昨年は4人のドライバーがF1から去りました。まだ年齢的に若い者もいれば、一度頭の中を整理して再戦しようと目論む者など様々。ただやはり今シーズンのシート争奪戦のきっかけとなったベッテルの「引退」は衝撃的なニュースでしたね。ベッテルは一昨年のライコネンと同様に、長きに渡りF1に携わり、一時代を築いたレジェンドドライバーの一人。他の3人はまだF1に復帰するチャンスが無くもないですが、ベッテルはまずドライバーとして戻ることは無いでしょう。今回は遅れ馳せながらベッテルの16年に及ぶF1での戦績を振り返りながらはなむけしたいと思います。昨年のライコネン並みかそれ以上のボリュームになりましたので、途中リタイヤすること無く最後まで心してお付き合い下さい(笑)
セバスチャン・ベッテル
1987年7月3日生まれ
2007年 BMWザウバーからデビュー
16年在籍(2007年はスポット参戦)
優勝53回 歴代3位
表彰台122回 歴代3位
参戦数300戦 歴代7位
ポール獲得57回 歴代4位
ファステスト獲得38回 歴代5位
チャンピオン4回 (2010,11,12,13年)
※記録、歴代順位は2023年第3戦終了時点
各種獲得数、F1歴代順位にチャンピオン獲得回数などなど、全てにおいて極めて高いランクにあるドライバーであったことは言うまでもありません。歴代3位の優勝、表彰台登壇回数のさらに上位2人はご存じの通り同じ方。ハミルトンとM・シューマッハの2人であり、ポールポジションはその2人にセナを加えた3人。ファステストラップは先程のセナに代わり、ライコネンとプロストに代えた4人がベッテルの上位にいるのみとなっています。今シーズンの現役ではハミルトンに全てで上回れなかったものの、アロンソに対しては参戦数以外で上回っていると考えれば、ベッテルの戦績の高さがよくわかります。
《ベッテルの略歴》
いつも通り、ベッテルのこれまでの経歴を簡単に振り返っておきたいと思います。この後本当に長丁場になりますので、マジで簡単に、、。
ベッテルはドイツの中でもフランス寄りに位置する旧西ドイツのヘッセン州ベルクシュトラーセ郡へッペンハイムという人口3万人弱の街に生まれました。
幼い頃からカートに勤しみ、ドイツジュニアカート選手権、ヨーロッパジュニアカート選手権でチャンピオンを獲得。1998年(11歳)にレッドブルの育成プログラムに参加するようになります。その後、F3ユーロシリーズに舞台を移し、若かりしハミルトンらと戦うようになります。また地元ドイツのBMWからも注目を浴び、2005年にはBMWエンジンを搭載したウィリアムズFW27でF1初ドライブ。翌年2006年にザウバーを買い取る形で参戦を始めたBMWザウバーのサードドライバー契約を「レッドブルから2年間レンタル」という名目でスタートし、本格的にF1に関わることとなりました。
2007年第6戦カナダGPで大クラッシュを喫したクビカに代わり、第7戦アメリカGPでF1デビュー。予選は全22人中7番手、決勝は入賞ギリギリの8位でフィニッシュし、当時ウィリアムズのバトンが有していた「最年少入賞」を更新し、早くも才能をみせました。その活躍もあり、同じ年の第11戦ハンガリーGPでは解雇されたスコット・スピードに代わりトロ・ロッソから参戦をはじめ、シーズン終了までの7戦をドライブしています。
2008年からトロ・ロッソのレギュラードライバーとなり、同じ名のセバスチャン・ブルデーと共にシーズンを戦い抜きます。終始雨模様だった第14戦イタリアGPでは予選でチーム初、自身初のポールポジションを「最年少」で獲得。決勝も勢いそのままに挙げた初優勝も「最年少」、ポールトゥウィンも「最年少」と記録ずくめの2年目を過ごしました。
そして参戦3年目の2009年から「お兄さんチーム」のレッドブルに昇格。ポールポジションや優勝の常連に名乗りを挙げ、チャンピオンも夢ではない位置にまで飛躍しますが、シーズン序盤から好調をみせたブラウンGPとバトンに手が届かず、ドライバーズランキング2位に終わります。
参戦4年目、レッドブルで2年目を迎えた2010年もポールポジションと優勝を量産。チャンピオン争いでフェラーリのアロンソと競い、最終戦アブダビGPでポールトゥウィンを挙げた結果、ハミルトンのもつ「最年少」チャンピオンを獲得。以降もマシンレギュレーション変更もあり苦戦したシーズンはありつつも2013年まで四連覇を果たします。
ただチャンピオン獲得以降のベッテルはキャリア初期にみられたひたむきな姿勢かつ少年のような無垢な笑顔から、チャンピオン特有でもある「チームの指示を無視する傲慢な言動」が出始めます。
本来助け合うべきチームメイトとの不仲説やライバルチームのドライバーに対する差別的発言もあり、問題となったこともありました。
そのバチが当たったか、2014年はパワーユニットの大幅変更もありベッテルは大不調。これまで絶対王者にまで上り詰めたレッドブルはメルセデスにその座を奪われ、さらには5年間チームメイトを務め、引退したウェバーに代わり、トロ・ロッソから移籍した若手のリカルドに大敗を喫する結果を経験します。そこでベッテルはレッドブルを離れることを決め、2015年からはアロンソの抜けたフェラーリと3年契約を結びました。
公私共に交流のあるライコネンがチームメイトになってからは、レッドブル時代のピリついた表情は減り、兄弟のように戯れ合う姿が印象的でした。2015年、16年はメルセデスの勢力になかなか太刀打ちできない状況が続きますが、2017年からは再びポールポジションや優勝戦線に戻り、ランキング2位のところまで上り詰めてきます。
2019年からはライコネンに代わってフェラーリアカデミー出身の若手、ルクレールをチームメイトとして迎え入れることとなりましたが、ルクレールは予選自慢のベッテルを上回らんばかりの予選自慢。ポールポジション獲得数だけでなく、ドライバーズランキングでも敗れることとなりました。
世界的なコロナ禍もあってイレギュラーなシーズンとなった2020年は再びノンポール、優勝無しの大転落に陥ります。ドライバーズランキングもレギュラードライバー時代で自身最下位となる13位にまで落ち込み「ベッテルもそろそろ引退か?!」と取り沙汰されるようになりました。ベッテルはフェラーリを離脱する決断をし、2021年からは新天地に中堅チームのアストンマーティンを選択しています。
若手(とはいえ参戦5年目)のストロールのチームメイトとして、キャリア初のメルセデスパワーユニットをドライブすることとなったベッテルですが、マシンのポテンシャルかチーム力か、はたまた自身の衰えなのか、才能はなりを潜め、予選ではQ3進出も減り、決勝は2年間で1回(あと幻の1回)と、三度輝くことは叶わず、2022年第13戦ハンガリーGPを前にF1引退を発表。16年に及ぶF1ドライバー人生の幕を下ろしています。
《ベッテルの戦績とその特徴》
ここから過去のレジェンドドライバーと同様に、予選、決勝の全戦績をグラフ化しながら特徴をみていきたいと思います。
〈予選順位、決勝順位の全結果〉
まずは予選順位を全てプロットしました。一応チームカラーっぽい色でプロットし、パワーユニット交換等の降格前の「純粋な予選順位」で統一しました。またいつもながらQ1領域は水色、Q2は黄色、Q3は赤をバックに落としており、濃いグレーの期間はドライバー契約が無かったものを示します。
デビュー間も無いBMWザウバー期やトロ・ロッソ期、そして晩年のアストンマーティン期こそQ1落ちが目立ちますが、中盤のレッドブル期やフェラーリ期はほぼQ3進出を果たしています。アルファベットの「M」の字に近い分布ですね。Mの谷間に位置するのが、、ベッテル一番の暗黒期である2014年です。よくてQ3進出でも中盤、ほかQ2止まりの結果がいくつかありました。
ポールポジションの高さで一本筋の絶好調レッドブル期はさておき、フェラーリ移籍後もポールポジションはいくつか獲得していました。2015年、16年はライバルのメルセデスが二枚看板で速さをみせていたこともあり、ライバルは3番手が精一杯という状況がありました。そう考えると、ベッテルは健闘していたように思います。
予選から上位を獲得できるベッテルとて晩年過ごした中堅チームでは苦戦を強いられ、アストンマーティン初年の2021年はQ2止まりが続き、最終年の昨年はQ1突破も難しい状況となりました。輝かしい時代を知るファンとしては、下位でくすぶるベッテルを観ているのも正直辛かったですね。
こちらは決勝結果をプロットしたものになります。ベッテルはF1参戦300戦中、決勝でスタートしなかったものが1戦(2016年第2戦バーレーンGP)と決勝出走後に失格したものが1戦(2021年第11戦ハンガリーGP)の合計2戦あるため、決勝の結果としては298戦となります。今回はそれら2戦とリタイヤしたものを除外しています。
予選戦績と同様に全体観を俯瞰すると、ライバルのリタイヤやベッテル自身のドライビングにより、予選よりは当然ながら上位側に集まっています。また予選と同じく、レッドブル期やフェラーリ期は最上位が多い中、やはり2014年と2016年後半、2019年頃から順位に落ち込みがみられます。チームの戦闘力やマシン、そしてベッテル自身の成績不振が表れています。チームを去る前年の2014年と2020年が顕著。これはベッテルに限った話ではありませんが、特に所属しているチームの地位が高いほど、このような成績不振は移籍する(または強いられる)場合によくある話。2014年はまだ次の行き先がトップチームのフェラーリだったこともあり、移籍後も大きな変化が無く上手いことできているものの、2020年での不振による移籍は中団チームへの移籍だったため、順位の再浮上は厳しい状況となりました。
〈シーズン別の各種獲得率〉
続いてシーズン別の予選、決勝の獲得率に絞って集計してみました。昨年の「ライコネン」の時に図表を使わず数字だけで示した例のやつです。こちらも予選編から。
各シーズンでレース数がまちまちであるため、その数でなく「割合」を算出し、積み上げ棒グラフとしました。色の内訳は下から青がQ1止まりの予選割合、黄色がQ2止まり、オレンジがQ3まで進出した割合を示し、Q3にした中で「ポールポジションを獲得した割合」はオレンジより濃い赤で表しました。
グラフ上部が長ければ長いほど好成績であったといえますが、先程のM字のプロットとは逆に、W字のような色の塗り分けとなりました。驚異的な結果となったのは、F1参戦4年目フル参戦3年目となる2010年と翌11年、フェラーリ移籍4年目にあたる2018年の3シーズンは全てQ3まで歩を進めている点。さらには2011年についてはポールポジション獲得率が78.9%(全19戦中15ポール)という驚異的な数字を記録。これはハミルトンやフェルスタッペン、ルクレールはおろか、M・シューマッハもセナもマンセルもなし得ていないシーズン歴代最多記録になります。とにかく予選から前に出て、決勝レースも逃げ切ってしまうというベッテルのお決まり「勝利への方程式」でしたね。
決勝編は最下段の真っ黒はリタイヤの割合、青が入賞圏外フィニッシュで、薄いオレンジが表彰台以外の入賞、濃いオレンジが表彰台圏内、そして赤が優勝の割合となります。つまり暖色系がポイントを得た領域です。
予選編と同様に2011年や13年、18年は高い割合でポイントゲットはあるものの、毎年必ず1戦以上のリタイヤ(失格)もあり、シーズン全戦入賞は果たせませんでした。とはいえ、2011年のポイント獲得率は94.7%で勝率57.9%。2013年の勝率68.4%は驚異的な数字。全19戦で13勝を挙げています(ちなみに昨年勝ちに勝ちまくったフェルスタッペンは全22戦で15勝を挙げ、勝率68.2%)
また、表彰台に登壇できなかったのはスポット参戦となった初年度の2007年と最終年の2022年のみです。近年でこれと同じ系譜を辿るのがフェルスタッペン(デビューの2015年のみ未登壇)でこれを上回るのがハミルトン(デビューから全シーズン登壇)となります。今後の誰もがハミルトンと比較して勝ち目がみえそうなのは参戦数くらいか。
〈ポールスタート、決勝優勝の各内訳〉
よく言われるベッテルのお決まり「ポールポジションからの決勝レースの順位」また「優勝を挙げたレースの予選順位」はどんな結果になるのかを集計、グラフ化してみました。
こちらはポールポジションスタートにおける決勝レースの順位になります。決勝順位は優勝からなぜか5位フィニッシュを除く8位までとリタイヤの8種類ありました。ベッテルの参戦した時代の入賞は8位以内と10位以内ですから、何らかの理由でリタイヤしない限りは、ポールポジションからの入賞は確実なものとしていたということがわかります。何せBMWザウバーでのスポットデビュー戦が8位入賞ですから、その時点で持ッテル。
調べてわかったのは、ポールポジションスタートから勝ちに勝ちまくった印象のベッテルも、結果的には31勝/57回で勝率54.4%に過ぎなかったんですよね。まあポールトゥウィンが31回もある時点でかなりのバケモノですが。
ポールポジションスタートから表彰台登壇と数えれば、44回/57回で登壇率は77.2%に達します。今回は歴代のレジェンドドライバーの計算をしていませんが、こちらもマシントラブルや高完走率の現代がだいぶ有利な結果となりそうです。
続いて優勝レースの予選順位はこのようになりました。実にシンプル!予選で3番手以内で勝ちを量産してきた、言い換えれば3番手以内からでしか勝てていない、ということになります。前者の解釈するか、後者の解釈するかはファンそれぞれの思い入れや比較対象したいドライバーによって変わります。下位からでもバシバシ勝ってきたフェルスタッペン(14番手)やライコネン(17番手)らと比較してみるのも面白そうです。ん?アロンソ様も15番手から勝っているって?!そこは、、事実ではあるけど、、あまり触れない方が、、(笑)
先程のポールトゥウィン31回という数は変わりませんが、ベッテルの優勝はポールポジションよりやや少ないため、シェアが異なります。この手のデータ比較も興味深い。
〈ベッテルの得意サーキット〉
ポールポジションの獲得数、優勝回数が多いと、当然ながら各GPやサーキット、さらには複数回獲得するケースが出てきます。複数回のポールポジションや優勝を挙げたサーキットを集計してみました。
・サーキット別ポールポジション獲得回数上位
5回 ジル・ヴィルヌーブ(2011,12,13,18,19)
鈴鹿(2009,10,11,12,19)
4回 マリーナ・ベイ市街地(2011,13,15,17)
上海国際(2009,10,11,18)
3回 アルバートパーク(2010,11,13)
ヴァレンシア市街地(2010,11,12)
バーレーン国際(2010,12,18)
ハンガロリンク(2010,11,17)
ブッダ国際(2011,12,13)
モンツァ(2008,11,13)
・サーキット別優勝回数上位
5勝 マリーナ・ベイ市街地(2011,12,13,15,19)
4勝 セパン(2010,11,13,15)
バーレーン国際(2012,13,17,18)
鈴鹿(2009,10,12,13)
3勝 アルバートパーク(2011,17,18)
ブッダ国際(2011,12,13)
スパ・フランコルシャン(2011,13,18)
ホセ・カルロス・パーチェ(2010,13,17)
モンツァ(2008,11,13)
ヤス・マリーナ(2009,10,13)
韓国国際(2011,12,13)
ポールポジションは全23サーキットで獲得し、3回以上の獲得は10サーキットあります。ポール最多はカナダGPの舞台であるジル・ヴィルヌーブサーキットと日本GPの行われる鈴鹿サーキットでの5回。また、優勝は全21サーキットで挙げ、3勝以上挙げたサーキットは11サーキット。最多優勝はシンガポールGPの行われるマリーナ・ベイ市街地サーキットでの5勝となっています。
時代的にはレッドブル上昇時代とフェラーリ惜しい時代に積み重ねているのですが、これら回数を重ねたサーキットの種類や特徴といえば、、市街地系もあるし、クラシックサーキットも高速サーキットもストップアンドゴーもあるので絞り込めません(笑)ただ強いていうならば、鈴鹿といい韓国や中国、インドにシンガポールとアジア圏のサーキットが多いように感じます。鈴鹿については本音かリップサービスかわかりませんが、好み誉め称えるコメントが有名でしたよね。我々日本人にとって、鈴鹿を愛し、かつ多く勝利しているとなれば、ファンも多かったことと思います。ちなみにインドGPの行われたブッダ国際サーキットは3回の開催のうち3勝の3ポール獲得と、ベッテルが完全に独占しています。あのハミルトンも獲れなかった希少なサーキットです。
〈ベッテルの記録関連〉
ここまでみただけでも歴代上位に名を残すスーパーチャンピオンの一人であることに間違い無いものの、今まで最年少記録をはじめとした多くの記録を保有していました。そのうちのいくつかは現役のフェルスタッペンに塗り替えられることとなりますが、未だにトップの記録をいくつか保有しています。
・シーズン最多ポールポジション獲得:15回
それまでは1992年のマンセルがウィリアムズ時代に全16戦中14回(獲得率87.5%)という驚異的な記録を保有していましたが、2011年にベッテルが全19戦中15回(獲得率78.9%)で上回りました。開催数が増えたため獲得率ではマンセルには劣るものの、シーズン15回はなかなか強烈。今シーズンに当てはめた場合、18.1回相当、つまり19回ポールポジションを獲得するレベル。ただでさえ近年のF1は追い抜きが難しく、予選順位はかなり重要であり、これだけポールポジションを獲れたら、、いや、獲れてもどこぞのチームのように決勝でコケたらノーポイントか(笑)いつの時代も大切なのは決勝の戦績。
・連続優勝:9連勝
こちらは2013年第11戦ハンガリーGPから第19戦ブラジルGPでなし得ました。それまでは1952年のアスカリ、2004年のM・シューマッハが記録する7連勝が最多でした。その後、メルセデスを駆るロズベルグが2015年から16年の年またぎで7連勝に到達しますが、ハミルトンもフェルスタッペンも9連勝はおろか7連勝にも到達せず現在に至ります。当時miyabikunは2008年からのベッテル推しだったものの、さすがにこんなに勝たれると、、優勝の有り難みが、、今よりもつまらないカモ(笑)
・最年少ポールポジション獲得:21歳72日
これはトロ・ロッソ時代の2008年第14戦イタリアGPの時のもので、ルノー時代のアロンソの記録を更新。この翌日の決勝も初優勝を果たし、同じくアロンソが保有していた最年少優勝も更新しました。ただし、最年少優勝については2016年第5戦スペインGPでレッドブルの後輩であるフェルスタッペンが移籍初戦で塗り替えたため消滅しています。特に最年少系はフェルスタッペンに勝てない状況になってしまっていますが、これだけベッテルしばらくしのげるかな。
・最年少ドライバーズチャンピオン:23歳135日
ベッテルがこの記録を達成したのは、F1参戦4年目の2010年で、23歳135日の若さでの獲得となっています。一代前は2008年にようやく(とはいえF1でまだ2年目の)ハミルトンが23歳300日でした。
近年は若年化が進み、キャリア2年目あたりには中団上位やトップチームのシートを獲るドライバーも増えてきています。一見簡単そうにみえて、この記録も破られず早くも13年目に入ります。この記録を破るには、20歳くらいにデビューして3年目には獲得しないと難しいものです。あと計算上、誕生日にも影響してきます。現役で例えるならば、最年少のピアストリが来シーズン後半のなるべく早い段階でチャンピオンを獲得しないと更新できないことになる。いやーこれもなかなか厳しいものであり、この先もベッテルが最年少記録を保持し続ける可能性が高そう。
〈シーズン別の「愛車ニックネーム」〉
他のドライバーにはあまりみられない点として、ベッテルは毎年F1マシンにニックネーム(それも決まって女性)を名付けることで有名でしたね。確かに自分の命を預け、またそのマシンをドライブすることを生業としているわけですから、そのような一体感や愛着があっても不思議ではありません。言わないだけで、他のドライバーもやっているのかな。このあたりもベッテルのユーモラスな性格といえます。
2007 STR2
2008 STR3 Julie ジュリー
2009 RB5 Kate ケイト
RB5 Kate’s Dirty Sister ケイトの汚れた妹
RB5 Sexy Sadie 妖艶なセディ
2010 RB6 Luscious Liz 官能的なリズ
RB6 Randy Mandy 淫乱なマンディ
2011 RB7 Kinky Kylie 変態カイリー
2012 RB8 Abbey アビィ
2013 RB9 Hungry Heidi 腹ぺこハイジ
2014 RB10 Susie スージー
2015 SF15-T EVA イヴ
2016 SF16-H Margherita マルゲリータ
2017 SF70 Gina ジーナ
2018 SF71H Loria ローリア
2019 SF90 Lena リーナ
2020 SF1000 Lucilla ルキッラ
2021 AMR21 Honey Ryder ハニーライダー
2022 AMR22
何なんだよ、ケイトの汚れた妹って(笑)凡人のmiyabikunにははっきり言って意味がよくわからないものの、レッドブル時代は遊び心満載で、マシンを壊すとその名前も変えるほどの熱心さだったのに、フェラーリ移籍以降はあまり捻りのないシンプルなものが続いています。マシンに愛着が無くなってしまったのでしょうか(それがもしかしたら戦績にも影響か)最終年の昨年も当然話題に出たわけですが、正式な命名が無かったように記憶しています。
余談ですがmiyabikunの愛車にはニックネームこそないものの、一号機の性別だけは「女性」ということにしています。いわれはココでは書けません(笑)どデカい身体ながらフォルムが実に女性的、という感じからです。
《チーム内対決》
予選、決勝におけるチームメイトとの戦績比較を行います。輝かしい戦績を誇るベッテルでも、全てのシーズンでチームメイトに勝ったわけでもなく、負けたシーズンがいくつかあります。
予選はデビューイヤーの2007年にリウッツィ相手に3勝5敗。レッドブルを離れることとなった7年目のリカルド相手に7勝12敗。フェラーリ2年目の2016年も仲良しライコネンに対して10勝11敗で惜敗し、ライコネンの後任である若手のルクレールには2年連続で敗北し、フェラーリをあとにしています。
逆にレッドブル時代のウェバーには2009,11,13年で圧勝したことも印象的です。結果的には16年間で5敗という結果で191勝109敗の勝率63.7%となっています。
決勝についても予選と似たような勝敗が続きますが、レッドブル移籍初年の2009年は負け越しに転じています。ウェバーのリタイヤ2回に対して、ベッテルは3回のリタイヤと2回の入賞圏外があり、ポイントでは勝るも、単純に順位での勝敗でみれば負けるという不思議な結果に。またキャリア晩年を過ごしたアストンマーティンでは、ストロールに対し2021年は惜敗、最終年の昨年は辛勝とやや勢力を失いつつあることも見受けられます。年齢的にはまだまだ走れそうな35歳ですが、当時23歳のストロールには敵わなくなりつつあったのか。こうしてみていくと、ベッテルのピークはチャンピオンを獲得したレッドブル時代からフェラーリ前期の頃であり、2014年のリカルドに大敗したシーズンは不思議と鬼門であったことがわかります。2014年はパワーユニットも大幅に変わり、走りをアジャストするのに苦戦したか。
《ドライバーズランキング》
今回は最後にドライバーズランキンググラフを持ってきました。正しくベッテルのバイオリズムがわかりやすいまでに表現されています。
こちらも先程みた予選、決勝戦績のプロットに近いカーブを描いています。2014年の失意から立ち上がれるのかどうかにも当時注目されましたが、フェラーリに入ってもランキング上位に復帰しています。ただタイミングがよくなかったのか、新マシンレギュレーションのタイミングを謳歌したメルセデスの壁を破るには至らず、晩年はまるで別人かのように若手に前をいかれるキャリアとなりました。キャリア序盤のインパクトが強過ぎて、そのインパクトが「ベッテル」だったのかもしれません。
ベッテルのF1キャリアにおける、トップドライバー達とのランキンググラフはこうなります。ベッテル自身もその恩恵を受けた一人ともいえますが、近年はマシン依存度が高く、ドライバーのセンスや腕だけではなかなか上位キープは難しく、ある一定のドライバーやチームが勝ち続ける傾向にあります。ベッテルはいいタイミングでレッドブルに移籍を果たし、またマクラーレンで苦しむハミルトンはいいタイミングでメルセデスに移籍し、成功しています。2回目のチャンスをもぎ取ず苛立ちを随所にみられたベッテルではありますが、強いていうならば、ちょうど入れ替わりでF1を去った母国の巨匠M・シューマッハに代わってドイツF1の顔としてトップを繋ぎ止めることができたことは、シューマッハにとっても誇らしい結果と思っているのではないでしょうか。
ここまでベッテルのF1に関する戦績盛り沢山でまとめてきました。ベッテルのいないF1はどこか物足りなさや寂しさがありつつも3戦が過ぎ、不思議なもので徐々に慣れてきました。ベッテルは当時miyabikunが応援していたライコネンが腑抜けになりつつある2008年から2009年頃に活きのいい若手がいると、ファンを乗り換えチャンピオン獲得前から注目したドライバーでした。miyabikunとしては初の「自身より歳の若いのドライバー」のファンだったわけですが、ベッテルがチャンピオンを連覇した以降は特定の誰かを応援するということから離れたため「最後の推しドライバー」だったように記憶しています(以降もクビアトやノリスに期待した、みたいなことはありますが)そんなこともあり、複数回天下を獲ったとはいえ、常にF1シーンにいたライコネンに続いてベッテルまでもが居なくなると思うと、また一つの時代に終わりを感じてしまいます。
ベッテルがドライバーとしてF1に復帰することはないと思いますが、将来もしかしたら違った形でF1の世界に戻ってくるかもしれません。若くしてF1を席巻した「希少なドイツの星」は人生の半分近くをF1に費やしてきました。ゆっくり休息し、またいつか少年のような屈託のない笑顔を見られる日が来るといいなと思っています。
シーズンオフの間にゆっくりと特集を組めず、こんな時期まで引っ張ってしまってごめんね。16年間のF1キャリア、お疲れ様でした。
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セバスチャン・ベッテル
1987年7月3日生まれ
2007年 BMWザウバーからデビュー
16年在籍(2007年はスポット参戦)
優勝53回 歴代3位
表彰台122回 歴代3位
参戦数300戦 歴代7位
ポール獲得57回 歴代4位
ファステスト獲得38回 歴代5位
チャンピオン4回 (2010,11,12,13年)
※記録、歴代順位は2023年第3戦終了時点
各種獲得数、F1歴代順位にチャンピオン獲得回数などなど、全てにおいて極めて高いランクにあるドライバーであったことは言うまでもありません。歴代3位の優勝、表彰台登壇回数のさらに上位2人はご存じの通り同じ方。ハミルトンとM・シューマッハの2人であり、ポールポジションはその2人にセナを加えた3人。ファステストラップは先程のセナに代わり、ライコネンとプロストに代えた4人がベッテルの上位にいるのみとなっています。今シーズンの現役ではハミルトンに全てで上回れなかったものの、アロンソに対しては参戦数以外で上回っていると考えれば、ベッテルの戦績の高さがよくわかります。
《ベッテルの略歴》
いつも通り、ベッテルのこれまでの経歴を簡単に振り返っておきたいと思います。この後本当に長丁場になりますので、マジで簡単に、、。
ベッテルはドイツの中でもフランス寄りに位置する旧西ドイツのヘッセン州ベルクシュトラーセ郡へッペンハイムという人口3万人弱の街に生まれました。
幼い頃からカートに勤しみ、ドイツジュニアカート選手権、ヨーロッパジュニアカート選手権でチャンピオンを獲得。1998年(11歳)にレッドブルの育成プログラムに参加するようになります。その後、F3ユーロシリーズに舞台を移し、若かりしハミルトンらと戦うようになります。また地元ドイツのBMWからも注目を浴び、2005年にはBMWエンジンを搭載したウィリアムズFW27でF1初ドライブ。翌年2006年にザウバーを買い取る形で参戦を始めたBMWザウバーのサードドライバー契約を「レッドブルから2年間レンタル」という名目でスタートし、本格的にF1に関わることとなりました。
2007年第6戦カナダGPで大クラッシュを喫したクビカに代わり、第7戦アメリカGPでF1デビュー。予選は全22人中7番手、決勝は入賞ギリギリの8位でフィニッシュし、当時ウィリアムズのバトンが有していた「最年少入賞」を更新し、早くも才能をみせました。その活躍もあり、同じ年の第11戦ハンガリーGPでは解雇されたスコット・スピードに代わりトロ・ロッソから参戦をはじめ、シーズン終了までの7戦をドライブしています。
2008年からトロ・ロッソのレギュラードライバーとなり、同じ名のセバスチャン・ブルデーと共にシーズンを戦い抜きます。終始雨模様だった第14戦イタリアGPでは予選でチーム初、自身初のポールポジションを「最年少」で獲得。決勝も勢いそのままに挙げた初優勝も「最年少」、ポールトゥウィンも「最年少」と記録ずくめの2年目を過ごしました。
そして参戦3年目の2009年から「お兄さんチーム」のレッドブルに昇格。ポールポジションや優勝の常連に名乗りを挙げ、チャンピオンも夢ではない位置にまで飛躍しますが、シーズン序盤から好調をみせたブラウンGPとバトンに手が届かず、ドライバーズランキング2位に終わります。
参戦4年目、レッドブルで2年目を迎えた2010年もポールポジションと優勝を量産。チャンピオン争いでフェラーリのアロンソと競い、最終戦アブダビGPでポールトゥウィンを挙げた結果、ハミルトンのもつ「最年少」チャンピオンを獲得。以降もマシンレギュレーション変更もあり苦戦したシーズンはありつつも2013年まで四連覇を果たします。
ただチャンピオン獲得以降のベッテルはキャリア初期にみられたひたむきな姿勢かつ少年のような無垢な笑顔から、チャンピオン特有でもある「チームの指示を無視する傲慢な言動」が出始めます。
本来助け合うべきチームメイトとの不仲説やライバルチームのドライバーに対する差別的発言もあり、問題となったこともありました。
そのバチが当たったか、2014年はパワーユニットの大幅変更もありベッテルは大不調。これまで絶対王者にまで上り詰めたレッドブルはメルセデスにその座を奪われ、さらには5年間チームメイトを務め、引退したウェバーに代わり、トロ・ロッソから移籍した若手のリカルドに大敗を喫する結果を経験します。そこでベッテルはレッドブルを離れることを決め、2015年からはアロンソの抜けたフェラーリと3年契約を結びました。
公私共に交流のあるライコネンがチームメイトになってからは、レッドブル時代のピリついた表情は減り、兄弟のように戯れ合う姿が印象的でした。2015年、16年はメルセデスの勢力になかなか太刀打ちできない状況が続きますが、2017年からは再びポールポジションや優勝戦線に戻り、ランキング2位のところまで上り詰めてきます。
2019年からはライコネンに代わってフェラーリアカデミー出身の若手、ルクレールをチームメイトとして迎え入れることとなりましたが、ルクレールは予選自慢のベッテルを上回らんばかりの予選自慢。ポールポジション獲得数だけでなく、ドライバーズランキングでも敗れることとなりました。
世界的なコロナ禍もあってイレギュラーなシーズンとなった2020年は再びノンポール、優勝無しの大転落に陥ります。ドライバーズランキングもレギュラードライバー時代で自身最下位となる13位にまで落ち込み「ベッテルもそろそろ引退か?!」と取り沙汰されるようになりました。ベッテルはフェラーリを離脱する決断をし、2021年からは新天地に中堅チームのアストンマーティンを選択しています。
若手(とはいえ参戦5年目)のストロールのチームメイトとして、キャリア初のメルセデスパワーユニットをドライブすることとなったベッテルですが、マシンのポテンシャルかチーム力か、はたまた自身の衰えなのか、才能はなりを潜め、予選ではQ3進出も減り、決勝は2年間で1回(あと幻の1回)と、三度輝くことは叶わず、2022年第13戦ハンガリーGPを前にF1引退を発表。16年に及ぶF1ドライバー人生の幕を下ろしています。
《ベッテルの戦績とその特徴》
ここから過去のレジェンドドライバーと同様に、予選、決勝の全戦績をグラフ化しながら特徴をみていきたいと思います。
〈予選順位、決勝順位の全結果〉
まずは予選順位を全てプロットしました。一応チームカラーっぽい色でプロットし、パワーユニット交換等の降格前の「純粋な予選順位」で統一しました。またいつもながらQ1領域は水色、Q2は黄色、Q3は赤をバックに落としており、濃いグレーの期間はドライバー契約が無かったものを示します。
デビュー間も無いBMWザウバー期やトロ・ロッソ期、そして晩年のアストンマーティン期こそQ1落ちが目立ちますが、中盤のレッドブル期やフェラーリ期はほぼQ3進出を果たしています。アルファベットの「M」の字に近い分布ですね。Mの谷間に位置するのが、、ベッテル一番の暗黒期である2014年です。よくてQ3進出でも中盤、ほかQ2止まりの結果がいくつかありました。
ポールポジションの高さで一本筋の絶好調レッドブル期はさておき、フェラーリ移籍後もポールポジションはいくつか獲得していました。2015年、16年はライバルのメルセデスが二枚看板で速さをみせていたこともあり、ライバルは3番手が精一杯という状況がありました。そう考えると、ベッテルは健闘していたように思います。
予選から上位を獲得できるベッテルとて晩年過ごした中堅チームでは苦戦を強いられ、アストンマーティン初年の2021年はQ2止まりが続き、最終年の昨年はQ1突破も難しい状況となりました。輝かしい時代を知るファンとしては、下位でくすぶるベッテルを観ているのも正直辛かったですね。
こちらは決勝結果をプロットしたものになります。ベッテルはF1参戦300戦中、決勝でスタートしなかったものが1戦(2016年第2戦バーレーンGP)と決勝出走後に失格したものが1戦(2021年第11戦ハンガリーGP)の合計2戦あるため、決勝の結果としては298戦となります。今回はそれら2戦とリタイヤしたものを除外しています。
予選戦績と同様に全体観を俯瞰すると、ライバルのリタイヤやベッテル自身のドライビングにより、予選よりは当然ながら上位側に集まっています。また予選と同じく、レッドブル期やフェラーリ期は最上位が多い中、やはり2014年と2016年後半、2019年頃から順位に落ち込みがみられます。チームの戦闘力やマシン、そしてベッテル自身の成績不振が表れています。チームを去る前年の2014年と2020年が顕著。これはベッテルに限った話ではありませんが、特に所属しているチームの地位が高いほど、このような成績不振は移籍する(または強いられる)場合によくある話。2014年はまだ次の行き先がトップチームのフェラーリだったこともあり、移籍後も大きな変化が無く上手いことできているものの、2020年での不振による移籍は中団チームへの移籍だったため、順位の再浮上は厳しい状況となりました。
〈シーズン別の各種獲得率〉
続いてシーズン別の予選、決勝の獲得率に絞って集計してみました。昨年の「ライコネン」の時に図表を使わず数字だけで示した例のやつです。こちらも予選編から。
各シーズンでレース数がまちまちであるため、その数でなく「割合」を算出し、積み上げ棒グラフとしました。色の内訳は下から青がQ1止まりの予選割合、黄色がQ2止まり、オレンジがQ3まで進出した割合を示し、Q3にした中で「ポールポジションを獲得した割合」はオレンジより濃い赤で表しました。
グラフ上部が長ければ長いほど好成績であったといえますが、先程のM字のプロットとは逆に、W字のような色の塗り分けとなりました。驚異的な結果となったのは、F1参戦4年目フル参戦3年目となる2010年と翌11年、フェラーリ移籍4年目にあたる2018年の3シーズンは全てQ3まで歩を進めている点。さらには2011年についてはポールポジション獲得率が78.9%(全19戦中15ポール)という驚異的な数字を記録。これはハミルトンやフェルスタッペン、ルクレールはおろか、M・シューマッハもセナもマンセルもなし得ていないシーズン歴代最多記録になります。とにかく予選から前に出て、決勝レースも逃げ切ってしまうというベッテルのお決まり「勝利への方程式」でしたね。
決勝編は最下段の真っ黒はリタイヤの割合、青が入賞圏外フィニッシュで、薄いオレンジが表彰台以外の入賞、濃いオレンジが表彰台圏内、そして赤が優勝の割合となります。つまり暖色系がポイントを得た領域です。
予選編と同様に2011年や13年、18年は高い割合でポイントゲットはあるものの、毎年必ず1戦以上のリタイヤ(失格)もあり、シーズン全戦入賞は果たせませんでした。とはいえ、2011年のポイント獲得率は94.7%で勝率57.9%。2013年の勝率68.4%は驚異的な数字。全19戦で13勝を挙げています(ちなみに昨年勝ちに勝ちまくったフェルスタッペンは全22戦で15勝を挙げ、勝率68.2%)
また、表彰台に登壇できなかったのはスポット参戦となった初年度の2007年と最終年の2022年のみです。近年でこれと同じ系譜を辿るのがフェルスタッペン(デビューの2015年のみ未登壇)でこれを上回るのがハミルトン(デビューから全シーズン登壇)となります。今後の誰もがハミルトンと比較して勝ち目がみえそうなのは参戦数くらいか。
〈ポールスタート、決勝優勝の各内訳〉
よく言われるベッテルのお決まり「ポールポジションからの決勝レースの順位」また「優勝を挙げたレースの予選順位」はどんな結果になるのかを集計、グラフ化してみました。
こちらはポールポジションスタートにおける決勝レースの順位になります。決勝順位は優勝からなぜか5位フィニッシュを除く8位までとリタイヤの8種類ありました。ベッテルの参戦した時代の入賞は8位以内と10位以内ですから、何らかの理由でリタイヤしない限りは、ポールポジションからの入賞は確実なものとしていたということがわかります。何せBMWザウバーでのスポットデビュー戦が8位入賞ですから、その時点で持ッテル。
調べてわかったのは、ポールポジションスタートから勝ちに勝ちまくった印象のベッテルも、結果的には31勝/57回で勝率54.4%に過ぎなかったんですよね。まあポールトゥウィンが31回もある時点でかなりのバケモノですが。
ポールポジションスタートから表彰台登壇と数えれば、44回/57回で登壇率は77.2%に達します。今回は歴代のレジェンドドライバーの計算をしていませんが、こちらもマシントラブルや高完走率の現代がだいぶ有利な結果となりそうです。
続いて優勝レースの予選順位はこのようになりました。実にシンプル!予選で3番手以内で勝ちを量産してきた、言い換えれば3番手以内からでしか勝てていない、ということになります。前者の解釈するか、後者の解釈するかはファンそれぞれの思い入れや比較対象したいドライバーによって変わります。下位からでもバシバシ勝ってきたフェルスタッペン(14番手)やライコネン(17番手)らと比較してみるのも面白そうです。ん?アロンソ様も15番手から勝っているって?!そこは、、事実ではあるけど、、あまり触れない方が、、(笑)
先程のポールトゥウィン31回という数は変わりませんが、ベッテルの優勝はポールポジションよりやや少ないため、シェアが異なります。この手のデータ比較も興味深い。
〈ベッテルの得意サーキット〉
ポールポジションの獲得数、優勝回数が多いと、当然ながら各GPやサーキット、さらには複数回獲得するケースが出てきます。複数回のポールポジションや優勝を挙げたサーキットを集計してみました。
・サーキット別ポールポジション獲得回数上位
5回 ジル・ヴィルヌーブ(2011,12,13,18,19)
鈴鹿(2009,10,11,12,19)
4回 マリーナ・ベイ市街地(2011,13,15,17)
上海国際(2009,10,11,18)
3回 アルバートパーク(2010,11,13)
ヴァレンシア市街地(2010,11,12)
バーレーン国際(2010,12,18)
ハンガロリンク(2010,11,17)
ブッダ国際(2011,12,13)
モンツァ(2008,11,13)
・サーキット別優勝回数上位
5勝 マリーナ・ベイ市街地(2011,12,13,15,19)
4勝 セパン(2010,11,13,15)
バーレーン国際(2012,13,17,18)
鈴鹿(2009,10,12,13)
3勝 アルバートパーク(2011,17,18)
ブッダ国際(2011,12,13)
スパ・フランコルシャン(2011,13,18)
ホセ・カルロス・パーチェ(2010,13,17)
モンツァ(2008,11,13)
ヤス・マリーナ(2009,10,13)
韓国国際(2011,12,13)
ポールポジションは全23サーキットで獲得し、3回以上の獲得は10サーキットあります。ポール最多はカナダGPの舞台であるジル・ヴィルヌーブサーキットと日本GPの行われる鈴鹿サーキットでの5回。また、優勝は全21サーキットで挙げ、3勝以上挙げたサーキットは11サーキット。最多優勝はシンガポールGPの行われるマリーナ・ベイ市街地サーキットでの5勝となっています。
時代的にはレッドブル上昇時代とフェラーリ惜しい時代に積み重ねているのですが、これら回数を重ねたサーキットの種類や特徴といえば、、市街地系もあるし、クラシックサーキットも高速サーキットもストップアンドゴーもあるので絞り込めません(笑)ただ強いていうならば、鈴鹿といい韓国や中国、インドにシンガポールとアジア圏のサーキットが多いように感じます。鈴鹿については本音かリップサービスかわかりませんが、好み誉め称えるコメントが有名でしたよね。我々日本人にとって、鈴鹿を愛し、かつ多く勝利しているとなれば、ファンも多かったことと思います。ちなみにインドGPの行われたブッダ国際サーキットは3回の開催のうち3勝の3ポール獲得と、ベッテルが完全に独占しています。あのハミルトンも獲れなかった希少なサーキットです。
〈ベッテルの記録関連〉
ここまでみただけでも歴代上位に名を残すスーパーチャンピオンの一人であることに間違い無いものの、今まで最年少記録をはじめとした多くの記録を保有していました。そのうちのいくつかは現役のフェルスタッペンに塗り替えられることとなりますが、未だにトップの記録をいくつか保有しています。
・シーズン最多ポールポジション獲得:15回
それまでは1992年のマンセルがウィリアムズ時代に全16戦中14回(獲得率87.5%)という驚異的な記録を保有していましたが、2011年にベッテルが全19戦中15回(獲得率78.9%)で上回りました。開催数が増えたため獲得率ではマンセルには劣るものの、シーズン15回はなかなか強烈。今シーズンに当てはめた場合、18.1回相当、つまり19回ポールポジションを獲得するレベル。ただでさえ近年のF1は追い抜きが難しく、予選順位はかなり重要であり、これだけポールポジションを獲れたら、、いや、獲れてもどこぞのチームのように決勝でコケたらノーポイントか(笑)いつの時代も大切なのは決勝の戦績。
・連続優勝:9連勝
こちらは2013年第11戦ハンガリーGPから第19戦ブラジルGPでなし得ました。それまでは1952年のアスカリ、2004年のM・シューマッハが記録する7連勝が最多でした。その後、メルセデスを駆るロズベルグが2015年から16年の年またぎで7連勝に到達しますが、ハミルトンもフェルスタッペンも9連勝はおろか7連勝にも到達せず現在に至ります。当時miyabikunは2008年からのベッテル推しだったものの、さすがにこんなに勝たれると、、優勝の有り難みが、、今よりもつまらないカモ(笑)
・最年少ポールポジション獲得:21歳72日
これはトロ・ロッソ時代の2008年第14戦イタリアGPの時のもので、ルノー時代のアロンソの記録を更新。この翌日の決勝も初優勝を果たし、同じくアロンソが保有していた最年少優勝も更新しました。ただし、最年少優勝については2016年第5戦スペインGPでレッドブルの後輩であるフェルスタッペンが移籍初戦で塗り替えたため消滅しています。特に最年少系はフェルスタッペンに勝てない状況になってしまっていますが、これだけベッテルしばらくしのげるかな。
・最年少ドライバーズチャンピオン:23歳135日
ベッテルがこの記録を達成したのは、F1参戦4年目の2010年で、23歳135日の若さでの獲得となっています。一代前は2008年にようやく(とはいえF1でまだ2年目の)ハミルトンが23歳300日でした。
近年は若年化が進み、キャリア2年目あたりには中団上位やトップチームのシートを獲るドライバーも増えてきています。一見簡単そうにみえて、この記録も破られず早くも13年目に入ります。この記録を破るには、20歳くらいにデビューして3年目には獲得しないと難しいものです。あと計算上、誕生日にも影響してきます。現役で例えるならば、最年少のピアストリが来シーズン後半のなるべく早い段階でチャンピオンを獲得しないと更新できないことになる。いやーこれもなかなか厳しいものであり、この先もベッテルが最年少記録を保持し続ける可能性が高そう。
〈シーズン別の「愛車ニックネーム」〉
他のドライバーにはあまりみられない点として、ベッテルは毎年F1マシンにニックネーム(それも決まって女性)を名付けることで有名でしたね。確かに自分の命を預け、またそのマシンをドライブすることを生業としているわけですから、そのような一体感や愛着があっても不思議ではありません。言わないだけで、他のドライバーもやっているのかな。このあたりもベッテルのユーモラスな性格といえます。
2007 STR2
2008 STR3 Julie ジュリー
2009 RB5 Kate ケイト
RB5 Kate’s Dirty Sister ケイトの汚れた妹
RB5 Sexy Sadie 妖艶なセディ
2010 RB6 Luscious Liz 官能的なリズ
RB6 Randy Mandy 淫乱なマンディ
2011 RB7 Kinky Kylie 変態カイリー
2012 RB8 Abbey アビィ
2013 RB9 Hungry Heidi 腹ぺこハイジ
2014 RB10 Susie スージー
2015 SF15-T EVA イヴ
2016 SF16-H Margherita マルゲリータ
2017 SF70 Gina ジーナ
2018 SF71H Loria ローリア
2019 SF90 Lena リーナ
2020 SF1000 Lucilla ルキッラ
2021 AMR21 Honey Ryder ハニーライダー
2022 AMR22
何なんだよ、ケイトの汚れた妹って(笑)凡人のmiyabikunにははっきり言って意味がよくわからないものの、レッドブル時代は遊び心満載で、マシンを壊すとその名前も変えるほどの熱心さだったのに、フェラーリ移籍以降はあまり捻りのないシンプルなものが続いています。マシンに愛着が無くなってしまったのでしょうか(それがもしかしたら戦績にも影響か)最終年の昨年も当然話題に出たわけですが、正式な命名が無かったように記憶しています。
余談ですがmiyabikunの愛車にはニックネームこそないものの、一号機の性別だけは「女性」ということにしています。いわれはココでは書けません(笑)どデカい身体ながらフォルムが実に女性的、という感じからです。
《チーム内対決》
予選、決勝におけるチームメイトとの戦績比較を行います。輝かしい戦績を誇るベッテルでも、全てのシーズンでチームメイトに勝ったわけでもなく、負けたシーズンがいくつかあります。
予選はデビューイヤーの2007年にリウッツィ相手に3勝5敗。レッドブルを離れることとなった7年目のリカルド相手に7勝12敗。フェラーリ2年目の2016年も仲良しライコネンに対して10勝11敗で惜敗し、ライコネンの後任である若手のルクレールには2年連続で敗北し、フェラーリをあとにしています。
逆にレッドブル時代のウェバーには2009,11,13年で圧勝したことも印象的です。結果的には16年間で5敗という結果で191勝109敗の勝率63.7%となっています。
決勝についても予選と似たような勝敗が続きますが、レッドブル移籍初年の2009年は負け越しに転じています。ウェバーのリタイヤ2回に対して、ベッテルは3回のリタイヤと2回の入賞圏外があり、ポイントでは勝るも、単純に順位での勝敗でみれば負けるという不思議な結果に。またキャリア晩年を過ごしたアストンマーティンでは、ストロールに対し2021年は惜敗、最終年の昨年は辛勝とやや勢力を失いつつあることも見受けられます。年齢的にはまだまだ走れそうな35歳ですが、当時23歳のストロールには敵わなくなりつつあったのか。こうしてみていくと、ベッテルのピークはチャンピオンを獲得したレッドブル時代からフェラーリ前期の頃であり、2014年のリカルドに大敗したシーズンは不思議と鬼門であったことがわかります。2014年はパワーユニットも大幅に変わり、走りをアジャストするのに苦戦したか。
《ドライバーズランキング》
今回は最後にドライバーズランキンググラフを持ってきました。正しくベッテルのバイオリズムがわかりやすいまでに表現されています。
こちらも先程みた予選、決勝戦績のプロットに近いカーブを描いています。2014年の失意から立ち上がれるのかどうかにも当時注目されましたが、フェラーリに入ってもランキング上位に復帰しています。ただタイミングがよくなかったのか、新マシンレギュレーションのタイミングを謳歌したメルセデスの壁を破るには至らず、晩年はまるで別人かのように若手に前をいかれるキャリアとなりました。キャリア序盤のインパクトが強過ぎて、そのインパクトが「ベッテル」だったのかもしれません。
ベッテルのF1キャリアにおける、トップドライバー達とのランキンググラフはこうなります。ベッテル自身もその恩恵を受けた一人ともいえますが、近年はマシン依存度が高く、ドライバーのセンスや腕だけではなかなか上位キープは難しく、ある一定のドライバーやチームが勝ち続ける傾向にあります。ベッテルはいいタイミングでレッドブルに移籍を果たし、またマクラーレンで苦しむハミルトンはいいタイミングでメルセデスに移籍し、成功しています。2回目のチャンスをもぎ取ず苛立ちを随所にみられたベッテルではありますが、強いていうならば、ちょうど入れ替わりでF1を去った母国の巨匠M・シューマッハに代わってドイツF1の顔としてトップを繋ぎ止めることができたことは、シューマッハにとっても誇らしい結果と思っているのではないでしょうか。
ここまでベッテルのF1に関する戦績盛り沢山でまとめてきました。ベッテルのいないF1はどこか物足りなさや寂しさがありつつも3戦が過ぎ、不思議なもので徐々に慣れてきました。ベッテルは当時miyabikunが応援していたライコネンが腑抜けになりつつある2008年から2009年頃に活きのいい若手がいると、ファンを乗り換えチャンピオン獲得前から注目したドライバーでした。miyabikunとしては初の「自身より歳の若いのドライバー」のファンだったわけですが、ベッテルがチャンピオンを連覇した以降は特定の誰かを応援するということから離れたため「最後の推しドライバー」だったように記憶しています(以降もクビアトやノリスに期待した、みたいなことはありますが)そんなこともあり、複数回天下を獲ったとはいえ、常にF1シーンにいたライコネンに続いてベッテルまでもが居なくなると思うと、また一つの時代に終わりを感じてしまいます。
ベッテルがドライバーとしてF1に復帰することはないと思いますが、将来もしかしたら違った形でF1の世界に戻ってくるかもしれません。若くしてF1を席巻した「希少なドイツの星」は人生の半分近くをF1に費やしてきました。ゆっくり休息し、またいつか少年のような屈託のない笑顔を見られる日が来るといいなと思っています。
シーズンオフの間にゆっくりと特集を組めず、こんな時期まで引っ張ってしまってごめんね。16年間のF1キャリア、お疲れ様でした。
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