F1 えきぞーすとのーと

よくあるニュースネタやこ難しいテクニカルな話ではなく、メインは予選や決勝のTV観戦したそのものを個人的観点から綴るF1ブログです。  また、懐かしのマシンやレースを振り返ったり、記録やデータからF1を分析。その他ミニカーやグッズ集めも好きなので、それらを絡めつつ広く深くアツくF1の面白さやすごさを発信し、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

タグ:フェニックス

1990年開幕戦アメリカGPはフェニックス市街地です。あれ、1990年のティレルはハイノーズの019なはず、、開幕戦と第2戦までは前作018でのエントリーでした。カーナンバー3の中嶋車もまだローノーズです。ティレルはこの開幕戦を目前に急遽グッドイヤーからピレリにタイヤをチェンジしています。せめてテスト期間前に試走をしたいところですが、いきなりのタイヤ変更は大丈夫でしょうか。またこのシーズンからベテランの中嶋悟を起用しています。2年目となる若いJ・アレジはケツならぬ、目が青い。

フェニックスは砂漠の中に忽然と設けられた都市で、比較的雨が少ない地区です。しかし予選2日目に雨となりタイム更新が出来ずに1日目のタイムで順位が決まって、若干荒れ模様。ピケ、プロスト、セナ、マンセルらの四天王を差し置いてミナルディのマルティニやダラーラの「壊し屋」チェザリス、そしてティレルのアレジが上位を連ねました。


《予選結果》
   1 G・ベルガー(マクラーレン・H・GY)
   2 P・マルティニ(ミナルディ・Fo・PI)
   3 A・デ・チェザリス(ダラーラ・Fo・PI)
     ※Foはフォード、GYはグッドイヤー、PIはピレリ

決勝に雨は上がったものの、普段は暖かいフェニックスは雲に覆われ、気温は低い状態でスタートを迎えます。
ポールのベルガーは念のため2番手のマルティニを警戒し、アウト側に思い切りマシンを持っていきます。マルティニは出鼻をくじかれ、イン側走行を採る形であれよあれよと後方に追いやれど、4番手スタートのアレジにとっては前方が開けて好都合。直角右のターン1のインをついて一気にトップを獲ることに成功します。
ベルガー、脇が甘い。

2周目でアレジはぐんぐん逃げて名門マクラーレンとのギャップをつけ始めています。この頃は中堅位置を強いられているティレルも一応名門です。それも2年目のアレジが絶好のチャンスと得ました。予選は雨に翻弄されたセナがチェザリスをかわして3位に浮上しようが、8周目になってもアレジはベルガーと一定のギャップを保てています。
フェニックスは市街地サーキット故に路面は決してよくありません。ベルガーは単独でタイヤバリヤに接触し、格下チームの若手を脅かす前に戦線離脱。ベルガーはこの後ピットに寄りコース復帰していますが、損傷もあってリタイヤで終えています。こうなるとアレジの背後に迫るのはベルガーとは二味くらい違うセナです。アレジの勝負はココから!
1989年は鈴鹿での「あれ」があった後にチャンピオンを得たフェラーリのプロストもイマイチ奮いません。いち早く導入したセミオートマがウィリアムズを駆るブーツェンとの攻防にて故障し、白煙を吐きながらズルズル交代していきます。アレジが頑張るなら俺でもできると中嶋も弱るチャンピオンを確実にさばいて順位を8位としています。この時代はまだ入賞圏外、その調子であと一踏ん張り!

周回遅れも出始めた33周目にいよいよセナがアレジの背後に迫ります。右コーナーをセナがインからアレジをさす!
続く左コーナーで空いたインにアレジが差し返す。
アレジが前です。格好のチャンスをアレジもそう易々とは失えません。笑いが止まらないケン・ティレル。
35周目は周回遅れの真後ろにアレジ、その真後ろにセナ
再び右コーナーをインから
今回は続く左コーナーのインラインを閉めています。それでもアレジはインから
セナが耐えしのぎました。アレジはココまで。でも接触もなく非常に白熱したバトルが市街地サーキットで見ることができました。
アレジは大健闘、では中嶋先輩は?!
ちゃんと入賞圏内の6位に入れてきました。マンセルもプロスト同様にトランスミッションの不調からのエンジンブローで終え、上位が離脱するチャンスを中嶋もしっかり押さえることができました。
《決勝結果》
   1 A・セナ(マクラーレン・H・GY)
   2 J・アレジ(ティレル・Fo・PI)
   3 T・ブーツェン(ウィリアムズ・R・GY)

アレジを振り返ると必ず出てくるこのレースもれっきとした名レースの一つ。番狂わせのあった予選とはいえ、スタートダッシュを成功させて、セナとバトルしたアレジは第4戦モナコGPもセナに続く2位を獲得して、翌1991年にプロストと並ぶフェラーリドライバーに抜擢されました。優勝はセナでも、このレースの主役は間違いなくアレジ。

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アジアから離れてしまったF1は最終章のアメリカ大陸へ。チャンピオン争いも佳境に。余裕しゃくしゃくのハミルトンに首の皮0.1枚のベッテル、そして日本人の皆さんには時差という過酷な戦いも始まります。
《国の基本情報ほか》
国名称:アメリカ合衆国
  人口  :3億1700万人(世界第3位)
  面積  :962万8千㎢(世界第3位)
  設立  :1776年にイギリスから独立宣言
               1846年に今の国土を確立
主言語:なし(英語)
  首都  :ワシントンD.C.
  通貨  :ドル

F1開催期間と数:1959〜(アメリカGPとして39回目)
開催サーキット:セブリング、リバーサイド、
                             ワトキンズ・グレン、
                             ラスベガス、ダラス、
                             デトロイト、フェニックス
                             インディアナポリス、
COTA
F1ドライバー数:157人(スポット参戦含む)
F1チャンピオン:2人(P・ヒル、M・アンドレッティ)
現役ドライバー:0人
著名ドライバー:E・チーバー、D・ガーニー、
                            R・ギンザー、S・スピード

アメリカです。国際電話番号は1-です。古くはイタリアやイギリスが世界を制していた時代はあれど、今はアメリカが地球の中心になるんでしょうか(この辺はあまり掘ると事故りそうなので、程々にします)優劣は無し!地球は皆平等!
調べていて今更知ったのですが、アメリカは名に「合衆国」とあるように、原住民をはじめ世界中から移住してきた人々、様々な地区を合併しながら作られたこともあり、第一言語(公用語)の定めは無いようです。国名の英語名はUnited States(of America)で「合併状態(アメリカの)」ですもんね。80%が英語、12%がスペイン語、中国語1%で残り7%は日本語を含めた諸国語となっているようです。また星をいっぱい入れちゃって他の国より派手で若干チャラくも見えちゃう国旗は「独立時の13州の横帯」「現在の50州の星」は有名ですね。ということは州が増えたり合併する毎に変更されてきているということです。今の形はハワイ州が加わった1960年から採用されているもの。ココでは載せませんが、調べると歴代星条旗のデザインか見られますので、興味のある方は是非ご覧下さい。もし将来51州になったらどう配置してくるのか、miyabikunは色々想像、、。
この後の「サーキット」で内容てんこ盛りになっちゃうので、国についてはこのくらいにしておきます。F1に話を戻して、アメリカは開催期間だけでなく開催地も多く、年に1回以上開催された年も多くあります。今回はインディアナポリスだ西だ東だはナシに「アメリカGP」のみに絞らせて頂きました。許して下さい!(とはいえ、ロングビーチを除いた開催サーキットを網羅できたカナ)地図のピンとサーキットの色を揃えてみたので、位置関係を参考までに。
《セブリング》ピンは緑
  所在地 :フロリダ州セブリング
町域人口:1万人
町域面積: - ㎢
標準時差:UTC-5:00(日本から-14:00)
  F1開催 :1959(1回)
一周距離:8.369km
初代優勝:B・マクラーレン(クーパー)
最多優勝:B・マクラーレン(1回)
最多P.P. :S・モス(1回)
最速P.P. :3分00秒000 S・モス(1959)
最多F.L. :M・トランティニャン (1回)
最速F.L. :3分05秒000 M・トランティニャン (1959)

《リバーサイド》ピンは黄
  所在地 :カリフォルニア州リバーサイド
町域人口:30万人
町域面積: - ㎢
標準時差:UTC-8:00(日本から-17:00)
  F1開催 :1960(1回)
一周距離:5.271km
初代優勝:S・モス(ロータス)
最多優勝:S・モス(1回)
最多P.P. :S・モス(1回)
最速P.P. :1分54秒400 S・モス(1960)
最多F.L. :J・ブラバム(1回)
最速F.L. :1分56秒300 J・ブラバム(1959)

初めてアメリカGPとしてF1開催されたのは飛行場に開設されたセブリングでした。面白いのは一般的な道路やサーキットに使用されるアスファルト路面と滑走路に使用されるコンクリート路面などで構成されている点です。ピンクの帯が滑走路です。異なる路面の接合部を跨ぐ時やそれぞれでグリップの違いなどもありそうで難しそうですね。
続いて行われたのはカリフォルニア州にあるリバーサイド。一応コースレイアウトも同縮尺で描いたつもりですが、2枚目の画像にあるように現在の航空写真と重ねると、、全く名残がありません。いつも航空写真からトレースしているのに、これではいつも以上に精度が悪そうです。。ちなみに今は日本にも進出している某ショッピングモールが置かれています。

《ワトキンズ・グレン》ピンは青
  所在地 :ニューヨーク州ワトキンス・グレン
村域人口:2千人
村域面積: - ㎢
標準時差:UTC-5:00(日本から-14:00)
  F1開催 :1961〜75(アメリカGPとして15回)
一周距離:3.701km(1961〜1970)
                  5.435km(1971〜75)
初代優勝:I・アイルランド(ロータス)
最多優勝:J・クラーク、G・ヒル(3回)
最多P.P. :G・ヒル(3回)
最速P.P. :1分03秒070 J・イクス(1970)
                  1分38秒978 C・ロイテマン(1974)
最多F.L. :J・クラーク(3回)
最速F.L. :1分02秒740 J・イクス(1970)
                  1分40秒608 C・パーチェ(1974)

《ラスベガス》ピンは紫
  所在地 :ネバダ州ラスベガス市
市域人口:60万人
市域面積:294㎢
標準時差:UTC-8:00(日本から-17:00)
  F1開催 :1981,82(2回)
一周距離:3.650km
初代優勝:A・ジョーンズ(ウィリアムズ)
最多優勝:A・ジョーンズ、M・アルボレート(1回)
最多P.P. :C・ロイテマン、A・プロスト(1回)
最速P.P. :1分16秒356 A・プロスト(1982)
最多F.L. :D・ピローニ、M・アルボレート(1回)
最速F.L. :1分19秒639 M・アルボレート(1982)

《ダラス》ピンは茶
  所在地 :テキサス州ダラス市
市域人口:123万人
市域面積:997㎢
標準時差:UTC-6:00(日本から-15:00)
  F1開催 :1984(1回)
一周距離:3.901km
初代優勝:N・ロズベルグ(ウィリアムズ)
最多優勝:N・ロズベルグ(1回)
最多P.P. :N・マンセル(1回)
最速P.P. :1分37秒041 N・マンセル(1984)
最多F.L. :N・ラウダ(1回)
最速F.L. :1分45秒353 N・ラウダ(1984)

アメリカGPとして最多開催となっているのはワトキンス・グレンです。名前を聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。アメリカにあるサーキットで長い歴史のあるものの一つでF1においてはF・セベール、H・コイニクがレース中にガードレールによって死亡する事故が起きています。青破線のレイアウトが1961〜70年使用され、晩年は1.7km延長された青実線のレイアウトで5シーズン行われました。1975年をもって一度アメリカGPとしては幕を閉じ、ワトキンス・グレンはアメリカ東GPに改称されています。
アメリカGPはないものの、その間アメリカ東GP、アメリカ西GPがワトキンス・グレンやロングビーチで行われたため、アメリカ国内からF1が完全に撤退したわけではありませんでしたが、アメリカGPは5年の空白期間ののち、1981,82年はラスベガスでショーやイベントを多数行うシーザーズ・パレスホテルの駐車場に仮設で設営されたサーキットで開催されています。海外のサイトまで行って調べるだけ調べてみたのですが、残念ながらミヤビマン・ティルケも力無く、仮設ゆえ当時の名残は全く見当たらず作図できませんでした。。
現在行われるCOTA同様にテキサス州ダラスにあるフェアパークでも1回だけF1が開催されています。K・ロズベルグが最初で最後の優勝者となっています。

《デトロイト》ピンは灰
  所在地 :ミシガン州デトロイト市
市域人口:70万人
市域面積:370㎢
標準時差:UTC-5:00(日本から-14:00)
  F1開催 :1987,88(2回)
一周距離:4.023km
初代優勝:A・セナ(ロータス)
最多優勝:A・セナ(2回)
最多P.P. :N・マンセル、A・セナ(1回)
最速P.P. :1分39秒264 N・マンセル(1987)
最多F.L. :A・セナ、A・プロスト(1回)
最速F.L. :1分40秒464 A・セナ(1987)

《フェニックス》ピンはピンク
  所在地 :アリゾナ州フェニックス市
市域人口:145万人
市域面積:1,230㎢
標準時差:UTC-7:00(日本から-16:00)
  F1開催 :1989〜91(3回)
一周距離:3.798km(1989,90)
                  3.720km(1991)
初代優勝:A・プロスト(マクラーレン)
最多優勝:A・セナ(2回)
最多P.P. :A・セナ(2回)
最速P.P. :1分28秒664 G・ベルガー(1990)
                  1分21秒434 A・セナ(1991)
最多F.L. :3人バラバラ(1回ずつ)
最速F.L. :1分31秒050 G・ベルガー(1990)
                  1分26秒758 J・アレジ(1991)

アメリカも世界有数の自動車産業国の一つです。一昔前の世界地理の教科書には「アメリカ車=デトロイト」とありました。キャデラックやシボレーなどを有するゼネラルモーターズ(GM)の本拠地でもあるデトロイトでもアメリカGPとして2回F1が開催されています(アメリカ東GPを含めると通算7回)リアルタイムでは観れませんでしたが、過去のビデオや当時TVゲームに収録され、個人的にはこのあたりからのアメリカGPのイメージがわきます。モンテカルロ市街地と同様に本線上にトンネルを擁し、直角カーブが続く「ザ・市街地!」のレイアウトです。子供の頃は「駆ける犬」と覚えました。
またそれに続いて舞台をフェニックス市街地に移し、今でいうバクー市街地にも似た横長の直角レイアウトで「強かった頃」のマクラーレン・ホンダが名レースを繰り広げていました。アメリカは市街地サーキットが多い国ですが、市街地サーキットと呼ばれるものはこのフェニックスが最後となっており、F1の興行権を手に入れたリバティメディアが以降にアメリカ市街地を増やすことになるのかもしれませんね。

《インディアナポリス》ピンは赤
  所在地 :インディアナ州インディアナポリス市
市域人口:82万人
市域面積:963㎢
標準時差:UTC-5:00(日本から-14:00)
  F1開催 :2000〜07(アメリカGPとして8回)
一周距離:4.192km(旧オーバルは4.023km)
初代優勝:M・シューマッハ(フェラーリ)
最多優勝:M・シューマッハ(5回)
最多P.P. :M・シューマッハ(4回)
最速P.P. :1分10秒223 R・バリチェロ(2004)
最多F.L. :M・シューマッハ(4回)
最速F.L. :1分10秒399 R・バリチェロ(2004)

《サーキット・オブ・ジ・アメリカズ(COTA)》
  所在地 :テキサス州オースティン市
市域人口:84万人
市域面積:669㎢
標準時差:UTC-6:00(日本から-15:00)
  F1開催 :2012〜(6回目)
一周距離:5.513km
初代優勝:L・ハミルトン(マクラーレン)
最多優勝:L・ハミルトン(4回)
最多P.P. :S・ベッテル、N・ロズベルグ(2回)
最速P.P. :1分34秒999 L・ハミルトン(2016)
最多F.L. :S・ベッテル(4回)
最速F.L. :1分39秒877 S・ベッテル(2016)

やっと近代に入りました。1991年を最後にしばらくF1から退いていたアメリカが久々の復活となったのはアメリカモータースポーツの聖地、インディアナポリスにインフィールドセクションを設営した2000年からでした。インディアナポリスでのF1は40年振りになります。元祖はインディ500と同様のオーバルコースを左回り(反時計回り)で使用しますが、F1はオーバルの1/3程度を使用した右回り(時計回り)と異なります。MotoGPのインディアナポリスGPはF1レイアウトをさらに一部改良した左回りとなります。復活インディアナポリスの印象としては、近代F1では珍しいバンクを全開で駆るものと、それもあっての2005年の「ミシュランボイコット」が強いです。このブログでも前に振り返りましたが、あれは過去最低のレースでした。あれが発端にもなったのか、アメリカでのF1は評判と人気を落とし、またまたアメリカからF1が撤退することとなりました。
しかしモータースポーツ大国はF1開催返り咲きを目指してテキサス州オースティンにサーキットを新設。ヘルマン・ティルケがレイアウトを手がけ、サーキット・オブ・ジ・アメリカズ(COTA)と名付けられて2012年に復活する形となりました。以前に書いた通り、世界の名物コーナーを繋げたレイアウトは思いの外「好評」を得ながら現在に至ります。星条旗の色を使ったランオフエリアに鋭角ターン1までの登り坂、サーキットを一望できるタワーといい、アメリカのダイナミックさが存分に盛り込まれています。

アメリカGPはサーキットの数が多過ぎる、、予想はしていましたが、いつもよりだいぶ時間をかけてしまいました。歴史を書く余裕すらなかった。もうこの先こんなにたくさんサーキットがある国はない、ホッ。

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