F1 えきぞーすとのーと

よくあるニュースネタやこ難しいテクニカルな話ではなく、メインは予選や決勝のTV観戦したそのものを個人的観点から綴るF1ブログです。  また、懐かしのマシンやレースを振り返ったり、記録やデータからF1を分析。その他ミニカーやグッズ集めも好きなので、それらを絡めつつ広く深くアツくF1の面白さやすごさを発信し、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

タグ:ファンカー

年が明けても、当ブログは未だに昨シーズンの話題が続いておりますが、ここらで一旦昨シーズンネタをお休みして「もっと古い時代の話題」にタイムスリップしちゃいましょうか!どうも未来の話題よりも、ヴィンテージものの古い話題に相変わらず頼りがちなmiyabikunですなー(笑)

昨シーズンは近年稀にみる大きなメカニカルレギュレーション変更がありました。皆が一斉に用意ドンで変更になれば、注目のされ方も分散するものですが、昨シーズンのメルセデスW13にあった「ゼロ・ポッド」のように、ごく稀に周囲をあっと思わせる技術やディテールを採るチームやマシンが見られるのもF1の醍醐味です(でした)。近年はそういうのもだいぶ減りましたね。今から数えて45年近く前、1970年代は開幕戦はおろかシーズン中盤でも大改良を施して成功したり失敗することはザラにありました。今回振り返るのは1978年6月17日に決勝が行われた第8戦スウェーデンGPになります。スウェーデンでF1?!それも78年って、だいぶ昔じゃん!このキーワードだけで何の話題かピンと来た方、なかなかのF1通。
昨夏8月に「デンマークを代表するF1ドライバーは?!」の際に軽く触れましたが、スウェーデンは北欧と呼ばれるエリアで唯一F1が開催された国で、73年から78年までの6年間にスウェーデン南部のアンデルストープで行われことがあり、今回はその第6回目、最終年。地元出身のロニー・ピーターソンがF1で活躍した時代と重なります。
フェラーリで瀕死の事故を負ったラウダが前年77年に復活のチャンピオンを獲得、78年はそのチャンピオンナンバーを引っ提げてブラバムへ移籍。また「グラウンドエフェクトカー」を導入したロータスがこの年も引き続き採用となり、徐々に頭角を示してきた時代となります。直前の7戦までに、ロータスのアンドレッティが3勝、ピーターソンが1勝を挙げ、グラウンドエフェクトを活かしてライバルとの差を築いています。ほか、前年チャンピオンチームのフェラーリはロイテマンが2勝、ティレルのドゥパイエが1勝となっており、チャンピオンのラウダは1勝も挙げられずに前半戦を折り返そうとしています。

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予選を前にピットではブラバムのマシンの周りで何やら騒ついています。明らかにブラバムのチームスタッフでないライバルチームがマシンをやたらと覗き込む。
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何じゃこりゃ?!リヤが筒状になっており、最後部にフタ。何か隠している。。
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ティレル代表やロータスのチャップマンがブラバムのデザイナーであるマーレーに詰め寄っています。
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ラウダも当然質問攻めに遭いますが、多くは語らず。
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ならばチームオーナーのエクレストンに、、話すわけないか。ライバルは笑うしかない。この後イヤでもベールは剥がされる。
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何じゃこりゃ?!ジェットエンジンを通り越して、これはロケットか?!ブラバムはシーズン折り返しを前にBT46Bと命名し大幅改良を施してきました。F1マシン史を振り返れば必ず触れる名車(珍車)「ファンカー」です。エンジンの冷却を目的とするファンを搭載した、というのは表向きの理由であり、ライバルと異なり幅を多く取る水平対向12気筒エンジンを搭載したBT46ではロータスのようなグラウンドエフェクトを組み込めないと考えたゴードン・マーレーは「フロア下の空気を吸引して得た負圧によりダウンフォースを得て、リヤに排出する」という機構を取り入れたかった、という裏の理由(真の理由?)がありました。miyabikunは残念ながらファンの作動音がわかるソースを所有していないのですが、一体どんな音がしたのでしょうか。扇風機や掃除機のような音がしたのかな。
(BT46Bについては別の機会「名車を振り返る」でもう少し掘り下げてみましょう)
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「こりゃやりおったな。。ラウダの悪知恵か?」
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「ほほう、なるほど。何か速そう、、知らんけど」
ライバルの食い付きっぷりがすごいですね。昨シーズンの「ゼロ・ポッド」も半信半疑でしたが、見た目のインパクトはこちらが上か。
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さあいよいよトラックインしますよ!真価や如何に?!
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「ふん、マーレーのやつ。そう来たか」
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「アレ絶対あかんヤツっす。ウチには勝てませんよ。失格っす」
主たる目的でファンによりダウンフォースを発生させていたとなれば「空力可動物」となりアウトですが、マーレーはあくまで「冷却ファンの効果が高い」と説明し、出走は許可されました。

予選はノリに乗っているアンドレッティが3戦連続、シーズン5回目となるポールポジションを獲得。しかし2番手にはワトソン、3番手ラウダと物議のブラバムが続き、4番手のピーターソンの間に割って入っています。

《予選結果》
P.P. M・アンドレッティ
 (ロータス・フォードコスワース・グッドイヤー)
 2 J・ワトソン
 (ブラバム・アルファロメオ・グッドイヤー)
 3 N・ラウダ
 (ブラバム・アルファロメオ・グッドイヤー)

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スタートは3番手のラウダがフロントロウを中央突破。チャンピオン候補のアンドレッティに並びかけながらターン1に滑り込んでいます。
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その後ワトソンは遅れ、5番スタートだった金のアロウズ、F1参戦2年目のパトレーゼに先行されています。

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逃げるアンドレッティ。
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しかしラウダも現チャンピオンの意地があります。ストレートでは離されつつも、コーナリングでダウンフォースをしっかり得られるマシンで食らい付く。
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逆光で見辛いテールも、BT46Bならばしっかり視認できます。このマシンの後ろを走ると、吸い上げた小石やデブリを思い切りかぶったそうです。そりゃそうですよね、掃除機のヘッドが後ろのホースを引きちぎって走っているようなもの。トラック整備には使えそうか?!(笑)

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ラウダは追い込み、アンドレッティがミスをした瞬間を見逃しませんでした。ラウダがトップに立つ。
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抜かれたアンドレッティには「しゃりしゃりしゃり、コツコツ、、」デブリの応酬か。イヤだな、実際の高速道路や国道で出会したくない前車だ。アンドレッティは結局70周レースの46周目にマシントラブルでリタイヤしています。

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あ、ラウダが勝っちゃった。。それもあのマシンで。これは揉めないか?!2位はそのままパトレーゼが浮上してこのレースがF1初表彰台。3位は地元の星ピーターソンがおさまり、リタイヤに終わったアンドレッティの取りこぼしをカバーする形となりました。ちなみにもう一台のファンカー、ワトソンはマシントラブルによりレース序盤で姿を消しています。

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《決勝結果》
 1 N・ラウダ
 (ブラバム・アルファロメオ・グッドイヤー)
 2 R・パトレーゼ
 (アロウズ・フォードコスワース・グッドイヤー)
 3 R・ピーターソン
 (ロータス・フォードコスワース・グッドイヤー)

ラウダのかける寺尾聰ばりのサングラスが時代を感じさせます。前置きばかりが長過ぎて、レースの比重が軽過ぎましたね。余談もりもりで引っ張ったー(笑)
ウィークエンドの注目の的となった未勝利カーナンバー1の奇抜車ですが、ライバル達から「後ろを走った時にデブリを撒き散らかして危険」という抗議もあって、登場からわずか1戦で姿を消すこととなりました。よってBT46Bは参戦1戦で勝率100%、すごいですよね。現レギュレーションではさすがにここまで挑戦的な「レギュレーションの穴」をつくマシンは現れませんが、記憶に残るマシンとレースの一つとなっています。
なお、スウェーデンGPはこの直後行われるイタリアGPでピーターソンが事故死したこともあり、このレースを最後にF1は開催されていません。しかしたった6回の開催ではあったものの、スウェーデンGPは何かと話題性のあるレースがありますので、また折をみて振り返りたいと思います。

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今やテレビ観戦で一回は目にするニキ・ラウダ。スーツにもカジュアルにも赤いキャップをかぶるそのおじさんは3回もチャンピオンを獲得した元F1ドライバー。今はメルセデスAMGの非常勤会長の肩書きです。今年66歳で初めの子供のマティアス・ラウダもレーシングドライバーです。

本名はアンドレアス・ニコラウス・ラウダ。ニキは愛称です。
現役初頭は金策に頭を使い、メカに長け、緻密な計算で勝利までもっていく走りをする先輩にもチーム代表にも物怖じしない自信と努力家のドライバーでした。少し前に映画「RUSH」で今は亡きライバルのジェームズ・ハントとの人間関係の描写も話題となりました。あとは1976年のドイツGPで瀕死の事故を負い、顔に痛々しい痕を残したまま復帰し、チャンピオンを獲得したのも有名ですね。
このニキ・ラウダ。実は元ドライバーやご意見番以外にも顔を持っています。
「航空会社の経営者」でもあるのです。
話題がF1から少し離れますが、F1とは違う顔をもつニキ・ラウダについて書いてみます。


1971年に元FIAの会長であるマックス・モズレーにみそめられ、マーチからデビューしたラウダはBRM、フェラーリと渡り歩き、1975年に312Tを駆り5勝し初のチャンピオンを獲得します。

それからのちの「マクラーレンMP4/4」や市販車である「マクラーレンF1」を手がけたゴードン・マーレーの作ったマシンに惚れ、1978年にブラバムへ移籍し、かの有名なBT46B「ファンカー」もドライブします。またこの年から「ラウダ航空」を設立します。

そして翌年の1979年にモータースポーツに嫌気がさしたラウダは「同じところをグルグル回るより、一生のうちにやっておきたいことがある」という言葉を残して急遽、第14戦カナダGPを前に引退して「第二の人生」を歩むことになります。ラウダ航空の本格的な始まりです。


ラウダ航空はラウダの地元であるオーストリアのウィーン国際空港を拠点として、1985年にチャーター便を始めたり、1987年に近距離の定期便、1989年にはウィーンからオーストラリアのシドニーとメルボルンまで向かう長距離便も担うようになります。
ラウダ自身は1981年にロン・デニス率いるマクラーレンに招かれ、翌年1982年から初代MP4をドライブし、1984年に3度目のチャンピオンを獲得しますが、ラウダ航空の経営の方も成功の一途をたどります。ラウダ自身も操縦桿を握り、フライトをしたこともあるそうです。

しかし、1985年のF1引退後の1991年5月26日。ラウダ航空は航空業界で一番の危機といえる「墜落事故」を起こしてしまいます。

香港発バンコク経由ウィーン行きのラウダ航空004便はタイ上空を航行中に二発あるボーイング767-300ERのエンジン一発が逆噴射(本来は着陸時の減速するときに使用する、エンジンの流れを後ろから横に流す空力ブレーキのこと)してしまい空中分解、乗員乗客合わせて223人全員死亡する大惨事でした。

ラウダは事故後、即座に現場に出向き、ボーイング社に対してシミュレーションを用いた原因解明に勤しんだものの、当然ながら乗員乗客の遺族から訴えられ、2000年に経営権をオーストリア最大の航空会社であるオーストリア航空に譲渡し、ラウダ航空は消滅します。


一度は諦めざるを得なかった航空会社経営に未練があったのか、ラウダは2003年にアエロ・ロイド・オーストリア航空を買収し、今度は「ニキ航空」という名で再び航空会社を設立し、最近流行りのLCC(格安航空会社)で再び参入し、今日に至ります。ちなみに今は一機250億円近くする旅客機を20機近く保有し、それはラウダ航空で事故を起こし、戦ったボーイング社のものではなく、全てがエアバス社製です。



F1では「不死鳥の如く瀕死の事故から復活」また「辛口で一言余計なご意見番」として。飽くなき飛行機の夢を諦めず苦難を乗り越えて「二度の航空会社経営」さらにプライベートでは30歳年下の元CAと二度目の結婚で「60歳にして双子のパパ」です。若い頃語った「一生のうちにやっておきたいことがある」の言葉の通り、ラウダはやりたいことをやりたい時にチャレンジする精神がある人だと思います。自分も見習わねば!
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