F1 えきぞーすとのーと

よくあるニュースネタやこ難しいテクニカルな話ではなく、メインは予選や決勝のTV観戦したそのものを個人的観点から綴るF1ブログです。  また、懐かしのマシンやレースを振り返ったり、記録やデータからF1を分析。その他ミニカーやグッズ集めも好きなので、それらを絡めつつ広く深くアツくF1の面白さやすごさを発信し、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

タグ:マニ・クール

F1の夏は今現在進行形のサマーブレイクほか「ヨーロッパラウンド〜」だとか「夏の高速連戦〜」なんて以前は呼んだものですが、残る今シーズンのヨーロッパ戦はオランダとイタリアの2ヶ所です。モナコやスペイン、オーストリアにイギリス、ハンガリー、ベルギーまでやったのに、昔に比べてだいぶ短く感じますよね。イモラでのエミリア・ロマーニャGPが中止になったこと、またそもそもの開催地、レース数が増えたことによって「ヨーロッパの比重が少なくなった」ことがそのような錯覚を生んでいるのかもしれません。さらに忘れてはならないこと、今シーズンからまた伝統フランスGPが消滅したこともあるでしょう。フランス人ドライバーは2人、ワークスチームが一つちゃんとあるのにやらない(やれない)という不条理というか現実をこのようなことからも感じ取ることができる今のF1です。今年のアタマに過去のフランスGPは既に扱ってはいますが、レースの無い暇なひととき、miyabikunの独断と偏見でフランスGPの世界にいざないたいと思います。今回は直近の舞台ポール・リカールではなく、その一つ前にマニ・クールで行われていた2004年第10戦フランスGPです。
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ちなみにマニ・クールのサーキットレイアウトはこんな感じでした(黒実線)時計回りで、ぐるりと方向転換するエストリルや180°、ドッカンとブレーキングをかます鋭角アデレイドヘヤピン、また最終コーナーにはカナダのジル・ヴィルヌーブやサンマリノ時代のエンツォ・エ・ディノ・フェラーリ(イモラ)の最終進入にも似た「ひょっこりシケイン」があります。見た目は深海魚?!やさぐれたパックマンみたい。

2004年のF1といえば、、言わずと知れたフェラーリのM・シューマッハでガン決まりしていた頃です。面白くなかったですねー(笑)ファンにとっては幸せな時間だったことと思います。2000年からチャンピオンに返り咲いたM・シューマッハにおいて、5年連続7回目の期待がかかるシーズンとなっています。
フランスGPまでの9戦分の戦績をおさらいしておくと、、しておくまでもありません。実にシンプル。9戦8勝です。誰が?!もちろんM・シューマッハが(笑)
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赤いキックボードに何やら貼り紙が。何なに?「ブリヂストンの駐車規則違反、次回押収される」だって?!心配ご無用です。単なるチームスタッフのイタズラ。
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こんなイタズラできるほど余裕しゃくしゃくだったわけです。このフランスGPもどうせ勝つんでしょう(いつだかの時代に似たセリフ)では残ると1勝は誰が挙げたのか、そちらの方が気になりますよね。この方です。
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右の若かりしアロンソ?いや違います。左側にいるトゥルーリです。以前「過去のGP」でも18/5/23に扱ったことのある第6戦モナコGPで勝利しています。何故かフェラーリのスタッフと歩いていますが、イタリアのお友達なのかな。フェラーリに移籍も無ければ、まさかF1キャリアこの1勝に終わると思いませんでした。イタリアのフェラーリとイタリアのトゥルーリのみの優勝ということで、このレースまで「全戦の表彰式でイタリア国歌が流れる」という、今では想像出来ない状況で進行しています。
現在F1で日本代表といえば角田くんが奮闘中。この時代にも貴重な日本代表が1人います。
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 〜探し物はなんですか?〜
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 〜見つけ難いものですか?〜
というのは冗談ですが、ホンダのバックアップを受けジョーダンからF1の門を叩いた佐藤琢磨がBAR・ホンダから参戦しています。
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当時インディアナポリスで行われた前戦アメリカGPで日本人2人目となる表彰台登壇を果たして、目下評価は急上昇中。なるほど、トラック上で探していたのは「ツキ」ということか?(笑)

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予選は今回もM・シューマッハ、とはいかず、地元のワークスであるルノーのアロンソが獲得。M・シューマッハは2位に沈んでいます。驚くべきは上位10台中、ブリヂストンはフェラーリの2台のみであり、他8台はミシュランユーザーが名を連ねています。ミシュランもフランスメイク。懐かしいなぁ、ビバンダムくん。miyabikunが大学生の時の携帯電話ストラップで当時使っていたっけ。
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《予選結果》
P.P. F・アロンソ
 (ルノー ミシュラン)
 2 M・シューマッハ
 (フェラーリ ブリヂストン)
 3 D・クルサード
 (マクラーレン・メルセデス ミシュラン)

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スタンドはルノーの旗が舞います。水色一色。何せ紅続きの表彰台のテッペンを「地元で」水色にできるチャンス。アロンソへ期待が大きくのしかかる。
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スタートはポールのアロンソが死守し、ターン1に滑り込む。マニ・クールは抜きどころが限られているため、スタートダッシュは重要です。5番スタートの相方トゥルーリも失速したクルサードをかわして、ルノーがワンスリー体制を築く。

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M・シューマッハは、上位で最も早い11周目に1回目のピットインを行う。
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一方でアロンソは軽快にラップを重ねて、14周目まで引っ張るという差です。ポールポジションを狙うべく軽タンクで予選に臨んだものの、スタートで前に出られなかったのは痛手。

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トラック上で「ツキ」を探していた佐藤は7番スタートからまたもやホンダエンジンがブローし、わずか15周目でリタイヤ。何故バトンのものは平気なんだ、と言いたくなるくらいのトラブル続き。マニ・クールでは残念ながら「ツキ」を見つけ切れなかったということか。

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M・シューマッハはその後、29周目に2回目のピットを迎えます。ココは抜けないマニ・クール。どうしても前に立ちたいM・シューマッハとフェラーリはある秘策を企てます。ペースアップをし、アロンソのアンダーカットを狙う。つまり「決勝レースを予選モードの快速ラップで走り続ける」ということ。
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その策はうまくハマり、3周遅れで迎えたアロンソ2回目のピットインの際にM・シューマッハが前に立ちます。

M・シューマッハはまたアロンソより4周早い42周目に3回目のピットに向かい、暫定的な2位に陥落しますが、アロンソ3回目のピットで再びトップに。この時点でM・シューマッハはアロンソに対して「後ろを見ながら」走ればトップを維持できるものの、何とフェラーリは58周目に
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四度ピットに呼び込みます。
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ピット作業をしかと確認。抜け目無いわー。
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2位アロンソに対して1回分ピットインが多くても、8.3秒の差をつける圧勝。2番スタートからならば余裕で勝てる。誰かコヤツを止められる若人はおらんかー?!
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レースは最後の最後、チェッカーフラッグを受けるまで分かりません。ファイナルラップの最終コーナーで、タイヤがズルズルになった3位トゥルーリはアウト側を回る形となり、インがガラ空き。
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そこにバリチェロが飛び込む!
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バリチェロが3位に浮上し、フェラーリはワンスリーフィニッシュとなります。
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FB「ヤルノは何ヤっとルノだバカモンが」
これがきっかけにもなり、トゥルーリとブリアトーレの関係が悪化、トゥルーリはシーズン閉幕を待たずにチームを追われることとなりました。
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これでM・シューマッハは10戦9勝。。やり過ぎ、やらせ過ぎ。。

《決勝結果》
 1 M・シューマッハ(フェラーリ ブリヂストン)
 2 F・アロンソ  (ルノー ミシュラン)
 3 R・バリチェロ (フェラーリ ブリヂストン)

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マシンが秀でていることもさることながら、この時代のフェラーリはドライバー、チームスタッフの三位一体で「勝つための手順」がバッチリ確立されていました。さらには戦略やチームメイトの貢献など、M・シューマッハにとってこの上無い形でシーズンが進行していきます。マシンが壊れない限り、誰かのトラブルに巻き込まれない限り、負けるストーリーが思いつきません。その後のレッドブル×ベッテル時代、メルセデス×ハミルトン時代、そして現在のレッドブル×フェルスタッペン時代にも通じる「F1絶対政権の鉄則」です(繰り返しになりますが、翌2005年にこれが木っ端微塵に崩壊した時は驚きと爽快感を覚えました)

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現時点で既に中止を発表しているフランスGPです。今年はオコンが復帰してまたフランス人ドライバーが増えたのに残念でした。来年の今頃はフランスでできるのかな、フランス人ドライバーがいなくなるなんてことにならないといいのですが。ポール・リカールサーキットの歴代ポールポジションタイムを比較したいと思います。

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《ポール・リカールの基本情報》
    全長     :5.810km(1971〜85)
       3.813km(1986〜90)
       5.842km(2018〜)
 コーナー数:15箇所(2018〜)
   開催回数  :16回

ポール・リカールだなんて、人の名前みたいですよね。その通り酒造メーカーの創始者の名前から来ています。フランスでも南岸近くにあるサーキットで先日のモナコやイタリアとはご近所にあたります。高台にあり海が近いがゆえ、風の影響を受けやすく、サーキットの代表区間「ミストラル」はそこから名付けられました。
サーキットレイアウトは縞々、、いやライフルの形をしており、ヘルマン・ティルケの手が加わる前と大きく変化はしていません。しかし、ターン1においてE・デ・アンジェリスがクラッシュにより死亡したため、1986年シーズンからレイアウト前半部分をカットし、ミストラルストレート途中に取り付くショートレイアウトが採用されました。5シーズンそのレイアウトでレースが行われたものの、一時期フランスGPの座をマニ・クールに奪われ、28年の時を経て、ロングコースを復活させ、フランスGPとして復活するに至りました。
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 ・1971〜85年   5.810km        (オリジナル)
 ・1986〜90年  3.813km 赤色(ショートコース)
 ・2018〜現在 5.842km 黒色(シケイン設置)

レイアウトは3種類となります。図上に表現しきれていませんが、オリジナルは現行の黒色のミストラルストレート中腹のシケインがないものと考えて頂いていいかと思います。ほか、ミストラルストレートの先の超高速右コーナー「シーニュ」のRを改良し、先述のショートカットを行った赤色の3.813kmとなります。3.8kmっていくら何でも短いですよね。この後にポールポジションタイムが出てきますが、この一周距離だと決勝は80周レースとなります。ラップダウンされる車もすぐに現れますね。小学校や幼稚園の陸上トラック同様に、目が回りそう。

《ポール・リカールの予選P.P.タイム変遷》
 71 5.810km 1分50秒710 スチュワート
 73 5.810km 1分48秒370 スチュワート
 75 5.810km 1分47秒820 ラウダ
 76 5.810km 1分47秒890 ハント
 78 5.810km 1分44秒410 ワトソン
 80 5.810km 1分38秒880 ラフィ
 82 5.810km 1分34秒406 アルヌー
 83 5.810km 1分36秒672 プロスト
 85 5.810km 1分32秒462 Kロズベルグ
 86 3.813km 1分06秒526 セナ
 87 3.813km 1分06秒454 マンセル
 88 3.813km 1分07秒589 プロスト
 89 3.813km 1分07秒203 プロスト
 90 3.813km 1分04秒402 マンセル

 18 5.842km 1分30秒029 ハミルトン
 19 5.842km 1分28秒319 ハミルトン
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約50年近く前の1971年が初開催なのに、クレルモン・フェランやディジョン・プレノワとの交互開催ということもあって、飛び石となっており、開催回数は16回に止まります。一応グラフにはしてみたものの、歯抜けで面白味はありませんね。第2グループにあたるショートカットトラックは当然ながらタイムは短くなりますから一貫した進化は読み取りにくい。まあこうなることはわかっていたんです(笑)
71年から85年の間は距離は同じで76年を境にタイム向上のペースが上がりました。時はちょうど「グラウンドエフェクトカー」が流行った頃ですね。そこから第2グループの時期を無視して33年後の2018年に目をやると、距離は32m延びてストレートにシケインが設けられたというのにタイムは2.4秒速くなっています。データが古いこともあり、今回はセクター比較はできませんが、シケインのスピードロスをセクター3のグニュグニュ区間で帳消しにして、さらに上回った、と言った感じでしょうか。根拠無き空想論ですみません。

《ポール・リカールの予選P.P.平均速度変遷》
全長の違いがあればこれで横並びにするしかない、とポールリカールも「一周平均速度」に換算してみました。

 71 5.810km 188.9km/h 100% スチュワート
 73 5.810km 193.0km/h 102.2% スチュワート
 75 5.810km 194.0km/h 102.7% ラウダ
 76 5.810km 193.9km/h 102.6% ハント
 78 5.810km 200.3km/h 106.0% ワトソン
 80 5.810km 211.5km/h 112.0% ラフィ
 82 5.810km 221.5km/h 117.3% アルヌー
 83 5.810km 216.4km/h 114.5% プロスト
 85 5.810km 226.2km/h 119.7%  Kロズベルグ
 86 3.813km 206.3km/h 109.2% セナ
 87 3.813km 206.6km/h 109.3% マンセル
 88 3.813km 203.1km/h 107.5% プロスト
 89 3.813km 204.3km/h 108.1% プロスト
 90 3.813km 213.1km/h 112.8% マンセル

 18 5.842km 233.6km/h 123.6% ハミルトン
 19 5.842km 238.1km/h 126.0% ハミルトン

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速度に変換して、パワーターボ搭載の第2グループも若干背伸びしてくれましたが、10年前の70年代後半規格まででしたね。やはりストレートが短く、速度要素が低いのが玉に瑕です。レイアウトを見てもわかるように、同じサーキットなのに全然毛色の違う変更なので、比較のし甲斐が無い。。わかっていたけど。。(笑)ちなみに、ポール・リカールの歴代最速は昨年18年のハミルトンによる238.1km/hでした。そこはあっぱれ、技術の向上が証明されました。
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今回は消化不良ですね。ご覧頂いている方も書いているmiyabikunもきっと同じ気持ち。こればかりはmiyabikunのせいというわけではないけど、すみません。
そんな時はこの前のヨーロッパGPの時にもやった「おまけ」やりましょうか。こうなると思って用意しています。ポール・リカールに挟まれた先代フランスGP、マニ・クールをみてみましょう。

《マニ・クールの基本情報》
    全長   :4.271km(1991)
       4.250km(1992〜00)
       4.251km(2001,02)
       4.411km(2003〜08)
 コーナー数:17箇所(2003〜)
   開催回数  :18回

ポール・リカールは人名でした。マニ・クールも人名っぽいですよね。いそうですよね。でもこちらは違います。地名から来ています。強いて人名を挙げるならば、F1誘致に関わった元F1ドライバーであり、のちのチーム代表のギ・リジェになるでしょうか。長らく続いたポール・リカールでのF1をフランス中央部の片田舎に引っ張ってきた方です。miyabikunの中ではフランスGPと聞くとポール・リカールよりマニ・クールって世代です。
マニ・クールもレイアウト変更はあれど、基本形は保ち軽微なものとなっています。
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 ・1991年のみ 4.271km 赤色(オリジナル)
 ・1992〜00年 4.250km 青色(右左コーナー廃止)
 ・2001〜02年 4.251km
 ・2003〜08年 4.411km 黒色(リセ後退)

1991年は中間部のアデレイドヘヤピン先に小さな右左コーナーを配置した4.271kmでスタートしています。翌年92年にその小さなコーナーを廃止して直線的にした4.250kmが9年ほど続きます。そして2003年から後半にある右コーナー「シャトー・ドー」を鋭角化し、さらに最終セクターを左に振り「リセ」を後退させた4.411kmが最終形として08年シーズンまで使用されました。実は01年に1mだけ延長した長さが採用されているのですが、どこの変更か思い出せませんでした。あのレイアウトのポンチ絵では表現できないほどの誤差範囲としてお許し下さい。
マニ・クールもポール・リカールと同様に決勝レース中の順位変動が少なく、抜きどころも少ないと言われていたサーキットです。個人的には以前にも書いたように、ジル・ヴィルヌーブに似た最終シケインからひょっこり横スライドして現れてくるアングルや、序盤の大きな右コーナー「エストリル」からカメラがパンして追いかけて、アデレイドに突っ込んでいく姿は好きでした。アデレイドでインをついて抜いたかと思いきや、クロスラインでやり返されてプラマイゼロ、みたいな。ポール・リカールはミストラルストレートの途中のシケインが出来てようやくパッシングがみられるようになりましたが、あれが無いとマジでチカチカのダラダラになる可能性は高かったんじゃないかと思っています。

《マニ・クールの予選P.P.タイム変遷》
 91 4.271km 1分14秒559 パトレーゼ
 92 4.250km 1分13秒864 マンセル
 93 4.250km 1分14秒382 Dヒル
 94 4.250km 1分16秒282 Dヒル
 95 4.250km 1分17秒225 Dヒル
 96 4.250km 1分15秒989 Mシューマッハ
 97 4.250km 1分14秒548 Mシューマッハ
 98 4.250km 1分14秒929 ハッキネン
 99 4.250km 1分38秒441 バリチェロ
 00 4.250km 1分15秒632 Mシューマッハ
 01 4.251km 1分12秒989 Rシューマッハ
 02 4.251km 1分11秒985 モントーヤ
 03 4.411km 1分15秒019 Rシューマッハ
 04 4.411km 1分13秒698 アロンソ
 05 4.411km 1分14秒412 アロンソ
 06 4.411km 1分15秒493 Mシューマッハ
 07 4.411km 1分15秒034 マッサ
 08 4.411km 1分16秒449 ライコネン

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マニ・クールでのフランスGPは91年から08年まで空白期間は無くびっしり18回行われ、現時点では最多開催となっています。そのあとしばらくの「沈黙期間」に入るわけですが。今シーズン現役ドライバーでマニ・クールの走行歴があるのは、ライコネン、ハミルトン、ベッテル3人のチャンピオン経験者まで。ポールポジションを経験しているのはライコネンのみとなっています。下手すると来シーズンはマニ・クールのレコードホルダーがいなくなる、そんな世代に突入することになります。01,02年はこの後の計算に影響が出ないよう、律儀にグラフの色も分けています。でもグラフ黄緑色の第2グループ4.250kmとはたった1mの差でしかありませんので、同じグループとしてみなしてもいいと思います。
グラフをみると意外とギザギザのデコボコしていて、統一感がないようにみえます。中でも99年は一つ1分38秒441と突き抜けてしまっています。こちらは言うまでもなくウェット路面。フェラーリのM・シューマッハは6番手、マクラーレンのハッキネンが何と14位に沈む中、早めにタイムを残した当時スチュワートから参戦したバリチェロがポールポジションを獲得しています。一応バリチェロの名誉のためにフォローしておくと、予選直前に行われたフリー走行も1分17秒232のトップタイムを記録しています。ほか、タイム的に目立つのは黄色い帯の01,02年の二つでしょうか。時代はマクラーレンが陰りをみせ、フェラーリの天下になりつつある時代、ポールポジションを獲得したのはウィリアムズ・BMWを駆る2人です。先日のジル・ヴィルヌーブでも話題にしたことですが、この頃のウィリアムズはなかなか速かったと思います。ちょうどマクラーレンと入れ替わる形で台頭し、フェラーリに食らいつかんばかりの走りをしていましたよね。ドライバーもマクラーレンに比べるとなかなかパンチのきいた2人でした。

《マニ・クールの予選P.P.平均速度変遷》
 91 4.271km 206.2km/h 100% パトレーゼ
 92 4.250km 207.1km/h 100.4% マンセル
 93 4.250km 205.7km/h 99.7% Dヒル
 94 4.250km 200.6km/h 97.3% Dヒル
 95 4.250km 198.1km/h 96.1% Dヒル
 96 4.250km 201.3km/h 97.6% Mシューマッハ
 97 4.250km 205.2km/h 99.5% Mシューマッハ
 98 4.250km 204.2km/h 99.0% ハッキネン
 99 4.250km 155.4km/h 75.4% バリチェロ
 00 4.250km 202.3km/h 98.1% Mシューマッハ
 01 4.251km 209.7km/h 101.7% Rシューマッハ
 02 4.251km 212.6km/h 103.1% モントーヤ
 03 4.411km 211.7km/h 102.6% Rシューマッハ
 04 4.411km 215.5km/h 104.5% アロンソ
 05 4.411km 213.4km/h 103.5% アロンソ
 06 4.411km 210.3km/h 102.0% Mシューマッハ
 07 4.411km 211.6km/h 102.6% マッサ
 08 4.411km 207.7km/h 100.7% ライコネン

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最後はお決まりの平均速度比較です。この計算をするがために「1mの差」を大事にしておきました。グラフの尺度の問題があるにせよ、速度に変換するとグラフ上はなかなかなだらかにみえますね。バリチェロには申し訳ないのですが、ウェットの99年を除くともう少し緩急がつきそうです。
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こちらが99年を除いた「ドライ路面バージョン」です。最も低いのがヒルによる95年のウィリアムズで198.1km/h、最も速度が高くなったのは04年の地元「青いルノー」アロンソの215.5km/hとなりました。アロンソはこの予選は3回目のポールポジション獲得で決勝は惜しくも2位に終わったレースでした。レースで勝ったのは4回ピットを敢行したフェラーリのM・シューマッハ。IMG_3634
チャンピオンもシューマッハが前人未到の7回目を獲得した年、まさか翌年この若造に奪取されるとは、当時微塵も感じなかったでしょう。IMG_3635

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10年振りのフランスGP復活です。最後に行われたのが2008年ですから、現役で知るのはアロンソ、ライコネン、ハミルトン、ベッテルの4人。さらにポール・リカールでのレースは90年が最後で28年振りということになり、誰もF1のレースで走っていません。それ以前に半分以上のドライバーはポール・リカール開催当時は生まれていないという。。ともなれば復活というよりかはもはや新規ですね。
昨シーズンやってたレース前のお勉強、フランスはお初なので久し振りにこのシリーズから入ります。

《国の基本情報ほか》
国名称:フランス共和国
  人口  :6280万人(世界第21位)
  面積  :55万2千㎢(世界第51位)
  設立  :1958年に植民地解放
主言語:フランス語
  首都  :パリ
  通貨  :ユーロ(ユーロ以前はフラン)
  時差  :UTC+1:00(日本から-8:00)

F1開催期間と数:1950〜54,56〜08,18〜(59回目)
開催サーキット:ランス、ルーアン、ル・マン、
                             クレルモン・フェラン、
                             ディジョン・プレノワ、
                             ポール・リカール、マニ・クール
F1ドライバー数:71人
F1チャンピオン:1人(プロスト)
現役ドライバー:3人(グロージャン、オコン、ガスリー)
著名ドライバー:プロスト、アレジ、ラフィ、
                             アルヌー、パニス、ピローニほか

フランスはヨーロッパの中央西側に位置するイギリス、ドイツに並ぶヨーロッパ中心国の一つです。昔から世界の諸地域を統治し勢力を振るっていました。自動車や航空機や鉄道車両などの工学技術力、音楽や料理やファッションなどの影響力も強く文化の発信地として世界から多くの観光客を集める人気国、また農業も盛んでワインで知られるブドウをはじめ、多くの農産物を世界各地に輸出しています。まさに至れり尽くせりな国。
手裏剣のような角を持つ六角形のフランス本土は北側は北海、西側は大西洋に面し、南側は地中海に面しています。また北西側は比較的標高の低い平野が広がり、南東側はアルプス山脈の西端もかかるため高地となっています。
気候は西側が西岸海洋性気候(Cfb)で夏は涼しく冬も暖かい。そしてアルプス山脈の反対側となる南側は地中海性気候(Csb)となっており、夏の暑さは乾燥しています。ポール・リカールはこの気候区分に入ってくるため、雨の心配より強風が懸念されます。暖かく穏やかな陽気は農作物にも絶好な条件であると納得できますね。
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ちなみに赤白青でお馴染みのフランス国旗の豆知識を一つ。描くのが簡単そうに見えるこの国旗、実は奥が深いです。この三色は三分しているようで「青:白:赤=33:30:37=100」の割合と決められているため、赤が1番太いんです。フリーハンドじゃとても描けませんね。

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《ランス》
 所在地 :マルヌ県ランス
 F1開催 :1950,51,53,54,56,58〜61,63,66(11回)
一周距離:7.816km(1950,51)
                  8.347km(1953)
                  8.302km(1954,56,58〜61,63,66)
初代優勝:J・M・ファンジオ(アルファロメオ)
最多優勝:J・M・ファンジオ(3回)
最多P.P. :J・M・ファンジオ(4回)
最速P.P. :2分25秒700 J・M・ファンジオ(1951)
                 2分41秒200 A・アスカリ(1953)
                 2分07秒800 L・バンディーニ(1966)
最多F.L. :J・M・ファンジオ(4回)
最速F.L. :2分27秒800 J・M・ファンジオ(1951)
                 2分41秒100 J・M・ファンジオ(1953)
                 2分11秒300 L・バンディーニ(1966)

元祖F1フランスGPは初年度1950年に市街地、いや郊外のブドウ農園を走るサーキットとして始まりました。レイアウトはご覧の通り単純なストレートが主体の高速レイアウトで当初は南西にあるグーという市街地に入り込む形を採っていました(赤線のようなレイアウト)が、1953年より市街地を北西にかわす形(黒線)に変更されています。今も当時のトラックは存在しますが、サーキット機能のない公道に戻されています。

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《ルーアン・レセザール》
  所在地 :セーヌ・マリティーム県ルーアン
  F1開催 :1953,57,72,64,68(5回)
一周距離:5.100km(1952)
                  6.542km(1957,72,64,68)
初代優勝:A・アスカリ(フェラーリ)
最多優勝:D・ガーニー(2回)
最多P.P. :J・クラーク(2回)
最速P.P. :2分14秒800 A・アスカリ(1952)
                 1分56秒100 J・リント(1968)
最多F.L. :全5回バラバラ(1回ずつ)
最速F.L. :2分17秒300 A・アスカリ(1952)
                 2分11秒400 J・ブラバム(1964)

セーヌ川のほとりでランスと交互に開催されたこちらも市街地サーキットです。1952年だけはエトワール通りを使ったストレートを擁する時代(赤)がありますが、57年からはルーアンに近い通りを使用した遠回りに変更(黒)されています。

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《クレルモン・フェラン(シャレード)》
  所在地 :ビューイ・ド・ドーム県クレルモン・フェラン
  F1開催 :1965,69,70,72(4回)
一周距離:8.055km(1965,69,70,72)
初代優勝:J・クラーク(ロータス)
最多優勝:J・スチュワート(2回)
最多P.P. :全4回バラバラ(1回ずつ)
最速P.P. :2分53秒400 C・エイモン(1972)
最多F.L. :全4回バラバラ(1回ずつ)
最速F.L. :2分53秒900 C・エイモン(1972)

クネクネですよね。山の中にある別名シャレードサーキットと呼ばれる山岳サーキットで晩年のランスやルーアンの間に行われ、以降ポール・リカールやディジョンが定着するまで4回行われました。サーキットというよりかは、峠道みたいで近代のF1からは想像つかない立地と構成になっています。現在はドイツのニュルブルクリンクやベルギーのスパ・フランコルシャンと同様に一部をショートカットし、南側のショートレイアウトを使用しています。

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《ル・マン ブガッティ(サルト)》
  所在地 :サルト県ル・マン
  F1開催 :1967(1回)
一周距離:4.422km
初代優勝:J・ブラバム(ブラバム)
最多優勝:J・ブラバム(1回)
最多P.P. :G・ヒル(1回)
最速P.P. :1分36秒200 G・ヒル(1967)
最多F.L. :G・ヒル(1回)
最速F.L. :1分36秒700 G・ヒル(1967)

つい先日行われ、アロンソや中嶋一貴が優勝を飾ったル・マン24時間レースの舞台。公道を使用したサルトサーキットの一部を使ったショートコース「ブガッティ」というレイアウトでF1も1965年の1年だけ使用されました。太い破線が先日のアロンソや中嶋一貴が走った優勝の軌跡です(F1で走行していませんので、サルトサーキット全貌は今回割愛します)バイクレースの最高峰MotoGPはここで毎年フランスGPが行われています。

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《ディジョン・プレノワ》
  所在地 :コート・ドール県ディジョン
  F1開催 :1974,77,79,81,84(フランスGPは5回)
一周距離:3.289km(1974)
                  3.800km(1977,79,81)
                  3.887km(1984)
初代優勝:R・ピーターソン(ロータス)
最多優勝:全5回バラバラ(1回ずつ)
最多P.P. :全5回バラバラ(1回ずつ)
最速P.P. :0分58秒790 N・ラウダ(1974)
                 1分05秒590 R・アルヌー(1981)
                 1分02秒200 P・タンベイ(1984)
最多F.L. :A・プロスト(フランスGPは2回)
最速F.L. :1分00秒000 J・シェクター(1974)
                 1分09秒140 A・プロスト(1981)
                 1分05秒257 A・プロスト(1984)

比較的高地に設定された高速レイアウトのサーキットです。高速かつ距離も短めであるために1分を切るラップタイムも記録されています。当初1974年は小半径のコーナーがないレイアウト(赤)でしたが、77年開催時には中間セクションにParaboliqueが追加されて、若干距離が伸びました(黒)フランスGPとしては5回の開催となりますが、82年だけはお隣スイスのGPとして開催されています。フランスGPに滅法強い地元プロストの初優勝の地です。余談ですが「ディジョン」と聞くとどうしてもフランスより韓国を真っ先に連想してしまうのはmiyabikunだけ?!

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《マニ・クール》
  所在地 :ニエーブル県ヌヴェール
  F1開催 :1991〜08(18回)
一周距離:4.271km(1991)
                  4.250km(1992〜00)
                  4.251km(2001,02)
                  4.411km(2003〜08)
初代優勝:N・マンセル(ウィリアムズ)
最多優勝:M・シューマッハ(8回)
最多P.P. :M・シューマッハ(4回)
最速P.P. :1分14秒559 R・パトレーゼ(1991)
                 1分13秒864 N・マンセル(1992)
                 1分11秒965 J・P・モントーヤ(2002)
                 1分13秒698 F・アロンソ(2004)
最多F.L. :D・クルサード(5回)
最速F.L. :1分19秒168 N・マンセル(1991)
                 1分17秒070 N・マンセル(1992)
                 1分15秒045 D・クルサード(2002)
                 1分15秒377 M・シューマッハ(2004)

最近まで使用されていたフランスGPの舞台です。個人的にはフランスGPはポール・リカールよりこちらの方が観戦歴が長いのでイメージしやすいです。全18回開催中、M・シューマッハが8回優勝しているため、同世代のドライバーはなかなかココを優勝するに至りませんでした。その中でも先日振り返った2002年シーズンは全17戦の中盤となる第11戦のこの地で早くもチャンピオン決定、また04年はライバルより多い4回ピットストップを敢行して優勝を挙げるレースをみせています。
このサーキットも先日行われたカナダのジル・ヴィルヌーブサーキットと同様に、本線がピットレーンからシフトするような形態を採っていました。ピットから分流する本線の線形が似ています。レイアウト変遷は当初が赤線としてアデレイドヘヤピンの先のシケイン、最終セクションはシケインからの右鋭角コーナーを経てコントロールラインに達していました。その後、アデレイドヘヤピン先のシケインの廃止、シャトー・ドーの鋭角化、そして最終セクションの延長の変更を伴いました(青線から黒線に)描いて並べるたびに思いますが、マニ・クールってこんなにちっちゃいんでしょうか。縮尺を合わせたつもりですが、疑わしい。
以前に書いたこともありますが、フランスGPが消滅した理由としてはこのマニ・クールが郊外にありアクセスが良くない、またフランス国内のF1人気低迷、そして高額な開催費が挙げられます。そんな話を聞くと、存続が危ういどこぞの国のGPを連想してしまいます。

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《ポール・リカール》
  所在地 :ヴーシュ・デュ・ローヌ県ル・キャステレ
  F1開催 :1971,73,75,76,78,80,82,83,85〜90,18〜
                (15回目)
一周距離:5.810km
                (1971,73,75,76,78,80,82,83,85)
                  3.813km(86〜90)
                  5.861km(2018〜)
初代優勝:J・スチュワート(ティレル)
最多優勝:A・プロスト(4回)
最多P.P. :A・プロスト(3回)
最速P.P. :1分32秒462 K・ロズベルグ(1985)
                 1分04秒402 N・マンセル(1990)
最多F.L. :プロスト、マンセル(2回)
最速F.L. :1分39秒914 K・ロズベルグ(1985)
                 1分08秒012 N・マンセル(1990)

順番が前後して、こちらが今シーズンから採用されるフランスGPの舞台になります。地名やドライバーの名前がサーキット名になるものが多い中、このポール・リカールは酒造メーカーの創設者の名前となっています。
元々は長い長い「ミストラルストレート」が特徴的なライフル型のレイアウトでしたが、1986年のシーズン中テストでE・デ・アンジェリスが事故死し、銃身部分を切り落としたようなショートレイアウトに変更、90年まで使用されました(コースレイアウトは以前の資料を元に作成しています。誤りがあれば修正します)以降はリジェの地元となる前述のマニ・クールにF1フランスGPの座を奪われますが、02年にヘルマン・ティルケの手が入り、安全対策と様々なコースレイアウトが可能なサーキットに生まれ変わっています。どうやら91通り、ではなくホームページによれば167通りのレイアウトが組めるそうです。お願いだから、レイアウトを毎年コロコロ変えるのだけは止めてね、miyabikunが死んじゃうん(笑)

久し振りにコースレイアウトを描いたら、目が疲れました。歴史のある国は開催サーキットも多いしレイアウト変更もあるので大変です。

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データ整理、まとめ系から抜け出してルーティンに戻ります。来シーズンからフランスGP、ドイツGP復活が発表されました。シーズンオフでレースに飢えていませんか?!新車発表や合同テストまでの暇な時期、復活が決まったフランスGPの2002年レースを振り返りたいと思います。この年はポール・リカールでなく、マニ・クールです。何かとイベントや見どころが多いGPとなっています。今回の主役はコイツ。

ジョーダンのフィジケラが予選早々にフロントウィングが脱落するという危険なクラッシュからドクターストップがかかり、予選は記録無し。佐藤琢磨1人での参戦を強いられてしまいました。ちなみに、この決勝でもジャガーのアーバインのマシンからリヤウィングを落としてリタイヤしています。走行中にウィングが脱落するのはタイヤバースト並みに危険。
また、先日レッドブルがスポンサーついていたチームと話題に出したアロウズですが、財政難のために参戦がおぼつかない状況となっていました。チーム一同ガレージにスタンバイするも、 下手に作業もできず読書したり、工具で遊んで暇を持て余しています。挙げ句の果てにはドライバー2人は予選で意図的に107%を期待した走りをせざるを得ない形に。結果、フレンツェンがポールタイムから6.5秒落ちの109%、ベルノルディが7.9秒落ち111%で目論見通りの予選落ち。チームとしてはアリ、ドライバーとしては仕方がないけどナシな走りです。

この第11戦にしてフェラーリのM・シューマッハが早くもチャンピオンに王手をかけています。ポール争いはF1で2年目のウィリアムズ、モントーヤとの一騎打ちとなりました。
0.023秒差でモントーヤが勝ち、5戦連続のポールポジションを獲得します。シューマッハを「力づくでねじ伏せる事ができる」貴重な2年目のベテランです。

《予選結果》
   1 J・P・モントーヤ (ウィリアムズ・B・MI)
   2 M・シューマッハ  (フェラーリ・F・BS)
   3 R・バリチェロ      (フェラーリ・F・BS)
   ※BはBMW、MIはミシュラン、BSはブリヂストン

ちなみにこのフランスGPでM・シューマッハがチャンピオンになれる条件は
①シューマッハ優勝した場合
・バリチェロとモントーヤが3位以下であること
②シューマッハ2位でバリチェロがリタイヤした場合
・モントーヤが6位以下
・R・シューマッハが5位以下
・クルサードが3位以下
の組み合わせになります。今の順位ではM・シューマッハがここでチャンピオンを獲得することはできません。

フォーメーションラップが始まるっていうのに、前後輪ともに宙に浮く赤いマシンが一つ。オブジェみたいになってます。
3番手スタートのバリチェロです。お手上げ終了。さっきの条件②は早くもクリアしてしまいました。エンジントラブルとはいえ、これってもしや、、。フィジケラにアロウズ2台、バリチェロが抜けた18台でスタート。モントーヤは条件に逆らうようにトップを死守しています。ん?新人マッサはフライング?!
好スタートかと審議になりますが、フライング扱いでピットドライブスルーペナルティを食らってしまいます。そこまではよくある話ですが、これでは終わりませんでした。
ピットアウトで思い切り白線を跨いでしまいました。これでまたペナルティ。ストロールよ、師匠も出たての頃はこんな感じよ、精進したまえ!今回はこの白線がレースをかなりかき回します。

やっぱり優勝してチャンピオンになりたいシューマッハはアデレイドヘヤピンの飛び込みで並んで「猛獣狩り」にチャレンジ。でもウカウカしていると、、
もう1人のイキのいい2年生が差し込んできます。焦らなくても早かれ遅かれこのシーズンのチャンピオンになれるのに。
モントーヤからピットに入ると、M・シューマッハはいつものオーバーカット戦略で飛ばしに飛ばします。よしよし、これなら前に、、あ!
M・シューマッハも白線踏んでます。マッサは新人、あなたは4回チャンピオンでこのレース結果では5回目になるんです、同じことをしていてはいけません。ペナルティをこなしつつ、なんとかモントーヤ、ライコネンに続く3位で復帰できました。

R・シューマッハは相方モントーヤの後ろでコースイン、、あ!
兄貴につられたか、やってしまった。レースというより「白線」に翻弄されています。この時点で順位はライコネン、M・シューマッハ、モントーヤの順は変わらず、まだ条件②が満たされていません。
「いいかキミ、白線の内側でなく、外側だぞ」ライコネンにとっては初優勝のチャンスです。お得意な「様子をみてみよう」は充分やったはずだ、さあピットアウトはどうか?!
そう、ギリギリセーフ!正解!トップのまま復帰しました。あとは王者の猛追に耐えるべし。この時点でライコネン、M・シューマッハ、クルサードの順なので、まだ条件②が満たされていません。クルサードがキーマンとなりました。そのクルサードは順当にいけば3番手復帰を、、あ!
ちょっと、2年生のキミにできたことをなぜ君はできない!踏みやがった。。それじゃペナルティじゃないか。

終盤の65周目のアデレイドヘヤピンでオイルを撒きながらエンジンブローしてしまったトヨタのマクニッシュの影響で、黄旗が提示されます。ということは最速ラップや追い越しは禁止となるはずですが、、あ!
ライコネンがオイルに乗りオーバーラン、そこをすかさずシューマッハがインからグイッとねじ込んでさり気なーく押し出す。

「黄旗?知らないぜ、いぇーい!」
「ちょっと、派手なのはやめてよ、もう。。」

《決勝結果》
   1 M・シューマッハ (フェラーリ・F・BS)
   2 K・ライコネン     (マクラーレン・M・MI)
   3 D・クルサード     (マクラーレン・M・MI)

DC「いやいやいや、ちょっと待って下さい!
         キミが踏んだのはマクニッシュのオイルで
         あの時は黄旗振動だったわけで、、、」
RD「で、君の踏んだのは何だ?!」
DC「あ、はい、白線です。。ごめんなさい」

マクラーレンの抗議は覆らず、そのままの順位で表彰式、そして条件①を満たしたことによりM・シューマッハの3年連続5回目のチャンピオンが決定しました。これは以前にもネタで取り上げた通り、2002年の全17戦中11戦目でのチャンピオン獲得となり、シーズン消化率64.7%はF1歴代で最も早い記録となっています。

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今シーズンからルノーが復活します。またロータスからグロージャンがフェラーリ系と言われている新興チームのハースに移籍します。ルノーもグロージャンのどちらもフランス国籍です。ですが、肝心のフランスGPは2008年を最後に開催されなくなってしまいました。理由は「高額な開催費用」や「F1開催によるフランス国内の活性が見込めない」「田舎過ぎて、交通や宿泊が困難」とのこと。フランスGPは本来伝統あるGPの一つで個人的にはマニ・クールで行われてきたフランスGPは楽しく観てきました。行われなくて非常に残念です。

今回は「フランスGP開催を再検討しよう!」運動として、レイアウトや立地、過去のフランスGPをみてみたいと思います。



フランスGPは1950年のF1初年度のランスに始まり、ルーアン、クレルモン・フェラン、ル・マン、ディジョン、ポールリカールと様々なロケーションで行われ、1991年から当時参戦していたリジェ代表の出身地にあるマニ・クールで行われてきました。
マニ・クール サーキット
   全長:4.411km コーナー数:17
   コースレコード:1:15.377
 M・シューマッハ  フェラーリ 2004年

中高速レイアウトです。緩やかに曲がりつつ長短5本のストレートを大きく回りこむコーナーと鋭角なコーナーで結んでいます。一般的にコーナー名は偉大なドライバーや企業名としているサーキットが多い中、ココはサーキット名(地名?)としているのが面白いところ。ニュルブルクリンクやイモラなんて名前です。その土地の名コーナーを模倣して名付けられいるようですね。潔い!

このサーキットの一番の見せ場は序盤にある鋭角な「アデレイドヘアピン」ではないでしょうか。スピードに乗ったストレートから一気にアデレイドに飛び込み、ココが一番のパッシングポイントかと思います。前にも書いたことがありますが、ココを通過する時、一瞬時が止まったかのように見えます。
ブレーキを頑張り過ぎるとインをさされて抜かれるし、ライン取りに失敗すると並ばれて次に控えるニュルブルクリンクや180°コーナーまでインとアウトが入れ替わりしつこく争うことになってしまいます。


あと好きなのは最終16、17コーナーにあたるクランク。テレビを観ていると、メインスタンドにヒョコっと横スライドして姿を現すマシンがツボです。カナダのジル・ヴィルヌーブサーキットにもにたシチュエーションがありますね。


田舎過ぎとのことなので地図でみると、
パリとはこんな位置関係。フランスではど真ん中でブールジュ、ヌベールといった街には近そうですが、TGV(フランスの新幹線)や大空港どころか小空港も近くにありません。ハイウェイもN7号線が途中で途切れてしまっています。
航空写真でみると、確かに周りは田園の田舎にはちがいない。不便だ、うん。




過去にマニ・クールで優勝したドライバーは1991年から2008年で10人います。
   M・シューマッハ       8勝 ★×5
   N・マンセル              2勝 ★
   A・プロスト              1勝 ★
   D・ヒル                     1勝 ★
   H・H・フレンツェン 1勝
   D・クルサード           1勝
   R・シューマッハ       1勝
   F・アロンソ               1勝 ★
   K・ライコネン           1勝 ★
   F・マッサ                  1勝
★はココを優勝した年にチャンピオンを獲得

M・シューマッハはフランスGPが大得意でした。フランスが地元のプロストは2勝。フランスGPで勝つドライバーはその年のチャンピオンになる者が多い気がします。ナンバー2ドライバーも多いですが。
下の3人は現役で数少ない勝者達です。フランスGPを知るドライバーも何人かいますね。


時期は今まで大抵6月末~7月初頭に行われてきました。今シーズンでいうと第9戦オーストリアGP(7月3日決勝)あたりでしょうか。初開催の第8戦アゼルバイジャンGPが6月19日決勝ということは、6月25日決勝がまだ空いているじゃありませんか!(笑)今シーズンに行うのは急過ぎだし、ただでさえ年間21戦で多過ぎと騒いでいますから、22戦になんかしたら大ブーイング間違いなしですね。どこかつまらないGPと差し替えるってことで、、、。さあどこを選ぼう!

前にも書きましたが、母国GPがあると盛り上がりますし、力の入れ様はだいぶ変わるはずです。給油問題もいいですが、フランスGP、今一度再検討を!


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