F1 えきぞーすとのーと

よくあるニュースネタやこ難しいテクニカルな話ではなく、メインは予選や決勝のTV観戦したそのものを個人的観点から綴るF1ブログです。  また、懐かしのマシンやレースを振り返ったり、記録やデータからF1を分析。その他ミニカーやグッズ集めも好きなので、それらを絡めつつ広く深くアツくF1の面白さやすごさを発信し、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

タグ:サーキット

一時期は減少傾向にあった市街地サーキットもシンガポールやアゼルバイジャン、今後は新たにベトナムでも行われるなど、再びF1カレンダーに組み込まれるようになりました。郊外に設営される専用サーキットと異なり、街中で行われる市街地サーキットは利便性が高く、集客が多く見込める一方で関係機関や周辺住民などの理解を得る必要があるため、いつでもどこでも手軽に行えるものでもありません。F1における市街地サーキットといえば、モナコのモンテカルロ地区とラ・コンダミーヌ地区にまたがって行われるモナコGPが代表格。ココならば誰も文句を言う国民はいないはず。何せモナコ王室にご覧頂くレースですもんね。
IMG_0409
そんなモナコも普段は当然「日常生活」があるわけで、我々レースファンの知る街並みと少し異なります。実際に行ったこともないmiyabikunが偉そうに語るのも何ですが、モナコGPが行われる前にいつものgoogle様のお力をお借りし「レース開催期間以外の風景」をコースレイアウト順に見ていこうと思います。

《セクター1》
IMG_0410
IMG_0411
右に緩やかに弧を描くこのあたりがコントロールラインですね。普段はこのように一般車が往来しています。レースシーンでもチラッと見えることがありますが、実は街路樹が植えてあります。レース中は安全対策優先の、ガードレールによってトラックが作られています。
IMG_0412
街路樹の向こうが開けています。ココがピットですね。常設サーキットと異なり、機材やパーツを置くスペースも限られているため、離れた場所に置いたり工夫しているようです。搬入出も大変だろうな。
IMG_0415
トラックとピッタリ同じ視点ではないですが、毎年大混雑となる右のターン1「サン・デボーテ」へシフトし坂に入っていけば「モンテカルロ劇場」のはじまり〜はじまり〜!
IMG_0416
IMG_0418
F1マシンで軽々と登るボー・リバージュ。左側の高級ブティックの建物を見ればかなり傾斜していることがわかります。ココへ買い物に行く人はこの坂を歩いて登るのかな?いやいや、店先に車を横付けするか、送迎車かな。レース中にゆっくり眺める時間はありませんが、右側の崖からは綺麗な地中海が見下ろせます。優しい海風に吹かれながら、風にたなびく少し薄手のドレスを召した女性の手を取り坂道をエスコート、いいですねー「今夜のホテルはこの丘の上だよ」なんて(笑)
坂を登り切ると左コーナー「マスネ」が待ち構えています。さあ別れ道、コースレイアウトはどちらでしょう?!
IMG_0765
正解は右に進みます。でないと、カジノ前に行けません。画像右にチラッと写る立派な建物は「ホテル・ド・パリ」です。今夜miyabikunが予約しているホテルですね。

《セクター2》
IMG_0424
あまりキョロキョロしていると終わらなくなってしまうので先を急ぎましょう。あとは下るだけです。ミラボー(坂上)手前で強めにブレーキをかけ、路駐しているスクーターに気を付けながら右にステアリングを切ると、出ました、コレです。
IMG_0425
IMG_0426
ロウズ、、ではなく「フェアモントヘヤピン」ですね。改称されてしばらく経つっていうのに、未だにロウズと呼んでしまう。ココと鈴鹿のシケインの呼び方は年齢や世代で分かれそうですね。このカーブを見る度に愛知の祖母の家までの帰路を思い出します。また、山にドライブへ行った時にこれに似たカーブを見かけるとニンマリしてしまう。
IMG_0432
デッキをくぐれば眼下には海が。そしてこちらもモナコ名物であるトンネルに進入していきます。
IMG_0433
IMG_0436
この部分だけ切り取って冷静に見ると、東京駅八重洲口にある地下駐車場に見えなくもない(笑)
IMG_0438
トンネルを抜けてからの下り坂でモナコGPの最高速をスピードトラップで計測します。あ、そういえばこの視点、日本とは逆の右側通行であることに気が付きましたか?!モナコは右側通行です。この区間もどちらかといえば右寄りに走行ラインを採りますよね。それもそのはず、この後に控える「ヌーベルシケイン」はショートカット厳禁の左シケインですもんね。
IMG_0439
IMG_0442
あれ?左に行けない。たくさんの車が駐車している。普段の道路「ルイII通り」は本来ココを直進するもので、その先はターン1のサン・デボーテ(坂の右側に位置する道)に達します。
IMG_0443
その先の「タバコ」までの道も地図上では「ピシーヌ道路」と記載はあるのですが、運転視点で見ることができませんでした。画像左の一段下がりに見えるのがトラックになるはずです。
IMG_0445

《セクター3》
ピシーヌ道路は路駐車両がピシーリ並んでいます。これがあってはさすがのフェルスタッペンも止まりきれない。歯向かう人は誰一人もいないでしょうが、レース前に規制されるんでしょうね。
IMG_0446
ちょうど水を入れ替えている「プールサイド」を通過する際、停車するトラックの荷台に気になるものが。
IMG_0766
撮影時期が定かではないけど、バリケードとかテントかな?!サーキット設営準備だったりして?!
IMG_0451
ピシーヌ道路の先に見覚えのある右カーブが見える。もしや、、
IMG_0454
振り返れば、おお、このアングルもよく見るやつ
IMG_0767
IMG_0455
ラスカスだ!ココはゲームだといいライン採りできないんだよな。たまに「M・シュー」みたいに立ち往生しちゃいます。
IMG_0458
画像を右手に分岐するのがピットレーンですね。この橋をくぐれば一周終了、お疲れ様でした。
IMG_0461

レース中はガードレールに囲まれ、狭く閉鎖的に見えますが、普段は起伏に富んだ地形にそびえる高層建築物の合間から海やヨットがチラホラして、路上駐車が各所に見られるなど「ある地方観光都市」のような風景でした。こののどかで高級感あふれる街もレースウィークが近付くと一転して「戦いの舞台」に変貌を遂げるわけですね。モナコGP、一度は行ってみたいですね。GP期間外でもいいから、行ってみたいな。

にほんブログ村 車ブログ F1へ
にほんブログ村
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

過去のサーキットシリーズ最終章のアジアラウンドです。F1のアジア進出は2000年代に入った頃からブームが到来したこともあって、テレビ中継され比較的馴染みのあるGPが多いかと思います。ただこの企画で取り扱われる=現時点で消滅してしまっている、というわけなので寂しい限りです。特徴的なのは1サーキットを除いた他はヘルマン・ティルケの監修によって、元々あったサーキットを改修したのではなく、わざわざF1のために一から開設したものである点です。わざわざ誘致して金かけて、もう既に無いわけですから、目立ったレイアウト変更もなく短命なものばかり。もったいない。

IMG_3785
IMG_3773
IMG_2046
トルコGP
《イスタンブールパーク》
  所在地 :イスタンブール県イスタンブール
  F1開催 :2005〜11(7回)
一周距離:5.338km
初代優勝:K・ライコネン(マクラーレン)
最多優勝:F・マッサ(3回)
最多P.P. :F・マッサ(3回)
最速P.P. :1分25秒049 S・ベッテル(2011)
最多F.L. :K・ライコネン(2回)
最速F.L. :1分24秒770 J・P・モントーヤ(2005)

アジアとヨーロッパの結節点、異国情緒が融合するトルコのイスタンブールパークサーキットです。アジア系では比較的多めとなる7回開催されました。
起伏に富んだ左回り(反時計回り)のレイアウトはアオムシみたいな形をしていますね。ちょうどアオムシの顔にあたる図の右側の多角形コーナーは名物「ターン8」です。4つのエイペックスをまとめてのネーミング。当然ながら走行ラインは各エイペックスにタッチするように一つの弧を描くように採るのが理想的ですが、これがなかなか困難のよう。ステアリング角やダウンフォース、サスペンション、タイヤなど様々なファクターが整わないとあれよあれよとアウトサイドのグラベルに引き込まれてしまいます。また一度リズムを崩すとなかなかラインに戻れないのも高難易度と言われる所以です。賛否両論あるティルケサーキットの中でもココは人気も高く、度々復活を望む声がありますよね。
IMG_7849
2018年現役ドライバーではライコネン、ベッテル、ハミルトンが1勝ずつとなっており、アロンソ、ペレス、ヒュルケンベルグもレース経験があります。最多勝は全11勝のうち3勝がココというマッサでした。


IMG_3789
IMG_3774
IMG_2043
インドGP
《ブッダ国際》
  所在地 :デリー連邦直轄地
  F1開催 :2011〜13(3回)
一周距離:5.125km
初代優勝:S・ベッテル(レッドブル)
最多優勝:S・ベッテル(3回)
最多P.P. :S・ベッテル(3回)
最速P.P. :1分24秒119 S・ベッテル(2013)
最多F.L. :全3回バラバラ(1回ずつ)
最速F.L. :1分27秒249 S・ベッテル(2011)

インドと言えば、人口が多い?カレー?それとも象?!間違えてはいませんが、それらとはちょっと違います。インドと言えばインド式数学で有名なようにITや工業にも長けた国です。
2010年にHRT(ヒスパニア・レーシング)でF1ドライブしたインドで2人目のK・チャンドックがインドでのGP開催に一役買いました。でも当の本人はココで実際にレースはしておらず、インド人が地元で走った最初で今のところ最後なのは初代インド人F1ドライバーで、現在は日本でも活躍するN・カーティケヤンでした。
このレイアウトを見ていると、どうしても下半分は握り心地がいいんじゃないかななんて思ってしまいます(笑)向きを90°右回転させると、アイロンに見えるし、バーレーンの時も書いたように「祈りを捧げるため正座して天を仰ぐ瞬間」にも見えます。そうそう、ベッテルがコントロールラインでやったやつ
IMG_3758
そうそう、正しくこんな感じ。
ティルケらしく様々なレイアウトを採ることができます。ただこちらもティルケらしく「どこかで見たことあるような」雰囲気を醸し出すサーキットです。路面はなかなかダーティでした。2011年から13年のたった3回の開催に止まりますが、予定ではもう少し契約は長くありました。現役のドライバーで走った者は多くいますが、ご存知の通りポールも優勝も全てベッテルが獲得しています。


IMG_3790
IMG_3770
IMG_2044
韓国GP
《韓国国際》
  所在地 :全羅南道霊岩郡三湖邑三浦里
  F1開催 :2010〜13(4回)
一周距離:5.621km
初代優勝:F・アロンソ(フェラーリ)
最多優勝:S・ベッテル(3回)
最多P.P. :S・ベッテル(2回)
最速P.P. :1分35秒585 S・ベッテル(2010)
最多F.L. :S・ベッテル(2回)
最速F.L. :1分39秒605 S・ベッテル(2011)

アジアで日本、中国ときたら、当然あります韓国も。韓国の国旗って日本国旗と少し似ているけど細かな描写ですよね。真ん中の赤と青のまが玉は「赤は陰陽」「青は太極」を表し、その四隅は「卦(け)」と呼ばれるものが配置されています。その4つの卦、四卦もよく見るとすべて異なるパターンです。古くは朝鮮(今の南北朝鮮)時代から続き、中央が赤青黄の三色が使用されたり、四隅の卦を8つ用いた「八卦」だったこともあるそうです。興味のある方は是非調べてみて下さい。
このサーキットは所在地から「霊岩(ヨンアム)サーキット」とも呼ばれています。朝鮮半島でいう「うさぎの足元」あたりに位置し、日本からも近いです。2007年から干拓地の造成を始め、2009年の秋から地上設備建設に着手しましたが、2010年の秋開催にギリギリ、、間に合いませんでした。以前に初開催を振り返ったことがありますが、舗装面の養生不足や縁石の高さ調整不足、排水への対応不足、路肩は文字通りの「グリーンのペイント」で対処するなど、未完成部分や不備のあるまま迎えてしまい、GP開催中に急遽補修を施しています。また何よりもコースマーシャルが未熟かつ不足しており、遠いお隣のオーストラリアから人材を集めるなどの対応で臨みましたが、事故処理の対応や使用しないタイプの消火器の使用などにより不評を買ってしまいました。解説の森脇氏も中継中に「最低な対応」と批判したのは有名ですよね。サーキットまでのアクセスや宿泊施設も整備が追いつかずに苦労したとのこと。サーキットレイアウト監修は同じくティルケ氏によるものですが、そのあたりの不手際は当然ながら関係ありません(笑)
レイアウトはマレーシアにも似て今にも噛みついてきそうなパックマン型です。極端に長い2本のストレートに小刻みに続く中低速コーナーがティルケっぽさを感じます。このサーキットは市街地ではない専用サーキットなのに、区間によってはウォールに近いため閉塞感を覚えます。
こちらも現役ドライバーが多く走行しており、4回開催中ベッテルが2ポール3勝を挙げています。ちょうどこの時期レッドブルでフィーバーしていた時代と重なることもあって、日本GPと合わせて中国を除くアジア全般で好成績です。


image
IMG_3775
IMG_2045
パシフィックGP
《TIサーキット英田(現 岡山国際)》
  所在地 :岡山県英田郡英田町(現 美作市)
  F1開催 :1994,95(2回)
一周距離:3.703km
初代優勝:M・シューマッハ(ベネトン)
最多優勝:M・シューマッハ(2回)
最多P.P. :A・セナ、D・クルサード(1回ずつ)
最速P.P. :1分10秒218 A・セナ(1994)
最多F.L. :M・シューマッハ(2回)
最速F.L. :1分14秒023 M・シューマッハ(1994)

アジア編の最後は我らが第2日本GPとして2年間だけ開催されたパシフィックGPです。以前にレースを振り返った際に粗方書いてしまいました。まだ日本の景気がいい時代、ゴルフ会員権などを扱うタナカインターナショナルの田中肇社長によってバーニー・エクレストンに直談判の末、開催にこぎつけたものです。ただ当時は一国一開催のルールがあり、日本GPは鈴鹿サーキットで使用していたため「太平洋」の意味のパシフィックをGP名として採用しています。
image
岡山県の山間の限られた敷地にコンパクトに設営され、ご覧の通り缶切りだかエレキギターのような形状で、鋭角以下の低速コーナーで構成されています。初開催の1994年はセナ、翌95年はクルサードと2回ともウィリアムズがポールを獲得するも、決勝は2回ともベネトンのM・シューマッハが優勝しました。
95年初頭の1月17日に発生した「阪神・淡路大震災」の影響で当初予定していた4月開催から日本GPの一週前の10月に延期され、何と日本国内で二週連続開催となりましたが、96年は春先に開催したいFIAと秋開催を望んだ運営側の折り合いが付かず、そのままバブル崩壊による経営悪化も相まって消滅してしまいました。仮に今でも経営悪化が無ければ続いていたのか、日本のコンストラクターやドライバー参戦が難しくなった2000年台後半まで永続されることは無かったように思います。

image
世界的に人気の高い鈴鹿サーキットでの日本GPも、首の皮一枚繋げて生き延びる時代です。日本のみならず今は世界的に自動車に求めているもの、方向性がこの20年だけでも大幅に変わってきました。スポーツ性を高めたい旧来からのファン、相反する部分もありつつ、エンターテイメント性を高めて新たな支持や若者への関心に仕向けていかないと、伝統や歴史言う前にF1そのものが破綻してしまいます。今後F1のあり方や目標、目的をしっかり定めて続けてほしいですね。
夏休み期間中からまとめて、昨シーズンの各レース前を含めると一年半近くかけてF1の全40GP、72サーキット(ラスベガスだけは、本当にごめんなさい)を見てきました。表現と確認できる限りレイアウト変更も示したつもりです。これからまた新たなGPやサーキット、レイアウトが現れては消えていくと思いますが、全世界でF1が引き続き開催され、ファンが魅了する走りを見続けていけることを願っています。

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

これだけはアジアに来ちゃうまでにやっておきたかった!過去のサーキットのヨーロッパ編パート2です。これをやればヨーロッパのF1サーキットは全制覇なはず。今回は西寄り南寄りのヨーロッパになります。

IMG_3427
IMG_3429
ポルトガルGP
ポルトガルはスペインと同じイベリア半島に位置するユーラシア大陸最西端の国です。半島というよりかは、大陸みたいなスケールですよね。ジブラルタル海峡を越えると、すぐ近くにアフリカ大陸もあり、先日取り上げたモロッコが見えます。ユーラシア大陸最東端より先の島国日本から見たらポルトガルはまるで真逆の位置です。にも関わらず、1543年の戦国時代に鹿児島の種子島まで船を走らせ「鉄砲」なる武器やキリスト教を持ち込むなど、日本の歴史には必ず出てくるような結びつきの強い国でもあります。日本のことを知っていて来てくれたのか、中国の先を回り込んでたまたま行き着いたのか、miyabikunは歴史が弱いのでよくわかっていません。オフシーズンになったら勉強します。
今の若い方にはあまり馴染みがないかもしれませんが、ポルトガルでのF1は1958年から長い空白期間を経て96年まで3箇所で行われていました。
IMG_3432
IMG_2031
《ポルト市街地》
  所在地 :ポルト県ポルト
  F1開催 :1958,60(2回)
一周距離:7.407km
初代優勝:S・モス(ヴァンウォール)
最多優勝:S・モス、J・ブラバム(1回)
最多P.P. :S・モス、J・サーティース(1回)
最速P.P. :2分25秒560 J・サーティース (1960)
最多F.L. :ホーソーン、サーティース(1回)
最速F.L. :2分27秒530 J・サーティース (1960)

初代となる1958年と60年の2回だけ行われたのはポルトガル第二の都市ポルトの市街地コースでした。驚くのは今では考えられない「路面電車の軌道の上を跨ぐ」区間があったとのこと。レインレースになったら怖いですね。反時計回りのレイアウトで図の左側、ターン1,2が丸く角が欠けていると思います。これは日本にはまだあまり馴染みがありませんが、ヨーロッパには多くあるロータリー式交差点(環状交差点)になります。日本は右回りの時計回りに回りますが、ヨーロッパは左回り反時計回りで回ります。コース全体は左回りで間違いありませんが、F1はこの交差点を2箇所とも日本と同じ時計回りで走行していたようです。古過ぎるので多くは知りませんが、2回の開催でモスとホーソーンが1勝ずつ挙げています。
IMG_3444

IMG_3431
IMG_2034
《モンサントパーク》
  所在地 :リスボン
  F1開催 :1959(1回)
一周距離:5.440km
初代優勝:S・モス(クーパー)
最多優勝:S・モス(1回)
最多P.P. :S・モス(1回)
最速P.P. :2分02秒890 S・モス(1959)
最多F.L. :S・モス(1回)
最速F.L. :2分05秒070 S・モス(1959)

こちらはポルト市街地の合間にたった1回だけ行われた首都リスボンの市街地サーキットです。ターン3の「クローバーリーフヘヤピン」から緩やかなストレート「アウトストラーダ」は高速道路区間をなぞっています。こちらもモスが唯一のポール、優勝、ファステストラップを総ナメ。よってモスモスしています。そういえば最近モスバーガー食べてなかったなぁ。

IMG_3430
IMG_2036
《エストリル》
  所在地 :リスボン県エストリル
  F1開催 :1984〜96(13回)
一周距離:4.350km(1984〜93)
                  4.360km(94〜96)
初代優勝:A・プロスト(マクラーレン)
最多優勝:A・プロスト、N・マンセル(3回)
最多P.P. :A・セナ(3回)
最速P.P. :1分11秒494 D・ヒル(1993)
                  1分20秒330 D・ヒル(1996)
最多F.L. :G・ベルガー(3回)
最速F.L. :1分14秒859 D・ヒル(1993)
                  1分22秒446 D・クルサード(1994)

ポルトガルGPといえば、記憶にあるのはやっぱりエストリルでしょうか。過去に2回マンセルの面白レースを振り返りましたね。1984年から96年までの13回連続で開催され、F1で使用されなくなった後は2012年までMotoGPでもポルトガルGPとして使用されていました。鈴鹿同様に幅員が狭く、F1には少々窮屈なサーキットで度々危険度の高いクラッシュを引き起こすことが問題視されてきました。95年にはティレルの片山右京も大クラッシュしています。
レイアウトは長いメインストレートにテクニカルなコーナーで内包するあたりが、ご近所スペインのカタロニアサーキットにも似ています。94年に図の青ラインからシケインを追加する赤ラインに変更されて、若干の距離延長と速度低下を図りました。最終コーナーはここもパラボリカです。「放物線」の意味を持つパラボリカという名はモンツァ以外にもいくつか点在しています。


image
IMG_3436
IMG_2042
ペスカーラGP
《ペスカーラ市街地》
  所在地 :アブルッツォ州ペスカーラ
  F1開催 :1957(1回)
一周距離:25.579km
初代優勝:S・モス(ヴァンウォール)
最多優勝:S・モス(1回)
最多P.P. :J・M・ファンジオ(1回)
最速P.P. :9分44秒600 J・M・ファンジオ(1957)
最多F.L. :S・モス(1回)
最速F.L. :9分44秒600 S・モス(1957)

ペスカーラなんて何だか美味しそうな名前。それにしてもペスカーラってどこよ?!イタリア半島でいうふくらはぎ。腓腹筋の下のヒラメ筋あたりに位置する東岸の街の市街地サーキットになります。ここでのF1は1957年の1回限りですが、レース自体はF1の始まる30年近く前、今から95年近く前の1924年から行われていました。モンツァサーキットも1922年開業と言われていますので、最古参レイアウトの部類です。驚くのは古さだけではなく、スケールが半端じゃなくデカい!1周25km以上、1ラップに10分弱もかかる長さで、コントロールラインのある海側のストレートは6kmになります。今のF1マシンの「デプロイメントが切れる」どころの話ではありませんね。カッスカスになるまでスロットルを踏み続けるわけです。先日書いたドイツのニュルブルクリンク北コースが22.8km、スパ・フランコルシャンの旧コースでたったの14kmですので「(現存しないものを含め)自動車レースを行った周回サーキット最長」と言われています。ちなみに、いつも描くコース図は縦横2.5km四方、ニュル北と旧スパは4倍の5km四方に描いていましたが、こちらはとてもおさまらず、通常の9倍となる7.5km四方で描いてこんな感じでした。機会があれば比較してみてください(せっかくだから描いた全部をいつか重ねてみようかな)
ここの勝者もヴァンウォールを駆るモスでした。大変お疲れ様でした。


IMG_3428
IMG_3435
IMG_2535
サンマリノGP
《イモラ(エンツォ・エ・ディノ・フェラーリ)》
  所在地 :ボローニャ県イモラ市
  F1開催 :1981〜06(サンマリノGPとして26回)
一周距離:5.040km(1981〜94)
                  4.895km(1995,96)
                  4.930km(1997〜99)
                  4.933km(2000〜06)
初代優勝:N・ピケ(ブラバム)
最多優勝:M・シューマッハ(7回)
最多P.P. :A・セナ(8回)
最速P.P. :1分21秒548 A・セナ(1994)
                  1分26秒890 M・シューマッハ(1996)
                  1分23秒303 J・ヴィルヌーブ(1997)
                  1分19秒753 J・バトン(2004)
最多F.L. :M・シューマッハ(5回)
最速F.L. :1分24秒335 D・ヒル(1994)
                  1分28秒931 D・ヒル(1996)
                  1分25秒531 H・H・フレンツェン(1997)
                  1分20秒411 M・シューマッハ(2004)

今回最後は「第2イタリアGP」のイモラサーキットです。実際のサンマリノ共和国はさほど離れてはいないものの、住所はれっきとしたイタリア国内のボローニャ地区になります。
IMG_3433
1980年だけはイタリアGPとしての開催ですが、今回はサンマリノGPとしてのサーキットをみていきます。実は昨年のイタリアGP前で取り上げたイタリアGPとして開催した80年からサンマリノGP初年の81年の間にも軽微変更があります。中間部にあるアクア・ミネラーリに青ラインのようなシケインが追加され、さらには82年ベルギーGPのゾルダーで事故死したフェラーリのG・ヴィルヌーブを讃えて高速右コーナーに「ヴィルヌーブ」と命名されています。本人は死後に命名されて知る由もありませんが、息子ジャックは父の名のついたコーナー(もっといえば地元のサーキットも)を走行していることになりますね。
そして94年のヴィルヌーブでのR・ラッツェンバーガー、タンブレロでのA・セナの死亡事故を受け、両高速コーナーにシケインを設置。一方でアクア・ミネラーリのシケインを廃止するなど赤ラインのようなレイアウトに変更されますが、追い抜きも難しく一国一開催のルールもあって2006年を最後に開催されなくなりました。

IMG_8201
南北アメリカ(ラスベガスごめんなさい)やりました。アフリカもヨーロッパもやって、あと残り少しとなりました。アメリカ大陸戦に入る前にはそちらもやりたいですね。

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

今年日本は猛暑に地震、台風など例年以上に自然災害が集中している気がします。昨日は西日本で台風の被害が多く出ていました。被害に遭われた方も多くいると思います。東日本に住むmiyabikunも帰宅する際に最寄駅がパンクしており、いつもより1時間余計に時間がかかりました。まだ今年何かあるんじゃないかなという心配もあります。天災には防げるものとそうでないものとありますが、危機管理の意識は持って生活していきたいですね。
F1は先日までにいわゆるヨーロッパラウンドが無事に終わりました。ヨーロッパといえばF1発祥の地です。廃止されてしまったGP、サーキットが数多くあります。2回に分けて「ヨーロッパ北東エリア」の今はなきGPをみていきたいと思います。

IMG_3362
IMG_3354
IMG_3320
オランダGP
《ザントフォールト》
  所在地 :北ホラント州ザントフォールト
  F1開催 :1952,53,55,58〜71,73〜85(30回)
一周距離:4.193km(1952,53,55,58〜71)
                  4.226km(1973〜79)
                  4.252km(1980〜85)
初代優勝:A・アスカリ(フェラーリ)
最多優勝:J・クラーク(4回)
最多P.P. :R・アルヌー(3回)
最速P.P. :1分17秒420 J・イクス(1971)
                  1分15秒461 R・アルヌー(1979)
                  1分11秒074 N・ピケ(1985)
最多F.L. :J・クラーク(5回)
最速F.L. :1分19秒230 J・イクス(1970)
                  1分19秒438 G・ヴィルヌーブ(1979)
                  1分16秒538 A・プロスト(1985)

フェルスタッペンのオランダです。miyabikunは残念ながら現役でF1レースを観ることはできていないのですが、F1史でいけば歴史は長く、30回ものGPが行われてきました。
戦後となる1948年にオランダ中部の海岸沿いの敷地を使って専用サーキットを開設。52年からF1カレンダーに組み込まれ、途中何回か途切れながらF1が日本で開催される前の85年まで一貫してザントフォールトサーキットが使用されました。ただし70年台に入るとモータースポーツの騒音が問題となり、住民の反対運動を受けて開催できなくなります。今やフェルスタッペンの活躍もあって2017年にデモランが行われたり、全世界にオレンジをまとったファンを集めるほど人気が回復してきています。今のF1マシンはエコロジーで低騒音になりましたから、うまくいけばオランダGP実現はあるかもしれません。マシンより今は一番うるさいのはピーピー言うその母国ドライバーだったりしてね。
F1開催時は大回りをしていたものが、現在は距離は大きく変わらずも後半セクションは跡形もなく改修され、破線のような鋭利な形状に変更されています。


IMG_3359
IMG_3355
IMG_2035
スウェーデンGP
《アンデルストープ》
  所在地 :アンデルストープ
  F1開催 :1973〜78(6回)
一周距離:4.018km(1973〜77)
                  4.031km(1978)
初代優勝:D・ハルム(マクラーレン)
最多優勝:J・シェクター、N・ラウダ(2回)
最多P.P. :M・アンドレッティ(2回)
最速P.P. :1分23秒810 R・ピーターソン(1973)
                  1分22秒058 M・アンドレッティ(1978)
最多F.L. :N・ラウダ、M・アンドレッティ(2回)
最速F.L. :1分26秒146 D・ハルム(1973)
                  1分24秒836 N・ラウダ(1978)

こちらはエリクソの母国スウェーデンのGPです。1973年から78年の6回行われていました。40年前ならエリクソンも母国GPがあったのにね。
薄いピンクの四角い部分はシルバーストンやアメリカのセブリングと同様の滑走路です。広大な敷地で車をぶっ飛ばすのに適していますよね。このサーキットのもう一つの特徴は「コントロールライン際にピットが無い」点です。最近は横着してピットロードを描かなくなってしまっていました。コントロールラインは図の右側の旗のある位置になるわけですが、ピットはなんと図の左下方向のターン6「Sodra」の先にありました。タンコブのような右ターン「Karusell」の後半から外側に分岐し、ターン6を過ぎたあたりからピンクの滑走路上にピットアウトロードを採って「Flight Straight」の少し屈曲したところで本線合流していきます。ここまで説明するなら、破線で入れた方がよっぽど楽で分かりやすかったですよね(笑)航空写真で見る限り、サーキット周辺は殺風景で一見廃墟っぽくみえます。果たして今は使われているのでしょうか。すぐ隣にそっくりのちっこいゴーカート場が可愛いくあるので、是非見てやって下さい。
IMG_3308


IMG_3360
IMG_3356
IMG_2095
スイスGP
《ブレムガルテン》
  所在地 :ベルン州ベルン
  F1開催 :1950〜54(5回)
一周距離:7.280km
初代優勝:G・ファリーナ(アルファロメオ)
最多優勝:J・M・ファンジオ(2回)
最多P.P. :J・M・ファンジオ(3回)
最速P.P. :2分35秒900 J・M・ファンジオ(1951)
最多F.L. :J・M・ファンジオ(2回)
最速F.L. :2分39秒700 J・M・ファンジオ(1954)

昔々、争いごとをしなさそうなスイスでもF1が行われていた時代がありました。F1初年の1950年から54年の5年間はスイスの首都ベルンの中心にある公園で行われ、82年にも一度だけフランスGPの舞台であるディジョン・プレノワでもスイスGPと冠して行われました。今回は純正スイスの前者のみを取り扱います。
以前にも話題に出した、この時代は55年に行われたル・マン24時間レースで多数の死亡事故が起き、モータースポーツのあり方に疑問や消極的な印象を与えた時期でした。スイスも例外ではなく、その事故をきっかけに国内でのモータースポーツを一切禁止しています。
緑豊かな公園の敷地を周回するレイアウトとなっており、直線区間がほとんどありません。また現在も公園は現存するもののサーキットの名残はほとんどありません。


IMG_3361
IMG_3357
IMG_3342
ルクセンブルクGP
《ニュルブルクリンク》
  所在地 :ラインラント・プファルツ州アイフェル
  F1開催 :1997,98(2回)
一周距離:4.556km
初代優勝:J・ヴィルヌーブ(ウィリアムズ)
最多優勝:ヴィルヌーブ、ハッキネン (1回)
最多P.P. :ハッキネン、M・シューマッハ(1回)
最速P.P. :1分16秒602 M・ハッキネン (1997)
最多F.L. :フレンツェン、ハッキネン(1回)
最速F.L. :1分20秒450 M・ハッキネン (1998)
IMG_3321
ドイツ国内のニュルブルクリンクによるルクセンブルクGPです。確かに地図で見れば直線距離で100km弱のところにあるのですが、国はれっきとしたドイツです。先程のディジョン・プレノワでのスイスGP、またイタリア国内でのサンマリノGPなど、一国一開催からうまく逃れて複数開催したい場合の方法としてこういった措置が採られた時代がありました。ルクセンブルクGPの開催時期は1997,98年の2年間ということで、どんな効果を狙ったかはご想像の通りかと思います。国旗はオランダのデジャヴではないですよ、そっくりなんです。このブログで表現できていないかもしれませんが、横三本線で最下段の青が少し薄く、縦横比がオランダ=2:3に対してルクセンブルク=4:5になっています。
97年はハッキネンの初ポール、98年はM・シューマッハをハッキネンがオーバーカットを決めるなど、ハッキネンにとっては一皮剥けたレース内容が印象的でした。コースレイアウトは近年のドイツGP使用時と異なり、メルセデスアリーナに大回りする前の時代になります。

FullSizeRender
今でもF1開催があっていいんじゃないかなと思える国やサーキット、まさかこんな国で開催されていたとは、と思えるものなど、長いF1の歴史の中には実に多彩にサーキットがあるものですね。もうちょこっとだけあるので、続きはまた次回。

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

皆さん、夏休み期間中ゆっくりできていますか?!関東は7月に目一杯暑かったのに8月に入ると台風もあって少しだけ暑さがおさまっています。まだ8月上旬だから油断はできませんね。熱中症やゲリラ豪雨には細心の注意を払っていきましょう。
F1の夏休みはリカルドの想定外の移籍発表に触発されてああでもないこうでもない想像が飛び交っています。ただでさえ暑いのに「ストーブ」で例年以上にアツいですね。極端に暑い時期や寒い時期には行われないF1も一昔前は暑いイメージしかないアフリカ大陸の2箇所で行われていたことがあるのをご存知ですか?!今回は暑い時に暑そうなところの話「アフリカでのF1」をみていきたいと思います。

IMG_2391
1つ目は南アフリカでのF1です。南アフリカは地図で見るとこの位置
IMG_2390
アフリカ大陸の南端、数少ない南半球のGPでした。緯度はオーストラリアと似たような位置にあります。南アフリカはアフリカという名前がつくヨーロッパのような国で、昔はイギリスの仲間でした。金やダイヤモンドの原産国として、比較的な裕福な国でもあります。その一方で様々な人種が集まり貧富の差も激しく、アパルトヘイトと呼ばれる動きもあって治安は決してよくありません。F1もそうですが、2010年のサッカーワールドカップもよく行えたなと思ってしまいます。当時とても話題になりましたよね。
IMG_2382
IMG_2033
南アフリカGP
《イースト・ロンドン》
  所在地 :東ケープ州バッファロー市
  F1開催 :1962,63,65(3回)
一周距離:3.920km
初代優勝:G・ヒル(BRM)
最多優勝:J・クラーク(2回)
最多P.P. :J・クラーク(3回)
最速P.P. :1分27秒200 J・クラーク(1965)
最多F.L. :J・クラーク(2回)
最速F.L. :1分27秒600 J・クラーク(1965)

イースト・ロンドンはインド洋に面する海岸にあります。市街地から少し離れた緑の中に設営されて1960年代に3回行われました。一周4km弱とこじんまりとしたスケールと単純なレイアウトです。当時は当然観れていないので結果しかわかりませんが、クラークが3回中3回のポールポジションと2回の優勝を挙げるという得意サーキットでした。

IMG_2381
《キャラミ》
  所在地 :ハウテン州ヨハネスブルグ
  F1開催 :1967〜80,82〜85,92,93(20回)
一周距離:4.094km(1967)
                  4.104km(1968〜85)
                  4.261km(1992,93)
初代優勝:P・ロドリゲス(クーパー)
最多優勝:N・ラウダ(3回)
最多P.P. :J・スチュワート(3回)
最速P.P. :1分28秒300 J・ブラバム(1967)
                  1分02秒366 N・マンセル(1985)
                  1分15秒486 N・マンセル(1992)
最多F.L. :A・プロスト(2回)
最速F.L. :1分29秒900 D・ハルム(1967)
                  1分08秒149 K・ロズベルグ(1985)
                  1分17秒578 N・マンセル(1992)

キャラミでのF1は記憶にある方も多いと思います。キャラミは内陸にある大都市ヨハネスブルグの北に位置し、サーキットは標高1,500mの高地にあります。ケープタウンと並んで観光や金融など知名度の高い都市ではありますが、どちらも同じくらい治安も悪く一時期は「ヨハネスブルグの街中は『リアル北斗の拳』のよう」なんて揶揄されるくらい凶悪犯罪や事件が蔓延するところでもあります。先日話題になったブラジルGPの比較にならないくらい街の危険度は高いです。
IMG_2032
キャラミは大きく2つのレイアウトで行われました。面白いのは通常のレイアウト改良とは異なり軽微な変更ではなく、レイアウトの半分以上を南側に新設、さらには走行方向を逆転させている点です。採用初年の67年は図の青いラインのようなレイアウトを時計回りで行われていました。見たところ平面的には単純な構成ではありますが高低差もあり高速コーナーであるため先の見通しも悪く、77年のGPではコントロールライン付近で停止したシャドウのR・ゾルジの消火活動に向かったマーシャルの手に持つ消火器が高速走行する同じシャドウのT・プライスの頭部に激突し、轢かれたマーシャルもプライスも即死する事故が起きてしまいました。コースを横断したマーシャルからも、プライスからもお互いが死角だった点が悲劇を生んだと言われています。また今のようにハロが搭載されていればマーシャルはともかくプライスの即死は免れたかもしれない痛ましい事故でした。
しばらく時を経た85年シーズン末に大規模改修に踏みきり、青ラインで危険度の高い事故区間を廃止、中間セクションだけを活かして南側に反時計回りのレイアウトを採りました。しかし継続的な開催はなく、93年を最後に南アフリカのみならずアフリカ大陸でF1は行われていません。


IMG_2392
IMG_2384
IMG_2041
モロッコGP
《アイン・ディアブ》
  所在地 :カサブランカ市
  F1開催 :1958(1回)
一周距離:7.618km
初代優勝:S・モス(ヴァンウォール)
最多優勝:S・モス(1回)
最多P.P. :M・ホーソーン(1回)
最速P.P. :2分23秒100 M・ホーソーン(1958)
最多F.L. :S・モス(1回)
最速F.L. :2分22秒500 S・モス(1958)

南アフリカ以外にモロッコでも開催されたことがあります。モロッコは北半球に属しヨーロッパのスペインやポルトガルにも近いです。気候区分こそ異なりますが、緯度だけでいえばカサブランカ市は北緯33度で九州の福岡市と同位置になります。順番が逆になってしまいましたが南アフリカGPより前の58年最終戦にカサブランカのアイン・ディアブの市街地サーキットで行われました。市街地サーキットは航空写真から探すのに苦労します。ましてや開催から60年も経つと、都市計画変更したりして名残すらなくなってしまうこともあり得ます。レイアウトをみると四角くスケールも大きいです。マシンはなかなかな高速度に達し、大西洋へ向かう傾斜地にあるため勾配もありました。
たった1回だけの開催にもかかわらずレース内容は白熱したもので、M・ホーソーンと首の皮一枚のS・モスによる最終決戦が繰り広げられました。モスが終始レースを牽引していますが、モスのチームメイトであったヴァンウォールのT・ブルックスが上位走行中にリタイヤ、さらにはホーソーンが所属するフェラーリのP・ヒルが順位入れ替えを行いホーソーンの順位が上昇、そのままホーソーンが初戴冠となりました。またヴァンウォールのもう一人、S・L・エバンスはクラッシュで炎上した際の火傷で命を落としてしまいます。

近年は年間開催数も21戦まで増え、リバティメディアはさらに増やす考えもあるようです。ただそのターゲットは北アメリカやアジア、ヨーロッパでの話であり、今回のようなアフリカ大陸でのF1復活には繋がらなそうです。


このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

↑このページのトップヘ