F1 えきぞーすとのーと

よくあるニュースネタやこ難しいテクニカルな話ではなく、メインは予選や決勝のTV観戦したそのものを個人的観点から綴るF1ブログです。  また、懐かしのマシンやレースを振り返ったり、記録やデータからF1を分析。その他ミニカーやグッズ集めも好きなので、それらを絡めつつ広く深くアツくF1の面白さやすごさを発信し、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

タグ:ヨーロッパGP

F1チームの中には同じチームで同じマシンに乗っていても「平等に勝利やチャンピオン獲得の可能性を与えるところ」と「優劣をはっきりさせてるところ」に分かれます。人間はみな平等、スポーツは「腕や技術(時には運)」により結果が競われるものでなければなりませんが、チームとしてシーズンの勝利を得るためには、時には後者の考えを取り入れる、つまりチームオーダー発令が許されているのが現状です。近年のレースでもそれが発令されるのか否かハラハラしながらレースを見守ることもありますが、このレースもどうなるか最後の最後まで目が離せませんでした。今回は2002年にニュルブルクリンクで行われた第9戦ヨーロッパGPを振り返ります。このシーズンはこの先の第12戦にホッケンハイムリンクでドイツGPを控えていたため「ドイツでの二開催の一開催目」という位置付けになります。

このシーズンは全17戦が予定されていましたので、このレース数的には「シーズン後半戦初戦」ということになります。シーズン5回目のチャンピオンを狙うフェラーリのM・シューマッハがここまでに四連勝を含めた計6勝を挙げ、ポイントランキングトップの70。残りの2勝のうち第2戦マレーシアGPで優勝したウィリアムズのR・シューマッハが27ポイントでランキング2位。マクラーレンのクルサードは第8戦モナコGPで優勝を挙げ4位26ポイントと続いており、未勝利ながら27ポイントでウィリアムズのモントーヤも僅差で追従しています。

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古くからドイツGP、またヨーロッパGPの舞台として採用されてきたニュルブルクリンク(GPコース)はこのレースから一部レイアウト変更が加えられました。
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下り坂のメインストレートの先にあるターン1のカストロールSを鋭角化し、サーキット内側にグルリと回り込みアリーナ(メルセデスアリーナ)を通過するインフィールドエリアが加えられたため、一周距離が伸びただけでなく、ターン1攻略の難易度が高くなりました。ドライバーの一人、モントーヤからは
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「スローコーナーは危険。玉突き事故が起きる」のような意見が出ています。モントーヤらしからぬ弱気発言。
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とは言いつつも予選はモントーヤがポールポジション、相方のR・シューマッハが2番手となり、ウィリアムズがフロントロウを独占。M・シューマッハの独壇場をどうにか止めたいところ。そのフェラーリは3番手、4番手の2列目、マクラーレンが3列目、ルノーが4列目とチーム毎にくっきり分かれています。
また、
ジョーダン・ホンダからフル参戦を果たした佐藤琢磨はチームメイトのフィジケラを上回る14番手を獲得しています。

《予選結果》
 1 J・P・モントーヤ(ウィリアムズ・B・MI)
 2 R・シューマッハ(ウィリアムズ・B・MI)
 3 M・シューマッハ(フェラーリ・F・BS)
 ※BはBMW、MIはミシュラン、BSはブリヂストン

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スタートは2番スタートのR・シューマッハの蹴り出しがよく、モントーヤに代わってトップ、と思いきや
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モントーヤが恐れていたターン1で軽く接触。
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その後ろでは黄色いジョーダンの2台、佐藤とフィジケラも接触し、両者傷を負ったまま早々にピットに向かっています。
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「おーい、フロントタイヤ無いぞ。冗談は止めて」

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先頭争いに戻ると、同士討ちしたモントーヤがまずバリチェロの餌食となり、ウィリアムズの壁が脆くも崩れ始めました。
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バリチェロはすぐさまトップのR・シューマッハを捕らえる。
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ウィリアムズの壁崩壊。。早い。。R・シューマッハにとっても母国GPだし、BMWエンジンを積むチームとしてもココが母国。第12戦ドイツGPまで我慢か。
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「母国言われたら、俺もなんだけどね」4位に後退していたM・シューマッハもモントーヤを捕らえて3位浮上。残るは弟と「子分」だからどうにでもなるかな。
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3周目にR・シューマッハをパスして、早くもフェラーリがワンツー体制となります。
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逃げていたバリチェロにみるみる近付くM・シューマッハIMG_5053
ほら、いつ指示を出すの?!早かれ遅かれ出すんでしょう。とシナリオを先読みした途端に
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M・シューマッハはテールを滑らせてランオフエリアに吸い込まれる。
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「ん?!まだ早いか、様子をみよう」
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一応ピットに戻ってルーティンの給油とチェックを行って全く問題無し。トラックインしてもR・シューマッハのやや前で復帰できて2位のまま全く問題無し。

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多めの燃料搭載量で1回ピットを企てていた4位モントーヤはマクラーレン2台に突かれっ放し。
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メルセデスエンジンを搭載するマクラーレンからしてもドイツは半母国。ベテランの腕で猛獣をねじ伏せるか?!
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27周目のターン1でクルサードが並びかける。ブレーキング勝負!
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触れぬままイン側でテールを滑らせるモントーヤ
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アウト側のクルサードにヒットしてクルサードの右フロントサスペンションはひん曲がり、両者ココでリタイヤ。モントーヤは危惧していたターン1で2度目の接触となります。
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DC「はいはい、やってくれましたよ。と」
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JM「は、何が『はいはい』だ。意味わかんねー」
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アウトから攻めるのは危険だけど、君のためにスペースを空けたとニヤけながら語るクルサード
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ぶつけにいったのではなく、マシンが既にスライドしていて、不可抗力だったと語るモントーヤ。不敵な笑い。
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一番得したのは5位を走行していたマクラーレンのライコネンでした。前方の2人が消えたお陰で労せず3位に浮上。

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再び徐々に背後に忍び寄るM・シューマッハ。
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モニター前でこちらも笑みをこぼすロス・ブラウン。例の「指示」は下るのか。
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勝ったのは、どっち?!

《決勝結果》
 1 R・バリチェロ (フェラーリ・F・BS)
 2 M・シューマッハ(フェラーリ・F・BS)
 3 K・ライコネン (マクラーレン・M・MI)

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バリチェロでした。フェラーリ移籍3年目、F1で2勝目を挙げました。初優勝は2000年にホッケンハイムリンクで行われたドイツGPと、何かと相方の母国「ドイツ」に縁のある方です。それにしても、3年在籍してもようやく「2勝目」って、どれだけ我慢させられたことか。バリチェロの後ろでは「今回くらいはまあ、いっか」的な表情のエース。そして3位ライコネンはF1で2回目の表彰台登壇なんですが、相変わらずの素っ気なさ。貰い表彰台とはいえ、若いんだしもっと喜びなよ(笑)

この週末金曜日は日韓共同開催のサッカーワールドカップのベスト4を決める試合があり、イングランドとブラジルの対戦で見事ブラジルが勝利を飾っています。F1にサッカー、ブラジル国内では沸きに沸いた一日になったことでしょう。
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PS「ワシはブラジル関係無いけど、、まあ、いいか」

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今週末は先日のモナコGPに引き続き市街地かつ2年振りの開催となるアゼルバイジャンGPですね。いつもの過去のは、、まだ歴史が浅く、アゼルバイジャンGPのレースは全てリアルタイムで取り扱ってしまっていますので、今回もやっぱりヨーロッパGPをやりたいと思います。ニュルブルクリンクで行われた2003年第9戦になります。2003年は今回で5回目。フェラーリのM・シューマッハ&フェラーリの独壇場の時代ながらなかなか熾烈な争いを繰り広げた面白いシーズンの一つです。もしかしたら今シーズンも突如アイフェルGPみたいなものがポッと出てくる可能性もありますが、それはその時また考えましょう。
2003年は現在も活躍するアラフォーの2人、ライコネンとアロンソが若手として参戦していた頃になります。このレースの前までの戦績をみていくと、M・シューマッハが4勝を挙げ54ポイントでランキングトップを突き進む中、第2戦マレーシアGPで初優勝を果たしたマクラーレンのライコネンが51ポイントのランキング2位で続いています。またポイント差は大きく優勝こそないものの、浪人から明けルノーで2年目を過ごすアロンソが34ポイントのランキング3位につけています。M・シューマッハが完全掌握するF1も少しずつ若手の台頭により世代交代の予感を覚えます。

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ニュルブルクリンクはシューマッハ兄弟にとってはホッケンハイムリンクよりも実家に近いということもあり、シューマッハを応援する旗が一際増えます。ただ母国なのは何もシューマッハ兄弟だけではありません。マクラーレンのエンジンサプライヤーであるメルセデス、またウィリアムズのエンジンサプライヤーであるBMWにとっても母国。自慢のパワーを武器に「紅の壁崩壊」に立ち向かう所存です。

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予選はいつもの、、と思いきや、驚くなかれ参戦43戦目のライコネンが0.032秒の僅差でM・シューマッハを打ち破り、初ポールポジションを獲得。メルセデスにとっても嬉しい話題です。2番手のM・シューマッハに続く3番手はウィリアムズ・BMWのR・シューマッハ、4番手には同じくウィリアムズのモントーヤとフロント4台が何らか「ドイツ絡み」で占めています。アロンソは先輩の相方トゥルーリに少し及ばずの8番手となりました。

《予選結果》
 1 K・ライコネン (マクラーレン・M・MI)
 2 M・シューマッハ(フェラーリ・F・BS)
 3 R・シューマッハ(ウィリアムズ・B・MI)
 ※MIはミシュラン、BSはブリヂストン、
  BはBMW


初めてのポールスタートとなったライコネンは慌てることなくスムーズな加速をみせていきます。
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まあまあ、まずは泳がしてみようと2番手から様子をうかがうM・シューマッハは、あれれ?!
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左、左。弟が!
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ドイツのエンジンを載せるドイツ人がドイツ人をかわしていく。向こうはダブルドイツですからね、弟だし後でどうにでもなるかな。

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ライコネンは14周目に1分32秒621のファステストラップを刻み、快調にギャップを築いていきます。16周目にピットを終え、一度R・シューマッハにトップを譲り暫定2位になるものの、R・シューマッハがピットに入ればまたトップに返り咲き、このレースは堅くポールトゥウインになるかと思われた矢先の25周目
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絵に描いたようなエンジンブロー。レースの半分も保たず、メルセデスの地元で派手な白っ恥をかいてしまいました。
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水で我慢。お酒は2回目の優勝までお預けね。

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43周目、4番手からのスタートを失敗したモントーヤがようやく暫定3位のM・シューマッハを捕らえようとしています。右に振り
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左に振りといつでも応戦する構え。
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M・シューマッハ相手となると何をしでかすかわからないモントーヤをベルガーとBMWのタイセンも固唾を呑んで見守る。
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アウト側から仕掛けたモントーヤの右フロントとM・シューマッハの左フロントが接触し、IMG_9857
M・シューマッハがスピン!
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サーお決まりのあんぐり
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M・シューマッハはコースマーシャルの手を借り、何とかトラック復帰。当然ロス・ブラウンらフェラーリ陣営としては抗議したいところですが、レーススチュワードは不問、M・シューマッハはモントーヤはスペースを確保した上でのバトルであったと認めました。M・シューマッハはこのアクシデントにより6位まで降格、結果5位でレースを終えました。

エンジン都合によりリタイヤを強いられたライコネンをデニスは暖かく迎え入れています。IMG_9859
「今日は残念だった。さあ先輩の走りを見なさい」

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そんな先輩クルサードは60周レースの57周目に4位走行のアロンソを捉えます。IMG_9861
これが思いの外、ブレーキングが早くクルサードは衝突回避で右にステアリングを切るIMG_9863
アロンソとの衝突は免れたものの、先輩はグラベルに捕まる。IMG_9864
「何だよ今のブレーキング。近頃の若いヤツは」

あまりいい見本になりませんでした。一応完走扱いの15位フィニッシュ。

レースは見事なスタートダッシュを決め逃げ切ったR・シューマッハがシーズン初勝利、自身5勝目を挙げています。
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《決勝結果》
 1 R・シューマッハ(ウィリアムズ・B・MI)
 2 J・P・モントーヤ(ウィリアムズ・B・MI)
 3 R・バリチェロ (フェラーリ・F・BS)

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「ボクにとっても母国なんだい!」
チャンピオン争いを繰り広げる若手ライコネンにポールを奪われ、スタートで出遅れてモントーヤに弾かれたM・シューマッハ。さらに若手アロンソに軽くあしらわれてスピンを喫したクルサードと若手に翻弄されたGPでした。最終的にはこのシーズン、翌2004年ともチャンピオンを獲得したM・シューマッハではありますが、こうした先輩に立ち向かう若手も徐々に現れ、世代交代の波は少しずつ訪れるのでした。

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今回の過去のレースはアゼルバイジャンを振り返るにはまだ日が浅過ぎる、ということでヨーロッパGPの一つ先輩、まだ今まで振り返ってこなかったヴァレンシア市街地で行われた2012年第8戦ヨーロッパGPにしました。最近よくこのブログで口にする「一国二開催」の現時点最終のGPです。2012年は近年稀にみる混戦で面白かったので、取り扱うこと7回目になります。それでも前回は一昨年のアメリカGP前でしたのでmiyabikun1年半我慢しましたよー。さすがに8年前となればまだ今でも現役をしているドライバーが沢山活躍しています。
シーズン7戦まで終えて、2年連続のチャンピオンを獲ったレッドブルのベッテルは2回の表彰台こそあるものの、優勝は第4戦バーレーンGPの1回に止まり、平凡な序盤戦で3連覇獲得の雲行きが怪しくなっていました。ただしライバル達も突出した者がいるわけではなく、開幕戦のバトンをはじめ、マレーシアはアロンソ、中国で初優勝のロズベルグ、スペインで初優勝のマルドナド、モナコで2勝目を挙げたウェバー、そしてカナダのハミルトンと皆1勝で並び横一線でヨーロッパGPを迎えました。このレースで誰が2勝目を挙げるのか、はたまた新たな優勝者が加わりさらなる混戦に向かうのか、様々な期待を背負っています。
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ヴァレンシア市街地はまるで温暖なリゾードのような貨物港を改良して設置されたサーキットです。幅員は広めですが、パッシングポイントは限られているため、歴代でも平凡なレース内容に終わることが多くありました。しかしヴァレンシア最終年の12年決勝は実に大荒れ。出来事全てを書けないくらい盛り沢山であったため、あまりジロジロ見ていないで予選はサラリと終えておきましょう。

予選はQ1はスペインGPでの初優勝の勢いそのままにウィリアムズのマルドナドが1位通過。Q2では初優勝が待たれるロータスの若手グロージャンが1位で通過し、予選も混戦の装いで進行していきます。スタート位置が決まるQ3はようやく真打ち登場とベッテルがハミルトンを0.3秒引き離すポールポジションを獲得。シーズン2勝目に向けた準備は万端です。マルドナドやグロージャンも好位置につけ、上位はロータス2人を除くと各チーム1人ずつがシングルグリッドに並ぶという結果となりました。ザウバーの小林可夢偉はその中に混ざる7番手を獲得、期待の地元アロンソはQ2突破ならず11番手止まり、マルシャに移籍したグロックは体調不良により予選に参加できませんでした。

《予選結果》
 1 S・ベッテル (レッドブル・R)
 2 L・ハミルトン(マクラーレン・M)
 3 P・マルドナド(ウィリアムズ・R)
   ※タイヤはピレリのワンメイク

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ポールスタートのベッテルは順調な加速をみせ、早くもお得意な逃げ逃げ戦法を採りつつあります。また5番手スタートとなったロータスのライコネンの蹴り出しは良かったのですが、位置取りが悪く7番手スタートの小林に先行されています。小林は5位浮上でなかなかの滑り出し。
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しかし両者は15周目に1回目のピットインが重なり、6秒近くかかりもたついた小林はライコネンに先行を許してしまいます。せっかく1周目に前に出たのに、もったいない。

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このレースは中団に埋もれる形となった地元アロンソは1周目で3人抜きに成功、毎周着実に順位を上げて1回目のピットインで暫定3位に浮上してきました。何せ国代表を背負っていますからね、力が入ります。
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本線に戻ればライコネンと小林の前となる9位に復帰、触れる事なくオーバーカットに成功しています。

トップをひた走るベッテルは2位に1周で1秒近くギャップを築き、17周目の1回目のピットを終えてもトップで本線復帰しています。完全なる逃げ状態。いいんですよ、例え面白くなくともそれはポールスタートの特権ですからね。徐々にタイヤ交換を終えて順位がシャッフルされると、まだ交換していないドライバーの遅いラップにつかえることとなります。IMG_3370
12番手スタートだったメルセデスのシューマッハはタイヤがズルズルする中「電車ごっこの運転手」になってしまっています。後ろから速い車が集まり、まるで走行会みたいだ。抜き辛いヴァレンシア市街地で相手が巧みなライン採りをされてはひとたまりもありません。
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20周目にシューマッハとウェバーが離れて、ようやくレース再開!みんな鬱憤を晴らすかの如く、気持ちの良い加速をみせていきます。
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まずライコネンがウィリアムズのセナをかわす。その隙をねらって小林も狭いインから
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うわ、小林と接触してセナがスピン!裁定はセナがラインを閉めたという事でセナにドライブスルーペナルティとなりますが、正直前を走るのはセナだっには違いないし。うーん小林もちょっと無理があったかな。好調な滑り出しから一転して、要らぬピットインを強いられて順位を落としています。

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レースを見守る彼、どことなくルクレールに似ていますが、今は亡きアニキのビアンキです。この時はフォース・インディアに短期留学中の頃。先輩達は若手に対していい見本にならなければなりませんね。

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レース折り返し間近の27周目にケータハムのコバライネンにトロ・ロッソのベルニュが近付きます。近付きすぎて
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あたかも横につけて文句でも言いに行くかのような接触。優勝経験者コバライネンもナメられたもんだな。両者のタイヤバースト、パーツ飛散によりセーフティカーが発動されます。
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少し早いけど当然ながらその間に2回目のタイヤ交換も終えようという。ハミルトンはジャッキを落とすのが早く、フロントタイヤがひん曲がったまま。
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直す間に同時ピットインのアロンソが横を抜けていく。
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アロンソは4.2秒ストップ、ハミルトンは14.1秒かかり、またもやオーバーカット?成功。暫定3位に。
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トップのベッテルはタイミングが悪く、ライバルより1周遅れてピットに。これは大失敗かな?!
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おお、まだセーフティカーが待ってくれていた。一人ぶっ飛んだ速さでギャップを築いていたことが功を奏しましたね。残念ながらこれでそのアドバンテージは帳消しになるけど。

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34周目にセーフティカー退去、再スタートへ。アロンソはこの時を待っていた。グロージャンを抜いて2位へ。
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後方ではもう一人のフェラーリ、マッサの右側に黒いノーズが入り込む。
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小林が強引に攻め立てた結果、今回は小林が次戦イギリスGPの5番手降格という重いペナルティが下りました。スタートで好位置につけ相方ペレスより前を走っていただけに残念な結末。

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さらに幸運を続けたベッテルにとうとう悲劇が。オルタネーターのトラブルによりスローダウンし、何と11番手スタートのアロンソがトップに立ちます。
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先生お決まりのがっかりポーズ。
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ベッテルはカメラにグローブを投げつけ八つ当たり。ちなみに順位を落としたグロージャンもこの直後にベッテルと同様のオルタネーターによりリタイヤしています。二人ともルノーエンジンユーザーです。

毎年おとなし目なヴァレンシアも今年これでは終わりません。2回目のピットでサゲサゲな気分にさせられたハミルトンは早くもタイヤがズルズルし始めました。後ろから静かにライコネンが忍び寄る。IMG_3406
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忍び寄ること12周、ハミルトンのタイヤが完全に滑り出したことを確認してようやくパス。やっぱり復帰後のライコネンはどこか慎重派というか度胸が無いというか、カドが丸く、鈍い。ハミルトンの背後にはマルドナドの存在もチラついています。何か起きそうな予感(笑)
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アウトから並んで
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コース外から
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ハミルトンを弾き飛ばす!チャンピオン経験者?!そんなモン関係ないね、オレだって優勝経験者だ。
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悔しいことばかりのハミルトンはステアリングを投げ捨てる。最近のドライバーではあまり見なくなった懐かしい光景です。金星を得たマルドナドはレース結果に20秒追加のご褒美がつき、12位入賞圏外へ。
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ウィングを無くしたマルドナドをシューマッハとウェバーがセットでパス。今日のこの年長者二人は何かとコンビで動いています。シューマッハは復帰から3年かかり初の3位表彰台を獲得!

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《決勝結果》
 1 F・アロンソ  (フェラーリ・F)
 2 K・ライコネン (ロータス・R)
 3 M・シューマッハ(メルセデス・M)

あらら、アロンソはこんなところでマシンを止めてしまいました。おまけにマーシャルもマシンに触れているのでペナルティの対象となります。アロンソはマシンにトラブルがあり、あの場で停めたと会見で話していますが、真相や如何に(笑)後方スタートの市街地サーキットでセーフティカーも絡んだジャンプアップ、過去のある出来事を思い出しますが、今回は幸運が重なったとはいえ「魔法」は無し。地道に順位を上げ、隙を狙い賢く戦った誇らしい結果です。シーズン2勝目一番乗りとなりました。
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それにしてもこのメンツは豪華。世代交代が始まっているというのに、その前の代のレジェンドが並べばそれはそれで画になります。ヴァレンシア市街地でのレース、一国二開催の最後を母国優勝という形で飾ったメモリアルレースでした。

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今シーズンは開催絶望かと思われてきたF1ですが、先日オーストリアGPで開幕戦を行う方針が出されました。朗報ですね!今のところオーストリアとイギリスで連続開催するとのことで、異例の一国二開催となります。どんな呼び名になるんでしょうね。第二オーストリアGPとか?!また改めて開幕までに2020年シーズンカレンダーを見直しておかなければなりませんね。

今回実は一年越しである企画を予定していました。勘のいい方ならmiyabikunがやろうとしていたものが薄々お分かりかもしれません。しかし、先週その準備に入ろうとした時、その企画が簡単にできないことが判明してしまい、急遽今シーズンのルーティンとしているコレをやることとしました。今回は対象が少ないから結果はつまらないだろうと避けたかったのにな(笑)かといってまだ開幕もしていないし、一応miyabikunせっせと資料を整理しましたので、いつも通りお付き合い頂ければと思います。
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《バクー市街地の基本情報》
    国名   :アゼルバイジャン
    全長   :6.003km(2016〜)
 コーナー数:20箇所(2016〜)
   開催回数  :4回(2016〜)

F1カレンダーに組み込まれること4回のアゼルバイジャンですね。もう国の位置は覚えましたよね。ロシアと中東と東欧に挟まれたジャンクションです。バクーに面する水辺は名前に「海」と付いていても超デカい湖、カスピ海です。近代的な高層建築と古く味のあるヨーロピアンな建物が融合する都市をハイスピードで巡る市街地サーキットです。開催初年の2016年には「まだ少なからず取り柄があった」頃のウィリアムズが378.0km/hというF1予選最高速度をマークしたこともありました。近年はマシンは進化しつつもレギュレーション変更もあって、そこまで高速度にはなりませんが、依然としてF1カレンダーの中で上位に来る速さを誇ります。では最高速によらない1周の予選ラップはどう変化しているでしょうか。みていきましょう。

《バクー市街地の予選P.P.タイム変遷》
 16 6.003km 1分42秒758 100%    Nロズベルグ
 17 6.003km 1分40秒593   97.9% ハミルトン
 18 6.003km 1分41秒498   98.8% ベッテル
 19 6.003km 1分40秒495   97.8% ボッタス

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グラフ上では一応アゼルバイジャンGPの帯を黒縁にしておきました。しかし単なる識別用に過ぎず、同じレイアウトのバクー市街地には違いないので、全く気にする必要はありません。最高速を叩き出した2016年のボッタスは結局1分45秒246の8番手に終わり、初代ポールポジションは勢い増すメルセデスのロズベルグが獲得しました。一周全長は変わりませんので、16年をベンチマークと定めて残り3シーズンと比較していきます。バクーの天気はいずれも晴れですが、タイムに多少の波がみられつつ、最速は前年の悔しさを払拭すべくメルセデスのボッタスが叩き出しました。17年と19年は近しいタイムなのに、その間の18年が少し遅れました。多少のマシンレギュレーション変更はあったものの、どうしてでしょうか。ハロ分の重量増、空力負荷分?!チームが黒い、いや紅いから?!それともドライバーが横当たりしてくるヤンチャ坊主だから?!(笑)冗談はさておき17年から19年のセクタータイムで比較検証してみます。

・カクカク直角続きのセクター1
 17ハミルトン 18ベッテル  19ボッタス
   35秒437           35秒305          35秒359
・ようこそ世界遺産エリアのセクター2
 17ハミルトン 18ベッテル  19ボッタス
   40秒746           40秒905          40秒400
・とにかく踏め踏めストレートのセクター3
 17ハミルトン 18ベッテル  19ボッタス
   24秒410           25秒288           24秒736
 ●1周ポールポジションタイム
 17ハミルトン 18ベッテル  19ボッタス
   1分40秒593     1分41秒498     1分40秒495

単調なセクター1は三者大きな差はなくも、最新最速のボッタスはセクター2が速いですね。パワーがモノをいうセクター3は18年のベッテルが置いていかれています。19年からは0秒552差で、17年は0秒878の差です。これがつまりメルセデスとフェラーリの出力差なのかな。パワー一辺倒に思われるバクー市街地の攻略方法はボッタスのラップのような「セクター2の処理」がカギを握っているとmiyabikun個人として思います。もちろんパワーがあった方がいいに越したことはないですが。

以上、終わってしまいました。やっぱりバクーの4回では盛り上がりに欠ける?!ですよね、では今回はバクー市街地の1つ前のヨーロッパGPの舞台であるヴァレンシア市街地で同じような検証比較をしましょう。

《ヴァレンシア市街地の基本情報》
    国名   :スペイン
    全長   :5.419km(2008〜12)
 コーナー数:25箇所(2008〜)
   開催回数  :5回(2008〜12)

温暖な気候にオレンジなどでも有名なスペインのヴァレンシア市での一国二開催GPです。時期的にみると08年から12年と決して多くはありませんでしたが、先日のネタで書いたように地元を代表するアロンソによるチャンピオン獲得とF1人気に追従する形で誘致、開催に繋がりました。サーキットレイアウトはトレンドのヘルマン・ティルケ氏が監修し、貨物港をうまく使いリゾート化させるかの如く設置されました。トラック幅は広く確保しつつ市街地特有のウォール際を走る区間など、近代サーキットに準ずる規格ではあったものの、パッシングポイントが少なく、スタートからフィニッシュまで「淡々と平和に」行われることが多かったサーキットでした。

《ヴァレンシア市街地の予選P.P.タイム変遷》
 08 5.419km 1分38秒989 100%    マッサ
 09 5.419km 1分39秒498 100.5% ハミルトン
 10 5.419km 1分37秒585   98.6% ベッテル
 11 5.419km 1分36秒975   98.0% ベッテル
 12 5.419km 1分38秒086   99.1% ベッテル

ヴァレンシア市街地の5回は全て晴天で1周距離は変わりませんでしたので比較は単純です。パワーユニットは2.4ℓV8のみとなります。
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初年08年より翌09年にタイムの落ち込みがみられます。08年まで空力付加物を存分に搭載したマシンは09年からレギュレーションによりダウンフォースを大幅にカット。その代わりに運動エネルギー回生システム「KERS」を試験的に導入するという、F1に改革を迎えた時期でした。序盤はホンダに替わったブラウンGPがKERS非搭載で躍進するも、このヴァレンシア市街地でのヨーロッパGPを迎えたあたりではそのアドバンテージは薄まり、徐々にライバルと接戦になりつつある時期でした。序盤からKERSを搭載し、成熟しつつあるマクラーレンがポールポジションを獲得しています。
一方でヴァレンシア市街地最速を記録したのがその2年後、11年のレッドブルでした。2.4ℓV8時代にメキメキと戦績を上げてきたレッドブルは10年にベッテルと共に初のダブルチャンピオンを獲得、その後ろ盾を演じたのが空力のニューウェイデザインです。先日の上海国際編と同様にRB7は突き詰められたリヤエンドの工夫を武器に成長し続けるベッテルとマッチし、各サーキットにおいて頭一つ飛び出たラップをみせてくれました。パワーこそ一番でなくとも、シャシー側でいくらでも安定したコーナリング性能を維持するという強みがこのレコードタイムに込められています。

ヴァレンシア市街地の予選ラップ比較でした。終わり。やっぱり足りない?!今回はmiyabikunの手抜き回だって?何てことを!ちゃんとグラフまで作って比較したじゃないですか!(笑)、、わかりました。今回はもう一箇所だけやります。これが最後ですよ?!ヴァレンシア市街地のもう一つ前のヨーロッパGPの舞台として活用されたニュルブルクリンク(GPコース)をオマケでやります!

《ニュルブルクリンク(GPコース)の基本情報》
    国名   :ドイツ
    全長   :4.542km(1984,85)
          4.556km(1995〜01)
          5.148km(2002〜13)
 コーナー数:15箇所(2002〜)
   開催回数  :18回(GPコースとして1984〜13)

ニュルブルクリンクといえば、F1ファンのみならずスポーツカーファンやカーゲームファンでもお馴染みのノルトシュライフェ(北コース)が有名だと思います。miyabikunもゲームでは嫌々走った記憶があります。嫌々です。だって狭いしとにかく長いしグニャグニャなんだもん。祖母の家に帰省した山道を思い出させてくれます。名手ラウダが75年にF1での予選ラップレコードを持っていますが、翌年76年に有名な大事故に遭い、安全性の問題もあってF1開催地から外れました。その後、短絡させたGPコースを用いた84年のヨーロッパGPとして復活した時代以降を今回対象としています。また対象をヨーロッパGPに限らず、ドイツGPのものも含めました。こうすれば、もう少し検証のボリュームが増しますね。
レイアウト変更はざっと3回です(細かなものもあったかと思いますが割愛します)まず95年レイアウトで終盤セクターのヴィードルシケインを深めにし、02年に序盤セクターのカストロールSを鋭角化してメルセデスアリーナを新たに設けたことで全長が延びています。参考に以前作図したレイアウトを掲載します。
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 ・1984〜85年 4.542km 緑色(オリジナル)
 ・1995〜01年 4.566km 青色(シケイン改良)
 ・2002〜13年 5.148km 赤色(アリーナ設置)

《ニュルブルクリンクの予選P.P.タイム変遷》
 84 4.542km 1分18秒871 ピケ
 85 4.542km 1分17秒429 Tファビ

 95 4.556km 1分18秒738 クルサード
 96 4.556km 1分18秒941 Dヒル
 97 4.556km 1分16秒602 ハッキネン
 98 4.556km 1分18秒561 Mシューマッハ
 99 4.556km 1分19秒910 フレンツェン
 00 4.556km 1分17秒529 クルサード
 01 4.556km 1分14秒960 Mシューマッハ
 02 5.148km 1分29秒906 モントーヤ
 03 5.148km 1分31秒523 ライコネン
 04 5.148km 1分28秒351 Mシューマッハ
 05 5.148km 1分30秒081 ハイドフェルド
 06 5.148km 1分29秒819 アロンソ
 07 5.148km 1分31秒450 ライコネン
 09 5.148km 1分32秒230 ウェバー
 11 5.148km 1分30秒079 ウェバー
 13 5.148km 1分29秒398 ハミルトン

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第1グループとなる84,85年と10年の時を経た95〜01年までの第2グループは01年以外はタイム上でさほど大きな差も無く1分17〜18秒あたりをさまよっています。01年はフェラーリが最大のライバルであったマクラーレンの低迷によりほぼ「一強時代」に入った頃でしたね。
全長が600m延長された第3グループにあたる02〜13年はタイムも1分29〜30秒台まで増加しています。それも先日のモンテカルロ市街地と似ていて、最速の04年をはじめ、多少の凸凹はありつつも時系列に見合った減少がみられません。マシンの向上とレギュレーション縛りがちょうど良くバランスしていたのでしょうか。

《ニュルブルクリンクの予選P.P.平均速度変遷》
続いて先日のカタロニアやモンテカルロでも行った「全長から割り出した平均速度」の観点からみてみます。

 84 4.542km 207.3km/h 100%   ピケ
 85 4.542km 211.2km/h 101.9% Tファビ

 95 4.556km 208.3km/h 100.5% クルサード
 96 4.556km 207.8km/h 100.2% Dヒル
 97 4.556km 214.1km/h 103.3% ハッキネン
 98 4.556km 208.8km/h 100.7% Mシューマッハ
 99 4.556km 205.3km/h   99.0% フレンツェン
 00 4.556km 211.6km/h 102.0% クルサード
 01 4.556km 218.8km/h 105.5% Mシューマッハ
 02 5.148km 206.1km/h   99.4% モントーヤ
 03 5.148km 202.5km/h   97.7% ライコネン
 04 5.148km 209.8km/h 101.2% Mシューマッハ
 05 5.148km 205.7km/h   99.2% ハイドフェルド
 06 5.148km 206.3km/h   99.5% アロンソ
 07 5.148km 202.7km/h   97.8% ライコネン
 09 5.148km 200.9km/h   96.9% ウェバー
 11 5.148km 205.7km/h   99.2% ウェバー
 13 5.148km 207.3km/h 100.0% ハミルトン

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最も速いのは01年の218.8km/h、続いてルクセンブルクGPとして行われた97年の214.1km/hとなっており、他は速度に変換すると似たような速度域に並ぶ形となりました。ニュルブルクリンクGPコースはスピードやパワーというよりかはテクニカル要素の強いレイアウトであるため、マシンサイズがダウンした98年、ダウンフォースが削られただけでなく気温が低く雨がちだった09年には不利な結果となりました。

オマケにまたオマケで結局長くなってしまいました。F1の無いもどかしい時期の暇潰しに少しは役立てたらいいなと思います。ヨーロッパラウンドの仮スケジュールは整いつつありますが、延期としてもう過ぎ去ってしまったGPの復活はあるのでしょうか。日程的に差し込むのは厳しいかな。

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新型コロナウィルスに翻弄されて、未だ明確な開催に踏み切れないでいる今シーズンのF1。開催可能なサーキットで二回連続開催やら、逆走レイアウト採用だの様々な検討、模索していますね。ファンとしては何らかの形で無事に開幕してくれれば文句は言いませんし、むしろ感謝したいところですが、やはりスタッフや現地観戦するファンの安全が第一。世界を転戦するイベントなだけに感染拡大や批判の対象など無いよう慎重な判断を願いたいものです。
この開催すらできていない状況には反した話題にはなりますが、今までF1では「一国一開催」の原則がある中、様々な工夫と理由で複数開催を行った時代やGPがあります。本来であれば来週は元ヨーロッパGP、現アゼルバイジャンGPの行われる時期です。今回はヨーロッパGPに代表されるF1の「一国二開催以上のGPと変遷」をフォーカスしたいと思います。

まず四の五の言う前に今回はグラフを先に掲載したいと思います。
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これがノンタイトル戦を除き一国二開催以上を行った国とサーキット一覧になります。縦軸は1950年から5年刻みに破線を入れ、色の表現により開催の有無を示しました。何だかモールス信号みたいになってしまいました(笑)いつものグラフや表の2倍の大きさです。ダメですよ、この大きさをA4サイズで印刷したら「小さ過ぎて読めない!」なんて上司に怒られてしまいますよ、A3サイズ縦にしないと(笑)

グラフの見方を説明します。
 濃い色の塗り潰し :その国のメインGP
           ex.鈴鹿での日本GP
 薄い色の塗り潰し :二開催目以上にあたるサブGP
           ex.日本のパシフィックGP
 塗り潰しの無いもの:グラフにないサーキット
           ex.富士、COTAなど
 黒太枠で囲ったもの:「ヨーロッパGP」を強調
 枠すら無いもの  :F1が開催されていない

ケチらずその国で行われた全てのサーキットも並べればよかったのですが、それをやるとA2サイズで印刷しなければならないくらい大きく、さらに煩雑になるので割愛しました。GPは四輪の場合「その国の最高峰の大会」に冠しますので、F1で日本GPを名乗るとF1以外の四輪カテゴリーで日本GPは使えません。二輪は四輪とは別に日本GPが使用できます。また当然ながら一国一開催が原則であるため、何らかの理由で二開催する際は別称を与えて「あくまで一開催である」表現をする必要があります。では以下で各国単位に四の五の書いていきたいと思います。


《イタリア》
 57年第2戦 ペスカーラGP ペスカーラ市街地
 57年第8戦 イタリアGP     モンツァ

F1における最も古い「一国二開催」はイタリアによるものでした。F1制定初年の50年からイタリアGPといえばミラノ郊外にあるモンツァが代表格です。そんな中、57年に東海岸のペスカーラの市街地を使って一周25kmにも及ぶF1史上最長のペスカーラGPがたった1回だけ行われました。なぜペスカーラが選ばれたのかmiyabikunは定かではありませんが、この50年代後半は55年のル・マン24時間レースで多数の死亡事故が起き、スイスやスペイン、ドイツやフランスGPといったF1開催の常連国が中止するなど、モータースポーツに対して消極的な時期と重なりますので、昔からレースが行われきたこの地を選手権に加えたのでしょうか。ペスカーラ市街地でのカーレース自体は57年に止まらず、F1制定前の1924年から61年までと実に長きに渡り使用されていました。

 81年〜06年 サンマリノGP イモラ
 81年〜06年 イタリアGP     モンツァ

イタリアの二開催の代表格といえばボローニャ郊外のイモラ市にあるエンツォ・エ・ディノ・フェラーリで行われたサンマリノGPですね(グラフでは長いので「イモラ」と表現しています)前に「今はなきGPとサーキット」でも書いていますが、サンマリノ国は実際に近隣にあるものの、このサーキットの所在はイタリア国内となります。F1の長い歴史の中で最多の開催を誇るのがイタリアGPのモンツァで、その数は69回です。80年の1年だけこのサーキットを使ったイタリアGPが行われ、以降はサンマリノGPという冠でイタリアの一国二開催を続けてきました。セナやラッツェンバーガーの死亡事故で悪名高いイメージがある通り、高速寄りのマシンレイアウトでこれ以外の事故も多発し、度々の軽微変更を繰り返しています。F1といえばフェラーリ、フェラーリといえばイタリアのサーキットが真っ赤に染まるのは風物詩でもあります。しかし、たまたまなのか偶然か、フェラーリで5連覇を果たしたM・シューマッハの引退と時を同じく06年をもってイタリアの一国二開催にピリオドが打たれました。サーキットは今でも現存し、他カテゴリーで使用されています。

《アメリカ》
 59年〜60年 インディアナポリスGP
 59年第9戦   アメリカGP  セブリング
 60年第10戦 アメリカGP  リバーサイド

F1はヨーロッパ発祥のモータースポーツ。その体質は今でも大きく変わらないわけですが、実は大国アメリカにもF1は古くから多くの関わりを持っています。まずは今でも「世界三大レース」に数えられるインディアナポリスGPから始まりました。いわゆるインディ500です。ただご存知の通りインディアナポリスGPと他のGPではドライバーやチームに隔たりがあり「同じF1というくくり」としては温度差を感じます。したがって実質的な「アメリカの初F1上陸」は59年の第9戦に設定されたセブリングが発祥になりそうですね。こちらは我々もよく知る名前のドライバーやチームで占められます。

 76年〜83年 アメリカ西GP ロングビーチ市街地
 76年〜80年 アメリカ東GP ワトキンスグレン
 81年〜82年 アメリカGP     ラスベガス
 82年〜84年 アメリカ東GP デトロイト市街地
 84年第9戦   アメリカGP     ダラス市街地

グラフからもわかるように、アメリカGPは全く行われない時期を度々経験してきました。60年シーズンから15年近くの空白の時を経て、70年代後半からは「アメリカ黄金期」ともいえる大フィーバーを迎えます。アメリカを東西に分けて一国二開催を実現しました。それの最たるものが82年です。第3戦ロングビーチでのアメリカ西GP、第7戦は自動車産業が盛んなデトロイトでのアメリカ東GP、そして最終戦はカジノなどの娯楽が盛んなラスベガスでホテルの駐車場をサーキットに仕立てたアメリカGP(ラスベガスGP)の「一国三開催」です。自国でも独自のモータースポーツ文化がありながら「盛り上がる(お金をおとしてくれる)ならウェルカム」という、さすがアメリカといった感じですね。ちょっと変わった点としては85年と86年の2年はデトロイトに絞った開催なのに「アメリカ東」という名で行ったたのが面白いです。その後フェニックス市街地や先述インディアナポリスのバンクを逆走させて復活したり、オースティンに新設したサーキット・オブ・ジ・アメリカズ(通称COTA)など現在も続くアメリカGPですが、現時点は原則の一国一開催に戻りました。今のF1の興行権を持つのがアメリカのテレビ会社「リバティメディア」度々第二アメリカGP計画が噂に上がり、今後新たな一国二開催を実現しそうな国の最有力候補にあります。やりたい主催者、よく思わない住民。市街地サーキットはこの協議が大変。

《フランス》
 82年第11戦 フランスGP ポール・リカール
 82年第14戦 スイスGP    ディジョン・プレノワ

久々の復活を果たしたフランスGPも一度だけ一国二開催を経験しています。実はスイスGPも首都ベルンのブレムガルテンでF1初年の50年から5回行われていました。しかし先述55年ル・マン24時間レースの死亡事故の影響から廃止されています。ちょうどフランス人のプロストが台頭した頃、フランスGPとして開催されていたディジョンとポールリカールのどちらも開催するために、このディジョンを82年だけスイスGPと冠して行いました。先程のサンマリノGPもそうですが、実際はやっていないのに近くの国の名前をお借りしてやるのは本当はズルだけど、その国の人からみればちょっと得した気分になります。日本は島国だからこのやり方は通用しませんし、日本の採った策はこのあと取り上げます。

《イギリス》
 83年,85年 イギリスGP     シルバーストン
 83年,85年 ヨーロッパGP ブランズハッチ

F1では古くから歴史を持つイギリスGPも過去にやっていました。現在もイギリスGPの舞台として続くシルバーストンと交互開催を行ってきたブランズハッチに対して、83年にブランズハッチ側をヨーロッパGPと名付けて2回開催しました。時期的にはちょうど母国のマンセルやマクラーレンの台頭にあたる頃でしょうか。一国二開催を象徴する非常に便利な呼び名「ヨーロッパGP」はこれが発祥です。

 93年第3戦   ヨーロッパGP ドニントンパーク
 93年第14戦 イギリスGP     シルバーストン

90年代に入り、次はシルバーストンとドニントンパークによる二開催もありましたね。こちらは見事なスタートダッシュを決めたセナで超有名な「雨のドニントン」と呼ばれるやつですね。ドニントンでのF1はF1史において非常に有名ではありますが、F1が行われたのはたったの一度キリ。サーキット自体は現存し、他カテゴリーが使用しています。

《ドイツ》
 84年第12戦 ドイツGP        ホッケンハイムリンク
 84年第15戦 ヨーロッパGP ニュルブルクリンク

 95年〜96年 ドイツGP        ホッケンハイムリンク
 95年〜96年 ヨーロッパGP ニュルブルクリンク
 97年〜98年 ドイツGP               ホッケンハイムリンク
 97年〜98年 ルクセンブルクGP ニュルブルクリンク
 99年〜06年 ドイツGP        ホッケンハイムリンク
 99年〜06年 ヨーロッパGP ニュルブルクリンク

一国二開催のF1でイタリアとサンマリノの関係の次に有名ともいえるのがドイツですね。上記だけみていると名前も長いしややこしく見えますが、ルールは実にシンプル。ドイツGPがホッケンハイムリンクでヨーロッパGPがニュルブルクリンクです。元々ドイツGPといえば市販車開発テストやゲームなどでもお馴染みのニュルブルクリンク北コース(ノルトシュライフェ)が用いられてきましたが、長く狭く難しく、ラウダ瀕死の事故も発生し、危険であることから舞台をホッケンハイムリンクに移すこととなりました。しかしニュルブルクリンクは短絡な「GPコース」を開設し、83年にイギリスGPで採用されたヨーロッパGPの名を使って84年に復活、以降95年から06年まで二開催を実現しました。95年から06年までのドイツといわれると、ある人がピンと浮かぶと思います。そうM・シューマッハ。まさしくシューマッハの活躍に乗っかった形の一国二開催であることが明白です。そんなドイツも先程のサンマリノGPと同様に06年までという「シューマッハの引退」とちょうど重なっているのがまた分かりやすい。ちなみに97年と98年の2年間だけ、ニュルブルクリンクはご近所のルクセンブルクGPを名乗るも、シューマッハは優勝もチャンピオンも逃しています。またドイツの面白い点としては07年にニュルブルクリンクでのヨーロッパGPは行われましたが、肝心なドイツGPがありませんでした。近年になり有能なドライバーやチームが参戦しているというのに、肝心なGP開催が不安定というか不透明ですよね。母国の人達が可哀想です。

《日本》
 94年〜95年 パシフィックGP TI英田(岡山国際)
 94年〜95年 日本GP               鈴鹿

いよいよ日本の登場です。言うまでもなく皆さんよくご存知だと思います。まだ日本もF1人気があった頃、定着しつつある鈴鹿サーキットでの日本GPに対抗すべく、第二のGP開催を目指してゴルフ場を経営をしていたタナカインターナショナルが当時のFIA副会長であるバーニー・エクレストンに直談判して岡山県のTIサーキット英田でのF1開催にこぎつけています。さすがにヨーロッパGPのような便利な愛称が使えない日本は「太平洋」を意味する「パシフィック」を用いて94年に組み込まれました。
ヨーロッパがダメなら日本には「アジアGP」がちょうどいいのでは、と思いますよね。アジアGPは93年にメキシコGPの代替としてオートポリス(大分県)で使用する予定でした。しかし前年92年にサーキット所有する日本オートポリス自体が倒産して開催できなかったという「いわく」が付いています。
アジアの呼び名を避け、パシフィックを用いて始動したわけですが、2回目の95年は開催前に阪神・淡路大震災が発生。急遽日本GPの前に差し込み「日本二週連続開催」で事なきを得たものの、翌96年は予定通り春開催を望むFIAと、鈴鹿と連ねた秋開催を望んだサーキット側の意見が合わず、そのまま消滅する形となりました。

《スペイン》
 94年,97年 スペインGP     カタロニア
 94年,97年 ヨーロッパGP ヘレス

最後はつい最近まで一国二開催を行ってきたスペインです。その初めはヨーロッパ諸国では最も遅い94年にヘレスでヨーロッパGPを開催しています。ヘレスも古くはスペインGPの舞台として度々使用されてきたサーキットです。ただ90年代に入った頃にオリンピックを控えたバルセロナにカタロニアサーキットを新設したことでスペインGPの座を奪われました。以前にこのブログで振り返ったことのあるヨーロッパGPで2回目の97年は珍事がありました。マクラーレンのハッキネンが自身初となる優勝で表彰式を迎えた際、本来はメルセデス会長がプレゼンターだったにも関わらず、急遽地元の市長が割って入ったことでFIA側が激怒し「今後ヘレスでF1は行わない」という事件が起きてしまいました。実際にこの97年以降、ヨーロッパGPを含めヘレスではF1は行われていません。

 08年〜12年 スペインGP     カタロニア
 08年〜12年 ヨーロッパGP ヴァレンシア市街地

ヘレスでの珍事から9年後の08年から新設のヴァレンシア市街地を使ったヨーロッパGPが復活開催されました。スペインは他の主要ヨーロッパ諸国に比べ、輩出ドライバーは少なく、またチームも無いためF1の人気や貢献度はどちらかというと低め。そんなスペインを二開催するまでに引き上げたのは何だったのか。スペイン人初のチャンピオンを獲得したアロンソの存在と活躍に尽きます。サーキットはヘルマン・ティルケ監修で倉庫や港を取り囲む公道を周回するレイアウトを採用。コントロールラインから最も遠く、海にせり出した区間は可動橋となっており、普段は船が航行する水路をなし、サーキット使用時は橋になるという工夫が施されました。アロンソがチャンピオンを獲得した翌々年08年からフェラーリに移籍してもなかなかチャンピオンを獲れないでいる12年までの5年間でスペインGPとの二開催を実現しますが、もう少し粘ってくれたら、アロンソはどうにかなったかも?!(笑)このヴァレンシアでの二開催終了が現時点での最後の開催となります(ヨーロッパGPという名は16年のバクー市街地で復活)

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以上、今まで70年の歴史において一国二開催以上の開催例は64例129戦ありました。いずれも人気ドライバー出現や国における力の入れ具合により実現されたものとなります。近年は新規開催の計画や噂が出つつもなかなか合意に至らない例、そして既存のサーキットやGP自体がコストなどの問題により開催できないケースすら出てきています。F1は莫大なコストがかかるモータースポーツです。さらにF1時代の人気や集客を考えると、一国二開催は勢いがあった頃の「過去の輝かしい栄光」ということで今後は一部の地域を除き廃れてしまう可能性が高いと思われます。ただ冒頭にも書いたように、今シーズンは新型コロナウィルスの影響で国々によって状況や解釈が異なり、開催に前向きな所や否定的な所と様々あります。もしかしたら例外的に一国二開催が行われるかもしれません。今後の判断や決定が気になるところです。
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