F1 えきぞーすとのーと

よくあるニュースネタやこ難しいテクニカルな話ではなく、メインは予選や決勝のTV観戦したそのものを個人的観点から綴るF1ブログです。  また、懐かしのマシンやレースを振り返ったり、記録やデータからF1を分析。その他ミニカーやグッズ集めも好きなので、それらを絡めつつ広く深くアツくF1の面白さやすごさを発信し、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

タグ:ティレル

日本人ドライバーやスポンサーも多く関わってきたティレルはテールエンダーのイメージも多くあるかと思いますが、マシンについては「類稀な」工夫も実に多く取り入れたチームでもありました。日本GPを前に「有終の美」とはいかなかった名車(迷車)を振り返りたいと思います。1998年のティレル026です。

《設計》
 ハーベイ・ポスルズウェイト

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《外見》
当時を知らないF1ファンが「純粋な気持ち」で見れば、このマシンはカッコよく見えるんじゃないかと思います。カラーリングも白を基調として黒とシルバーが鋭利に差し込まれていますし、ノーズもセクシーでしょう?!ただ、これは本来の姿ではありません。仮の姿です。
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ジャジャーン!これがあるべき本来の姿。サイドポンツーンにちっちゃなリヤウィングが付いている!何これ、レギュレーション違反じゃないの?!今やったら大変なことになりますが、当時はOKでした。というか「ダメとは書いていない」が正しい表現です。法律の業界もこんな表現をしますが「拡大解釈」というやつ。禁止されていることはレギュレーションブックに書いてある通りで、書いていなければ、ダメではないと解釈します。これが果たしてどんな効果をもたらすか。見て想像がつく通り、マシン中心部のダウンフォース増加に貢献します。1998年シーズンからマシン全幅が200mm狭められた1,800mmとなり、不足したダウンフォースをどうにか見出すための苦肉の策です。
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通称「Xウィング」です。026ではXっぽくないんだけど、コレの元は1997年の前作025に搭載されていました。
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こちらを見れば確かにXっぽい。前年まで在籍していたマイク・ガスコインのアイデアです。026は斜めのブレースが無くなり、1本のステーで外側に片持ち形状で取り付いています。カッコいい?それとも、ダサい?!miyabikunは当時からあまりカッコいいと思いませんでした。これで強ければ文句も言えないのですが戦績は、、あとで書きます。ただXウィングは他チームにも模倣され、泣く子も黙る名門フェラーリ様にも真似されたデバイスだったのです。
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こちらはもっとダサく見える。やっぱり本家が一番しっくりきます。本家ティレルと模倣組には大きな違いがありました。模倣組はあくまで「完成されたマシンを補完する形で設置」したことに対し、この026は「Xウィング込みで完成形とする」もの。他のチームは「撤去しなさい」と言われたら留め具を外せばいいだけの話なのですが、026は違う。サイドポンツーンと一体形成されて「外すとまともに走れなくなるのですが、、」状態になってしまうのです。後にも書きますが、シーズン途中で外すこととなり、ティレルにとっては「最後の頼みの綱」を失うこととなりました。
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026はその他にもいくつか工夫が施されています。ノーズにはコクピットをかわすように整流できる隆起した2つのフィンを施し、フロントサスペンションも油圧で作動させました。
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スポンサーは中嶋悟といえばPIAA、中嶋悟の愛弟子の高木虎之介、となれば高木虎之介にもPIAA、という構図。さらにはファスナーで有名なYKK、ミシンやファクシミリ(今や死語?)の大手であるブラザー工業など多くの日本ブランドが関わっています。

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《シャシー》
 全長:4,430mm
 全幅:1,800mm
 全高:   950mm
 最低車体重量: - kg
 燃料タンク容量: - ℓ
 ブレーキキャリパー: - 
 ブレーキディスク・パッド:AP、ヒトコ
 サスペンション:フロント プッシュロッド
                                    リヤ    プッシュロッド
 ホイール:BBS
 タイヤ:グッドイヤー

《エンジン》
 フォードZETEC-R
 V型10気筒・バンク角72度
 排気量:2,998cc(推定)
 最高回転数: - rpm(非公開)
 最大馬力: - 馬力(非公開)
 スパークプラグ:チャンピオン
 燃料・潤滑油:エルフ・テキサコ

前年025と同じフォード製ではあるものの、V8からV10のZETEC-Rに換装してようやくフォード直営のスチュワートと揃えられました。

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《ドライバー》
 No.20 リカルド・ロセット(一応、全戦)
 No.21 高木虎之介    (全戦)

《戦績》
 0ポイント コンストラクター - 位
 (8位1回、9位2回、11位1回、12位3回ほか)
 ポールポジション0回

97年から中嶋悟が「ティレル2000」というプロジェクトに参加し、愛弟子である高木虎之介をテストドライバーからのレギュラーシート獲得に成功しています。また98年にイギリスのタバコメーカー「ブリティッシュ・アメリカン・タバコ」いわゆるBATに買収され、創始者ケン・ティレルは代表を退任、後任にクレイグ・ポロックが就任しました。そのポロックは継続しようとしていたJ・フェルスタッペンに代えて、大口スポンサーを持つロセットを起用したため、不満を持ったティレルはチームを離れるという「ティレル」というチーム名こそ残されつつも、事実上の終焉を迎えました。現在のアルファロメオとP・ザウバーの関係とは比較にならないくらい、残念な名門の終焉です。
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当時の日本最速ドライバーと言われた高木と不足を工夫で乗り切るマシンをもってしても一筋縄ではいきませんでした。高木はF1デビュー戦オーストラリアGPで予選13番手を獲得して以降、16戦全戦で予選通過をしてみせますが、10位台後半から20位台をさまよう苦しい内容が続きました。一方で急遽相方となったロセットはスペイン、モナコ、ベルギー、日本の4GPでポールポジションから107%以上のタイムで予選落ちと高木のチームメイトどころか「F1ドライバーとしての資質」が足りず、ミナルディと最下位を争うところにまで低迷してしまいます。
ライバルも模倣する「頼りのXウィング」は第3戦アルゼンチンGPでザウバーのアレジがピットでホースを引っ掛けて脱落する事故を起こします。外見の醜さからも第5戦スペインGPで使用禁止が下り、排除を強いられた026はマシンそのものが成立しなくなってしまいました。自分のチームがきっかけではないアクシデントに巻き込まれる形で「オリジナルのアイデア」潰されて苦戦し、まさに踏んだり蹴ったりです。
結局高木の予選最高位は開幕戦オーストラリアGPと第3戦アルゼンチンGPの13番手、決勝最高位は第9戦イギリスGPと第14戦イタリアGPの9位となり、入賞圏内フィニッシュならず。ロセットは予選落ち4回、予選最上位は18番手2回、決勝は第7戦カナダGPで8位完走がチームの最上位となりました。高木の母国初凱旋となる最終戦日本GPではミナルディのトゥエロにカシオトライアングルでさされてクラッシュ。
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最後の最後まで悔しい思いをしたのを今でもよく覚えています。
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この026をもって29年続いたF1参戦の歴史に幕を閉じました。チームを立ち上げるや否やJ・スチュワートによる戴冠、異端の6輪車をも輩出し、晩年は水タンク事件による失格からの失落や資金繰りに苦労し、テールエンダーにまで落ちたケン・ティレル。チームを離れた2年後に膵臓がんのためこの世を去りました。乗っ取られたB・A・R以降のホンダワークス復活、ブラウンGPでの驚きチャンピオン、そしてメルセデスワークスでの最強時代にまで発展する系譜に関わったティレルは今のF1をどう見守っていることでしょう。

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前回に続いて、中嶋悟シリーズをもう一本。今回は1991年に放映された日本信販グループ(現 三菱UFJニコス)のCMです。F1は世界を転戦する「走る広告塔」であり、前のEPSONやPIAAと同時期のものですから、いかに当時のF1と日本企業の関わりが濃かったか、また「F1のスポンサーをしている」ことにインパクトがあったかが伺えますね。
日本信販といえば「赤地に白のC」が目印の信販会社、いわゆるクレジットカードの会社です。この旧社名だけでは今の若い方には馴染みが少ないかもしれませんが「ニコス」「ミリオンカード」「DCカード」といった方が通じやすいかもしれません。ニコスは田村正和やナインティナインが、ミリオンカードは高嶋政宏、DCカードは中井貴一が「カッパとたぬき」のコンビでコミカルなCMを長らくシリーズ化してやっていましたよね。今ではそれらカードと同じ会社になります。現社名の通り、三菱UFJ銀行系のクレジットカード会社。miyabikunもいくつかクレジットカードを持っていますが、財布を見たけどココのは持っていなかった。さらには三菱UFJ銀行の口座も避けていたわけではないが開設していなかった。
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そうですね。中嶋悟の乗るティレル020のコクピット前部とリヤウィング翼端板にデカデカとロゴがありましたね。前年019も同様に入っていました。
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あとココ。サイドポンツーン開口上部にもさり気なくNippon Shinpanの文字。こちらが当時の正式名称ですね。ちゃんとスポンサードですよと文字情報が入っています。信用問題が大切な会社です。嘘、偽りございません!
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特に中嶋悟のことは紹介されていませんが、当時のF1といえば中嶋悟、特別な説明は不要です。信用して下さい。
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市街地サーキットをバックにひたすらグループ会社の名前が続々と紹介されています。日立グループや東芝グループにも似ていますね。結構なスピードでロールされているため、とても読み上げるには困難です。とにかくとにかく、たくさんの会社で日本信販は成り立っています。
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We are a borderless company.

「私達は国境なき会社です」

CM内のしっとりとしたナレーションにもある通り、F1は世界を股にかけ戦うモータースポーツ。日本信販も世界を股にかけビジネスシーンや買い物を楽しめる便利なカード、というわけです。

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もう一つのバージョンです。中嶋悟の前にチラつくNICOSカード。F1色よりも自社商品が前に出てきました。こらこらっダメですよ、またEPSONに目を取られては。今回は日本信販のCMですからね!

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マクラーレンの前を走るティレル中嶋。同一周回か周回遅れかは、お楽しみ。

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あ、今BRAUNに目を取らた方、ダメですよ!今回は日本信販!

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こちらも先程と同様にグループ企業の名がズラりと続きます。miyabikun本職のお勤め先にもグループ会社が多くあるのですが、実のところ全てを覚えていないし、一字違いの会社名があったり、一体何を扱う会社なのか分からず仕事をしています。知れば「え、何でこんなものを扱ってるの?!」なんてのもあると思います。吸収したり統廃合されると、よく分からなくなってしまいますね。

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今回の〆言葉は「世界で会いましょう。」です。カード会社も系列や派閥みたいなものがあってたまーに「申し訳ございません、当店は◯◯のクレジットカードのみのお取り扱いでございます」というケースもありますね。カッコつけても一気に台無しになってしまいます。ゴールデンウィークは特に外出先や高額な買い物をして、クレジットカードを使う機会も多いと思います。くれぐれも入口やレジの前で使用可能なカード会社を確認の上、お買い物を楽しみましょう。

https://youtu.be/mzbpj1Izdl8

https://youtu.be/WdRqhGfG2gQ


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今回のCMシリーズは中嶋悟。2回目のノミネートです。中嶋悟のスポンサーを連想すると、必ず登場するのがPIAA(ピア)1990年と91年のものをご紹介します。
90年版はショパンが作曲したピアノ曲「別れの曲」が採用され、シックに仕立てられています。このマシンは前年89年型ティレル018の90年塗色ですね。
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ノーズ先端付近とエアインテーク側部にロゴが入っています。こんな感じで
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EPSON、じゃなかったPIAAです(笑)でもジャンパーやトレーナーでよく見かけるPIAAって、一体何の会社なの?!ご存知でない方も多いと思います。今では市販車で当たり前となった「電動ドアミラー」を世界初で開発したカーアクセサリーメーカーの市光工業から1963年に分社化され、ライトやホイール、ミラー、ワイパーなどを取り扱う日本のカーアクセサリーメーカーです。車には必要不可欠なものばかりですね。好んで使われている方もいらっしゃると思います。また、アウトドアや商用で車をお使いの方はTERZO(テルッツォ)というカーキャリアをご存知だと思います。こちらもPIAAの製品です。
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文字はほとんど出てこない。中嶋悟を中心としたF1シーンをモノトーンで映していきます。カッコいいですね。
「せがれ2人は今、このくらいか?」
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「上は大きくなったー、下はえー、このくらい」
そんなわけないか(笑)90年当時、長男の一貴は5歳、次男の大祐が1歳です。2人とも父の背中を見て育ちましたね。頑張るパパをPIAAは応援しています。
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続いて91年版です。BGMは日本を代表するサックス奏者のMALTAによるもの。
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こちらのマシンはティレル020ですね。カラーリングが白黒に変更されています。
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おじさんも剃り残しが気になる?!リヤウィングやエンジンカバーには大人男子がお世話になるシェーバーBRAUN
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コクピット横はいつものEPSON。あれ、それでは今回の主役のPIAAはいずこに?!
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ノーズにちょこっと。カメラ割りがロゴではなく「カーナンバー3」中心という。
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PIAAは一時期アパレル事業も展開していました。たまに街で見かけると「この人、中嶋悟のファンなのかな」なんて想像したことがあります。本当の狙いはその逆なんだけど、CMはそれでいいんですよね。今のF1のアパレルといえば、メルセデスも愛用するちゃまのところのトミー・ヒルフィガーかな。
https://youtu.be/7X3qOtP-a3E
https://youtu.be/fZlz0U66U64

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名門チームを見ていく企画は今回10チーム目のティレルです。ティレルは1970年にケン・ティレルがマトラから枝分かれしたプライベートチームです。ティレルは以前に「若手育成チーム」としても取り扱ったこともあり、概要はそちらにある程度書いているので、今回は割愛しちゃおうかな(笑)よかったら1年半前のネタと併せてご覧下さい。

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ティレル
    初参戦          :1970年第11戦カナダGP
    最終参戦       :1998年第16戦日本GP
    参戦年数       :29年 / 68年 ※
    チーム参戦数:430戦 / 976戦 ※
    ドライバー数:47人 / 814人 ※
    優勝獲得数    :23勝 / 430戦 ※
    表彰台獲得数:77回 / 430戦 ※
    ポールポジション獲得数:14回 / 430戦 ※
    ドライバーズチャンピオン:2回 / 29年 ※
    コンストラクターズチャンピオン:1回 / 29年 ※
    ※各チーム横並びにするためデータは2017年終了時
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コンストラクターズランキングをグラフでみると、1971年をサミットに見事な右肩下がりです。チーム設立当初にチームのエース、スチュワートが勢力そのままに結果を残し、いきなりのチャンピオンチームとなりました。以降もスチュワートは73年にドライバーズチャンピオンを獲得しますが、ロータス率いるE・フィッティパルディとピーターソンのコンビに破れて2度目のチャンピオンは空振りに終わりました。
またチームは98年まで存続するもグラフは84年に一度途切れています。これは以前にも書いた「水タンク事件」によるコンストラクターズポイント剥奪があったためです。97年のM・シューマッハや07年のマクラーレンなどと同様に違反によってそのシーズン全てが「無かったこと」になってしまうという厳しい裁定が下りました。

《エントリー数 上位10位》
  1   80戦 P・ドゥパイエ       10pts
  2   64戦 片山右京                  9pts
  3   50戦 M・サロ                   8pts
  4   49戦 M・アルボレート     7pts
  5   48戦 J・パーマー(父)  6pts
  6   45戦 J・シェクター         5pts
  7   41戦 M・ブランドル        4pts
  8   40戦 J・スチュワート     3pts ★
  9   38戦 F・セベール            2pts
10   33戦 P・ストレイフ        1pt

今までもいくつか現存しないチームを取り扱ってきましたが、チーム消滅からさほど遠いわけでは無いものの、現役所属ドライバーを示す◯マーク、ならびに現所属を示す●マークはありません。チーム消滅は1998年ですから、現役最古参である2001年デビューのアロンソ、ライコネンもカスリもしませんでした。残念ながらこうして段々名門消滅から時が経ち、若いF1ファンからますます薄れてしまうのでしょう。
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ティレル所属ドライバーの特徴は過去にも取り上げたことがある「若手を起用し、強豪チームにステップアップする登竜門」であるとともに「日本人ドライバーを多く起用する」点です。エントリー数で見事2位にノミネートされた片山右京をはじめ、高橋国光、星野一義、中嶋悟、高木虎之介とスポット参戦者を含めた20人のうち5人がティレルでドライブしています。日本人が多く乗る時期はティレルはいわば「テールエンダー」をなしており名門には程遠いチームではありますが、プライベーターならではのタイアップ、スポンサーの関係もありますが、このようなチームは「カネとコネでガチガチ」のF1においては貴重な存在です。
1位のP・ドゥパイエはチーム初期に携わったドライバーです。下位カテゴリーでの実績を買われ、72年にサードドライバーに起用、スポット参戦を果たします。F1に参戦する傍ら下位カテゴリーも並行して参戦してF1でも優勝と多くの表彰台を挙げるなど将来を嘱望されますが、なかなかチャンピオン争いまでは絡めずに78年シーズンをもってティレルからリジェに移籍、80年にドライブしたアルファロメオのドイツGP前テストによりこの世を去っています。ドゥパイエもティレルから旅立ち、さらなる飛躍を目指していただけに惜しい存在でした。

《ポールポジション数》
  1   12回 J・スチュワート    10pts ★
  2     1回 J・シェクター         9pts
               P・ドゥパイエ          9pts

《ポールポジション率》
  1 30.0% J・スチュワート   10pts ★
  2   2.2% J・シェクター        9pts
  3   1.3% P・ドゥパイエ        8pts

ティレルでのポールポジション獲得者は3人に絞られます。1人ずば抜けたレジェンドはさておき、ドゥパイエと並ぶ貴重な1回を獲得したシェクターはドゥパイエと同じ時期にタッグを組んだ1人です。この後出てくる優勝は4回を数え、77年にウルフ、79年にはフェラーリへ移籍。移籍初年にG・ヴィルヌーブと勝利を重ねてチャンピオンを獲得しています。こちらは無事にステップアップを遂行できました。
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《優勝回数》
  1   15回 J・スチュワート   10pts ★
  2     4回 J・シェクター        9pts
  3     2回 M・アルボレート   8pts
  4     1回 F・セベール           7pts
               P・ドゥパイエ        7pts

《優勝率》
  1 37.5% J・スチュワート   10pts ★
  2   8.9% J・シェクター        9pts
  3   4.1% M・アルボレート    8pts
  4   2.6% F・セベール            7pts
  5   1.3% P・ドゥパイエ        6pts

優勝はポールポジションより多い5人となっています。アルボレートとセベールの2人が追加されました。フェラーリの創始者エンツォ・フェラーリから溺愛され、アスカリに次ぐ「フライング・ミラン」と評されたアルボレートはフェラーリドライバーで記憶されている方も多いと思います。アルボレートもティレルで優勝2回を獲得してうまく巣立っていきました。ただしフェラーリを駆る84〜88年はマクラーレンやウィリアムズが強く、優勝や表彰台を積み重ねるもチャンピオン争いには至れず。晩年は下位チームで過ごす形となり94年のミナルディを最後にF1引退、そして2001年のル・マン24時間レースに向けたテスト中に44歳の若さで事故死しています。

《表彰台回数》
  1   20回 J・スチュワート    10pts ★
  2   17回 P・ドゥパイエ         9pts
  3   14回 J・シェクター         8pts
  4   13回 F・セベール             7pts
  5     4回 M・アルボレート    6pts
  6     2回 D・ピローニ            5pts
               J・P・ジャリエ       5pts
               J・アレジ                 5pts
  9     1回 R・ピーターソン     2pts
               M・ブランデル        2pts
               S・モデナ                2pts

《表彰台率》
  1 50.0% J・スチュワート   10pts ★
  2 34.2% F・セベール            9pts
  3 31.1% J・シェクター        8pts
  4 21.3% P・ドゥパイエ        7pts
  5   8.3% J・アレジ               6pts
  6   8.2% M・アルボレート   5pts
  7   7.4% J・P・ジャリエ      4pts
  8   6.5% D・ピローニ           3pts
  9   6.3% R・ピーターソン    2pts
                S・モデナ               2pts
                M・ブランデル       2pts

表彰台20回で1位のスチュワートは20回と一見少なくもみえますが、表彰台率50%と高水準です。さっきの優勝回数と合わせて見ると、表彰台20回のうち15回が優勝、2位4回、3位1回という一般的な例からみたら真逆の戦績となっています。71年シーズンは驚異的で、全11戦中6回の優勝と7回の表彰台、リタイヤ2回ともはや優勝(表彰台)かリタイヤかのどちらかという驚異的かつメリハリある内容でした。ティレルとスチュワートのコンビがガッチリ決まった瞬間です。
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そのティレルとスチュワートのそばには若きフランス人のセベールがいました。F1ですでに名声を得ていたスチュワートに対してもF2で食らいつく走りをするセベールを気に入り、即F1引き抜き。スチュワートが優勝するレースは確実に2位を獲得し、デビュー2年目の71年のワトキンスグレンでの最終戦アメリカGPで早くも優勝に輝きます。以降もスチュワートの傍らでキャリアアップを続けた73年のワトキンスグレンでの最終戦アメリカGPで予選中にクラッシュ。期待の若手の衝撃的な死を目の当たりにしたショックは大きく、スチュワートはその100戦目のメモリアルレースを辞退、そのままF1も引退を決意し、以降事故に関して辛辣な意見を持つようになりました。
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《ドライバーズチャンピオン》
  1971年 J・スチュワート 6勝 / 11戦 10pts ★
  1973年 J・スチュワート 5勝 / 15戦 10pts ★

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《ティレル オブ ティレル ランキング》
  1 83pts J・スチュワート ★★
  2 57pts J・シェクター
  3 56pts P・ドゥパイエ
  4 34pts M・アルボレート
  5 32pts F・セベール
  6 11pts J・アレジ
  7   9pts J・P・ジャリエ
       9pts 片山右京
  9   8pts D・ピローニ
       8pts M・サロ

ティレルの栄光は「スチュワート」にある。仮にチャンピオンにならずとも、結果は歴然としています。
スチュワートはチーム設立当初が最も脂の乗り切っていた時期であり、チーム内の不幸があったことでそのエースは失えど、以降のチームは若手育成にも注力してシェクターやピローニ、アルボレート、アレジなどを成長させてトップチームに送り込む「登竜門」的な存在を確立。さらには76年にはノーズに「たいれる」でお馴染みの異端車P34、以前にネタで取り扱ったこともある現在のF1の原型といえる90年019のハイノーズを送り込んでくるなど、ユニークな一面もありました。そんな貴重な存在も晩年テールエンダーまで落ち込み、静かにフェードアウトするかの如くB・A・Rに飲み込まれて消滅ともの寂しい名門の末路を迎えています。近年もプライベーターのチーム存続についてチーム格差や資金繰りなどが話題になっていますよね。名門チームだったとしても明日は我が身、弱肉強食のF1界での永続は簡単なことではありません。
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歴代優勝数の多い順に見ていきましたが、このティレル以下は20勝以下となり、比較するにはサンプル数が少ないためあまり形になりませんので今回がこの企画の最終回となります。ここまでデータが揃えば、好き嫌いやひいき無しで数値化した「ミスターF1ドライバーは誰か」も導き出せそうですね。

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1990年開幕戦アメリカGPはフェニックス市街地です。あれ、1990年のティレルはハイノーズの019なはず、、開幕戦と第2戦までは前作018でのエントリーでした。カーナンバー3の中嶋車もまだローノーズです。ティレルはこの開幕戦を目前に急遽グッドイヤーからピレリにタイヤをチェンジしています。せめてテスト期間前に試走をしたいところですが、いきなりのタイヤ変更は大丈夫でしょうか。またこのシーズンからベテランの中嶋悟を起用しています。2年目となる若いJ・アレジはケツならぬ、目が青い。

フェニックスは砂漠の中に忽然と設けられた都市で、比較的雨が少ない地区です。しかし予選2日目に雨となりタイム更新が出来ずに1日目のタイムで順位が決まって、若干荒れ模様。ピケ、プロスト、セナ、マンセルらの四天王を差し置いてミナルディのマルティニやダラーラの「壊し屋」チェザリス、そしてティレルのアレジが上位を連ねました。


《予選結果》
   1 G・ベルガー(マクラーレン・H・GY)
   2 P・マルティニ(ミナルディ・Fo・PI)
   3 A・デ・チェザリス(ダラーラ・Fo・PI)
     ※Foはフォード、GYはグッドイヤー、PIはピレリ

決勝に雨は上がったものの、普段は暖かいフェニックスは雲に覆われ、気温は低い状態でスタートを迎えます。
ポールのベルガーは念のため2番手のマルティニを警戒し、アウト側に思い切りマシンを持っていきます。マルティニは出鼻をくじかれ、イン側走行を採る形であれよあれよと後方に追いやれど、4番手スタートのアレジにとっては前方が開けて好都合。直角右のターン1のインをついて一気にトップを獲ることに成功します。
ベルガー、脇が甘い。

2周目でアレジはぐんぐん逃げて名門マクラーレンとのギャップをつけ始めています。この頃は中堅位置を強いられているティレルも一応名門です。それも2年目のアレジが絶好のチャンスと得ました。予選は雨に翻弄されたセナがチェザリスをかわして3位に浮上しようが、8周目になってもアレジはベルガーと一定のギャップを保てています。
フェニックスは市街地サーキット故に路面は決してよくありません。ベルガーは単独でタイヤバリヤに接触し、格下チームの若手を脅かす前に戦線離脱。ベルガーはこの後ピットに寄りコース復帰していますが、損傷もあってリタイヤで終えています。こうなるとアレジの背後に迫るのはベルガーとは二味くらい違うセナです。アレジの勝負はココから!
1989年は鈴鹿での「あれ」があった後にチャンピオンを得たフェラーリのプロストもイマイチ奮いません。いち早く導入したセミオートマがウィリアムズを駆るブーツェンとの攻防にて故障し、白煙を吐きながらズルズル交代していきます。アレジが頑張るなら俺でもできると中嶋も弱るチャンピオンを確実にさばいて順位を8位としています。この時代はまだ入賞圏外、その調子であと一踏ん張り!

周回遅れも出始めた33周目にいよいよセナがアレジの背後に迫ります。右コーナーをセナがインからアレジをさす!
続く左コーナーで空いたインにアレジが差し返す。
アレジが前です。格好のチャンスをアレジもそう易々とは失えません。笑いが止まらないケン・ティレル。
35周目は周回遅れの真後ろにアレジ、その真後ろにセナ
再び右コーナーをインから
今回は続く左コーナーのインラインを閉めています。それでもアレジはインから
セナが耐えしのぎました。アレジはココまで。でも接触もなく非常に白熱したバトルが市街地サーキットで見ることができました。
アレジは大健闘、では中嶋先輩は?!
ちゃんと入賞圏内の6位に入れてきました。マンセルもプロスト同様にトランスミッションの不調からのエンジンブローで終え、上位が離脱するチャンスを中嶋もしっかり押さえることができました。
《決勝結果》
   1 A・セナ(マクラーレン・H・GY)
   2 J・アレジ(ティレル・Fo・PI)
   3 T・ブーツェン(ウィリアムズ・R・GY)

アレジを振り返ると必ず出てくるこのレースもれっきとした名レースの一つ。番狂わせのあった予選とはいえ、スタートダッシュを成功させて、セナとバトルしたアレジは第4戦モナコGPもセナに続く2位を獲得して、翌1991年にプロストと並ぶフェラーリドライバーに抜擢されました。優勝はセナでも、このレースの主役は間違いなくアレジ。

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