F1 えきぞーすとのーと

よくあるニュースネタやこ難しいテクニカルな話ではなく、メインは予選や決勝のTV観戦したそのものを個人的観点から綴るF1ブログです。  また、懐かしのマシンやレースを振り返ったり、記録やデータからF1を分析。その他ミニカーやグッズ集めも好きなので、それらを絡めつつ広く深くアツくF1の面白さやすごさを発信し、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

タグ:クイズ

先日は2010年代から5問出題した「F1コレどのGP」ですが、えーご好評につきまして(?!いやーそうでもない)今回も引き続き2010年代に行われた印象的なレースやシーンから5問出題します。どの年のGPかをどしどしお考え下さい。

Q①
IMG_9019
「わーいわーい!がんばれふぇらーり!」
どこからどう見てもフェラーリファン、小さなティフォシです。フェラーリは強い時も強くない時もF1の代名詞。イタリアのみならず世界各国にたくさんのファンがいます。
IMG_9020
「ウチのスタートは2、4番手。この期待に応えねば」
シーズン序盤のヨーロッパラウンド初戦。首脳陣も決勝スタートを静かに見守る。
FullSizeRender
スタート!2番手のベッテルがいい!トップでターン1に進入。4番手ライコネンのアウト側にはレッドブルのフェルスタッペンが並びかけていく。
FullSizeRender
接触!ライコネンの左フロントタイヤは内側に折れ、タイヤスモークを上げながらストップ。トラック外でマシンを止め、0周リタイヤ。。
IMG_9024
「うーーっ。。ぶつかっちゃったよう。。」
先程の笑顔から一転、顔をくちゃくちゃにして泣く表情に。ベッテルはトップに浮上していますから、この表情からして明らかにライコネンファンということが判明しました。一方で隣のお兄さんは唇をかむ。ハミルトンも順位を落としてしまいましたから、スタートではファンそれぞれの思いが表れてきます。
IMG_9026
(マズった。。少年の思いを台無しにした。。)
普段はひょうひょうとしているライコネンもオープニングラップでのリタイヤは虚しさしか残らず。背中が寂しい。
FullSizeRender
(よし、レースは終わっちまったし、待ってろよ)
ライコネン、動きます。
IMG_9031
「ほらよ。ありがとな。いいか、もう泣くなよ」
「えへへ、やった!」
先程スタンドで悔し涙を流した少年はフェラーリのモーターホームに呼ばれ、生ライコネンと一緒にレース観戦をしましたとさ。ライコネンはパパになったばかりですから、ステアリングを置けば子供は可愛くみえるでしょう。だいぶ丸くなったなぁ。

Q②
IMG_9004
予選終了直後の写真撮影の風景になります。立ち位置からわかるようにメルセデス2人に打ち勝ったレッドブルのリカルドがポールポジションを獲得した模様。近年はレースでの追い抜きが難しくなり、スターティンググリッドはかなり重要です。特にこのサーキットで勝つにはその要素が最重要。
FullSizeRender
決勝のスタートは雨。ただでさえランオフエリアが限られ、ガードレールに囲われるサーキットですから危険度も増します。しばらくはセーフティカー先導でレースが進行します。レースが進むにつれ路面は乾き、各車ウェットからインターミディエイト、さらにインターミディエイトからドライへとタイヤを替えていく。
32周目にトップのリカルドがドライタイヤへの交換のためピットインすると、
IMG_9013
左リヤが無い。来ない。まだか?!
IMG_9014
何と静止時間13.6秒!1回目のインターミディエイトに交換した時の3.6秒から考えれば、10秒、4倍近いロスをしでかしたことになります。問題はそのロスをもってどのタイミングでトラック復帰できるか。
IMG_9015
ハミルトンの後ろ、2位。。レースはまだ前半ではありますが、ココはモ◯コ、モ◯テカ◯ロ。果たしてトラック上でかわせるものか?!
FullSizeRender
残念ながら順位は変わらず。予選でポールポジションを獲れば、優勝するのに絶対的有利と言われるココで、チームの失態によりその権利を失う。ニコニコ笑顔がトレードマークのリカルドは2位ではうかばれず「無」になっています。

Q③
IMG_9059
スタンドには綺麗なマスゲーム。黒に赤に金か。この国の国旗でしょうか。かなりのヒントになりそうです。
IMG_9060
ポールポジションはフェラーリのベッテル。表情はやや険し目。それもそのはず、現在ポイントランキングも1位で久々のチャンピオン返り咲きに向けて集中モード。ここでポールトゥウィンとなれば、チャンピオン争いもだいぶ有利になります。
FullSizeRender
逃げるベッテル。18周目は2位ボッタスに対して4.7秒の差を付け、チャンピオン獲得をより確実なものにしたい。
IMG_9063
レース中盤にレーダーが小さいながら雨雲の接近が映し出されています(右側のレーダーの中心にはGPのヒントとなる形が見えています)
ザウバーのルクレールらは45周目にインターミディエイトに履き替える。順位に影響がありそうです。
FullSizeRender
あーやっちまった、、。ベッテルは52周目のスタジアムセクションでコントロール不能に陥り、グラベルにハマる。
FullSizeRender
悔しい悔しい!ベッテルはステアリングを叩くわグラベルを蹴るわ、自らのミスを悔やむ。ベッテルのその後はどうなったか。ベッテルはフェラーリ時代にチャンピオンを獲得していないということから、以降逆転されたということ。このレースを落としたのはかなり痛手でした。

Q④
IMG_8988
スターティンググリッドの風景です。フロントロウはメルセデス、セカンドロウはレッドブルの模様。この時代はメルセデスがフロントロウをガチガチに占めていましたね。メインスタンドの屋根は膜を使ったなかなか奇抜なもののようですね。
IMG_8997
回り込むターン1で接触!見辛いですが、スタートダッシュが効いたベッテルの左フロントがロズベルグの右リヤを突く形で回転させてしまいました。この回り込むコーナーは「某大手レンタカー会社」のロゴマークのような線形をしています。これもGP決定の手がかりになりそう。
IMG_8998
ニコが後退すれば、こちらとしては儲けモン。逃げるハミルトンは一人旅を続けています。こりゃ楽なレース展開になったもんだなあ。と余裕をかましていると、、
IMG_8999
あら珍しい。パワーユニットから白煙が上がっています。無敵を誇るメルセデスとて、こうなってしまえば何も出来ない。逆を言えば、こうでもなってくれないとライバルはなかなか捕まえることができませんでしたよね。いつだかの時代、レースと同じだなぁ。
FullSizeRender
メルセデスの2台、そしてフェラーリの速い方が消えてくれれば、主役は僕らだ。レッドブルがワンツーフィニッシュをおさめ、チームクルーも大喜びです。3位はというと
IMG_9002
うわ、まさかのメルセデス。ロズベルグしぶとく生き残っていたのね。後退したと思いきや、やっぱりチャンピオンマシン。3位でしっかりフィニッシュできちゃうメルセデスでした。

Q⑤
IMG_9045
あるレースの5位6位対決になります。レッドブル2台がコーナーの出口外側でホイールトゥホイールのバトルを繰り広げています。ホイールトゥホイールというより、もう完全に触れ合ってタイヤスモークを上げていないか?!大丈夫か、チーム内バトル。ちなみにアウト側が先輩リカルドで、イン側が若手のフェルスタッペンになります。
IMG_9048
リカルドに対して、フェルスタッペンは容赦無く食らい付き、またも両者ハードブレーキングでタイヤスモークを上げてバチバチです。
FullSizeRender
「ねえ、アイツ生意気よ。パパ」「うーん、だな」
FullSizeRender
サーキット屈指のロングストレートで今回はフェルスタッペンが前でリカルドが後ろ。リカルドは0.5秒のギャップをDRSを使って仕留めるつもりか。気を付けてよ?
FullSizeRender
IMG_9056
うわ、やった。。前のフェルスタッペンは頑なにラインを譲らず、リカルドはこじ開けにかかるも、直列繋ぎのようにリカルドのノーズがフェルスタッペンのリヤを浮き上がらせてターン1へ。
FullSizeRender
「言わんこっちゃ無い。全くくだらん」
FullSizeRender
トップ争いでは無かったものの、レースはこれで残り10周を残して同士討ち。この後のガレージでどんな会話が繰り広げたものか。


以上、今回も2010年代から印象的な5レースの抜粋して出題しました。言われてみれば、どこか見覚えあるシーンばかりだったのではないでしょうか。
IMG_8941
AA「なあ、一番右の先輩。真面目に解いてるらしい」
LN「マジで?!相変わらず真面目やなぁー」

miyabikunこれでも真面目に出題しているんだから、君らも是非参加して下さいよ!産まれていない時代じゃないわけだし。君らF1に関するクイズよ。
よろしいでしょうか?!答え合わせいきますよ?

A①:2017年第5戦スペインGP
   (観戦記は17/5/15掲載)
A②:2016年第6戦モナコGP
   (観戦記は16/5/30掲載)
A③:2018年第11戦ドイツGP
   (観戦記は18/7/23掲載)
A④:2016年第16戦マレーシアGP
   (観戦記は16/10/3掲載)
A⑤:2018年第4戦アゼルバイジャンGP
   (観戦記は18/4/30掲載)

今回も参考として、当ブログのリアルタイム観戦記のタイミングを載せておきました。5レース全てが対象。配点は「年5点」「GP5点」の50点満点です。
いかがでしたでしょうか。50点満点だった人は手を挙げて、、。。今回はやや年代が固まってしまっていますが、前回含め、2010年代後半から10問出題しましたので、後半は今回でおしまい。次は2010年代前半から出題しようかな(miyabikun刻むなぁ)

IMG_9488
MV「ボク全問正解」LN「ウソ、それは絶対ウソ」

にほんブログ村 車ブログ F1へ
にほんブログ村
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

今回はGPの間、息抜き回です。前戦スペインGP決勝観戦記からやや時間が空いてしまいましたが、それには実は個人的な理由が絡んでいます。miyabikunこのブログのほとんどをスマートフォンで書き、後日時間のある時に自宅のパソコンで誤字や微修正を行っているのですが、miyabikunが使っているデスクトップパソコンがとうとう限界を迎えたか、起動して5分程度で再起動がかかるというトラブルに見舞われ、データ整理系の重たい作業ができなくなってしまいました。よって、迷った挙句パソコンを使わなくても執筆できるようなライトなネタを投入することとしました。

今回は以前からシリーズものとして構想から2年近く温め続けていたクイズ企画「F1コレどのGP」を開催したいと思います。これまでクイズ企画として、人物やサーキット、マシンなどを年代別に行ってきました。これはタイトルの通り、画像とヒントから「いつのどのGPなのか」を当てていただくものになります。まず初回は記憶にも新しい2010年代から5問出題しますので、年とGPをお考え下さい。ヒントとしてドライバーの名前とサーキットのコーナー名は盛り込もうと思います。コーナー名からはGPが、ドライバーの名前やその時所属したチームから年が割り出せるかもしれません。

それでは始めていきます。

Q①
FullSizeRender
56周レースの56周目、つまり最終周でのワンシーンになります。トップのハミルトンは11.3秒離れて独走状態。 2位走行のベッテル、3位ライコネン、4位フェルスタッペンが1秒以内の至近戦を繰り広げている模様。チェッカーフラッグまではあとわずか。
FullSizeRender
インからフェルスタッペンがライコネンをさす!ただし、走行位置がトラック外で怪しいですが、フェルスタッペンはどうにか3位を獲得。
表彰式直前の控え室でベッテルとフェルスタッペンが談笑中。
FullSizeRender
SV「よく3位になれたね。どうやって抜いたん?」
MV「インからビュインと、こんな感じさ!」
喜ぶフェルスタッペンでしたが、何やら周りがザワザワ。呼び止められています。
IMG_8784
MV「ん?ボク?何で?ダメなの?!」
抜いたはずのライコネンが控え室に登場。先程のフェルスタッペンのパッシングはトラック外からのものであり、無効という裁定が下りました。
IMG_8785
SV「ヤツ、さっきビュインと抜いたなんて言って」
KR「甘いな、最近の若いヤツは」
IMG_8786
MV「くそぅ、オトナなんて嫌いだ嫌いだー!」
ポディウムの矢印と逆方向に向かうフェルスタッペン。この後ろ姿、本当に好きです(笑)リアルタイムでも似た感じでイジった気がします。

Q②
FullSizeRender
この風景といえば、あそこしかないやん(笑)大ヒントになってしまっています。あとはこれが何年の出来事かという問題です。
78周レースの59周目をトップで通過するのはまたもハミルトン。この時代をピックアップするとなると、大半がこうなります。2位ロズベルグに対して14.1秒もギャップを築いて、完全なるイージーモードか。
IMG_8806
ところがその5周後となる64周目のサン・デボーテで10位グロージャンと11位フェルスタッペンが交錯。このシーズンから導入開始となったバーチャルセーフティカーからセーフティカーに切り替わります。
IMG_8808
その間を上手く使ってイージーなハミルトンはソフトタイヤに交換。
IMG_8810
戻ってみると、あれ?2位ロズベルグと3位ベッテルはステイした。ハミルトンは楽々逃げ切りから追う身に。
IMG_8811
「ココはモ◯コ、モ◯テカ◯ロ、絶対に、、」あれだけ大差をつけて逃げてきたハミルトンとて、フェラーリのベッテルにつかえています。トップに立つロズベルグとは毎周回離されていく。。
IMG_8814
結果はこうなりました。セーフティカーランの順位のまま、優勝はロズベルグ、2位ベッテル、3位ハミルトンというラインナップです。王室見守る表彰式のインタビューで抜け殻のようなハミルトン。

Q③
IMG_8793
こちらは71周レースの71周目。なかなか周長の短めなサーキットのようです。ただ1位と2位はまた同じチームの2人。隠すまでもなく、ロズベルグとハミルトンになります。
IMG_8794
緩やかなカーブを描くトラックでいよいよ横並びとなる。サーキット屈指のパッシングポイントである右鋭角コーナーのレムズへ。
IMG_8795
うー並ぶ!
IMG_8801
接触!最終周で同士討ちとは。。内側のロズベルグは抜かれまいとエイペックスから離れ、アウトにマシンを振りハミルトンを押し出しつつ
IMG_8798
フロントウィングを破損。一気にペースダウン。
IMG_8800
1位をハミルトンに奪われたばかりか、後続のフェルスタッペンとライコネンにもかわされて表彰台から陥落。さらに10秒のタイムペナルティまで食らうという、散々な最終周となりました。

Q④
FullSizeRender
70周レースの中盤39周目。トップを走るベッテルのすぐ後ろをハミルトンが少しずつ詰め寄っています。3位走行のルクレールとのギャップをみても、この2人の突き抜け方がよくわかります。
しばらくこの攻防戦が続いた48周目に
IMG_8759
ベッテルは痛恨のはみ出し。イン側をショートカットしたかのよう。追い立てられてタイヤがキツかったか。
IMG_8761
慌てて復帰し、ハミルトンの行く手を塞ぐ。ハミルトンはトラックサイドに立つコンクリートウォールギリギリ。ハミルトン視点の映像はかなり危ない戻り方に見えます。この戻り方、走り方は問題になりそう。
FullSizeRender
やはり。ベッテルには5秒追加のペナルティが下ります。ベッテルとハミルトンのギャップはこの時点2.5秒まで拡がったものの、ベッテルはハミルトンに対してあと2.5秒、合計5秒ギャップを築かなければ負けです。
レースはこのままの順位で終了。見かけ上はベッテルにトップチェッカーが振られますが、優勝はあくまでハミルトン。ベッテルはペナルティへの不満が爆発。マシンを上位3台の所定の位置に停めず、ピットレーン入口に停めて歩いてレース後の体重測定に向かっています。そして、ベッテルの眼前に嫌なモノが目に入ります。
IMG_8764
SV「『1位』の前に停めやがってあんニャロウ」
FullSizeRender
SV「はいはい、あんたは『2位』僕が『1位』ね」
気持ちはわかりますが、あの戻り方、ブロックは危険極まり無いものでした。ベッテル大人気無い。この行為は当時観て面白いと思っちゃったけど(笑)

Q⑤
IMG_8767
あるサーキットでの1周目。中団で白煙が見えます。エンジンブローか接触か?!
FullSizeRender
あーあ、トロ・ロッソのガスリーの左フロントタイヤがひん曲がっています。
FullSizeRender
こちらではルノーのヒュルケンベルグがグラベルでマシンを止めています。接触の犯人はどちらだ?!
犯人はどちらでもありません。ハースのグロージャンでした。グロージャンは前方でバランスを崩したチームメイトのマグヌッセンをみてスピン
FullSizeRender
FullSizeRender
その後がよくなかった。そのままアウトから緩やかに合流すればよかったものの、グロージャンはスロットルを開いてしまい、ホイールスピン。後続のヒュルケンベルグとガスリーを巻き添えにしてしまいました。
IMG_8776
悔しいや恥ずかしいやら。グロージャンはヘルメットを被ったままその場で反省。。次戦はスタート3グリッド降格のペナルティが下っています。若かりし頃は危険運転で出走停止の経験もありましたが、ベテランの領域に入ってもまだやってる。素性はそう簡単に変わるものでは無いということか。


以上、5問になります。一部はヒントも何も、どのGPか簡単にわかってしまうものもあったかと思いますが、それはご愛嬌(笑)
いかがでしたでしょうか。Fマニマニな皆さんだったら、これらは最近の出来事過ぎて簡単でしたでしょうか。

これから答え合わせに入りますよー。準備はよろしいでしょうか?!さあいきますよー!正解は、、
IMG_8788
こちら!


A①:2017年第17戦アメリカGP
   (観戦記は17/10/24掲載)
A②:2015年第5戦モナコGP
   (観戦記は15/5/25掲載)
A③:2016年第9戦オーストリアGP
   (観戦記は16/7/4掲載)
A④:2019年第7戦カナダGP
   (観戦記は19/6/12掲載)
A⑤:2018年第5戦スペインGP
   (観戦記は18/5/14掲載)

参考までに、リアルタイム観戦記のタイミングを載せておきました。このブログでは2015年以降の予選決勝全戦を扱っていますので、全てが対象になります。
IMG_7076
配点は「年5点」「GP5点」の50点満点です。今回はスペースの都合上、たった5問の出題となりましたので、2010年代を何回かに分けて行う予定です(あーそれ時間繋ぎだー!うーん、満更間違いではないけど、どのレースをピックアップするか決めるのも、結構頭使うのヨ)

ク、クイズはいいけど、パソコンの中のデータ、飛ばないといいな。。デジカメで撮った画像はもとより、大事な大事な「F1の全予選決勝のデータ」も入っているんだけどなぁ。。サブのノートパソコンにバックアップしておかなきゃ。。

にほんブログ村 車ブログ F1へ
にほんブログ村
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

前回4月の上旬に差し込んだ「F1コレだれGP」の続編、1970年編です。さあここからは日本での毎戦テレビ中継もありませんし、miyabikunも完全に生まれる前の話となり、追いかけ観戦とその知識、印象で書いていく形となります。難易度も高くなってきますが、若いF1ファンの方にもとっつきやすい方からの出題としましたので、臆することなくチャレンジしてみて下さい。

Q①
IMG_9115
ヒント:眩しそうな目に高い鷲鼻、そして口髭。いかにもヨーロピアンで高貴な面持ちが漂っています。それもそのはず、2回のF1チャンピオンです。デビューは二十代半ばから始め、1958年からF1をドライブし、4年目にあたる62年とそこから6年後の68年にチャンピオンを獲得しました。活躍の場はF1に止まらず、スポーツカーレースや耐久レースにも参戦。F1モナコGP、インディ500、ル・マン24時間レースの全てで優勝を挙げた「唯一の世界3大レースの覇者」という輝かしい戦績を持つ者です。顔を知らずとも、そのキーワードはこの世に一人しかいませんのでかなりのヒントですね。
モータースポーツを生業とする前はボート競技を行なっていたこともあって、愛用のヘルメットは黒地に8本の白いオールが描かれたデザインを使用していました。また息子もF1ドライバーであり、父が初めてチャンピオンを獲得した35年後にこちらもF1史上初となる「親子二代のF1チャンピオン」を成し遂げています。
IMG_9155
これらの画像は晩年の70年や73年のものですが、別チームのマシンを買い取り、プライベーターとして参戦していた頃になります。輝かしい1960年とは裏腹、チャンピオンや3大レース覇者も苦戦を強いられ、入賞すらできない日々が続きました。そして75年のシーズンオフに行われたポール・リカールでの帰路で自ら操縦する飛行機が墜落。チームのドライバーと共に命を落とし、息子のF1デビューを見届けることはできませんでした。

Q②
IMG_9158
ヒント:3人のドライバーが表彰式で優勝者に贈られる月桂冠にところ狭しと入り込んでいます。今回のターゲットは向かって右のドライバーになります。中央と左のドライバーは皆さんもご存知ですよね。右の方はあまり見慣れないかもしれませんが、今現役でF1観戦しているファンであれば100%近く名前を知る超有名人なんです。
1972年にF1デビューを果たし、この後登場するQ⑥の方と共にまだF1発展途上であったブラジルをF1大国にしたパイオニアといえます。戦績こそQ⑥の方に遠く及びませんでしたが、唯一の優勝は何と地元のブラジルGPです。しかし参戦6年目となる77年にこちらも航空機事故により現役ドライバーの最中に命を落としてしまいます。大きな期待はされつつもチャンピオンにはなれず、優勝はたったの一度きり。以降も母国からは優秀な戦績や多くの優勝を重ねたドライバーは生まれつつも、彼の栄光を讃え、唯一優勝を挙げたサーキットは彼の名前に改称されています。

Q③
IMG_9167
ヒント:周りの大人に比べて随分小柄な方ですね。ポケットに手を突っ込んで何やら話しています。生意気にみえますが、れっきとした大人であり、これでもチームオーナーです。横顔だけじゃわからないって?!それではこちらを向いている画像を一枚。
IMG_9168
コクピットに座るラウダに対してこちらも何やら指示出ししています。最近はあまり見る機会は無くなりましたが、80年代くらいまでは監督やオーナーがよくコクピットに座るドライバーに顔を寄せて語りかけたり指示を出す光景がみられました。ヒントとしては「ラウダがドライブするあるチームのオーナー」ということになります。

この方自身もF1をドライブしたことがあり、1958年に2回ほど参戦しています。60年代にあるドライバーをマネージメントする立場となりF1の世界に復帰、見事にチャンピオンを獲得するまでにのし上げた経歴を持ちます。70年代に入ると、あるプライベートチームを買収してチームオーナーとなり、ラウダやピケといったドライバーを起用して80年代にしっかりチャンピオンを獲得するという敏腕っぷり。その後はさらに上のステージである「F1を統括する立場」まで上り詰めます。今も存命の方ではありますが、驚くのは髪の色や顔のハリこそ変わったものの、今でも風貌はほとんど変わりません。昨年御歳89にしてお子さんが産まれたことでも話題となりました。若いワケです。

Q④
IMG_9118
ヒント:月桂冠を片手に表彰台から降りてくる様子です。月桂冠を受け取っているということはF1で優勝経験があるということです。ベルギー出身のこのドライバーは1967年にF1デビューし、79年まで120戦ものレース参戦し、8勝を挙げたベテランの一人です。
元々父親がモータースポーツに関する仕事をしており、それがきっかけでモータースポーツを始めたといわれています。当初は二輪で腕を鳴らし1965年から四輪に転向後、ケン・ティレルに見初められてF2をドライブする機会を得ました。昔はF1にF2マシンが混ざって行われることも多く、67年の第7戦ドイツGPでは何とF1マシンを凌ぐ速さを見せ、F1昇格を果たしています。参戦3年目の69年にランキング2位、翌70年もランキング1位がシーズン中に死去したにも関わらず2位に終わり、残念ながらチャンピオン獲得には至りませんでした。前にもこのブログで書いたことがありますが、今現役バリバリのノリスくんをみる度にこの方を思い出しています。IMG_9117
画像向かって右側がこの方。どことなく似ていませんか?!miyabikunだけかな。この方は今でもご存命です。

Q⑤
IMG_9119
ヒント:こちらも表彰式での一コマ。今回は優勝した方ではなく、画像右端の方です。フランス出身で幼い頃は長きに渡りピアノを習っていたようですが、この方のお姉さんに紹介されたドライバーがきっかけでモータースポーツに勤しむようになり、父の反対を振り切りレーシングスクールに通うようになったと言われています。下位カテゴリーを着実にクリアし、Q④の方と同様にF2マシンをドライブしていると、練習を兼ねて参戦していたあるF1チャンピオンであるスチュワートの目に止まり、1970年第5戦オランダGPからF1のステップアップしています。恩人であるスチュワートと同じチームに加入すると目論見通りいい走りをし、翌71年には早くも数回の表彰台に登壇。また最終戦アメリカGPではQ④の方のリタイヤが功を奏し、F1初優勝を挙げ、将来を嘱望されるドライバーの一人となりました。ところが初優勝から2年後の73年最終戦アメリカGP予選にてコントロールを失いガードレールに激突し即死。日頃から安全面に注意を促していたにも関わらず、愛弟子を失ったスチュワートはそのレースの出走を急遽取り止め、併せてステアリングを置くきっかけにもなりました。この方も先程のQ④と同様に現役のある方をみると連想してしまいます。さて誰でしょう?!IMG_9152
似てねーしと言われるのも悔しいので、誰のことを言っているかはご想像にお任せします(笑)

Q⑥
IMG_9150
ヒント:先程Q②で出てきた方と同郷の方にはなりますが、前述の通りこちらの方の方が戦績としては上です。ブラジル人初のF1チャンピオン獲得者です。実はQ⑤の2枚目の奥にもチラリと横顔が写っています。太く濃いもみあげがトレードマークです。F1デビューはQ④より2年早い1970年のロータスからでした。デビューしてわずか3シーズン目の72年に早くも25歳にしてチャンピオン獲得を果たし、これは当時の最年少記録でした(この記録は2005年にアロンソが塗り替えるまで33年間保持していました)この方の特徴は最年少記録に止まりません。F1にも稀にいる兄弟F1ドライバーであった点。甥っ子に止まらず孫までF1をドライブしています。また自ら自分のチームを立ち上げF1参戦も経験。さらにはF1と並びフォーミュラカーの頂点に君臨するインディカー(当時はCART)チャンピオンも獲得しています。ちなみにF1とインディカーの両方でチャンピオンを獲得したことのあるのはこの方を含めたったの4人しかいません。

Q⑦
IMG_9156
ヒント:こちらの対象もQ③と同様にドライバーに近付き自ら指示出しするこのお方になります。横顔とはいえこの輪郭にこの髪型って、、あの人しか思い浮かばないんだけど、、おそらくその方で正解です。今から48年前の画像なんですが、今現在と全く変わりませんね。ということは、、若くしてあの髪型におなりになったというワケです(笑)若かりし頃は自らがドライバーやメカニックを行った経験もありますが、1966年に中古のF1マシンを購入し、ドライバーを雇ってレース参戦するいわば「プライベーター」の形でF1に関わるようになります。一度資金が底をつき、撤退を余儀なくされますが77年に再びチームを立ち上げ、それが今でも続く老舗チームとなっています(ただし現在は名前だけ)79年にレガッツォーニの手により初優勝を挙げ、翌80年にはジョーンズによってチャンピオンを獲得するに至ります。今回の時代から対象が外れますが、80年代から90年代は数々の優勝とチャンピオンを重ね「最強プライベートチーム」に君臨してきました。今でこそ、、まあここまでで答えはわかりますよね(笑)ではオマケにもう一枚。
IMG_9160
あるドライバーと談笑しています。このドライバーは雇ったことがないのですが、この画像で一つ気になる点がありませんか?!そう、立っているんです。さっきの1枚目もそうでしたが、80年代前半まではトレードマークの一つである車椅子には乗っておらず、自ら二足歩行されていました。86年にポール・リカールから空港に向かう車で交通事故に遭い、下半身麻痺を患ってしまいました。またポール・リカールか。ちなみにクレア姉はこの画像の頃にお産まれになっています。

Q⑧
IMG_9114
ヒント:とても高速なF1マシンをドライブしそうもない穏やかな顔つきでいらっしゃいますが、この方もドライバーの一人です。顔だけではピンと来ないかもしれませんが、先程のQ②の方と同様に今F1を観ている方であれば、嫌でも名前は知っているはず。いや知らないわけがない!

1963年デビューのメキシコ人ドライバーです。あ、この時点でわかった人も多いと思います。モータースポーツのきっかけは二輪で57年から四輪のレースに切り替えています。この方も「兄弟F1ドライバー」の一人ですが、デビューは弟の方が早く、弟が事故死した2年後にこのお兄さんがF1参戦しています。67年開幕戦の南アフリカGPで初優勝、70年第4戦ベルギーGPで2度目の優勝を経験しますが、71年のシーズン中に参戦したスポーツカーレースでクラッシュし命を落としてしまいました。F1で奮闘して共に命を落とした勇姿を讃え、母国のサーキットにはこの兄弟のファミリーネームが名付けられました。ここまで来ればわかったも同然かと思いますが、サーキット名に使われている名前がそのままこの方の名前ではありませんので気を付けて下さいね!あくまでこの方の名前をファーストネームでお答え下さい。

Q⑨
IMG_9149
ヒント:この顔、どこかで見たことありませんか?!昨シーズンもF1にいましたし、今シーズンももちろんサーキットのどこかに必ずいます。当然現役のドライバーではありませんが、ほらフェルスタッペンを応援する方、角田くんを応援するファンの方、知ってなきゃ怒られちゃいますよ!オーストリア出身のF1ドライバーでマクラーレンからデビューしました。ドライバーになる前に弁護士の資格をお持ちになっています。デビュー戦となった1971年ドイツGPの成績は、、予選落ち(笑)その後B・R・M(ブリティッシュ・レーシング・モータース)から9レース参戦するも最高位は72年のモナコGP8位完走(入賞圏外)でした。何だー今偉そうにあーだこーだいう割に、ドライバーの戦績は大したことないんじゃん!なんて、口が裂けても言えぬ、、(笑)

この方の手腕は先程のQ③の方と同じく、ドライバー引退後のマネージメントの方で活かされました。母国の後輩であるベルガーやヴェンドリンガーをF1の世界に導き、今ではオーストリアのあるチームの、、目元は今でも変わらないでしょう?!確か今日4/27が誕生日だったと思います。おめでとうございます。

Q⑩
IMG_9151
ヒント:口髭にハンチングを被るのがトレードマーク。この時代に活躍した人でこの特徴とくればあの人しかいない!この方はドライバーの出はなくエンジニアの出です。イギリスの大学で機械工学を学び、中でも航空宇宙工学の知識は豊富であったといいます。その知識を強みに自動車メーカーを立ち上げ、F1に参入し「新たな技術」を次々と投入したことで名を馳せた方になります。
数多くある技術の中でも大当たりし、ライバル達に急速に波及したものの一つに「グラウンドエフェクト」というものがあります。マシンを「一枚の羽根」に例え、航空機の羽根を上下逆さまにした様な形状とし、フロアの後端を跳ね上げることで強力なダウンフォースを得るという技法です。見事にこの技術でライバルを圧倒し、チャンピオンを獲得したわけですが、理想的な姿勢を乱した瞬間に危険な挙動を示すことが明らかとなり、使用禁止となったものの、この技術は現代のF1においてもレギュレーションの隙を縫った形で取り入れたいと考えるデザイナーが多くおり、今後もしかしたら復活するかもしれないという話もありますね。ほか、この方のアイデアは技術面に止まらず「F1マシン自体を広告塔にしてスポンサーマネーを得よう」というものもあり、俗にいう「たばこ広告」を真っ先に取り入れた人でもあります。実に頭脳明せきのアイデアマンですね。この方はレース後のこの仕草も有名です。自らのチームが優勝すると、、
IMG_9161
トラック内に立ち入り
IMG_9162
帽子をぶん投げて喜んじゃう!(笑)今では絶対に許されない行為です。


という10問でした。今回は日本人無し。ただ現在にも何らか関わる方達が多く、ヒントはたっぷり目に、画像ヒントも少しオマケに出題してみました。いかがでしたでしょうか。答え合わせの前にぶん投げた帽子は危ないから拾っておいて下さいね!IMG_9163
投げた後、拾いに戻るのが恥ずかしいですね(笑)準備はよろしいでしょうか。答え合わせいきます。


 A①:グラハム・ヒル
 A②:カルロス・パーチェ
 A③:バーニー・エクレストン
 A④:ジャッキー・イクス
 A⑤:フランソワ・セベール
 A⑥:エマーソン・フィッティパルディ
 A⑦:フランク・ウィリアムズ
 A⑧:ペドロ・ロドリゲス
 A⑨:ヘルムート・マルコ
 A⑩:コーリン・チャップマン

この位の時代ともなると、中にはすでにお亡くなりになった方も多くなってきますね。存命の方は少しでも長生きして頂きたいなと思います。このクイズ「F1コレだれGP」も1970年代編を最終回とします。また次回、早くも新シリーズの構想を準備していますので、整いましたら出題しようと思います。IMG_9166
JH「オレ様を出題しないとは、イカれてるぜ」
NL「安心しろ、私は2回ともバーターだ」

にほんブログ村 車ブログ F1へ
にほんブログ村
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

年明け以来3ヶ月近く放置してしまっていたあの企画「コレだれGP」を再開したいと思います。忘れていませんでしたか?!まだ完結していませんからね、時間があるこの時期に久々の頭の体操をしておきましょう!今回は前回の1990年代からまたさらに10年昔の1980年代からの出題となります。全戦テレビ放映の前の時代に入りますよー。miyabikunもこの時代生まれの一人ではありますが、現役ドライバーでこの時代生まれなのは最年長のライコネン(79年生まれ)を除き、アロンソを筆頭にハミルトン、ベッテル、リカルド、ボッタスの5人にまで減ります。90年代が中心になりつつある現役ドライバーでも今回の先輩方を知らない子が多くいるかもしれません。

Q①
IMG_8906
ヒント:なかなかの甘いマスクではありませんか。当時は大手スポンサーは複数チームにスポンサードしていたこともあり、似通った色のマシンやスーツを見かけましたが、スーツを見る限り、本物のフェラーリのドライバーのようです。1970年代末期から80年代末期と長きに渡ってF1をドライブしたフランス人で、この画像はキャリア中期にあたる83年のものです。チームと年を調べれば自ずと候補が浮かび上がりそうです。母国の新技術、高出力マシンにより予選での速さをウリとし、一時期はチャンピオン候補として名前が挙がったこともありますが、結局チャンピオンになることはできませんでした。ただF1大国の一つであるフランスとしてはいまだに上位の戦績を持ち続けており、ある方に次ぐ2番目に大成したドライバーといえます。現役のガスリーやオコンは彼を上回る戦績を残せるでしょうか。そろそろ超えてもらわらないと困りますね。このドライバーは晩年に日本においてとても滑稽な愛称で呼ばれていました。どうしようかなぁ、大々ヒントになっちゃうなぁ、、「妖怪、、通せんぼ、、」ここまで!(笑)現在もたまにF1のパドックにお見えになりますよね。甘いマスクは変わらずですが、だいぶ丸いマスクになられました。

Q②
IMG_8909
ヒント:先程の赤から一転、この方は緑のレーシングスーツを身にまとってインタビューを受けています。見た目の落ち着きっぷりはドライバーというよりインタビュアーやジャーナリストの風貌にも見えますね。ジェントルマンって感じ。80年代前半から90年代前半までF1をドライブしており、日本のファンにも馴染みあるドライバーだと思います。F1では比較的少数派のベルギー出身で近年だとバンドーンの大先輩の位置付けになるでしょうか。ベルギー人ドライバーは2人の優勝経験者がおり、偉大なイクス先輩に次ぐ3勝を挙げています。参戦数でいえば、この方がダントツの最多です。キャリア序盤は中堅チームで腕をならし、87年にベネトンに移籍すると徐々に頭角を示して表彰台にも度々登壇しています。キャリア後半は再び中堅チームで余生を過ごす形になりましたが、その粘り強い走りから日本では「振り向けば、、」なんて愛称が付けられましたね。

Q③
IMG_8902
ヒント:まずはシャンパンを振る横顔から。昔の表彰式には優勝者に月桂冠がかけられました。この横顔だけでピンとくる方もいるかもしれません。この方は残念ながら既にこの世にはいませんが、この時代を知らないファンでも、実はこの方の名前だけは毎年何気無く口にし目にしているんですよ。
IMG_8903
正面を向いてもらいましょう。顔だけ見ればどことなくマッサにも似ていますが、この方もマッサ同様にフェラーリドライバーだったのですがカナダ出身のドライバーですので血縁関係にはありません。デビューは何と名門マクラーレンからです。77年に入賞はなりませんでしたがたった1戦でエンツォ・フェラーリの目に止まり、そのシーズン終盤には早々とフェラーリに加入するというスピード出世を果たしています。2年目にしてフェラーリに抜擢されたルクレールの上をいく飛び級具合です。それだけこの方の力強い走りはファンのみならずF1関係者の心を掴む走りだったという証です。チャンピオン争いにも名乗りを挙げますが、惜しくも獲得には至らず、82年の予選走行中に壮絶な死を遂げてしまいました。miyabikunも当然ながら死後に名前から知り、過去のビデオでその走りを観た一人ですが、見るからにマシンを振り回し、気持ちが前に前に表れてくるアツい走りをするドライバーだなという印象を受けました。一見危なっかしいんだけど、無機質な車体を通して、今やりたいこと、考えていることがそのままマシンの挙動に表れているような気がして、観ていて飽きません。残念ながらチャンピオンは獲れず殉職してしまったわけですが、我々世代としてはこの方の息子さんの方が馴染みがありますね。目元に名残があります。父の死から15年後にしっかりと息子がチャンピオンを獲得しました。ちなみに親子2代のF1ドライバーとして有名な彼ですが、実は弟もF1ドライバーとして参戦歴があるため「兄弟ドライバー」でもあります。名前は何と息子と同じ!

Q④
IMG_8900
ヒント:画像の奥、こちらを向く方が対象となります。パッと見の雰囲気はチームクルーかレプリカを着るファンにも見えてしまいそうですが、この方はmiyabikunの生まれ年のれっきとしたF1チャンピオンです。オーストラリア人2人目、そして現状で最終のチャンピオン獲得者になります。リカルドはこの偉大な先輩に続くことはできるのでしょうか。1970年代中盤から80年代中盤まで活躍したドライバーです。キャリア序盤はチームを転々とし、くすぶっていた時代が長くありました。77年に優勝を含めた表彰台を経験すると、翌78年にウィリアムズに移籍。当時は優勝には縁のないチームながら、そこでようやく頭角を示し、移籍3年目の80年に自身としてもチームとしても初となるチャンピオンを獲得。プライベーターのウィリアムズが名門チームに向かう立役者となりました。ところが翌年81年にチームメイトとの確執があり、F1引退を表明し、以降はスポット的に中堅チームでズルズルと参戦する形でF1から去っています。一度チャンピオンを獲るだけ立派なことなのですが、去り方がちょっとみっともないというか、残念な感じです。今の現役チャンピオン経験者はくれぐれも真似しないように。。

Q⑤
image
ヒント:こちらも2人写る中の奥の口髭を蓄えた方が対象です。前に映る方は皆さんもよく知っている方でしょう。この立ち位置にいるということは、ドライバーでなくチーム関係者ということになります。南アフリカ出身の彼は元々製図を得意としイギリスに渡り、名門チームであるブラバムのエンジニアとして働いたのがF1に携わるきっかけでした。チーフデザイナーに昇格すると、ユニークなアイデアをふんだんにマシンに投入し、成績も一気に上昇していよいよチャンピオン獲得にあと一歩のところに上り詰めます。グラウンドエフェクトを軽減させるレギュレーションに対して、81年のBT49Cは走行中に車高を変化させる「ハイドロニューマチックサスペンション」なるデバイスを導入、ピケに初チャンピオンをもたらすことに成功しています。またマクラーレンに移籍してからも低重心化に重きを置き、ホンダとのタッグとなった初年88年のMP4/4では全16戦15勝という最強マシンを作り上げました。斬新的なモノコック断面や低重心化、新素材導入など、F1史における著名デザイナーの一人として名を馳せました。「空力の奇才」と呼ばれるエイドリアン・ニューウェイの一代前の空力の奇才にあたります。90年シーズンをもってF1から離れた後は市販車のデザインにシフトし、当時市販車最速の記録を樹立したマクラーレン「F1」というスーパーカー開発に携わっています。

Q⑥
IMG_8898
ヒント:強面や、、。結構お歳を召した方のように見えますが、これは1981年の写真で当時39歳。今でいうところのアロンソと同じくらいにあたります。お歳というほどではないものの、若くもないか。アルゼンチン出身のドライバーです。アルゼンチンといえばマラドーナやメッシ、いやいやF1ではファンジオの母国ですね。超偉大な先輩がいながら、参戦数はそんな先輩の3倍近くレースをこなしたこちらもベテランです。F1ドライバーになったのが29歳ですから、スタートから遅咲きでした。いくつかのチームを移籍していますが、デビューがブラバム、続いてフェラーリ、ロータス、そしてチャンピオン獲得後のウィリアムズとそこそこいいチームばかり。ただその経緯を辿るとなかなか複雑なものです。76年の第13戦イタリアに急遽ブラバムからフェラーリにスポットドライブしたきっかけでそのままフェラーリへ移籍を果たしますが、スポットとなった理由は「第10戦ドイツGPで瀕死の事故を起こしたラウダの後任」の位置付けでした。翌77年からレガッツォーニに代わってラウダのチームメイトとして正ドライバーとなるものの、ラウダがチームがこの方に傾いているのに嫌気がさして離脱する結果となり、今回のQ③がチームメイトとして加わります。③の走りが高評価されると、今度は自分の立場が危うくなり、ロータスへの移籍を決めます(その移籍した年にフェラーリはチャンピオン獲得)ロータスでの一年を経て80年にウィリアムズに移籍するとQ④の方がチャンピオンを獲得。翌81年は自分がチャンピオンを獲得せんばかりチームオーダーを無視して優勝を挙げると④との関係が悪化、⑤がデザインしたマシンにチャンピオンを奪われるという「仲違いが自身のキャリアを振り回す」結果に陥ってしまいました。
IMG_8901
うん、せっかく優勝しても表彰台でこの表情。もう少し柔らかく、笑顔でいられたらもう一段上の結果をもたらしたかもしれません。ちなみにこの方はすごい記録を持っています。それは「デビュー戦でポールポジション獲得」歴代ではこの方を含めたったの5人しかいません。そのうちの一人には③の息子がいます。

Q⑦
IMG_8907
ヒント:どアップ!そしていい笑顔!後ろにチラッと名前が見えちゃっているのはご愛嬌!今ホンダを応援するファンの方々、この方を知らないとなれば怒られちゃいますぞ!少数精鋭のスウェーデン出身で優勝こそないものの、第二期ホンダエンジンを初めてドライブした方です。F1デビューは一応1980年です。一応なんて言い方をしたのは、当時所属したチームがまるで戦闘力が無く、予選すら通過できないという苦い経験をしたためです。初めて予選を通過して決勝レースを戦ったのは83年にホンダエンジンを積むスピリットによるスポット参戦でした。予選14番手、決勝は6周目リタイヤでした。せっかくホンダの復帰に協力したのに、翌84年はシートを失い、84年はまたもティレルからスポット参戦。しかしそのティレルは「水タンク事件」により出場停止。セナに代わってトールマンの代走から一気にシート獲得に向かったものの、そのトールマンも85年開幕戦に出走できないという不遇なキャリア序盤を過ごしています。そんなツイていない彼にチャンスが訪れます。Q①を解雇したことで空きシートができたフェラーリにうまく移籍を果たし、2位表彰台獲得に至りました。その後87年にマクラーレンへ移籍。マクラーレンにホンダが搭載されることが決まってもこの方は選定されず88年はリジェへの移籍を強いられ、なかなか旧友ホンダに再び乗ることはなく下位チームをさまようこととなりました。
IMG_8910
これは87年の日本GP。予選10番手から3位表彰台に立つも、2位には以前代走を任され、翌年にシートを奪う形となった方が並んでいます。どことなく浮かぬ顔。

Q⑧
IMG_8904
ヒント:マフィアみたいな風貌のおじさんがこちらに向かって来ています。出題しているのがバレたか(笑)この方は見るからにドライバーではありませんが、すごーく力のある方です。力といっても腕力ではなく権力の方です。当時のFIA(国際自動車連盟)兼FISA(国際自動車スポーツ連盟)の会長です。フランス軍を経て、モータージャーナリストに転身、1950年にFFSA(フランス自動車スポーツ連盟)を立ち上げています。そこから徐々に昇格を果たし、1979年にFISAを設立、F1を牛耳る立場になりました。この頃のF1は技術向上に合わせて事故も問題視された時代です。グラウンドエフェクトカー禁止をめぐり、FOCA(F1製造者協会)と対立して一時期は「F1が分裂するのではないか」と騒動となりました。以降グラウンドエフェクトカー禁止、クラッシュテストの導入、ターボエンジン禁止といった安全対策を段階的に取り入れましたが、91年のFISA会長選挙、93年のFIA会長選挙でマックス・モズレーに敗れ退任しています。セナに対して「危険ドライバー」とみなし、スーパーライセンス剥奪する騒動にも発展しました。

Q⑨
IMG_8899
ヒント:ん、この顔はもしかしたら、、いやmiyabikunそんな簡単な問題を出すだろうか。その通りです。パッと見は似ていますが、おそらく一瞬よぎった方ではありません。
IMG_8908
横から見てみます。違うでしょう。共通点もありますが、別のドライバーです。にしても、こちらもなかなかなイケメンです。今のドライバーがそうじゃないとは言いませんが、ふた昔前くらいのドライバーは結構イケメンが多くいました。この方はイタリアの貴族の子孫で育ちもよろしゅうございます。1979年にデビューし、80年から名門のロータスに移籍、チームメイトはチャンピオン経験者のM・アンドレッティという中、2年目にして2位表彰台をはじめ多く入賞を獲得して打ち負かしたことがあります(チャンピオン経験者を負かす若手、最近もどこかで聞いたことがあるな)翌81年、82年そして84年はマンセルをチームメイトにポイント上で勝り、将来を期待されるドライバーを続けます。しかし85年から加入した若手のセナに対しては速さにおいてやや劣る面がみられ、不遇に感じたこの方はチームを去り、86年からブラバムに乗る選択をします。ところがこの年にQ⑤の設計したマシンは追求し過ぎたが故の安定感に不安のあるマシンであり、シーズン中に行われたポールリカールでの合同テスト中に発生したクラッシュが引き金となり命を落としました。もしこの事故がなければ、もう数年前から日本でF1のテレビ放送が始まっていたら「音速の貴公子」という愛称はこの方が先に呼ばれていたかもしれません。ポールリカールでのフランスGPが行われる度にこの方のことが頭をよぎります。

Q⑩
IMG_8911
ヒント:最終問題は日本人枠です。この時代の日本人ドライバーといえばあの方とあの方の2人ですから、違いますね。メガネのフレームの形や大きさが「時代」を感じさせます。高専を卒業後に某自動車メーカーに就職。Q⑦の方がドライブするマシンからF1に関する仕事に従事し、各サプライヤーに対して技術的支援を行いながら86年にコンストラクターズチャンピオン獲得に一役買いました。またQ⑤のデザインしたマシンを含め87年から91年までの5年連続となるドライバーズチャンピオンにも貢献しています。90年には部署異動がありF1から一時期離れたこともありますが、マクラーレンに引き抜かれ「メーカーの人間ではなく、一技術者」として以降フェラーリやザウバーなどのチームを渡り歩いています。日本の方ですから、これ以上のヒントは必要無いでしょう。顔で覚えている方がほとんどだと思いますが、お名前を思い出してみて下さい。何でしたっけ、新井?長谷川、、中本、いや山本、、あっ桜井か?!(笑)


今回はドライバーを多めに選び、一人一人のヒントを厚めに書いてきました。ヒントもなかなか難しいものです。答えをポロって書いちゃいそうだし、出題者のmiyabikunは当然答えを知った上で書いているから難無くとも、突然ご覧になる皆さんは急に見せられてパッと思い出せないこともある。結構頭を捻って書いたつもりです。あと今回の出題はそれぞれが何らかの関係で繋がっているのも面白いです。同じ時代を戦ってきたわけだから当然ちゃ当然ですが(笑)
IMG_8912
じっくり思い出して下さい。時間はたっぷりあります。2人で考えてくれても結構ですし、いくつかの候補をもって答え合わせに臨んで頂いても構いません。まだ第2戦までは時間はありますから。この下に答えがあります。準備が整った方からどうぞ!


 A①:ルネ・アルヌー
 A②:ティエリー・ブーツェン
 A③:ジル・ヴィルヌーブ
 A④:アラン・ジョーンズ
 A⑤:ゴードン・マーレー
 A⑥:カルロス・ロイテマン
 A⑦:ステファン・ヨハンソン
 A⑧:ジャン・マリー・バレストル
 A⑨:エリオ・デ・アンジェリス
 A⑩:後藤治

いかがでしたでしょうか。超有名ではないけど、全く聞いたことがないという方でもなかったでしょう。80年代ともなると、若いF1ファンの方には厳しかったかもしれません。miyabikunもこれ以上コアな人から選ぼうとするとヒントすら怪しくなってきますのでちょうどいい具合で。
次なる出題は70年代か。チャンピオンばかりでは簡単過ぎるし、miyabikunもちょっと予習や準備が必要だなぁ。たぶんやります。やらなかったら挫けたと思って下さい(笑)あ、あとさらに先に新たなクイズ企画も構想にありますので、またそれはいつか出題しようと思います。
IMG_8905
「答えてくれた?!6月にカナダで待ってるよ!」

にほんブログ村 車ブログ F1へ
にほんブログ村
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

本当はコレを年末あたりにサクッと差し込みたかったんです。ちょっぴり久し振りとなる「コレだれGP in the 1990s」です。早いもので今から20〜30年前の話。つい最近、ってのはウソだけど数字で示すと「もうそんなに昔の話なのか」とビックリしますよね。この頃のF1は今とは違う盛り上がりをみせていました。濃密なこの時代を絞り込むのもなかなか酷な話ですが、簡単過ぎず難し過ぎずの厳選した10問になります。

Q①
IMG_7907
ヒント:この2人のうち、今回の出題は左側の方です。右側の方は、、皆さんご存知ですよね。残念でしたー、miyabikunそんな簡単な問題を出しませーん。見た目からしてドライバーでないのは一目瞭然です。チームは絞り込めると思いますので、チームのどんな関係者かということになりますね。
この方、元々はジャーナリストの出です。わかり易い例えをするならば、昨年亡くなった今宮純あたりのイメージになるでしょうか。そこからあるドイツの自動車メーカーに引き抜きで入社し、モータースポーツを直に担当することとなりました。1995年にそのメーカーがF1の名門チームにエンジンを供給するようになると、メーカーの責任者となり、チームの首脳陣の一人として、このように毎戦カメラで捉えられるようになりました。近年はサプライヤーからワークスとして参戦する某チーム。ワークスになってからも引き続き重役を任せられていますが、一時期のチャンピオン争いをしていた頃とは程遠く、2012年シーズンにトト・ヴォルフに椅子を預ける形でF1から退きました。もうちょこっと辛抱できたら、世界は変わっていたことでしょう。

Q②
IMG_7908
ヒント:日本人と思しきコースマーシャルの後ろでちょうど右手を振り歓声に応えるシーンのため、顔が少し見辛い画像でイジワルですね。すみません。最終戦のリタイヤ直後の画像でいわゆる「F1で目にする最後の姿」ということになります。でも心配はご無用、立派に存命して今でも競技者として活躍する方です。
イタリア人の彼はとても複雑で多彩な経歴の持ち主です。90年代初期は国際F3000で名を馳せ、1991年から94年までの4シーズンに渡りF1をドライブしています。しかしフル参戦に至らず、下位チームということもあって成績はイマイチで一度F1から離れ、舞台をCART(現在でいうインディカー)に活路を見出し渡米しました。そこで2年連続のチャンピオンを果たし、1999年に5年振りに再びF1のシートを得ることに成功しました。画像にある赤の「ウィンフィールド」カラーのチームは歴代でそこのチャンピオンと関わりがありますよね。ところが二度目の期待も虚しく、一度も入賞すら挙げることなく、たった一年でF1を降りる羽目となってしまいました。晩年は再び慣れ親しんだCARTに籍を移すも、2001年にドイツで行われたレースでクラッシュし両足を切断。モータースポーツ人生に幕を下ろしました。ただこの方は根っからのレーサー、ファイターなのでしょう。ステアリングを置いた後「腕を原動力」とするハンドサイクル競技を始め、2012年のロンドンパラリンピック、2016年のリオパラリンピックで金メダルを獲得するなど、今でも「車輪を使った競技」で大活躍しています。昨年6月のレース中にトラックと衝突して、一時期重体との報道もありますが、また奇跡の復活を果たしてくれることを祈っています。

Q③
IMG_7902
ヒント:ん、味気ないレーシングスーツでまた2人。今度はどっち?!今回に限り右と左の両方、それもフルネームで答えて頂きます。なぜなら、2人はセットの方が面白いから(笑)
まず左の方からヒントです。右の方よりも5歳歳上でF1は1984年からこの90年代中盤まで参戦するベテランドライバーです。序盤のキャリアは年に2、3回入賞するのが精一杯の地味な位置をさまようドライバーではありますが、90年代に入るとようやく走りが報われ、表彰台には9回登壇し、F1引退後は耐久レースにシフトしました。今でもある形でF1に関わり、顔を目にする機会が多くあります。
続いて右側の方は左の方と同じイギリス出身のドライバーでデビューイヤーの91年に画像にもある実況アナウンサーや我々視聴者にとっても間際らしい「奇跡のコラボレーション」を果たしました。こちらは表彰台は3回に止まっています。この方も②の方と同様にF1を降りた後、アメリカのCARTシリーズに参戦しています。

Q④
IMG_7914
ヒント:前面に見覚えのあるダボダボシャツを羽織るお兄ちゃんが見えていますが、今回の出題はその左肩奥に見える青いシャツの方が出題対象です。こちらもイジワル画像ですが、前に映るドライバーVといつも一緒にいる方を思い出して頂ければ、察しがつくと思います。
この方は元ドライバーでなく、前に映るドライバーVさんのマネージャー。経歴を調べてみるとビックリ。実はこの方、元々はドライバーVの学校の先生をしていた方なんです。教員を辞めた後、F1のメディアに関するビジネスを行なった際、日本のF3で活躍するVと再開を果たし、以降マネージャーという関係で帯同することとなりました。VがアメリカのCARTでチャンピオンを獲得すると、Vの父も活躍したF1へ導くことに成功し、わずか参戦2年目にF1でもチャンピオンを獲得する立役者となりました。勢いづくこの方はVのために名門ティレルを買収、チーム代表となって関係を続けますが、ビッグスポンサーの潤沢な資金をもってしても再びVをチャンピオンに導くことができず、VがF1を離れた後にマネージャー業をたたんでいます。

Q⑤
IMG_7910
ヒント:ヘルメットのバイザーに水色の十字。F1でよく見かける国のドライバーのようです。90年代のマールボロ系といえば、あの方を想像しますが、特徴的なヘルメットデザインとバイザーの奥の目が違いそうですね。よってその方ではありません。しかし、この国のF1ドライバーって有名な割に人数にすると多くありませんので、ある程度絞り込みは可能かと思います。ちなみにこの時代の候補といえば3人しかいません。名前にしたら2つしかない?!(笑)
IMG_7917
F1デビューはその3人のうち最も古い1989年です。ただチームに恵まれなかったこともあり、キャリア序盤は予選落ちを数回していたため、実質活躍できたのは1991年からとなります。その91年第3戦サンマリノGPはこの国のドライバー2人目となる表彰台を獲得。続く後輩に対して先輩風を吹かせられればよかったのですが、表彰台登壇はこの一度キリとなり、94年終盤に新たに加わった後輩と入れ替わる形でF1を降りています。名前が実に特徴的で、顔よりも名前の音で記憶されている方も多いと思います。テレビ中継や書籍で採用されていたのは実は愛称で、本名は結構長い。少し前にドライブした母国の先輩からのアドバイスで愛称を採用していたようです。よってこちらはよく聞く愛称の回答を可とします(miyabikunも本名は頭に入っていません)

Q⑥
IMG_7916
ヒント:シャンパンファイトの後ろに観衆がいる、ということはこの方はあそこで表彰台に立ったということですね。なかなかのヒントです。フランス人ドライバーとして母国のビッグメーカーを盾に長きに渡りF1を支えたドライバーです。F1デビューは1994年に母国のコンストラクターであるリジェからでした。その年の第9戦ドイツGPで2位表彰台を早々と獲得し「ポストプロスト」を期待されてはいましたが、その後しばらく表彰台からは遠退き、入賞がやっとのレースが続きました。キャリア3年目でリジェがプロストの手に渡った際も引き続き起用されるも、1997年第7戦カナダGPで大クラッシュを起こし、7戦欠場する出来事もありました。97年シーズンは中野信治のチームメイトを経験したり、晩年はB・A・Rでホンダエンジン、トヨタのレギュラードライバーを担うなど、日本とも縁の深いドライバーの一人です。
IMG_7909
「ボスが偉大だと、やり辛いー!」

Q⑦
FullSizeRender
ヒント:日本人ドライバーです。この顔に見覚えありますか?!すぐに思い出せない方は名前を聞けばああと納得されるでしょうし、ご存知の方はもしかしたらニヤリと笑みを浮かべていることと思います。顔や戦績よりも珍しい名前とレース中の出来事などのインパクトが強いドライバーですね。今シーズンからドライブすることが決定した角田裕毅くんをはじめ、歴代の日本人ドライバーは「自動車メーカーの育成や結び付き」でシートを獲得する者が多い中、この方は「自身でスポンサー(持参金)を用意してチームに売り込みを図る」という独自の方法を採り、シート獲得したことで話題となりました。
若かりし頃はアルバイトをしながら参戦費用を貯め、単身でイギリスに渡ってからも資金調達をコツコツ集め、上位カテゴリーの門を叩いていきます。以降も日本の英会話スクールを味方につけ一つずつステップアップし、1994年第15戦日本GPでF1デビュー。翌95年は日本企業であるフットワークからフル参戦を果たしています。F1では「マシンの消火にあたる際に後から駆け付けたメディカルカーと接触して足を負傷する」という伝説を国際カメラで捉えられるなどで一躍有名となってしまいましたが、自らの売り込みや交渉力、行動力でF1シートを勝ち得たというのは立派なものだと思っています。また当時や以降のF1中継であまり彼のことを触れたりクローズアップされてこなかったのが不思議でありもったいないことだと個人的に感じます。

Q⑧
FullSizeRender
ヒント:今回唯一の女性ノミネートとなります。F1ドライバーでないのは一目瞭然ですが「元関係者」であることに間違いありませんね。
あるドライバーの夫人として、90年代後半から2000年代序盤にかけて、毎レース1回は必ずと言っていいほどカメラでお目にかかれた方です。この方の存在はドライバーにとってとても大きなものでしたよね。ドライバーが90年代中盤に大きな事故に遭った際、献身的に看病してくれたことで愛を育み、1998年に結婚。以降腕を組みガレージで見守り、ドライバーは見事チャンピオンを獲得しました。ドライバーの才能もさることながら、マシンをはじめタイヤにエンジン、ライバルとの勢力図が一変したことでなし得たチャンピオンでしたが、もしかしたらこの方の存在がチャンピオン獲得に一番の原動力になったのかもしれません。詳しくは分かりませんが、残念ながら今はそのドライバーとは離婚された模様。

Q⑨
IMG_7913
ヒント:1990年代から2000年代のF1の歴史をみるにあたって、大なり大なりこの方の前を必ず通過する必要があります。F1屈指の手腕、そしてお騒がせ者の両面を持つこの方です。
元々はF1はもとより、モータースポーツとは関係の無いアパレル業界の人間でした。しかしそのアパレルメーカーがF1のビッグスポンサー、そしてチーム経営を始めると、1988年からこの方もF1の世界に関与するようになります。F1界の著名デザイナーの獲得、さらには有力な若手シューマッハの獲得にも成功すると、ドライバーズとコンストラクターズのダブルチャンピオンを獲得するまでに仕立て上げて名を馳せました。シューマッハ移籍後は一度低迷しますが、2000年代に入るとスペイン人の若手アロンソを見出し、再びダブルチャンピオンを獲得に至りました。チーム経営や統率力に長けた彼ではありましたが、それを欲しがるばかりスポーツでご法度の「禁じ手」を計画。一時期はF1界から永久追放される事件を起こしてしまいました。

Q⑩
IMG_7919
ヒント:ベネトンと思しき水色のガレージでモニターを見守る赤白黒のスーツ。今でも変わらぬ面持ちの彼は現在のF1中継でお馴染みの声と顔ですね。日本を代表するまん丸なタイヤです。いやいやタイヤ技術者です。ひとえにタイヤ技術者というだけでなく、時代によって所属や役割に違いがあります。90年代終盤から2000年代は「メーカーの開発者、総指揮」という立場でF1に関与。長らく続いたアメリカのグッドイヤーの勢力を急速に上回り、ナンバーワンタイヤを確立しました。新勢力として参入したフランスのミシュランの後塵を拝する時期も経験しましたが、長時間に渡りタイヤに負荷をかけるとされたインディアナポリスのバンク走行においても不安要素なく走り切ったのは日本企業として心強い誇りとなりました。2012年でタイヤメーカーを定年退職してからは「名門チームの足回り担当」として他メーカーのタイヤとマシンの相性をみる役を経験しています。テレビ解説ではソフトな語り口で専門であるタイヤや路面状況などをわかりやすく説明してくれていますが、そのソフトな口調の奥に「本当は言いたくて我慢している様子」をちらほら感じます。タイヤはソフトばかりでなく時にはズバッとハードにキメてくれてもいいと思うのですが、公衆の面前で本音はなかなか難しいでしょうか。


以上、今回はドライバーだけでなく関係者色強めの10問(10.5問)を出題してみました。超簡単にはしていないけど、超難しいようにもしないようにしました。みんな大好き90年代のF1ですから、大丈夫ですよね。
IMG_7920
「ん?うーん。。」
よく見て思い出して下さい(あなたは今回出題されている側なんですが)
いきますよ?!


 A①:ノルベルト・ハウグ
 A②:アレッサンドロ・ザナルディ
 A③:マーティン・ブランドル(左)
      マーク・ブランデル(右)
 A④:クレイグ・ポロック
 A⑤:J・J・レート
 A⑥:オリビエ・パニス
 A⑦:井上隆智穂
 A⑧:イリヤ・ハッキネン(当時)
 A⑨:フラビオ・ブリアトーレ
 A⑩:浜島裕英

IMG_7905
「あらボク忘れられている。。」
あと2、3年いたら、きっと忘れられない立ち位置でした。でも、この方があの机を叩いたら破壊しちゃいそうだ(笑)

にほんブログ村 車ブログ F1へ
にほんブログ村
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ