皆さん、夏休み期間中ゆっくりできていますか?!関東は7月に目一杯暑かったのに8月に入ると台風もあって少しだけ暑さがおさまっています。まだ8月上旬だから油断はできませんね。熱中症やゲリラ豪雨には細心の注意を払っていきましょう。
F1の夏休みはリカルドの想定外の移籍発表に触発されてああでもないこうでもない想像が飛び交っています。ただでさえ暑いのに「ストーブ」で例年以上にアツいですね。極端に暑い時期や寒い時期には行われないF1も一昔前は暑いイメージしかないアフリカ大陸の2箇所で行われていたことがあるのをご存知ですか?!今回は暑い時に暑そうなところの話「アフリカでのF1」をみていきたいと思います。

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1つ目は南アフリカでのF1です。南アフリカは地図で見るとこの位置
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アフリカ大陸の南端、数少ない南半球のGPでした。緯度はオーストラリアと似たような位置にあります。南アフリカはアフリカという名前がつくヨーロッパのような国で、昔はイギリスの仲間でした。金やダイヤモンドの原産国として、比較的な裕福な国でもあります。その一方で様々な人種が集まり貧富の差も激しく、アパルトヘイトと呼ばれる動きもあって治安は決してよくありません。F1もそうですが、2010年のサッカーワールドカップもよく行えたなと思ってしまいます。当時とても話題になりましたよね。
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南アフリカGP
《イースト・ロンドン》
  所在地 :東ケープ州バッファロー市
  F1開催 :1962,63,65(3回)
一周距離:3.920km
初代優勝:G・ヒル(BRM)
最多優勝:J・クラーク(2回)
最多P.P. :J・クラーク(3回)
最速P.P. :1分27秒200 J・クラーク(1965)
最多F.L. :J・クラーク(2回)
最速F.L. :1分27秒600 J・クラーク(1965)

イースト・ロンドンはインド洋に面する海岸にあります。市街地から少し離れた緑の中に設営されて1960年代に3回行われました。一周4km弱とこじんまりとしたスケールと単純なレイアウトです。当時は当然観れていないので結果しかわかりませんが、クラークが3回中3回のポールポジションと2回の優勝を挙げるという得意サーキットでした。

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《キャラミ》
  所在地 :ハウテン州ヨハネスブルグ
  F1開催 :1967〜80,82〜85,92,93(20回)
一周距離:4.094km(1967)
                  4.104km(1968〜85)
                  4.261km(1992,93)
初代優勝:P・ロドリゲス(クーパー)
最多優勝:N・ラウダ(3回)
最多P.P. :J・スチュワート(3回)
最速P.P. :1分28秒300 J・ブラバム(1967)
                  1分02秒366 N・マンセル(1985)
                  1分15秒486 N・マンセル(1992)
最多F.L. :A・プロスト(2回)
最速F.L. :1分29秒900 D・ハルム(1967)
                  1分08秒149 K・ロズベルグ(1985)
                  1分17秒578 N・マンセル(1992)

キャラミでのF1は記憶にある方も多いと思います。キャラミは内陸にある大都市ヨハネスブルグの北に位置し、サーキットは標高1,500mの高地にあります。ケープタウンと並んで観光や金融など知名度の高い都市ではありますが、どちらも同じくらい治安も悪く一時期は「ヨハネスブルグの街中は『リアル北斗の拳』のよう」なんて揶揄されるくらい凶悪犯罪や事件が蔓延するところでもあります。先日話題になったブラジルGPの比較にならないくらい街の危険度は高いです。
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キャラミは大きく2つのレイアウトで行われました。面白いのは通常のレイアウト改良とは異なり軽微な変更ではなく、レイアウトの半分以上を南側に新設、さらには走行方向を逆転させている点です。採用初年の67年は図の青いラインのようなレイアウトを時計回りで行われていました。見たところ平面的には単純な構成ではありますが高低差もあり高速コーナーであるため先の見通しも悪く、77年のGPではコントロールライン付近で停止したシャドウのR・ゾルジの消火活動に向かったマーシャルの手に持つ消火器が高速走行する同じシャドウのT・プライスの頭部に激突し、轢かれたマーシャルもプライスも即死する事故が起きてしまいました。コースを横断したマーシャルからも、プライスからもお互いが死角だった点が悲劇を生んだと言われています。また今のようにハロが搭載されていればマーシャルはともかくプライスの即死は免れたかもしれない痛ましい事故でした。
しばらく時を経た85年シーズン末に大規模改修に踏みきり、青ラインで危険度の高い事故区間を廃止、中間セクションだけを活かして南側に反時計回りのレイアウトを採りました。しかし継続的な開催はなく、93年を最後に南アフリカのみならずアフリカ大陸でF1は行われていません。


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モロッコGP
《アイン・ディアブ》
  所在地 :カサブランカ市
  F1開催 :1958(1回)
一周距離:7.618km
初代優勝:S・モス(ヴァンウォール)
最多優勝:S・モス(1回)
最多P.P. :M・ホーソーン(1回)
最速P.P. :2分23秒100 M・ホーソーン(1958)
最多F.L. :S・モス(1回)
最速F.L. :2分22秒500 S・モス(1958)

南アフリカ以外にモロッコでも開催されたことがあります。モロッコは北半球に属しヨーロッパのスペインやポルトガルにも近いです。気候区分こそ異なりますが、緯度だけでいえばカサブランカ市は北緯33度で九州の福岡市と同位置になります。順番が逆になってしまいましたが南アフリカGPより前の58年最終戦にカサブランカのアイン・ディアブの市街地サーキットで行われました。市街地サーキットは航空写真から探すのに苦労します。ましてや開催から60年も経つと、都市計画変更したりして名残すらなくなってしまうこともあり得ます。レイアウトをみると四角くスケールも大きいです。マシンはなかなかな高速度に達し、大西洋へ向かう傾斜地にあるため勾配もありました。
たった1回だけの開催にもかかわらずレース内容は白熱したもので、M・ホーソーンと首の皮一枚のS・モスによる最終決戦が繰り広げられました。モスが終始レースを牽引していますが、モスのチームメイトであったヴァンウォールのT・ブルックスが上位走行中にリタイヤ、さらにはホーソーンが所属するフェラーリのP・ヒルが順位入れ替えを行いホーソーンの順位が上昇、そのままホーソーンが初戴冠となりました。またヴァンウォールのもう一人、S・L・エバンスはクラッシュで炎上した際の火傷で命を落としてしまいます。

近年は年間開催数も21戦まで増え、リバティメディアはさらに増やす考えもあるようです。ただそのターゲットは北アメリカやアジア、ヨーロッパでの話であり、今回のようなアフリカ大陸でのF1復活には繋がらなそうです。