F1 えきぞーすとのーと

よくあるニュースネタやこ難しいテクニカルな話ではなく、メインは予選や決勝のTV観戦したそのものを個人的観点から綴るF1ブログです。  また、懐かしのマシンやレースを振り返ったり、記録やデータからF1を分析。その他ミニカーやグッズ集めも好きなので、それらを絡めつつ広く深くアツくF1の面白さやすごさを発信し、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

タグ:フレンツェン

毎回GP前に見合った過去のレースを取り扱ってきましたが、今回はスケジュールの関係上見送る予定でいました。しかしご存知の通りの「開幕戦オーストラリアGP中止」となり、予選予想、予選、決勝の観戦記ができないため、急遽復活させて「擬似的な」オーストラリアGPをお送りしたいと思います。今回チョイスしたのはアルバートパーク2回目の開催となった1997年の開幕戦です。何気なく選んだのではなく、一応意図してこの年を選びましたので、是非思い返してみて下さい。
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このシーズンからいよいよ日本を代表する企業、ブリヂストンがF1に名乗りを挙げます。初年は全12チーム中、アロウズ、スチュワート、プロスト、ミナルディ、ローラというどちらかといえば下位の5チームに供給し、最高峰カテゴリーの小手調べ。浜島さん若い、そしてタイヤのように丸い!(笑)
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予選は昨年デビューイヤーチャンピオンを逃したヴィルヌーブが余裕のポールポジションを獲得。2番手には新たにチームメイトとなったフレンツェンが獲得してウィリアムズがフロントロウで固めますが、ヴィルヌーブとフレンツェンの差は何と1.754秒もつきました。圧巻の走りです。3番手はフェラーリ2年目を迎えるM・シューマッハが続きました。一方でアロウズ・ヤマハに移籍したカーナンバー1は
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ローラ2台が予選落ちして全22台中20位。古巣に離されること5.4秒。腕は確かなヒルでもマシンが変われば順位も大きく変わりました。やはりF1はドライバースキルだけでは無い、マシンにも大きく左右されることが明白な結果に。ミナルディに乗る片山は15番手、プロストでデビューした中野は16番手と8列目に仲良く並んでいます。

《予選結果》
 1 J・ヴィルヌーブ  (ウィリアムズ・R・GY)
 2 H・H・フレンツェン(ウィリアムズ・R・GY)
 3 M・シューマッハ  (フェラーリ・F・GY)
   ※GYはグッドイヤー

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開幕戦のスタートはシーズンの行方を占うもの。ヴィルヌーブはチームメイトに対して行手を阻むかのようにマウントを採ります。
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クラッチミートに大失敗!フレンツェンがクロスラインで被せてトップに立つ。
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あれよあれよと後方に並ばれて埋もれるヴィルヌーブ。インからはヤンチャなアーバインがタイヤスモークを上げて切り込んできました。
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ターン1で水色のマシンが直進して土煙を上げています。この時代の青系マシンといえば、、
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ザウバーのハーバート、さらには白と紺のツートンカラーは何とウィリアムズのヴィルヌーブです。スタートに出遅れた後、イン側をアーバインに攻められ、アウトにハーバートと居場所を無くしたことで、圧倒的な予選をみせた優勝候補はコーナーを一つも曲がることなく開幕戦を終えました。ちょっとお粗末。

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チャンピオンマシンで堂々とアタマを獲ったフレンツェンは混乱をくぐり抜けた2位クルサード、3位シューマッハを1周あたり1秒ずつ引き離すハイペースで逃げています。ウィリアムズは抜きにくいアルバートパークを予選から前に出て封じる2ピットストップ戦略を採ったためです。フレンツェンは18周目に1回目のピットストップに向かい、一度2人に前を譲って3位復帰。
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その後、シューマッハが31周目、クルサードが33周目に最初で最後のピットを終えると、再びフレンツェンがトップに浮上、あと1回分のギャップを築きにかかっていきます。
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40周目にフレンツェンの2度目を迎えました。今のタイミングであれば、余裕でクルサードの前で戻れます。が、しかし
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11.7秒、ちょっと遅くない?!右リヤタイヤがもたつきなかなかロリポップが上がりません。
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結局16.4秒費やし、トラックインすればライバルの後方となる3位に交代してしまいました。チャンピオンチームがまさかのポカをして優勝をみすみす逃しています。
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2位を走行するシューマッハは1回目のピットストップで充分なガソリンが給油できていないことが発覚し、51周目に急遽2回目のストップを余儀無くされています。これもチームの誤算で首脳陣が心配そうに見守る。
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考えてみたらこの2人、今「渦中の立場」側にいらっしゃる方達ですね(笑)

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優勝からも引きずり下ろされたフレンツェンもまだまだ諦めていません。シューマッハが消え、あとはトラック上でクルサードを捉えて「本来の位置」に戻るのみ。猛追してミラーに写し出される位置に復帰してきました。ただこの日のフレンツェンはとことんツイていない。
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55周目のメインストレート上で悲劇が。
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ターン1のブレーキングで左フロントが黒煙に包まれて止まり切れず
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単独でグラベルへ。埋まれば自力脱出できません。ディスクが割れて、奇しくもヴィルヌーブと同様にターン1に散る。

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《決勝結果》
 1 D・クルサード (マクラーレン・M・GY)
 2 M・シューマッハ(フェラーリ・F・GY)
 3 M・ハッキネン (マクラーレン・M・GY)

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表彰台には2人の若きマクラーレンドライバーが揃い、楽しくシャンパンファイト。これは1993年のアデレイド市街地での同じオーストラリアGPでセナが生涯最終優勝を挙げてから4シーズン振り50レース振りの優勝となりました。

マクラーレンは1980年代中盤から90年台初頭まで一時代を築いた名門プライベーターです。常勝を味わったホンダと別れた後、フォードやプジョーエンジンで迷走と低迷を味わい、ようやく前年にドイツの巨人であるメルセデスエンジンを手にしました。
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この年、チームカラーも長年愛用したマールボロから脱却し、シルバーカラーを採用して心機一転した初戦に「冬眠」から抜け出すことに成功しています。近年のマクラーレンは再び低迷に陥り、昨年ようやくサインツが表彰台に登壇するまで復調してきています。そして来シーズンは長くパートナーとしてきた「マクラーレン・メルセデス」復活が決定しました。往年コンビの復活となると「辛い過去」もありますが、97年と同様に若いドライバー2人が引き続きチームの底上げに貢献できるかもしれません。また縁起のいいメルセデスエンジンを手に入れて名門復活を目指していくことでしょう。

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ウィリアムズは歴代で紺や白をまとうことが多くありました。昨シーズンもそうでしたね。ただ今回のウィリアムズは違う、なんと赤!それもカーナンバー1を引っ提げた「異端車」1998年のウィリアムズFW20に注目してみます。
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《設計》
パトリック・ヘッド
ギャビン・フィッシャー
ジェフ・ウィリス

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《外見》
キヤノンやロスマンズなど、この頃のウィリアムズで見られた紺や白、黄色といった慣れ親しんだ配色を脱し、赤ベースに変貌を遂げました。これは同じタバコはタバコでもPRする銘柄をウィンフィールドに切り替えたためです。見た目からして思い切ってきました。マシンコンセプトはダブルチャンピオンを獲得した前年1997年のFW19の発展型なのですが、一見するとどこのチームだかもわからなくなるほどの変貌っぷり。
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この1998年から「全幅を2,000mmから1,800mmに狭める」レギュレーションに変更。いわゆるナローサイズ化したため、大規模な変更を伴いました。ウィリアムズの最強マシンを作り上げてきたエイドリアン・ニューウェイは1996年以降マクラーレンに移籍し、1997年のFW19はその恩恵もあってチャンピオンを防衛できました。しかしこの時のレギュレーション変更には当初から対応できません。それならばニューウェイの下にいたフィッシャーとウィリスに知恵を絞ってもらうしかなくなりました。エンジンは変わらず、マシンの幅が狭くなるということは、失われたマシン容積、ダウンフォースを補ってあげないと、マシンとしては退化を意味します。ライバルチームは当初から「前後方向」にゆとりを持たせた設計に変更する中、FW20のベースは先程書いたようにニューウェイの余韻が残るFW19でしたのでその対応を充分に行わない道を選びました。それが後々このマシンの戦績を多く左右しています。

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《シャシー》
全長:4,392mm
全幅:1,800mm
全高: - mm
最低車体重量:605kg
燃料タンク容量:− ℓ
ホイール:OZ
サスペンション:フロント プッシュロッド
                                 リヤ    プッシュロッド
タイヤ:グッドイヤー

《エンジン》
メカクロームGC37-01 V10(ルノーRS9Bカスタム)
V型10気筒・バンク角71度
排気量:3,000cc(推定)
最高回転数: - rpm(非公表)
最大馬力: - 馬力(非公表)
スパークプラグ:チャンピオン
燃料・潤滑油:ペトロブラス・カストロール

前年まで長きに渡りコンビを組んだルノーが1997年シーズンをもってF1へのエンジン供給を終了。新たにBMWと契約する予定だったところ、それが失敗。前年搭載したチャンピオンエンジンであるルノーRS9Bに小改良を加えた「メカクローム」なるエンジン使用を強いられました。チャンピオンエンジンとはいえ、F1のトップ争いには「一年遅れ」は正直この上ない痛手です。こちらもまた結果的に戦績に影響を与えた一因でした。ちなみに肝心なBMWエンジンは3年後となる2000年シーズンまで待ちわびることとなります。

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《ドライバー》
No.1 ジャック・ヴィルヌーブ(全戦)
No.2 ハインツ・ハラルド・フレンツェン(全戦)
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《戦績》
38ポイント コンストラクター3位
(3位3回、4位3回、5位7回、6位3回ほか)
ポールポジション0回

ドライバーは劇的な内容で参戦2年目のチャンピオンに輝くJ・ヴィルヌーブとその相方フレンツェンで引き続き臨んでいます。マシンの色は大きく変わりましたが、要はドライバーもエンジンも変わっていない「チャンピオンチーム」というわけです。
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開幕戦オーストラリアGPはテストから好調だったマクラーレンがライバルをあざ笑うかのようなぶっ飛んだ速さを見せつけたことにより完敗。フレンツェンは周回遅れの3位、ヴィルヌーブ5位と辛い滑り出しとなります。まあまあ、開幕戦だし何やらマクラーレンは怪しいデバイスがあったようですから様子見か。続く第2戦ブラジルGPは怪しげ「ブレーキステアリングシステム」を外したマクラーレンにまたもやフレンツェンは周回遅れの5位、ヴィルヌーブに至っては7位の入賞圏外に追いやられる屈辱を味わいます。これは決してたまたまではない、チャンピオンチームがやっちまった「マジなやつ」だということが露呈されました。
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失速の原因はまずエンジンの発展途上にあります。長らくF1界を席巻してきたルノーエンジンも一年前のモデルでは力をつけてきたメルセデスはおろかフェラーリも追いつき追い越していきます。またニューウェイを欠き、再設計を必要とされた時に「必要とすること」が施せなかったことも大きくのしかかります。ニューウェイが設計したロングホイールベースのマクラーレンに遅れること7戦、カナダGPでようやくホイールベースを延長対応するなど、いずれも後手後手に回りました。シーズン後半の第11戦ドイツGP、第12戦ハンガリーGPでヴィルヌーブによる連続3位表彰台では時既に遅し。結局チャンピオンチームは一度もポールポジションや優勝することもなく、ヴィルヌーブの腕一本ではとても埋め合わせに至りませんでした。
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近年ウィリアムズは低迷の一途を辿っています。途中、復調の兆しはみせるものの、名門の低迷はここから始まりました。チャンピオンを取り逃がしてから今年で22年目に入ろうとしています。今シーズンはベテランのクビカが奇跡の現役復帰します。まずは最下位という不名誉な位置から脱することが目的になるでしょうか。

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警備員が森の中でうずくまった迷子を発見!今回は1999年イタリアGPを振り返ります。このシーズンを振り返るのは3回目。最終戦日本GP、第14戦ヨーロッパGP(ニュルブルクリンク)ときて、今回は第13戦イタリアGPなので時間は遡っています。
第8戦に負傷して戦線離脱したM・シューマッハに代わって、先日のベルギーGPのスチュワードを担当したM・サロが第9戦からステアリングを握り、優勝はないものの2位1回をもって「フェラーリドライバー」としてモンツァに挑みました。また急遽フェラーリのエースを任された(千載一遇のチャンス!)E・アーバインはここまで優勝3回、2位2回、3位2回の結果を引っさげ、チャンピオン争いに絡んでいきます。

予選のフェラーリはアーバイン6番手、サロ9番手と名門とは言い難い「並みのチーム」のような位置を強いられました。アーバインに1.5秒差を付けてマクラーレンのM・ハッキネンがポールポジション。2番手クルサードに続くのは、ハッキネンから1秒差を付けられつつもまだチャンピオン獲得の希望がある無限ホンダを積むジョーダンのH・H・フレンツェンでした。フォーメーションラップを前に「今日は勝ちを狙いにいくよ」と戦線布告。

《予選結果》
   1 M・ハッキネン          (マクラーレン・M)
   2 D・クルサード          (マクラーレン・M)
   3 H・H・フレンツェン(ジョーダン・MH)
     ※MHは無限ホンダ、タイヤは全ブリヂストン

ただでさえ今より小さなマシンにも関わらず、F1随一のペタペタウィングだと、グリッドで並んでもいつもよりマシンの存在も小さく見えますよね。スタートはハッキネン順調。2番手3番手よりも4番手スタートを獲得した赤のウィリアムズ、A・ザナルディがF1キャリアで最も冴えていたのではないかという高加速をみせ、初めのシケイン「ヴァリアンテ・レティフィーロ」までに2番手までアップ。
CART出身はモントーヤといい、モンツァのような速さはお手のモノ?!

このシケインは毎年のように1周目は渋滞を引き起こし、ショートカットや接触を招きがちです。テールエンダーの一つ、アロウズの高木虎之介は同じくテールエンダーのミナルディのM・ジェネのマシンをリフトさせてます。これ、1回目。

幸先よいスタートを見せても、今日のフレンツェンには痛くもかゆくもない。モンツァは乱気流に気を付けてスリップストリームを利用するのが王道のパッシングです。インから無限ホンダエンジンで古巣のザナルディをまくりたててパス。あ〜ぁ、口をあんぐり開ける赤のウィリアムズ陣営。この赤は本当に似合わないなぁ、還暦祝いにしか見えん。。
アメリカのCARTやハンドサイクルのチャンピオンであるザナルディは前任のJ・ヴィルヌーブのようにF1では大成できませんでしたね。この後チームメイトのR・シューマッハに前を譲る形で入賞圏外8位フィニッシュでした。

ハッキネンはいつもの「ポール逃げ」を敢行する中、確か2番手スタートだった相方クルサードは?!
格下のクリソツマシン、スチュワートのバリチェロにかわされる始末(写真右の黒みがかっている方がマクラーレン)もう、そんなんだから先生のことを度々イジりたくなってしまうんじゃないか!(笑)
さっき1回ミナルディをリフトさせた高木虎之介は、続いてその相方に対して自ら「リフト・アンド・」コーストならぬ、乗り上げ。ミナルディに何か恨みでもあるのかな。

快調にみえたトップのハッキネンは退屈過ぎて注意力散漫かシケインを
へいへい、毎度毎度のルーティンワークで、、
あれ?チャンピオン、そっちすか?!
タイヤスモークを上げてエンストを招き、グラベルへ。珍しく誰かみたいにステアリングを投げ捨てて
グローブも、、えいっ!
この悔しがり様はハッキネンに珍しいですよね。それもそのはず、チャンピオンの完全な自爆リタイヤです。そして草むらでしゃがんで涙。隠れているようで空撮の国際映像やカメラマンからもしっかり捉えられてしまいました。1990年のF3マカオGPの時と同じだ。

マクラーレンのミカがいないとなると、さっきのクルサードに期待せざるを得ないマクラーレンは、フェラーリにいるミカと同時にピットイン。
給油口がうまく抜けず、ピットアウトは短期アルバイトのサロが前。2人のミカに勝てなかったクルサードはこのレースの表彰台から陥落。これはクルサードのせいではないとはいえ、こんなんだからガキンチョのベッテルにまでイジられちゃうんだって!
初めの宣言通り、勝ちにきたのはフレンツェンでした。こういうオイシいのをモノにするチーム代表(兼コメディアン?)も誇らしげです。

《決勝結果》
   1 H・H・フレンツェン(ジョーダン・MH)
   2 R・シューマッハ      (ウィリアムズ・SR)
   3 M・サロ                    (フェラーリ・F)
      ※SRはスーパーテック(ルノーカスタム)

ドイツ出身のフレンツェンもM・シューマッハと共に「メルセデス育成選手」の1人でした。速いには速いし、優勝はあっても、昔の彼女コリーナまでとられるなど、M・シューマッハとは異なるF1キャリアを歩むことになりました。また無限ホンダエンジンによる優勝はこれまでリジェとO・パニスによる1996年モナコGP、以前に振り返った「雨のクルサード」で大荒れの1998年ベルギーGP、そして1999年第7戦フランスGPとコレの計4勝を挙げています。

結果的にはこの年も僅差でチャンピオン防衛できたからいいものの、逆に僅差で「ポールも取れない」アーバインにやられていたら、このレースをずっといじられていたでしょう。他人の不幸をからかうのはよくないけど面白いので、当時最速を誇ったチャンピオンの姿、もう一度見ておきましょう(笑)

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1日は過ぎてしまいました。5月生まれのF1ドライバーを祝おうの日です。7月、9月に次ぐ総勢61人の多い月です。

《5月生まれのドライバー》
1928年5月4日   W・フォン・トリップス
1946年5月4日   J・ワトソン
1975年5月8日   G・マッツァカーネ
1977年5月10日 N・ハイドフェルド
1963年5月12日 S・モデナ
1967年5月18日 H・H・フレンツェン
1928年5月19日 C・チャップマン
1970年5月22日 P・ディニス
1940年5月23日 G・ラルース
1972年5月23日 R・バリチェロ
1963年5月24日 I・カペリ
1942年5月27日 P・カレッジ
1963年5月29日 片山右京
1964年5月30日 A・モンテルミニ
1981年5月30日 G・ブルーニ
1959年5月31日 A・デ・チェザリス

★はチャンピオン獲得者、◎は2017年現役

なんでしょう、5月生まれは多いといった割に、著名のドライバーは少ないためあまりたくさん載せられませんでした。チャンピオン経験者もいなければ現役ドライバーもいませんでした。チャンピオンをとり損ねた惜しい方は何名かいます。
我が日本を代表する最多出場のカミカゼ片山右京が唯一のノミネートでした。登山や自転車と多くの顔を持ちつつ、現役で解説もしてくれる貴重な元F1ドライバーですね!

5月生まれの皆さん、そしてドライバー、おめでとう!

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先日ジョーダングランプリを追っかけていたら、久々にジョーダンのマシンについて思い出したくなりました。第一弾はグリーンの人気車191でした。次ぐ第二弾に選んだのは、チーム最高位の成績を収めた黄色い1999年型「ジョーダン199」です。

《設計》
マイク・ガスコイン
マーク・スミス

《外見》
ジョーダンといえばやっぱりイエローです。グリーンからブルーと変貌を遂げた後、1996年からタバコブランド「ベンソン&ヘッジズ」によるゴールドを経て、お馴染みのイエローがチーム終焉の2005年まで採用されました。ちなみに1991年の191から始まった数字による型式はこの199が最後となり、翌2000年からはチーム代表エディ・ジョーダンのイニシャルであるEJを冠した付番のEJ10に切り替わります。

設計はマーク・スミスとマクラーレンやザウバーに在籍したマイク・ガスコインの手が新たに加わえて、今までのゲイリー・アンダーソン色の変更を行いました。とは言いつつ、素人目からみたら、外見から手に取るようにわかるほどではありませんが(笑)
実は車高が低めで、低重心化に力が注がれています。攻撃的な蜂が描かれたノーズコーンは低位置に始まり、サスペンション付近に達すると運転視線あたりまで上昇してコクピットでまた低くなる。緩やかな弧を描くフロントセクションです。サスペンションのショックアブソーバーの部分が2つコブのように隆起していますから、ただでさえ視界がよくないF1マシンでドライバーからどのように前方が見えていたのかすごく興味があります。
日本ブランドの無限ホンダ。本家ホンダはHONDAとアルファベットのみの表記のところ、無限ホンダの「無限」は毛筆で書いたような力強い漢字で記されています。F1マシンにある漢字、いいですね!エンジンサプライヤーの中で最強とは言えませんでしたが数々のアップデートが結果として反映されていました。

メインスポンサーのベンソン&ヘッジズ、イギリスのタバコブランドです。たまに街で海外のタバコや葉巻を扱うショーケースを見かけて覗いたりしますが、見たことがありません。それか見てるけど気付いていないだけなのか。ネットでパッケージを見ると、黄色より1996年型の196に採用されたものが近い気がします。

また、少し前にも書いたホンダもそうでしたが、このジョーダンのユニークなのはタバコ広告禁止国での対応です。通常はBENSON & HEDGESと書くアルファベットをところどころ削って「BE    ON   EDGE  」(緊張している  ハラハラする)という別の熟語にして置き換えたり、時には「BUZZIN HORNETS」(ブンブン飛ぶスズメバチ)など、もはや原形がよくわからないけど同じ書体で表現していました。ペイントやスポンサーロゴで遊んだりと、今では見かけなくなった工夫がありました。このご時世はヘルメットの絵柄をコロコロ変えることすら許されなくなってしまいましたよね。
他の有名どころスポンサーはマスターカード、ヒューレッドパッカード、そしてソニーのPlayStationやavexなどの日本にお馴染みなものも多くあります。


《エンジンほか》
無限ホンダMF301HD
V型10気筒・バンク角72度
排気量:2,998cc(推定)
最高回転数:- rpm(非公開)
最大馬力: - 馬力(非公開)
燃料・潤滑油:エルフ

《シャシー》
全長:- mm
全幅:- mm
全高:- mm
最低車体重量:- kg
ホイール:OZ
タイヤ:ブリヂストン
サスペンション:フロント プッシュロッド
                                 リア    プッシュロッド


《ドライバー》
No.7 デイモン・ヒル(全戦)
No.8 ハインツ・ハラルド・フレンツェン(全戦)

《戦績》
61ポイント コンストラクター3位
(1位2回、2位1回、3位3回ほか)
ポールポジション1回

1999年からR・シューマッハと入れ替わる形でウィリアムズからH・H・フレンツェンが移籍し、なかなかベテランコンビとなりました。戦績上位となる表彰台通算6回は全てフレンツェンによるものです。チャンピオン経験者のヒルは前年1998年に荒れたベルギーGPのチーム初優勝に貢献しましたが、1999年は下降線を辿り、このマシンをもってしても4位1回が精一杯。この年をもってF1を引退することになります。
またメルセデス塾で共にしたM・シューマッハはベネトンで早々に花を咲かせる一方、フレンツェンはウィリアムズでヴィルヌーブの陰に隠れる存在でした。ジョーダンに移籍して開幕戦、第2戦と連続表彰台を獲得し、第7戦のフランスGPでチーム2回目、自身2回目の優勝でチャンピオン争いに名乗りを上げます。第13戦イタリアGPでも優勝し、M・シューマッハの怪我による離脱も絶好のチャンスでしたが、結果ドライバーズランキング3位に終わります。チームはフェラーリ、マクラーレンから大きく離れた3位となり、この年がチームとしての最上位、無限ホンダとしてもこのマシンがF1最上位の戦績となっています。


黄色と黒を組み合わせたカラーリングはルノーにもありました。ウィングやノーズにサイドポンツーン、塗り分け方はジョーダンの鮮やかな黄色が好きです。

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