F1 えきぞーすとのーと

よくあるニュースネタやこ難しいテクニカルな話ではなく、メインは予選や決勝のTV観戦したそのものを個人的観点から綴るF1ブログです。  また、懐かしのマシンやレースを振り返ったり、記録やデータからF1を分析。その他ミニカーやグッズ集めも好きなので、それらを絡めつつ広く深くアツくF1の面白さやすごさを発信し、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

タグ:チャンピオン

去る3月10日にF1界の偉大なドライバーがまた亡くなりました。1964年のF1チャンピオンのジョン・サーティースです。F1の創成期を知るチャンピオンの1人として貴重な存在でしたが、存命のチャンピオンが少し前のブラバムに続き、また1人いなくなりました。これで存命の最古参チャンピオンはJ・スチュワートとなります。先日から過去のチャンピオンシップを振り返ってきましたが、今回は日本のF1史にも大きく関わったサーティースに追悼の意を込めてクローズアップしたいと思います。

ジョン・サーティース(イギリス)
   1960年 ロータスからデビュー F1在籍13年
       優勝6回                           歴代39位
       表彰台24回                      歴代39位
       参戦数111戦                    歴代59位
       ポールポジション8回      歴代34位
       ファステストラップ11回 歴代30位
       チャンピオン1回(1964年)
       ※戦績は2017年3月現在。戦績はF1のみ

1934年2月11日生まれのイギリス人です。日本でいうと昭和9年生まれですので、第二次世界大戦を青年期に経験している世代です。今年2017年3月10日に83歳で亡くなりました。同世代だと2歳下のチャンピオン経験者であるJ・クラークやD・ハルム、3歳下にマクラーレンの創始者であるB・マクラーレンがいますが、いずれも若い時期に事故死(ハルムはレース中に病死)しており、未だ存命なのはサーティースより5歳上の「無冠の帝王」S・モスくらいとなってしまいました。

F1は26歳にあたる1960年に、こちらも設立して日の浅いロータスから初参戦となります。しかしサーティースはF1をドライブする前にあるカテゴリーで輝かしい経歴を残しています。それは四輪の下位カテゴリーではなく、なんとバイクレースからの転身でした。実はF1ファンのみならず、自身はあまり詳しくありませんが、バイク好きにとっても有名な方だと思います。

サーティースの父が元々バイクレーサーで、1952年から共に参戦し、か後にサーティース1人でWGP(現Moto GP)の350ccクラスと500ccクラスの掛け持ちしていました。
22歳となる1956年からイタリアのMVアグスタというチームに移籍するとどちらのクラスでも優勝する才能をみせ、3勝をあげた1956年の500ccクラスで初のチャンピオンになります。さらに1958年になると、350ccクラスでも負けなしの状態となり、なんと3年連続の2クラスチャンピオンに輝きました。バイクレース界をほしいままにし、ココから1960年にF1でのサーティースが始まりました。
(バイクの世界はほとんどわからないので、間違えていたり補足がありましたらコメント下さい)

ロータスではクラークの相方として初戦の第2戦モナコGPはリタイヤ。第2戦目となる地元イギリスGPで2位表彰台とF1界でも才能を開花させます。サーティースのF1初優勝は4年目となる1963年のフェラーリによる第6戦ドイツGPでした。翌年1964年には2勝ながら最終戦メキシコGPでのG・ヒルのペースダウンもありF1でもチャンピオンに輝きました。

サーティースは日本にも縁のあるドライバーの1人でした。最近は大失墜を味わう第4期ホンダの元祖、急遽ワークス参戦に切り替えた第1期の4年目1967年に優勝1回と3位1回をプレゼントしてくれました。
後は以前にも書いたことがある「サーティース」というプライベートチームを1970年に立ち上げ、自身はその年いっぱいでF1現役引退。チームにはC・パーチェ、J・ワトソン、J・マスといった有名どころや後にチャンピオンを獲得するA・ジョーンズなどをドライバー起用するも優勝はなく、表彰台2回と自身の戦績を下回る内容で1978年を最後にチームもたたんでしまいました。日本繋がりでは高原敬武がこのサーティースのチームで日本初のF1ドライバーとなりました。

晩年は亡くなる直前までクラシックカーレースに足を運んだり、バイクのレーシングチームを立ち上げるなど、生涯をモータースポーツに注ぐ「生けるレジェンド」は二輪四輪問わず多くの後輩からも慕われてきました。
バイクはクラスを上げ下げしたり、四輪も他カテゴリーに転向しチャンピオンを取るケースはありますが、二輪と四輪という似て非なるモータースポーツの頂点を両方を極めたのは今までにサーティースただ1人となっています。一昔前にM・シューマッハはMoto GPのテストラン、一方V・ロッシがF1のテストランを経験して「2人の天才がトレードか?!」なんて時期もありましたよね。結果、実現に至りませんでした。

失敗もありつつ多くの成功を収めてきたサーティースも、残念だったのは「孫でなく子」のヘンリーが父と同じモータースポーツの世界で活躍を目指す最中、18歳の若さで自分より先に失ったことでしょう。もしかしたら今頃ヘンリーと出会い、史上2人目のダブルタイトル獲得に向けて秘訣をマンツーマンでじっくり伝承していることでしょう。
バイクもF1も成功し、チームオーナーもやりました。さらには日本にも深い関係を持つ、経験豊かで「唯一無二」の貴重な人間がまた一人減ってしまいました。期待されたり頑張っても、このような経験や様々な顔を持つことはなかなかできない事ですよね。年齢も高齢ではありましたが、非常に残念です。

少し遅くなってしまいましたが、ご冥福をお祈りします。

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今シーズンはハミルトンのチャンピオンシップ争いの逆転、また最年少フェルスタッペンのレッドブル起用と先輩達もたじろぐ好成績が印象的です。フェルスタッペンは近年稀にみる若手有望株で光る逸材。数年に1人の大活躍に期待を寄せてしまいます。

今回の主役は度々クローズアップしてきたジンクスをも覆す二世お坊っちゃまに替わり、同じく二世のフェルスタッペンです。たった1勝、まだ2年目でチャンピオンの話は早いかもしれませんが、成長著しいフェルスタッペンは近代のチャンピオンと比較してどういう傾向で成長しているのか、今回もグラフを使ってみていきたいと思います。
対象とするチャンピオンは以前のブログで大別してみた、自身ちゃんと観戦してよく知る30年間の13人としました。

M・フェルスタッペン
   参戦2年目(31戦)
   予選最高位:3位(2年目)
   決勝最高位:1位(2年目)
   チャンピオン獲得:なし
       ※データは2016年の第12戦終了時

これが今日現在までのフェルスタッペンの戦績です。1年目のトロ・ロッソ時代は予選最高位6位、決勝最高位4位でレッドブルにスイッチした第5戦から第12戦までの8戦で表彰台が4回を獲得しています。残る2016年後半も期待してしまいますよね!ただレッドブルにチェンジした、それだけではなく、チームメイトのリカルドとも互角に、チャンピオン経験者を巧みにブロックし、揺さぶりにも応戦してマシンを壊したりはしない点で「攻めも守りもどちらもイケる」安定感が身に付いています。

ココからが今回の本題になります。フェルスタッペンが立ち向かう13人の「チャンピオン獲得までの年別ドライバーズランキング」です。

見辛くて申し訳ないです。一応ドライバー別に全員色を変えて表現しています。横軸に年次を取り、対象13人が13年間で全員チャンピオンまで上り詰め、初回の1位になった時点で以降を切っています。13人が入り乱れると、やっぱりなんのこっちゃわかりません。
前にチャンピオンを独断で大別したときは「走り方や印象、特徴」としました。これらのチャンピオンをみると、印象や特徴以外に「チャンピオンまでの道のり」に違いがみられます。このグラフからザックリわかることとして「参戦2年程で早々にチャンピオンを成し得た者」「参戦4~5年でチャンピオンになる者が多い」「参戦5年以上チャンピオンはおろか優勝もなかなかできず、順位を上下し何年もかけてチャンピオンになった者」など、単にチャンピオン獲得者とはいえ様々です。


《参戦2年以内獲得+α》
初めは参戦2年以内にチャンピオンを取ってしまう強者達です。1997年のJ・ヴィルヌーブ、H・ハミルトンの2人です。
J・ヴィルヌーブ   参戦2年目(33戦目)
   1996年 16戦出走 優勝4回 ランキング  2位
   1997年 17戦出走 優勝7回 チャンピオン

L・ハミルトン      参戦2年目(35戦目)
   2007年 17戦出走 優勝4回 ランキング  2位
   2008年 18戦出走 優勝5回 チャンピオン

グラフがスカスカですね。この2人の衝撃デビューからわずか2年目でのチャンピオン獲得は今でもハッキリ覚えています。強烈インパクトでした。2人の共通点は「1年目から勝てるマシンに乗れている」ゆえの「1年目からチャンピオン争いに絡めている」これに尽きます。ヴィルヌーブに至ってはデビュー戦でいきなりポールポジションを獲得してしまいます。もちろん先輩のM・シューマッハもD・ヒルもM・ハッキネンもいる中でです。
比較の意味でフェルスタッペンを赤でプロットしています。今シーズンが2年目でレッドブル乗りではありますが、到底2人には当てはまりません。
あと、本来は次のグループに当てはまる5年目のヒルですが、初期からチャンピオン級マシンをドライブしているという意味合いでこのグループに入れています。グラフからはみ出るヒルの1年目は0ポイント0位のためです。デビューの1992年は2戦のスポット参戦でした。

D・ヒル                参戦5年目(67戦目)
   1992年   2戦出走 優勝0回 ランキング  - 位
   1993年 16戦出走 優勝3回 ランキング  3位
   1994年 16戦出走 優勝6回 ランキング  2位
   1995年 17戦出走 優勝4回 ランキング  2位
   1996年 16戦出走 優勝8回 チャンピオン


《参戦5年以内獲得》
今回抽出したチャンピオンの初回獲得平均年数は13人で5.69年となっていて、このグループが正しく王道の5人といえます。前出のヒルも年数でみればこちらにカウントされます。
N・ピケ                参戦4年目(49戦目)
   1978年   5戦出走 優勝0回 ランキング  - 位
   1979年 15戦出走 優勝0回 ランキング15位
   1980年 14戦出走 優勝3回 ランキング  2位
   1981年 15戦出走 優勝3回 チャンピオン

A・セナ                参戦5年目(79戦目)
   1984年 15戦出走 優勝0回 ランキング  9位
   1985年 16戦出走 優勝2回 ランキング  4位
   1986年 16戦出走 優勝2回 ランキング  4位
   1987年 16戦出走 優勝2回 ランキング  3位
   1988年 16戦出走 優勝8回 チャンピオン

M・シューマッハ 参戦4年目(52戦目)
   1991年   6戦出走 優勝0回 ランキング  5位
   1992年 16戦出走 優勝1回 ランキング  3位
   1993年 16戦出走 優勝1回 ランキング  4位
   1994年 14戦出走 優勝8回 チャンピオン

F・アロンソ         参戦4年目(69戦目)
   2001年 16戦出走 優勝0回 ランキング  - 位
   2003年 16戦出走 優勝1回 ランキング  6位
   2004年 18戦出走 優勝0回 ランキング  4位
   2005年 19戦出走 優勝7回 チャンピオン

S・ベッテル         参戦4年目(62戦目)
   2007年   8戦出走 優勝0回 ランキング14位
   2008年 18戦出走 優勝1回 ランキング  8位
   2009年 17戦出走 優勝4回 ランキング  2位
   2010年 19戦出走 優勝5回 チャンピオン

1年目はフル参戦でなくスポット参戦が何人かいます。アロンソの2002年はルノーのサードドライバーでしたが、それを1年とカウントしちゃうのも可哀想なのでノーカウントにしました。
このグループは基本的に年毎に順位を上げて勢いがあるうちにチャンピオンを得ています。2、3年目で勝てるマシンに移籍し一番いい時期に確実に取る、効率のいいやり方です。
現状のフェルスタッペンも似たような軌跡を描いています。当面はレッドブルに留まるのでしょうし、今シーズンは概ね2番手チームになり、来季のマシン大変革でのレッドブルの地位によってまだまだ可能な位置だと思えます。


《参戦5年以上で獲得の苦労人》
獲得年平均値を上げた、5年以上かかってチャンピオンになったグループです。A・プロストの6年は早い方ですが、何回か書いた1984年はN・ラウダに対して0.5ポイント差で競り負けているという惜しい過去があり、今回は苦労人のグループに入れてみました。
A・プロスト         参戦6年目(89戦目)
   1980年   5戦出走 優勝0回 ランキング  - 位
   1981年 15戦出走 優勝3回 ランキング  5位
   1982年 16戦出走 優勝2回 ランキング  4位
   1983年 15戦出走 優勝4回 ランキング  2位
   1984年 16戦出走 優勝7回 ランキング  2位
   1985年 16戦出走 優勝5回 チャンピオン

N・マンセル       参戦13年目(181戦目)
   1980年   2戦出走 優勝0回 ランキング  - 位
   1981年 13戦出走 優勝0回 ランキング14位
   1982年 13戦出走 優勝0回 ランキング14位
   1983年 15戦出走 優勝0回 ランキング13位
   1984年 16戦出走 優勝0回 ランキング10位
   1985年 15戦出走 優勝2回 ランキング  6位
   1986年 16戦出走 優勝5回 ランキング  2位
   1987年 14戦出走 優勝6回 ランキング  2位
   1988年 14戦出走 優勝0回 ランキング  9位
   1989年 15戦出走 優勝2回 ランキング  4位
   1990年 16戦出走 優勝1回 ランキング  5位
   1991年 16戦出走 優勝5回 ランキング  2位
   1992年 16戦出走 優勝9回 チャンピオン

M・ハッキネン     参戦8年目(111戦目)
   1991年 15戦出走 優勝0回 ランキング16位
   1992年 15戦出走 優勝0回 ランキング  8位
   1993年   3戦出走 優勝0回 ランキング15位
   1994年 15戦出走 優勝0回 ランキング  4位
   1995年 16戦出走 優勝0回 ランキング  7位
   1996年 16戦出走 優勝0回 ランキング  5位
   1997年 16戦出走 優勝1回 ランキング  6位
   1998年 16戦出走 優勝8回 チャンピオン

K・ライコネン     参戦7年目(121戦目)
   2001年 16戦出走 優勝0回 ランキング10位
   2002年 17戦出走 優勝0回 ランキング  6位
   2003年 16戦出走 優勝1回 ランキング  2位
   2004年 18戦出走 優勝1回 ランキング  7位
   2005年 19戦出走 優勝7回 ランキング  2位
   2006年 18戦出走 優勝0回 ランキング  5位
   2007年 17戦出走 優勝6回 チャンピオン

J・バトン           参戦10年目(171戦目)
   2000年 17戦出走 優勝0回 ランキング  8位
   2001年 17戦出走 優勝0回 ランキング17位
   2002年 17戦出走 優勝0回 ランキング  7位
   2003年 15戦出走 優勝0回 ランキング  9位
   2004年 18戦出走 優勝0回 ランキング  3位
   2005年 17戦出走 優勝0回 ランキング  9位
   2006年 18戦出走 優勝1回 ランキング  6位
   2007年 17戦出走 優勝0回 ランキング15位
   2008年 18戦出走 優勝0回 ランキング18位
   2009年 17戦出走 優勝6回 チャンピオン

グラフを見ると他のグループにはみられない上に下に向いて忙しそうです。マンセルは1986,87年のウィリアムズ・ホンダ時代にあと一歩の2位を続けるも、88年にホンダがマクラーレンに移るとコテンパンにやられてしまいました。ライコネンは分かりやすいまでの奇数年に健闘し、偶数年にガタ落ちしています。
このグループに一貫していえるのは、優勝すること自体が遅咲きであったことと、マシンの出来にまんま左右されている点です。驚くはバトンの2008年ランキング18位から翌年一気にチャンピオン、まさに地獄から天国!
このツーショットの頃はまだバトンはチャンピオンではありません。

フェルスタッペンを紛れ込ませてみても、、正直こうならないとも限らないので、こうなる前に競争力のあるマシンでライバルに先を越されないよう願うばかりです。でないと、誰かさんみたいになっちゃうぞ〜?!(笑)
ちなみに13人のチャンピオン獲得時の平均勝利数は6.53勝となっています。打倒!メルセデス相手に5年以内でシーズン6勝以上!


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今シーズンも次戦ハンガリーGPで全21戦中の11戦目となり、半分を消化します。チャンピオン争いは言わずと知れたメルセデス2人によるわずか1ポイント差となって、振り出しに戻ったかのような状態です。3位につけているフェラーリのライコネンは2位のハミルトンに対して61ポイント差で、まだ半分のレースは残していますが、今年のフェラーリを見る限り、事実上チャンピオン争いに加わるのは難しいでしょう。
この3年はメルセデスの圧倒的な強さで他チームは絡むことなく進行してしまっています。幸いなのは、1人独走状態ではなく、ハミルトンとロズベルグの2人で「争えている」状態なのは救いかもしれません。近年ではフェラーリ時代のM・シューマッハやレッドブル時代のベッテルなど、1人で抜け出てしまった年もありました。ファンなら気分がいいものですが、F1全体の発展や盛り上がりといった点からみたら、避けたい状況ですよね。早く決まるといわゆる退屈な「消化試合」が増えてしまいます。年間レース数が多ければ多いほど、その危険性は増します。

今までのチャンピオンは早くてどのタイミングで、またどこのGPで多く獲得してきたのか、チャンピオン決定の話をするには早い時期ですが、一つのネタとして見てもらえたら幸いです。


チャンピオンが早く決定する=1人抜け出てしまっている、ということになります。今昔でレース数が異なっていますので「シーズン消化率」という視点から上位を挙げてみたいと思います。

《チャンピオン決定時のシーズン消化率》
  1 2002年 64.7%(11/17戦)フランスGP
        M・シューマッハ (フェラーリ)
  2 1992年 68.8%(11/16戦)ハンガリーGP
        N・マンセル        (ウィリアムズ)
  3 1963年 70.0%(7/10戦)  イタリアGP
        J・クラーク         (ロータス)
     1965年 70.0%(7/10戦)  ドイツGP
        J・クラーク         (ロータス)
  5 1969年 72.7%(8/11戦)   イタリアGP
        J・スチュワート  (マトラ)
     1971年 72.7%(8/11戦)   オーストリアGP
        J・スチュワート  (ティレル)
  7 1952年 75.0%(6/8戦)    ドイツGP
        A・アスカリ         (フェラーリ)
  8 2001年 76.5%(13/17戦)ハンガリーGP
        M・シューマッハ (フェラーリ)
  9 1953年 77.8%(7/9戦)    ドイツGP
        A・アスカリ         (フェラーリ)
     1954年 77.8%(7/9戦)    スイスGP
        J・M・ファンジオ(マセラティ)
     1966年 77.8%(7/9戦)    イタリアGP
        J・ブラバム          (ブラバム)
     2004年 77.8%(14/18戦)ベルギーGP
        M・シューマッハ (フェラーリ)
13 2011年 78.9%(15/19戦)日本GP
        S・ベッテル         (レッドブル)

歴代の最短チャンピオン決定のベスト13です。13位までなんて中途半端ですが、ここまでがシーズンを2割以上残して(シーズン消化率80%以内)でチャンピオンを決めてしまった強者達であり、そのシーズンをつまらなくした、とも言えるでしょうか。スポーツだから、わざわざつまらなくするわけはありませんが(笑)
年によって開催数が違いますので、割合でみるとこんなランキングになります。近年のメルセデスはさっきも書いたように一応争えているので、こういう事態にはなっていません。

1位の2002年は今は無きフランスGPで決めてしまい、何と6戦残しです。あと、意外にも次戦ハンガリーで決めてしまうなんて年もあったりしました。ハンガリーはだいたい夏の前半か真ん中あたりのイメージなので、その年は「秋が早かった」ことでしょう。
ちなみに、最終戦までもつれた年(消化率100%)は66年間で28シーズンあり、最も多いです。本来はそれが一番盛り上がるパターンです。


続いて「チャンピオンが決定する舞台」です。当然シーズン後半に催されるGPが多くなります。F1は「ヨーロッパ中心」に動いていますので、開幕や閉幕はヨーロッパからみたら「僻地」になりがちです。

《チャンピオン決定の舞台のGP》
  1 12回 イタリアGP(モンツァ)
              1950,56,60,61,63,68,69,
                  72,73,75,78,79
     12回 日本GP       (富士、鈴鹿)
              1976,87,88,89,90,91,96,98,99,
              2000,03,11
  3   7回 アメリカGP(ラスベガス他)
              1959,70,74,77,81,82,2015
  4   6回 ブラジルGP(インテルラゴス)
              2005,06,07,08,09,12
  5   4回 ドイツGP   (ニュルブルクリンク)
              1952,53,57,65
  6   3回 メキシコGP(エルマノス・ロドリゲス)
              1964,67,68

他、F1の歴史66年で22GPでチャンピオンが決定しています。そのうちの20%弱がイタリアと日本となって
います。年代をみるとイタリアは初期から中期、日本は中期から近年に多くなります。イタリアは毎年ヨーロッパラウンドの終盤に設定されて、徐々に開催数が増えてアジアや南米なども仲間入りし、一時期は日本GPが最終戦になっていましたもんね。我が国で間近でF1のチャンピオン決定が多くみられるのは光栄なことですね!最近は最終戦でなくなってしまって、ブラジルやアブダビにその座を奪われつつあるのが悲しいものです。


今年もメルセデス2人がどこまでチャンピオン争いを引っ張っていってくれるか?!そしてどこで決まるか?!ちょうど同じような10戦でポイントがすすめば、最終戦は2ポイント差で迎えることになるのですが、、、そうは上手くいかないでしょうね(笑)


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ポイントいじりを終えて、早々と逃げちゃおうと思ったのですが「やってみて結局どうだったの?」という結論がなかったため、最後にちゃんとまとめてみます。

《各ポイント制度と変換後の変動数》
正規は66年間で32人のチャンピオン
①25,18,15,12,10,8,6,4,2,1制(2010~)
    変換後→1人新規  2人喪失  7人変動
                  チャンピオン数31人
②10,8,6,5,4,3,2,1制(2003~2009)
    変換後→2人新規  3人喪失  8人変動
                  チャンピオン数30人
③10,6,4,3,2,1制      (1991~2002)
    変換後→2人新規  2人喪失  6人変動
                  チャンピオン数 32人
④9,6,4,3,2,1制        (1961~1990)
    変換後→1人新規  喪失なし  3人変動
                  チャンピオン数 33人
⑤8,6,4,3,2,1制        (1960)
    変換後→3人新規 1人喪失 5人変動
                  チャンピオン数 33人
⑥8,6,4,3,2制           (1950~1959)
    変換後→4人新規  3人喪失  8人変動
                  チャンピオン数 31人

新規チャンピオンが生まれたり変動があるのにチャンピオン数が変わらないのは、複数回チャンピオンが増えたり減ったりしたことを示しています。
チャンピオン争いに影響が最も少ないと出たのは④のポイント制度でした。採用期間がF1の66年間の歴史のうち30年と半分近い期間で採用されたため、今回の変換に影響が少なかったのは事実ありますが、それ以外の要因としては「上位◯レース分が有効」のシステムが思っていたより理に適っていた印象です。近年は完走率や入賞率も上がり、10位までポイントが付与される時代になったため、損をしているドライバーも多くいるものの、足切りを決めたのは計算や統計なのか何で決めたのか、結果まんざらでもない足切りだったのではないでしょうか。
①②③制度で多くの変動が起きたのは「全戦が有効」となったことや「6位以下にもポイント付与」となったことが、古い時代に影響を及ぼしています。また⑥は唯一、ファステストラップに1ポイント与えていることも計算する上でかなり助けとなり、特に近年のランキングへ影響力が多いことがわかりました。


《入れ替わりの多かった上位の年と相手》
1 5ケース 1951年 J・M・ファンジオ
                    →A・アスカリ、F・ゴンザレス
2 4ケース 1988年 A・セナ
                    →A・プロスト
   4ケース 2008年 L・ハミルトン
                    →F・マッサ
4 3ケース 1964年 J・サーティース
                    →G・ヒル
   3ケース 1983年 N・ピケ
                    →A・プロスト
   3ケース 1994年 M・シューマッハ
                    →D・ヒル

このデータから6つ異なる制度の中、比較となる全5ケースで「その時代の制度だったからチャンピオンになれた」もの。見方を変えれば「他の制度ならチャンピオンであった」ことを表しています。いわば内容はともかくポイント差や順位など含めて、その年が独走ではなく数字上は激戦だったことが言えます。
度々ノミネートされた1988年のマクラーレン2台のみによるガチンコのチャンピオン争い。そして2008年のマッサ。本当に惜しかったと思います。2008年のマッサがチャンピオンにふさわしい走りができていたか、と考えると少し物足りない部分は実にあったものの、今度その問題となった「2008年ブラジルGP」をクローズアップできればいいなと思っています。


《入れ替わりが多かったチャンピオン》
N・ピケ→1981年は2ケースで喪失
                 1983年は3ケースで喪失

複数回チャンピオンを獲得している中、チャンピオンを2つ失うケースがあったのはピケでした。3回チャンピオンが1回にまで減ってしまっています。激戦だった1981年はロイテマンに、83年は成長著しいプロストに奪われてしまいました。確かにピケは爆発的な優勝が比較的少なめな「四天王」と呼ばれた1人です。決してヘタクソとかチャンピオンがまぐれだった、と言っているわけではありませんので、ファンの方、怒らないでくださいね。

A・プロスト→1983年は3ケースで獲得
                        1984年は2ケースで獲得
                        1988年は4ケースで獲得

一方、獲得が抜群に多かったのはプロストでした。正規でも4回チャンピオンで優勝回数も51回で歴代2位を誇ります。最多でチャンピオン数を3回増やしたケースもありましたので、7回チャンピオンとなることもできました。
1983年は先程のピケからで84年はチームメイトのN・ラウダ師匠から、88年は同じくチームメイトの若き天才セナからの奪取です。84年はわずか0.5ポイント差でしたし、88年は16戦15勝を分け合う、いずれもマクラーレン時代であったことからも、マクラーレンは歴代ダブルエースドライバーを採用し、2008年にも起きた「チーム内抗争」を招きがちなチームであることを物語ります。優劣を付けないのはいいことですが、近年のウェバー&ベッテルやハミルトン&ロズベルグのように、あるまじきトラブルを引き起こしてしまいますね。


数字だけだと、優勝者多数で僅か1勝でチャンピオンを獲得した1982年のロズベルグ、また最終戦まで3人で争い1ポイント差でランキング3位から逆転チャンピオンを獲得した2007年のK・ライコネンあたりは、変換のケースによってひっくり返ったりするものなのかな、と考えていたのですが、どちらも一度もチャンピオンを譲りませんでした。際どくても正真正銘のチャンピオンであることが証明されました。

このタラレバ選手権を始める際に「昔のドライバーが今の時代だったらどうなっていたか」という話をしました。当然マシン性能や各レギュレーションの差もあるので、単純比較は永遠にできません。一つの指標となれば、と思いこの企画を試算してみました。チャンピオンを獲得した時代以外のポイント制でチャンピオンを維持したり、さらにチャンピオン数を増やせたら「どの時代やポイント制度でもチャンピオンになれる」ことを示してますし、もし喪失してしまったなら「その当時のポイント制度であったからチャンピオンになれた」とも言えるでしょう。そう考えると最大7回のチャンピオンになり得たプロストは強者ですし、僅か1勝でも揺るぎなかったロズベルグは大したものだとわかります。

また66年後に試算してみたいと思います。


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ポイントいじりも最終章。今回は最後に残ったF1の歴史で最も古い「8,6,4,3,2ポイント制度」にタイムスリップさせます。

F1世界選手権のスタートとなった1950年から59年の10シーズンは1位から順に5位まで8,6,4,3,2ポイントを付与「全戦のうちベスト◯戦分」を有効ポイントとし、今の時代にはない「ファステストラップ者に1ポイント」を与えていました。さらには、マシンを乗り換えたり、ファステストラップが同タイムとなった場合は、ポイントを人数で等分するなど、ひとえに順位だけではなく今よりも複雑でした。その有効レース数以上に優勝やファステストラップを獲得しても、ポイントには含まれません。
今よりも制約や今にない条件、当然ながら当時実際に観戦していたわけではなく、あくまで書物やデータから再計算したため、今回は特に自信もなく誤りがあるかもしれません。歴代全てのファステストラップを調べ、有効戦数に含められるか確認しましたので、正直メチャクチャ大変でした。。この時代の平均有効レース数から「レース数の56.4%」を計算の対象としています。

《今回のポイント変換のルール》
・2014年に採用されたダブルポイント無し
・各年の56.4%を有効レース数とする
・全戦ファステストポイントを採用する


《8,6,4,3,2時代の正規の差》
1956年 8戦中5戦分 3ポイント差
  1 ファンジオ(フェラーリ)                 30
  2 S・モス(マセラティ)                      27
  3 P・コリンズ(フェラーリ)               25
  4 J・ベーラ(マセラティ)                   22
1951年 8戦中4戦分 6ポイント差
  1 ファンジオ(アルファロメオ)          31
  2 A・アスカリ(フェラーリ)              25
  3 F・ゴンザレス(フェラーリ)           24

この時代は今よりもレース数が少ないこともあってかチャンピオンが確立されてしまっています。一人飛び抜けて優秀なドライバーがいて、白熱したグランプリシーズンとは違う。内容知らずの者がデータだけみて考えると、物足りなく感じてしまいます。


《25,18,15,12,10,8,6,4,2,1時代の正規の差》
2012年 全戦が対象 3ポイント差
  1 S・ベッテル(レッドブル)            281
  2 F・アロンソ(フェラーリ)            278
2010年 全戦が対象 4ポイント差
  1 S・ベッテル(レッドブル)            256
  2 F・アロンソ(フェラーリ)            252
     ↓
《25,18,15,12,10,8,6,4,2,1時代を変換》
2012年 20戦中11戦分 7ポイント差(+4)
  1 S・ベッテル(レッドブル)          
    73
  2 F・アロンソ(フェラーリ)              66
2010年 19戦中11戦分 1ポイント逆転(-5)
  1 F・アロンソ(フェラーリ)              71
  2 S・ベッテル(レッドブル)              70

2010年はベッテルの最年少チャンピオンでしたが、前々最年少チャンピオンのアロンソがそれを阻み3回目のチャンピオンとなりました。ファステストポイントがこういう時に活かされてきます。


《10,8,6,5,4,3,2,1時代の正規の差》
2009年 全戦が対象 11ポイント差
  1 J・バトン(ブラウンGP)                 95
  2 S・ベッテル(レッドブル)               84
2008年 全戦が対象 1ポイント差
  1 L・ハミルトン(マクラーレン)        98
  2 F・マッサ(フェラーリ)                  97
2007年 全戦が対象 1ポイント差
  1 K・ライコネン(フェラーリ)         110
  2 L・ハミルトン(マクラーレン)      109
  3 F・アロンソ(マクラーレン)         109
2006年 全戦が対象 13ポイント差
  1 F・アロンソ(ルノー)                   134
  2 M・シューマッハ(フェラーリ)    121
2005年 全戦が対象 21ポイント差
  1 F・アロンソ(ルノー)                   133
  2 K・ライコネン(マクラーレン)     112
     ↓
《10,8,6,5,4,3,2,1時代を変換すると、、》
2009年 18戦中10戦分 1ポイント差(-10)
  1 J・バトン(ブラウンGP)                62
  2 S・ベッテル(レッドブル)              61
2008年 18戦中10戦分 5ポイント逆転(-6)
  1 F・マッサ(フェラーリ)                 70
  2 L・ハミルトン(マクラーレン)       65
2007年 17戦中10戦分 5ポイント差(+4)
  1 K・ライコネン(フェラーリ)          73
  2 L・ハミルトン(マクラーレン)       68
  3 F・アロンソ(マクラーレン)          66
2006年 18戦中10戦分 1ポイント差(-12)
  1 F・アロンソ(ルノー)                     79
  2 M・シューマッハ(フェラーリ)      78
2005年 19戦中11戦分 4ポイント逆転(-25)
  1 K・ライコネン(マクラーレン)       85
  2 F・アロンソ(ルノー)                     81

この時代は僅差と逆転が結構見られます。2006年と2009年はわずか1ポイント差まで詰め寄られ、バトン初戴冠とアロンソ2連覇がヒヤリです。またお決まりとなってきた2008年と新たに2005年が逆転の仲間入りをしました。ライコネン得意のファステストラップを積み重ねての最速脆弱チャンピオンでアロンソ初戴冠をさらいます。


《10,6,4,3,2,1時代の正規の差》
1994年 全戦が対象 1ポイント差
  1 M・シューマッハ(ベネトン)         92
  2 D・ヒル(ウィリアムズ)                 91
     ↓
《10,6,4,3,2,1時代を変換すると、、》
1994年 16戦中9戦分 6ポイント差(+5)
  1 M・シューマッハ(ベネトン)         77
  2 D・ヒル(ウィリアムズ)                 71

この1991年から2002年までのポイント制は逆転に至るまでの年はありませんでした。ということは、今回の創成期のF1のこのポイント制もまんざらデタラメではなく、的を得ていたということでしょうか。


《9,6,4,3,2,1時代の正規の差》
1988年 16戦中11戦分 3ポイント差
  1 A・セナ(マクラーレン)                  90
  2 A・プロスト(マクラーレン)           87
1986年 16戦中11戦分 2ポイント差
  1 A・プロスト(マクラーレン)           72
  2 N・マンセル(ウィリアムズ)           70
  3 N・ピケ(ウィリアムズ)                  69
1984年 16戦中11戦分 0.5ポイント差
  1 N・ラウダ(マクラーレン)              72
  2 A・プロスト(マクラーレン)         71.5
1983年 15戦中11戦分 2ポイント差
  1 N・ピケ(ブラバム)                         59
  2 A・プロスト(ルノー)                     57
1981年 15戦中11戦分 1ポイント差
  1 N・ピケ(ブラバム)                         50
  2 C・ロイテマン(ウィリアムズ)       49
  3 A・ジョーンズ(ウィリアムズ)        46
  4 J・ラフィー(リジェ)                      44
  5 A・プロスト(ルノー)                     43
1979年 15戦中8戦分※ 4ポイント差
  1 J・シェクター(フェラーリ)           51
  2 G・ヴィルヌーブ(フェラーリ)       47
1976年 16戦中14戦分※ 1ポイント差
  1 J・ハント(マクラーレン)               69
  2 N・ラウダ(フェラーリ)                 68
1970年 13戦中11戦分※ 5ポイント差
  1 J・リント(ロータス)                     45
  2 J・イクス(フェラーリ)                  40
1967年 11戦中9戦分※ 5ポイント差
  1 D・ハルム(マクラーレン)              51
  2 J・ブラバム(ブラバム)                  46
※はシーズン前半と後半に分けて、その中のベストを合算した年
     ↓
《9,6,4,3,2,1時代を変換すると、、》
1988年 16戦中9戦分 1ポイント逆転(-4)
  1 A・プロスト(マクラーレン)           73
  2 A・セナ(マクラーレン)                  72
1986年 16戦中9戦分 3ポイント逆転(-1)
  1 N・マンセル(ウィリアムズ)           64
  2 N・ピケ(ウィリアムズ)                  63
  3 A・プロスト(マクラーレン)           61
1984年 16戦中9戦分 4ポイント差(+3.5)
  1 N・ラウダ(マクラーレン)              68
  2 A・プロスト(マクラーレン)           64
1983年 15戦中9戦分 0ポイント逆転(-2)
  1 A・プロスト(ルノー)                 54 4勝
  2 N・ピケ(ブラバム)                    54 3勝
1981年 15戦中9戦分 2ポイント逆転(-3)
  1 C・ロイテマン(ウィリアムズ) 47 3位2回
  2 A・ジョーンズ(ウィリアムズ) 47 3位1回
  3 N・ピケ(ブラバム)              45
  4 A・プロスト(ルノー)          41 3勝
  5 J・ラフィー(リジェ)           41 2勝
1979年 15戦中8戦分 4ポイント逆転(-8)
  1 G・ヴィルヌーブ(フェラーリ)      50
  2 J・シェクター(フェラーリ)          51
1976年 16戦中9戦分 0ポイント同点(-1)
  1 J・ハント(マクラーレン)          63 6勝
  2 N・ラウダ(フェラーリ)            63 5勝
1970年 13戦中7戦分 1ポイント逆転(-6)
  1 J・イクス(フェラーリ)                 40
  2 J・リント(ロータス)                    39
1967年 11戦中7戦分 1ポイント逆転(-6)
  1 J・ブラバム(ブラバム)                40
  2 D・ハルム(マクラーレン)            39

ここは近代と今回の初期のポイント制の間にある長い時代になりますが、特徴として初期の結果にはさほど影響はなく、近代になるにつれて逆転が起きています。
1979年はJ・シェクターに猛追をかけなかった人気のファイターG・ヴィルヌーブがタイトルを獲得しています。ヒル家に続く二代チャンピオンの完成です。1981年は唯一5位まで挙げてきた年になりますが、本来のチャンピオンであるN・ピケが変換によると3位になってしまい、さらには4位と5位までひっくり返ってしまいます。1970年もリント本人には知らず、計算上ひっくり返ってしまいました。


《8,6,4,3,2,1時代の正規の差》
1960年 10戦中6戦分 9ポイント差
  1 J・ブラバム(クーパー)                  43
  2 B・マクラーレン(クーパー)          34
     ↓
《8,6,4,3,2,1時代を変換すると、、》
1960年 10戦中6戦分 11ポイント差(+2)
1 J・ブラバム(クーパー)                   46
2 B・マクラーレン(クーパー)           35

対象に一番近いこの年。今まで試算してきた5ケース全てが順位変動無しでした。B・マクラーレンはドライバーとしてはどう見積もってもチャンピオンにはしてあげられませんでした。チームはその後に大活躍し、今またホンダエンジンと共に復調を目指しています。


《変換で新たに生まれたチャンピオン》
1970年 J・イクス             0回→1回
1979年 G・ヴィルヌーブ  0回→1回
1981年 C・ロイテマン     0回→1回
2008年 F・マッサ             0回→1回

《変換で失ったチャンピオン》
1967年 D・ハルム             1回→0回
1970年 J・リント              1回→0回
1979年 J・シェクター       1回→0回

《変換で回数が増えたチャンピオン》
J・ブラバム                       3回→4回
A・プロスト                      4回→5回
N・マンセル                      1回→2回
K・ライコネン                   1回→2回

《変換で回数が減ったチャンピオン》
N・ピケ                            3回→1回
A・セナ                            3回→2回
L・ハミルトン                  3回→2回
S・ベッテル                     4回→3回

今回も以下はすべての年代が同列とはならないため参考です。
《変換後1位と2位のポイント差ベスト5》
1 2013年 32点差 S・ベッテル
2 1992年 29点差 N・マンセル
3 2001年 26点差 M・シューマッハ
4 2011年 24点差 S・ベッテル
5 1997年 23点差 J・ヴィルヌーブ

《変換後1位と2位の僅差ベスト4》
1 1981年 0点差 3位1回差 C・ロイテマン
2 1976年 0点差 1位1回差 J・ハント
   1983年 0点差 1位1回差 A・プロスト
4 1961年 1点差                 P・ヒル
   1973年 1点差                 J・スチュワート
   2006年 1点差                 F・アロンソ
   2009年 1点差                 J・バトン

《変換後逆転ポイント差ベスト5》
1 2008年 5点逆転 F・マッサ
2 1979年 4点逆転 G・ヴィルヌーブ
   2005年 4点逆転 K・ライコネン
4 1986年 3点逆転 N・マンセル
5 1981年 2点逆転 C・ロイテマン

《1戦で獲得したポイント平均ベスト5》
1 1955年 A・アスカリ           5.71
2 1963年 J・クラーク            5.30
   1965年 J・クラーク            5.30
4 1992年 N・マンセル           5.19
5 2014年 L・ハミルトン  ※    4.95
    ※2014年はダブルポイントなしの換算


《8,6,4,3,2変換後のまとめ》
・近代F1にはあまりそぐわないポイントか
・ファステスト、たかが1点、されど1点


各順位のポイントが現代より小さいだけあって、ファステストポイント1点もなかなか効いてきます。あればあったで面白いし、あとポールポジションにも1点あっても良さそうですね!あるチームの独走を幾らか分散できる、かもしれない。
F1の歴史をいたずらにいじってきた「タラレバポイント」かなり大変な作業でした。こういう大変な試算、もうやらなーい!


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