどうなっているのでしょうか。他のマシン達と同じ仕様なら矢印でなさそうに見えます。

《その他の近代マシン》
アロウズA21(2000年)
ミナルディM02(2000年)
ジャガーR5(2004年)
ザウバーC24(2005年)
BMWザウバーF1.08(2008年)★
トヨタTF108(2008年)
トロ・ロッソSTR3(2008年)★
ブラウンBGP001(2009年)◎★
マノーMRT06(頓挫)
ジャガーの緑は個人的に好きでした。最近は緑のマシンが無くなってしまいましたね。今こんな感じで出てきたらすごく目立つと思います。このグループは近年だけあって違和感はあまり感じません。トヨタもトロ・ロッソもシャークフィン経験車ですもんね!
マノー。今シーズンいたらこんな感じ。ウェーレインはもしかしたらこちらに乗り続けていたら、もう少し成績が良いカモ?!


描写の仕方にもよりますが、どれも近代的にカッコよくは変貌を遂げてると思います。中には現代のマシンレギュレーションに則さないアイデアや機構のものも多く、カッコよくはなったとはいえ、当時の憧れや輝きとは少し違ったものにも見えてきます。あと一つ、これらは全てサイドビューを2017年のマシンレギュレーションに倣って描かれていますので、今問題のノーズコーンはああなっていることも忘れてはなりません。マールボロもキャメルもJPSも先っちょはあんな感じですので悪しからずです。
今回ご紹介した以外にもマシンや昨シーズンまでのデザインに充てがったものや、逆に近代のマシンが過去のレギュレーション下に置かれた場合など、多くみることができますので、興味のある方はショーン・ブルの作品を探してみてください。

画像ペタペタ、コメント少なめのズルい回でしたー。

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今までF1マシンには好成績を残して名を馳せ、がんじがらめのレギュレーションの範囲内や隙をついた新技術で傑作のマシンを作り上げた設計者が多くいます。ジョン・バーナードにロリー・バーン、ゴードン・マーレーもその1人だし、パトリック・ヘッドにマイク・ガスコイン、、まだまだたくさんいますね。最近のF1マシンデザイナーで有名なのはやはりエイドリアン・ニューウェイではないでしょうか。空気を相手にパワーやドライバーの腕ばかりではないマシンを数々生み出してきました。時には繊細過ぎて操るのも大変で「天才の中の駄作」ともいえる失敗もいくつかありました。

ブログの「名車を振り返る」でも何台か紹介させて頂きましたが、今回は簡単な彼の経歴と歴代の「作品」を戦績や技術、成功と失敗を簡単におさらいしてみたいと思います。

エイドリアン・ニューウェイ
1958年生まれのイギリス人です。長らく「F1の頭を使う立場」で活躍し、あの「頭」ですのでなかなか高齢かなと思いきや、まだ今年58歳です。いまだにCADを用いずドラフターで手描きをするのはすごいです。
イギリスのサウサンプトン大学で航空工学を専攻していました。工学でも航空・宇宙の分野は最も難しい学問でレベルも高いんですよね。実は自身も高校時代に一度憧れたことはありましたが、恥ずかしながら別の理工学系に流れてしまい、断念しました。その中で優秀な成績を残して卒業し、間も無く1980年からF1の世界に入りました。

《フィッティパルディ時代》
1980〜82年 F8 22戦30走行
               優勝:0  表彰台:0  P.P:0  F.L:0

ハーベイ・ポスルスウェイトの元で空力チーフを任されてF1マシンに初めて携わりました。成績は今のように輝かしい内容ではありませんが、大卒直後の若造が世界最高峰の四輪スポーツに携える時点で、才能をかわれたのでしょう。

《マーチ、レイトンハウス時代》
1988年 881 16戦+2戦36走行 シーズン6位
               優勝:0  表彰台:3  P.P:0  F.L:0
1989年 CG891 14戦27走行   シーズン12位
               優勝:0  表彰台:0  P.P:0  F.L:0
せっかくF1の世界来てもチームの消滅によってマーチに移籍、一旦F2やCARTマシンに携わり、優勝やチャンピオンを獲得するマシンを生み出します。
そして1988年にF1に戻り、チーフデザイナーの肩書きで代表車の一つ「881」がターボ車に食らいつかんばかりの活躍をみせて有名になり始めます。フロントウィングでディフューザーの効果を最大限にもたせるマシンです。さらに勢いを増し翌年の89年には軽量化、低重心化、エンジンをカスタムメイドして挑むも、逆に扱いにナーバスな車になってしまい、ドライバーもマシン性能を引き出せない現象が起きてしまいます。

《ウィリアムズ時代》
1991年 FW14    16戦32走行 シーズン2位
               優勝:7   表彰台:17  P.P:6   F.L:10
1992年 FW14B  16戦32走行 シーズン1位
               優勝:10 表彰台:21  P.P:15 F.L:11
1993年 FW15C  16戦32走行 シーズン1位
               優勝:10 表彰台:22  P.P:15 F.L:10
1994年 FW16(B)16戦32走行 シーズン1位
               優勝:7   表彰台:13  P.P:6   F.L:8
1995年 FW17(B)17戦34走行 シーズン2位
               優勝:5   表彰台:17  P.P:12 F.L:6
1996年 FW18     16戦32走行 シーズン1位
               優勝:12 表彰台:21  P.P:12 F.L:11
ニューウェイがF1においてチャンピオンクラスのマシンを仕立て上げるようになったのはウィリアムズからです。パトリック・ヘッドと共に果敢に新たな技術をマシンに投入し、最多勝の1996年の12勝に及ばない10勝でしたが、インパクトからみれば最高傑作といえる「FW14B」が完成し、N・マンセルと初チャンピオンを獲得します。
アクティブサスペンションにトラクションコントロールシステムと今の市販車でも当たり前となってきている装置をF1で初めて搭載し、のちに禁止を食らうなどせっかくレギュレーションをくぐり抜けても、揚げ足を取られるマシンになっています。
また、成功があれば失敗もあり。感性のドライビングをするA・セナには、惚れたニューウェイの技術の塊を実際に馴染むことができず、F1界の大いなる才能を失うきっかけだと物議になりました。

《マクラーレン時代》
1997年 MP4-12     17戦34走行 シーズン4位
               優勝:3   表彰台:7    P.P:1   F.L:2
1998年 MP4-13     16戦32走行 シーズン1位
               優勝:9   表彰台:20  P.P:12 F.L:9
1999年 MP4-14     16戦32走行 シーズン2位
               優勝:7   表彰台:16  P.P:11 F.L:9
2000年 MP4-15     17戦34走行 シーズン2位
               優勝:7   表彰台:22  P.P:7  F.L:12
2001年 MP4-16     17戦34走行 シーズン2位
               優勝:4   表彰台:13  P.P:2  F.L:6
2002年 MP4-17     17戦34走行 シーズン3位
               優勝:1   表彰台:10  P.P:0  F.L:1
2003年 MP4-17D  16戦32走行 シーズン3位
               優勝:2   表彰台:13  P.P:2  F.L:3
2004年 MP4-19(B)18戦36走行 シーズン5位
               優勝:1   表彰台:4    P.P:1  F.L:2
2005年 MP4-20     18戦36走行 シーズン2位
               優勝:10 表彰台:18  P.P:7  F.L:12
2006年 MP4-21     18戦36走行 シーズン3位
               優勝:0   表彰台:9    P.P:3  F.L:3
実力と名声を得たニューウェイはウィリアムズと契約に折り合いが付かず、低迷期にあったマクラーレンを次なる活躍の場とします。テクニカル・ディレクターとして移籍2年目となる1998年に早くも「MP4-13」が他のマシンを寄せ付けない速さをみせ、なかなか勝てずのハッキネンとマッチングしチャンピオンに成り上がりました。
ブレーキステアリングシステム、巨大なディフレクター、チムニーダクト、ホーンウィングやゼロキールサスペンションなどなど、もちろん全てがニューウェイのアイデアやデザインではありませんが、のちにF1界でトレンドとなるデバイスの先駆けとなります。
マクラーレン時代の大失敗。何といっても2003年型「MP4-18」が出走どころかクラッシュテストにすら通過できず幻に終わり、旧型を改良して使用せざるを得なかったこと。そしてマクラーレン時代に最多勝を誇り、F1最高速記録を持つ「MP4-20」のスピードと引き換えの信頼性の無さが、チャンピオン獲得の足かせになったこととして表れています。

《レッドブル、トロ・ロッソ時代》
2007年 RB3    17戦34走行 シーズン5位
               優勝:0   表彰台:1    P.P:0   F.L:0
             STR2 22戦44走行 シーズン7位
               優勝:0   表彰台:0    P.P:0   F.L:0
2008年 RB4    18戦36走行 シーズン7位
               優勝:0   表彰台:1    P.P:0   F.L:0
             STR3 13戦26走行 シーズン6位
               優勝:1   表彰台:1    P.P:1   F.L:0
2009年 RB5    17戦34走行 シーズン2位
               優勝:6   表彰台:16  P.P:5   F.L:5
             STR4 17戦34走行 シーズン10位
               優勝:0   表彰台:0    P.P:0   F.L:0
2010年 RB6    19戦38走行   シーズン1位
               優勝:9   表彰台:20  P.P:15 F.L:6
2011年 RB7    19戦38走行   シーズン1位
               優勝:12 表彰台:27  P.P:18 F.L:10
2012年 RB8    20戦40走行   シーズン1位
               優勝:7   表彰台:14  P.P:8   F.L:6
2013年 RB9    19戦38走行   シーズン1位
               優勝:13 表彰台:24  P.P:11 F.L:12
2014年 RB10  19戦38走行 シーズン2位
               優勝:3   表彰台:12  P.P:0   F.L:2
2015年 RB11  19戦37走行 シーズン4位
               優勝:0   表彰台:3    P.P:0   F.L:3
2016年 RB12
今日までレッドブル・アドバンスド・テクノロジーという会社の最高責任者としてレッドブルのマシン監修をしています。序盤はトロ・ロッソにもマシンを横流しできたので、2チーム同時にニューウェイマシンが並びましたが、現在はレッドブルのみ関与しています。
パワフルなメルセデスエンジンから再びウィリアムズ時代のルノーエンジンと絡むことになりますが、非力感は否めず、より空力面で工夫を施してあげる必要がありました。トロ・ロッソで先に優勝し、レッドブルに移ったベッテルと共にレッドブル最強時代を築いていきます。2013年に9連勝したベッテルのRB9は圧巻でした。
フロントにはブリッジウィング、またリアにはダブルディフューザーやブロウンディフューザーといったマシンエンドのダウンフォース対策も成功させては禁止、成功させては禁止とせっかくの技術も頭打ちにならざるを得ません。さらには近年はターボエンジン化が引き金となり、ニューウェイだけのアイデアだけでは対応し切れない面とレギュレーションによる縛りがチャンピオンから陥落させてしまっています。

マンセルやハッキネン、ベッテルといったドライバーをチャンピオンに押し上げ、単なる機械屋ではない、航空工学を糧にパワーでも腕でもない、目に見えない「空気」を相手に繊細かつ速いマシンを手がけてきたニューウェイは、時には失敗作はあれど影の偉大な近代F1貢献者に違いありません。彼がピットロードを歩くと、他チームは急いでパーテーションで隠すというのも有名ですね。他チームの研究や動向観察も抜かりありません。

以前にプレイステーションの「グランツーリスモ」で理想的なマシンを設計し登場させたり、先日アストンマーチンと共同でとんでもない市販車を開発していました。度々隠居説やヨット競技への転向などが噂され、徐々に第一線からアドバイザーの立場になるなど、徐々に天才ニューウェイの作るマシンは見られなくなってくるかもしれません。

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レースを観ていると、無線や解説の中で「チャーリーに聞いてみる」とか「チャーリーがどう判断するか。。」と話すの聞いたことありませんか?チャーリーって、誰やねん?!チャーリー・ホワイティング、、名前は聞いたことあるけど何様かよくわからないので、今回はチャーリー・ホワイティングについて書いてみます。

チャーリー・ホワイティング
1952年生まれの今年63歳のイギリス人です。
頭もホワイティングですね(笑)
実は元メカニックでした。今はFIAの技術部門の最高責任者で安全委員会の代表でもあります。また「永久スターター」でもあるため、息をのむスタートのシグナルは彼が操作しています。大役です。さらに、車両保管所「パルクフェルメ」の責任者でもあります。いわば、F1にはなくてはならない人物、責任者を多数兼任する方だったのです。F1という会社の色んな役職の責任者なんて、世界中が見守る中、胃に穴が開きそうです。

彼は15歳から兄のレースに携わり、ブランスハッチやシルバーストンなどに拠点を置いて、ヘスケスというチームのメカニックを行っていたのがきっかけです。
後にブラハムでネルソン・ピケのメカニックとなり、1981年と1983年のチャンピオンを獲得してチーフに昇格、1987年までチームで仕事をしました。

1988年からFIAに所属し、今のポストに就きました。技術部門の責任者として、レギュレーションで厳しく管理されたF1を中立な立場で改良や部品のチェックをしています。よく、他チームからあるチームの新装置や改良について質疑や訴えがあると、技術畑の彼がそれを調べて白黒つける、とても責任のある仕事です。各チームがチクりに行く先はチャーリーというわけです(笑)セーフティーカーを出すタイミングも色々物議がありますが、これもまたチャーリーの仕事です。
また、彼はレース中の危険行為やジャンプスタート、ショートカットによる判定も担い、常に目を光らせてF1をみてるんですね!最近新しいサーキットも建設されている中で、建設中や完成後のレギュレーションチェックも行うようです。オフシーズンも多忙そう。。

1997年からレースディレクターとして「永久スターター」も担当しています。ファンとしてはとても気持ちがいいだろうなぁって想像します。自分のボタン一つでシグナルが変わり、一斉にスタートを切ってドラマが始まるわけですから。

鈴鹿では何回か観戦していますが、座る位置がよくないのか、まだ生で見たことはありません。常にスタートやゴールでコントロールラインにいる彼を目にすることができるようなので、観戦の際は生チャーリーを見れたらいいなと思います。
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F1は著しい技術力の向上によりスピード増加、厳しいレギュレーションの「柔軟な解釈」によって、年々速いマシンに進化し、それに伴う危険性からその右肩上がりの技術力をレギュレーション改定で食い止める、といったいたちごっこが繰り広げられています。


F1のGP中におけるドライバー歴代死亡事故
(6/13現在)

1954年 ドイツ  O・マリモン
1958年 フランス  L・ムッソ
            ドイツ  P・コリンズ
            モロッコ  S・L・エバンス
1960年 ベルギー  C・ブリストウ
                             A・ステイシー
1961年 イタリア  W・V・トリップス
1964年 ドイツ  C・G・ド・ボーフォール
1966年 ドイツ  J・テイラー
1967年 モナコ  L・バンディーニ
1968年 フランス  J・シュレッサー
1969年 ドイツ  G・ミッター
1970年 オランダ  P・カレッジ
            イタリア  J・リント
1973年 オランダ  R・ウィリアムソン
            アメリカ  F・セベール
1974年 アメリカ  H・コイニク
1975年 オーストリア  M・ダナヒュー
1977年 南アフリカ  T・プライス
1978年 イタリア  R・ピーターソン
1982年 ベルギー  G・ヴィルヌーブ
            カナダ  R・パレッティ
1994年 サンマリノ  R・ラッツェンバーガー
                                A・セナ


GP中のドライバーの死亡事故は65年の歴史で24人です。こうしてみるとたまたまなのかドイツGPが多いです。これ以外にも観客やマーシャルを巻き込んだものもいくつかあります。死因の多くは車外に投げ出されてしまったケースやマシンの炎上、ガードレールなどのバリアでの損傷によるものです。速度が高ければ当然リスクも上がりますが遠因になれど必ずしも速度が高いことがこのような事故を引き起こすとは言い切れないとは思います。ただこれら死亡事故がある度にマシン側やコース側のレギュレーションが強化され、ドライバーからみれば安全なもの、ファンからみたら迫力に欠けたりスピードが失われるものになります。安全性と速度低下を目的としたレギュレーション変更もあってか、近年に近づくにつれ、事故の間隔は広がっています。セナの死以降、ドライバーのレース中の死亡事故はないまま21年更新されています。(6/13現在。以下で補足)

F1はその名の通り、モータースポーツの頂点であってほしい。速い車で競われるのを楽しみにしているファン。
また速く走る車を操り、ファンを魅了したいドライバー。マシンを操りみなぎるアドレナリン。
ファンを集めなければ成り立たない。でも技術力の進歩による危険性を減らし、資金のあるチームないチームも多種多様に参戦し、全世界で収益する。盛り上げつつ抑えなければならない主催者側。
三者の想いはなかなかうまくバランスしない、全てを満たすのは難しいけど、どうにかやり繰りしてF1自体を存続してもらいたいなと思います。

ドライバーで構成されるGPDAなる、いわば選手会があります。現役だとハミルトンやライコネンは未加入ですが、多くのドライバーが加入し会議が行われています。今年の会長はベネトンから参戦しマクラーレンやウィリアムズもドライブしたアレクサンダー・ヴルツ。監督としてバトンとベッテルがいます。
そこで最近のF1への疑問や改善点、どうすれば盛り上がるものになるのかと、世界的にファンからのアンケートを募っているそうです。近年のエキゾースト問題にメルセデスエンジンの一人勝ち、給油の復活や改良制限、資金繰り、、、たくさん不満やアイデアはありそうです。

個人的には技術を存分に盛り込み、乾いた甲高いエキゾーストノートを響かせ、速く安全で美しいフォルムの車になることには大賛成です。火花散るスキッドブロックの復活もいいですよね。馬力や速度、ラップタイムが年々上回るのはワクワクします。DRSも一箇所だ1秒以内だケチなこと言わず、好きなところで使いたいし、ディフューザーもアクティブサスもいいじゃないか。いい技術はどんどん市販車にフィードバックしてほしい。過去の優れたアイデアを持ち寄ってマシンを組み立てたらどんなものになるんでしょう(笑)

ただし、資金の差や規模で車の良し悪しが決まってしまったり、ドライバーそのものの実力が薄まってしまうようなものは反対です。レギュレーションで縛るなら、ある部品の共通化や共同研究、トークンとは違った改良制限期間とか昔あったファステストラップポイントとかハンデ戦なんかもいいかもしれませんね。
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