F1 えきぞーすとのーと

よくあるニュースネタやこ難しいテクニカルな話ではなく、メインは予選や決勝のTV観戦したそのものを個人的観点から綴るF1ブログです。  また、懐かしのマシンやレースを振り返ったり、記録やデータからF1を分析。その他ミニカーやグッズ集めも好きなので、それらを絡めつつ広く深くアツくF1の面白さやすごさを発信し、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

タグ:フォード

先日の「名車を振り返る」は前グラウンドエフェクトカー最終年にあたる1982年のブラバムBT50(BT49D)を扱いました。今回みていくチャンピオン獲得前の名車はウィリアムズにとって初代グラウンドエフェクトカーとなる79年型FW07になります。

《設計》
 パトリック・ヘッド
 ニール・オートレイ
 フランク・ダーニー

《外見》
「グラウンドエフェクト」(地面効果)を利用した技術やマシンは以前からありましたが、なかなか成功に至らず77年にロータスが成功に導いたことをきっかけにライバル達も追従、研究が進められました。

79年型FW07自体は78年末から「グラウンドエフェクトカー」として研究開発が進められていたものの、シーズンオフで完成できず、開幕戦アルゼンチンGPは79年を戦ったFW06を引き続き使用するという判断を下します。FW06は「ウィリアムズ・グランプリ・エンジニアリング」というれっきとしたF1コンストラクターとしてパトリック・ヘッドが初めて手掛けたマシンであり、当然ながらノングラウンドエフェクトカーです。
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FW06はヘッドがウルフに在籍した時代のノウハウやコンセプトが盛り込まれていましたが、時代はグラウンドエフェクトを用いる時代を迎えていたため、チームとしても本意ではありませんでした。そこでシーズン1/3を消化するヨーロッパラウンド初戦、ハラマで行われる第5戦スペインGPでグラウンドエフェクトを盛り込んだFW07のデビューに踏み切ります。
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FW07は低めに角張ったサイドポンツーンにラジエター類を配置して「一枚羽根」のようなデザインに切り替えています。ぱっと見はグラウンドエフェクトの先駆けである78年型ロータス79に酷似しています。
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ノーズはオイルクーラーを移設し、開口を廃止。アルミ製ハニカム構造のモノコック一体型で強固に仕立て上げられました。
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サイドポンツーン側部は真っ直ぐ立ち上がり、今シーズン2022年型マシンでは許されていませんが、当時のグラウンドエフェクトカーの代名詞である「スライディングスカート」が備え付けられています。マシンのフロアと路面の間を走る速い気流を外部(ここでいうマシンの側面を走る気流)に対しリヤエンドまで気密状態にすることを目的としました。スカートについては後に可動の禁止やその材質、高さ、厚みなどに規制が加わっていきます。
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ウィリアムズのようなプライベートチームがF1に参戦する上で最も重要なことは「スポンサーを付けて資金を集めること」です。フランク・ウィリアムズは航空会社「サウディア」(サウジアラビア航空会社)やTAG(後のタグ・ホイヤー)など実際にはF1が開催されることの無いサウジアラビア企業を味方につけて資金繰りを行っています。マシンの白地に緑と青のラインは当時のサウディアの機体のカラーリングそのものです。
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《シャシー》
 全長: - mm
 全幅: - mm
 全高: - mm
 最低車体重量:588kg
 燃料タンク容量: - ℓ
 クラッチ: -
 ブレーキキャリパー: -
 ブレーキディスク・パッド: -
 サスペンション:フロント -
          リヤ  -
 ホイール: -
 タイヤ:グッドイヤー

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《エンジン》
 フォード コスワースDFV
  V型8気筒・バンク角90度
 排気量:2,993cc
 エンジン最高回転数:10,800rpm(推定)
 最大馬力:485馬力(推定)
 スパークプラグ:チャンピオン
 燃料・潤滑油:モービル

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《ドライバー》FW07は第5戦スペインGPから
 No.27 アラン・ジョーンズ  (全戦)
 No.28 クレイ・レガッツォーニ(全戦)

ドライバーは前年までのジョーンズ一人体制からベテランのレガッツォーニを迎え、チームとしてさらなる戦闘力強化を図っています。
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《戦績》
 75ポイント コンストラクター2位
  ただしFW07としては71ポイント
 (1位5回、2位2回、3位2回、4位1回ほか)
 ポールポジション3回

1979年の開幕は前年使用したFW06が使用され、入賞はジョーンズによる第4戦アメリカ西GPでの3位1回に止まりました。そしてライバルから遅れること一年以上の時間を要し、ハラマでの第5戦スペインGPより、ウィリアムズ初のグラウンドエフェクトカーFW07が実戦走行を迎えます。
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初戦からいきなりグラウンドエフェクトカーによる飛躍がみられたというわけではなく、予選はFW06と大きく変わらずの13、14番手。決勝は両者ともリタイヤで終えています。ゾルダーで行われた翌第6戦ベルギーGPはジョーンズが予選で4番手を獲得、決勝は電気系トラブルにより惜しくもリタイヤとなりますが、第7戦モナコGPではレガッツォーニは予選16位から2位表彰台を獲得するなど、新車導入の成果が徐々に発揮し始めます。
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そして第9戦イギリスGPでジョーンズがチーム初となるポールポジションを獲得(ジョーンズ自身も初ポール)、予選4番手だったレガッツォーニがチーム初優勝を挙げ、ウィリアムズの母国レースに花を添えています。
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その後は初優勝がきっかけとなったか、成績が右肩上がりに転じ、ジョーンズが第10戦ドイツGPから三連勝を含めた4勝を挙げ、コンストラクターズランキングはリジェやロータスといった競合を上回る2位にランクアップ。ジョーンズはドライバーズランキングは3位を獲得しました。
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FW07での戦績は11戦中5勝、9表彰台、3回のポールポジションとなりました。この年のチャンピオンはフェラーリとシェクターによるダブルチャンピオンという形となった訳ですが、有効ポイントの計上が今とはだいぶ異なり「前半7戦から4戦分。後半8戦から4戦分の上位ポイントをカウントする」ものでした。チャンピオンを獲得したシェクターの前半は30ポイント、後半は21ポイントを数えて、トータルは51ポイント。一方でシーズン唯一の三連勝を挙げたジョーンズの前半はわずか4ポイント、後半は4勝分の36ポイントでトータル40ポイントと後半で稼ぐもシェクターに11ポイント上回っています。皆同じレギュレーション下でやっているため、公平や不公平などはありませんが、後半8戦だけでみたら、ジョーンズは誰よりもポイントを稼いだドライバーでした。つくづく序盤戦の「グラウンドエフェクトを期待しない」旧型マシンFW06での取りこぼしが悔やまれます。なお、チームメイトのレガッツォーニは前半6ポイント、後半23ポイントを獲得していることからも、このシーズンのウィリアムズのバイオリズムを象徴すると共に、FW07の戦闘力を知らしめるものでした。
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ただこの戦績は決して無駄なものではなく、ドライバーをレガッツォーニからロイテマンに代えた翌80年、改良型のFW07Bで臨んだジョーンズが5勝を挙げ、ウィリアムズ初のドライバーズおよびコンストラクターズの両チャンピオンを獲得。ウィリアムズは一気にトップチームに名乗りを挙げることとなりました。その足がかりとなったFW07はウィリアムズのみならずF1界でもれっきとした名車の一つに数えられます。

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今シーズンはいよいよ40年振りにF1にグラウンドエフェクトカーが復活します。マシンのフォルムやディテールも大きく変わり、現段階では全くの未知数ですね。今回の「名車を振り返る」も引き続きチャンピオンになる一台前にあたるマシンを取り上げてはいますが、名車というよりかは迷車、珍車に近いかもしれません。チャンピオンとチャンピオンの間に挟まれた地味なマシンでソースを集めるのに苦労しましたが、どうにかしてこのチームのを久々に取り上げたいと思い書きましたので読んでやって下さい、1982年のブラバムBT50(BT49D)です。時代は今と同じちょうどレギュレーションの過渡期、グラウンドエフェクトカー最終年のマシンになります。

《設計》
 ゴードン・マーレー
 デビッド・ノース

《外見》
1980年代のF1マシンといえばフェラーリの真紅をはじめ、マクラーレンやアルファロメオで使用されたマールボロの印象が強くありますが、miyabikun個人的にはブラバムの白をベースにスピード感ある濃紺の矢のようなカラーリングがシンプルで好きです。地味そうに見えて、過去のレースシーンを観ると意外と目立ちます。後付けですが、この二色のカラーリングが東海道新幹線(中央リニア新幹線)とどこか似ているものを感じます。
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まずは本来の82年マシンBT50からみていきます。フロントウィングが見当たりませんが、トラブルとかはなく元々無いのです。サーキットによってはウィングを付けているものもあります。
70年代末期にルノー(現 アルピーヌ)によってF1界にタービンを搭載した過給器「ターボ」が導入され、飛躍的にパワフルなエンジンが誕生しました。続いてワークスであるフェラーリもターボを搭載したことで「F1は高出力ターボの時代」に向かいつつありました。当時フォード(コスワース)を使用していたブラバムもその波に遅れまいとして、ドイツのBMWからの供給にこぎつけ、前年81年にBT49Bの改良型である「BT49T」と名付けられたマシンでBMWターボのテストを行っていました。冷却効率の強化やマシンの形状変更などを経て、82年シーズンからはBT49シリーズのマイナーチェンジではなく、BT50としてフルモデルチェンジを果たすこととなりました。
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白は膨張色であることもあってか、グラウンドエフェクトカー特有の扁平かつ角々しい印象が目立ちます。しかしこのチームには空力の奇才と呼ばれたマーレーがいます。ライバルに比べるとサイドポンツーン開口は低く、開口からはなだらかな弧を描き、リヤタイヤに近い高さまで持ち上がる、正しく「航空機の羽根」のようなフォルムをしています。

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BT49Dは前年にチャンピオンを獲得したBT49Cで搭載され、走行中に空気圧と油圧で車高を下げる「ハイドロニューマチックサスペンション」を除去。またグラウンドエフェクトカーの付き物である「スライディングスカート」を可動できるようにしました。さらにフロントノーズも前作(というか、本来はこちらが前作)BT50に近い作り込みとしているため、ぱっと見は酷似しています。
こちらがBT49Dで
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これがBT50。
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見かけ方としては、ドライバーの後ろにあるロールバーのまたさらに後ろ、エンジンカバーの部分が平坦(時にはカウルを外し、エンジン上部が剥き出し)なのと、濃紺の帯が細く続いているのがBT49D。エンジンカバーがこんもりとあり、ドライバー真横の帯に小さく「BMW」と書かれているのがBT50となります。この画像では見難いですね(笑)

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メインスポンサーはイタリアの牛乳加工メーカーのパルマラットです。これでもかと言わんばかりにマシンをどこから見ても見えますね。パルマラットといえば、この時代のブラバムや少し前の時代のニキ・ラウダを連想させます。

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《シャシー》
〈BT49D〉
 全長: - mm
 全幅: - mm
 全高: - mm
 最低車体重量:580kg
 燃料タンク容量:220ℓ
 クラッチ: -
 ブレーキキャリパー: -
 ブレーキディスク・パッド: -
 サスペンション:フロント プルロッド
          リヤ    プルロッド
 ホイール: -
 タイヤ:グッドイヤー
〈BT50〉
 全長: - mm
 全幅: - mm
 全高: - mm
 最低車体重量:585kg
 燃料タンク容量:220ℓ
 クラッチ: -
 ブレーキキャリパー: -
 ブレーキディスク・パッド: -
 サスペンション:フロント プルロッド
          リヤ    プルロッド
 ホイール: -
 タイヤ:グッドイヤー

《エンジン》
〈BT49D〉
 フォード コスワースDFV
  V型8気筒・バンク角90度
 排気量:2,993cc
 エンジン最高回転数:11,100rpm(推定)
 最大馬力:470馬力(推定) 
 燃料・潤滑油: -
〈BT50〉
 BMW M12/13
  直列4気筒・バンク角 - 度
  キューネ・コップ&カウス製ターボ
 排気量:1,500cc
 エンジン最高回転数: - rpm(非公開)
 最大馬力:570馬力(公称)
 燃料・潤滑油:エルフ,バルボリン

ブラバムは長らくフォード・コスワースDFVを搭載し、前年81年はピケが初のチャンピオンを獲得しました。しかし時代は先述の通りルノーがF1に持ち込んだターボチャージャーによる「パワー合戦」が始まっていました。ブラバムはこの82年からBMWが今までF2マシンに搭載していたM12/13をF1用に改良、入念なテストを繰り返し、KKK社製ターボを搭載する決断をします。
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先発のルノーやフェラーリと異なる点として、前者はV型8気筒エンジンを用いたことに対し、BMWとブラバムは直列4気筒を採用してきたことです。以前のフォードのNAに比べ、パワー、トルクとも飛躍的に向上し、最高速度は向上したもののトラブルが頻発。結局シーズン序盤でフォードに換装し直す必要が出てしまいました。

《ドライバー》
 No.1 ネルソン・ピケ   (第4戦を除く全戦)
   ただし第2,3戦はBT49D、ほかBT50
 No.2 リカルド・パトレーゼ(第4戦を除く全戦)
   ただし第2,3,6〜8戦がBT49D、ほかBT50

ドライバーはF1ファンの誰もが知る有名な2人ですが、マシンの使用状況が異なるのが何ともややこしいです。この後の「戦績」にも書きますが、チャンピオンでチームのエースであるピケは全16戦中、BT50で13戦、BT49Dで2戦ドライブし、1戦の欠場があります。またパトレーゼはBT50で10戦、BT49Dで5戦ドライブして1戦欠場です。両者1戦の欠場は第4戦サンマリノGPとなっており、第2戦ブラジルGPで発覚した「ブレーキ冷却水の不正使用によるマシンの最低車体重量違反」(通称「水タンク事件」)の裁定を不服とし、ボイコットを行ったためです(ちなみに84年のティレルの件とは異なります)
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《戦績》
〈BT49D〉
 19ポイント コンストラクター9位
 (1位1回、2位1回、3位1回ほか)
 ポールポジション0回
〈BT50〉
 22ポイント コンストラクター7位
 (1位1回、2位1回、4位1回、5位2回ほか)
 ポールポジション1回
※チームやドライバーはどちらも同じですが、
 コンストラクターとしては別扱いとなります

投入時期については名称の数字の通り、前年BT49Cに続いてBMWエンジン初搭載となるBT50で開幕戦南アフリカGPに臨んでいます。ターボのパワーを引っ提げ、予選はルノーターボのアルヌーに次ぐピケが2番手、パトレーゼ4番手と好位置を獲得します。ところが決勝ではパトレーゼのターボがレース序盤の18周で根を上げ、ピケも同様に自身のミスにより早々と戦線離脱するなど、苦い幕開けとなりました。入念にテストを行ってきたにも関わらず、ターボの信頼性が乏しいとされ、第2戦ブラジルGPは再びフォード・コスワースV8NAに換装。前年のBT49Cに改良を施したBT49Dでの戦いを強いられます。
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ただそのブラジルGPもフォード・コスワースを搭載したBT49D(ほかマクラーレン、ウィリアムズも)は先述「ブレーキ冷却用として用いた水でマシン重量の不正を行った」として、ピケの優勝を剥奪され、不服とした各チームが第4戦サンマリノGPをボイコットするという出来事を招いてしまいました。その後ピケはゾルダーで行われた第5戦ベルギーGPで再びBT50を採用、予選10番手から5位入賞して最終戦アメリカGP(ラスベガス)まで戦い抜いています。一方パトレーゼもBT50をドライブするもレース後半にリタイヤ、再びBT49Dに戻して第8戦カナダGPまで使用しました。
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初っ端からマシントラブル(主にターボ)、改良を施すも旧型マシンと旧型エンジンに戻して、裏では眉唾モノをしでかして失格とボイコットという前年チャンピオンチームらしからぬシーズンですが、表彰台はBT50で2回、BT49Dで3回とトータルで5回あります。面白いのはその内訳です。ピケは第8戦カナダGP優勝、続く第9戦オランダGPの2位をBT50で挙げました。パトレーゼは第6戦モナコGPで優勝のほか、ピケの優勝したカナダGPの2位とロングビーチでのアメリカ西GPで挙げた3位はBT49Dによるものとドライバーで戦績がくっきり分かれました。
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特にカナダGPはブラバムのワンツーフィニッシュなのに「マシンもエンジンも違う=別コンストラクター扱い」というのが現代のF1ではあり得ないことですね。

このBT50は近代F1で「戦略の肝」とされるある出来事を持ち込んだことで有名です。それはコレ。
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ピットシーンですが、ここに注目!
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そう、F1の決勝レース中に再給油を行っているんです。現在のレギュレーションでは禁止されていますが、一昔前までは再給油ができたため、軽いタンクでペースを上げ、再給油するタイミングとその戦略が多くのドラマを生んできましたよね。その戦略は第10戦イギリスGPで敢行。このマシンとマーレーのアイデアから生み出されたものでした。

それ以外だとホッケンハイムリンクで行われた第12戦ドイツGPのあるシーンが有名です。
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18周目にトップを走るピケはATSのサラザールを周回遅れにしようとしています。
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ところがシケイン入口でサラザールと接触して両者リタイヤ。
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サラザールはピケが目をかけた後輩の一人。両者の目が合い、ピケが怒り心頭でサラザールに近付いていく。
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アーンパーンチ!この時のマシンが今回のBT50でした。ぶっちゃけ、マシンよりこっちの方が有名そう(笑)
燃えたりぶっ刺したり、殴ったり蹴ったりの82年シーズンはウィリアムズのK・ロズベルグがわずか1勝でチャンピオンに輝くなど異例なシーズンとグラウンドエフェクトカー最終年となりました。ブラバムはせっかくターボにチャレンジしたにも関わらず、以前まで使用していたノンターボのフォード・コスワースに獲られたというのも皮肉な話です。第2戦の「水タンク事件」が悔やまれます。あ、でも2位も失格となったロズベルグでしたね、やっぱりわからんぞ?!
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チャンピオンから一気に中団に埋もれることになったのは、思い切ったピットでの給油戦略やターボエンジンへのスイッチ以上に、シーズンが開幕してから判明した度重なるトラブルや弱点が露呈されたことに尽きます。まず入念なテストを行ったにも関わらず、ターボが思いの外不調で、いくつかのレースを落としました。またターボによる出力強化は成功したものの、基本は「BT49シリーズの改良版」ということで、シャシーがついていけていないという状況にも陥りました。シャシーに関してはアルミ製モノコックに部分的にカーボンで補強するなどの対策は講じていますが、70年代後半から引き続き使用していたヒューランド製のギヤボックスも強度不足によりだいぶ足かせになりました。

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攻めの姿勢、技術の向上、戦略の奇策はF1には必要不可欠です。ただレギュレーションの抜け穴を見つけるだけでなく「マシンそのものの落ち度」を予め潰しておけるかも重要。チャンピオン獲得から一転、わずか1勝のライバルに防衛を阻まれ「大失敗のチャレンジャー」となったブラバムは翌83年に施行されるグラウンドエフェクト禁止に向けて、シャシーナンバーを一つ飛ばした奇抜なデザインのBT52で再起を狙うのでした。

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F1の前半戦終了と重なる形で行われた東京オリンピックも閉幕しました。開催までは色々言われたものの、始まれば母国開催の底力もあってか、過去最多の金メダルを獲得するなど、日本選手の活躍が光っていましたね。miyabikunは中でも空手の「形」には見入ってしまいました。会場にさえ渡る掛け声、すり足や手足と共に繰り出される音、さらに演武の後の汗や身体から沸き立つ湯気など、今まで縁のない競技ではありましたが、リアル「ドラゴンボール」を観ているかのようでした。またサーフィンやスポーツクライミングなど、今まで友達から向いているだろうと誘われた競技も新競技となり、こうしてじっくりと観戦するとその魅力やカッコよさがよく伝わり、今後始めてみようかな、なんて気にもなってしまいました。オリンピックのいいところって「普段あまり観る機会の無い競技や種目も国対抗で観戦することができる点」と思います。注目していた陸上競技4×100mリレー(4継)は1走の多田くんが好スタートだっただけに惜しかったですね。2走の山縣くんの始動がちょっと早かったカナ。この後に続くパラリンピックでの日本選手の活躍にも注目が集まることと思いますが、COVID-19の感染者も激増していることもあり、お祭り気分も程々に、といったところでしょうか。

えーっと、何の話をしようとしていたんでしたっけ?!ああ、このブログは一応F1ブログでした(笑)オリンピックにどっぷり浸かったところで、再び頭の中をF1に戻し、サマーブレイクにしかできない話題やまとめを行おうとちびちび始めてまいります。2021年シーズン前半の振り返り、まとめに入りたいところですが、miyabikunの頭が整っていないこともあり、ひとまず「名車シリーズ」でいきたいと思います。前回の1995年型ウィリアムズFW17からさほど離れていない時代より、2年程遡った1993年のベネトンB193A(B193B)になります。

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《設計》
 ロリー・バーン
 ロス・ブラウン

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《外見》
当初からB193Aという末尾に「A」を付けたのには理由があり、開幕戦までに予定していた新技術の投入が間に合わず、とりあえず「A」と記して前年型B192をレギュレーションに即した形で暫定的に開幕戦の南アフリカGPならびに第2戦ブラジルGPに参戦したことによります。この時代はこのようにニューマシンがシーズン開幕に間に合わなかったケースが多々ありました。
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当時のベネトンといえば、ライバルに先駆けて導入したハイノーズが特徴的です。ただノーズが高いだけでなく、その鼻先が上を向きそり立つ造形はマシンの色も相まって「バナナノーズ」なんて呼ばれていましたよね。F1を観始めた頃のmiyabikunはローノーズはもとより、このような「ウィングを吊り下げる」イメージが無かったため、当時はとても違和感がありカッコいいイメージではありませんでした。以降急速的にライバル達にも波及し、今ではこれが「F1のノーズコーン」になりましたね。
話を戻し、開幕戦で持ち込んだB193Aにはまだ前年92年にウィリアムズが他を圧倒する活躍に貢献したアクティブサスペンションやトラクションコントロールシステム(TCS)、アンチロックブレーキシステム(ABS)やセミオートマチックギヤボックスなどのハイテク装備が未成熟であったため、導入を見送りました。そして満を持してドニントンパークで行われた第3戦ヨーロッパGPにてB193Bという名の新車にて搭載に至りました。アクティブサスペンションについては、ウィリアムズと異なりアクティブながら「通常のサスペンションに近い感覚で、主にライドハイト(車高調整)に重きを置くハイフレクェンシータイプ」であったといわれています。トレンドをそのまま真似するのではなく、独自開発したあたりに野心やトップチームへの挑戦を感じさせます。
この年のマシンレギュレーションの中には速度低下を目的としたダウンフォース量の低下、リヤウィングの小型化があります。以前に取り扱ったフットワークFA14がそのレギュレーションを拡大解釈、盲点をついたダブルウィング(通称「メゾネットウィング」)をいち早く導入。このベネトンもそれに追従する形で搭載されました。
実はこのマシンには開発されながら実現に至らなかったデバイスがあります。それは四輪操舵(4WS)です。圧倒的な強さを見せつけるウィリアムズを横目に、シーズン終盤までマシン開発を続け、第15戦日本GPでは実際にテスト走行まで行っていましたが、こちらも93年シーズン途中で翌年94年のマシンレギュレーションで禁止となったため、日の目を見ることはありませんでした。
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一般的にベネトンといえば「UNITED COLORS OF BENETTON」という名のイタリアのアパレル企業です。F1デビュー時から原色を使った多彩なカラーリングが目を惹きます。このB193シリーズは91年型から続くトルコの葉を使ったタバコブランド「キャメル」をメインスポンサーとした「黄色いベネトン」となっています。このカラーリングもこの年が最後。翌94年からはタバコはタバコでも日本タバコ産業「マイルドセブン」による「水色のベネトン」に変貌を遂げていきます。

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《シャシー》
 全長:4,075mm
 全幅:2,140mm
 全高:   950mm
 最低車体重量:505kg
 燃料タンク容量:200ℓ
 クラッチ:AP
 ブレーキキャリパー:ブレンボ
 ブレーキディスク・パッド:カーボンインダストリー
 サスペンション:フロント プッシュロッド
          リヤ    プッシュロッド
 ホイール:OZ
 タイヤ:グッドイヤー

《エンジン》
 フォード・コスワース HBシリーズ6,7,8
  V型8気筒・バンク角75度
 排気量:3,494cc
 エンジン最高回転数:13,800rpm(推定)
 最大馬力:740馬力(推定)
 スパークプラグ:チャンピオン
 燃料・潤滑油:エルフ

この年フォードはワークス扱いのベネトンをはじめ、ロータス、ミナルディそしてマクラーレンの4チームにエンジンを供給。そのうちロータスとミナルディには前年92年のベネトンに搭載された旧スペックの「HBシリーズ5」が与えられ、ベネトンとマクラーレンには段階的な改良版である「6〜8」が供給されました。6はニューマチックバルブを搭載したバージョンで当初はベネトンへの優先投入。7や8はピストンやベアリングを軽量化と振動抑止を突き詰め、さらには電磁バルブと油圧を使ったアクティブスロットルコントロールなどの機能も搭載されています。同じメーカーでありながら、下位チームとトップチームではこれほど優劣差があったんですね。

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《ドライバー》
 No.5 ミハエル・シューマッハ(全戦)
 No.6 リカルド・パトレーゼ (全戦)

若くもチームのエース格を与えられたシューマッハ。その相方にはブランドルに代わって前年92年チャンピオンチームに不満を感じていたパトレーゼが加わり「若手とベテラン」のコンビネーションとなりました。老いしも揺るがぬチャンピオンチームから成長著しいドライバーとチームへの移籍となり、パトレーゼの役割や真価も問われます。
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《戦績》
 72ポイント コンストラクター2位
 (1位1回、2位6回、3位4回、4位1回ほか)
 ポールポジション0回

92年型をどうにか93年レギュレーションにやっつけて挑んだシューマッハの開幕戦、第2戦は予選こそ予選こそセカンドロウを獲得しますが、やはりチャンピオンのウィリアムズ、そして1ランク下のフォードエンジンを積みながらドライバーは一級品のマクラーレンに敵わず、3位1回と苦戦を強いられます。トップチーム、トップドライバー相手には若さや勢いだけでは太刀打ちできません。IMG_1199
そこで第3戦ヨーロッパGP(俗に言う「雨のドニントン」)よりアクティブサスペンション、セミオートマチックギヤボックス、ABSを搭載したB193Bを遅れ馳せながら登場させます。第4戦サンマリノGPでシューマッハが2位を獲得、続く第5戦スペインGPではシューマッハ3位、パトレーゼ4位フィニッシュと徐々にマクラーレンを食う走りをみせられるようになりました。
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第6戦モナコGPからTCSも導入。決勝こそマシントラブルにより両者ともリタイヤで終えますが、予選でシューマッハは最速プロストに続く2番手を獲得しています。その後、シューマッハはマシンに順応し、第7戦カナダGPから第10戦ドイツGPまで4戦連続の表彰台に登壇、第14戦ポルトガルGP(エストリル)では予選6番手から自身2勝目を挙げることに成功。ところがベテランのパトレーゼは第9戦イギリスGPの3位、第11戦ハンガリーGPの2位の2回の表彰台に止まり、全16戦中7回の入賞と完全に勢いある若手に遅れて、このシーズンを最後にF1を離れています(決勝出走数256戦は当時のF1史上最多)

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この年ははっきり言ってウィリアムズと一年の浪人期間を経て復帰を果たしたプロストが頭一つ飛び出たシーズンでした。ホンダエンジンを失い、新たにフォードエンジンを獲得したマクラーレンとセナでも完全に手を焼き、ウィリアムズからデビューしたF1二世D・ヒルも最速マシンFW15Cを手に入れ、台頭しています。若手の有望株の一人であるシューマッハもマシンを乗りこなし、性能を充分発揮して食らい付いていますが、まだベネトンのこのマシンの信頼性が低く、多くのリタイヤ、マシントラブルに泣かされていたのも事実です。チャンピオンとなりそのまま「勝ち逃げ」したプロストは全16戦中、7勝を挙げリタイヤは第2戦ブラジルGPの1回のみ。ランキング2位のセナは「1戦毎の契約」という異例な状況下でありながらも、5勝をもぎ取りリタイヤは4回。プロストの相方でありF1若手のランキング3位ヒルは3勝の4リタイヤ。そしてシューマッハについては優勝1回でリタイヤの数は7回とトップ4の中では確実に取りこぼしが多く、マシンがまだまだ未成熟であった点が否めません。パトレーゼに至っては、予選からサードロウ以下のスタートがほとんどで、前年ウィリアムズのFW14Bで経験したアクティブサスペンションへの適応不足、苦手意識が拭えていないのはチームとして全く強みになりませんでした。
このベネトンのマシン側の強みは燃料タンクが軽くなるレース終盤になると速さがあり、ウィリアムズと肩を並べるほどであったということ。またシューマッハはリタイヤ以外の9戦全てで表彰台は獲得したということからも「トップマシンの速さや安定感は無くとも、若いドライバーにもチャンピオン争いが不可能ではない」という将来性を期待できた、ということでしょうか。80年代中盤から90年にかけて「四天王」と呼ばれたドライバーが毎年一人ずつピリオドを打ち、残されたのは翌94年にプロストの空きシートを射止めたセナ一人にまで減りました。最強マシンを手に入れたセナは他のライバルからしたら、一見勝ち目の無いコンビネーションの誕生となるものの、合わせてこのシーズンまで導入できた各種電子デバイスが禁止と決勝レース中での再給油が可能とされ、いわば「全く先の読めない勢力図」になることも充分考えられます。手強いライバルに対し、急成長のシューマッハとベネトンが逆転のチャンスをうかがっていくこととなります。

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日本人ドライバーやスポンサーも多く関わってきたティレルはテールエンダーのイメージも多くあるかと思いますが、マシンについては「類稀な」工夫も実に多く取り入れたチームでもありました。日本GPを前に「有終の美」とはいかなかった名車(迷車)を振り返りたいと思います。1998年のティレル026です。

《設計》
 ハーベイ・ポスルズウェイト

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《外見》
当時を知らないF1ファンが「純粋な気持ち」で見れば、このマシンはカッコよく見えるんじゃないかと思います。カラーリングも白を基調として黒とシルバーが鋭利に差し込まれていますし、ノーズもセクシーでしょう?!ただ、これは本来の姿ではありません。仮の姿です。
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ジャジャーン!これがあるべき本来の姿。サイドポンツーンにちっちゃなリヤウィングが付いている!何これ、レギュレーション違反じゃないの?!今やったら大変なことになりますが、当時はOKでした。というか「ダメとは書いていない」が正しい表現です。法律の業界もこんな表現をしますが「拡大解釈」というやつ。禁止されていることはレギュレーションブックに書いてある通りで、書いていなければ、ダメではないと解釈します。これが果たしてどんな効果をもたらすか。見て想像がつく通り、マシン中心部のダウンフォース増加に貢献します。1998年シーズンからマシン全幅が200mm狭められた1,800mmとなり、不足したダウンフォースをどうにか見出すための苦肉の策です。
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通称「Xウィング」です。026ではXっぽくないんだけど、コレの元は1997年の前作025に搭載されていました。
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こちらを見れば確かにXっぽい。前年まで在籍していたマイク・ガスコインのアイデアです。026は斜めのブレースが無くなり、1本のステーで外側に片持ち形状で取り付いています。カッコいい?それとも、ダサい?!miyabikunは当時からあまりカッコいいと思いませんでした。これで強ければ文句も言えないのですが戦績は、、あとで書きます。ただXウィングは他チームにも模倣され、泣く子も黙る名門フェラーリ様にも真似されたデバイスだったのです。
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こちらはもっとダサく見える。やっぱり本家が一番しっくりきます。本家ティレルと模倣組には大きな違いがありました。模倣組はあくまで「完成されたマシンを補完する形で設置」したことに対し、この026は「Xウィング込みで完成形とする」もの。他のチームは「撤去しなさい」と言われたら留め具を外せばいいだけの話なのですが、026は違う。サイドポンツーンと一体形成されて「外すとまともに走れなくなるのですが、、」状態になってしまうのです。後にも書きますが、シーズン途中で外すこととなり、ティレルにとっては「最後の頼みの綱」を失うこととなりました。
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026はその他にもいくつか工夫が施されています。ノーズにはコクピットをかわすように整流できる隆起した2つのフィンを施し、フロントサスペンションも油圧で作動させました。
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スポンサーは中嶋悟といえばPIAA、中嶋悟の愛弟子の高木虎之介、となれば高木虎之介にもPIAA、という構図。さらにはファスナーで有名なYKK、ミシンやファクシミリ(今や死語?)の大手であるブラザー工業など多くの日本ブランドが関わっています。

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《シャシー》
 全長:4,430mm
 全幅:1,800mm
 全高:   950mm
 最低車体重量: - kg
 燃料タンク容量: - ℓ
 ブレーキキャリパー: - 
 ブレーキディスク・パッド:AP、ヒトコ
 サスペンション:フロント プッシュロッド
                                    リヤ    プッシュロッド
 ホイール:BBS
 タイヤ:グッドイヤー

《エンジン》
 フォードZETEC-R
 V型10気筒・バンク角72度
 排気量:2,998cc(推定)
 最高回転数: - rpm(非公開)
 最大馬力: - 馬力(非公開)
 スパークプラグ:チャンピオン
 燃料・潤滑油:エルフ・テキサコ

前年025と同じフォード製ではあるものの、V8からV10のZETEC-Rに換装してようやくフォード直営のスチュワートと揃えられました。

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《ドライバー》
 No.20 リカルド・ロセット(一応、全戦)
 No.21 高木虎之介    (全戦)

《戦績》
 0ポイント コンストラクター - 位
 (8位1回、9位2回、11位1回、12位3回ほか)
 ポールポジション0回

97年から中嶋悟が「ティレル2000」というプロジェクトに参加し、愛弟子である高木虎之介をテストドライバーからのレギュラーシート獲得に成功しています。また98年にイギリスのタバコメーカー「ブリティッシュ・アメリカン・タバコ」いわゆるBATに買収され、創始者ケン・ティレルは代表を退任、後任にクレイグ・ポロックが就任しました。そのポロックは継続しようとしていたJ・フェルスタッペンに代えて、大口スポンサーを持つロセットを起用したため、不満を持ったティレルはチームを離れるという「ティレル」というチーム名こそ残されつつも、事実上の終焉を迎えました。現在のアルファロメオとP・ザウバーの関係とは比較にならないくらい、残念な名門の終焉です。
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当時の日本最速ドライバーと言われた高木と不足を工夫で乗り切るマシンをもってしても一筋縄ではいきませんでした。高木はF1デビュー戦オーストラリアGPで予選13番手を獲得して以降、16戦全戦で予選通過をしてみせますが、10位台後半から20位台をさまよう苦しい内容が続きました。一方で急遽相方となったロセットはスペイン、モナコ、ベルギー、日本の4GPでポールポジションから107%以上のタイムで予選落ちと高木のチームメイトどころか「F1ドライバーとしての資質」が足りず、ミナルディと最下位を争うところにまで低迷してしまいます。
ライバルも模倣する「頼りのXウィング」は第3戦アルゼンチンGPでザウバーのアレジがピットでホースを引っ掛けて脱落する事故を起こします。外見の醜さからも第5戦スペインGPで使用禁止が下り、排除を強いられた026はマシンそのものが成立しなくなってしまいました。自分のチームがきっかけではないアクシデントに巻き込まれる形で「オリジナルのアイデア」潰されて苦戦し、まさに踏んだり蹴ったりです。
結局高木の予選最高位は開幕戦オーストラリアGPと第3戦アルゼンチンGPの13番手、決勝最高位は第9戦イギリスGPと第14戦イタリアGPの9位となり、入賞圏内フィニッシュならず。ロセットは予選落ち4回、予選最上位は18番手2回、決勝は第7戦カナダGPで8位完走がチームの最上位となりました。高木の母国初凱旋となる最終戦日本GPではミナルディのトゥエロにカシオトライアングルでさされてクラッシュ。
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最後の最後まで悔しい思いをしたのを今でもよく覚えています。
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この026をもって29年続いたF1参戦の歴史に幕を閉じました。チームを立ち上げるや否やJ・スチュワートによる戴冠、異端の6輪車をも輩出し、晩年は水タンク事件による失格からの失落や資金繰りに苦労し、テールエンダーにまで落ちたケン・ティレル。チームを離れた2年後に膵臓がんのためこの世を去りました。乗っ取られたB・A・R以降のホンダワークス復活、ブラウンGPでの驚きチャンピオン、そしてメルセデスワークスでの最強時代にまで発展する系譜に関わったティレルは今のF1をどう見守っていることでしょう。

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たまに「どこの自動車ブランドが好き?」と聞かれることがあります。miyabikunはイギリス車が好きです。実際に乗っているのは日本車だし、将来乗るかと言われれば、手が出ることもないだろうけど、ドイツ車やイタリア車にはない「気品」とその見た目とは裏腹の「高出力」が芸術品の様にも感じます。残念ながらそのブランドは近年F1参戦していないのですが、今回は日本でも見かけるイギリス車の代表格の一つ、ジャガーの処女作2000年のR1を取り上げていきます。ヨーグルトにありそうなシャシー名だ。
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《設計》
ゲイリー・アンダーソン

《外見》
ジャガーは象徴的なエンブレム「リーピングキャット」でお馴染みイギリス車の名門です。F1におけるジャガーはフォードのワークス的立場にあった「スチュワート・グランプリ」をフォードが買収して誕生しました。よって「あのジャガーによるF1参戦なのか?!」と言われると、実質は「アメリカのフォード社が傘下に入れたジャガーの名を冠していた」が正しい表現になります。ちなみに、現存するジャガーはフォード系列からは離れ、2008年にインドの自動車メーカーであるタタ社の傘下となっています。
テクニカルディレクターはスチュワート時代から引き続きゲイリー・アンダーソンが就いています。アンダーソンといえば、今でも高い人気を誇る芸術車「ジョーダン191」に携わった人物です。ジョーダンで採用されたブリティッシュグリーンをまとい、さらにはメタリック調の塗色に仕上げてあって個人的には好きです。色からして上品!リーピングキャットもしっかり前を向いて前方のライバルを捕まえんばかりに鎮座しています。
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でもこのマシン、綺麗なグリーン色に騙されそうだけど、どこかで見たことあると思いませんか?!頭の中で塗装を剥いでみて下さい。あ、マクラーレン!そう、このマシンの大筋はチャンピオンマシンであるマクラーレンを模しているのです。ノーズの形、フロントウィング、大型なディフレクター、サイドポンツーン形状もよく似ていますよね。以前に取り扱った「スチュワートSF3」もマクラーレン似だったし、要はタータンチェックを緑に変えただけ?!出来のよかった前作SF3から小変更と思いきや、実はこのマシンに大胆な改良を施しています。それはリヤサスペンションの「支持方式」です。
リヤサスペンションはプッシュロッドを採っています。ロッドの回転する中心に向かって水平にトーションバー(板バネ)を設置するのが一般的ですが、このマシンはそれを下向きに取り付けて、ダンパーを車体下方となるように設置して低重心化を図りました(ダブルロッカー)ギヤボックスも低く、エンジンカバーも後端部は低く仕上がっています。F1において低重心化は今までも各チームが命題としており、うまくハマればマシン挙動が大幅に安定します。そこはライバルにはない「大胆かつ独特な試み」であったといえます。

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《シャシー》
全長: - mm
全幅: - mm
全高: - mm
最低車体重量: - kg
燃料タンク容量:− ℓ
ホイール:BBS
ブレーキ:AP
サスペンション:フロント プッシュロッド
                                 リヤ    プッシュロッド
タイヤ:ブリヂストン

《エンジン》
フォード コスワースCR-2
V型10気筒・バンク角72度
排気量:2,998cc(推定)
最高回転数: - rpm(非公表)
最大馬力: - 馬力(非公表)
スパークプラグ:ビステオン,チャンピオン
燃料・潤滑油:テキサコ

エンジンは前年のSF3と同じフォード・コスワースCR-1から改良されたCR-2で挑んでいます。エンジン改良に奇抜なサスペンション機構はこの後に示す戦績で成功だったか失敗だったか一目瞭然です。

《ドライバー》
No.7 エディ・アーバイン(第10戦を除く全戦)
         ルチアーノ・ブルティ(第10戦)
No.8 ジョニー・ハーバート(全戦)
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《戦績》
4ポイント コンストラクター9位
(4位1回、6位1回ほか)
ポールポジション0回

なかなかの成績で終えたスチュワート時代のバリチェロからアーバインにスイッチして、イギリス人のベテランドライバーで揃えてきました。ハーバートは「帝王」の下積み時代に嫌な感じにされた被害者。アーバインも「帝王」に仕えてチャンピオンを獲得する絶好のチャンスをモノにできなかったドライバー。さらにバリチェロはそのアーバインに代わって「帝王」に仕えるべくフェラーリに移籍し、結果はご存知の通りと「帝王」にまつわるドライバーがこの時代のこのチームに関わっています。
それはさておき戦績は前作スチュワートSF3の好成績と前年チャンピオン争いを演じたアーバインをもってして「低調」なものとなっています。序盤2戦は完走すらならず、第3戦サンマリノGPでアーバイン7位、ハーバート10位(いずれも当時は入賞圏外)と苦戦が続きました。原因の一つはあの奇抜なリヤサスペンションがマシンに不安定な挙動を招き、操作性が困難であったと言われています。チーム初入賞かつ最高位は第6戦モナコGPでアーバインの4位がやっと。おまけに第10戦オーストリアGPでアーバインが腹痛のためブルティが急遽代走を務めるなど、アーバインの悪いところでもある「やる気の浮き沈み」もみられました。またハーバートは結局一度も入賞することなくこのシーズンを最後にF1を引退しています。話題性のあるチーム、実績あるドライバーを引っさげての「ジャガー初年」はそれを裏切るかのような出来で、入賞はたったの2回という屈辱的な結果に終わりました。
ジャガーF1はこの2000年から2004年まで5シーズンを戦い、結果的にポールポジションと優勝はなく、最高位は後にアーバインによって2回の3位表彰台を獲得したまでです。フォードをバックボーンとした名ブランド「ジャガー・レーシング」はF1で大成することができませんでした。マシンはカッコよかっただけに残念でした。なおチームは2004年末に飲料水メーカーの「レッドブル」が1ドルで購入して今日に至ります。

miyabikunは週末に不覚にも5年振りにインフルエンザを患ってしまいました。発熱と頭痛があるものの食欲はあるのが救いです。今後アップが少し遅れるかもしれません。皆さんもインフルエンザには気をつけて下さい。

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