F1 えきぞーすとのーと

よくあるニュースネタやこ難しいテクニカルな話ではなく、メインは予選や決勝のTV観戦したそのものを個人的観点から綴るF1ブログです。  また、懐かしのマシンやレースを振り返ったり、記録やデータからF1を分析。その他ミニカーやグッズ集めも好きなので、それらを絡めつつ広く深くアツくF1の面白さやすごさを発信し、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

タグ:ヘレス

最近は最近の過去のレースが続きましたので、今回は古めの過去のレースをピックアップしました。今から37年前、1986年第2戦に行われたスペインGPになります。86年の振り返りは3戦目、スペインGPは9戦目となります。舞台はこの年からヘレスサーキットに代わっています。
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サーキットレイアウトはこんな感じ。この向きならば円周率を示す記号π(パイ)ような、北上でみると湖畔を飛び立つ白鳥のような形状をしています(下図の実線が当時のレイアウトになります)
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現在スペインGPが行われるカタロニアでのF1は91年からであり、今回取り扱う86年より前のスペインGPはマドリード郊外のハラマで81年まで行われていました。その間4年間はスペインGPが途絶えていました。よってスペインでは5年振り、ヘレスでのスペインGP初開催となります。

86年は前年まで参戦した3回チャンピオンのラウダが2度目のF1引退を迎え、若きトップドライバー達が拮抗し始める時代に入ります。また、マシンはターボエンジンの全盛期であり、ターボエンジン搭載がレギュレーションで義務付けられた年でもあります。
前戦の開幕戦ブラジルGPはジャカレパグア(のちのネルソン・ピケ)で行われ、ポールポジションはロータス・ルノーを駆る地元セナが獲得するも、決勝は同じく地元(セナよりも地元の)でウィリアムズへ移籍したばかりのピケが優勝を挙げるなど、ブラジル勢が健闘しています。

予選はセナが2戦連続(年またぎでは3戦連続)セナが獲得。2番手にはピケ、3番手マンセルのウィリアムズ・ホンダ勢。4番手はマクラーレン・タグポルシェで前年チャンピオンを獲得したプロスト、5番手はチームメイトのK・ロズベルグが続いています。上位陣の名前だけでもかなり豪華な面々。

《予選結果》
P.P. A・セナ
  (ロータス・ルノー グッドイヤー)
 2 N・ピケ
  (ウィリアムズ・ホンダ グッドイヤー)
 3 N・マンセル
  (ウィリアムズ・ホンダ グッドイヤー)

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紅一点、ならぬ「黒一点」の周りに味方がいない寂しい状態のセナを先頭に決勝レーススタート。
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セナは順調に加速し、強者揃いの先輩達を置き去りにしていく。
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いいぞいいぞ!逃げろー!

ウィリアムズのカーナンバー5といえば、そう、マンセルです。マンセルもセナ同様に無冠ながら期待の有望株の一人。前方を走るマクラーレン2台に対してようやくエンジンがかかってきたか。
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82年のチャンピオン、ロズベルグをインからパス。
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そして前年85年チャンピオンのプロストもターン1のインから。これで3位に復帰。
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81年、83年チャンピオンのチームメイトはマシンが不調のため2位をマンセルにバトンタッチ。
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これでマンセルの前を走るのは、ロータスのセナただ一人。
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マンセルが前に出てトップへ。
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「オレはどこかヤツのこと気に入らねえんだ」
とでも言いたげ。今日のマンセルどうしたの?!キレキレやん。
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ただセナも黙っちゃいない。プロストと束になってマンセルを追尾。
セナ、インからいくか?!
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「いや、行かせねえなぁ」
いいですねー他チームのバチバチバトル。

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飛ばしに飛ばしてトップに浮上したマンセルも、気持ちの前にタイヤが果ててしまいます。セナが再びトップへ。
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マンセルはタイヤを履き替えて再浮上にかけます。
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いってらっしゃい!

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まずはプロストをロックオン!パスして2位復帰。
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セナも正直タイヤが苦しくなってきました。ただもうピットインしている余裕は無くなってきました。最後までしのぎ切るか、やられるのみ。
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さあマンセルが来たぞー!耐えられるかセナ。
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今日の流れは完全にマンセル。再び前に出られるか?!IMG_8619
チェッカーフラッグまで最後のストレート。鋭角の左コーナーを立ち上がり、マンセルはアウト側に並ぶ。
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うーどっちだ?!マンセルがやや前か?!
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逆視点から見てみましょう。
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チェッカーフラッグが待ち構える先にあるコントロールラインに注目。
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セナだ!ギリギリのポールトゥウィン。

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《決勝結果》
 1 A・セナ
  (ロータス・ルノー グッドイヤー)
 2 N・マンセル
  (ウィリアムズ・ホンダ グッドイヤー)
 3 A・プロスト
  (マクラーレン・タグポルシェ グッドイヤー)

現在各スポーツで審議の際は一度試合を止めてビデオ判定するのがトレンドとなっています。F1にはその性質上「一度レースを止めて正否判定する」ということはなかなかできません。このレースも実際に現地で見ているだけではとても優勝者を決められない実に際どい戦いとなりました。優勝したセナと2位マンセルのタイム差はたったの0.014秒。当時の予選ですらこんなギリギリバトルはなかなかありませんでした。セナもマンセルも、もっといえばプロストも、皆チームやエンジンサプライヤーが異なる中で毎戦一進一退の攻防が繰り広げられていました(こんな中でも名門フェラーリはいないのね)

近年は一つがアタマを飛び出してしまう形でシーズンが進行するのが続いています。一際強さをみせることは決して悪いことではありませんが、miyabikunはどちらかといえばこのような接近バトルのレースやシーズンの方が楽しめるかなぁ。

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F1は本拠地に近いヨーロッパに戻ります。日本からみたら少し時差のあるエリアになりますね。まずは先日テストで走っているスペインから始まります。スペインは歴代で様々な場所で行われてきました。

《国の基本情報ほか》
国名称:スペイン王国
  人口  :4,652万人(世界第29位)
  面積  :50万4千㎢(世界第50位)
  設立  :1479年建国
主言語:スペイン語
  首都  :マドリード
  通貨  :ユーロ(ユーロ以前はペセタ)

F1開催期間と数:1951~(45回目)
開催サーキット:ペドラルベス市街地、ハラマ、
                             モンジュイック・パーク、
                             ヘレス、カタロニア
                           (ヴァレンシア市街地)
F1ドライバー数:15人
F1チャンピオン:1人(2回)
現役ドライバー:2人(F・アロンソ、C・サインツ)
著名ドライバー:F・アロンソ、M・ジェネ、
                            P・デ・ラ・ロサ

言わずと知れたアロンソとサインツの母国です。F1の初期から開催されている割には参戦ドライバーは15人と日本よりは少なく、優勝経験やチャンピオン経験者は近代のアロンソ1人だけです。まさしくスペインのF1を1人で背負ってます。
スペインはヨーロッパでも南部に位置し、場所によってはアフリカ大陸に近く、ジブラルタル海峡の最も狭い距離は15kmほどの距離で日本の北海道と本州より近いです(北海道と本州の最短距離は18km)気候は海に囲まれていることもあり、イタリアと同様の夏季地中海性気候に属し、夏は日差しが強く乾燥した高温で冬は雨の少ない乾燥しています。日本から湿気を奪ったイメージでしょうか、リゾートには最適ですね。
F1のスペインGPはバルセロナのペドラルベス市街地サーキットが発祥です。その後、間隔を空けてマドリードにあるハラマサーキットと同じくバルセロナの中にあるモンジュイック・パーク周回コースが交互に行われました。そしてヨーロッパGPでも馴染みのある南部のヘレスに舞台を移し、1991年から現在まで使用されるカタロニアで行われるようになりました。この他にもヴァレンシア市街地サーキットがスペイン国内で行われていますが、スペインGPだけでも内容盛り沢山、そちらはヨーロッパGPの時に取り上げたいと思っています。

《ペドラルベス市街地》
  所在地  :カタルーニャ州 バルセロナ県
県域人口:552万3千人(バルセロナは160万人)
県域面積:7,728㎢
標準時差:UTC+2:00(日本から-7:00)
  F1開催 :1951,54(2回)
一周距離:6.316km
初代優勝:J・M・ファンジオ(アルファロメオ)
最多優勝:ファンジオ、ホーソーン(1回)
最多P.P. :A・アスカリ(2回)
最速P.P. :2分10秒590  A・アスカリ(1951)
最多F.L. :ファンジオ、アスカリ(1回)
最速F.L. :2分16秒930 ファンジオ(1951)
《モンジュイック・パーク》
  F1開催 :1969,71,73,75(4回)
一周距離:3.791km
初代優勝:J・スチュワート(ティレル)
最多優勝:J・スチュワート(2回)
最多P.P. :リント、イクス、ピーターソン、
                  ラウダ(1回)
最速P.P. :1分25秒700 J・リント(1969)
最多F.L. :開催4回バラバラ(1回ずつ)
最速F.L. :1分23秒800 R・ピーターソン(1973)
《カタロニア》
  F1開催 :1991〜(27回目)
一周距離:4.655km(2007〜)
初代優勝:N・マンセル(ウィリアムズ)
最多優勝:M・シューマッハ(6回)
最多P.P. :M・シューマッハ(7回)
最速P.P. :1分15秒022 M・シューマッハ(2004)
                  1分14秒648 F・アロンソ(2006)
                  1分19秒995 M・ウェバー(2010)
最多F.L. :M・シューマッハ(7回)
最速F.L. :1分17秒450 M・シューマッハ(2004)
                  1分15秒641 G・フィジケラ(2005)
                  1分21秒670 K・ライコネン(2008)

元祖スペインGPのペドラルベスもモンジュイックも現開催地のカタロニアと同様のバルセロナの市街地にあります。所在地以下は省略しました。
ペドラルベス市街地サーキットは1955年のル・マン24時間レースの大事故により中止となり、その後しばらくスペインのみならずヨーロッパ諸国でモータースポーツが一時期下火になってしまいました。1968年にハラマサーキットと交互にモンジュイック・パーク内を走るレイアウトを使用しますが、1975年に観客4人を巻き込む死亡事故が発生して以来、舞台をハラマサーキットに譲る形となりました。
カタロニアサーキットは1991年に新設。翌1992年のバルセロナオリンピックでは自転車競技に使用されるなど現在のF1を代表するサーキットとして一番長い開催期間となる27回目のスペインGPを担います。このカタロニアサーキットは大きな改修ではないものの度々変更を重ねており、参考まで上記コース図で表現してみました。元祖は細い青のライン(4.747km)で1991年から1993年まで使用されました。この時はセカンドセクターに「ニッサン」というシケインがありましたが、セナの死後は以前にもこのブログで振り返った「タイヤシケイン」を設置した末、シケイン自体が廃止され緑ライン(4.728km)となりました。続いて2000年から最終コーナー「ニュー・ホーランド」を直角コーナーに変更した黄色ライン(4.730km)さらに2004年に後半セクションに差し掛かる「ラ・カイシャ」を鋭角コーナーとした赤ライン(4.627km)を経て2007年に「ユーロップカー」をズラしてシケインを設けた現在の黒ライン(4.655km)に落ち着きました。カタロニアサーキットは長いストレートに高速、中速、低速コーナー、さらには風の影響もあるなど、マシンの総合力を試されるスタンダードサーキットとして近年はテストで重宝されています。

《ハラマ》
  所在地  :マドリード州 マドリード県
県域人口:627万1千人(マドリードは316万人)
市域面積:7,995㎢
標準時差:UTC+2:00(日本から-7:00)
  F1開催 :1968,70,72,74,76〜79,81(9回)
一周距離:3.404km(1968〜79)、
                  3.312km(1981)
初代優勝:G・ヒル(ロータス)
最多優勝:M・アンドレッティ(2回)
最多P.P. :アンドレッティ、ラフィー(2回)
最速P.P. :1分14秒500 J・ラフィー(1979)
                  1分13秒754 J・ラフィー(1981)
最多F.L. :開催9回バラバラ(1回ずつ)
最速F.L. :1分16秒440 G・ヴィルヌーブ(1979)

ハラマサーキットはスペインの首都マドリードの中にあります。人口は当然最多ですが、オリンピック開催や著名な名所などバルセロナの方が世界的には知名度は高いかもしれません。
サーキットの中では小ぶりでスリムな部類に入ります。全長、幅員とも狭く追い抜きも困難で1981年は優勝したG・ヴィルヌーブから5位のE・デ・アンジェリスまでが1.24秒におさまるなど珍記録があったりもします。

《ヘレス》
  所在地  :アンダルーシア州 カディス県
県域人口:124万5千人(ヘレスは21万人)
県域面積:7,435㎢
標準時差:UTC+2:00(日本から-7:00)
  F1開催 :1986〜90(スペインGPとして5回)
一周距離:4.218km
初代優勝:A・セナ(ロータス)
最多優勝:A・セナ、A・プロスト(2回)
最多P.P. :A・セナ(4回)
最速P.P. :1分18秒387 A・セナ(1990)
最多F.L. :開催5回バラバラ(1回ずつ)
最速F.L. :1分24秒513 R・パトレーゼ(1990)

ヘレスの正式名称は「ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ」という町で、県都のカディスより人口は多いです。地図を見てもスペイン南端でバルセロナとは気候もまた違うでしょう。
アヒルのようなレイアウトのヘレスサーキットはコース図でいう実線がスペインGPとして5回、破線がヨーロッパGPで2回開催されています。こちらも以前はテストでよく使われたサーキットの一つですが、こちらも以前に振り返った1997年ヨーロッパGPでマクラーレンのハッキネンを優勝させるようチームオーダーがあったとされた「ヘレスゲート」と呼ばれる事件がのちに発覚したり、表彰式に参列予定のメルセデス会長に市長が勝手に割って入るなど物議があったため、ヘレスでF1は行われなくなりました。
1993年にF1ではなくMoto GPの250ccクラスで若井伸之が予選中にピットロードで通行人と接触し命を落としています。

いつもの国の話よりサーキットの話題が盛り沢山になってしまいました。それだけスペインGPは歴史や変遷も多く、インディ500に浮気しそうな英雄にも日本のみならず国をあげて期待されているわけです。

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2017年もまもなく開幕します。というわけで今回は1997年にスペインのヘレスで行われた最終戦ヨーロッパGPを振り返ります。この時期にまだこんな事書くのか?!まあまあ、開幕まで待ち切れないので場繋ぎです(笑)場繋ぎとはいえ、このレースはチャンピオン決定の重要なレース。さらに予選では「珍事」もみられる内容でした。マシンがワイドになる今シーズンと比較しても全幅は同じ2,000mmとこの時代あたりに近い感じかなと今回この年をチョイスしました。20年振りのワイドなマシン。裏を返せばこの時代はもう20年も前になるんですね。早いなぁ。。

1997年を振り返るのは初めてです。この年は前年のデビュー年に早くもチャンピオン争いに絡んできた二世J・ヴィルヌーブが再びウィリアムズでリベンジを図り、フェラーリ移籍2年目のM・シューマッハとガチンコ対決となりました。ランキングトップはシューマッハで78ポイント。2位がヴィルヌーブで77。シューマッハが優勝すれば文句無しの3回目チャンピオン。一方ヴィルヌーブは日本GPでのチャンピオン決定が失格により帳消し。ただ優勝回数で有利な同点でチャンピオンになれるため、この時代のポイント付与から考えれば、チャンピオンになるためにはシューマッハより前でゴールする必要があります。当のチャンピオンD・ヒルはウィリアムズから格下のアロウズに移籍したこともあり、チャンピオン争いからは退いています。

レース前の会見では、ヴィルヌーブとシューマッハからこんな言葉が交わされていました。ヴィルヌーブは前回の日本GPでの失格処分を受けて「このヘレスで故意に事故を起こすようなことはない」
シューマッハからも「僕らだけではなく、ファンのみんなもクリーンな争いを見たいはず」言いましたね、その言葉。皆さん、よく覚えておいて下さい。

さすがにチャンピオン決定の舞台だけあって、フリー走行からフェラーリのアーバインがヴィルヌーブの走行を妨げ、ピットで一触即発の様相がみられました。アーバインのこの顔、お主も悪よのう。

このレースの見どころは大きく2つ。1つ目は予選で訪れます。まずヴィルヌーブが勢いそのままに1分21秒072のトップタイムを出します。
続いてチャンピオンに最も近い位置にいるシューマッハがなんとヴィルヌーブと1/1,000まで同じの1分21秒072。
さらにこの年からチャンピオンマシンに乗るシューマッハと同門のフレンツェンも同タイムとなる1分21秒072!
もっと昔はわかりませんが、観戦している中でこんなピッタリ同じタイムが3人も並ぶ予選は他に知りません。かなりのレアケースです。こうなった場合はいち早くそのタイムを出した者に優先権が渡ります。ヴィルヌーブは今の順位を守ればチャンピオンが確定します。

《予選結果》
1 J・ヴィルヌーブ(ウィリアムズ・R・GY)
2 M・シューマッハ(フェラーリ・F・GY)
3 H・H・フレンツェン(ウィリアムズ・R・GY)
   ※GYはグッドイヤー


決勝のスタートは肝心のヴィルヌーブが失敗して3位に陥落。よりによって負けてはいけないシューマッハにトップを許してしまいます。シューマッハが逃げに逃げる姿をみて2位に浮上したフレンツェンが2位をヴィルヌーブに譲りましたが、シューマッハの前に出なければチャンピオンには届きません。


両者早めのピットストップはほぼ似たタイミングとしてオーバーカットもアンダーカットもできない状態に。シューマッハはピットストップを引っ張るフレンツェンに前を塞がれて独走を許しません。フレンツェン、グッジョブ!

2回目のピットもシューマッハが先、ヴィルヌーブが続きます。ヴィルヌーブは本線を走るクルサードにかわされてしまいますが、マクラーレンの2人は「チャンピオン争いの邪魔はしない」としてクルサードを上手くピットに呼び込み、いよいよシューマッハ VS ヴィルヌーブの舞台が整いました。
このレースの一番の見どころはペースが落ち着いてきたトップのシューマッハに対し、ハイペースでヴィルヌーブが詰め寄る48周目の6コーナー「ドライサック」でアウト側のシューマッハはインにいるヴィルヌーブに
あ、完全にステアリングをインに切って、ヴィルヌーブのサイドポンツーンにドカン、と。
「無駄な抵抗」をしたシューマッハはサスペンションを壊し、グラベルでストップ。ヴィルヌーブはトップを死守しています。この瞬間にシューマッハはノーポイントとなるため、1ポイントの6位にさえなれればヴィルヌーブのチャンピオン決定です。シューマッハはなんであんなにステアリングを切ったの?!ぶつかって自滅ですよ?

最後はチャンピオン争いを邪魔しないと話したマクラーレンの2台がヴィルヌーブを追いかけ、最終69周目にハッキネン、クルサードがかわして1997年シーズンが閉幕しました。ハッキネンはこのレースが当時の歴代最遅の99戦目で初優勝でした。
ロン・デニスは優勝したハッキネンの前にヴィルヌーブを祝福。ハッキネンの初優勝、いやエイドリアン・ニューウェイをマクラーレンに渡してくれた、お礼かな?!後々それが効いてしまうのですが。

《決勝結果》
1 M・ハッキネン(マクラーレン・M・GY)
2 D・クルサード(マクラーレン・M・GY)
3 J・ヴィルヌーブ(ウィリアムズ・R・GY)

優勝したハッキネン、2位のクルサードに肩車される3位のチャンピオン。F1僅か2年目、33戦目の初戴冠は同じく2年目に獲得したハミルトンの35戦目より早いです。父のG・ヴィルヌーブが届かなかった夢を息子が叶えました。
そしてこのレースをもって片山右京もF1人生を終えました。F1決勝94戦走行は現在でも日本人最多記録となっています。

F1は無事に終えたものの、まだコヤツの「例の動き」問題は続きます。シーズン終了後に呼び出し、そして裁定が降りました。
「1997年のドライバーズポイント全剥奪」
過去にこんなに呼び出しを食らい、出場停止や失格を繰り返したドライバーいたでしょうか。レース前の会見で「クリーンな争いをする。事故によるチャンピオン決定を望まない」と会見したのに、約束を果たせませんでした。この問題児が!(ファンの方、すみません!)それだけ速かったし、勝ちにこだわるあまり表現が過ぎてしまい、シューマッハの1997年シーズンは「いなかったこと」になっています。

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