F1 えきぞーすとのーと

よくあるニュースネタやこ難しいテクニカルな話ではなく、メインは予選や決勝のTV観戦したそのものを個人的観点から綴るF1ブログです。  また、懐かしのマシンやレースを振り返ったり、記録やデータからF1を分析。その他ミニカーやグッズ集めも好きなので、それらを絡めつつ広く深くアツくF1の面白さやすごさを発信し、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

タグ:コスワース

たまに「どこの自動車ブランドが好き?」と聞かれることがあります。miyabikunはイギリス車が好きです。実際に乗っているのは日本車だし、将来乗るかと言われれば、手が出ることもないだろうけど、ドイツ車やイタリア車にはない「気品」とその見た目とは裏腹の「高出力」が芸術品の様にも感じます。残念ながらそのブランドは近年F1参戦していないのですが、今回は日本でも見かけるイギリス車の代表格の一つ、ジャガーの処女作2000年のR1を取り上げていきます。ヨーグルトにありそうなシャシー名だ。
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《設計》
ゲイリー・アンダーソン

《外見》
ジャガーは象徴的なエンブレム「リーピングキャット」でお馴染みイギリス車の名門です。F1におけるジャガーはフォードのワークス的立場にあった「スチュワート・グランプリ」をフォードが買収して誕生しました。よって「あのジャガーによるF1参戦なのか?!」と言われると、実質は「アメリカのフォード社が傘下に入れたジャガーの名を冠していた」が正しい表現になります。ちなみに、現存するジャガーはフォード系列からは離れ、2008年にインドの自動車メーカーであるタタ社の傘下となっています。
テクニカルディレクターはスチュワート時代から引き続きゲイリー・アンダーソンが就いています。アンダーソンといえば、今でも高い人気を誇る芸術車「ジョーダン191」に携わった人物です。ジョーダンで採用されたブリティッシュグリーンをまとい、さらにはメタリック調の塗色に仕上げてあって個人的には好きです。色からして上品!リーピングキャットもしっかり前を向いて前方のライバルを捕まえんばかりに鎮座しています。
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でもこのマシン、綺麗なグリーン色に騙されそうだけど、どこかで見たことあると思いませんか?!頭の中で塗装を剥いでみて下さい。あ、マクラーレン!そう、このマシンの大筋はチャンピオンマシンであるマクラーレンを模しているのです。ノーズの形、フロントウィング、大型なディフレクター、サイドポンツーン形状もよく似ていますよね。以前に取り扱った「スチュワートSF3」もマクラーレン似だったし、要はタータンチェックを緑に変えただけ?!出来のよかった前作SF3から小変更と思いきや、実はこのマシンに大胆な改良を施しています。それはリヤサスペンションの「支持方式」です。
リヤサスペンションはプッシュロッドを採っています。ロッドの回転する中心に向かって水平にトーションバー(板バネ)を設置するのが一般的ですが、このマシンはそれを下向きに取り付けて、ダンパーを車体下方となるように設置して低重心化を図りました(ダブルロッカー)ギヤボックスも低く、エンジンカバーも後端部は低く仕上がっています。F1において低重心化は今までも各チームが命題としており、うまくハマればマシン挙動が大幅に安定します。そこはライバルにはない「大胆かつ独特な試み」であったといえます。

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《シャシー》
全長: - mm
全幅: - mm
全高: - mm
最低車体重量: - kg
燃料タンク容量:− ℓ
ホイール:BBS
ブレーキ:AP
サスペンション:フロント プッシュロッド
                                 リヤ    プッシュロッド
タイヤ:ブリヂストン

《エンジン》
フォード コスワースCR-2
V型10気筒・バンク角72度
排気量:2,998cc(推定)
最高回転数: - rpm(非公表)
最大馬力: - 馬力(非公表)
スパークプラグ:ビステオン,チャンピオン
燃料・潤滑油:テキサコ

エンジンは前年のSF3と同じフォード・コスワースCR-1から改良されたCR-2で挑んでいます。エンジン改良に奇抜なサスペンション機構はこの後に示す戦績で成功だったか失敗だったか一目瞭然です。

《ドライバー》
No.7 エディ・アーバイン(第10戦を除く全戦)
         ルチアーノ・ブルティ(第10戦)
No.8 ジョニー・ハーバート(全戦)
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《戦績》
4ポイント コンストラクター9位
(4位1回、6位1回ほか)
ポールポジション0回

なかなかの成績で終えたスチュワート時代のバリチェロからアーバインにスイッチして、イギリス人のベテランドライバーで揃えてきました。ハーバートは「帝王」の下積み時代に嫌な感じにされた被害者。アーバインも「帝王」に仕えてチャンピオンを獲得する絶好のチャンスをモノにできなかったドライバー。さらにバリチェロはそのアーバインに代わって「帝王」に仕えるべくフェラーリに移籍し、結果はご存知の通りと「帝王」にまつわるドライバーがこの時代のこのチームに関わっています。
それはさておき戦績は前作スチュワートSF3の好成績と前年チャンピオン争いを演じたアーバインをもってして「低調」なものとなっています。序盤2戦は完走すらならず、第3戦サンマリノGPでアーバイン7位、ハーバート10位(いずれも当時は入賞圏外)と苦戦が続きました。原因の一つはあの奇抜なリヤサスペンションがマシンに不安定な挙動を招き、操作性が困難であったと言われています。チーム初入賞かつ最高位は第6戦モナコGPでアーバインの4位がやっと。おまけに第10戦オーストリアGPでアーバインが腹痛のためブルティが急遽代走を務めるなど、アーバインの悪いところでもある「やる気の浮き沈み」もみられました。またハーバートは結局一度も入賞することなくこのシーズンを最後にF1を引退しています。話題性のあるチーム、実績あるドライバーを引っさげての「ジャガー初年」はそれを裏切るかのような出来で、入賞はたったの2回という屈辱的な結果に終わりました。
ジャガーF1はこの2000年から2004年まで5シーズンを戦い、結果的にポールポジションと優勝はなく、最高位は後にアーバインによって2回の3位表彰台を獲得したまでです。フォードをバックボーンとした名ブランド「ジャガー・レーシング」はF1で大成することができませんでした。マシンはカッコよかっただけに残念でした。なおチームは2004年末に飲料水メーカーの「レッドブル」が1ドルで購入して今日に至ります。

miyabikunは週末に不覚にも5年振りにインフルエンザを患ってしまいました。発熱と頭痛があるものの食欲はあるのが救いです。今後アップが少し遅れるかもしれません。皆さんもインフルエンザには気をつけて下さい。

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スチュワート・グランプリを覚えていますか?以前「名選手、名監督にあらず」で書いたことのある、1997年から3年間参戦していたイギリスのチームです。チームオーナーは偉大なチャンピオンでF1のご意見番でもあるジャッキー・スチュワートとその息子ポールでした。ドライバー時代は自身生まれる前で詳しくはありませんが、その経歴は上回れなかったものの、チーム最終年1999年は最終年であるのが惜しい活躍をみせました。今回はそのマシン「SF3」について書きたいと思います。


《設計》
ゲイリー・アンダーソン
アラン・ジェンキンス
エグバル・ハミディー

《外見》
基本は前回の失敗作SF2からの正常進化で、そこからホイールベース延長やマクラーレンのような角張ったローノーズ、さらにフロントのトーションバーを水平配置として低重心なマシンに変更しました。
白い車体で分かり辛くなっていますが、ローノーズに水平なトーションバーなど、前に挙げた「MP4-13」に発するデザインを採用しており、全体的にマクラーレンとよく似たものとなっています。

エンジンはそれまでのフォードZETEC-Rを止め、軽量なCR-1を採用して低重心化の手助けをします。
カラーリングはスチュワート・グランプリは一貫して「白地に青のタータンチェックの帯」とJ・スチュワートを印象付けるものです。白が基調のマシンはサーキット内でも目立つし、たまたまなのかどのチームも似通ったものですよね。今のウィリアムズFW38が白地にマルティニカラーで何となく似ています。

主なスポンサーはHSBC(香港上海銀行)オイル供給のテキサコなどです。

《エンジン》
フォード コスワースCR-1
V型10気筒・バンク角72度
排気量:2,998cc(推定)
最高回転数:16,500rpm(推定)
最大馬力:780馬力(推定)
スパークプラグ:チャンピオン
燃料・潤滑油:テキサコ

《シャシー》
全長:- mm
全幅:- mm
全高:- mm
最低車体重量:- kg
燃料タンク容量:- ℓ
タイヤ:ブリヂストン
サスペンション:フロント プッシュロッド
                                 リア    プッシュロッド


《ドライバー》
No.16 ルーベンス・バリチェロ(全戦)
No.17 ジョニー・ハーバート(全戦)

《戦績》
36ポイント コンストラクター4位
(1位1回、3位3回、4位2回ほか)
ポールポジション1回

A・セナの後継者と期待されたブラジルの後輩バリチェロとベテランのハーバートを加えた「ひょうきん」コンビです。若くてもチームのキャリアは先輩のバリチェロは苦しい2年を乗り切り、スチュワート・グランプリの全てのシーズンを担い、最終年でこのマシンに出会います。
チーム2年目の1998年は初年度の最高位2位を下回る5位入賞がやっとで、完走すらままならないところまで来てしまっていました。ところがこのマシン3戦目のサンマリノGPでバリチェロが久々の表彰台となる3位を獲得すると第7戦でも3位となり、マクラーレンとフェラーリ以外のチームで表彰台争いに参加できそうなポテンシャルを示し始めます。
クライマックスは第14戦ヨーロッパGP(ニュルブルクリンク)で、雨で荒れに荒れた目まぐるしい1位の入れ替わりを見事に制したハーバートがなんと予選14番手から4年振りの優勝!それも3位バリチェロでダブル表彰台を獲得。それがチームにとって唯一の優勝となってコンストラクターズランキングはフェラーリ、マクラーレン、ジョーダンに次ぐ4番手まで飛躍しました。

バリチェロはこのマシンでの活躍を評価され、翌2000年からE・アーバインと入れ替わる形でフェラーリドライバーに抜擢されます。確かに勝てる強いチームへの移籍ですが、果たしてバリチェロにとっていいキャリアだったかどうかと考えると、悩ましい取り扱いでしたが(笑)


3年目にして優勝を経験したスチュワート・グランプリでしたが、エンジン供給元のフォードによって買収され、緑のジャガーに生まれ変わり、チームの幕を閉じます。これからの時期、と芽が出た矢先に消滅する形になったスチュワート・グランプリ。二強時代を生き抜いたSF3は地味ながらその隙をつく「時の活躍」を見せてくれた一台です。


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