F1は無事にヨーロッパラウンドを終えて、これからアジアラウンドを迎えます。ただmiyabikunまだ気持ちはヨーロッパにあります。サマーブレイク中にも書きましたが、今シーズンのヨーロッパラウンドはやはり物足りないし、素っ気無い。先日は休止間も無い過去のフランスGPを振り返ったけど、昔はこんなもんじゃなかった感覚。きっとそれはコレが減ったこともまた要因の一つと考えられます。チームやドライバーは居ても、イマイチ盛り上がりに欠ける国、今回は40年以上前となる1982年第12戦ドイツGPを開催します。
舞台はもちろんホッケンハイムリンクです。当時は近代のレイアウトとは異なり、皆さんもよくご存知の深い森を貫く超高速レイアウトです(82年は図の上から2つ目の青線)旧レイアウトは復活の呼び声は高いものの、既に一部の区間の舗装は剥がされて森に還っているため「森を再破壊」しない限り復活は困難です。
82年は先日振り返った83年オランダGPとはたったの一年しか変わりませんが、マシンコンセプトはかなり異なります。現在と同様にフロア(マシン底部)のベンチュリー効果を期待した跳ね上げ形状としダウンフォースを得るグラウンドエフェクトカー時代です。しかし挙動を乱した際の危険性や死亡事故も招いたため、年々徐々にその効果を削ぐレギュレーションが設けられ(例えばフロアの気密性を高めるサイドスカートの地上高制限やその可動式を禁ずるなど)、翌83年にはフロアは平らにすること(フラットボトム規定)とされました。
これまでの11戦の戦績をおさらいしておくと、フェラーリのピローニが2勝6表彰台。マクラーレンのワトソンも2勝4表彰台、ラウダも2勝。ルノーのプロストも2勝3表彰台、アルヌーは1勝2表彰台。ブラバムのピケとパトレーゼも1勝ずつと各チーム各ドライバーとも突出しておらず、ガチガチにひしめき合った状態が続いています(ちなみにこの年のチャンピオンはココの中に名前すら無い)
また、フェラーリのエースであるG・ヴィルヌーブはゾルダーでの第5戦ベルギーGP予選で、第8戦カナダGP決勝ではオゼッラのパレッティの死亡事故が発生。さらには違反車両の発覚やレースのボイコットなど、例年に増す異様さと混沌としたシーズンでした。
このレースも予選前のフリー走行の段階から暗雲が立ち込めています。雨が降る中、フェラーリのピローニがスロー走行中だったルノーのプロストに追突。プロストを飛び越える形で大破してしまいます(向かって右に停車しているのはブラバムのピケ車です)
懸命な救助もあって一命は取り留めますが、両足を複雑骨折しており、ピローニはこのレースを最後にF1にカムバックすることはありませんでした(ピローニはF1断念後の87年のボートレースでの事故により35歳で他界)
予選はそのピローニが事故前日の金曜のタイムを上回る者が居らず、ポールポジション扱いとなり、以降はルノーのプロスト、アルヌー、そしてブラバムのピケらターボエンジン勢が連なる形となりました。
《予選結果》
P.P.D・ピローニ(フェラーリ グッドイヤー)
2 A・プロスト(ルノー ミシュラン)
3 R・アルヌー(ルノー ミシュラン)
4 N・ピケ (ブラバム・BMW グッドイヤー)
決勝はドライで迎えています。今は無き森への超高速バトルの始まり始まりー。
森の最深部、簡易的に設けられたオストシケインで4番手改め3番スタートのピケが1周目にルノーのプロストのインに並ぶ。
ブレーキング勝負でスッとアルヌーの前を塞ぐピケ。まずルノーの一角を切り崩したぞ。次なるターゲットはアルヌー。
ピケは2周目にアルヌーもかわしてトップに立つ。さすが若き前年チャンピオン。
ブラバムお得意の軽タンク戦法で逃げを打つピケ。このブラバムも先程かわされたルノーもそうですが、この時代のマシンはサーキットによって「フロントウィングを設けない」バージョンがありました。弾丸のようにシュッとしていてカッコいい。特にこのホッケンハイムリンクはスピードが命!リアウィングもぺったんこ。ぺったんこでも、さすがにウィング自体はありますが(笑)
18周目のピケの前には黄色い周回遅れが現れます。初っ端かわしたルノーにも見えますが、こちらの方が黄色味が強い、ATSのサラザールです。
ピケは例の如くインから並んでシケインへ。
ピケが前に出たところで、浅めにシケインにアプローチ。
すると、ピケの左リアタイヤとサラザールの右フロントが触れ合い、
ピケは反時計回りになりながら前方のタイヤバリアに突っ込んで止まる。。
NP「おいおい!何やってくれてるんだよ周回遅れ」
ES「先輩、、さーせん。。」
NP「何がさーせんだよ、てめえ。誰のお陰で、、」
NP「F1にステップアップ出来たんだよ、こら!」
NP「文句があるならかかってこいよ、ほら!」
NP「こんにゃろめが!」ES「ホントさーせん!」
ピケと同様に南米のチリ出身のサラザールはF3に参戦している時にピケに見初められた過去がありました。そのサラザールに、それも周回遅れがトップと接触するという出来事が怒りに拍車をかけ、この有名なシーンが現在まで伝えられています。当然ながら、ピケもサラザールも仲良くココでリタイヤ。
ピケに代わってトップに名乗りを挙げたのは、フェラーリ、ピローニの相方でヴィルヌーブの後任としてカーナンバー27を背負うタンベイです。この決勝は1人で戦っています。
3位にはウィリアムズのロズベルグが浮上してきています。未だに優勝はありませんが、2位2回、3位1回で地味にポイントを積み上げています(この後は皆さんもご存知の通り、まさかの!です)
77年にF1デビューを果たし、マクラーレンやセオドール、リジェを渡り歩いた苦労人タンベイはヴィルヌーブの後任となった4戦目、参戦58戦目で表彰台の頂点に立ちました。
《決勝結果》
1 P・タンベイ
(フェラーリ グッドイヤー)
2 R・アルヌー
(ルノー ミシュラン)
3 K・ロズベルグ
(ウィリアムズ・フォードコスワース グッドイヤー)
チーム内抗争に事故死、そして今回の予選の大事故と呪われたフェラーリにとって、このタンベイの優勝はこの上無き明るい話題だったことと思います。
最近フェラーリが勝つレースばかりを振り返っている気がします。。miyabikun特にティフォシではないんですが(笑)まあそれだけ勝利から遠ざかってしまっているから、たまには本当に勝てよということで。フェラーリ本社から感謝状とかないかしら(笑)
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舞台はもちろんホッケンハイムリンクです。当時は近代のレイアウトとは異なり、皆さんもよくご存知の深い森を貫く超高速レイアウトです(82年は図の上から2つ目の青線)旧レイアウトは復活の呼び声は高いものの、既に一部の区間の舗装は剥がされて森に還っているため「森を再破壊」しない限り復活は困難です。
82年は先日振り返った83年オランダGPとはたったの一年しか変わりませんが、マシンコンセプトはかなり異なります。現在と同様にフロア(マシン底部)のベンチュリー効果を期待した跳ね上げ形状としダウンフォースを得るグラウンドエフェクトカー時代です。しかし挙動を乱した際の危険性や死亡事故も招いたため、年々徐々にその効果を削ぐレギュレーションが設けられ(例えばフロアの気密性を高めるサイドスカートの地上高制限やその可動式を禁ずるなど)、翌83年にはフロアは平らにすること(フラットボトム規定)とされました。
これまでの11戦の戦績をおさらいしておくと、フェラーリのピローニが2勝6表彰台。マクラーレンのワトソンも2勝4表彰台、ラウダも2勝。ルノーのプロストも2勝3表彰台、アルヌーは1勝2表彰台。ブラバムのピケとパトレーゼも1勝ずつと各チーム各ドライバーとも突出しておらず、ガチガチにひしめき合った状態が続いています(ちなみにこの年のチャンピオンはココの中に名前すら無い)
また、フェラーリのエースであるG・ヴィルヌーブはゾルダーでの第5戦ベルギーGP予選で、第8戦カナダGP決勝ではオゼッラのパレッティの死亡事故が発生。さらには違反車両の発覚やレースのボイコットなど、例年に増す異様さと混沌としたシーズンでした。
このレースも予選前のフリー走行の段階から暗雲が立ち込めています。雨が降る中、フェラーリのピローニがスロー走行中だったルノーのプロストに追突。プロストを飛び越える形で大破してしまいます(向かって右に停車しているのはブラバムのピケ車です)
懸命な救助もあって一命は取り留めますが、両足を複雑骨折しており、ピローニはこのレースを最後にF1にカムバックすることはありませんでした(ピローニはF1断念後の87年のボートレースでの事故により35歳で他界)
予選はそのピローニが事故前日の金曜のタイムを上回る者が居らず、ポールポジション扱いとなり、以降はルノーのプロスト、アルヌー、そしてブラバムのピケらターボエンジン勢が連なる形となりました。
《予選結果》
P.P.D・ピローニ(フェラーリ グッドイヤー)
2 A・プロスト(ルノー ミシュラン)
3 R・アルヌー(ルノー ミシュラン)
4 N・ピケ (ブラバム・BMW グッドイヤー)
決勝はドライで迎えています。今は無き森への超高速バトルの始まり始まりー。
森の最深部、簡易的に設けられたオストシケインで4番手改め3番スタートのピケが1周目にルノーのプロストのインに並ぶ。
ブレーキング勝負でスッとアルヌーの前を塞ぐピケ。まずルノーの一角を切り崩したぞ。次なるターゲットはアルヌー。
ピケは2周目にアルヌーもかわしてトップに立つ。さすが若き前年チャンピオン。
ブラバムお得意の軽タンク戦法で逃げを打つピケ。このブラバムも先程かわされたルノーもそうですが、この時代のマシンはサーキットによって「フロントウィングを設けない」バージョンがありました。弾丸のようにシュッとしていてカッコいい。特にこのホッケンハイムリンクはスピードが命!リアウィングもぺったんこ。ぺったんこでも、さすがにウィング自体はありますが(笑)
18周目のピケの前には黄色い周回遅れが現れます。初っ端かわしたルノーにも見えますが、こちらの方が黄色味が強い、ATSのサラザールです。
ピケは例の如くインから並んでシケインへ。
ピケが前に出たところで、浅めにシケインにアプローチ。
すると、ピケの左リアタイヤとサラザールの右フロントが触れ合い、
ピケは反時計回りになりながら前方のタイヤバリアに突っ込んで止まる。。
NP「おいおい!何やってくれてるんだよ周回遅れ」
ES「先輩、、さーせん。。」
NP「何がさーせんだよ、てめえ。誰のお陰で、、」
NP「F1にステップアップ出来たんだよ、こら!」
NP「文句があるならかかってこいよ、ほら!」
NP「こんにゃろめが!」ES「ホントさーせん!」
ピケと同様に南米のチリ出身のサラザールはF3に参戦している時にピケに見初められた過去がありました。そのサラザールに、それも周回遅れがトップと接触するという出来事が怒りに拍車をかけ、この有名なシーンが現在まで伝えられています。当然ながら、ピケもサラザールも仲良くココでリタイヤ。
ピケに代わってトップに名乗りを挙げたのは、フェラーリ、ピローニの相方でヴィルヌーブの後任としてカーナンバー27を背負うタンベイです。この決勝は1人で戦っています。
3位にはウィリアムズのロズベルグが浮上してきています。未だに優勝はありませんが、2位2回、3位1回で地味にポイントを積み上げています(この後は皆さんもご存知の通り、まさかの!です)
77年にF1デビューを果たし、マクラーレンやセオドール、リジェを渡り歩いた苦労人タンベイはヴィルヌーブの後任となった4戦目、参戦58戦目で表彰台の頂点に立ちました。
《決勝結果》
1 P・タンベイ
(フェラーリ グッドイヤー)
2 R・アルヌー
(ルノー ミシュラン)
3 K・ロズベルグ
(ウィリアムズ・フォードコスワース グッドイヤー)
チーム内抗争に事故死、そして今回の予選の大事故と呪われたフェラーリにとって、このタンベイの優勝はこの上無き明るい話題だったことと思います。
最近フェラーリが勝つレースばかりを振り返っている気がします。。miyabikun特にティフォシではないんですが(笑)まあそれだけ勝利から遠ざかってしまっているから、たまには本当に勝てよということで。フェラーリ本社から感謝状とかないかしら(笑)
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