F1 えきぞーすとのーと

よくあるニュースネタやこ難しいテクニカルな話ではなく、メインは予選や決勝のTV観戦したそのものを個人的観点から綴るF1ブログです。  また、懐かしのマシンやレースを振り返ったり、記録やデータからF1を分析。その他ミニカーやグッズ集めも好きなので、それらを絡めつつ広く深くアツくF1の面白さやすごさを発信し、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

タグ:ドライバー

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2019年シーズンも1/3を終え、依然として「メルセデス天下」で進行しています。ただ個人的な印象して、強いことには間違いはないし、見ての通りの結果や数字で表れているとはいえ、以前に比べると「爆発的な」感覚がないんです。どうしてだろう、、結果が報われないだけで、速さという意味ではフェラーリも健闘しているから?!メルセデスは速いというより強い、賢い勝ち方ができているから?!マシンやドライバーではどうしようもできないところもだいぶ有利?!それは言いっこナシか(笑)何だかよくわかりません。前戦カナダGPはいいところまでいきつつ、とにかく未だに「表彰台の一番高いところ」から引きずり下ろせていません。これはもう、今年は、そうなんじゃない?!
過去には近年のように他チームを圧倒して勝利を重ねたシーズンがいくつかあります。今回は「この時期でこのペースは、もしや?!」と題して、近年40年くらいで似たような系譜で勝ち進んだ年をピックアップし、勝ちまくった側と勝ちまくられて置いていかれた側の比較しようと思います。本当はこのネタ、モナコGP明けの第6戦終了時に向けて準備をしていました。ただデータ整理や表現の仕方に悩んでいたら、第7戦カナダGPを迎えてしまいました(笑)ということで、データも第7戦終了時まで拡大して再整理しています。

F1のポイント制度は時代によって変わっており、一様に比較することができません。以前このブログでは、各時代を各ポイント制に変換した「タラレバチャンピオンシップ」をやりました。その時のデータを引用し「全ての時代を現代のポイント制」に揃えて比較しました。

《変換ポイントの条件》
    ・ポイントは1位から10位までとする
        (上位から25,18,15,12,10,8,6,4,2,1)
    ・全戦のポイントを有効とする
    ・ファステストラップポイントは除外する

《高ポイントを獲得したシーズン第7戦終了時比較》
    (   )カッコ内は本来の獲得ポイント
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    84年
    1位 マクラーレン 174.5pts(56.5)
           個人1位 N・ラウダ            68pts   (24)
           個人2位 A・プロスト       106.5pts(32.5)
    2位 フェラーリ      91.5pts(26.5)
           個人4位 M・アルボレート 29pts(9.5)
           個人6位 R・アルヌー         62.5pts(17)
    88年
    1位 マクラーレン 265pts(93)
           個人1位 A・セナ              111pts(39)
           個人2位 A・プロスト      154pts(54)
    2位 フェラーリ    125pts(34)
           個人3位 G・ベルガー        73pts(21)
           個人5位 M・アルボレート 52pts(13)
    89年
    1位 マクラーレン 195pts(63)
           個人1位 A・プロスト       114pts(36)
           個人2位 A・セナ                81pts(27)
    2位 ウィリアムズ 115pts(35)
           個人3位 R・パトレーゼ     69pts(22)
           個人5位 T・ブーツェン     46pts(13)

グラフはmiyabikunが連想するチームカラーで統一し、各グラフの尺度も揃えているので視覚的に比較することができます。1レースで獲得できる最大ポイントは25+18=43ポイント、7戦で獲得できる最大値は43×7=301ポイントです。また、グラフの傾きが急なほど、調子がいいということになります。
今回ピックアップした最も古いくくりは「マクラーレン飛躍時代」です。先日亡くなったラウダ復帰やプロスト、セナといった新人類がこのタイミングで世代交代に成功しています。グラフ真ん中に位置するのが伝説的な年(見方を変えれば超つまらない年)の1988年の最強マクラーレンとボッコボコにされたフェラーリです。序盤7戦での獲得ポイントは93でそれを現代に置き換えると265ポイントに相当します。最高勝率を誇る年でも、フルマークの301ポイントからみたら36ポイントを落としていることになります。これは開幕戦ブラジルGPと第3戦モナコGPの2戦でセナがノーポイントだったためです。ちなみに、以前にみたようにもし1988年が2018年のポイント制だったとしたらセナが全16戦で275ポイント、プロストが301ポイントとなり、チャンピオンはプロストの手に渡ります。ただ変わらずはいずれにせよマクラーレンがぶっちぎりのコンストラクターズチャンピオンであること。
超絶僅差でラウダが最後のチャンピオンを決めた84年は現代においてもハーフポイントを踏襲します。89年と合わせてこの3年はマクラーレンのみがぶっ飛んだチーム内対決、他チームは完全に蚊帳の外でした。

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    92年
    1位 ウィリアムズ 230pts(84)
           個人1位 N・マンセル            143pts(56)
           個人2位 R・パトレーゼ          87pts(28)
    2位 マクラーレン 116pts(36)
           個人4位 A・セナ                     57pts(18)
           個人5位 G・ベルガー              59pts(18)
    93年
    1位 ウィリアムズ 196pts(69)
           個人1位 A・プロスト            127pts(47)
           個人3位 D・ヒル                     69pts(22)
    2位 マクラーレン 125pts(44)
           個人2位   A・セナ                 111pts(42)
           個人11位 M・アンドレッティ14pts(2)
    96年
    1位 ウィリアムズ 188pts(69)
           個人1位   D・ヒル                 112pts(43)
           個人2位   J・ヴィルヌーブ      76pts(26)
    2位 フェラーリ    125pts(35)
           個人3位   M・シューマッハ    76pts(26)
           個人10位 E・アーバイン         49pts(9)

続く世代は90年代前半の「みんなが乗りたいウィリアムズ」時代です。今とは真逆です(笑)ウィリアムズを代表する92年はマンセルによる「開幕5連勝」を皮切りにシーズン一貫して抜群な速さを誇りました。第7戦終了時でこの時代最多の230ポイント相当を獲得しています。翌93年はラウダ先輩を真似っこしたプロスト復帰からのチャンピオン獲り逃げシーズンです。若手(とはいっても年齢はそこそこ)のD・ヒルであっても表彰台を連発してしまうんですから、いかにFW15Cが秀逸だったか知らしめられます。そんなヒルが独り立ちして栄冠を掴んだ96年もなかなかな上出来でした。鳴り物入りの「F1二世」が予想以上に速さをみせたことと「ドイツの怪物」が一旦「紅の道」を選んでくれたことも大きかったでしょう。

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    01年
    1位 フェラーリ    217pts(76)
           個人1位 M・シューマッハ 136pts(52)
           個人3位 R・バリチェロ      81pts(24)
    2位 マクラーレン 143pts(44)
           個人2位 D・クルサード     121pts(40)
           個人5位 M・ハッキネン      22pts(4)
    02年
    1位 フェラーリ    200pts(72)
           個人1位 M・シューマッハ 158pts(60)
           個人2位 R・バリチェロ       42pts(12)
    2位 ウィリアムズ 176pts(54)
           個人3位 J・P・モントーヤ 91pts(27)
           個人4位 R・シューマッハ   85pts(27)
    04年
    1位 フェラーリ    257pts(106)
           個人1位 M・シューマッハ 150pts(60)
           個人2位 R・バリチェロ     107pts(46)
    2位 B・A・R       115pts(46)
           個人3位 J・バトン               93pts(38)
           個人8位 佐藤琢磨                 22pts(8)

そしてそしてその怪物が「紅の道」を自分のモノにした2000年代前半です。一瞬危うかった03年を除いた3年を選びました。もうすぐこの時代も20年近く前になるんですね。早いなぁ。
ご覧のように序盤は前の余韻からマクラーレンがもがき、マクラーレンが萎むとインパクト強めなウィリアムズが台頭、そしてホンダ第3期最大の活躍を示したB・A・Rも「シューマッハ狩り」を試みますが、完成した構図には歯が立たず独走を許しました。そして諦めました(笑)
フェラーリ最強の一つである04年は現在の通貨では257ポイント相当でした。301ポイントからは44ポイント足りません。足りない理由、聞いちゃいますか?!覚えているでしょ(笑)そういう「チームのレギュレーション」だったから。まあ、たとえそれがあっても、チームが得る対価は変わりませんから、それは関係ないか。第2戦マレーシアGPと第4戦サンマリノGPで少し損してしまいました。

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     11年
     1位 レッドブル    255pts
            個人1位 S・ベッテル      161pts
            個人3位 M・ウェバー       94pts
     2位 マクラーレン 186pts
            個人2位 J・バトン          101pts
            個人5位 L・ハミルトン    85pts
     13年
     1位 レッドブル    201pts
            個人1位 S・ベッテル      132pts
            個人3位 M・ウェバー       69pts
     2位 メルセデス    134pts
            個人4位 L・ハミルトン    77pts
            個人6位 N・ロズベルグ    57pts
     14年
     1位 メルセデス    258pts
            個人1位 L・ハミルトン  118pts
            個人2位 N・ロズベルグ  140pts
     2位 レッドブル    139pts
            個人3位 D・リカルド       79pts
            個人5位 S・ベッテル       60pts

この頃あたりまではアロンソをはじめハミルトン、ベッテルと「最年少記録」塗り替えのオンパレードでしたね。2010年代に大成したジュース屋さん、レッドブル時代です。この時代は既に現ポイント制になっていますので、変換はありません。レッドブル天下の2年目となる11年は大変なことになりました。第7戦までに255ポイントを獲得しています。グラフの傾きもよどみ少ない斜めにピーンと、2番手マクラーレンと70ポイントも引き離しました。
しかーし、13年からは見慣れたエメラルドグリーンが這い上がってきましたね。チャンピオンを獲得したのは14年からのいわゆる「ハイブリッドターボ元年」ではあるのですが、実は2.4ℓV8NAエンジン時代からも「最強への準備」を整えつつありました。いざ蓋を開けてみたらドーン!ご記憶の通りの内容とグラフもレッドブル超えの258ポイントに達しました。でもグラフでは第7戦カナダGPでなだらかになっています。これはハミルトンのリタイヤによるもの。リタイヤはポイント争いに動きを与えます。言い換えれば、リタイヤが少ない現状はなかなか変化を生みにくい。

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    15年
    1位 メルセデス 285pts
           個人1位 L・ハミルトン  151pts
           個人2位 N・ロズベルグ  134pts
    2位 フェラーリ 180pts
           個人3位 S・ベッテル     108pts
           個人4位 K・ライコネン   72pts
    17年
    1位 メルセデス 222pts
           個人1位 L・ハミルトン  129pts
           個人3位 V・ボッタス       93pts
    2位 フェラーリ 214pts
           個人2位 S・ベッテル     141pts
           個人4位 K・ライコネン   73pts
    18年
    1位 メルセデス 206pts
           個人1位 L・ハミルトン  120pts
           個人5位 V・ボッタス       86pts
    2位 フェラーリ 189pts
           個人2位 S・ベッテル     121pts
           個人3位 K・ライコネン   68pts

最後は直近となる「完全メルセデス時代」です。16年の「今いない人」の年を除いた3年をピックアップしました。この40年での最長不倒は15年に記録した285ポイントとなります。301ポイントまで16ポイント足らずで惜しかった?です。この年からフェラーリはアロンソに代わってベッテルを起用、第2戦マレーシアGPでは初優勝を挙げますが、他は3位が指定席化し、お友達のライコネンが「マイペース」を貫くこともあってメルセデスに近付くことなく7戦を終えました。
一昨年の17年、昨年の18年のフェラーリは「序盤7戦は」なかなか健闘しましたよね。グラフも程よく絡まりながら進行しています。ベッテルという二大ドライバーの片方を獲得したフェラーリはマシンも確実に速さを備えるまでになりました。ただ、今回のグラフは格好のつく部分だけが切り取られているに過ぎず、課題は再三言っている「シーズン後半」です。今シーズンは「三度目の正直」を成就してもらいたいところなのですが、果たして、、。

《2019年第7戦までの二強グラフ》
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    19年
    暫定1位 メルセデス 292pts(295)
                 個人1位 L・ハミルトン 161pts(162)
                 個人2位 V・ボッタス    131pts(133)
    暫定2位 フェラーリ 170pts(172)
                 個人2位 S・ベッテル    100pts
                 個人5位 C・ルクレール  70pts  (72)

年明けに「最強軍団」と題して2000年代以降に続いたフェラーリ、レッドブル、メルセデス飛躍の5年間をみてきました。1年の準備期間の後、先輩フェラーリは5年間、先輩レッドブルは4年間天下を統一し、レギュレーション変更なども相まって失落、政権交代に至りました。メルセデスも13年の準備期間と14年から昨年までで5年間制したことになります。これら前例からすればそろそろ落ち着いて頂きたいのですが、むしろ逆をいっています。先日のカナダGPを終えた時点でファステストラップポイントを除いて292ポイントに達しています。301-292=9。内訳の理由は簡単。第6戦モナコGPでボッタスがベッテルに3プレゼント、第7戦カナダGPでまたもボッタスがフェラーリ2人に6ポイントあげたことによる9、他5レースが43点満点でした。過去最高得点で進行中です。その上、7戦全戦優勝をおさめており、いよいよ神回88年を超える可能性を残しています。
グラフには2番手チームも表現していますが、そちらに注目すると、近年はフェラーリが2番手にいます。15年のフェラーリは180ポイントで差は105。この年はフェラーリとやり合っているわけではなく、ハミロズ対決なので差が大きくついています。17年は214ポイントで差は8。18年が189ポイントで差は17。そして19年のフェラーリは170ポイントにまで下がり、その差は過去最大の122となりました。メルセデスは7戦で3回、フェラーリが2回のファステストラップポイントを得ていますので、正式な差は123です。盤石なメルセデスの走りはもちろんのこと、今シーズン唯一対抗できると思われたフェラーリが予想以上に取りこぼしていることが、メルセデス完勝の一番の立役者なのかもしれません。
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過去の独占シーズンと比較しても似たペース、いやそれを上回るペースで勝利を重ねるメルセデス。たかだかシーズン1/3終了時点で決めつけるのは早いかもしれませんが、過去と比較すると「そういうことになりそう」と察しがついてしまいます。どうなっちゃうんだろう、これでいいのかな、四輪最高峰のモーター「スポーツ」のF1。

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モナコGP直前に衝撃的なニュースが走りました。F1に長く従事してきたラウダが5/20に70歳で亡くなりました。昨年からの闘病中で今まで生還や復活劇をみせてきたラウダですから、またF1パドックに足を運んでくれることだろうと安直に考えていたのですが、今回はそれも叶わなくなってしまいました。ラウダの訃報をうけ、このブログでは「F1以外の面で」度々クローズアップしてきました。今回はちゃんとF1におけるラウダをクローズアップし、功績を讃えたいと思います。

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ニキ・ラウダ
    1949年2月22日生まれ(オーストリア)
    1971年 マーチからデビュー F1在籍13年
    優勝25回                          歴代9位タイ
    表彰台54回                       歴代13位
    参戦数175戦                     歴代26位
    ポールポジション24回     歴代11位タイ
    ファステストラップ24回  歴代9位
    チャンピオン3回(1975,77,84)
    ※戦績ランキングは2019年第6戦まで

    71年 マーチ             1回出走    予選21位 決勝R
    72年 マーチ           12回全出走 予選19位 決勝7位
    73年 BRM              15回全出走 予選5位 決勝5位
    74年 フェラーリ    15回全出走 予選1位 決勝1位
    75年 フェラーリ    14回全出走 予選1位 決勝1位 ★
    76年 フェラーリ    14回出走     予選1位 決勝1位
    77年 フェラーリ    15回出走     予選1位 決勝1位 ★
    78年 ブラバム        16回全出走 予選1位 決勝1位
    79年 ブラバム        14回出走     予選4位 決勝4位

    82年 マクラーレン 15回出走     予選2位 決勝1位
    83年 マクラーレン 15回全出走 予選9位 決勝2位
    84年 マクラーレン 16回全出走 予選3位 決勝1位 ★
    85年 マクラーレン 15回出走     予選3位 決勝1位

ラウダの生い立ちや戦績は映画にもなったくらい有名で、当時をよく知らないmiyabikunよりもよっぽど詳しい方が多いと思いますが、知らない方のために一応基礎的なところから入ります。
「ニキ」というのはケケ・ロズベルグの「ケケ」やニコ・ヒュルケンベルグの「ニコ」と同様の愛称であり、本名はアンドレアス・ニコラウス・ラウダです。ラウダは裕福な家庭で生まれ、資産家である父からは後継者として育てられていました。ところがラウダには「レーシングドライバーになる」という野望があり、父の反対を押し切り、自らの生命保険を担保にするなど自力で資金繰りを行ってスポンサー獲得とレース参戦にこぎつけていきました。俗に言う「持参金ドライバー」(ペイドライバー)というやつです。今でいうストロールのような家柄なのに、ストロールと大きく違うのは「お金も技術も自力で」という点でしょうか。ラウダの方は父に勘当されてしまいました。
ヨーロッパF2で頭角を示すと、マーチの代表マックス・モズレーの目に留まり、1971年の母国、第8戦オーストリアGPでF1デビュー。予選22人中21番手、決勝はリタイヤで終えますが、翌72年シーズンからはフルタイム参戦のシートを得て正式に年間レースに加わっていきます。マーチではピーターソンの陰に隠れ、マシンの戦闘力不足もあってなかなか速さを見出すことができませんでした。そこでラウダはフィリップモリス(マールボロ)を味方につけ、73年はBRM(ブリティッシュ・レーシング・モーターズ)へ移籍、ゾルダーで行われた第5戦ベルギーGPで5位入賞を果たします。この活躍が評価され、ラウダの株価は一気に急上昇していきます。
決して速さあるわけではないBRMのマシンで入賞にこぎつけたラウダをエンツォ・フェラーリが高評価、さらに先輩ドライバーのレガッツォーニの後押しもあり、74年からトップチームのフェラーリのシートを獲得することに成功。移籍初戦の開幕戦アルゼンチンGPでいきなり2位表彰台を獲得すると、第3戦南アフリカGPで初ポール、第4戦のハラマでのスペインGPではポールからの初優勝と、ようやく「理論派」ラウダの口だけではない「証拠」を知らしめることとなります。フェラーリ1年目は6戦連続9回のポール獲得で2勝。 2年目75年も9回ポールの3連続を含む5勝を挙げて、F1参戦5年目にチャンピオンの仲間入りを果たしています。
ここまでの経緯をみても、苦労はしつつも知恵や金策を使い、F1の頂点に立ち大成功を収めています。ただラウダのすごいところは映画「RUSH」をご覧になった方ならば若い方でもご承知の通りココからです。チャンピオンとして迎えた76年も序盤から連続優勝や表彰台登壇で着実に連覇を目指している矢先、ニュルブルクリンクでの第10戦ドイツGPでスピンし大破。
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一命は取り留めますが、当然ながら火傷の治療により以降のレースは欠場。F1ドライバー人生すら危うい状況になってしまいました。ところが大手術とリハビリを経て、事故からたった1ヶ月ちょっと、2戦の欠場のみでチームの母国である第13戦イタリアGPは予選5番手、決勝4位でカムバックを果たします。今までも事故や骨折などで戦線離脱し、復帰するドライバーが多くいる中、生死をさまよう事故に遭いながら短期間で復帰したラウダが「不死鳥」と呼ばれる所以はココにあります。それにも関わらずこのシーズンはランキング2位で終え、翌77年は2回目のチャンピオンを獲得してしまうわけですから、怪我をしつつも才能やセンスが錆びることはありませんでした。しかしラウダはフェラーリよりも革新的にマシン開発に取り組むブラバムへの移籍を決めており、第16戦カナダGPと最終戦日本GP(富士スピードウェイ)の2戦を欠場、エンツォ・フェラーリとケンカ別れすることとなりました。
ブラバムではポールポジションや表彰台登壇はあるものの「表彰台かリタイヤか」といったメリハリのある戦績が続き「F1へのモチベーション」が低下する原因の一つとなりました。2年目の79年は表彰台すら無くなり、シーズン残り2戦にあたる第14戦カナダGP予選を前にF1引退を発表、かねて並行していた「ラウダ航空」経営にシフトしていきます。(このF1空白期間については以前に取り扱いました)
一方的なF1引退を発表してしばらく経った82年シーズン前、マクラーレンのロン・デニスがラウダをテストに招き、82年シーズンから再びF1の世界に戻ることとなります。序盤はブランクに適応する手探りな走りとなるものの、第3戦アメリカ西GPと第10戦イギリスGPで優勝を挙げて「予選の出遅れを決勝でしっかり取り返す」という貫禄のレース運びに持ち込んでいきました。84年から若手のプロストがチームメイトとなりエンジンもフォードからポルシェに換装するとチームは一気に上り調子に転換。プロストな7勝を挙げる中、ラウダは5勝でポールポジションがないにも関わらず、わずか0.5ポイント差で3回目のチャンピオンを獲得します。事故前にチャンピオン、事故後もチャンピオン、復帰後もチャンピオンという前人未到のキャリアを成し遂げたラウダは85年のリタイヤ続きに嫌気がさし、プロストに引導を渡す形で「F1正式引退」となりました。
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基礎的と言いつつ、ラウダのキャリアを一言で書けず、だいぶ長くなりました。これ以外にも書き切れないエピソードは沢山あります。ここからはいつものキャリアグラフをみていくことにします。
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1シーズンの参戦ドライバーは現在よりも多くいますが、18位より上を表現しました。キャリア序盤のマーチ時代はポイント獲得がありませんのでグラフに入らない位置にいます。ご覧の通りキャリアのピークは映画にも取り上げられた参戦4年目から7年目に所属したフェラーリ時代で2回チャンピオンを獲得しました。当時のフェラーリもマシン自体がとても優れていたわけではなく、相方レガッツォーニの結果からも「ラウダの腕によって底上げされたこと」が大いに反映されています。ドライビングテクニックもさることながら、メカニカルな面にも知識が長け、マシン改良やセッティング能力も高かったようです。ラウダをフェラーリ加入に肩入れしてくれた先輩を在籍初年から圧倒していました。レガッツォーニの心中も気になるところですよね(笑)
また、ラウダの特徴の一つに「モチベーションに左右される点」もあります。上でも「ケンカ別れ、モチベーション低下、嫌気」という表現しましたが、腕が落ちて移籍や引退を決めたというよりかはフェラーリと不仲になったり、ブラバムの不甲斐無さを理由にしたりと「マシンが気に入らない、他に興味を持った」など、今のドライバーにはあまり無い理由です。ひと昔ふた昔前のドライバーは強気でした。お金よりも満足感やチーム体制との相性なども重要です。

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続いて予選、決勝順位のプロットです。当時は6位までが入賞圏でした。チーム別を色で表現しています。どちらのグラフも26位までの記載とし、27位に集まっているものが決勝リタイヤや失格を示しています。今回は予選決勝を見易く別々にしたので、逆に気付き辛いかもしれませんが、ラウダの特徴的な戦い方を見ることができます。それは「予選よりも決勝の方が順位を上げている点」です。ラウダは通算24回のポールポジションを獲得し、優勝は25勝。ファステストラップ24回でした。プロットをみると、予選順位より決勝順位の方が上にきます。予選は上位でなくても、決勝レースでうまく前に出て上位フィニッシュする。ライバルに離されたらマシンをぶつけたり壊さないようにして入賞を獲得する。その積み重ねが84年の「勝利数が少なくても年間で上回る」という賢い勝ち方です。人間、特にスポーツマンはライバルに勝ちたい、前にいたいという気持ちが強く出ます。ラウダはその「うわべだけの位置」に捉われず、ルールに則した手段を冷静に選べるドライバーでした。ラウダよりも前の時代はmiyabikunではなお知りえませんが、後世ではプロストをはじめ、M・シューマッハやアロンソはこのような勝ち方を積み重ねてきましたよね。「速い」という言葉よりも「強い」「手強い」という言葉がしっくりきます。プロストは特に、ラウダの真横で悔しい思いをしましたもんね。プロストの計算づくのレースペースや緩急ある走りなど、ラウダからの影響もあるはずです。

こちらもドライバー系お馴染みのもの「チームメイト対決」です。この時代、特に70年代は現在のように2人体制でなかったり、シーズン中のチェンジもよくあることでした。ライバル側は代表的なドライバーのみの名前を記載しています。また、チーム自体参加しなかったレース、ラウダが出走していないレースは勝敗をつけられないため除外しました。
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こうしてみてもフェラーリ在籍時は優勢に立つことが多くても、他はうまく勝敗を分け合っているように思えます。75年と77年は(実は事故した76年ももしかしたら)チャンピオンを獲得したので察しが付きますが、引退復帰後の84年もプロストに対して辛勝したチャンピオンイヤーでした。決勝よりも予選ではプロストに圧倒的に負け越しています。それでもチャンピオンを獲得してしまうのだから、先述のようにラウダの「勝利への方程式」は希少なやり方でした。デビュー直後と晩年は大敗しているものの、ラウダが負け越しているのはピケやプロスト、逆に勝ち越しているのはレガッツォーニやロイテマン、ワトソンと考えると「チャンピオンになれる、なれない」がはっきり分かれてみえます。

最後は先程描いたラウダのランキンググラフに同時代のライバルを加えて、例のごとくぐちゃぐちゃになっちゃっているグラフをご覧頂きます。ラウダは今回の主役ですので黒太線、チャンピオン獲得者8人は色別の実線、あとチャンピオンではありませんが、チームメイトになったりこの時代を象徴するドライバー3人を破線で色分けしています。ちなみに82年のみチャンピオンが空欄ですが、ご存知の通り1勝チャンピオンのK・ロズベルグです。時代に若干のズレがあると考えて除外しました。
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60年代末から70年代前半に圧倒してきたスチュワートが身を引くと、そこから一気にラウダをはじめとした若手のライバルが台頭してきています。70年代中盤になってフェラーリを操るラウダが一時代を築いて、隙を狙う形でピンク色のハントが割って入っています。要はココが映画で描かれた時代ですね。ラウダが1回目の引退をすると、もっと若手の天才ピケ(父)やプロスト、比較対象からは除外しているG・ヴィルヌーブ(父)あたりが名乗りを上げ、復帰したラウダもそれに負けじと食らいついた様子がわかります。ラウダのライバルのイメージが強いハント以外にも、実に数多くのライバルを相手にF1界のトップに君臨し続けたわけです。グラフがぐちゃぐちゃしていることは、グラフが見辛い以前に「混戦の末チャンピオン争いをした時代であった」ことも合わせて読み取れます。
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去る5/29にオーストリアの聖ステファン教会にてラウダの葬儀が執り行われました。F1ドライバー時代も様々な復活劇を遂げ、ドライバーから離れたのちの最近までF1に携わってきたラウダもさすがに病相手には勝てませんでした。ただ速かった、強かったドライバーという一言では片付かず「自負、理論だったバトル、問題提起と改善」といった頭を使う稀有のレジェンドはF1で異彩を放ちました。古舘伊知郎風に表現するとしたら「F1働き方改革」とでも呼びそう(笑)全てはとても真似できないけど、我々もその「ラウダニズム」を持って取り組めば、効率的に物事をゴールまで進めていける、と教えてくれたように感じます。

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これからは遠くからゆっくりF1観戦し、昔の仲間と辛辣な評価をしてもらえたらいいなと思います。最後になりましたが、心よりご冥福をお祈りします。

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前回に続いて、中嶋悟シリーズをもう一本。今回は1991年に放映された日本信販グループ(現 三菱UFJニコス)のCMです。F1は世界を転戦する「走る広告塔」であり、前のEPSONやPIAAと同時期のものですから、いかに当時のF1と日本企業の関わりが濃かったか、また「F1のスポンサーをしている」ことにインパクトがあったかが伺えますね。
日本信販といえば「赤地に白のC」が目印の信販会社、いわゆるクレジットカードの会社です。この旧社名だけでは今の若い方には馴染みが少ないかもしれませんが「ニコス」「ミリオンカード」「DCカード」といった方が通じやすいかもしれません。ニコスは田村正和やナインティナインが、ミリオンカードは高嶋政宏、DCカードは中井貴一が「カッパとたぬき」のコンビでコミカルなCMを長らくシリーズ化してやっていましたよね。今ではそれらカードと同じ会社になります。現社名の通り、三菱UFJ銀行系のクレジットカード会社。miyabikunもいくつかクレジットカードを持っていますが、財布を見たけどココのは持っていなかった。さらには三菱UFJ銀行の口座も避けていたわけではないが開設していなかった。
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そうですね。中嶋悟の乗るティレル020のコクピット前部とリヤウィング翼端板にデカデカとロゴがありましたね。前年019も同様に入っていました。
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あとココ。サイドポンツーン開口上部にもさり気なくNippon Shinpanの文字。こちらが当時の正式名称ですね。ちゃんとスポンサードですよと文字情報が入っています。信用問題が大切な会社です。嘘、偽りございません!
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特に中嶋悟のことは紹介されていませんが、当時のF1といえば中嶋悟、特別な説明は不要です。信用して下さい。
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市街地サーキットをバックにひたすらグループ会社の名前が続々と紹介されています。日立グループや東芝グループにも似ていますね。結構なスピードでロールされているため、とても読み上げるには困難です。とにかくとにかく、たくさんの会社で日本信販は成り立っています。
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We are a borderless company.

「私達は国境なき会社です」

CM内のしっとりとしたナレーションにもある通り、F1は世界を股にかけ戦うモータースポーツ。日本信販も世界を股にかけビジネスシーンや買い物を楽しめる便利なカード、というわけです。

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もう一つのバージョンです。中嶋悟の前にチラつくNICOSカード。F1色よりも自社商品が前に出てきました。こらこらっダメですよ、またEPSONに目を取られては。今回は日本信販のCMですからね!

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マクラーレンの前を走るティレル中嶋。同一周回か周回遅れかは、お楽しみ。

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あ、今BRAUNに目を取らた方、ダメですよ!今回は日本信販!

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こちらも先程と同様にグループ企業の名がズラりと続きます。miyabikun本職のお勤め先にもグループ会社が多くあるのですが、実のところ全てを覚えていないし、一字違いの会社名があったり、一体何を扱う会社なのか分からず仕事をしています。知れば「え、何でこんなものを扱ってるの?!」なんてのもあると思います。吸収したり統廃合されると、よく分からなくなってしまいますね。

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今回の〆言葉は「世界で会いましょう。」です。カード会社も系列や派閥みたいなものがあってたまーに「申し訳ございません、当店は◯◯のクレジットカードのみのお取り扱いでございます」というケースもありますね。カッコつけても一気に台無しになってしまいます。ゴールデンウィークは特に外出先や高額な買い物をして、クレジットカードを使う機会も多いと思います。くれぐれも入口やレジの前で使用可能なカード会社を確認の上、お買い物を楽しみましょう。

https://youtu.be/mzbpj1Izdl8

https://youtu.be/WdRqhGfG2gQ


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今回のCMシリーズは中嶋悟。2回目のノミネートです。中嶋悟のスポンサーを連想すると、必ず登場するのがPIAA(ピア)1990年と91年のものをご紹介します。
90年版はショパンが作曲したピアノ曲「別れの曲」が採用され、シックに仕立てられています。このマシンは前年89年型ティレル018の90年塗色ですね。
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ノーズ先端付近とエアインテーク側部にロゴが入っています。こんな感じで
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EPSON、じゃなかったPIAAです(笑)でもジャンパーやトレーナーでよく見かけるPIAAって、一体何の会社なの?!ご存知でない方も多いと思います。今では市販車で当たり前となった「電動ドアミラー」を世界初で開発したカーアクセサリーメーカーの市光工業から1963年に分社化され、ライトやホイール、ミラー、ワイパーなどを取り扱う日本のカーアクセサリーメーカーです。車には必要不可欠なものばかりですね。好んで使われている方もいらっしゃると思います。また、アウトドアや商用で車をお使いの方はTERZO(テルッツォ)というカーキャリアをご存知だと思います。こちらもPIAAの製品です。
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文字はほとんど出てこない。中嶋悟を中心としたF1シーンをモノトーンで映していきます。カッコいいですね。
「せがれ2人は今、このくらいか?」
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「上は大きくなったー、下はえー、このくらい」
そんなわけないか(笑)90年当時、長男の一貴は5歳、次男の大祐が1歳です。2人とも父の背中を見て育ちましたね。頑張るパパをPIAAは応援しています。
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続いて91年版です。BGMは日本を代表するサックス奏者のMALTAによるもの。
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こちらのマシンはティレル020ですね。カラーリングが白黒に変更されています。
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おじさんも剃り残しが気になる?!リヤウィングやエンジンカバーには大人男子がお世話になるシェーバーBRAUN
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コクピット横はいつものEPSON。あれ、それでは今回の主役のPIAAはいずこに?!
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ノーズにちょこっと。カメラ割りがロゴではなく「カーナンバー3」中心という。
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PIAAは一時期アパレル事業も展開していました。たまに街で見かけると「この人、中嶋悟のファンなのかな」なんて想像したことがあります。本当の狙いはその逆なんだけど、CMはそれでいいんですよね。今のF1のアパレルといえば、メルセデスも愛用するちゃまのところのトミー・ヒルフィガーかな。
https://youtu.be/7X3qOtP-a3E
https://youtu.be/fZlz0U66U64

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F1関連CMまだまだあります。今回は建機で有名な小松製作所とロータスのタッグです。一年近く前に塩野義製薬「新ポポンS錠」で取り扱った時と同じ組み合わせになります。まずは1992年バージョンから。
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かつてベネトンで指揮を執ったピーター・コリンズを招き、日本が誇る小松製作所のギヤボックスを採用していました。ちなみに、F1初期のフェラーリを駆ったピーター・コリンズという同姓同名のドライバーがいます。しかしそちらは1958年ドイツGPで事故死しているため、当然ながら別人です。
コマツは日本のトップシェア、世界でもキャタピラー社に次ぐ超大手の建機メーカーです。社名の通り、発祥は石川県の小松市。一時期はニューヨークヤンキースにも所属した同郷の野球選手、松井秀喜もCM起用していましたね。パワーショベルのように力強く豪快なスイングは企業イメージにピッタリ。
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エンジンカバーを開けて、まさしくマシンのこの辺りにKOMATSUの技術力が活かされています。日本企業が最高峰のモータースポーツの一端を担うのは、例え見えない部分だとしても誇らしいですね!縁の下の力持ち。
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「お二方、準備はいいですか?!行きますよ」
名門チーム立て直しをかけた期待のドライバーを引き連れていざ出陣!といった感じ。気品があるなぁ。
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「I wanted KOMATSU」
分かりやすい英文ありがとう(笑)
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こちらはコマツ側の回答ですか。プロポーズに答えたい、だなんて。相思相愛だな!
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コリンズも満足気ですね。このCMは覚えていました。

もう1本、こちらは出典によると1994年のものらしい。miyabikunこちらは覚えていませんでした。今回調べて知りました。確かにマシンは白と緑の1994年モデル109ですね。この時代のハッキネンはマクラーレンに旅立ったためエースのハーバートのみの出演となっています。
倉庫の中に収められているのは
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超巨大なダンプ。これはなかなか一般の道路では見かけないですね。ダム建設で岩石を運ぶ時に使われているヤツです。小さい頃にこのオモチャを持っていて、miyabikunはレゴブロックの運搬に使っていたなぁ。
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今の型でいうと980Eという名前のようです。積載重量はなんと370t。馬力も規格外の3,750psとF1マシンの4倍近い!ただし最高速度は60km/hとそこだけは親しみやすい(笑)
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陽炎の中、力強く向かってくると、
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えっ、爆発?炎の中から
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ロータス109のお出ましです。なるほど、ダンプのメカニズムがF1に活かされているわけね。マシンが3,750psあれば、シューマッハは屁でもないけど、最高速度がたったの60km/hではやっぱり勝負にはならないよな。何よりドライブするハーバートも中で加速の度に「ムンクの叫び」みたいになっちゃいますね。
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ロータスの晩年を支えたコマツとのタッグは92年が全16戦でハッキネンの4位2回を含む8回の入賞。パートナーをザナルディに代えた93年の全16戦はハーバートの4位3回を含む入賞5回。そして94年の全16戦のうち7位入賞圏外が最上位と成績下降もあって、残念ながらこのシーズンをもって名門ロータスがF1から撤退しています。

https://youtu.be/xNfjn87q4ls
https://youtu.be/MH21WgvOj9U

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