あれmiyabikun、今週末のハンガリーをすっ飛ばして、フィンランドですか?!本来であればハンガリー人1GPをやりたいところですが、残念ながらハンガリー人は2003年〜04年にジョーダンやミナルディから参戦したZ・バウムガートナーただ1人しかいませんので、比較の対象が無くハンガリー人1GPが終結してしまいます。よって今回はハンガリーから近く(といっても2,000kmほど離れてはいますが)フィンランドのF1ファンも多く詰めかけるハンガリーGPのタイミングで母国GPの無いフィンランドを行うこととしました。バウムガートナーごめん、現役のボッタスを優先してしまいました。
《フィンランド人ドライバーの基礎情報》
人数 :9人
初参戦 :L・キヌーネン
(1974年第5戦ベルギーGP)
初フル参戦 :K・ロズベルグ
(1980年 フィッティパルディ)
表彰台経験者 :7人
初表彰台登壇者:K・ロズベルグ
(1980年開幕戦アルゼンチンGP)
優勝経験者 :5人
初優勝 :K・ロズベルグ
(1982年第14戦スイスGP)
P.P.経験者 :5人
初P.P. :K・ロズベルグ
(1982年第10戦イギリスGP)
チャンピオン :3人 4回
初チャンピオン:K・ロズベルグ
現役ドライバー:V・ボッタス
(2013年開幕戦〜現在)
初母国GP開催 :無し
フィンランド人初のF1ドライバーは1970年にJ・サーティース自らがチームを設立した「サーティース」からスポット参戦を果たしたレオ・キヌーネンになります。キヌーネンは元々二輪やラリーを経験し、F1にステップアップを果たしたドライバーです。キヌーネンは74年第5戦ベルギーGPにエントリーすることとなりますが、惜しくも唯一予選を突破できず、初決勝出走は2回目のチャレンジとなる第7戦スウェーデンGPでした。しかし結果はリタイヤとなり、入賞すること無く再びラリーの道に戻る形となりました。
フィンランド人はF1において名の知るドライバーは多いものの、総勢は9人と少なく、母国GPもありませんので、以下で特別に全ドライバーの参戦期間を並べてみます。
《フィンランド人F1ドライバーの参戦期間》
キヌーネン :1974
コザロウィットスキー:1977
K・ロズベルグ :1978〜86
レート :1989〜94
ハッキネン :1991〜01
サロ :1994〜02
ライコネン :2001〜21
コバライネン :2007〜13
ボッタス :2013〜参戦中
キヌーネンを先頭にK・ロズベルグまでは単発の時期があるものの、レートが参戦を開始した89年から現役のボッタスに至るまでの33年間は必ず1人以上のフィンランド人がF1のシートにおさまっています。スキージャンプ競技やアイスホッケーなど、ウィンタースポーツでは昔からフィンランド人の活躍が多いことで有名ですが、ラリーやF1といった自動車競技などでどうして名の知るドライバーが多いのでしょうか。これは本当かウソか確証の得られないことではあるものの「未舗装の林道や積雪路面の走行に長けており、常日頃からの運転技術が高い」という説があります。F1はラリーと異なり、舗装面でのグリップ走行となる訳ですが、危険回避能力やバンピーな路面などで適切なステアリング操作、ブレーキやトラクションのかけ方などが身に付いているから、適合しやすいのかもしれません。またロズベルグがハッキネンを支援し、ハッキネンの元マネージャーがボッタスをマネージメントするといった「後任への伝承、F1への後押し」がしっかりなされた体制もF1シーンから欠かすことの無い要因となっています。
一時期は二輪のMotoGPでフィンランドGPが行われており、優秀な人材が続くF1でも行われるのではないかという計画が浮上したものの、現在も実現に至っていません。実現に至るその頃、ボッタスに続く若手がいれば何よりですが、北欧のF1があっても面白そうですよね。近年は「一国一開催」なんて死後になってしまいましたが、やっぱり同じ国や地域で続くよりは、世界を広く転戦してほしいと「開催者側の都合を一切度外視した」一ファンの勝手な願いです(笑)
《参戦数》
1 352戦 K・ライコネン 10pts
2 191戦 V・ボッタス ● 9pts
3 165戦 M・ハッキネン 8pts
4 128戦 K・ロズベルグ 7pts
5 112戦 H・コバライネン 6pts
6 111戦 M・サロ 5pts
7 70戦 J・J・レート 4pts
8 6戦 L・キヌーネン 3pts
9 2戦 M・コザロウィットスキー 2pts
●は2022年現在現役ドライバー
データは2022年第12戦終了時
いつもの参戦数からみていきます。総勢9人ですから、イヤでもこちらにはランクインします。少ない人数ということもありますが、日本でF1が浸透した頃から観ているファンであれば、上位7人の顔と名前がリンクするはずです。
最多は皆さんもよくご存知のライコネンによる352戦であり、現時点のF1最多記録です。ライコネンって349戦では?という意見もあるかと思いますが、そちらは決勝走行数であり、この数字が予選も含めたエントリー数になります。2位は今唯一の現役であり、晴れてチームのエースを仰せつかったボッタスで、今シーズンから「白だるま」から「赤だるま」になりましたね。ボッタスをだるま扱いって、、(笑)
よく知る7位のレートでも70戦と、スポット参戦の下位2人と比べると数は多めにみえます。フィンランド人ドライバーは数が少ない割に一度乗れればそこそこ息も長く続くというのが特徴的でしょうか。ちなみにレートの本名は「ユルキ・ユハニ・ヤルヴィレヘト」です。これが登録名なら絶対定着しなかったはず。いや逆にインパクトありか。
《表彰台登壇回数》
1 103回 K・ライコネン 10pts
2 67回 V・ボッタス ● 9pts
3 51回 M・ハッキネン 8pts
4 17回 K・ロズベルグ 7pts
5 4回 H・コバライネン 6pts
6 2回 M・サロ 5pts
7 1回 J・J・レート 5pts
表彰台獲得者となると、よく名前を知る7人に絞られます。
表彰台回数は伊達に長かったわけではないライコネンが100回超えで頭一つ飛び出ています。100回を超える数というのはF1歴代で5人しかいないなかなか高い数字です(現役最年長のアロンソは現在98回登壇)2位がボッタスの67回と数だけはチャンピオン獲得ドライバー2人を上回っています。ちょっとタイミング、チームメイトを間違えちゃったかなー(笑)本当はボッタスも充分速いドライバーであり、この数字もここ止まりというわけでは無く、この先も伸ばせる可能性は残されています。
《優勝回数》
1 21勝 K・ライコネン 10pts
2 20勝 M・ハッキネン 9pts
3 10勝 V・ボッタス ● 8pts
4 5勝 K・ロズベルグ 7pts
5 1勝 H・コバライネン 6pts
優勝者は近代の4人+αがランクインです。
回数はライコネンがフェラーリ(第二期)時代の18年第18戦アメリカGPで優勝を挙げたことにより、ハッキネンを一つ上回る単独1位となりました。ボッタスも10勝挙げているものの「それ以上は許されなかった」ものもありましたし、自身でチョンボしたものもありました。って、過去形じゃないから!(笑)何かボッタスはイジりたくなっちゃうのね。いいヤツだから。
コバライネンなぁ、、彼も人のよさそうなドライバーだったけど、もうちょっと勝ってほしかったですね。フィンランド人で共通しているのは、大方「いい人」ただ、ロズベルグとライコネンはだいぶ独特そう。。あと普段は口数少なく穏やかなのに、キレキレゾーンに入った時はとんでもなく速い。それもいわゆる国民性?!不思議。
《P.P.獲得回数》
1 26回 M・ハッキネン 10pts
2 20回 V・ボッタス ● 9pts
3 18回 K・ライコネン 8pts
4 5回 K・ロズベルグ 7pts
5 1回 H・コバライネン 6pts
ポールポジションとなれば優勝と同じ5人でも順番がやや変わり、ハッキネンが台頭してきます。ちょうどF1が日本に知れ渡たるも、セナが亡くなってややしんみりしていた時代に一躍有名となったドライバーの一人ですね。マクラーレン+メルセデス+ブリヂストンが揃った90年代末頃は本当に速かった。強さを備えつつあるフェラーリを駆るM・シューマッハに唯一対等にやり合えるドライバーでした。
時間もあるので、この5人をもう少し掘り下げてみましょう。コバライネンはGPこそ異なりますがポールポジション1回に優勝も1回、ロズベルグはポール5回に優勝も5回で数がイコールになります。ライコネンはポール18回に対して優勝は21回ですので、以前に惜別特集した際も書いたように「ポールが無くても優勝できる」タイプ。ハッキネンはポール26回で優勝が20回と、全てが全てそうというわけではありませんが「ポールからの逃げ切り」の色が強い。ボッタスはポール20回で優勝10回ですから「ポールの半分、10勝分仲間に勝利をくれる」タイプ?!ほらまたイジるー、miyabikunイジワルー(笑)
《母国GP成績》1回につき5pts
〈P.P.〉
無し
〈優勝〉
無し
ご存知の通りF1におけるフィンランドGPは未だかつて開催されていないため、母国系の記録はありません。オーストラリアの時の「無し」と意味合いが異なります。あってもいい気がしますし、噂はちらほらあるものの、開催費用や国民性等々から考えても、実現は難しそう。今後も優秀な人材が生み出されることに期待したいです。
《ドライバーズチャンピオン》1回につき10pts
1982年 K・ロズベルグ(ウィリアムズ)10pts ★
1998年 M・ハッキネン(マクラーレン)10pts ★
1999年 M・ハッキネン(マクラーレン)10pts ★
2007年 K・ライコネン(フェラーリ) 10pts ★
母国GPは無くても、世界一を獲得した者は3人、4回あります。たった9人という少数精鋭の中、3人も輩出してしまうのはすごい。国別の獲得率でいけば、イギリスをはじめドイツやブラジルも敵わない最高水準です。
ここではロズベルグに関するプチ雑学を。冒頭でフィンランド人ドライバー初優勝はロズベルグによる「82年第10戦イギリスGP」とありました。フィンランド人で初のF1ドライバーズチャンピオンはロズベルグによる82年であり、この年のロズベルグは「たった1勝でチャンピオンを獲得」していますので、つまり「フィンランド人F1初優勝がフィンランド人初チャンピオンに繋がった」ということになるわけです。これはレア中のレアであり、今後は二度と起きないと言える珍記録。ちなみにロズベルグの本名は「ケイヨ・エリク・ロズベルグ」であり、ケケは愛称。鼻の下にケケがあるからではありません。フィンランド人の両親がスウェーデン時代に生まれているため、国籍はフィンランドでも出身地はフィンランドではありません。息子のニコは本名も「ニコ」であり、生まれも母親がドイツ国籍であることからも、ドイツ国籍でエントリーしています。
もう、母国GPが無いからって、細かいのを詰め込み過ぎ!
ここまで少数かつ粒揃いの主要戦績を見てきました。スオミのナンバー1ドライバーは一体誰ヤネンという答えがこの後明らかになります。
《フィンランド人1GPの結果》
1 55pts M・ハッキネン ★★
2 48pts K・ライコネン ★
3 38pts K・ロズベルグ ★
4 35pts V・ボッタス ●
5 24pts H・コバライネン
6 10pts M・サロ
7 8pts J・J・レート
8 3pts L・キヌーネン
9 2pts M・コザロウィットスキー
二代目と三代目の一騎打ちになるだろうなと予想していた最終ランキングは2回のチャンピオン獲得を強みに「二代目フライングフィン」が55ポイントでトップとなりました。上位3人はいずれも★印が付くチャンピオン経験者となり、現役ボッタスは初代に惜敗。ココに星が付かないうちはさすがに「四代目」とは呼べないかなぁ(笑)
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《フィンランド人ドライバーの基礎情報》
人数 :9人
初参戦 :L・キヌーネン
(1974年第5戦ベルギーGP)
初フル参戦 :K・ロズベルグ
(1980年 フィッティパルディ)
表彰台経験者 :7人
初表彰台登壇者:K・ロズベルグ
(1980年開幕戦アルゼンチンGP)
優勝経験者 :5人
初優勝 :K・ロズベルグ
(1982年第14戦スイスGP)
P.P.経験者 :5人
初P.P. :K・ロズベルグ
(1982年第10戦イギリスGP)
チャンピオン :3人 4回
初チャンピオン:K・ロズベルグ
現役ドライバー:V・ボッタス
(2013年開幕戦〜現在)
初母国GP開催 :無し
フィンランド人初のF1ドライバーは1970年にJ・サーティース自らがチームを設立した「サーティース」からスポット参戦を果たしたレオ・キヌーネンになります。キヌーネンは元々二輪やラリーを経験し、F1にステップアップを果たしたドライバーです。キヌーネンは74年第5戦ベルギーGPにエントリーすることとなりますが、惜しくも唯一予選を突破できず、初決勝出走は2回目のチャレンジとなる第7戦スウェーデンGPでした。しかし結果はリタイヤとなり、入賞すること無く再びラリーの道に戻る形となりました。
フィンランド人はF1において名の知るドライバーは多いものの、総勢は9人と少なく、母国GPもありませんので、以下で特別に全ドライバーの参戦期間を並べてみます。
《フィンランド人F1ドライバーの参戦期間》
キヌーネン :1974
コザロウィットスキー:1977
K・ロズベルグ :1978〜86
レート :1989〜94
ハッキネン :1991〜01
サロ :1994〜02
ライコネン :2001〜21
コバライネン :2007〜13
ボッタス :2013〜参戦中
キヌーネンを先頭にK・ロズベルグまでは単発の時期があるものの、レートが参戦を開始した89年から現役のボッタスに至るまでの33年間は必ず1人以上のフィンランド人がF1のシートにおさまっています。スキージャンプ競技やアイスホッケーなど、ウィンタースポーツでは昔からフィンランド人の活躍が多いことで有名ですが、ラリーやF1といった自動車競技などでどうして名の知るドライバーが多いのでしょうか。これは本当かウソか確証の得られないことではあるものの「未舗装の林道や積雪路面の走行に長けており、常日頃からの運転技術が高い」という説があります。F1はラリーと異なり、舗装面でのグリップ走行となる訳ですが、危険回避能力やバンピーな路面などで適切なステアリング操作、ブレーキやトラクションのかけ方などが身に付いているから、適合しやすいのかもしれません。またロズベルグがハッキネンを支援し、ハッキネンの元マネージャーがボッタスをマネージメントするといった「後任への伝承、F1への後押し」がしっかりなされた体制もF1シーンから欠かすことの無い要因となっています。
一時期は二輪のMotoGPでフィンランドGPが行われており、優秀な人材が続くF1でも行われるのではないかという計画が浮上したものの、現在も実現に至っていません。実現に至るその頃、ボッタスに続く若手がいれば何よりですが、北欧のF1があっても面白そうですよね。近年は「一国一開催」なんて死後になってしまいましたが、やっぱり同じ国や地域で続くよりは、世界を広く転戦してほしいと「開催者側の都合を一切度外視した」一ファンの勝手な願いです(笑)
《参戦数》
1 352戦 K・ライコネン 10pts
2 191戦 V・ボッタス ● 9pts
3 165戦 M・ハッキネン 8pts
4 128戦 K・ロズベルグ 7pts
5 112戦 H・コバライネン 6pts
6 111戦 M・サロ 5pts
7 70戦 J・J・レート 4pts
8 6戦 L・キヌーネン 3pts
9 2戦 M・コザロウィットスキー 2pts
●は2022年現在現役ドライバー
データは2022年第12戦終了時
いつもの参戦数からみていきます。総勢9人ですから、イヤでもこちらにはランクインします。少ない人数ということもありますが、日本でF1が浸透した頃から観ているファンであれば、上位7人の顔と名前がリンクするはずです。
最多は皆さんもよくご存知のライコネンによる352戦であり、現時点のF1最多記録です。ライコネンって349戦では?という意見もあるかと思いますが、そちらは決勝走行数であり、この数字が予選も含めたエントリー数になります。2位は今唯一の現役であり、晴れてチームのエースを仰せつかったボッタスで、今シーズンから「白だるま」から「赤だるま」になりましたね。ボッタスをだるま扱いって、、(笑)
よく知る7位のレートでも70戦と、スポット参戦の下位2人と比べると数は多めにみえます。フィンランド人ドライバーは数が少ない割に一度乗れればそこそこ息も長く続くというのが特徴的でしょうか。ちなみにレートの本名は「ユルキ・ユハニ・ヤルヴィレヘト」です。これが登録名なら絶対定着しなかったはず。いや逆にインパクトありか。
《表彰台登壇回数》
1 103回 K・ライコネン 10pts
2 67回 V・ボッタス ● 9pts
3 51回 M・ハッキネン 8pts
4 17回 K・ロズベルグ 7pts
5 4回 H・コバライネン 6pts
6 2回 M・サロ 5pts
7 1回 J・J・レート 5pts
表彰台獲得者となると、よく名前を知る7人に絞られます。
表彰台回数は伊達に長かったわけではないライコネンが100回超えで頭一つ飛び出ています。100回を超える数というのはF1歴代で5人しかいないなかなか高い数字です(現役最年長のアロンソは現在98回登壇)2位がボッタスの67回と数だけはチャンピオン獲得ドライバー2人を上回っています。ちょっとタイミング、チームメイトを間違えちゃったかなー(笑)本当はボッタスも充分速いドライバーであり、この数字もここ止まりというわけでは無く、この先も伸ばせる可能性は残されています。
《優勝回数》
1 21勝 K・ライコネン 10pts
2 20勝 M・ハッキネン 9pts
3 10勝 V・ボッタス ● 8pts
4 5勝 K・ロズベルグ 7pts
5 1勝 H・コバライネン 6pts
優勝者は近代の4人+αがランクインです。
回数はライコネンがフェラーリ(第二期)時代の18年第18戦アメリカGPで優勝を挙げたことにより、ハッキネンを一つ上回る単独1位となりました。ボッタスも10勝挙げているものの「それ以上は許されなかった」ものもありましたし、自身でチョンボしたものもありました。って、過去形じゃないから!(笑)何かボッタスはイジりたくなっちゃうのね。いいヤツだから。
コバライネンなぁ、、彼も人のよさそうなドライバーだったけど、もうちょっと勝ってほしかったですね。フィンランド人で共通しているのは、大方「いい人」ただ、ロズベルグとライコネンはだいぶ独特そう。。あと普段は口数少なく穏やかなのに、キレキレゾーンに入った時はとんでもなく速い。それもいわゆる国民性?!不思議。
《P.P.獲得回数》
1 26回 M・ハッキネン 10pts
2 20回 V・ボッタス ● 9pts
3 18回 K・ライコネン 8pts
4 5回 K・ロズベルグ 7pts
5 1回 H・コバライネン 6pts
ポールポジションとなれば優勝と同じ5人でも順番がやや変わり、ハッキネンが台頭してきます。ちょうどF1が日本に知れ渡たるも、セナが亡くなってややしんみりしていた時代に一躍有名となったドライバーの一人ですね。マクラーレン+メルセデス+ブリヂストンが揃った90年代末頃は本当に速かった。強さを備えつつあるフェラーリを駆るM・シューマッハに唯一対等にやり合えるドライバーでした。
時間もあるので、この5人をもう少し掘り下げてみましょう。コバライネンはGPこそ異なりますがポールポジション1回に優勝も1回、ロズベルグはポール5回に優勝も5回で数がイコールになります。ライコネンはポール18回に対して優勝は21回ですので、以前に惜別特集した際も書いたように「ポールが無くても優勝できる」タイプ。ハッキネンはポール26回で優勝が20回と、全てが全てそうというわけではありませんが「ポールからの逃げ切り」の色が強い。ボッタスはポール20回で優勝10回ですから「ポールの半分、10勝分仲間に勝利をくれる」タイプ?!ほらまたイジるー、miyabikunイジワルー(笑)
《母国GP成績》1回につき5pts
〈P.P.〉
無し
〈優勝〉
無し
ご存知の通りF1におけるフィンランドGPは未だかつて開催されていないため、母国系の記録はありません。オーストラリアの時の「無し」と意味合いが異なります。あってもいい気がしますし、噂はちらほらあるものの、開催費用や国民性等々から考えても、実現は難しそう。今後も優秀な人材が生み出されることに期待したいです。
《ドライバーズチャンピオン》1回につき10pts
1982年 K・ロズベルグ(ウィリアムズ)10pts ★
1998年 M・ハッキネン(マクラーレン)10pts ★
1999年 M・ハッキネン(マクラーレン)10pts ★
2007年 K・ライコネン(フェラーリ) 10pts ★
母国GPは無くても、世界一を獲得した者は3人、4回あります。たった9人という少数精鋭の中、3人も輩出してしまうのはすごい。国別の獲得率でいけば、イギリスをはじめドイツやブラジルも敵わない最高水準です。
ここではロズベルグに関するプチ雑学を。冒頭でフィンランド人ドライバー初優勝はロズベルグによる「82年第10戦イギリスGP」とありました。フィンランド人で初のF1ドライバーズチャンピオンはロズベルグによる82年であり、この年のロズベルグは「たった1勝でチャンピオンを獲得」していますので、つまり「フィンランド人F1初優勝がフィンランド人初チャンピオンに繋がった」ということになるわけです。これはレア中のレアであり、今後は二度と起きないと言える珍記録。ちなみにロズベルグの本名は「ケイヨ・エリク・ロズベルグ」であり、ケケは愛称。鼻の下にケケがあるからではありません。フィンランド人の両親がスウェーデン時代に生まれているため、国籍はフィンランドでも出身地はフィンランドではありません。息子のニコは本名も「ニコ」であり、生まれも母親がドイツ国籍であることからも、ドイツ国籍でエントリーしています。
もう、母国GPが無いからって、細かいのを詰め込み過ぎ!
ここまで少数かつ粒揃いの主要戦績を見てきました。スオミのナンバー1ドライバーは一体誰ヤネンという答えがこの後明らかになります。
《フィンランド人1GPの結果》
1 55pts M・ハッキネン ★★
2 48pts K・ライコネン ★
3 38pts K・ロズベルグ ★
4 35pts V・ボッタス ●
5 24pts H・コバライネン
6 10pts M・サロ
7 8pts J・J・レート
8 3pts L・キヌーネン
9 2pts M・コザロウィットスキー
二代目と三代目の一騎打ちになるだろうなと予想していた最終ランキングは2回のチャンピオン獲得を強みに「二代目フライングフィン」が55ポイントでトップとなりました。上位3人はいずれも★印が付くチャンピオン経験者となり、現役ボッタスは初代に惜敗。ココに星が付かないうちはさすがに「四代目」とは呼べないかなぁ(笑)
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