東欧美女がグリッドに立っています。顔がとても小さいですね。そしてどこか寂しげな感じが東欧のクールさを醸し出しているよう。F1に長らく定着するハンガリーGPはこの年からF1カレンダーに組み込まれて現在まで欠かすことなく行われています。社会主義(共産主義)国でF1が行われる先駆けのGP、今から35年近く前にあたる1986年第11戦ハンガリーGPです。
こちらはコントロールラインから見て最深部に位置する旧6,7,8コーナー付近です。先日の記事の冒頭に挙げた画像の33年前になります。アングルは若干異なりますが、この区間に大きな変更はなく、今でも使用されています。
1986年シーズンを振り返るのは初となります。まだフルタイム日本人ドライバーはいません。マクラーレンは二度目の引退を果たしたラウダに代わって、ウィリアムズからK・ロズベルグを引き抜き、プロストとダブルチャンピオン体制を続けていきます。空いたウィリアムズにはブラバムからピケが移籍、マンセルと組みます。
これまでの10戦はウィリアムズのマンセルがベルギー、カナダ、フランス、イギリスの4戦を制して初チャンピオン獲得に向けて奔走しています。前年85年のチャンピオン、マクラーレンのプロストは表彰台登壇を続けるも、優勝は第3戦サンマリノGPと第4戦モナコGPの2勝に止まります。ほかマンセルの相方ピケが2勝、ロータスで腕を上げるセナも2勝と4人で10勝。つまり「F1四天王」と呼ばれた4人によるチャンピオン争奪戦を繰り広げています。ハンガリーGP時点では皆にチャンピオン獲得の可能性を有している状況。混戦はいいですね!
また、この年からNAエンジンが禁止されたため、出走の全車がV型8気筒や6気筒、直列4気筒のターボエンジンを搭載しています。直線が短く、低速コーナーが続くハンガロリンクを果たして誰が一番初めに制するか注目されます。
初のハンガリーGP予選は最も若いセナが制しました。2番手ピケは0.3秒差、3位プロストが0.5秒差、4番手マンセルは0.6秒差で接戦でした。貴重なチャンピオン経験者であるロズベルグは1.2秒差の5番手とプロストからもだいぶ離され、世代交代感は否めません。
《予選結果》
1 A・セナ (ロータス・R・GY)
2 N・ピケ (ウィリアムズ・H・GY)
3 A・プロスト(マクラーレン・TP・GY)
※GYはグッドイヤー、TPはタグポルシェ
スタートでセナは確実にトップを守り、ハンガリーGP初ウィナーを目指していきます。その後方ではウィリアムズのレッド5に代わり新ホワイト6のピケが前に出て独走のセナを追いかけていく。
白いピケが黒のセナを捉えました。ブラジル人対決です。
NP「若造、F1ブラジル代表はオレに任せろ、なっ」
ターン1をインからさしてピケが前に。
3番手スタートだった現チャンピオンはピットでもたついています。何かトラブルでもあったか。クルーはピットレーン上流を仕切りに気にします。ロズベルグがルーティンピットインを控えているからです。
「行け、行け!」
えーロズベルグはペナルティでもないのにピットスルーを指示されています。普通はトラブルを抱えた者を後回しに、生き残っている者の流れを途絶えさせない方が賢明なのに、ロズベルグもひどい扱いをされるものだ。
一度トップを明け渡したセナはピットが功を奏し、再びピケを逆転します。そうなるとピケはセナをかわさなければなりません。
再びターン1からセナを狩りにいく。
NP「オレはリオ出身。サンパウロは引っ込んでろ」
しかしブレーキングをミスしてイン側を開けてしまい、セナが守り切る。
当然ピケは黙っていません。三度セナに仕掛けていきます。インがダメなら、今度はアウトから。
前に出たピケの向きがおかしいですね。これ、テールを滑らせてドリフトしているんです。暴れたリヤを制御しながら無理矢理前に。ピケの巧みなステアリングさばきです。F1マシンはドリフト走行よりグリップ走行に特化していますが、昔はこのように暴れるマシンを腕でカバーして走るドライバーを多く見かけました。K・ロズベルグもこんな感じの荒いドライビングをしていましたよね。
NP「お前がオレに勝つのは5年速いってんだ」
《決勝結果》
1 N・ピケ (ウィリアムズ・H・GY)
2 A・セナ (ロータス・R・GY)
3 N・マンセル(ウィリアムズ・H・GY)
この年は結果的にプロストが2年連続のチャンピオンを獲得し、翌87年にピケが3回目、そして2年後の88年にセナがチャンピオンを獲得して、四天王の中ではマンセルが92年まで待つ形となりました。特にピケとセナは同郷で不仲と言われていましたが、実際はどこまで不仲だったかはわかりません。
E・フィッティパルディやC・パーチェが始祖となったブラジル人F1ドライバーはピケやセナなどで大成就、以降もバリチェロやマッサなど有能の若手を多く生み出すことになるものの、現在は久しく出身者不在の時期が続いています。
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東欧美女がグリッドに立っています。顔がとても小さいですね。そしてどこか寂しげな感じが東欧のクールさを醸し出しているよう。F1に長らく定着するハンガリーGPはこの年からF1カレンダーに組み込まれて現在まで欠かすことなく行われています。社会主義(共産主義)国でF1が行われる先駆けのGP、今から35年近く前にあたる1986年第11戦ハンガリーGPです。
こちらはコントロールラインから見て最深部に位置する旧6,7,8コーナー付近です。先日の記事の冒頭に挙げた画像の33年前になります。アングルは若干異なりますが、この区間に大きな変更はなく、今でも使用されています。
1986年シーズンを振り返るのは初となります。まだフルタイム日本人ドライバーはいません。マクラーレンは二度目の引退を果たしたラウダに代わって、ウィリアムズからK・ロズベルグを引き抜き、プロストとダブルチャンピオン体制を続けていきます。空いたウィリアムズにはブラバムからピケが移籍、マンセルと組みます。
これまでの10戦はウィリアムズのマンセルがベルギー、カナダ、フランス、イギリスの4戦を制して初チャンピオン獲得に向けて奔走しています。前年85年のチャンピオン、マクラーレンのプロストは表彰台登壇を続けるも、優勝は第3戦サンマリノGPと第4戦モナコGPの2勝に止まります。ほかマンセルの相方ピケが2勝、ロータスで腕を上げるセナも2勝と4人で10勝。つまり「F1四天王」と呼ばれた4人によるチャンピオン争奪戦を繰り広げています。ハンガリーGP時点では皆にチャンピオン獲得の可能性を有している状況。混戦はいいですね!
また、この年からNAエンジンが禁止されたため、出走の全車がV型8気筒や6気筒、直列4気筒のターボエンジンを搭載しています。直線が短く、低速コーナーが続くハンガロリンクを果たして誰が一番初めに制するか注目されます。
初のハンガリーGP予選は最も若いセナが制しました。2番手ピケは0.3秒差、3位プロストが0.5秒差、4番手マンセルは0.6秒差で接戦でした。貴重なチャンピオン経験者であるロズベルグは1.2秒差の5番手とプロストからもだいぶ離され、世代交代感は否めません。
《予選結果》
1 A・セナ (ロータス・R・GY)
2 N・ピケ (ウィリアムズ・H・GY)
3 A・プロスト(マクラーレン・TP・GY)
※GYはグッドイヤー、TPはタグポルシェ
スタートでセナは確実にトップを守り、ハンガリーGP初ウィナーを目指していきます。その後方ではウィリアムズのレッド5に代わり新ホワイト6のピケが前に出て独走のセナを追いかけていく。
白いピケが黒のセナを捉えました。ブラジル人対決です。
NP「若造、F1ブラジル代表はオレに任せろ、なっ」
ターン1をインからさしてピケが前に。
3番手スタートだった現チャンピオンはピットでもたついています。何かトラブルでもあったか。クルーはピットレーン上流を仕切りに気にします。ロズベルグがルーティンピットインを控えているからです。
「行け、行け!」
えーロズベルグはペナルティでもないのにピットスルーを指示されています。普通はトラブルを抱えた者を後回しに、生き残っている者の流れを途絶えさせない方が賢明なのに、ロズベルグもひどい扱いをされるものだ。
一度トップを明け渡したセナはピットが功を奏し、再びピケを逆転します。そうなるとピケはセナをかわさなければなりません。
再びターン1からセナを狩りにいく。
NP「オレはリオ出身。サンパウロは引っ込んでろ」
しかしブレーキングをミスしてイン側を開けてしまい、セナが守り切る。
当然ピケは黙っていません。三度セナに仕掛けていきます。インがダメなら、今度はアウトから。
前に出たピケの向きがおかしいですね。これ、テールを滑らせてドリフトしているんです。暴れたリヤを制御しながら無理矢理前に。ピケの巧みなステアリングさばきです。F1マシンはドリフト走行よりグリップ走行に特化していますが、昔はこのように暴れるマシンを腕でカバーして走るドライバーを多く見かけました。K・ロズベルグもこんな感じの荒いドライビングをしていましたよね。
NP「お前がオレに勝つのは5年速いってんだ」
《決勝結果》
1 N・ピケ (ウィリアムズ・H・GY)
2 A・セナ (ロータス・R・GY)
3 N・マンセル(ウィリアムズ・H・GY)
この年は結果的にプロストが2年連続のチャンピオンを獲得し、翌87年にピケが3回目、そして2年後の88年にセナがチャンピオンを獲得して、四天王の中ではマンセルが92年まで待つ形となりました。特にピケとセナは同郷で不仲と言われていましたが、実際はどこまで不仲だったかはわかりません。
E・フィッティパルディやC・パーチェが始祖となったブラジル人F1ドライバーはピケやセナなどで大成就、以降もバリチェロやマッサなど有能の若手を多く生み出すことになるものの、現在は久しく出身者不在の時期が続いています。
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