F1 えきぞーすとのーと

よくあるニュースネタやこ難しいテクニカルな話ではなく、メインは予選や決勝のTV観戦したそのものを個人的観点から綴るF1ブログです。  また、懐かしのマシンやレースを振り返ったり、記録やデータからF1を分析。その他ミニカーやグッズ集めも好きなので、それらを絡めつつ広く深くアツくF1の面白さやすごさを発信し、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

タグ:ヨーロッパGP

今年から知らない間にヨーロッパGPからアゼルバイジャンGPになってましたね。昨シーズンの同じ頃に「まずアゼルバイジャンを知ろう!」ということで特集しちゃっていました。よって今回はサラリと、過去のヨーロッパGPもサラリとやってみます。

《国の基本情報ほか》
国名称:アゼルバイジャン共和国
  人口  :980万人(世界第83位)
  面積  :8万6千㎢(世界第113位)
  設立  :1991年にソビエト連邦から独立
主言語:アゼルバイジャン語、ロシア語
  首都  :バクー
  通貨  :アゼルバイジャン・マナト

F1開催期間と数:2016~(2回目)
開催サーキット:バクー市街地
F1ドライバー数:0人
F1チャンピオン:ぜろ
現役ドライバー:Zero
著名ドライバー:当然、無し!

《バクー市街地》
  所在地 :バクー
市域人口:205万人
市域面積:260㎢
標準時差:UTC+4:00(日本から-5:00)
  F1開催 :2016〜(2回目)
一周距離:6.006km
初代優勝:N・ロズベルグ(メルセデス)
最多優勝:N・ロズベルグ(1回)
最多P.P. :N・ロズベルグ(1回)
最速P.P. :1分42秒758 N・ロズベルグ(2016)
最多F.L. :N・ロズベルグ(1回)
最速F.L. :1分46秒485 N・ロズベルグ(2016)

ソビエト連邦としてみたらF1ドライバーは2人いますが、さすがにアゼルバイジャンにはいません。自身は恥ずかしながら昨シーズンのF1で初めてアゼルバイジャンの街並みを映像で観ました。なかなか訪れたり見る機会がないですよね。
昨年は書いていない気候について調べました。元ソビエトとはいうものの、中東にも近いため雨が少なく乾燥しているようです。確かに街並みをみるとそんな感じがしないでもない。F1に雨は天敵、F1屈指のハイスピードサーキットはドライ環境で観たいです。昨シーズンにボッタスがドライブしたウィリアムズFW38で、マクラーレンMP4-20が2005年モンツァで記録したF1最高速度記録を11年振りに更新しました。今シーズンのマシンはラップタイムは向上しますが、マシンもワイドでダウンフォースも増加しているので、最高速度更新は難しいかもしれません。レコードホルダーのロズベルグは今年はいませんし、歴史も浅いので名を刻むチャンスではあります。

《ブランズ・ハッチ》
  所在地 :イギリス ケント州
州域人口:178万人
州域面積:3500㎢
標準時差:UTC-1:00 EDT(日本から-8:00)
  F1開催 :1983,85(ヨーロッパGPとして2回)
一周距離:4.207km
初代優勝:N・ピケ(ブラバム)
最多優勝:N・ピケ、N・マンセル(1回)
最多P.P. :E・デ・アンジェリス、A・セナ(1回)
最速P.P. :1分07秒169 A・セナ(1985)
最多F.L. :N・マンセル、J・ラフィー(1回)
最速F.L. :1分11秒526 J・ラフィー(1985)

《ニュルブルクリンク》
  所在地 :ドイツ ラインライト・プファルツ州
州域人口:406万人
州域面積:2万㎢
標準時差:UTC+2:00 EDT
                (日本から-7:00)
  F1開催 :1984,95,96,99〜07
                (ヨーロッパGPとして12回)
一周距離:4.542km(1984)
                  4.556km(1995〜01)
                  5.148km(2002〜07)
初代優勝:A・プロスト(マクラーレン)
最多優勝:M・シューマッハ(5回)
最多P.P. :M・シューマッハ(5回)
最速P.P. :1分14秒960 M・シューマッハ(2001)
                  1分28秒351 M・シューマッハ(2004)
最多F.L. :M・シューマッハ(5回)
最速F.L. :1分18秒354 J・P・モントーヤ(2001)
                  1分29秒468 M・シューマッハ(2004)

《ドニントン・パーク》
  所在地 :イギリス イースト・ミッドランド
区域人口:445万人
区域面積:1万6千㎢
標準時差:UTC-1:00 EDT(日本から-8:00)
  F1開催 :1993(1回)
一周距離:4.023km
初代優勝:A・セナ(マクラーレン)
最多優勝:A・セナ(1回)
最多P.P. :A・プロスト(1回)
最速P.P. :1分10秒458 A・プロスト(1993)
最多F.L. :A・セナ(1回)
最速F.L. :1分18秒029 A・セナ(1993)

《ヘレス》
  所在地 :スペイン アンダルーシア州 カディス県
県域人口:124万5千人(ヘレスは21万人)
県域面積:7,435㎢
標準時差:UTC+2:00 EDT(日本から-7:00)
  F1開催 :1994,97(ヨーロッパGPとして2回)
一周距離:4.428km
初代優勝:M・シューマッハ(ベネトン)
最多優勝:M・シューマッハ、M・ハッキネン(1回)
最多P.P. :M・シューマッハ、J・ヴィルヌーブ(1回)
最速P.P. :1分21秒072 J・ヴィルヌーブ(1997)
最多F.L. :M・シューマッハ、フレンツェン(1回)
最速F.L. :1分23秒135 H・H・フレンツェン(1997)

《ヴァレンシア市街地》
  所在地 :スペイン ヴァレンシア州 ヴァレンシア県
県域人口:78万6千人
県域面積:5,840㎢
標準時差:UTC+2:00 EDT(日本から-7:00)
  F1開催 :2008〜12(5回)
一周距離:5.419km(2008〜12)
初代優勝:F・マッサ(フェラーリ)
最多優勝:S・ベッテル(2回)
最多P.P. :S・ベッテル(3回)
最速P.P. :1分36秒975 S・ベッテル(2011)
最多F.L. :S・ベッテル(3回)
最速F.L. :1分38秒683 T・グロック(2009)

せっかくなので過去のヨーロッパGPを少しだけ。ヨーロッパGPは「急な代替GP」と「一国一開催」のルールを上手くかいくぐる、いわば便利な扱いで行われてきました。
ヨーロッパGPは当初1983年にニューヨークで予定していたGPが中止となり、イギリスGPとしてシルバーストンと交互に開催していたブランズ・ハッチが充てがわれたのが始まりです。その後、サーキットの親玉であるニュルブルクリンクのショートコースが新設(破線は北コース)されて、地元M・シューマッハの人気とともに数回行われ、近年はF・アロンソの地元スペインのヴァレンシア市街地でも開催されています。コーナー数がやたら多いティルケデザインですが、案の定パッシングが少なかったわけで、、。
1997年ヘレスでのヨーロッパGPはポルトガルGPの代替でした。また「雨のドニントン」で有名なドニントン・パークでも1993年に行われていますが、実はメキシコGPに代替で日本のオートポリスによる「アジアGP」の計画があったものの経営破綻で頓挫し「さらなる代替」として行われたものでした。ドニントンの劇的な1周目はオートポリスのアジアGPだったらなし得なかったかもしれません。

今シーズンからはアゼルバイジャンGPとなったため、ヨーロッパGPはまた消滅しています。一時増えたアジア勢のF1も徐々に減り始め、今後はニュージャージーをはじめアメリカ大陸系での開催が噂されていますよね。欧州や太平洋ならぬ大西洋の「アトランティックGP」なんかができたりして(笑)

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2017年もまもなく開幕します。というわけで今回は1997年にスペインのヘレスで行われた最終戦ヨーロッパGPを振り返ります。この時期にまだこんな事書くのか?!まあまあ、開幕まで待ち切れないので場繋ぎです(笑)場繋ぎとはいえ、このレースはチャンピオン決定の重要なレース。さらに予選では「珍事」もみられる内容でした。マシンがワイドになる今シーズンと比較しても全幅は同じ2,000mmとこの時代あたりに近い感じかなと今回この年をチョイスしました。20年振りのワイドなマシン。裏を返せばこの時代はもう20年も前になるんですね。早いなぁ。。

1997年を振り返るのは初めてです。この年は前年のデビュー年に早くもチャンピオン争いに絡んできた二世J・ヴィルヌーブが再びウィリアムズでリベンジを図り、フェラーリ移籍2年目のM・シューマッハとガチンコ対決となりました。ランキングトップはシューマッハで78ポイント。2位がヴィルヌーブで77。シューマッハが優勝すれば文句無しの3回目チャンピオン。一方ヴィルヌーブは日本GPでのチャンピオン決定が失格により帳消し。ただ優勝回数で有利な同点でチャンピオンになれるため、この時代のポイント付与から考えれば、チャンピオンになるためにはシューマッハより前でゴールする必要があります。当のチャンピオンD・ヒルはウィリアムズから格下のアロウズに移籍したこともあり、チャンピオン争いからは退いています。

レース前の会見では、ヴィルヌーブとシューマッハからこんな言葉が交わされていました。ヴィルヌーブは前回の日本GPでの失格処分を受けて「このヘレスで故意に事故を起こすようなことはない」
シューマッハからも「僕らだけではなく、ファンのみんなもクリーンな争いを見たいはず」言いましたね、その言葉。皆さん、よく覚えておいて下さい。

さすがにチャンピオン決定の舞台だけあって、フリー走行からフェラーリのアーバインがヴィルヌーブの走行を妨げ、ピットで一触即発の様相がみられました。アーバインのこの顔、お主も悪よのう。

このレースの見どころは大きく2つ。1つ目は予選で訪れます。まずヴィルヌーブが勢いそのままに1分21秒072のトップタイムを出します。
続いてチャンピオンに最も近い位置にいるシューマッハがなんとヴィルヌーブと1/1,000まで同じの1分21秒072。
さらにこの年からチャンピオンマシンに乗るシューマッハと同門のフレンツェンも同タイムとなる1分21秒072!
もっと昔はわかりませんが、観戦している中でこんなピッタリ同じタイムが3人も並ぶ予選は他に知りません。かなりのレアケースです。こうなった場合はいち早くそのタイムを出した者に優先権が渡ります。ヴィルヌーブは今の順位を守ればチャンピオンが確定します。

《予選結果》
1 J・ヴィルヌーブ(ウィリアムズ・R・GY)
2 M・シューマッハ(フェラーリ・F・GY)
3 H・H・フレンツェン(ウィリアムズ・R・GY)
   ※GYはグッドイヤー


決勝のスタートは肝心のヴィルヌーブが失敗して3位に陥落。よりによって負けてはいけないシューマッハにトップを許してしまいます。シューマッハが逃げに逃げる姿をみて2位に浮上したフレンツェンが2位をヴィルヌーブに譲りましたが、シューマッハの前に出なければチャンピオンには届きません。


両者早めのピットストップはほぼ似たタイミングとしてオーバーカットもアンダーカットもできない状態に。シューマッハはピットストップを引っ張るフレンツェンに前を塞がれて独走を許しません。フレンツェン、グッジョブ!

2回目のピットもシューマッハが先、ヴィルヌーブが続きます。ヴィルヌーブは本線を走るクルサードにかわされてしまいますが、マクラーレンの2人は「チャンピオン争いの邪魔はしない」としてクルサードを上手くピットに呼び込み、いよいよシューマッハ VS ヴィルヌーブの舞台が整いました。
このレースの一番の見どころはペースが落ち着いてきたトップのシューマッハに対し、ハイペースでヴィルヌーブが詰め寄る48周目の6コーナー「ドライサック」でアウト側のシューマッハはインにいるヴィルヌーブに
あ、完全にステアリングをインに切って、ヴィルヌーブのサイドポンツーンにドカン、と。
「無駄な抵抗」をしたシューマッハはサスペンションを壊し、グラベルでストップ。ヴィルヌーブはトップを死守しています。この瞬間にシューマッハはノーポイントとなるため、1ポイントの6位にさえなれればヴィルヌーブのチャンピオン決定です。シューマッハはなんであんなにステアリングを切ったの?!ぶつかって自滅ですよ?

最後はチャンピオン争いを邪魔しないと話したマクラーレンの2台がヴィルヌーブを追いかけ、最終69周目にハッキネン、クルサードがかわして1997年シーズンが閉幕しました。ハッキネンはこのレースが当時の歴代最遅の99戦目で初優勝でした。
ロン・デニスは優勝したハッキネンの前にヴィルヌーブを祝福。ハッキネンの初優勝、いやエイドリアン・ニューウェイをマクラーレンに渡してくれた、お礼かな?!後々それが効いてしまうのですが。

《決勝結果》
1 M・ハッキネン(マクラーレン・M・GY)
2 D・クルサード(マクラーレン・M・GY)
3 J・ヴィルヌーブ(ウィリアムズ・R・GY)

優勝したハッキネン、2位のクルサードに肩車される3位のチャンピオン。F1僅か2年目、33戦目の初戴冠は同じく2年目に獲得したハミルトンの35戦目より早いです。父のG・ヴィルヌーブが届かなかった夢を息子が叶えました。
そしてこのレースをもって片山右京もF1人生を終えました。F1決勝94戦走行は現在でも日本人最多記録となっています。

F1は無事に終えたものの、まだコヤツの「例の動き」問題は続きます。シーズン終了後に呼び出し、そして裁定が降りました。
「1997年のドライバーズポイント全剥奪」
過去にこんなに呼び出しを食らい、出場停止や失格を繰り返したドライバーいたでしょうか。レース前の会見で「クリーンな争いをする。事故によるチャンピオン決定を望まない」と会見したのに、約束を果たせませんでした。この問題児が!(ファンの方、すみません!)それだけ速かったし、勝ちにこだわるあまり表現が過ぎてしまい、シューマッハの1997年シーズンは「いなかったこと」になっています。

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引き続き「過去のレース」は今回2005年にニュルブルクリンクで行われたヨーロッパGPです。2005年は長らく続いた「青天井」のパワーと高回転数で甲高いエキゾーストノートを轟かせた3.0ℓのV10最終年で、ミシュランタイヤを履くチームがブリヂストンタイヤ勢を凌駕するシーズンでした。また今とはピットの目的も全く逆「給油を行うためであり、タイヤ交換は原則禁止」ということで、タイヤの扱いとその性能に依り、少し前に振り返った翌アメリカGPでは「事件とボイコット」が起きる騒ぎも あった時代でした。
レッドブルのベテラン、クルサードも「フラットスポットを作ってしまったタイヤを扱うのは困難。タイヤ交換すればペナルティが重いため我慢して走り切るしかない。これはスポーツとしてよくない」と骨格なぞりながら不満を語りました。レースをタイヤで縛る、縛るのがF1とはいえ、確かに本来のモータースポーツからみたら厳し過ぎます。このレースもその「本来の速さを競う目的より、タイヤの取り扱いとレギュレーションの厳しさ」を絵に描いたような内容でした。


予選は土曜の一回きり。それも前レースの順位の悪かった順に1人ずつ出走する方式。当然ながら先にアタックする下位勢は路面ができていなく、後から走れば路面もラバーに乗り、ライバルのタイムを知った上でアタックできます。第4戦サンマリノGPで燃料タンク違反の出場停止から復帰するBAR・ホンダからアタックを開始。チャンピオンのフェラーリ、M・シューマッハはトヨタのトゥルーリにすらだいぶ離された4番時計、結果10番手。
その後ウィリアムズのウェバーがBMWパワーでトゥルーリを上回り、前戦モナコGP2位のハイドフェルドがガソリン少なめでそのウェバーも上回りトップに。
モナコ優勝の最終走者マクラーレンのライコネンはザウバー時代の先輩に0.1秒届かず、ハイドフェルドがF1キャリア初かつ唯一のポールポジション獲得。
ヨーロッパGPとはいえドイツのニュルブルクリンク、ハイドフェルドもドイツ、BMWもメルセデスもドイツと地元からみて幸先のいい土曜日でした。

《予選結果》
1 N・ハイドフェルド(ウィリアムズ・B・MI)
2 K・ライコネン(マクラーレン・M・MI)
3 M・ウェバー(ウィリアムズ・B・MI)
   ※BはBMW、MIはミシュランタイヤ


互いにミシュランを履く2001年ザウバーコンビ、うまくパワーのメルセデスに転向したライコネンとメルセデスから選ばれず、こちらもパワーなら負けないBMWに乗っかる形をとった2人のフロントロウ対決は、
ライコネンの勝ち。ハイドフェルドも2位は守り3位以下を離しつつ追います。5番手からスタートダッシュを決めたモントーヤが早めにターンインしたため3番手のウェバーと接触、後続を大いに巻き込み順位をシャッフルさせてしまいます。

トップのライコネンはガソリン多めの2回ストップ、一方ハイドフェルドは予選から軽タンクで決勝は3回ストップの目論見です。ハイドフェルドが先にピットインし、復帰後はルノーのアロンソの後ろへ。
アロンソは予選より決勝のロングラン重視でガソリンたっぷり。ピットインを粘り上位に上がってきました。

後半になるとライコネンのコースオフが目立ちます。実は34周目に周回遅れにすべくザウバーのヴィルヌーブをパスする際に第1コーナーでタイヤロック。恐れていた「フラットスポット」を作ってしまい、マシン制御に苦戦する羽目になります。せっかくピット1回分少ないのにハイドフェルドにパスされて優位性が水の泡。

写真では全く伝わりませんが、オンボードカメラでもガタガタ揺れているシーンを感じる程、周回を重ねる毎にフラットスポットは悪化していきます。
残り16周でライコネンが最後となる2回目ピット。タイヤマンも用意はしていましたが交換見送り。クルサードの語っていた「ペナルティによるポジションダウン」を嫌いました。

何とかトップのまま復帰し「時限爆弾」を抱えたライコネン。残り周回をしのげるのかタイヤバーストが先か、はたまたピットを遅らせてハイペースのアロンソにペースダウンで抜かれるか試練の走りになります。
アロンソが真後ろまで来てプレッシャーをかけ始めたファイナルラップ、、
爆破!
抜かれるわけでもバーストでもなく、カーボン製サスペンションが根元から振動による脆性破壊しました。第1コーナーでBAR・ホンダのバトンにスレスレで直進しジ・エンド。優勝は予定通りピット回数でハイドフェルドより優位に立った追い込みのアロンソです。キミ、ごっつぁんです!

《決勝結果》
1 F・アロンソ(ルノー・R・MI)
2 N・ハイドフェルド(ウィリアムズ・B・MI)
3 R・バリチェロ(フェラーリ・F・BS)
   ※BSはブリヂストンタイヤ

パルクフェルメで「よく頑張ったね!」とタイヤを労うアロンソ。ココを確実に取るのもチャンピオンになる重要なファクター。
初優勝のチャンスを失ったハイドフェルドも残念だったし、ライコネンは後に日本GPでファイナルラップで逆転優勝したものの、コレもファイナルラップ。結果このレースは11位扱いにはなりましたが、このレースを落としたのは大きかったと思います。最速といわれたMP4-20もエンジンブローやレギュレーションに則せなかったのが相当頂けなかった!
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この前のトロ・ロッソと同じパターンで名車の代表レースをそのまま続けてしまいます。前回のスチュワートSF3の代表レースは唯一の優勝とダブル表彰台を獲得した1999年の第14戦ヨーロッパGPです。この年のヨーロッパGPはニュルブルクリンクで、いわゆるドイツ国内のダブル開催のズルいパターンです。さすがに1999年まで遡ると、現役の正ドライバーとして1人も残っていません。

前に1999年の日本GPを振り返りましたが、その2戦前にあたり、チャンピオンシップはハッキネン、アーバイン、フレンツェンとクルサードの4人がまだしのぎを削っている頃、とても重要な一戦です。


予選は雨あがりでチャンピオン連覇を図るハッキネンの7戦連続ポールポジションが途絶え、チームメイトのクルサードでもなくジョーダンのフレンツェンにさらわれてしまいます。無限ホンダ初のポールポジションです。他、チャンピオン争いをしているクルサードが2番手、ハッキネン3番手、アーバインに至っては9番手と大きく離れました。

《予選結果》
1 H・H・フレンツェン(ジョーダン・MH)
2 D・クルサード(マクラーレン・M)
3 M・ハッキネン(マクラーレン・M)
   ※MHは無限ホンダ



決勝のスタートは晴れました。スタートの直前にミナルディのM・ジェネがストールしてしまい仕切り直し。2度目のスタートでフレンツェンに続いたのは3番手スタートのハッキネンでした。同点のアーバインが後方に甘んじているうちに引き離しを目論みます。
ただ、11番手スタートだったベネトンのヴルツがザウバーのP・ディニスを突いてしまい、ディニスは宙を舞って
天地がひっくり返ってしまいます。エアインテークにあるロールバーも全く意味を成さずにこれでは出られません。この時代にハロが欲しかったですね。当然セーフティカー発動です。


セーフティカーが退去すると、予選を台無しにした雨がまた訪れます。そこで2番手のハッキネンから20周目に真っ先にレインタイヤに履き替えます。ここからさらなる波乱への幕開けに。

雨が止み路面が乾き始め、ライバルから出遅れたアーバインはピットで用意していたレインタイヤから急遽ドライタイヤを装着するも用意がなくもたつきます。
乾き始めたということは、レインタイヤのハッキネンは当然ペースがズタボロです。交換せず待ったフレンツェンとクルサードに引き離されていきます。

33周までドライタイヤで頑張ったフレンツェンとクルサードは同時ピットとなり再びドライタイヤへ。順位は変わらずフレンツェンが前でピットアウトして間もなく、出力が無くなってリタイヤしてしまいます。
トップがクルサードになると、また雨が降り始め、せっかくの新品ドライタイヤでコースオフしてフロントウィングを壊してリタイヤ。

次のトップは若きベネトンのG・フィジケラに変わります。初優勝のかかるフィジケラも49周目にコースオフしてリタイヤ。今ではなかなか見られなくなった、ステアリングを投げて悔しい悔しい!
次のトップも同じく初優勝のかかるウィリアムズのR・シューマッハ。怪我で休む兄の分まで頑張ると地元で力も入りますが
右リヤタイヤがバーストして戦線離脱。このレースはトップになると何かに取り憑かれたように不運が起きます。

50周目、5人目にトップになった「被害予定者」は予選14番手だったスチュワートのJ・ハーバートでした。まさかこのチームのベテランにトップが舞い込むと思いませんでした。幸いにもハーバートには不運はなく、今回はそのまま久し振りに表彰台の頂点に選ばれました。

《決勝結果》
1 J・ハーバート(スチュワート・FC)
2 J・トゥルーリ(プロスト・P)
3 R・バリチェロ(スチュワート・FC)
 ※FCはフォード・コスワース、Pはプジョー


2位と3位は若手同士でトゥルーリとバリチェロが接近した争いをしていましたが、トップのハーバートは荒れに荒れたレースで20秒以上の差をもって余裕で4年振りの3勝目をスチュワート初優勝としました。ベテランが「慌てずしっかり仕事をした」感じです。
肝心なチャンピオン争いしているメンバーはハッキネンの5位2ポイントのみで、この2ポイントが後々「大きな意味」を持ちます。こういうところで、例え小さかろうがポイントがあるかないかが重要だったということを示します。
また、チャンピオン争いと無関係なスチュワートが14,15番手スタートから1位と3位を獲得し、2位も大穴プロストのトゥルーリが10番手スタートから初表彰台という、シーズン終盤でなかなかハラハラする一戦になったと思います。


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アゼルバイジャン美人?から入ります。当然ご本人には無許可ですが「あなたの美貌を是非皆さんにご披露!」の体で許して下さい。先日のロシアとも近いので似ていますが、中東にも近いせいか若干エキゾチックな感じな面持ち。

コースオフ時の逃げ代が少ない市街地サーキットでも、速度が高くオーバーテイクのチャンスが大いにあり得る。ということで、予選は不作に終わったハミルトンと残念ながらペナルティでフロントロウスタートを失う形になったペレスの追い上げに期待したいです。本当にココは狭いですね。


スタートから接触がいくつかあるんじゃないか?!と見守っていると、上位はなかなかスムーズに進んでいます。フリー走行や予選からあれだけオーバーランやウォールに当たるの見ていたら、プロ達ならなおさら警戒しますよね、意外とお行儀がよろしい。

燃費やブレーキの扱い、オーバーランに注意の必要があるものの、路面が平滑でタイヤに優しい故、フェルスタッペンは51周レースの僅か6周目にタイヤ交換に入ります。ソフトタイヤでたった1回のタイヤ交換で走破できてしまうという。
結果、レッドブルとトロ・ロッソはもう一度入り、都合2回のピットにはなりましたが、ピットストップが少ないのもレースの駆け引きとしては減ってしまいがちです。先日のウルトラソフトタイヤにも言えることで、2019年シーズンまでF1にタイヤを独占供給することが決まったピレリさんにはもう少しタレの早い、寿命が短いレンジを考えてもらいたいと切実に思います。


予選ではレッドブルのリカルドにお株を奪われてしまったフェラーリのライコネンは、リカルド攻略を前に要らんミス
急遽延長したピットインの白線をまたぎ、5秒加算ペナルティを食らってしまいます。確かに波を打つ見にくい路面にリカルドに近付き、スリップストリームに入りたいのはわかるけど、、。
相方ベッテルはペナルティでなくコースから青いゴミをもらっています。


予選、決勝の2日間はハミルトンは不運というか不調というか、だいぶ精彩を欠いていましたね。10番手スタートから無線で問答を繰り返し、前を行くメルセデスエンジンを積むマシンを根気よく1台ずつさばく苦しいレースになりました。一人旅にさせてしまったテレビにも映らないロズベルグとの差をこれ以上広げるわけにもいきません。

確かにオーバーテイクは数多くみられました。でも荒れるかな?セーフティカー出るかな?と波乱を予想していた割には完走率も特別低いわけでもないし、周回遅れもそう目立たないと、燃費を気にしているだけの刺激少なめな初開催だったと思います。ペレスはタイム繰り上げでなく、しっかり最終周にライコネンをパスして正真正銘の3位表彰台でした。そして1ヶ月半振りのよいしょ〜!


《決勝結果》
1 ロズベルグ(メルセデス・M)
2 ベッテル(フェラーリ・F)
3 ペレス(フォース・インディア・M)


《第8戦ヨーロッパGPのポイント》
・個人的な栄冠はロズベルグでなくペレス!
・この市街地サーキットは他と一味違う
・ベッテルのピット渋りは結果オーライ!
・ピット1回は刺激の少ないレースに繋がる


表彰式直前にロズベルグの顔にヒット!笑いました。坊っちゃま一瞬しかめっ面。レース中のウォールヒットでなくてよかった(笑)


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