F1 えきぞーすとのーと

よくあるニュースネタやこ難しいテクニカルな話ではなく、メインは予選や決勝のTV観戦したそのものを個人的観点から綴るF1ブログです。  また、懐かしのマシンやレースを振り返ったり、記録やデータからF1を分析。その他ミニカーやグッズ集めも好きなので、それらを絡めつつ広く深くアツくF1の面白さやすごさを発信し、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

タグ:サンマリノGP

レース前に振り返る「過去のレース」今回1982年第4戦に行われたサンマリノGPです。先日の1988年日本GPはマクラーレンのセナとプロストによるチーム内確執を取り扱いました。近年ではレッドブルのベッテルとウェバー、またメルセデスのハミルトンとロズベルグなどがあったように、チーム内確執は歴代のF1で度々みられたものです。今回のサンマリノGPでもあるチームがある出来事をきっかけに確執が起きたとされるレースとなっています。他人のケンカは蜜の味、ってか?!(笑)
1982年シーズンはつい先日、第2戦ブラジルGPをやりましたね。このサンマリノGPとの間にはロングビーチ市街地でのアメリカ西GPを挟んでいるわけですが、実は一部話が繋がっています。ブラジルGPのレース結果を思い出してみて下さい。フラフラで表彰台の中央に立ったブラバムのピケ、それからウィリアムズで2位となったK・ロズベルグは「レース終了後に水を足して失格」になりましたよね。その裁定を不服とした当時FOCAに属するティレルを除いた10チームがこのGPを出場辞退するという事件が起きました。結果的に参戦は半数以下の7チーム14台というシラけたレースとなっています。

予選はターボパワーを強みにアルヌー、プロストのルノーフランスコンビがフロントロウを占めて、G・ヴィルヌーブ、ピローニのフェラーリコンビはセカンドロウでひとまず我慢。

《予選結果》
 1 R・アルヌー  (ルノー・R・MI)
 2 A・プロスト  (ルノー・R・MI)
 3 G・ヴィルヌーブ(フェラーリ・F・GY)
 ※MIはミシュラン、GYはグッドイヤー

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決勝のレーススタート!スタート直後なのに、隊列がホントに短いし、数えるほどのマシンしか見えない。サミし。。
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敵陣でカッコよくフロントロウを奪ったルノーですが、早々にエンジンがお決まりのように果てていく。まずはプロストがヴィルヌーブの餌食に。
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そしてフェラーリの「紅い波」がアルヌーも捉えました。ココはフェラーリの地元、イモラ。シラけたスタンドのボルテージが一気に高まります。ヴィルヌーブに続いてピローニも勢いに乗っかり、フェラーリがワンツー体制を確立。
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ルノーのコレは当時の「あるある」

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マクラーレンやブラバム、ウィリアムズといった強豪もおらず、出走台数が少ないとはいえ、フェラーリが単独の首位争いをしているとなればファンは嬉しい反面「どちらが勝つの?!」という心配も募ります。ちなみにカーナンバーはヴィルヌーブが27、ピローニが28。ということは契約上は「ヴィルヌーブの方がチームとしてエース扱い」ということがわかります。
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ピローニは契約通りナンバー27に前を譲ります。
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しかしレースが進むも両者はピタリと連なり、ピローニが隙を狙っているようにもみえます。しつこいですがココはフェラーリの地元、ナニかが起きるのではないかと皆がハラハラ見守ります。
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ピローニが動いた!ヴィルヌーブをかわして前に。何かのデモンストレーションのようにも見えますが、今回のピローニが再び譲る気配は全くありません。こりゃ一大事だぞ!!IMG_6673
そのままの順位でフィニッシュ。フェラーリのワンツーには違いないけど、ピローニはチームの契約を違反する優勝となりました。またレースは出走14台中、完走はたったの5台という、2005年のインディアナポリスでのアメリカGPの上をいくシラけ具合と複雑な気持ちが混じる形でレースが終わっています。

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《決勝結果》
 1 D・ピローニ  (フェラーリ・F・GY)
 2 G・ヴィルヌーブ(フェラーリ・F・GY)
 3 M・アルボレート(ティレル・Fo)
 ※Foはフォード

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ウィニングランで早々とヘルメットを脱ぎ、颯爽と風を切りながら勝利に浸るピローニ。スポーツとしてみれば、速い者が勝つ。レースに、それもチームの母国で勝ちたいというピローニの行動に一切間違いはありません。しかし契約に反する結末はチーム内を揺るがし、ヴィルヌーブとの信頼関係を壊すきっかけになってしまいました。ヴィルヌーブは続く第5戦ゾルダーでのベルギーGPの予選でクラッシュし絶命。ピローニもまた第12戦ドイツGPの大クラッシュによりドライバー生命を絶たれるなど、この2人が和解することなく同じ82年で姿を消すという悲しい結末を迎えています。IMG_6676

近年においても明確にエース、セカンドと役割を明確にするチームがいくつかあります。しかしいずれも律儀にチームの指示に従い、エースを中心にレースを運ぶというシーンがみられます。このような過去の出来事から考えると、実に実直で行儀のいいドライバーが増えたと思います。それもこれも「時代のせい」でしょうか。

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予定外のイタリア3発目、懐かしのイモラにF1が戻ってきますね。今回はイタリアGPでもサンマリノGPでもなく「エミリア・ロマーニャGP」の名前で限定復活です。

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《サーキットの基本情報》
 エンツォ・エ・ディノ・フェラーリ(イモラ)
    全長   :5.000km(1980)
       5.040km(1981〜94)
       4.895km(1995,96)
       4.930km(1997〜99)
       4.933km(2000〜06)
       4.909km(2020)
 コーナー数:17箇所(2007〜)
   開催回数  :27回

サーキットのある地名である「イモラ」で定着していますが、正式にはエンツォ・エ・ディノ・フェラーリ。フェラーリの創始者の名前そのままになります。先日初めて行われたムジェロサーキットとも近く、80年台から2000年台前半までサンマリノGPの舞台としてカレンダーに組み込まれていました。若いF1ファンなら「セナが没した地」として有名かと思いますが、当時は少数派の左周り(反時計回り)高速サーキットとされ、危険かつ歴代で大きな事故が多発したサーキットでもあります。
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 ・1980年         5.000km (オリジナル)
 ・1981〜94年 5.040km 青色(シケイン追加)
 ・1995,96年    4.895km 赤色(コーナー低速化)
 ・1997〜99年  4.930km
 ・2000〜06年 4.933km
 ・2007〜現在  4.909km 下図(最終シケイン廃止)
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上の図がイタリアGP、サンマリノGPで行われていた時代のもの、そして今回のエミリア・ロマーニャGPに際してまた新たなレイアウト変更があります。いずれも「水辺に浮かぶカルガモ」のような形が特徴的ですね(北上で表現すると、上下逆さまになってしまいますが)軽微ながら数回のレイアウト変更を経て現在に至ります。
81年にレイアウト中間部にある右コーナー「アクア・ミネラーニ」にシケインを設置した1周約5kmのレイアウトが90年台前半まで使用されました。その後94年に発生した死亡事故により、その現場となったタンブレロ、ヴィルヌーブの2つの高速コーナーに速度抑制のシケインを設置する変更を受けています。06年を最後に長年続いた「イタリアでの二開催」の歴史に幕を閉じF1カレンダーから外れたわけですが、翌07年にピットおよび最終シケイン「ヴァリアンテ・バッサ」を改修、廃止。緩やかなストレートに変貌を遂げました。久々となるF1本戦走行、果たしてどんなタイムになるか、期待と興味を募らせますね。

《予選P.P.タイム変遷》
 80 5.000km 1分33秒988 アルヌー
 81 5.040km 1分34秒523 Gヴィルヌーブ
 82 5.040km 1分29秒765 アルヌー
 83 5.040km 1分31秒238 アルヌー
 84 5.040km 1分28秒517 ピケ
 85 5.040km 1分27秒327 セナ
 86 5.040km 1分25秒050 セナ
 87 5.040km 1分25秒826 セナ
 88 5.040km 1分27秒148 セナ
 89 5.040km 1分26秒010 セナ
 90 5.040km 1分23秒220 セナ
 91 5.040km 1分21秒877 セナ
 92 5.040km 1分21秒842 マンセル
 93 5.040km 1分22秒070 プロスト
 94 5.040km 1分21秒548 セナ
 95 4.895km 1分27秒274 Mシューマッハ
 96 4.895km 1分26秒890 Mシューマッハ
 97 4.930km 1分23秒303 Jヴィルヌーブ
 98 4.930km 1分25秒973 クルサード
 99 4.930km 1分26秒362 ハッキネン
 00 4.933km 1分24秒714 ハッキネン
 01 4.933km 1分23秒054 クルサード
 02 4.933km 1分21秒091 Mシューマッハ
 03 4.933km 1分22秒327 Mシューマッハ
 04 4.933km 1分19秒753 バトン
 05 4.933km 1分19秒886 ライコネン-1 ※
 06 4.933km 1分22秒795 Mシューマッハ

※2005年はポールポジションタイムではありません

純粋なタイムの変遷です。80年はサンマリノGPではなく「イタリアGP」として9月の秋開催となりますが、グラフでちょこっとした表現差を付けただけで一様に並べました。唯一モンツァサーキットを使わなかったレア年ですね。また今までも数回あったように、05年第4戦サンマリノGPは2回の予選の合算であったため、1回目に速いタイムを記録したマクラーレンのライコネンによるトップタイムを採用しています。
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数字だけの羅列を見ていても気付き辛いですが、グラフにするとまあまあ素直に高低がついたのかなというのが第一印象です。時代はちょうどグラウンド・エフェクトカーが流行りだした80年台初頭、トラックにはシケインが追加されたにも関わらずタイムを縮め、最終年の82年にルノーを駆るアルヌーによる1分29秒765をマークします。当時のルノーはターボエンジン搭載車の先駆けとして、予選でライバルが一目置く存在にありました。グラウンド・エフェクトカーが禁止される83年はフェラーリに移籍したアルヌーでもタイムは一度落ち込み、ここから各車「パワーターボ」が猛威を振るい始めました。83年からターボが禁止される88年までは全てターボエンジン搭載車によるポールポジションであり、最終年の88年は過給圧2.5バールに制限を受けたことにより、タイムがセオリー通り落ち込みました。
NAエンジンの時代に入るとタイムは年々短縮され、94年にウィリアムズをドライブするセナによって1分21秒548が記録されました。しかしその翌日の決勝レースでの「例の大事故」により、このサーキットのみならず全世界のあらゆるサーキットが一時的な改良、そしてマシンレギュレーション変更を余儀なくされました。その結果、翌95年は2箇所のシケイン追加のために5.7秒もタイムが延びてしまいました。
その後もNAエンジンのまま「マシンの進化とレギュレーションによるダウンフォース低下」がせめぎ合いつつもタイムを少しずつ削り、3.0ℓV10エンジン末期の2004年に当時BAR・ホンダのエースであるバトンがマークした1分19秒753が現状の最速ポールポジションタイムとなっています。レギュレーション変更を当てていくと、実にわかりやすくタイムに反映されていますよね。IMG_6678

《予選P.P.平均速度変遷》
 80 5.000km 191.5km/h 100%    アルヌー
 81 5.040km 192.0km/h 100.2% Gヴィルヌーブ
 82 5.040km 202.1km/h 105.5% アルヌー
 83 5.040km 198.9km/h 103.8% アルヌー
 84 5.040km 205.0km/h 107.0% ピケ
 85 5.040km 207.8km/h 108.5% セナ
 86 5.040km 213.3km/h 111.4% セナ
 87 5.040km 211.4km/h 110.4% セナ
 88 5.040km 208.2km/h 108.7% セナ
 89 5.040km 211.0km/h 110.1% セナ
 90 5.040km 218.0km/h 113.8% セナ
 91 5.040km 221.6km/h 115.7% セナ
 92 5.040km 221.7km/h 115.8% マンセル
 93 5.040km 221.1km/h 115.4% プロスト
 94 5.040km 222.5km/h 116.2% セナ
 95 4.895km 201.9km/h 105.4% Mシューマッハ
 96 4.895km 202.8km/h 105.9% Mシューマッハ
 97 4.930km 213.1km/h 111.2% Jヴィルヌーブ
 98 4.930km 206.4km/h 107.8% クルサード
 99 4.930km 205.5km/h 107.3% ハッキネン
 00 4.933km 209.6km/h 109.5% ハッキネン
 01 4.933km 213.8km/h 111.6% クルサード
 02 4.933km 219.0km/h 114.4% Mシューマッハ
 03 4.933km 215.7km/h 112.6% Mシューマッハ
 04 4.933km 222.7km/h 116.3% バトン
 05 4.933km 222.3km/h 116.1% ライコネン-1
 06 4.933km 214.5km/h 112.0% Mシューマッハ

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平均速度を割り出した結果はこうなります。ど真っ直ぐなストレートこそ無いものの、かつては高速コーナーと鋭角コーナーで構成されたストップアンドゴーのレイアウトのイモラですが、平均速度にしてしまうと、トサやリバッツァなどの中低速コーナーがサーキット両端にあるためさほど速くなく、ハンガロリンクやマニ・クール、ジル・ヴィルヌーブや先日のニュルブルクリンク(GPコース)と同程度となります。最速はタイムと同様に04年の222.7km/h、94年の222.5km/h、そして05年の222.3km/hと続いています。こうしてみると、04年や05年など近年はともかく、セナが人生最後に叩き出した94年は「行き着くところまで行き着いたマシンでの渾身の一本」であったことが想像できます。予選最速にこだわり、もちろんレースも勝つ気で取り組んだ予選。残念ながらその速さは「マシンの向上の裏返しの危険」を身を持って表し、以降のF1界に大きな影響力を生んでしまいました。セナがこのイモラで散ることがなければ、マシンはどこまで進化したのでしょう。今とはまた違う世界を生み出していたことに間違いは無さそうです。
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新型コロナウィルスに翻弄されて、未だ明確な開催に踏み切れないでいる今シーズンのF1。開催可能なサーキットで二回連続開催やら、逆走レイアウト採用だの様々な検討、模索していますね。ファンとしては何らかの形で無事に開幕してくれれば文句は言いませんし、むしろ感謝したいところですが、やはりスタッフや現地観戦するファンの安全が第一。世界を転戦するイベントなだけに感染拡大や批判の対象など無いよう慎重な判断を願いたいものです。
この開催すらできていない状況には反した話題にはなりますが、今までF1では「一国一開催」の原則がある中、様々な工夫と理由で複数開催を行った時代やGPがあります。本来であれば来週は元ヨーロッパGP、現アゼルバイジャンGPの行われる時期です。今回はヨーロッパGPに代表されるF1の「一国二開催以上のGPと変遷」をフォーカスしたいと思います。

まず四の五の言う前に今回はグラフを先に掲載したいと思います。
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これがノンタイトル戦を除き一国二開催以上を行った国とサーキット一覧になります。縦軸は1950年から5年刻みに破線を入れ、色の表現により開催の有無を示しました。何だかモールス信号みたいになってしまいました(笑)いつものグラフや表の2倍の大きさです。ダメですよ、この大きさをA4サイズで印刷したら「小さ過ぎて読めない!」なんて上司に怒られてしまいますよ、A3サイズ縦にしないと(笑)

グラフの見方を説明します。
 濃い色の塗り潰し :その国のメインGP
           ex.鈴鹿での日本GP
 薄い色の塗り潰し :二開催目以上にあたるサブGP
           ex.日本のパシフィックGP
 塗り潰しの無いもの:グラフにないサーキット
           ex.富士、COTAなど
 黒太枠で囲ったもの:「ヨーロッパGP」を強調
 枠すら無いもの  :F1が開催されていない

ケチらずその国で行われた全てのサーキットも並べればよかったのですが、それをやるとA2サイズで印刷しなければならないくらい大きく、さらに煩雑になるので割愛しました。GPは四輪の場合「その国の最高峰の大会」に冠しますので、F1で日本GPを名乗るとF1以外の四輪カテゴリーで日本GPは使えません。二輪は四輪とは別に日本GPが使用できます。また当然ながら一国一開催が原則であるため、何らかの理由で二開催する際は別称を与えて「あくまで一開催である」表現をする必要があります。では以下で各国単位に四の五の書いていきたいと思います。


《イタリア》
 57年第2戦 ペスカーラGP ペスカーラ市街地
 57年第8戦 イタリアGP     モンツァ

F1における最も古い「一国二開催」はイタリアによるものでした。F1制定初年の50年からイタリアGPといえばミラノ郊外にあるモンツァが代表格です。そんな中、57年に東海岸のペスカーラの市街地を使って一周25kmにも及ぶF1史上最長のペスカーラGPがたった1回だけ行われました。なぜペスカーラが選ばれたのかmiyabikunは定かではありませんが、この50年代後半は55年のル・マン24時間レースで多数の死亡事故が起き、スイスやスペイン、ドイツやフランスGPといったF1開催の常連国が中止するなど、モータースポーツに対して消極的な時期と重なりますので、昔からレースが行われきたこの地を選手権に加えたのでしょうか。ペスカーラ市街地でのカーレース自体は57年に止まらず、F1制定前の1924年から61年までと実に長きに渡り使用されていました。

 81年〜06年 サンマリノGP イモラ
 81年〜06年 イタリアGP     モンツァ

イタリアの二開催の代表格といえばボローニャ郊外のイモラ市にあるエンツォ・エ・ディノ・フェラーリで行われたサンマリノGPですね(グラフでは長いので「イモラ」と表現しています)前に「今はなきGPとサーキット」でも書いていますが、サンマリノ国は実際に近隣にあるものの、このサーキットの所在はイタリア国内となります。F1の長い歴史の中で最多の開催を誇るのがイタリアGPのモンツァで、その数は69回です。80年の1年だけこのサーキットを使ったイタリアGPが行われ、以降はサンマリノGPという冠でイタリアの一国二開催を続けてきました。セナやラッツェンバーガーの死亡事故で悪名高いイメージがある通り、高速寄りのマシンレイアウトでこれ以外の事故も多発し、度々の軽微変更を繰り返しています。F1といえばフェラーリ、フェラーリといえばイタリアのサーキットが真っ赤に染まるのは風物詩でもあります。しかし、たまたまなのか偶然か、フェラーリで5連覇を果たしたM・シューマッハの引退と時を同じく06年をもってイタリアの一国二開催にピリオドが打たれました。サーキットは今でも現存し、他カテゴリーで使用されています。

《アメリカ》
 59年〜60年 インディアナポリスGP
 59年第9戦   アメリカGP  セブリング
 60年第10戦 アメリカGP  リバーサイド

F1はヨーロッパ発祥のモータースポーツ。その体質は今でも大きく変わらないわけですが、実は大国アメリカにもF1は古くから多くの関わりを持っています。まずは今でも「世界三大レース」に数えられるインディアナポリスGPから始まりました。いわゆるインディ500です。ただご存知の通りインディアナポリスGPと他のGPではドライバーやチームに隔たりがあり「同じF1というくくり」としては温度差を感じます。したがって実質的な「アメリカの初F1上陸」は59年の第9戦に設定されたセブリングが発祥になりそうですね。こちらは我々もよく知る名前のドライバーやチームで占められます。

 76年〜83年 アメリカ西GP ロングビーチ市街地
 76年〜80年 アメリカ東GP ワトキンスグレン
 81年〜82年 アメリカGP     ラスベガス
 82年〜84年 アメリカ東GP デトロイト市街地
 84年第9戦   アメリカGP     ダラス市街地

グラフからもわかるように、アメリカGPは全く行われない時期を度々経験してきました。60年シーズンから15年近くの空白の時を経て、70年代後半からは「アメリカ黄金期」ともいえる大フィーバーを迎えます。アメリカを東西に分けて一国二開催を実現しました。それの最たるものが82年です。第3戦ロングビーチでのアメリカ西GP、第7戦は自動車産業が盛んなデトロイトでのアメリカ東GP、そして最終戦はカジノなどの娯楽が盛んなラスベガスでホテルの駐車場をサーキットに仕立てたアメリカGP(ラスベガスGP)の「一国三開催」です。自国でも独自のモータースポーツ文化がありながら「盛り上がる(お金をおとしてくれる)ならウェルカム」という、さすがアメリカといった感じですね。ちょっと変わった点としては85年と86年の2年はデトロイトに絞った開催なのに「アメリカ東」という名で行ったたのが面白いです。その後フェニックス市街地や先述インディアナポリスのバンクを逆走させて復活したり、オースティンに新設したサーキット・オブ・ジ・アメリカズ(通称COTA)など現在も続くアメリカGPですが、現時点は原則の一国一開催に戻りました。今のF1の興行権を持つのがアメリカのテレビ会社「リバティメディア」度々第二アメリカGP計画が噂に上がり、今後新たな一国二開催を実現しそうな国の最有力候補にあります。やりたい主催者、よく思わない住民。市街地サーキットはこの協議が大変。

《フランス》
 82年第11戦 フランスGP ポール・リカール
 82年第14戦 スイスGP    ディジョン・プレノワ

久々の復活を果たしたフランスGPも一度だけ一国二開催を経験しています。実はスイスGPも首都ベルンのブレムガルテンでF1初年の50年から5回行われていました。しかし先述55年ル・マン24時間レースの死亡事故の影響から廃止されています。ちょうどフランス人のプロストが台頭した頃、フランスGPとして開催されていたディジョンとポールリカールのどちらも開催するために、このディジョンを82年だけスイスGPと冠して行いました。先程のサンマリノGPもそうですが、実際はやっていないのに近くの国の名前をお借りしてやるのは本当はズルだけど、その国の人からみればちょっと得した気分になります。日本は島国だからこのやり方は通用しませんし、日本の採った策はこのあと取り上げます。

《イギリス》
 83年,85年 イギリスGP     シルバーストン
 83年,85年 ヨーロッパGP ブランズハッチ

F1では古くから歴史を持つイギリスGPも過去にやっていました。現在もイギリスGPの舞台として続くシルバーストンと交互開催を行ってきたブランズハッチに対して、83年にブランズハッチ側をヨーロッパGPと名付けて2回開催しました。時期的にはちょうど母国のマンセルやマクラーレンの台頭にあたる頃でしょうか。一国二開催を象徴する非常に便利な呼び名「ヨーロッパGP」はこれが発祥です。

 93年第3戦   ヨーロッパGP ドニントンパーク
 93年第14戦 イギリスGP     シルバーストン

90年代に入り、次はシルバーストンとドニントンパークによる二開催もありましたね。こちらは見事なスタートダッシュを決めたセナで超有名な「雨のドニントン」と呼ばれるやつですね。ドニントンでのF1はF1史において非常に有名ではありますが、F1が行われたのはたったの一度キリ。サーキット自体は現存し、他カテゴリーが使用しています。

《ドイツ》
 84年第12戦 ドイツGP        ホッケンハイムリンク
 84年第15戦 ヨーロッパGP ニュルブルクリンク

 95年〜96年 ドイツGP        ホッケンハイムリンク
 95年〜96年 ヨーロッパGP ニュルブルクリンク
 97年〜98年 ドイツGP               ホッケンハイムリンク
 97年〜98年 ルクセンブルクGP ニュルブルクリンク
 99年〜06年 ドイツGP        ホッケンハイムリンク
 99年〜06年 ヨーロッパGP ニュルブルクリンク

一国二開催のF1でイタリアとサンマリノの関係の次に有名ともいえるのがドイツですね。上記だけみていると名前も長いしややこしく見えますが、ルールは実にシンプル。ドイツGPがホッケンハイムリンクでヨーロッパGPがニュルブルクリンクです。元々ドイツGPといえば市販車開発テストやゲームなどでもお馴染みのニュルブルクリンク北コース(ノルトシュライフェ)が用いられてきましたが、長く狭く難しく、ラウダ瀕死の事故も発生し、危険であることから舞台をホッケンハイムリンクに移すこととなりました。しかしニュルブルクリンクは短絡な「GPコース」を開設し、83年にイギリスGPで採用されたヨーロッパGPの名を使って84年に復活、以降95年から06年まで二開催を実現しました。95年から06年までのドイツといわれると、ある人がピンと浮かぶと思います。そうM・シューマッハ。まさしくシューマッハの活躍に乗っかった形の一国二開催であることが明白です。そんなドイツも先程のサンマリノGPと同様に06年までという「シューマッハの引退」とちょうど重なっているのがまた分かりやすい。ちなみに97年と98年の2年間だけ、ニュルブルクリンクはご近所のルクセンブルクGPを名乗るも、シューマッハは優勝もチャンピオンも逃しています。またドイツの面白い点としては07年にニュルブルクリンクでのヨーロッパGPは行われましたが、肝心なドイツGPがありませんでした。近年になり有能なドライバーやチームが参戦しているというのに、肝心なGP開催が不安定というか不透明ですよね。母国の人達が可哀想です。

《日本》
 94年〜95年 パシフィックGP TI英田(岡山国際)
 94年〜95年 日本GP               鈴鹿

いよいよ日本の登場です。言うまでもなく皆さんよくご存知だと思います。まだ日本もF1人気があった頃、定着しつつある鈴鹿サーキットでの日本GPに対抗すべく、第二のGP開催を目指してゴルフ場を経営をしていたタナカインターナショナルが当時のFIA副会長であるバーニー・エクレストンに直談判して岡山県のTIサーキット英田でのF1開催にこぎつけています。さすがにヨーロッパGPのような便利な愛称が使えない日本は「太平洋」を意味する「パシフィック」を用いて94年に組み込まれました。
ヨーロッパがダメなら日本には「アジアGP」がちょうどいいのでは、と思いますよね。アジアGPは93年にメキシコGPの代替としてオートポリス(大分県)で使用する予定でした。しかし前年92年にサーキット所有する日本オートポリス自体が倒産して開催できなかったという「いわく」が付いています。
アジアの呼び名を避け、パシフィックを用いて始動したわけですが、2回目の95年は開催前に阪神・淡路大震災が発生。急遽日本GPの前に差し込み「日本二週連続開催」で事なきを得たものの、翌96年は予定通り春開催を望むFIAと、鈴鹿と連ねた秋開催を望んだサーキット側の意見が合わず、そのまま消滅する形となりました。

《スペイン》
 94年,97年 スペインGP     カタロニア
 94年,97年 ヨーロッパGP ヘレス

最後はつい最近まで一国二開催を行ってきたスペインです。その初めはヨーロッパ諸国では最も遅い94年にヘレスでヨーロッパGPを開催しています。ヘレスも古くはスペインGPの舞台として度々使用されてきたサーキットです。ただ90年代に入った頃にオリンピックを控えたバルセロナにカタロニアサーキットを新設したことでスペインGPの座を奪われました。以前にこのブログで振り返ったことのあるヨーロッパGPで2回目の97年は珍事がありました。マクラーレンのハッキネンが自身初となる優勝で表彰式を迎えた際、本来はメルセデス会長がプレゼンターだったにも関わらず、急遽地元の市長が割って入ったことでFIA側が激怒し「今後ヘレスでF1は行わない」という事件が起きてしまいました。実際にこの97年以降、ヨーロッパGPを含めヘレスではF1は行われていません。

 08年〜12年 スペインGP     カタロニア
 08年〜12年 ヨーロッパGP ヴァレンシア市街地

ヘレスでの珍事から9年後の08年から新設のヴァレンシア市街地を使ったヨーロッパGPが復活開催されました。スペインは他の主要ヨーロッパ諸国に比べ、輩出ドライバーは少なく、またチームも無いためF1の人気や貢献度はどちらかというと低め。そんなスペインを二開催するまでに引き上げたのは何だったのか。スペイン人初のチャンピオンを獲得したアロンソの存在と活躍に尽きます。サーキットはヘルマン・ティルケ監修で倉庫や港を取り囲む公道を周回するレイアウトを採用。コントロールラインから最も遠く、海にせり出した区間は可動橋となっており、普段は船が航行する水路をなし、サーキット使用時は橋になるという工夫が施されました。アロンソがチャンピオンを獲得した翌々年08年からフェラーリに移籍してもなかなかチャンピオンを獲れないでいる12年までの5年間でスペインGPとの二開催を実現しますが、もう少し粘ってくれたら、アロンソはどうにかなったかも?!(笑)このヴァレンシアでの二開催終了が現時点での最後の開催となります(ヨーロッパGPという名は16年のバクー市街地で復活)

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以上、今まで70年の歴史において一国二開催以上の開催例は64例129戦ありました。いずれも人気ドライバー出現や国における力の入れ具合により実現されたものとなります。近年は新規開催の計画や噂が出つつもなかなか合意に至らない例、そして既存のサーキットやGP自体がコストなどの問題により開催できないケースすら出てきています。F1は莫大なコストがかかるモータースポーツです。さらにF1時代の人気や集客を考えると、一国二開催は勢いがあった頃の「過去の輝かしい栄光」ということで今後は一部の地域を除き廃れてしまう可能性が高いと思われます。ただ冒頭にも書いたように、今シーズンは新型コロナウィルスの影響で国々によって状況や解釈が異なり、開催に前向きな所や否定的な所と様々あります。もしかしたら例外的に一国二開催が行われるかもしれません。今後の判断や決定が気になるところです。
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これだけはアジアに来ちゃうまでにやっておきたかった!過去のサーキットのヨーロッパ編パート2です。これをやればヨーロッパのF1サーキットは全制覇なはず。今回は西寄り南寄りのヨーロッパになります。

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ポルトガルGP
ポルトガルはスペインと同じイベリア半島に位置するユーラシア大陸最西端の国です。半島というよりかは、大陸みたいなスケールですよね。ジブラルタル海峡を越えると、すぐ近くにアフリカ大陸もあり、先日取り上げたモロッコが見えます。ユーラシア大陸最東端より先の島国日本から見たらポルトガルはまるで真逆の位置です。にも関わらず、1543年の戦国時代に鹿児島の種子島まで船を走らせ「鉄砲」なる武器やキリスト教を持ち込むなど、日本の歴史には必ず出てくるような結びつきの強い国でもあります。日本のことを知っていて来てくれたのか、中国の先を回り込んでたまたま行き着いたのか、miyabikunは歴史が弱いのでよくわかっていません。オフシーズンになったら勉強します。
今の若い方にはあまり馴染みがないかもしれませんが、ポルトガルでのF1は1958年から長い空白期間を経て96年まで3箇所で行われていました。
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《ポルト市街地》
  所在地 :ポルト県ポルト
  F1開催 :1958,60(2回)
一周距離:7.407km
初代優勝:S・モス(ヴァンウォール)
最多優勝:S・モス、J・ブラバム(1回)
最多P.P. :S・モス、J・サーティース(1回)
最速P.P. :2分25秒560 J・サーティース (1960)
最多F.L. :ホーソーン、サーティース(1回)
最速F.L. :2分27秒530 J・サーティース (1960)

初代となる1958年と60年の2回だけ行われたのはポルトガル第二の都市ポルトの市街地コースでした。驚くのは今では考えられない「路面電車の軌道の上を跨ぐ」区間があったとのこと。レインレースになったら怖いですね。反時計回りのレイアウトで図の左側、ターン1,2が丸く角が欠けていると思います。これは日本にはまだあまり馴染みがありませんが、ヨーロッパには多くあるロータリー式交差点(環状交差点)になります。日本は右回りの時計回りに回りますが、ヨーロッパは左回り反時計回りで回ります。コース全体は左回りで間違いありませんが、F1はこの交差点を2箇所とも日本と同じ時計回りで走行していたようです。古過ぎるので多くは知りませんが、2回の開催でモスとホーソーンが1勝ずつ挙げています。
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《モンサントパーク》
  所在地 :リスボン
  F1開催 :1959(1回)
一周距離:5.440km
初代優勝:S・モス(クーパー)
最多優勝:S・モス(1回)
最多P.P. :S・モス(1回)
最速P.P. :2分02秒890 S・モス(1959)
最多F.L. :S・モス(1回)
最速F.L. :2分05秒070 S・モス(1959)

こちらはポルト市街地の合間にたった1回だけ行われた首都リスボンの市街地サーキットです。ターン3の「クローバーリーフヘヤピン」から緩やかなストレート「アウトストラーダ」は高速道路区間をなぞっています。こちらもモスが唯一のポール、優勝、ファステストラップを総ナメ。よってモスモスしています。そういえば最近モスバーガー食べてなかったなぁ。

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《エストリル》
  所在地 :リスボン県エストリル
  F1開催 :1984〜96(13回)
一周距離:4.350km(1984〜93)
                  4.360km(94〜96)
初代優勝:A・プロスト(マクラーレン)
最多優勝:A・プロスト、N・マンセル(3回)
最多P.P. :A・セナ(3回)
最速P.P. :1分11秒494 D・ヒル(1993)
                  1分20秒330 D・ヒル(1996)
最多F.L. :G・ベルガー(3回)
最速F.L. :1分14秒859 D・ヒル(1993)
                  1分22秒446 D・クルサード(1994)

ポルトガルGPといえば、記憶にあるのはやっぱりエストリルでしょうか。過去に2回マンセルの面白レースを振り返りましたね。1984年から96年までの13回連続で開催され、F1で使用されなくなった後は2012年までMotoGPでもポルトガルGPとして使用されていました。鈴鹿同様に幅員が狭く、F1には少々窮屈なサーキットで度々危険度の高いクラッシュを引き起こすことが問題視されてきました。95年にはティレルの片山右京も大クラッシュしています。
レイアウトは長いメインストレートにテクニカルなコーナーで内包するあたりが、ご近所スペインのカタロニアサーキットにも似ています。94年に図の青ラインからシケインを追加する赤ラインに変更されて、若干の距離延長と速度低下を図りました。最終コーナーはここもパラボリカです。「放物線」の意味を持つパラボリカという名はモンツァ以外にもいくつか点在しています。


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ペスカーラGP
《ペスカーラ市街地》
  所在地 :アブルッツォ州ペスカーラ
  F1開催 :1957(1回)
一周距離:25.579km
初代優勝:S・モス(ヴァンウォール)
最多優勝:S・モス(1回)
最多P.P. :J・M・ファンジオ(1回)
最速P.P. :9分44秒600 J・M・ファンジオ(1957)
最多F.L. :S・モス(1回)
最速F.L. :9分44秒600 S・モス(1957)

ペスカーラなんて何だか美味しそうな名前。それにしてもペスカーラってどこよ?!イタリア半島でいうふくらはぎ。腓腹筋の下のヒラメ筋あたりに位置する東岸の街の市街地サーキットになります。ここでのF1は1957年の1回限りですが、レース自体はF1の始まる30年近く前、今から95年近く前の1924年から行われていました。モンツァサーキットも1922年開業と言われていますので、最古参レイアウトの部類です。驚くのは古さだけではなく、スケールが半端じゃなくデカい!1周25km以上、1ラップに10分弱もかかる長さで、コントロールラインのある海側のストレートは6kmになります。今のF1マシンの「デプロイメントが切れる」どころの話ではありませんね。カッスカスになるまでスロットルを踏み続けるわけです。先日書いたドイツのニュルブルクリンク北コースが22.8km、スパ・フランコルシャンの旧コースでたったの14kmですので「(現存しないものを含め)自動車レースを行った周回サーキット最長」と言われています。ちなみに、いつも描くコース図は縦横2.5km四方、ニュル北と旧スパは4倍の5km四方に描いていましたが、こちらはとてもおさまらず、通常の9倍となる7.5km四方で描いてこんな感じでした。機会があれば比較してみてください(せっかくだから描いた全部をいつか重ねてみようかな)
ここの勝者もヴァンウォールを駆るモスでした。大変お疲れ様でした。


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サンマリノGP
《イモラ(エンツォ・エ・ディノ・フェラーリ)》
  所在地 :ボローニャ県イモラ市
  F1開催 :1981〜06(サンマリノGPとして26回)
一周距離:5.040km(1981〜94)
                  4.895km(1995,96)
                  4.930km(1997〜99)
                  4.933km(2000〜06)
初代優勝:N・ピケ(ブラバム)
最多優勝:M・シューマッハ(7回)
最多P.P. :A・セナ(8回)
最速P.P. :1分21秒548 A・セナ(1994)
                  1分26秒890 M・シューマッハ(1996)
                  1分23秒303 J・ヴィルヌーブ(1997)
                  1分19秒753 J・バトン(2004)
最多F.L. :M・シューマッハ(5回)
最速F.L. :1分24秒335 D・ヒル(1994)
                  1分28秒931 D・ヒル(1996)
                  1分25秒531 H・H・フレンツェン(1997)
                  1分20秒411 M・シューマッハ(2004)

今回最後は「第2イタリアGP」のイモラサーキットです。実際のサンマリノ共和国はさほど離れてはいないものの、住所はれっきとしたイタリア国内のボローニャ地区になります。
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1980年だけはイタリアGPとしての開催ですが、今回はサンマリノGPとしてのサーキットをみていきます。実は昨年のイタリアGP前で取り上げたイタリアGPとして開催した80年からサンマリノGP初年の81年の間にも軽微変更があります。中間部にあるアクア・ミネラーリに青ラインのようなシケインが追加され、さらには82年ベルギーGPのゾルダーで事故死したフェラーリのG・ヴィルヌーブを讃えて高速右コーナーに「ヴィルヌーブ」と命名されています。本人は死後に命名されて知る由もありませんが、息子ジャックは父の名のついたコーナー(もっといえば地元のサーキットも)を走行していることになりますね。
そして94年のヴィルヌーブでのR・ラッツェンバーガー、タンブレロでのA・セナの死亡事故を受け、両高速コーナーにシケインを設置。一方でアクア・ミネラーリのシケインを廃止するなど赤ラインのようなレイアウトに変更されますが、追い抜きも難しく一国一開催のルールもあって2006年を最後に開催されなくなりました。

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南北アメリカ(ラスベガスごめんなさい)やりました。アフリカもヨーロッパもやって、あと残り少しとなりました。アメリカ大陸戦に入る前にはそちらもやりたいですね。

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今回は前回から1年後となる2006年のサンマリノGPとなります。連続開催です(笑)
前回は若きアロンソが王者の猛追を守り切って優勝、そのシーズンで賢く勝ちを重ねて長く続いたM・シューマッハ政権を覆したシーズンとなりました。この年からエンジンが3.0ℓV10から2.4ℓV8に変更となり、かつ決勝でのタイヤ交換、さらには予選方式でノックアウト方式を取り入れた元年と大幅なレギュレーションを伴うことで、せっかく入れ替わった勢力図がどう変化するかが見ものでした。蓋を開けてみるとチャンピオンのアロンソが3戦で優勝2回、2位1回で盤石な滑り出し。同じくフィジケラが第2戦マレーシアGPを制してルノーが全勝でこの第4戦を迎えています。一方でチャンピオンと同数の7勝を獲得して初戴冠を狙いたいマクラーレンのライコネンや屈辱的な1勝に留まったフェラーリのシューマッハは序盤でどうにかルノーに食らいついていきたいところです。

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予選はQ1こそアロンソに奪われますが、Q2で2秒飛躍して驚異的なタイムを記録したM・シューマッハがQ3も勢いそのままにシーズン2回目となるポールポジションを獲得。これでA・セナの持つ最多記録65回を上回り、歴代単独1位となりました。今年はイケるぞとこの方も喜んでいらっしゃいます。いつ見てもオシャレです。
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方やルノーはガソリンを多めに積む方策からかフィジケラがQ2で脱落、アロンソも5番手に沈んで、ちょっと失速。抜き難いイモラでオーバーカット狙いか?!
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《予選結果》
   1 M・シューマッハ(フェラーリ・F・BS)
   2 J・バトン(ホンダ・H・MI)
   3 R・バリチェロ(ホンダ・H・MI)
   ※BSはブリヂストン、MIはミシュラン

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シューマッハはスタートを上手くキメて1周目から早くも逃げに打って出ます。 3番手スタートのホンダ、バリチェロは「3代目」とアロンソに先行されて5位に陥落。上位はまずまず順調な滑り出し。しかし最後尾に注目すると、ん、1台立ってる?!
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後ろからのカメラをみると、最後尾スタートのスーパーアグリの井出がMF1のアルバースをインから突いて
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あららら、アルバースがクルクル回ってしまいました。普段目にできない木製のスキッドブロックが丸見えになってます。アルバースは無事。井出も走行は続けますがサスペンションを傷めてリタイヤ。この走行が危険かつF1には未成熟とみなされて、井出はご存知の通りこのレースを最後にF1から姿を消し、F1史上初(今のところ唯一)の「シーズン中のスーパーライセンス剥奪」という事態を招いてしましました。ちなみに逆に「シーズン中に正式にスーパーライセンス発給」という異例な歴史を作った人は2018年シーズンも参戦しています。
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話を上位に戻して、レース中盤の残り30周で2回目のピットに入ったホンダのバトンは5.9秒の制止時間でピットアウトっとっとっと
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ちょっと待った!
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給油リグを引き抜いてピット本線で停止。ガソリンを撒き散らしています。これはバトンのミスではありません。たまにあるロリポップマンの判断ミスです。ロリポップでF1マシンが止まるわけがない。これでせっかく上位を走ったバトンは表彰台争いから脱落しています。

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バトンが消えれば、この2人の争いになります。アロンソが軽タンクになりつつある2回目ピットを前にシューマッハに急接近し始めました。 前回とは真逆で追われるシューマッハに追うアロンソ。1分24秒台で追い上げてきたアロンソは1分28秒台までペースを落とすシューマッハに近付くが、抜けない。タイヤと燃費を労わるコントロールモードに付き合わされています。
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ならばどうする策士。予定より早めにピットへ入れちゃう?!
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アロンソは残り21周でピットへ向かい6.7秒で出発します。ルノーには前年より太くなったくちばしに魔法の「マスダンパー」がついている!
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この時を待ってました!と言わんばかりにアロンソが入るとシューマッハはタイヤを使い切るべく1分25秒台までペース復帰。この切り替えが何ともシューマッハらしい。早く走るためではなく「勝つために」レースしているんだ(戦い方はアロンソもよく似た手法を採りますよね)
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1周遅れでピットイン。余裕を持って7.1秒。どうか?
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シューマッハが前に。守り切りました。前回の雪辱をそのまま返す!
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まあね!
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あ、あはぁ、、。
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アロンソも諦めずどこかに隙がないか真後ろにつけてタイミングを見計らいますが、残り4周のヴィルヌーブの内側縁石に引っ掛けてしまい、
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諦めた。
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《決勝結果》
   1 M・シューマッハ(フェラーリ・F・BS)
   2 F・アロンソ (ルノー・R・MI)
   3 J・P・モントーヤ(マクラーレン・M・MI)

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赤く染まるイモラに久々のシューマッハらしい勝ちレース。 1国1開催を上手くかいくぐり、多くのドラマや悲劇も生んだイモラも、このレースを最後に行われていません。パワーがモノをいうココは本当に抜けないサーキット。そして前回と今回のレースはシューマッハとアロンソを振り返ると必ず出てくるF1の名シーンでした。

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