F1 えきぞーすとのーと

よくあるニュースネタやこ難しいテクニカルな話ではなく、メインは予選や決勝のTV観戦したそのものを個人的観点から綴るF1ブログです。  また、懐かしのマシンやレースを振り返ったり、記録やデータからF1を分析。その他ミニカーやグッズ集めも好きなので、それらを絡めつつ広く深くアツくF1の面白さやすごさを発信し、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

タグ:ベルガー

今回のF1CMは1990〜91年に放映された集英社「週刊少年ジャンプ」です。懐かしいですねー。miyabikunはドンピシャ世代です。少年(少女)に大人気のジャンプとF1のコラボレーションは読者世代の心を掴み、憧れだったと思います。本当にこの頃は日本のF1熱が高かった。
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CMは洋風な観音開きの白い窓からスタートします。窓を開ければ「少年ジャンプ」
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意味はよくわからないけど、サブリミナル効果のようにこれが単純にずっと続きます。要はいつでもどこでもジャンプがあるよと言いたいのかな。この時代のCMって商品名や会社名をひたすら連呼するのが流行りましたよね。うまくリズムに合わせて連呼した湖池屋の「ドンタコス」や「ポリンキー」、ピップフジモトの「タダン」とかもカタコトでボリューミーな女子プロレスラーが連呼していました。CMの意味や商品の詳細はよくわからない。でもフレーズは目と耳にはこびり付く。限られたたった15秒や30秒(気合いを入れた60秒モノも)でインパクトを如何に与えられるかで、CMの意味をなすと思います。よく真似したり口ずさんだりしましたもんね。子供の頭に入るくらいだから、CMとして大成功でしょう。
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ベルガーとセナも「少年ジャンプ」先日のバーレーンGPにベルガーは遊びに来ていましたが、歳も取ったし顔がむくんでいたのはちょっと切なかったなぁ。
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miyabikunは当時F1ファン新人の10歳頃。ちょうどこの彼は今でも生きていれば同じくらいの歳のおっちゃんかも。CMのことやF1なんて、今では忘れちゃってるんだろうな。
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ジャンプのF1特集は光沢カラー紙で掲載されていました。miyabikun自身が買うこともたまにはあるけど、週刊誌で200円と10歳には高価。だから基本的には金持ちの友達が買ったものを回し読み(集英社さんごめんなさい)一通り読み回ったら捨てる前に貰って、miyabikunが特集のページだけをズバッと切り取り、貯めていました。捨てた記憶がないから、それこそジャンプ1冊分くらいの厚みで束ねて今でも実家のどこかに眠っているかもしれません。
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そうそう、マシンに貼られたロゴ。ノーズコーンにちっちゃく入っていたんですよね。
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最後はなぜか和服でお淑やかな女性が正座からお尻を少し浮かせる。オチがしっかり入っています。具体的には動画をご覧下さい。
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CMでは「火曜日発売」とアナウンスされていますが、miyabikunの地区は月曜日に発売されていました。

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こちらは別バージョン。銭湯で勇ましい男性の後ろ姿に「少年ジャンプ」今ではこんなシーンをCMで使えないでしょうね。
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当時のジャンプを語るには欠かせないのが「ドラゴンボール」ですね。悟空とマクラーレンの組み合わせは「神ってた」なぁ。セナと悟空をダブらせて見ていた記憶がある。スケール感はちょっとおかしいけど、メカ好きな鳥山明の描くF1マシンもいい。ブルマがうまいこと「タバコロゴ」に覆い被さる。ちなみにドラゴンボールはmiyabikunマンガもDVDも全巻持ってます(笑)悟飯もいるけど、当時もういたんだっけ?!てっきり悟空とブルマがくっつくとばかり思っていたのに、実際は違いましたね。
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さっきのノーズコーンに貼られたロゴのアップはこちら。停車しないと読み取れないくらい本当にちっちゃいの。この広告費はいくらなんだろう。。調べたら当時の1億円くらいだそうです。そうなるとマールボロ(フィリップモリス)って、すごい。
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そしてやっぱり最後は和服女性がお尻を少し浮かせる。こんな役をよくやりましたね(笑)当時はバブリーだったし、ギャラをたんまりもらえているんだろうなぁ。
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これら動画もいつものYouTubeで閲覧できます。最近ジャンプは読んでないなぁ。あのロングセラー「こち亀」も終わっちゃったし、最近の作品は全くわかりません。

https://youtu.be/dS-ICcITNjw
https://youtu.be/jTaZouK-m0s

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夏休み期間に一回も過去のレースを振り返りませんでしたね。現在までこのブログでは特筆すべき69戦分振り返ってきました。あまりハイペースに振り返るといつか近代レースのほとんどを振り返るようなことになってしまいそうです。今回はいつもお決まりのGP前の振り返りとして、1995年のベルギーGPを選びました。前戦第10戦ハンガリーGPではベネトンのM・シューマッハがフェラーリと接触し始めたのが話題となりました。また、相対してフェラーリのアレジはこのベルギーGP前にフェラーリを離れ、翌シーズンはベネトンへ移籍することを発表。このヨーロッパ終盤レースの頃はストーブリーグがファンや関係者を飽きさせません。

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この時代のスパ・フランコルシャンはこの「バスストップシケイン」が健在。この高速バスの停車場のように本当にバスの駅みたいでよかったのになぁ。ココで多くのパッシングシーンも見られましたね。スパといえば「スパウェザー」と呼ばれる特徴的な気象条件です。山間の傾斜地にあり、さらには広大なレイアウトも相まって「一周の間に部分的に雨が降っている」なんて状況を度々呼び、ドライバーやスタッフが頭を悩ませ、レースにドラマを生んできました。単にドライでも縦断勾配にロングストレート、高速コーナーと内容盛り沢山なサーキットなのに、拍車をかけて難易度を引き上げてくれる。だからこそ、ドライバーからもファンからも支持が高いのでしょう。

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地元も近いベネトンの若い王者シューマッハとて、雨に翻弄されて予選は何と16位に沈んでしまいます。デビューの地、初優勝の地でも、雨には勝てませんでした。最大のライバルであるウィリアムズのD・ヒルは8番手と番狂わせが既に始まっています。そうなると、誰がフロントロウか?!
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この赤い2人。この時代は全く奮わないフェラーリのベルガーがポールポジションを獲得しています。最大のライバルははるか後ろ。ここぞとばかりワンツーフィニッシュ計画を打合せ中。ちなみに日本人ドライバーはティレルの片山右京がシューマッハの一つ前となる15番手、フットワークの井上隆智穂が18番手となっています。

《予選結果》
   1 G・ベルガー     (フェラーリ・F)
   2 J・アレジ         (フェラーリ・F)
   3 M・ハッキネン (マクラーレン・M)
   ※タイヤはグッドイヤーのワンメイク

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決勝はドライでスタート。せっかく赤で封じるはずが、ポールのベルガーが出遅れて、水色のベネトン?
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誰よこれ、シューマッハ違うよ。オー・ルージュの進入でピタリと、ベルガーに代わってトップのアレジに張り付き、
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フェラーリエンジンなんて目じゃないよ、こちらは天下のルノーエンジンに載せ替えたんだい!
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ケメルの出口、レ・コームで前に出る王道パターンで早くもフェラーリ崩壊。データなんぞ共有できなくても、フェラーリ成敗くらい容易いと、軽やかにハーバートがシューマッハに代わって先頭へ。成敗されたアレジはサスペンションを痛めて早々と離脱しています。いいのいいの、こんなフェラーリも今年限りで離脱するから。
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この時代はイキのいい若手はまだまだいます。セナに代わって名門から堂々とデビューを果たした2年目、クルサードが元祖ルノーエンジンを駆り新規ルノーエンジンをまくしたて始めました。さっきを真似っこのように、ケメルで背後霊に取り憑かれるハーバート。真後ろにつかれるのって、嫌ですよね。オー・ルージュからラディオン、ケメル、レ・コームまでの一連の動きもセットでスパの代表的なパッシングポイントとなっています。レ・コームの進入では何とかしのぎ、、
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うわぁ、スピン!頑張り過ぎちゃうと、曲がり切れない。クルサードが先頭に立ち、シューマッハ無きチャンスを誰もが狙いに来ています。

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一方で後方スタートのシューマッハといえば、5周目でP5、ということは、既に11人抜きと実にイキがいいです。自然と戦線離脱したドライバーもいましたが、やっぱりシューマッハはスパに縁がある。11周目にジョーダンのアーバインも捉えて、序盤で4位まで浮上してきています。
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トップのクルサードと3位を走行していたベルガーが右手を上げて降伏宣言。そうなると、トップに繰り上がったヒル。
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そして離れた後方で2位にシューマッハが繰り上がり、何だかんだでいつもの主役がレースを牽引する構図になりました。予選の番狂わせは何だったんだ?!ただここでスパは決勝でもレースに課題を突きつけてきます。雨です。
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ヒルはすかさずピットインを行い、レインタイヤを履いてシューマッハの後ろに。シューマッハはドライタイヤのままステイ。雨は降り始めの判断がとても重要です。両者が異なるアプローチでガチンコ勝負に入ってきました。

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アクアプレーニングと格闘するシューマッハにヒルが追いつきました。レインとドライでは走行ラインは異なりますし、高速スパの濡れた下り坂を溝無しドライタイヤで制御するのは非常に困難です。ヒルは王道区間からのパッシングを試みます。
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外側のシューマッハ粘る。抜けない。レ・コームも要所を押さえて易々と前は明け渡しません。下り区間のブランシモンではどうか?
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バスストップシケインまでブロックラインを採り、そんじょそこらの輩とは訳が違う。ならばもう一丁、ラディオンから
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譲りません。しぶとい。ただ先程しでかしてしまったレ・コームでは止まり切れずオーバーラン。濡れたスリックタイヤでよく耐えました。
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雨も止んだし、スリックであそこまで粘れるんだから、また元に戻してみる?!と、トップに返り咲いたヒルは再びピットインを行い、ドライタイヤに戻すと
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大雨によりセーフティカー発動。スパの空は気ままです。ヒルは三度タイヤをレインに戻すピットへ。
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この時ヒルは焦りが出たかピットレーンの速度違反を犯してしまい、10秒ストップペナルティが下ります。ヒルは5回目のピットに流れ込んでいきます。レースというよりかは、ピットインしている回数が印象的でした。
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《決勝結果》
   1 M・シューマッハ(ベネトン・R)
   2 D・ヒル               (ウィリアムズ・R)
   3 M・ブランドル    (リジェ・MH)
   ※MHは無限ホンダ

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予選16番手から雨を味方につけ、我慢強くステイアウトをしたこのレースが、数多く重ねた優勝の中での最下位スタートのものです。2000年代に勝ちに勝ったシューマッハはポールトゥウィンが多いイメージがあります。それは対等に争えるライバルがしばらくいなかったこと、さらにはフェラーリのマシンとシューマッハのコンビネーションがどハマりしていたからのこと。前にも書いたことがありますが、私はこのベネトンチャンピオン期、この後のフェラーリ再建期にあたる1990年代後半こそが「恐れるほどのシューマッハ最強時代」であったと思っています。とことん過激でした。その過激さ故に、このレースでも異なるタイヤで先程のヒルを翻弄したブロック走行により、執行猶予付き1レース出場停止という裁定も下っています。

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第2戦ブラジルGPの2位表彰台以降低迷し、蓄のう症のため3戦欠場から明けたベネトンのベルガーは第9戦ドイツGPを前は会見を行っています。
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「自分が今後何をしたいのか2〜3戦以内にハッキリする。僕としては来年ベネトンでは走らない」
数少なくなった80年代のF1を知るベテランの37歳。周りにはイキのいい若手、ベルガーの代役を務めたヴルツも第8戦イギリスGPでいきなり3位表彰台を獲得。さらに欠場中には父親を航空機事故で亡くし、トップドライバーとしての去就をじっくり考えるタイミングが訪れたのかもしれません。今回はホッケンハイムリンクでの1997年ドイツGPです。

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予選は話題性抜群のベルガーがベネトンとして約2年振りとなるポールポジションを獲得。続いたのは0.02秒差のヤングイタリアン、ジョーダンのフィジケラでした。この時代のこの僅差はなかなか稀。この97年は一貫して速さをみせる2年目は決してハイパワーとは言えないプジョーエンジンを駆り、しかもしっかりとシューマッハやハッキネンらを抑えての2番手は将来の有望株とみえました。


《予選結果》
   1 G・ベルガー    (ベネトン・R・GY)
   2 G・フィジケラ (ジョーダン・P・GY)
   3 M・ハッキネン (マクラーレン・M・GY)
   ※GYはグッドイヤー、Pはプジョー

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フィジケラは決勝も好スタートをみせるもベルガーが堅実なスタートを決めて1位を譲りません。4番手スタートのM・シューマッハが3番手ハッキネンから奪っています。
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親の不幸と自身の去就で苦悩する中、2ピットストップを予定するベルガーは計画通りマージンを築き、若者達に屈さぬ姿勢。これぞ二百戦錬磨。ピットクルーの表情も明るいです。
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1回目のピットを終えてフィジケラ、シューマッハ、ハッキネンの後ろとなる4位復帰。いいんですこれで。彼らは1ピットストップ、そもそもの戦略が違う。

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トラック上で若手のハッキネンを料理。3位に浮上すると、前の2人フィジケラ、シューマッハが最初で最期のピットに向かいます。
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前が開けたら何をすべきか、ベルガー自身も控えるあと1ピットストップ分を自ら稼がなくてはなりません。飛ばす!
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クルーが用意をし始めた33周目時点で19.6秒のギャップと、それでも正直際どいタイミングです。

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ベルガー入る。フィジケラも初優勝がかかっています。飛ばす!
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ベルガー出発。フィジケラはコントロールライン通過。どちらが前?!初優勝か病み上がりのベテランか?!
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フィジケラが前でした。初優勝が見えてきます。ただしココは高速ホッケンハイムリンクです。森の中で後ろに張り付いて
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抜けばいい。当時のナンバー1を誇ったルノーV10を搭載していれば怖いものはありません。

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あはは、ボクでは到底敵わない。貫禄負けかなと2位でも立派なフィジケラは中盤にJ・マグヌッセンがリタイヤした際のデブリを拾ってタイヤバーストからのコースオフ、そしてスピンにより2回目の表彰台はお預けです。今日のベルガーは何かが違う。運気を全て走りに注入できているかのよう。

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《決勝結果》
   1 G・ベルガー        (ベネトン・R・GY)
   2 M・シューマッハ (フェラーリ・F・GY)
   3 M・ハッキネン    (マクラーレン・M・GY)

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見よ、若者達!いよっ、先輩。さすがっす!
予選、決勝そしてファステストラップも全てベルガーのものです。決勝後のコメントでベルガーは「今日は誰かに優勝の後押しをしてもらったかのようだ。誰かはわかってるよ」と亡き父に力を借り、見事親孝行を成し遂げました。

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先日振り返った名門ベネトンはデビューイヤーの1986年第15戦メキシコGPでこのベルガーの手によって初優勝を遂げました。ベルガー自身の初優勝でもあります。そして97年はそのベルガーが持ち帰ったこの優勝がベネトンとしての最終優勝であり、ベルガー自身の最終優勝となっています。ベネトンの輝かしい時代はベルガーに始まりベルガーに終わる。
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ベルガーはその後、会見での宣言通りベネトンから離れ、後任は代理として活躍したヴルツと伸び盛りフィジケラを起用。ベルガーは結局どこのチームに移籍することもなく、210戦におよぶF1ドライバー人生に幕を降ろしています。

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この企画を半年放置してしまっていたので、英文法も終わったことだし復活させます。第2期マクラーレン・ホンダは結局昨シーズンにわずか3年で別れを告げました。第1期は1988年から1992年の5シーズンを戦い、4年連続のチャンピオンを輩出している名門タッグでした。今まで初代88年のMP4/4と末代92年となる4/7Aについて取り上げましたが、今回はその中間となる3年目、1990年のMP4/5Bを見ていこうと思います。この年から本格的にF1を観始め、このマシンからF1が好きになったこともあり、個人的に思い入れが強いマシンです。
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《設計》
スティーブ・ニコルズ
ニール・オートレイ
ボブ・ベル

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《外見》
相変わらず画像の大きさの微調整が利かなくなり、見辛いですね。申し訳ありません。
名前としては89年のMP4/5のマイナーチェンジを思わせるネーミングですが、実際には似ているようで外観に違いがあるので見分けは可能です。MP4/4の角張った扁平マシンからMP4/5で丸みがつき、航空機に採用される「ラム圧」をF1にも取り入れるべくコクピット後方に背の高いエアインテークとなりました。こちらがMP4/5
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これがMP4/5Bになると、そのエアインテークはより縦長になっています。
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またサイドポンツーン開口も大開口から縦に細く狭められました。それもあって細身でシャープな印象を持ちます。
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サイドポンツーン側面に設けられた排熱に使われるアウトレットのくびれが無くなり、サーキットによって開口の大きさも調整できるようになっています。各サーキットで様々なディテールを見ることができます。
コクピット前方のバイザーも低くなり、第9戦ドイツGP以降は黒に変更されています。歴代マシンと見比べると、コクピットが非常に窮屈そう。
フロントウィングも両サイドが高い位置まで跳ね上がり、サスペンション周りやブレーキ周辺の整流に工夫を凝らしています。逆に翼端板は大型三角形から背の低いものに変更されるなど、マールボロカラーだから一見似ているし、名前もBだから単にセカンドモデルと思いきや、このようなかなりの変更があったりします。

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《エンジン》
ホンダRA100E
V型10気筒・バンク角72度
排気量:3,498cc(推定)
最高回転数:13,000
rpm以上(推定)
最大馬力:700馬力(推定)
燃料・潤滑油:シェル

エンジンは前作MP4/5のRA109Eと同様の排気量でありながらスロットルバルブをスライド式からバタフライ式に変更が空燃費の向上に繋がりました。またボアを2mm拡大し、ストロークは2mm短くしたショートストローク化を行うことでエンジンピストンの摩擦によるロスを軽減しています。バラストの位置にもホンダで徹底的に追求されました。今では信じられないですが、当時は2台のマシンに対して1レースに10基、年間で200基近くのエンジンを準備していました。予選と決勝で使い分けられた時代ならではです。そう考えると、現代は息苦しいもののかなり経済的ではありますね。

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《シャシー》
全長: - mm
全幅: - mm
全高: - mm
最低車体重量:500kg
燃料タンク容量: - ℓ
クラッチ: -
ブレーキキャリパー:ブレンボ
ブレーキディスク・パッド:ブレンボ
ホイール: -
サスペンション:フロント プルロッド
                                 リヤ    プッシュロッド
タイヤ:グッドイヤー

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このマシンのもう一つ特徴的と言えるのが、半円状のトンネル型のディフューザー、通称「バットマン・ディフューザー」です。元来の平板型と比較すると後方へ気流を効率的に排出できるメリットもありますが、パンピーな路面で挙動を乱すとそれが不利側に利いてしまうという弱点もありました。ドライバーのセナ、ベルガーともドライビングミスが続き、第10戦ハンガリーGPでは従来型に戻したため、短命に終わりました。

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《ドライバー》
No.27 アイルトン・セナ(全戦)
No.28 ゲルハルト・ベルガー(全戦)

《戦績》
121ポイント コンストラクター1位
(1位6回、2位 4回、3位8回、4位3回ほか)
ポールポジション12回

前年89年をもってマクラーレンでの「セナ・プロ」はプロストがフェラーリに移籍したため終止符が打たれます。話題になりがちなこの2人ですが、チームメイトだったのはたった2年でした。そう考えると、近年のメルセデスによるハミ・ロズ時代よりだいぶ短めです。F1史を見ていくと、エース級を2人揃えてあまりうまくいくケースはそうそうありません(仲良くやっている現在の某チーム2人はなかなか特異)
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プロストとスイッチする形でフェラーリから移籍してきたベルガーを迎えて、晴れて単独エース扱いのシートを得たセナはチームを上手く牽引(掌握)して89年に逃したチャンピオン奪還に赴きます。全6勝はセナのものであり、ポールポジションもセナが10回に対してベルガーは最高位が2位、ポールポジション2回と完全にドライバーの優劣を確立させています。ベルガーはセナが優勝したレースは2位にはなれず3位となり、ワンツーフィニッシュは一度もありませんでした。
セナは開幕戦アメリカGPを制すと、そこからは優勝を含めた表彰台かリタイヤかといった白黒が顕著に出たシーズンであり、第14戦スペインGPから最終戦オーストラリアGPの3連戦全てリタイヤし、前にも振り返った第15戦日本GPに至っては1コーナーにプロストとチームの垣根を越えた確執のクラッシュによって「とても歯切れの悪い」チャンピオン奪還となりました。
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マシン自体は改良を施し、体制も自身有利の体制と結果を重ねていきますが、そのマシンは決して扱いやすいものでもなく、また最速マシンかと聞かれたら先程のバルブ形式の変化はセナ特有の繊細なリアクションに対応し切れなかった面が露呈されてしまったのも事実です。初年88年をピークに圧勝から少しずつマシンの優位性は中和され、フェラーリをはじめ翌年以降は徐々に技術力でウィリアムズも背後に近付くなど、いい意味ではバトルし甲斐のある、悪く言えば陰りが見え隠れする時代に差し掛かっていきました。

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今では見かけなくなったポルトガルも1980年代後半から90年代前半でF1が行われました。晩年はある人が度々「何か」見せてくれていましたよね。今回は次戦のオーストリアGPではなく、1989年の第13戦ポルトガルGP「第1弾」としてみていきます。
1989年はターボエンジンが禁止され、V8〜V12と気筒数に差はあるものの全車横並びで3.5ℓのNAエンジンに揃えられました。開幕戦ブラジルGPと第10戦ハンガリーGPでフェラーリのマンセルが2勝、第6戦カナダGPではウィリアムズのブーツェンが1勝した以外は全てマクラーレン2人が勝利を分け合っています。最多勝5勝をあげたセナはリタイヤも多くランキング2位、ランキングトップは4勝ながら2位も堅実に5回獲得するプロストでした。当時は有効ポイント制でしたのでセナがチャンピオン連覇するためには優勝もさることながら確実なポイントゲットを積み上げることが絶対目標となります。


ポールポジションはプロストに0.7秒、2番手のベルガーにも0.6秒の差を付けてセナが確実にモノにしました。

《予選結果》
   1 A・セナ(マクラーレン・H・GY)
   2 G・ベルガー(フェラーリ・F・GY)
   3 N・マンセル(フェラーリ・F・GY)
     ※GYはグッドイヤー

ポールポジションからスタートするということは、そのままの順位を維持するか抜かれるしか道はありません。スタートはセナの加速が鈍り、2番手のベルガーが気持ちよく前に出ます。さらに3番手マンセルにも並ばれて、しばらくしつこく追い立てるとスリップストリームを使われて早々とホンダV10で3位まで順位を落としてしまいます。それでも真のライバル、プロストよりは前です。

この日のマンセルはキレッキレでした。トップのベルガーの前に周回遅れが現れ始めると、ギャップを一気に詰めて周回遅れ2台もろとも一気にベルガーを含めた3台を抜いてトップに立ちます。

ここまでは我が主役だと猛威を振ってきたマンセルは40周目のピットで珍事を起こします。あれ?マンセルはピットクルーを越え左側にマシンをおさめましたが?!
どうやら上流側であるマクラーレンのピットクルーを避けるべく、所定の位置に誘導することができませんでした。ここでマンセルはどんな行動を取ったか?
リバースレンジにギヤを入れ、バックでピットに入庫です。ひとまずクルーは何事もなくタイヤ交換を行い、マンセルを送り出しはしましたが、、

オフィシャルは見逃しませんでした。黒旗失格です。本線はおろかピットレーンについても、マシンをバックさせてはならないのです。
その後もイケイケのマンセルは一度先行させたセナを煽り、いつでも狙える状態までもっていきます。
今日のマンセルはしつこいぞ、セナ!
黒旗提示されて3周目
セナ、譲らず。マンセル並ぶ!
あーやっちまった。。セナはグラベルへ。もちろんマンセルの勢いもグラベルで停止です。
ケンカになる前にマンセル早足に立ち去る。
セナは今シーズン終わったと悟るかようにたそがれる。
もちろんチーム首脳陣も黙っていません。まだフサフサしているロン・デニスがフェラーリのチェザーレ・フィオリオに食ってかかります。本来マンセルはこの周回に「いてはならない」ドライバーです。プロストより前を走る表彰台ドライバーとぶつかってリタイヤなどあるわけがない状況でした。

結局、相方の不祥事など全く知らず、シレッとベルガーがウィナー。

《決勝結果》
   1 G・ベルガー(フェラーリ・F・GY)
   2 A・プロスト(マクラーレン・H・GY)
   3 S・ヨハンソン(オニクス・Fo・GY)
      ※Foはフォードエンジン

レース後のマンセルの会見と言い訳です。
10年近くF1に携わるベテランでピットレーンのバックは危険で違反だということを本当に知らなかったのでしょうか?!黒旗提示に気付かなかったとのこと。さすが荒法師!ちょくちょく「引退」という言葉を使って誠意を示してきます。これがマンセルです。翌戦スペインGPは出場停止処分となりました。
一方セナは
チャンピオン連覇の可能性がかなり厳しい、心なしか力がないです。
黒旗失格。走れる状況下で「ルール上」諦めなければならないというスポーツマンとしてかなり厳しい裁定ではありますが、他車を巻き添えにしてチャンピオン争いを引っ掻き回してはいけません。
ベッテルの追加処罰は免れたものの、話題的にちょうどいいので先輩「レッド5」のいい見本を取り扱ってみました。つづく。

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