F1 えきぞーすとのーと

よくあるニュースネタやこ難しいテクニカルな話ではなく、メインは予選や決勝のTV観戦したそのものを個人的観点から綴るF1ブログです。  また、懐かしのマシンやレースを振り返ったり、記録やデータからF1を分析。その他ミニカーやグッズ集めも好きなので、それらを絡めつつ広く深くアツくF1の面白さやすごさを発信し、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

タグ:ハイドフェルド

ペーター・ザウバーは存命ながら当人はおらず、チームとシャシーに名だけが残り、今や古豪の領域に入りつつあります。中団から下位を行ったり来たりするチームは近年フェラーリ色が一層強く、この名前が今後いつまで継承されるのかも非常に興味がありますね。(2019年2月1日に「アルファロメオ・レーシング」へ改称することを発表。ザウバーの名は消滅しました)
来シーズンはチャンピオン経験者のライコネンを迎え入れ、さらなる飛躍が期待されます。F1現役最高齢、最多出場のライコネンのキャリアスタート、共に才能を開花させたのもここザウバーからでした。今回はそのデビューマシン、2001年型C20を取り上げてみます。
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《設計》
(セルジオ・リンランド)
レオ・レス
ステファン・テイラー
ウィリー・ランプ

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《外見》
当時のチーム名は「レッドブル・ザウバー・ペトロナス」でした。今のレッブルグループと同様にノーズコーンの着色が施され、色はクレディスイスっぽい白へ。サイドポンツーンにはペトロナスの可愛らしいフォント。更にはエンジンはフェラーリという、今のライバルトップチームによる合作みたいになっています。ザウバーは元々メルセデスというバックボーンをもってF1参戦していますから、ありとあらゆる策を講じてF1で生き延びていることになります。プライベーターとして賢いやり方です。
優勝やポールポジションもないこのマシンでも、ある革新的なアイデアが盛り込まれています。フロントサスペンションの「ツインキール」化です。
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90年代中盤からシフトしたハイノーズマシンにおいて、ノーズ下の空間をいかに有効活用してダウンフォースを得るかが課題でした。一般的にはノーズ下にロワアームを接続させるコブ(キール)で支持しますが、そうなると空力的に邪魔となります。そこでリンランドはそのコブを二又に独立させて左右のロワアームに繋げてより効率的な下部気流となるようにしました。以降このマシンを模倣するチームが多く出現し、05年マクラーレンMP4-20が「ゼロキール」を導入するまでトレンドとなりました。このC20といいMP4-20といい、たまたまだと思いますがライコネンは「サスペンションの先駆けマシン」のどちらもドライブしていることになります。そんな工夫を施したリンランド当人は実はマシンは作るも開幕直前にフェルスタッペンらが所属するアロウズに移籍したため、まさにチーム成績上昇のための「置き土産」をする形となりました。
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その他、フロントウィングやノーズへのステーもサーキット特性に合わせた形で様々なバージョンを用意。また前作C19と比較して低重心化と35kgの軽量化も図られており、一年落ちとはいえチャンピオンマシンに搭載されたエンジンは若手ドライバー2人の台頭をさらに助けています。

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《シャシー》
全長:4,450mm
全幅:1,600mm
全高:950mm
最低車体重量: − kg
燃料タンク容量:− ℓ
クラッチ: −
ブレーキキャリパー:ブレンボ
ブレーキディスク・パッド:ブレンボ
ホイール:BBS
サスペンション:フロント プッシュロッド
                                 リヤ    プッシュロッド
タイヤ:ブリヂストン

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《エンジン》
ペトロナス01A
(フェラーリTipo049)2000年型の一年落ち
V型10気筒・バンク角90度
排気量:2,997cc(推定)
最高回転数: - rpm(非公開)
最大馬力:770馬力(推定)
スパークプラグ:チャンピオン
燃料・潤滑油:ペトロナス

エンジンは前年00年にM・シューマッハがハッキネン打破に成功したフェラーリF1-2000に搭載された「Tipo049」をペトロナスのバッジネームで使用していました。パワーは折り紙つき。

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《ドライバー》
No.16 ニック・ハイドフェルド(全戦)
No.17 キミ・ライコネン(全戦)

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《戦績》
22ポイント コンストラクター4位
(3位1回、4位3回、5位1回、6位6回ほか)
ポールポジション0回

ドライバーは一新し、プロストからデビューしてこの年からザウバーに移籍してきた2年目のハイドフェルド23歳。そして下位の下位カテゴリーとなるフォーミュラ・ルノーでたったの23戦しか出走していないライコネン21歳による若手コンビに変更して挑みました。ハイドフェルドもライコネンも今まで経緯については何回か取り上げてきましたし、わざわざ取り上げるまでもなく有名な話かと思いますが、ハイドフェルドはドイツを代表するメルセデス育成選手の一人としてマクラーレンのテストドライバーを経験するなどポストM・シューマッハと期待された若手。逆にライコネンは「どこの馬の骨かわからぬ」状態でスーパーライセンス発給についても「とりあえず4レースまでの条件付き」という仮免許状態と、今ではあり得ないスタートを切っています。
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怪しい面持ちで蓋を開けてみれば、開幕戦オーストラリアGPではハイドフェルドが予選10番手から決勝4位入賞、ライコネンは13番手スタートから6位入賞と予想を覆す結果で始まります。以降ハイドフェルドは第3戦ブラジルGPで自身初の3位表彰台を獲得して、プロストでの1年目を払拭する結果を残し、株を一気に上げています。ライコネンは表彰台こそないものの、最高位4位を2回、計4回の入賞を記録し、堂々とスーパーライセンスの発給にこぎつけています。
結果的にハイドフェルドは12ポイントを獲得してランキング8位、ライコネンは9ポイントでランキング10位となり、フェラーリ、マクラーレン、ウィリアムズに続くコンストラクターズ4位に浮上するという飛躍的なシーズンを迎えることとなりました。この順位は現在までのザウバー参戦23年(BMWザウバー時代を除く)の歴代最高位となっています。
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マクラーレン(メルセデス)のチャンピオンであるハッキネンがいよいよ休養、そうなれば表彰台を獲得し、さらにはテストドライバーであったハイドフェルドの出番か!?と思いきや、マクラーレンがハッキネンの後任に選んだのは同郷のライコネンの方でした。ライコネンはマクラーレンのドライバー初戦の02年開幕戦で早速3位表彰台、キャリア3年目の03年マレーシアGPで初優勝と出世街道まっしぐら。方やハイドフェルドは03年までザウバーに居座る形からジョーダン、ウィリアムズ、また(BMW)ザウバーとチームを転々。速さと安定した完走率は確保するも優勝はなく、11年にルノーを途中離脱する形でF1を去っています。キャリアも歳も浅い「2つの才能」はこのマシン以降、全く違う方向へ進むこととなりました。
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ライコネンは老いた今でもF1界を代表する人気ドライバーとして居続けています。半ば「賭け」だったかもしれませんが、当時のマクラーレンとメルセデスは先見の明があったのかもしれません。

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1日は過ぎてしまいました。5月生まれのF1ドライバーを祝おうの日です。7月、9月に次ぐ総勢61人の多い月です。

《5月生まれのドライバー》
1928年5月4日   W・フォン・トリップス
1946年5月4日   J・ワトソン
1975年5月8日   G・マッツァカーネ
1977年5月10日 N・ハイドフェルド
1963年5月12日 S・モデナ
1967年5月18日 H・H・フレンツェン
1928年5月19日 C・チャップマン
1970年5月22日 P・ディニス
1940年5月23日 G・ラルース
1972年5月23日 R・バリチェロ
1963年5月24日 I・カペリ
1942年5月27日 P・カレッジ
1963年5月29日 片山右京
1964年5月30日 A・モンテルミニ
1981年5月30日 G・ブルーニ
1959年5月31日 A・デ・チェザリス

★はチャンピオン獲得者、◎は2017年現役

なんでしょう、5月生まれは多いといった割に、著名のドライバーは少ないためあまりたくさん載せられませんでした。チャンピオン経験者もいなければ現役ドライバーもいませんでした。チャンピオンをとり損ねた惜しい方は何名かいます。
我が日本を代表する最多出場のカミカゼ片山右京が唯一のノミネートでした。登山や自転車と多くの顔を持ちつつ、現役で解説もしてくれる貴重な元F1ドライバーですね!

5月生まれの皆さん、そしてドライバー、おめでとう!

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引き続き「過去のレース」は今回2005年にニュルブルクリンクで行われたヨーロッパGPです。2005年は長らく続いた「青天井」のパワーと高回転数で甲高いエキゾーストノートを轟かせた3.0ℓのV10最終年で、ミシュランタイヤを履くチームがブリヂストンタイヤ勢を凌駕するシーズンでした。また今とはピットの目的も全く逆「給油を行うためであり、タイヤ交換は原則禁止」ということで、タイヤの扱いとその性能に依り、少し前に振り返った翌アメリカGPでは「事件とボイコット」が起きる騒ぎも あった時代でした。
レッドブルのベテラン、クルサードも「フラットスポットを作ってしまったタイヤを扱うのは困難。タイヤ交換すればペナルティが重いため我慢して走り切るしかない。これはスポーツとしてよくない」と骨格なぞりながら不満を語りました。レースをタイヤで縛る、縛るのがF1とはいえ、確かに本来のモータースポーツからみたら厳し過ぎます。このレースもその「本来の速さを競う目的より、タイヤの取り扱いとレギュレーションの厳しさ」を絵に描いたような内容でした。


予選は土曜の一回きり。それも前レースの順位の悪かった順に1人ずつ出走する方式。当然ながら先にアタックする下位勢は路面ができていなく、後から走れば路面もラバーに乗り、ライバルのタイムを知った上でアタックできます。第4戦サンマリノGPで燃料タンク違反の出場停止から復帰するBAR・ホンダからアタックを開始。チャンピオンのフェラーリ、M・シューマッハはトヨタのトゥルーリにすらだいぶ離された4番時計、結果10番手。
その後ウィリアムズのウェバーがBMWパワーでトゥルーリを上回り、前戦モナコGP2位のハイドフェルドがガソリン少なめでそのウェバーも上回りトップに。
モナコ優勝の最終走者マクラーレンのライコネンはザウバー時代の先輩に0.1秒届かず、ハイドフェルドがF1キャリア初かつ唯一のポールポジション獲得。
ヨーロッパGPとはいえドイツのニュルブルクリンク、ハイドフェルドもドイツ、BMWもメルセデスもドイツと地元からみて幸先のいい土曜日でした。

《予選結果》
1 N・ハイドフェルド(ウィリアムズ・B・MI)
2 K・ライコネン(マクラーレン・M・MI)
3 M・ウェバー(ウィリアムズ・B・MI)
   ※BはBMW、MIはミシュランタイヤ


互いにミシュランを履く2001年ザウバーコンビ、うまくパワーのメルセデスに転向したライコネンとメルセデスから選ばれず、こちらもパワーなら負けないBMWに乗っかる形をとった2人のフロントロウ対決は、
ライコネンの勝ち。ハイドフェルドも2位は守り3位以下を離しつつ追います。5番手からスタートダッシュを決めたモントーヤが早めにターンインしたため3番手のウェバーと接触、後続を大いに巻き込み順位をシャッフルさせてしまいます。

トップのライコネンはガソリン多めの2回ストップ、一方ハイドフェルドは予選から軽タンクで決勝は3回ストップの目論見です。ハイドフェルドが先にピットインし、復帰後はルノーのアロンソの後ろへ。
アロンソは予選より決勝のロングラン重視でガソリンたっぷり。ピットインを粘り上位に上がってきました。

後半になるとライコネンのコースオフが目立ちます。実は34周目に周回遅れにすべくザウバーのヴィルヌーブをパスする際に第1コーナーでタイヤロック。恐れていた「フラットスポット」を作ってしまい、マシン制御に苦戦する羽目になります。せっかくピット1回分少ないのにハイドフェルドにパスされて優位性が水の泡。

写真では全く伝わりませんが、オンボードカメラでもガタガタ揺れているシーンを感じる程、周回を重ねる毎にフラットスポットは悪化していきます。
残り16周でライコネンが最後となる2回目ピット。タイヤマンも用意はしていましたが交換見送り。クルサードの語っていた「ペナルティによるポジションダウン」を嫌いました。

何とかトップのまま復帰し「時限爆弾」を抱えたライコネン。残り周回をしのげるのかタイヤバーストが先か、はたまたピットを遅らせてハイペースのアロンソにペースダウンで抜かれるか試練の走りになります。
アロンソが真後ろまで来てプレッシャーをかけ始めたファイナルラップ、、
爆破!
抜かれるわけでもバーストでもなく、カーボン製サスペンションが根元から振動による脆性破壊しました。第1コーナーでBAR・ホンダのバトンにスレスレで直進しジ・エンド。優勝は予定通りピット回数でハイドフェルドより優位に立った追い込みのアロンソです。キミ、ごっつぁんです!

《決勝結果》
1 F・アロンソ(ルノー・R・MI)
2 N・ハイドフェルド(ウィリアムズ・B・MI)
3 R・バリチェロ(フェラーリ・F・BS)
   ※BSはブリヂストンタイヤ

パルクフェルメで「よく頑張ったね!」とタイヤを労うアロンソ。ココを確実に取るのもチャンピオンになる重要なファクター。
初優勝のチャンスを失ったハイドフェルドも残念だったし、ライコネンは後に日本GPでファイナルラップで逆転優勝したものの、コレもファイナルラップ。結果このレースは11位扱いにはなりましたが、このレースを落としたのは大きかったと思います。最速といわれたMP4-20もエンジンブローやレギュレーションに則せなかったのが相当頂けなかった!
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今朝は「機嫌のいいハミルトンと親しく会話する」夢を見ました。たまにありませんか、F1マシンをドライブしたり、ドライバーと話す夢。少し前はライコネンとどこか知らぬ芦ノ湖畔のようなサーキットでレースした後に会話するものも見ました。病気でしょうか(笑)

次は過去の2008年のカナダGPを振り返ろうか考えたものの、この前も2008年をやってしまったので、2008年のマシンを振り返ることにします。短命で終わってしまった、パワーにモノをいわせた「BMWザウバー F1.08」です。名車かといわれると、チャンピオン争いに加わったわけではないチームとマシンですが、最新の技術で割り出したデザインや今にはない複雑なディテールでとてもインパクトがありました。
BMWは「ザウバー」の名を付けたワークスとして2006年から2009年までの4年以外にもエンジンサプライヤーとしてブラバムやウィリアムズにも供給し、いくつかの勝利を手にしています。ちなみに、このフル参戦ワークス以外に1950年代にもスポット参戦しています。それは調べるまで知りませんでした。


《設計》
ウィリー・ランプ
ウィレム・トーエ
マルクス・デュエスマン



《外見》
基本は前作F1.07を進化させたものです。ただ何といっても目を惹くのはマクラーレンに初めて搭載されたホーンウィングに似たものノーズにも付けてしまっている点です。まるで「ナハ!ナハ!」と言わんばかりのせんだみつおみたいになってます。これはBMWが誇るスーパーコンピューターの解析によって生み出されたウィングだそうで、異彩を放っています。また複雑なフロントウィングも特徴的で白い車体のせいか、当時は許されていた様々なエアロパーツも他チームに比べ目立って見えました。
今と変わらず当時もパワーで頭一つ出たメルセデスエンジンに負けず劣らずのBMW Powerの高出力もあって、パワーサーキットでは度々好成績をおさめました。さすが工業国ドイツ、堅実さとパワーは他メーカーより長けています。


カラーリングはワークス直前までエンジン供給を行ったウィリアムズと似た白をベースとした紺と赤のアクセント。BMWの市販車同様にノーズには「豚の鼻」のようなキドニーグリルを彷彿とさせるデザインが描かれています。
スポンサーはインテルやデルといったIT系企業やザウバーでお馴染みのクレディ・スイス、そしてオイル供給を担っていたペトロナス。ペトロナスは今でもメルセデスをスポンサードしていますが、速いマシンに付いている割には書体が可愛い過ぎ!と毎回思ってしまいます。


《エンジン》
BMW P86/8
V型8気筒・バンク角90度
排気量:2,394cc(推定)
最高回転数:19,000rpm(制限)
最大馬力:- 馬力(非公開)
スパークプラグ:NGK
燃料・潤滑油:ペトロナス


《シャシー》
全長:4,600mm
全幅:1,800mm
全高:1,000mm
最低車体重量:605kg
燃料タンク容量:- ℓ
クラッチ:AP
ブレーキキャリパー:ブレンボ
ブレーキディスク・パッド:ブレンボ
ホイール:OZ
タイヤ:ブリヂストン
サスペンション:フロント プッシュロッド
                                 リヤ    プッシュロッド


《ドライバー》
No.3 ニック・ハイドフェルド(全戦)
No.4 ロバート・クビカ(全戦)


《戦績》
135ポイント コンストラクター3位
(1位1回、2位7回、3位3回ほか)
ポールポジション1回

ドライバーは3年連続で経験豊富なハイドフェルドと期待の若手クビカのコンビで臨みました。結局BMWザウバーのワークス4年間の正ドライバーは初年度2006年の途中まで所属したJ・ヴィルヌーブを含めてたった3人、テストドライバーを務め実戦デビューも果たしたS・ベッテルを含めても4人です。

コンストラクターズランキングでは前年2007年の2位に次ぐものですが、2007年はマクラーレンが「ケンカとスパイによるポイント剥奪」があって、本来3位のところが2位になっただけです。同じ3位として獲得ポイントをみても2008年の方が向上していますし、当然表彰台獲得回数も増えてますので、実質このマシンが歴代BMWの最高位だと思います。
このマシンはシーズン前半から好調で、暑さに厳しくロングストレートを有する第2戦マレーシアGPでハイドフェルドがチーム初のファステストラップを計上し、続くバーレーンGPでクビカがチーム初ポール、そして第7戦カナダGPで自身唯一、チーム唯一の優勝とワンツーフィニッシュをしました。先輩ハイドフェルドより先に(結局ハイドフェルドは優勝なし)F1の優勝して将来が期待されるドライバーの1人になりました。
表彰台は10回。オーストラリア、マレーシア、バーレーン、モナコ、カナダ、イギリス、バレンシア、ベルギー、イタリア、日本で獲得するなど、比較的高速レイアウトでの好成績が光ります。細かな空力デバイスでグリップを確保し、BMW Powerで押し切る!さらにはベテランと才能に溢れたドライバーがチャンピオンになれずもチームの好成績を手助けしました。
また、ハイドフェルドはこのシーズン全て完走し、クビカも全18戦中16戦を完走と、パワーだけでなく信頼性も抜群のマシンでした。


しかし翌2009年をもってBMWがF1から撤退し、ハイドフェルドもクビカもこの2008年シーズンをピークに成績も下り坂となってしまいました。毎回思う残念なクビカの早期F1引退。あのラリーでの大怪我がなければ、今のF1でどんな地位を築いていたか、ハミルトンやロズベルグ、ベッテルといった同世代といい勝負だったんじゃないかな、楽しみだったし本当に残念です。


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皆さんはニック・ハイドフェルドを覚えていますか?若いF1ファンの方だと、もしかしたら、知らない、そう言えばいたっけなぁ程度のドライバーになってしまうでしょうか。結果、地味でF1の記録上は大した結果ではないものの、意外と息の長い、なかなかの経歴を引っさげたドライバーとしてF1に参戦し、比較的上位チームに所属していました。当時個人的に贔屓目にチェックしていました。今回は現役ではないドライバー。本当は実力があったのに運がないのか巡り合わせか、F1で功績も残せずフェードアウトしてしまった残念な彼を「4つの特徴」でフィーチャーしたいと思います。

ニック・ハイドフェルド
   2000年 プロストからデビュー ドイツ国籍
   12年在籍(2010,11年は途中参戦)
   優勝0回                歴代 - 位
   表彰台13回           歴代60位
   参戦数185戦         歴代20位
   ポール1回             歴代67位
   ファステスト2回  歴代69位
   ランキング最上位5位(2007年)

なかなかのイケメンですよね。日本のライフセーバーの飯沼誠司に似てると思いませんか?!(笑)
F1での彼の功績はこんな感じです。優勝がありませんからチャンピオン争いもありませんし、内容的には「セカンドドライバーさんより下のチームでエースドライバー」といったところでしょうか。あだ名に「クイック・ニック」という速いという意味のquICKとnICKの韻を踏んだことから付けられたものがありますが、クイックってファストと比べて何だか軽い感じがして、あまり速く感じないのは自分だけでしょうか。
現役にも同じ国籍で同じファーストネームの未勝利ドライバーがいますが、彼にはハイドフェルド先輩に続かぬよう祈っておきます。


ハイドフェルドのドライバー人生を語る上での特徴その1は「F1ドライバーになるまでの功績」があると思います。近年は下位カテゴリーでの好成績や経歴がなくF1にステップアップできる者もいれば、大きなマネーバックを引き連れて、金銭的にシートを「買う」者もいます。しかし彼はF1ドライバーにステップアップする礎や功績がちゃんとありました。

1994年(17歳)
  ドイツフォーミュラFord1600チャンピオン
1995年(18歳)
  ドイツフォーミュラFord1800チャンピオン
1996年(19歳)
  ドイツF3参戦 総合3位
1997年(20歳)
  ドイツF3参戦 チャンピオン
1998年(21歳)
   国際F3000参戦 総合2位
1999年(22歳)
   国際F3000参戦 チャンピオン

教科書通り、フォーミュラフォードのチャンピオンになり、F3でチャンピオンになり、国際F3000でチャンピオンになって、当時母国のメルセデスに見初められて1998年からマクラーレン・メルセデスのテストドライバーに抜擢されました。若かりし頃は、後にアメリカ経由でF1参戦したJ・P・モントーヤなどと互角かそれ以上の内容でやり合っていました。F1で優勝を重ねたドライバーと「デビュー前」はいい勝負を演じてきたということです。デビュー前は。


ハイドフェルドの特徴その2は「チームメイトとの差」です。2000年から参戦し、プロスト、ザウバーで3年、ジョーダン、ウィリアムズ、BMWザウバーで4年過ごし、2010年にスポット参戦で三たびザウバー、2011年にロータスで参戦する中で、様々なチームメイトに勝っている点にあります。

2000年 プロストで全17戦参戦
   対 J・アレジに6勝4敗
2001年 ザウバーで全17戦参戦
   対 K・ライコネンに8勝5敗
2002年 ザウバーで全17戦参戦
   対 F・マッサに9勝3敗
2003年 ザウバーで全16戦参戦
   対 H・H・フレンツェンに9勝5敗
2004年 ジョーダンで全18戦参戦
   対 G・パンターノ&T・グロックに10勝3敗
2005年 ウィリアムズで15戦参戦
   対 M・ウェバーに6勝6敗
2006年 BMWザウバーで全18戦参戦
   対 J・ヴィルヌーブ&R・クビカに10勝5敗
2007年 BMWザウバーで全17戦参戦
   対 R・クビカ&S・ベッテルに11勝6敗
2008年 BMWザウバーで全18戦参戦
   対 R・クビカに7勝11敗
2009年 BMWザウバーで全17戦参戦
   対 R・クビカに10勝7敗
2010年 ザウバーで5戦参戦
   対 小林可夢偉に1勝3敗
2011年 ロータスで11戦参戦
   対 V・ペトロフに6勝5敗
※2台リタイア時はカウントしていません
※ポイントの勝敗でなく、順位の勝敗です

チームメイトとの成績差はスポットも含めて順位比較で9勝2敗1引き分けとなっています。それらの相手がチャンピオンではない点が弱いもののなかなかの成績ではないでしょうか。移籍や契約延長のネタに彼自身も使ってはいましたが、ピークはBMWザウバー時代の2007年5位でした。


特徴その3に「運のなさ」も大きかったと思います。惜しいチャンスが2度ありました。彼は生粋のドイツ人であり、F1に手をかけたのも当時母国のメルセデスがエンジンを供給していたマクラーレンの1998年テストドライバーがきっかけとなりました。その当時のマクラーレンはM・ハッキネンの2年連続チャンピオン獲得と、そこそこ速いセカンドドライバーのD・クルサードでチームは確立していました。隙はなくプロストGPからデビューした訳ですが、マクラーレンのシートが空くことになった2002年、メルセデス出身のハイドフェルドに声がかかると思いきや、実際には新人チームメイトのK・ライコネンの方でした。ライコネンはマクラーレンでスピードを見い出し、2007年にはフェラーリからチャンピオンを獲得したのは皆さん周知の通りです。

また、2010年にメルセデスがワークスとして復活する際、ドイツ人ドライバーで選ばれたのは現役で伸び盛りのN・ロズベルグと一度引退したM・シューマッハの復帰となり、現役だったハイドフェルドは選ばれませんでした。選ばれていたら、どうなっていたでしょう。確かに年齢を重ねて、成績は下降線に入り始めていたため、もし当時選出されても、今の常勝時代までドライブしているか、と考えたら難しいかもしれませんが。


最後、4つ目の特徴は「ハイドフェルドの持つ記録」です。実はF1歴代1位の記録を持っています。それは2007年フランスGPから2009年イタリアGPまで続いた「連続完走記録41回」です。2位のJ・バトンは36回ですから5レース分上回っています。連続完走って簡単そうでなかなか難しいですよね。ドライバーが頑張ってもマシンの機嫌や他ドライバーとのトラブルがあっては完走できません。よからば完走の上のポイントも獲得できれば何よりでした。



現在はフォーミュラEに舞台を替え、現役で活躍するハイドフェルド。今年で39歳。今後も彼の優勝に期待したいと思います。


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