もうすぐF1の夏休みも折り返しを過ぎ、後半戦開始が近付いてきます。今シーズンこそ速いと思われたフェラーリが想像以上の失速をみせ、代わって台頭してきたのがホンダエンジンを搭載するレッドブル(ほぼフェルスタッペン)ですね。ポールポジションを獲得して、前半戦の間に2勝を挙げたことも想像以上であったし、後半戦も楽しみを増やしてくれました。今回は日本では多くのファンが期待する「ホンダエンジン」にまつわる数字や過去を振り返っておきたいと思います。某F1情報誌に先を越されてしまいましたので、取り扱う目線は少し変えています。
《エンジン別の決勝戦績と勝率》
ホンダをフォーカスする前に、F1で名だたるエンジンメーカー(サプライヤー)上位5位の決勝戦績を並べてみました。あと、他のエンジンメーカー全ては記載できませんが、ホンダ以外の日本メーカーは参考まで。冒頭からいきなり余談として、決勝参戦数にF1ではあまり馴染みのないスバル(旧 富士重工業)が入っています。実はF1に参戦したことあるんです。スバルがコローニというイタリアのチームの株を取得、1990年に水平対向12気筒エンジンを引っ提げ、C3Bの名で予選に挑みました。しかしライバルに大きく水を開けられて1回も予備予選を突破できずにF1から撤退しています。
今回の数値は優勝やポールポジションを除いて、回数でなく「レース数」で横並びとしました。例えば、先日ホンダエンジンを搭載するフェルスタッペン、クビアトによるダブル表彰台のドイツGPは表彰台回数を「1戦」とカウントしています。
データは2019年第12戦ハンガリーGP時点
◯はドライバー、エンジンとも2019年現役
・決勝出走数
1 983戦 フェラーリ ◯
2 631戦 ルノー ◯
3 523戦 フォード
4 471戦 メルセデス ◯
5 433戦 ホンダ ◯
11 147戦 無限(無限ホンダ)
13 140戦 トヨタ
15 116戦 ヤマハ
- (8戦)スバル
・入賞レース数
1 806戦 フェラーリ ◯
2 499戦 ルノー ◯
3 423戦 メルセデス ◯
4 383戦 フォード
5 266戦 ホンダ ◯
8 83戦 トヨタ
14 56戦 無限(無限ホンダ)
23 18戦 ヤマハ
・表彰台レース数
1 578戦 フェラーリ ◯
2 322戦 メルセデス ◯
3 312戦 ルノー ◯
4 289戦 フォード
5 128戦 ホンダ ◯
14 17戦 トヨタ
16 15戦 無限(無限ホンダ)
26 2戦 ヤマハ
・優勝レース数
1 236勝 フェラーリ ◯
2 183勝 メルセデス ◯
3 176勝 フォード
4 168勝 ルノー ◯
5 74勝 ホンダ ◯
16 4勝 無限(無限ホンダ)
グラフで一言にまとめると、こんな感じ。表彰台数は優勝数を、入賞数は表彰台数と優勝数を、決勝出走数は全てを内包します。
今シーズンのエンジンメーカー(サプライヤー)全てが歴代の中でも古参にあたります。その中ではホンダが最も歴が浅いです。言うまでもなくフェラーリエンジンが最多、かつ他のメーカーと異なる点はメルセデスやルノー、ホンダはサプライヤーに特化した時代を含む中で「ほぼワークスチーム」でのカウントというのがすごい!さすがレース屋フェラーリですねー、と感心するだけではつまらない。今回はあくまで「ホンダ」が主役、あれだけ勝ちまくった時代があるのなら「勝率」でみたらどうか、とグラフの下に割り出した結果を出しました。ところがフェラーリを上回ったのはルノー、フォード、メルセデスの3社で、肝心なホンダは勝率17.1%とメルセデスの半分以下に。うーん、メルセデス強し。最近はレース内容もブログネタもメルセデス過ぎてますね。この比較は失敗か。
日本メーカーでみると、ホンダ系列の無限、世界のトヨタ、バイクも楽器もおまかせヤマハを大きく引き離して日本1位!F1で優勝しているのはホンダと無限(ホンダ)の2社となっています。ホンダは長年「F1命」で頑張っているし、すごいメーカーなのだ!(笑)
《ホンダ各期の戦績》
ここからちゃんと「ホンダエンジン」に特化していきます。ご存知の通り、ホンダとF1との関わりは4つの期間に分かれます。チームによってはシーズン途中にエンジンメーカーや組織をを変えていることがあります。そこは「別チーム扱い」でカウントしています。2018年に関してはフォース・インディアの件で10チームではなく、11チーム扱いです。
こちらはF1全体でみたホンダエンジン搭載のチーム(コンストラクター)ランキングです。グレーにハッチングされているのが空白期間で、限られたスペースの中でグラフ化するとくちゅくちゅっと非常に窮屈になります。ザッとみる限りだと、ホンダの黄金期ともいえる第二期をはじめ、なかなか上の方に位置してるじゃん?!なんて。以下で期で分けたデータと戦績にまとめていきます。パワーユニット構成を示すTTはツインターボ、HTはハイブリッドターボです。
・ホンダ第一期
期間 :1964年〜68年(5年)
供給先 :ホンダ
初P.P. :J・サーティース(68年R9イタリア)
初入賞 :R・ギンザー(65年R3ベルギー)
初表彰台:R・ギンザー(65年R10メキシコ)
初優勝 :R・ギンザー(65年R10メキシコ)
ホンダ 1964年〜68年 ドライバー6人
初入賞 :R・ギンザー(65年R3ベルギー)
初表彰台:R・ギンザー(65年R10メキシコ)
初優勝 :R・ギンザー(65年R10メキシコ)
ホンダ 1964年〜68年 ドライバー6人
P.P.1回 決勝35戦 入賞13戦 表彰台5戦 2勝
64年:RA271E 1.5ℓV12 NA
65年:RA272E 1.5ℓV12 NA
66年:RA273E 3.0ℓV12 NA
67年:RA273E 3.0ℓV12 NA
68年:RA301E 3.0ℓV12 NA
RA302E 3.0ℓV8 NA
この時代を偉そうに書いていますが、毎度のことながらmiyabikunまだ生まれていません。両親でさえ青年少女の頃。よって恥ずかしながら雑誌やビデオの受け売りです。
1964年といえば、東京オリンピックにカラーテレビ、東海道新幹線開業、全国に少しずつ高速道路が出来始めたいわゆる「高度成長期」と呼ばれた頃。本田技研工業は今よりもバイクに力を注いでいた企業で、当初はワークス参戦ではなく名門ブラバムやロータスへのエンジン供給を予定していました。しかし64年シーズン開幕半年前に急遽頓挫、ワークスでの参戦を強いられたのがきっかけでした。
開幕戦には間に合わず、F1デビューは第6戦ドイツGPでした。ドライバーにはアメリカ出身のR・バックナムの1名体制で臨み、予選24人中22位、決勝は完走こそしますがフェラーリで優勝を飾るJ・サーティースから4周遅れとなる13位で終え、現実の厳しさや課題の残る初戦となりました。
日本ではまだ馴染みがなく、周りは四輪で何十年も活躍する一流ドライバーやチームに囲まれるホンダ。65年から加入したR・ギンザーによって最終戦メキシコGPの予選3位スタートから記念すべき初優勝を挙げます。さらに67年に二輪と四輪を制覇したサーティースが加入したことで大きな転機を迎えます。開幕戦南アフリカGPで3位表彰台に立つと、リタイヤ以外は全て入賞圏内のフィニッシュを続け、第9戦イタリアGPでサーティースにも優勝をプレゼントすることに成功。コンストラクターズランキングでフェラーリを上回る4位を獲得することができました。しかし順風満帆に思えた矢先の翌68年、第6戦フランスGPでスポット参戦したJ・シュレッサーが死亡、そのシーズンをもってF1から退くことになりました。
・ホンダ第二期
期間 :1983年〜92年(10年)
供給先 :スピリット、ウィリアムズ、
ロータス、マクラーレン、ティレル
初P.P. :K・ロズベルグ(85年R7フランス)
初入賞 :K・ロズベルグ(83年R15南アフリカ)
初表彰台:K・ロズベルグ(84年R1ブラジル)
初優勝 :K・ロズベルグ(84年R9アフリカ)
スピリット 1983年 ドライバー1人
P.P.0回 決勝6戦 入賞0戦 表彰台0戦 0勝
ウィリアムズ 1983年〜87年 ドライバー6人
初入賞 :K・ロズベルグ(83年R15南アフリカ)
初表彰台:K・ロズベルグ(84年R1ブラジル)
初優勝 :K・ロズベルグ(84年R9アフリカ)
スピリット 1983年 ドライバー1人
P.P.0回 決勝6戦 入賞0戦 表彰台0戦 0勝
ウィリアムズ 1983年〜87年 ドライバー6人
P.P.19回 決勝65戦 入賞46戦 表彰台33戦 23勝
ロータス 1987年〜88年 ドライバー3人
P.P.1回 決勝32戦 入賞19戦 表彰台11戦 2勝
マクラーレン 1988年〜92年 ドライバー3人
P.P.53回 決勝80戦 入賞71戦 表彰台64戦 44勝
ティレル 1991年 ドライバー2人
P.P.0回 決勝16戦 入賞3戦 表彰台1戦 0勝
83年:RA164E 1.5ℓV6 TT
84年:RA164E 1.5ℓV6 TT
85年:RA165E 1.5ℓV6 TT
86年:RA166E 1.5ℓV6 TT
87年:RA167E 1.5ℓV6 TT
88年:RA168E 1.5ℓV6 TT
89年:RA109E 3.5ℓV10 NA
90年:RA100E 3.5ℓV10 NA
91年:RA121E 3.5ℓV12 NA(マクラーレン)
RA101E 3.5ℓV10 NA(ティレル)
92年:RA122E 3.5ℓV12 NA
さあキラキラの第二期ですよー!この頃になればmiyabikunは半分リアルです。F1の時代は「小排気量にツインターボ搭載」が主流になるつつありました。下位カテゴリーでモータースポーツに関わるホンダは、撤退してから15年の歳月を経た83年第9戦イギリスGPでイギリスが地元のスピリットから、ワークスではなく「エンジンサプライヤー」として復帰し、ビッグパワーターボのレースに果敢にチャレンジすることとなりました。
そして何とチャンピオンチームであるウィリアムズへの供給が決まり、ドライバーはこちらもチャンピオン経験者のK・ロズベルグがもれなく付いてきます。2年目の84年第9戦アメリカGPでロズベルグによる復帰後初優勝、85年のフランスとドイツで2戦連続のポールポジション獲得と、改良とテストを繰り返した成果が早々と発揮されました。その後、ウィリアムズにはマンセルとピケが並び、ロータスでは若手のセナとホンダの飛躍に貢献した中嶋悟がシートにおさまるという、ホンダが演出したといっても過言ではない「日本F1絶頂期」に突入していきます。そしてツインターボ締めくくりの88年にウィリアムズからマクラーレンに鞍替えしたホンダは「例の偉業」を成し遂げる。
エンジンレギュレーションに大幅な変更を伴うことで変わるかと思われた勢力図をマクラーレンとホンダ3.5ℓV10 NAではね退け、ウィリアムズ時代から「コンストラクターズ6連覇」を成し遂げます。これは現時点の最長タイ記録です。もし今シーズンもメルセデスが獲得すれば、2000年代前半を席巻したフェラーリと合わせたタイ記録となります(同一コンストラクターとすると、ホンダは4連覇となり除外)
ただライバルもジリジリと差を縮めていたのも事実で、ルノーエンジンに鞍替えしたウィリアムズは様々な新技術を導入して政権交代を図り、ホンダは「本業」に注力すべく2度目のF1撤退を決心しました。その後の技術はグループ会社である無限が引き続き、エンジンサプライヤーとしてF1を支えていきます。
・ホンダ第三期
期間:2000年〜08年(9年)
供給先 :ホンダ、B・A、R、ジョーダン、
スーパーアグリ
マクラーレン 1988年〜92年 ドライバー3人
P.P.53回 決勝80戦 入賞71戦 表彰台64戦 44勝
ティレル 1991年 ドライバー2人
P.P.0回 決勝16戦 入賞3戦 表彰台1戦 0勝
83年:RA164E 1.5ℓV6 TT
84年:RA164E 1.5ℓV6 TT
85年:RA165E 1.5ℓV6 TT
86年:RA166E 1.5ℓV6 TT
87年:RA167E 1.5ℓV6 TT
88年:RA168E 1.5ℓV6 TT
89年:RA109E 3.5ℓV10 NA
90年:RA100E 3.5ℓV10 NA
91年:RA121E 3.5ℓV12 NA(マクラーレン)
RA101E 3.5ℓV10 NA(ティレル)
92年:RA122E 3.5ℓV12 NA
さあキラキラの第二期ですよー!この頃になればmiyabikunは半分リアルです。F1の時代は「小排気量にツインターボ搭載」が主流になるつつありました。下位カテゴリーでモータースポーツに関わるホンダは、撤退してから15年の歳月を経た83年第9戦イギリスGPでイギリスが地元のスピリットから、ワークスではなく「エンジンサプライヤー」として復帰し、ビッグパワーターボのレースに果敢にチャレンジすることとなりました。
そして何とチャンピオンチームであるウィリアムズへの供給が決まり、ドライバーはこちらもチャンピオン経験者のK・ロズベルグがもれなく付いてきます。2年目の84年第9戦アメリカGPでロズベルグによる復帰後初優勝、85年のフランスとドイツで2戦連続のポールポジション獲得と、改良とテストを繰り返した成果が早々と発揮されました。その後、ウィリアムズにはマンセルとピケが並び、ロータスでは若手のセナとホンダの飛躍に貢献した中嶋悟がシートにおさまるという、ホンダが演出したといっても過言ではない「日本F1絶頂期」に突入していきます。そしてツインターボ締めくくりの88年にウィリアムズからマクラーレンに鞍替えしたホンダは「例の偉業」を成し遂げる。
エンジンレギュレーションに大幅な変更を伴うことで変わるかと思われた勢力図をマクラーレンとホンダ3.5ℓV10 NAではね退け、ウィリアムズ時代から「コンストラクターズ6連覇」を成し遂げます。これは現時点の最長タイ記録です。もし今シーズンもメルセデスが獲得すれば、2000年代前半を席巻したフェラーリと合わせたタイ記録となります(同一コンストラクターとすると、ホンダは4連覇となり除外)
ただライバルもジリジリと差を縮めていたのも事実で、ルノーエンジンに鞍替えしたウィリアムズは様々な新技術を導入して政権交代を図り、ホンダは「本業」に注力すべく2度目のF1撤退を決心しました。その後の技術はグループ会社である無限が引き続き、エンジンサプライヤーとしてF1を支えていきます。
・ホンダ第三期
期間:2000年〜08年(9年)
供給先 :ホンダ、B・A、R、ジョーダン、
スーパーアグリ
初P.P. :J・バトン(04年R4サンマリノ)
初入賞 :J・ヴィルヌーブ(00年R1オーストラリア)
初表彰台:J・ヴィルヌーブ(01年R5スペイン)
初優勝 :J・バトン(06年R13ハンガリー)
B・A・R 2000年〜05年 ドライバー6人
P.P.2回 決勝102戦 入賞39戦 表彰台15戦 0勝
ジョーダン 2001年〜02年 ドライバー6人
初入賞 :J・ヴィルヌーブ(00年R1オーストラリア)
初表彰台:J・ヴィルヌーブ(01年R5スペイン)
初優勝 :J・バトン(06年R13ハンガリー)
B・A・R 2000年〜05年 ドライバー6人
P.P.2回 決勝102戦 入賞39戦 表彰台15戦 0勝
ジョーダン 2001年〜02年 ドライバー6人
P.P.0回 決勝34戦 入賞13戦 表彰台0戦 0勝
ホンダ 2006年〜08年 ドライバー2人
P.P.1回 決勝53戦 入賞21戦 表彰台4戦 1勝
スーパーアグリ 2006年〜08年 ドライバー5人
P.P.0回 決勝39戦 入賞2戦 表彰台0戦 0勝
00年:RA000E 3.0ℓV10 NA
01年:RA001E 3.0ℓV10 NA
02年:RA002E 3.0ℓV10 NA
03年:RA003E 3.0ℓV10 NA
04年:RA004E 3.0ℓV10 NA
05年:RA005E 3.0ℓV10 NA
06年:RA806E 2.4ℓV8 NA
07年:RA807E 2.4ℓV8 NA
08年:RA808E 2.4ℓV8 NA
第二期から撤退した後、エンジンは無限によってF1参戦するに留まりますが、ホンダも内々でワークス参戦を夢に試作が続けられました。1999年にイギリスを拠点とするホンダ・レーシング・ディベロップメント(HRD)を設立。テストドライバーとしてF1走行経験のあるJ・フェルスタッペンを招いて準備段階に入りますが、テクニカルディレクターのH・ポスルズウェイトが心筋梗塞によって亡くなったため計画が白紙となり、エンジンサプライヤーとしての復帰を選びました(ちなみにこの頃M・フェルスタッペンが生まれています)
第三期は参戦して日の浅いB・A・Rへの供給となりました。潤沢な資金とチャンピオン経験者であるJ・ヴィルヌーブをもってしてもなかなか表彰台に手が届かず、初年2000年シーズンは決勝4位4回でコンストラクターズランキングも4位で終えます。01年から無限ホンダを搭載していたジョーダンを加えた2チーム体制とし、02年にホンダが育てた佐藤琢磨のシートを用意します。
この時代はグラフからも読み取れるように、決して順調なものではありませんでした。ホンダはお家芸ともいえた優勝はおろか、表彰台やポールポジションにもなかなか届きませんでした。何せ相手としているのは最強時代を確立したフェラーリ、底力をみせる名門ウィリアムズとBMWのタッグ、また成長著しいアロンソやライコネンといった若手の台頭と、ホンダ陣営はそれらに続く位置をさまよいます。同じく日本のワークスチームであるトヨタが徐々に実力を付け成長していくのも、ホンダとしては悔しかったことと思います。最高位はバトンと佐藤の組み合わせでいわば「確変」が起きた04年のランキング2位。ポールポジションもバトンによる同年の第4戦サンマリノGPまでお預けでした。
この頃からF1で必ず目にしてきた「タバコ広告の禁止」を受け、06年にホンダはBATの株式を取得。ホンダワークス第二期を迎えます。ただ成績は鳴かず飛ばずのまま、第13戦ハンガリーGPの荒れたレースを制したバトンが初優勝を挙げるものの、右肩下がりを抜け出せず。08年末に3度目のF1撤退を発表、チーム代表だったR・ブラウンに1ポンドで売却されました。今に続く「最強メルセデス」の前身なわけです。
・ホンダ第四期
期間 :2015年〜
供給先 :マクラーレン、トロ・ロッソ、
ホンダ 2006年〜08年 ドライバー2人
P.P.1回 決勝53戦 入賞21戦 表彰台4戦 1勝
スーパーアグリ 2006年〜08年 ドライバー5人
P.P.0回 決勝39戦 入賞2戦 表彰台0戦 0勝
00年:RA000E 3.0ℓV10 NA
01年:RA001E 3.0ℓV10 NA
02年:RA002E 3.0ℓV10 NA
03年:RA003E 3.0ℓV10 NA
04年:RA004E 3.0ℓV10 NA
05年:RA005E 3.0ℓV10 NA
06年:RA806E 2.4ℓV8 NA
07年:RA807E 2.4ℓV8 NA
08年:RA808E 2.4ℓV8 NA
第二期から撤退した後、エンジンは無限によってF1参戦するに留まりますが、ホンダも内々でワークス参戦を夢に試作が続けられました。1999年にイギリスを拠点とするホンダ・レーシング・ディベロップメント(HRD)を設立。テストドライバーとしてF1走行経験のあるJ・フェルスタッペンを招いて準備段階に入りますが、テクニカルディレクターのH・ポスルズウェイトが心筋梗塞によって亡くなったため計画が白紙となり、エンジンサプライヤーとしての復帰を選びました(ちなみにこの頃M・フェルスタッペンが生まれています)
第三期は参戦して日の浅いB・A・Rへの供給となりました。潤沢な資金とチャンピオン経験者であるJ・ヴィルヌーブをもってしてもなかなか表彰台に手が届かず、初年2000年シーズンは決勝4位4回でコンストラクターズランキングも4位で終えます。01年から無限ホンダを搭載していたジョーダンを加えた2チーム体制とし、02年にホンダが育てた佐藤琢磨のシートを用意します。
この時代はグラフからも読み取れるように、決して順調なものではありませんでした。ホンダはお家芸ともいえた優勝はおろか、表彰台やポールポジションにもなかなか届きませんでした。何せ相手としているのは最強時代を確立したフェラーリ、底力をみせる名門ウィリアムズとBMWのタッグ、また成長著しいアロンソやライコネンといった若手の台頭と、ホンダ陣営はそれらに続く位置をさまよいます。同じく日本のワークスチームであるトヨタが徐々に実力を付け成長していくのも、ホンダとしては悔しかったことと思います。最高位はバトンと佐藤の組み合わせでいわば「確変」が起きた04年のランキング2位。ポールポジションもバトンによる同年の第4戦サンマリノGPまでお預けでした。
この頃からF1で必ず目にしてきた「タバコ広告の禁止」を受け、06年にホンダはBATの株式を取得。ホンダワークス第二期を迎えます。ただ成績は鳴かず飛ばずのまま、第13戦ハンガリーGPの荒れたレースを制したバトンが初優勝を挙げるものの、右肩下がりを抜け出せず。08年末に3度目のF1撤退を発表、チーム代表だったR・ブラウンに1ポンドで売却されました。今に続く「最強メルセデス」の前身なわけです。
・ホンダ第四期
期間 :2015年〜
供給先 :マクラーレン、トロ・ロッソ、
レッドブル
初P.P. :M・フェルスタッペン(19年R12ハンガリー)
初入賞 :J・バトン(15年R6モナコ)
初表彰台:M・フェルスタッペン(19年R1オーストラリア)
初優勝 :M・フェルスタッペン(19年R9オーストリア)
マクラーレン 2015年〜17年 ドライバー3人
P.P.0回 決勝60戦 入賞25戦 表彰台0戦 0勝
トロ・ロッソ 2018年〜 ドライバー4人
P.P.0回 決勝33戦 入賞17戦 表彰台1戦 0勝
レッドブル 2019年〜 ドライバー2人
P.P.1回 決勝12戦 入賞12戦 表彰台5戦 2勝
15年:RA615H 1.6ℓV6 HT
16年:RA616H 1.6ℓV6 HT
17年:RA617H 1.6ℓV6 HT
18年:RA618H 1.6ℓV6 HT
19年:RA619H 1.6ℓV6 HT
まさに真っ只中の期ですね。振り返らずとも皆さんも記憶に新しいことと思いますので、多くは書きません。現パワーユニットになった1年遅れの15年から、それも輝かしい過去を持つマクラーレンとのタッグは日本のみならず世界中のF1ファンの目を釘付けにしたことでしょう。3シーズンのマクラーレンを経て、こちらもパワーユニット絡みでぐちゃぐちゃしてしまっていたレッドブルグループに載せ替え、今シーズンようやく久々に華開きました。単調で偏りのあるシーズンを盛り上げてくれる明るい話題でしたね。ホンダとレッドブルグループとは非常に良好な関係を築けていると思います。
全四期のチーム別の決勝成績内訳をグラフ化しました。さっきのメーカー別の「ホンダ」をチームに細分化したもの。一応、上から時系列で並んでいます。決勝レース数や入賞順位など、時代によって差があるため、一概にチーム別の優劣比較ができないことをご了承下さい。
決勝の最多出走は第三期のB・A・Rの102戦です。しかし先程も書いた通り、長い割に優勝は残念ながらありません。グラフ化してみるとマクラーレンとの第一期の戦績は一段と強烈ですね。80戦の参戦で優勝は44勝は勝率は55.0%をマークします。一方でマクラーレン第二期は60戦で表彰台もポールポジションもゼロでした。伝説のタッグの再現なれば計算上は33勝してほしかったけど、チャンピオン経験者をもってしてもそうはいかないのが「スポーツの証」というべきか。
期待集まるレッドブルとのタッグは勝率16.7%、12戦全戦入賞で続いています。さすがに勝率を上回るのは難しいだろうけど、入賞率100%は誇らしいレベルですね。それもこれもフェルスタッペンの実力の賜物。このような下積み時代を経て、現在「最強」を誇るライバルに少しずつ近付いていくはずです。今後の活躍に大いなる期待が寄せられますね。
《ホンダエンジンでの個人成績》
最後にもう少しミクロにホンダをみてみます。ホンダエンジンに関わったドライバー個人の成績です。優勝とポールポジションをピックアップしました。結果はどうなるかくらい、言われなくてもわかるって?!
・優勝数ランキング
★はホンダエンジンによるチャンピオン獲得数
1 32勝 A・セナ ★★★
2 13勝 N・マンセル
3 11勝 A・プロスト ★
4 7勝 N・ピケ ★
5 3勝 K・ロズベルグ
G・ベルガー
7 2勝 M・フェルスタッペン ◯
8 1勝 R・ギンザー
J・サーティース
J・バトン
・ポールポジション数ランキング
1 46回 A・セナ ★★★
2 11回 N・マンセル
3 6回 N・ピケ ★
4 4回 A・プロスト ★
4回 G・ベルガー
6 3回 J・バトン
7 2回 K・ロズベルグ
8 1回 J・サーティース
M・フェルスタッペン ◯
そうですね、こうなります。ホンダはセナ様々、セナもホンダ様々な関係でした。興味深いのは、80年代に「四天王」と呼ばれた4人全てがホンダのマシンをドライブし、ポールポジションを獲得し、優勝しています。ちなみに、チームくくりでみると4人全員が大なり小なりウィリアムズをドライブしています。数字的にはビッグメーカーに及ばないホンダでも、F1においてキーポイントになっていることがわかります。日本人の我々からしたら嬉しいですね。
様々な角度から「ホンダ」を覗くと、各期でキーマンとなったドライバーがみえてきます。第一期は初勝利を飾ったギンザーやサーティース。第二期は3回のチャンピオン全てをホンダで獲得したセナはもちろんのこと、パパベルグもあらゆる「初」を得てキャリアの多くをホンダで築きました。少し寂しい第三期もバトンが2チームを股にかけてポールポジションと優勝を獲るあたりがチャンピオンになる資質を作り上げたのかもしれません。そして第四期は暗い話題、悔しい発言、意見の不一致などがありつつもフェルスタッペンの活躍でようやく報われるようになりました。今後も充分に期待できる位置になりました。活躍が楽しみですね!
ちょうどホンダ第四期のスタートと同じ15年開幕直前にライブドアに舞台を変えて始めたこのブログでは、ホンダについて少し冷ややかに、どこか否定的でもあり、正直距離を置いてあまり触れないできました。miyabikunがF1に興味を持つきっかけになったのはホンダの影響も大きく、今でもホンダのファンの1人であることは間違いありません。マクラーレン・ホンダの復活は嬉しいし楽しみではありつつも、心の中では「汚してほしくはない」という、保守的で逃げのある目線であったこと。また悪い予想がまんまと的中して各方面からの非難の声がとても悲しく、悔しく、怒りに感じていたからでした。メディアのように変に持ち上げたり、一喜一憂するのも、疲れてしまいますしね。
4年の歳月をかけて今シーズンようやくポールポジションと複数回優勝を手にすることができました。これはあくまで自論ですが、パワーがない、信頼性が無い、ダメだと言われていたエンジンも、ドライバーやチームも、もちろんエンジンも一丸となって「協力し合う」ことで目に見えた結果をもたらしたと考えています。結果を出せたことで自信がついたというのは勝手にみえるかもしれませんが、これからは変にうがった見方をせず、正面から見つめ、評価し、素直に応援できるようになりたいと思います。
初入賞 :J・バトン(15年R6モナコ)
初表彰台:M・フェルスタッペン(19年R1オーストラリア)
初優勝 :M・フェルスタッペン(19年R9オーストリア)
マクラーレン 2015年〜17年 ドライバー3人
P.P.0回 決勝60戦 入賞25戦 表彰台0戦 0勝
トロ・ロッソ 2018年〜 ドライバー4人
P.P.0回 決勝33戦 入賞17戦 表彰台1戦 0勝
レッドブル 2019年〜 ドライバー2人
P.P.1回 決勝12戦 入賞12戦 表彰台5戦 2勝
15年:RA615H 1.6ℓV6 HT
16年:RA616H 1.6ℓV6 HT
17年:RA617H 1.6ℓV6 HT
18年:RA618H 1.6ℓV6 HT
19年:RA619H 1.6ℓV6 HT
まさに真っ只中の期ですね。振り返らずとも皆さんも記憶に新しいことと思いますので、多くは書きません。現パワーユニットになった1年遅れの15年から、それも輝かしい過去を持つマクラーレンとのタッグは日本のみならず世界中のF1ファンの目を釘付けにしたことでしょう。3シーズンのマクラーレンを経て、こちらもパワーユニット絡みでぐちゃぐちゃしてしまっていたレッドブルグループに載せ替え、今シーズンようやく久々に華開きました。単調で偏りのあるシーズンを盛り上げてくれる明るい話題でしたね。ホンダとレッドブルグループとは非常に良好な関係を築けていると思います。
全四期のチーム別の決勝成績内訳をグラフ化しました。さっきのメーカー別の「ホンダ」をチームに細分化したもの。一応、上から時系列で並んでいます。決勝レース数や入賞順位など、時代によって差があるため、一概にチーム別の優劣比較ができないことをご了承下さい。
決勝の最多出走は第三期のB・A・Rの102戦です。しかし先程も書いた通り、長い割に優勝は残念ながらありません。グラフ化してみるとマクラーレンとの第一期の戦績は一段と強烈ですね。80戦の参戦で優勝は44勝は勝率は55.0%をマークします。一方でマクラーレン第二期は60戦で表彰台もポールポジションもゼロでした。伝説のタッグの再現なれば計算上は33勝してほしかったけど、チャンピオン経験者をもってしてもそうはいかないのが「スポーツの証」というべきか。
期待集まるレッドブルとのタッグは勝率16.7%、12戦全戦入賞で続いています。さすがに勝率を上回るのは難しいだろうけど、入賞率100%は誇らしいレベルですね。それもこれもフェルスタッペンの実力の賜物。このような下積み時代を経て、現在「最強」を誇るライバルに少しずつ近付いていくはずです。今後の活躍に大いなる期待が寄せられますね。
《ホンダエンジンでの個人成績》
最後にもう少しミクロにホンダをみてみます。ホンダエンジンに関わったドライバー個人の成績です。優勝とポールポジションをピックアップしました。結果はどうなるかくらい、言われなくてもわかるって?!
・優勝数ランキング
★はホンダエンジンによるチャンピオン獲得数
1 32勝 A・セナ ★★★
2 13勝 N・マンセル
3 11勝 A・プロスト ★
4 7勝 N・ピケ ★
5 3勝 K・ロズベルグ
G・ベルガー
7 2勝 M・フェルスタッペン ◯
8 1勝 R・ギンザー
J・サーティース
J・バトン
・ポールポジション数ランキング
1 46回 A・セナ ★★★
2 11回 N・マンセル
3 6回 N・ピケ ★
4 4回 A・プロスト ★
4回 G・ベルガー
6 3回 J・バトン
7 2回 K・ロズベルグ
8 1回 J・サーティース
M・フェルスタッペン ◯
そうですね、こうなります。ホンダはセナ様々、セナもホンダ様々な関係でした。興味深いのは、80年代に「四天王」と呼ばれた4人全てがホンダのマシンをドライブし、ポールポジションを獲得し、優勝しています。ちなみに、チームくくりでみると4人全員が大なり小なりウィリアムズをドライブしています。数字的にはビッグメーカーに及ばないホンダでも、F1においてキーポイントになっていることがわかります。日本人の我々からしたら嬉しいですね。
様々な角度から「ホンダ」を覗くと、各期でキーマンとなったドライバーがみえてきます。第一期は初勝利を飾ったギンザーやサーティース。第二期は3回のチャンピオン全てをホンダで獲得したセナはもちろんのこと、パパベルグもあらゆる「初」を得てキャリアの多くをホンダで築きました。少し寂しい第三期もバトンが2チームを股にかけてポールポジションと優勝を獲るあたりがチャンピオンになる資質を作り上げたのかもしれません。そして第四期は暗い話題、悔しい発言、意見の不一致などがありつつもフェルスタッペンの活躍でようやく報われるようになりました。今後も充分に期待できる位置になりました。活躍が楽しみですね!
4年の歳月をかけて今シーズンようやくポールポジションと複数回優勝を手にすることができました。これはあくまで自論ですが、パワーがない、信頼性が無い、ダメだと言われていたエンジンも、ドライバーやチームも、もちろんエンジンも一丸となって「協力し合う」ことで目に見えた結果をもたらしたと考えています。結果を出せたことで自信がついたというのは勝手にみえるかもしれませんが、これからは変にうがった見方をせず、正面から見つめ、評価し、素直に応援できるようになりたいと思います。
にほんブログ村