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前回は2001年にF1デビューし、来シーズンは格下ザウバーに出戻る形で活躍を続けるライコネンのマシンを取り上げました。今回は時は同じく2001年にミナルディからデビューを果たし、今シーズン限りでF1を降りることを決めたアロンソのマシンをみていきたいと思います。2001年型ミナルディPS01です。

《設計》
グスタフ・ブルナー
ロイック・ビコワ

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《外見》
1985年からF1参戦を始めた歴史あるミナルディはこの年からまた新たな転換期を迎えることになります。ヨーロピアン航空の経営者であるポール・ストッダートがオーナーに就任、これまで「M」を頭文字として付番してきたシャシーは頭文字の「PS」に改められました。厳密なチーム名は「ヨーロピアン・ミナルディ」となります。名前こそミナルディという名前で2005年まで参戦を続けたこのチームは「若手の登竜門」であるとともに「金策に翻弄」していたことも事実で、もしかしたらドライバー以上に「存続することに対して懸命」だったと思います。
マシン自体「輝かしい名車か」と聞かれたら、正直とりたてて光る結果は残していません。ただこのマシンにも特徴的なものがあります。前作2000年型M02でF1初採用された「チタン鋳造ギヤボックス」を引き継ぎ、マシンの軽量化に努めています。またフロントでプルロッドを採用している点も変わり種です。
先端が非常に細く、上面は平坦なノーズはこの年から採用した「黒地に白」で一層際立って見えます。前年「蛍光黄緑に青ライン」だったことを考えると、まるで別チームのマシンのよう。そんなマシンを作り上げたブルナーは第5戦スペインGPが終了する頃にトヨタからオファーを受けてチームを離れています。そのあたりもザウバーC20とどことなく似たシチュエーションですね。

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《シャシー》
全長: - mm
全幅: - mm
全高: - mm
最低車体重量:600kg
燃料タンク容量:− ℓ
ホイール:OZ
サスペンション:フロント プルロッド
                                 リヤ    プッシュロッド
タイヤ:ミシュラン

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《エンジン》
ヨーロピアンV10(フォードVJ ZETEC-R)
V型10気筒・バンク角72度
排気量:2,998cc(推定)
最高回転数:16,500rpm(推定)
最大馬力:700馬力(推定)
スパークプラグ:マニエッティ・マレッリ
燃料・潤滑油: - 

ヨーロピアンエンジンはとは名ばかり。実際にあるメーカー名ではありません。こちらもザウバーと同様のバッジネームです。実態はフォードのZETEC-Rであり、型は前回のペトロナス一年落ちどころかこちらはなんと三年落ちです。最高最先端の技術をいくF1において、その年式の差は正直痛手。ライバルと比較してパワーはまるで期待できませんでした。でも仕方がない、走れないよりマシ。これでも頑張って「走れるように整えた」ストッダート苦肉の策。

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《ドライバー》
No.20 タルソ・マルケス(第1戦〜第14戦)
           アレックス・ユーン(第15戦〜第17戦)
No.21 フェルナンド・アロンソ(全戦)

《戦績》
0ポイント コンストラクター11位
(9位2回、10位1回、11位1回、12位1回ほか)
ポールポジション0回

もちろん実力があれば申し分はないけど、とにかく手軽に、もっと言えば「持参金なんぞあればなおいい」というところからドライバー選定も入ります。エース(というより経験者と言った方が正しいか)として選んだのは96年はフィジケラの代走、97年は片山右京の相方もこなしたマルケス25歳を4年振りに起用。そして新人アロンソ様19歳をルノー様とブリアトーレ様からお借りする形で起用しています。
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アロンソは2001年デビューの中での前評判は比較的地味でした。何せ同期がアメリカで既に名を馳せてF1でどこまで通用するかモントーヤ、そして何だかバタバタ騒いでるけどちゃんと走れるかひとまず様子をみてみようライコネンの2人が開幕前から話題をさらっていました。
開幕戦オーストラリアGP予選はトップから6.3秒遅れ、ジャガーで21番手のブルティからも2.3秒遅れて107%タイムを叩き出したマルケス。対してトップから3.8秒遅れの19番手に抑えたアロンソは決勝12位完走と、非力なマシンでもフィジケラ&バトンのベネトン2人を上回る結果で期待値が一気に急上昇することとなります。
決勝の最高位はマルケスによる第3戦ブラジルGPと第8戦カナダGPの9位完走2回です(当時の入賞は6位まで)ただそんな中でもアロンソはそのカナダGPでフロントウィングの違反で予選タイム抹消した以外は予選でほぼマルケスを上回り続けました。そして毎度107%ギリギリのタイムでテールエンドと化したマルケスは第14戦ベルギーGPを最後に「よりチームのためになる」バックボーンを持つマレーシア人のユーンにシートをスイッチし、終盤3戦を戦い抜く選択を採ります。
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結果的には唯一のノーポイントコンストラクターとなる4年振りの最下位11位でシーズン終了。しかしアロンソの果敢に予選、決勝とも攻めの姿勢と安定した走りによって「速いマシンに乗せてみたい若手」に成り上がり、周囲の期待を獲得。2002年からブリアトーレの下に返還され1年の「我慢と熟成」に入りました。その後「青いルノー」を駆り同期の中で最も早く結果を出したのはご存知の通りですね。

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何だかマシン云々よりアロンソの下積み時代の栄光の話題が強い回となりました。今の若手、フェルスタッペンやルクレールを見ていると、格下チームで下克上を図る若き日のアロンソを思い出します。ハミルトンは例外として、アロンソもライコネンもベッテルも初めは入賞が精一杯のチームやマシンから実力を身につけ、晴れて頂点を極めました。アロンソが「屈強な赤い壁」を若くして打破したように、次はそんな彼らが「超速の銀の矢」をへし折る日が来ると思うと楽しみです。