F1 えきぞーすとのーと

よくあるニュースネタやこ難しいテクニカルな話ではなく、メインは予選や決勝のTV観戦したそのものを個人的観点から綴るF1ブログです。  また、懐かしのマシンやレースを振り返ったり、記録やデータからF1を分析。その他ミニカーやグッズ集めも好きなので、それらを絡めつつ広く深くアツくF1の面白さやすごさを発信し、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

タグ:ティレル

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前回に続いて、中嶋悟シリーズをもう一本。今回は1991年に放映された日本信販グループ(現 三菱UFJニコス)のCMです。F1は世界を転戦する「走る広告塔」であり、前のEPSONやPIAAと同時期のものですから、いかに当時のF1と日本企業の関わりが濃かったか、また「F1のスポンサーをしている」ことにインパクトがあったかが伺えますね。
日本信販といえば「赤地に白のC」が目印の信販会社、いわゆるクレジットカードの会社です。この旧社名だけでは今の若い方には馴染みが少ないかもしれませんが「ニコス」「ミリオンカード」「DCカード」といった方が通じやすいかもしれません。ニコスは田村正和やナインティナインが、ミリオンカードは高嶋政宏、DCカードは中井貴一が「カッパとたぬき」のコンビでコミカルなCMを長らくシリーズ化してやっていましたよね。今ではそれらカードと同じ会社になります。現社名の通り、三菱UFJ銀行系のクレジットカード会社。miyabikunもいくつかクレジットカードを持っていますが、財布を見たけどココのは持っていなかった。さらには三菱UFJ銀行の口座も避けていたわけではないが開設していなかった。
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そうですね。中嶋悟の乗るティレル020のコクピット前部とリヤウィング翼端板にデカデカとロゴがありましたね。前年019も同様に入っていました。
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あとココ。サイドポンツーン開口上部にもさり気なくNippon Shinpanの文字。こちらが当時の正式名称ですね。ちゃんとスポンサードですよと文字情報が入っています。信用問題が大切な会社です。嘘、偽りございません!
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特に中嶋悟のことは紹介されていませんが、当時のF1といえば中嶋悟、特別な説明は不要です。信用して下さい。
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市街地サーキットをバックにひたすらグループ会社の名前が続々と紹介されています。日立グループや東芝グループにも似ていますね。結構なスピードでロールされているため、とても読み上げるには困難です。とにかくとにかく、たくさんの会社で日本信販は成り立っています。
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We are a borderless company.

「私達は国境なき会社です」

CM内のしっとりとしたナレーションにもある通り、F1は世界を股にかけ戦うモータースポーツ。日本信販も世界を股にかけビジネスシーンや買い物を楽しめる便利なカード、というわけです。

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もう一つのバージョンです。中嶋悟の前にチラつくNICOSカード。F1色よりも自社商品が前に出てきました。こらこらっダメですよ、またEPSONに目を取られては。今回は日本信販のCMですからね!

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マクラーレンの前を走るティレル中嶋。同一周回か周回遅れかは、お楽しみ。

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あ、今BRAUNに目を取らた方、ダメですよ!今回は日本信販!

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こちらも先程と同様にグループ企業の名がズラりと続きます。miyabikun本職のお勤め先にもグループ会社が多くあるのですが、実のところ全てを覚えていないし、一字違いの会社名があったり、一体何を扱う会社なのか分からず仕事をしています。知れば「え、何でこんなものを扱ってるの?!」なんてのもあると思います。吸収したり統廃合されると、よく分からなくなってしまいますね。

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今回の〆言葉は「世界で会いましょう。」です。カード会社も系列や派閥みたいなものがあってたまーに「申し訳ございません、当店は◯◯のクレジットカードのみのお取り扱いでございます」というケースもありますね。カッコつけても一気に台無しになってしまいます。ゴールデンウィークは特に外出先や高額な買い物をして、クレジットカードを使う機会も多いと思います。くれぐれも入口やレジの前で使用可能なカード会社を確認の上、お買い物を楽しみましょう。

https://youtu.be/mzbpj1Izdl8

https://youtu.be/WdRqhGfG2gQ


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今回のCMシリーズは中嶋悟。2回目のノミネートです。中嶋悟のスポンサーを連想すると、必ず登場するのがPIAA(ピア)1990年と91年のものをご紹介します。
90年版はショパンが作曲したピアノ曲「別れの曲」が採用され、シックに仕立てられています。このマシンは前年89年型ティレル018の90年塗色ですね。
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ノーズ先端付近とエアインテーク側部にロゴが入っています。こんな感じで
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EPSON、じゃなかったPIAAです(笑)でもジャンパーやトレーナーでよく見かけるPIAAって、一体何の会社なの?!ご存知でない方も多いと思います。今では市販車で当たり前となった「電動ドアミラー」を世界初で開発したカーアクセサリーメーカーの市光工業から1963年に分社化され、ライトやホイール、ミラー、ワイパーなどを取り扱う日本のカーアクセサリーメーカーです。車には必要不可欠なものばかりですね。好んで使われている方もいらっしゃると思います。また、アウトドアや商用で車をお使いの方はTERZO(テルッツォ)というカーキャリアをご存知だと思います。こちらもPIAAの製品です。
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文字はほとんど出てこない。中嶋悟を中心としたF1シーンをモノトーンで映していきます。カッコいいですね。
「せがれ2人は今、このくらいか?」
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「上は大きくなったー、下はえー、このくらい」
そんなわけないか(笑)90年当時、長男の一貴は5歳、次男の大祐が1歳です。2人とも父の背中を見て育ちましたね。頑張るパパをPIAAは応援しています。
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続いて91年版です。BGMは日本を代表するサックス奏者のMALTAによるもの。
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こちらのマシンはティレル020ですね。カラーリングが白黒に変更されています。
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おじさんも剃り残しが気になる?!リヤウィングやエンジンカバーには大人男子がお世話になるシェーバーBRAUN
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コクピット横はいつものEPSON。あれ、それでは今回の主役のPIAAはいずこに?!
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ノーズにちょこっと。カメラ割りがロゴではなく「カーナンバー3」中心という。
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PIAAは一時期アパレル事業も展開していました。たまに街で見かけると「この人、中嶋悟のファンなのかな」なんて想像したことがあります。本当の狙いはその逆なんだけど、CMはそれでいいんですよね。今のF1のアパレルといえば、メルセデスも愛用するちゃまのところのトミー・ヒルフィガーかな。
https://youtu.be/7X3qOtP-a3E
https://youtu.be/fZlz0U66U64

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名門チームを見ていく企画は今回10チーム目のティレルです。ティレルは1970年にケン・ティレルがマトラから枝分かれしたプライベートチームです。ティレルは以前に「若手育成チーム」としても取り扱ったこともあり、概要はそちらにある程度書いているので、今回は割愛しちゃおうかな(笑)よかったら1年半前のネタと併せてご覧下さい。

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ティレル
    初参戦          :1970年第11戦カナダGP
    最終参戦       :1998年第16戦日本GP
    参戦年数       :29年 / 68年 ※
    チーム参戦数:430戦 / 976戦 ※
    ドライバー数:47人 / 814人 ※
    優勝獲得数    :23勝 / 430戦 ※
    表彰台獲得数:77回 / 430戦 ※
    ポールポジション獲得数:14回 / 430戦 ※
    ドライバーズチャンピオン:2回 / 29年 ※
    コンストラクターズチャンピオン:1回 / 29年 ※
    ※各チーム横並びにするためデータは2017年終了時
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コンストラクターズランキングをグラフでみると、1971年をサミットに見事な右肩下がりです。チーム設立当初にチームのエース、スチュワートが勢力そのままに結果を残し、いきなりのチャンピオンチームとなりました。以降もスチュワートは73年にドライバーズチャンピオンを獲得しますが、ロータス率いるE・フィッティパルディとピーターソンのコンビに破れて2度目のチャンピオンは空振りに終わりました。
またチームは98年まで存続するもグラフは84年に一度途切れています。これは以前にも書いた「水タンク事件」によるコンストラクターズポイント剥奪があったためです。97年のM・シューマッハや07年のマクラーレンなどと同様に違反によってそのシーズン全てが「無かったこと」になってしまうという厳しい裁定が下りました。

《エントリー数 上位10位》
  1   80戦 P・ドゥパイエ       10pts
  2   64戦 片山右京                  9pts
  3   50戦 M・サロ                   8pts
  4   49戦 M・アルボレート     7pts
  5   48戦 J・パーマー(父)  6pts
  6   45戦 J・シェクター         5pts
  7   41戦 M・ブランドル        4pts
  8   40戦 J・スチュワート     3pts ★
  9   38戦 F・セベール            2pts
10   33戦 P・ストレイフ        1pt

今までもいくつか現存しないチームを取り扱ってきましたが、チーム消滅からさほど遠いわけでは無いものの、現役所属ドライバーを示す◯マーク、ならびに現所属を示す●マークはありません。チーム消滅は1998年ですから、現役最古参である2001年デビューのアロンソ、ライコネンもカスリもしませんでした。残念ながらこうして段々名門消滅から時が経ち、若いF1ファンからますます薄れてしまうのでしょう。
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ティレル所属ドライバーの特徴は過去にも取り上げたことがある「若手を起用し、強豪チームにステップアップする登竜門」であるとともに「日本人ドライバーを多く起用する」点です。エントリー数で見事2位にノミネートされた片山右京をはじめ、高橋国光、星野一義、中嶋悟、高木虎之介とスポット参戦者を含めた20人のうち5人がティレルでドライブしています。日本人が多く乗る時期はティレルはいわば「テールエンダー」をなしており名門には程遠いチームではありますが、プライベーターならではのタイアップ、スポンサーの関係もありますが、このようなチームは「カネとコネでガチガチ」のF1においては貴重な存在です。
1位のP・ドゥパイエはチーム初期に携わったドライバーです。下位カテゴリーでの実績を買われ、72年にサードドライバーに起用、スポット参戦を果たします。F1に参戦する傍ら下位カテゴリーも並行して参戦してF1でも優勝と多くの表彰台を挙げるなど将来を嘱望されますが、なかなかチャンピオン争いまでは絡めずに78年シーズンをもってティレルからリジェに移籍、80年にドライブしたアルファロメオのドイツGP前テストによりこの世を去っています。ドゥパイエもティレルから旅立ち、さらなる飛躍を目指していただけに惜しい存在でした。

《ポールポジション数》
  1   12回 J・スチュワート    10pts ★
  2     1回 J・シェクター         9pts
               P・ドゥパイエ          9pts

《ポールポジション率》
  1 30.0% J・スチュワート   10pts ★
  2   2.2% J・シェクター        9pts
  3   1.3% P・ドゥパイエ        8pts

ティレルでのポールポジション獲得者は3人に絞られます。1人ずば抜けたレジェンドはさておき、ドゥパイエと並ぶ貴重な1回を獲得したシェクターはドゥパイエと同じ時期にタッグを組んだ1人です。この後出てくる優勝は4回を数え、77年にウルフ、79年にはフェラーリへ移籍。移籍初年にG・ヴィルヌーブと勝利を重ねてチャンピオンを獲得しています。こちらは無事にステップアップを遂行できました。
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《優勝回数》
  1   15回 J・スチュワート   10pts ★
  2     4回 J・シェクター        9pts
  3     2回 M・アルボレート   8pts
  4     1回 F・セベール           7pts
               P・ドゥパイエ        7pts

《優勝率》
  1 37.5% J・スチュワート   10pts ★
  2   8.9% J・シェクター        9pts
  3   4.1% M・アルボレート    8pts
  4   2.6% F・セベール            7pts
  5   1.3% P・ドゥパイエ        6pts

優勝はポールポジションより多い5人となっています。アルボレートとセベールの2人が追加されました。フェラーリの創始者エンツォ・フェラーリから溺愛され、アスカリに次ぐ「フライング・ミラン」と評されたアルボレートはフェラーリドライバーで記憶されている方も多いと思います。アルボレートもティレルで優勝2回を獲得してうまく巣立っていきました。ただしフェラーリを駆る84〜88年はマクラーレンやウィリアムズが強く、優勝や表彰台を積み重ねるもチャンピオン争いには至れず。晩年は下位チームで過ごす形となり94年のミナルディを最後にF1引退、そして2001年のル・マン24時間レースに向けたテスト中に44歳の若さで事故死しています。

《表彰台回数》
  1   20回 J・スチュワート    10pts ★
  2   17回 P・ドゥパイエ         9pts
  3   14回 J・シェクター         8pts
  4   13回 F・セベール             7pts
  5     4回 M・アルボレート    6pts
  6     2回 D・ピローニ            5pts
               J・P・ジャリエ       5pts
               J・アレジ                 5pts
  9     1回 R・ピーターソン     2pts
               M・ブランデル        2pts
               S・モデナ                2pts

《表彰台率》
  1 50.0% J・スチュワート   10pts ★
  2 34.2% F・セベール            9pts
  3 31.1% J・シェクター        8pts
  4 21.3% P・ドゥパイエ        7pts
  5   8.3% J・アレジ               6pts
  6   8.2% M・アルボレート   5pts
  7   7.4% J・P・ジャリエ      4pts
  8   6.5% D・ピローニ           3pts
  9   6.3% R・ピーターソン    2pts
                S・モデナ               2pts
                M・ブランデル       2pts

表彰台20回で1位のスチュワートは20回と一見少なくもみえますが、表彰台率50%と高水準です。さっきの優勝回数と合わせて見ると、表彰台20回のうち15回が優勝、2位4回、3位1回という一般的な例からみたら真逆の戦績となっています。71年シーズンは驚異的で、全11戦中6回の優勝と7回の表彰台、リタイヤ2回ともはや優勝(表彰台)かリタイヤかのどちらかという驚異的かつメリハリある内容でした。ティレルとスチュワートのコンビがガッチリ決まった瞬間です。
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そのティレルとスチュワートのそばには若きフランス人のセベールがいました。F1ですでに名声を得ていたスチュワートに対してもF2で食らいつく走りをするセベールを気に入り、即F1引き抜き。スチュワートが優勝するレースは確実に2位を獲得し、デビュー2年目の71年のワトキンスグレンでの最終戦アメリカGPで早くも優勝に輝きます。以降もスチュワートの傍らでキャリアアップを続けた73年のワトキンスグレンでの最終戦アメリカGPで予選中にクラッシュ。期待の若手の衝撃的な死を目の当たりにしたショックは大きく、スチュワートはその100戦目のメモリアルレースを辞退、そのままF1も引退を決意し、以降事故に関して辛辣な意見を持つようになりました。
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《ドライバーズチャンピオン》
  1971年 J・スチュワート 6勝 / 11戦 10pts ★
  1973年 J・スチュワート 5勝 / 15戦 10pts ★

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《ティレル オブ ティレル ランキング》
  1 83pts J・スチュワート ★★
  2 57pts J・シェクター
  3 56pts P・ドゥパイエ
  4 34pts M・アルボレート
  5 32pts F・セベール
  6 11pts J・アレジ
  7   9pts J・P・ジャリエ
       9pts 片山右京
  9   8pts D・ピローニ
       8pts M・サロ

ティレルの栄光は「スチュワート」にある。仮にチャンピオンにならずとも、結果は歴然としています。
スチュワートはチーム設立当初が最も脂の乗り切っていた時期であり、チーム内の不幸があったことでそのエースは失えど、以降のチームは若手育成にも注力してシェクターやピローニ、アルボレート、アレジなどを成長させてトップチームに送り込む「登竜門」的な存在を確立。さらには76年にはノーズに「たいれる」でお馴染みの異端車P34、以前にネタで取り扱ったこともある現在のF1の原型といえる90年019のハイノーズを送り込んでくるなど、ユニークな一面もありました。そんな貴重な存在も晩年テールエンダーまで落ち込み、静かにフェードアウトするかの如くB・A・Rに飲み込まれて消滅ともの寂しい名門の末路を迎えています。近年もプライベーターのチーム存続についてチーム格差や資金繰りなどが話題になっていますよね。名門チームだったとしても明日は我が身、弱肉強食のF1界での永続は簡単なことではありません。
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歴代優勝数の多い順に見ていきましたが、このティレル以下は20勝以下となり、比較するにはサンプル数が少ないためあまり形になりませんので今回がこの企画の最終回となります。ここまでデータが揃えば、好き嫌いやひいき無しで数値化した「ミスターF1ドライバーは誰か」も導き出せそうですね。

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1990年開幕戦アメリカGPはフェニックス市街地です。あれ、1990年のティレルはハイノーズの019なはず、、開幕戦と第2戦までは前作018でのエントリーでした。カーナンバー3の中嶋車もまだローノーズです。ティレルはこの開幕戦を目前に急遽グッドイヤーからピレリにタイヤをチェンジしています。せめてテスト期間前に試走をしたいところですが、いきなりのタイヤ変更は大丈夫でしょうか。またこのシーズンからベテランの中嶋悟を起用しています。2年目となる若いJ・アレジはケツならぬ、目が青い。

フェニックスは砂漠の中に忽然と設けられた都市で、比較的雨が少ない地区です。しかし予選2日目に雨となりタイム更新が出来ずに1日目のタイムで順位が決まって、若干荒れ模様。ピケ、プロスト、セナ、マンセルらの四天王を差し置いてミナルディのマルティニやダラーラの「壊し屋」チェザリス、そしてティレルのアレジが上位を連ねました。


《予選結果》
   1 G・ベルガー(マクラーレン・H・GY)
   2 P・マルティニ(ミナルディ・Fo・PI)
   3 A・デ・チェザリス(ダラーラ・Fo・PI)
     ※Foはフォード、GYはグッドイヤー、PIはピレリ

決勝に雨は上がったものの、普段は暖かいフェニックスは雲に覆われ、気温は低い状態でスタートを迎えます。
ポールのベルガーは念のため2番手のマルティニを警戒し、アウト側に思い切りマシンを持っていきます。マルティニは出鼻をくじかれ、イン側走行を採る形であれよあれよと後方に追いやれど、4番手スタートのアレジにとっては前方が開けて好都合。直角右のターン1のインをついて一気にトップを獲ることに成功します。
ベルガー、脇が甘い。

2周目でアレジはぐんぐん逃げて名門マクラーレンとのギャップをつけ始めています。この頃は中堅位置を強いられているティレルも一応名門です。それも2年目のアレジが絶好のチャンスと得ました。予選は雨に翻弄されたセナがチェザリスをかわして3位に浮上しようが、8周目になってもアレジはベルガーと一定のギャップを保てています。
フェニックスは市街地サーキット故に路面は決してよくありません。ベルガーは単独でタイヤバリヤに接触し、格下チームの若手を脅かす前に戦線離脱。ベルガーはこの後ピットに寄りコース復帰していますが、損傷もあってリタイヤで終えています。こうなるとアレジの背後に迫るのはベルガーとは二味くらい違うセナです。アレジの勝負はココから!
1989年は鈴鹿での「あれ」があった後にチャンピオンを得たフェラーリのプロストもイマイチ奮いません。いち早く導入したセミオートマがウィリアムズを駆るブーツェンとの攻防にて故障し、白煙を吐きながらズルズル交代していきます。アレジが頑張るなら俺でもできると中嶋も弱るチャンピオンを確実にさばいて順位を8位としています。この時代はまだ入賞圏外、その調子であと一踏ん張り!

周回遅れも出始めた33周目にいよいよセナがアレジの背後に迫ります。右コーナーをセナがインからアレジをさす!
続く左コーナーで空いたインにアレジが差し返す。
アレジが前です。格好のチャンスをアレジもそう易々とは失えません。笑いが止まらないケン・ティレル。
35周目は周回遅れの真後ろにアレジ、その真後ろにセナ
再び右コーナーをインから
今回は続く左コーナーのインラインを閉めています。それでもアレジはインから
セナが耐えしのぎました。アレジはココまで。でも接触もなく非常に白熱したバトルが市街地サーキットで見ることができました。
アレジは大健闘、では中嶋先輩は?!
ちゃんと入賞圏内の6位に入れてきました。マンセルもプロスト同様にトランスミッションの不調からのエンジンブローで終え、上位が離脱するチャンスを中嶋もしっかり押さえることができました。
《決勝結果》
   1 A・セナ(マクラーレン・H・GY)
   2 J・アレジ(ティレル・Fo・PI)
   3 T・ブーツェン(ウィリアムズ・R・GY)

アレジを振り返ると必ず出てくるこのレースもれっきとした名レースの一つ。番狂わせのあった予選とはいえ、スタートダッシュを成功させて、セナとバトルしたアレジは第4戦モナコGPもセナに続く2位を獲得して、翌1991年にプロストと並ぶフェラーリドライバーに抜擢されました。優勝はセナでも、このレースの主役は間違いなくアレジ。

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今日のF1はフロントウィングがノーズコーンから離れて吊り下げる形となり、近年はそのノーズ形状が「ダサい」原因の一つとされています。フロントウィングを微妙に持ち上げてフロントウィングでのグラウンド・エフェクトを狙うマシンは先日取り上げた「マーチ881」がありますが、ガッツリとノーズコーンを持ち上げた先駆けとなったのは、日本でも有名な1990年の「ティレル019」でした。戦績は決していいものとは言えませんが、今にも続くデザインの先駆けとなる名車を今回振り返ります。

《設計》
ハーベイ・ポスルズウェイト
ジャン・クロード・ミジョー

《外見》
自身は当時この頃から本格的にF1観戦し、初めて見たときは色からも「イルカやカモメみたい」という印象でした。以前からフロントノーズの取り付け方やフロントウィング自身の機構を工夫したマシンは見られましたが、ここまでわかりやすく、前衛的な形状をしたものはありませんでした。現代のF1に通じる「ハイノーズ」のハシりです。近年はノーズから前方下面にステーを伸ばして取り付けていますが、このマシンは正面から見てノーズから片側30°ずつ位の傾きでハの字に広がり、低い位置のウィングに取り付き「正三角形」の様な空間があります。ノーズを持ち上げ、気流をマシン中央部でなくサイドポンツーン下付近と路面の隙間に高速に流し、リヤディフューザーで跳ね上げてグラウンドエフェクトを「レギュレーションの隙をつくアイデア」で得ることができます。グラウンドエフェクトは1982年に禁止されてフラットボトムの規定をされていますのであくまで底面は平らで、リヤタイヤ直前からディフューザーで効果を期待しています。フロントウィング断面も当時流行りとなっていた航空機の羽根の様な「アンヘドラルウィング」を採用し、先日のマーチ881と同様に翼端板はタイヤに干渉しない造形です。
またこのマシンは他に気付かれない「秘密の装備」を持っていました。フロントのダンパーに電動のアクチュエーターを取り付け、車高調整が可能で、路面からの衝撃を緩和とフロントノーズからのグラウンドエフェクトを有効活用できるようローリングを抑えることが狙いでした。
車体はシンプルかつスリムでフロントセクションのインパクトや工夫に比べると、特別パンチの利いた機構はなく、基本は前作018を継承しています。

マシンカラーはスポンサーロゴがうるさく入らないシンプルな白と濃紺のツートンカラーでした。ある雑誌に記載がありますが、実はこのカラーリングは「ある大型スポンサー」起用の計画があったためとのこと。
この後にウィリアムズがまとったロスマンズタバコです。こうしてみると、しっくりきていませんか?!なるほどなと最近になって納得しました。結構カッコいい!見てみたかったですね。
スポンサーは中嶋悟といえばセイコーエプソンにPIAA、日本信販とCMでバンバン登場していたやつです。また、ヘルメットにはさり気なくマールボロやエンジン供給していないホンダが中嶋悟だけに入ります。

《エンジン》
フォード コスワースDFR
V型8気筒・バンク角90度
排気量:3,493cc(推定)
最高回転数:11,750rpm(推定)
最大馬力:620馬力(推定)
スパークプラグ:NGK
燃料・潤滑油:エルフ

《シャシー》
全長: - mm
全幅: - mm
全高: - mm
最低車体重量:500kg(ドライバー含む)
燃料タンク容量:190ℓ
ブレーキキャリパー:AP
ブレーキディスク・パッド:AP
ホイール:スピードライン
サスペンション:フロント プッシュロッド
                                 リヤ    プッシュロッド
タイヤ:ピレリ

《ドライバー》019使用は第3〜16戦の14レース
No.3 中嶋悟(全戦)
No.4 ジャン・アレジ(全戦)

《戦績》
16(そのうち9)ポイント コンストラクター5位※
(019のみで2位1回、6位3回ほか)
ポールポジション0回
※前作018も合わせた年間順位で2位1回、6位1回を含む

1990年シーズン全16戦のうち、開幕戦アメリカGPと第2戦ブラジルGPは前作018で出走し、開幕戦でアレジによる2位1回、中嶋の6位1回を獲得しています。第3戦サンマリノGPからこの019を投入して臨むもアレジが2位1回、6位1回以外は入賞ならず5回のリタイヤ。中嶋は6位2回で他はほとんどリタイヤと、結果的になかなかニューマシンの飛躍はみられませんでした。当時のピレリタイヤの特性とのミスマッチもあり、発想イコール結果とはなりませんでした。また、改良を重ねたフォードDFRのパワー不足も否めず、マシン自体の信頼性に泣かされました。
このマシンのクライマックスは投入2戦目となる序盤の第4戦モナコGPでした。最上位の予選3番手獲得から、戦線離脱したA・プロストに代わってポールスタートのA・セナに食らい付き、セナに1秒落ちの2位表彰台を獲得します。この非力なマシンでのアレジの走りが評価され、翌年はフェラーリドライバーに抜擢されました。
中嶋悟も母国の日本GPで予選14番手から堅実な走りで6位入賞を果たし、当時斬新なデザインから今でも日本のみならず多くのファンを魅了。成績以上のインパクトで現代のF1マシン思想に継承されています。

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