F1 えきぞーすとのーと

よくあるニュースネタやこ難しいテクニカルな話ではなく、メインは予選や決勝のTV観戦したそのものを個人的観点から綴るF1ブログです。  また、懐かしのマシンやレースを振り返ったり、記録やデータからF1を分析。その他ミニカーやグッズ集めも好きなので、それらを絡めつつ広く深くアツくF1の面白さやすごさを発信し、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

タグ:キャラミ

オフシーズンの退屈な日々、いかがお過ごしですか?!年始早々に大きな地震被害や航空機事故、さらにはビッグスキャンダル(それだけは別問題か)があり、あまり浮かれた気分になれない状況ではありますが、仕事や新学期も始まりましたしF1の新シーズン開幕が刻一刻と迫っていますので、正月気分を抜け出さなければなりませんね(とmiyabikun自身に言って聞かせてみる)
まとめ系から一旦離れ、時間稼ぎの常套句になりつつある今年一発目の「過去のレース」は1982年の開幕戦として行われたキャラミでの南アフリカGPを選んでみました。今ではなかなかピンと来ない方もいるかもしれませんが、昔々はアフリカ大陸でも行われていたんです。今回ココを選んだ理由がいくつかあります。一つは「シーズンの開幕戦」ということで、未知数たっぷりのレースであること。二つ目は今では想像もつかない「1月開催」のレースであること。日本の1月は雪も落ちる冬本番ですが、南半球に位置する南アフリカにおいては真夏なので心配無し。そして三つ目として前回昨年のラスベガスGP前に行った「1981年最終戦アメリカGP」と繋がっています。つまり、ブラバムのピケが新チャンピオンとしてどのような初戦を迎えるか注目されるレースでもあります。最近はやや1980年代前半の振り返りが続いていますが、この82年のレースは6戦目、キャラミでの南アフリカGPは3戦目の取り扱いになります。

開幕戦ですので、これまでの戦績おさらいはありません。ドライバーの去就を確認しておくと、80年のチャンピオンであるジョーンズがウィリアムズで引退し、フィンランド人ドライバーのK・ロズベルグが後任を担います。また75年、77年にフェラーリでチャンピオンとなり、一度F1から身を引いていたラウダがマクラーレンから復帰。若手のピケにチャンピオンをもたらしたブラバムはノンターボのフォードコスワースからBMWのターボを換装して開幕戦を迎えています(ただし、信頼性不足もあり再びフォードに戻す一面も)

キャラミサーキットは1967年に南アフリカのヨハネスブルグ郊外に開設されたクローズドサーキットで、この時代ではかなりの高標高の1,500mにあります。さらにサーキット自体も起伏に富み、ブラインドも多く平均速度も高いこともあり、過去には痛ましい死亡事故が続きました。
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当時のレイアウトは図の青いラインを右回り(時計回り)で走行する高速線形。しかし先述の事故の対策として1988年より赤ラインを左回り(反時計回り)する装いガラリと変わる大改修を経て現在に至ります。

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開幕戦は何かが起きる。予選に入る前にもう一つ話題が(まだ引っ張るかー)このレース直前にF1をドライブするために必要なスーパーライセンスの発給手続きに対し、不満を持った大多数のドライバーがストライキを敢行。
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GPDA会長を務めるフェラーリのピローニが尽力し、どうにか予選を開催できる状況にこぎつけるといった騒動が起きています。
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渋々マシンに向かう面々。
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以前クイズで出題したことのある当時のFISA(国際自動車スポーツ連盟)会長、後のFIA(国際自動車連盟)会長にもなり、F1界を牛耳られたバレストル様がこちらに向かってきます。ジッと見つめていちゃダメみたい(笑)怖っ、風貌がまるでマ◯ィアだな。

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で、予選はというと高標高かつ高速レイアウトとなれば過給できるターボマシン勢が有利。ということでポールポジションはターボエンジンの先駆けルノーのアルヌー。2番手はBMWターボを積んだブラバムのピケ。3番手がフェラーリターボのヴィルヌーブ。4番手はブラバムのパトレーゼ、5番手がルノーのプロスト、6番手はフェラーリのピローニが続き、見事なまでのターボ祭りとなりました(ターボが必ずしもいいというわけではなく、重量増や排熱対策、悪燃費などのウィークポイントもあります)
これで予選は終わり!(予選短っ)

《予選結果》
P.P.R・アルヌー
 (ルノー ミシュラン)
  1分06秒351
 2 N・ピケ
 (ブラバム・BMW グッドイヤー)
  1分06秒625(+0.274秒)
 3 G・ヴィルヌーブ
 (フェラーリ グッドイヤー)
  1分07秒106(+0.755秒)
 ※今回から予選タイムとトップとのタイム差を追記

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決勝のスタート。
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ポールのアルヌーの蹴り出しは鋭く、逆に初ターボのピケが鈍る。アウト側からルノーのプロストが3番手ヴィルヌーブをかわして一気に2位浮上。
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ルノーがワンツー、フェラーリがスリーフォーに整列してレースが始まります。

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この起伏。そして緩やかな線形。危険度も高いですが、なかなかスパイシーで個性的なキャラミサーキットです。
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逃げるルノー。逃げルノー。逃げるのぅ(笑)

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一方で2番スタートからズルズル10位まで順位を落とすことなったピケは、坂を下った先にある右の中速ターン1のブレーキングミスからグラベルへ。
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観客に助けられ、ちょっぴりほろ苦いチャンピオンとしての初戦となりました。
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3位を走るフェラーリのヴィルヌーブもターボのトラブルでリタイヤ。ターボは過給してパワーは増大しますが、やはり自然吸気には無いトラブルにも見舞われがち。
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ルノーは15周目にプロストが前に出てトップ入れ替わり。
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しかしプロストは左リヤタイヤをバーストさせ、予定外のピットを余儀なくされます。
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青の16番アルヌーは労せずトップ返り咲き。

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ただそれも束の間。タイヤ交換を行い、一度順位を下げた赤の15番プロストが怒涛の追い上げ。ファステストラップ連発で遅れを取り戻しにかかる。
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ウィリアムズのロイテマンにかわされて4位に後退したピローニが終盤にリタイヤとなり、フェラーリは店終い。速さはあるが詰めの甘さは現代へ通ずるものがあります。

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プロスト同様に終盤にタイヤを傷めてペースダウンしたアルヌーをプロストがパス。中盤にタイヤバーストの不運がありつつも、スタートダッシュから終始速さが光ったプロストがキャリア3年目で4勝目。幸先いいシーズンスタートを切ることができました。

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《決勝結果》
 1 A・プロスト
 (ルノー ミシュラン)
 2 C・ロイテマン
 (ウィリアムズ・フォードコスワース グッドイヤー)
 3 R・アルヌー
 (ルノー ミシュラン)

《ファステストラップとそのタイミング》
 プロスト(ルノー)
 1分08秒278 49周目/77周

今回からこの「過去のレース振り返る」でも決勝観戦記と同様に「ファステストラップタイムとそのタイミング」をわかる範囲で記載することとしました。近年のレースとは異なる志向で計上されていることがわかるかと思います。

アルヌーは終盤にノンターボのロイテマンにもやられ結局3位。まあでもシーズン始まったばかりでフロントロウスタートからのワンスリーフィニッシュならば上出来といえるでしょうか。
フランス人のフランスチームによるフランスのためのチーム、ルノー。2人並んで
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嬉しいY!

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またもや予定していたネタのアップを飛ばし、miyabikunは各報道にある「不要不急」の指示に従っておとなしくしてしまいました。なーんて(笑)不要不急なんて言葉、どこか「不眠不休」みたいな響きで今年の流行語とに選ばれそうですね。それは冗談ですが、ベースである「予選決勝観戦」がリズミカルに行われないことで思考も意義も停止気味になってしまっていました。ごめんなさい。やろうとしていたネタの下書きをちゃんと後回しにして、今回は「過去のレース」を先にやろうと考えました。
今回選んだのはmiyabikunが5歳の頃となる1985年となるキャラミでの第15戦南アフリカGPとしました。何故こんな時期に南アフリカかというと、本来3/29に南アフリカのヨハネスブルグでF1のイベントが行われる予定だったんですよね。しかし昨今の新型コロナウィルスの騒動により、イベントは中止となってしまいました。そこで現代のF1には疎遠となった南アフリカGPをクローズアップする次第です。一応現時点の「過去のレース」シリーズ最古参にあたります。リアルタイムでは当然未観戦、総集編ビデオと書籍による情報からのネタとなりますので誤りがあるかもしれません。ご了承下さい。

1985年といえば、前年復帰チャンピオンに輝いたラウダとプロストによるマクラーレンの復調、ホンダエンジン3年目の挑戦となるウィリアムズ、そして若手のセナのロータスでの成長など、見どころの多いシーズンでもありました。
たまたまかもしれませんが、この時代のウィリアムズはキャラミを比較的得意としている気がします。ポールポジションはマンセルが獲得して2番手のピケ、3番手のK・ロズベルグとチャンピオン経験者を引っ提げる形となりました。ちなみに若手の成長株、ロータスのセナは先輩にピタリと食らいつく4番手で上位を狙える位置に。またフェラーリはというと、エースのアルボレートが15番手、ヨハンソンが16番手とまさしく「暗黒期」が始まる真っ只中にあることを象徴するかの位置にいます。

《予選結果》
 1 N・マンセル(ウィリアムズ・GY)
 2 N・ピケ(ブラバム・B・PI)
 3 K・ロズベルグ(ウィリアムズ・H・GY)
 ※GYはグッドイヤー、PIはピレリ
   BはBMWエンジン

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決勝のスタートはマンセルが綺麗な加速をみせる中、3番手のロズベルグが出遅れてロータス2台に先行される6位にまで後退しています。
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ただこの日のロズベルグはズルズル遅れるロズベルグと違う。尻に火がついたような勢いでロータスのセナを捕まえにいく。
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スタートでやられたセナ、デ・アンジェリスをかわして即座に後れを回復。次なるターゲットはブラバムのピケです。
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ストレートでインから並びかけていく。
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BMWパワー VS ホンダ、勝つのはどっち?!
多くの事故を起こして危険とされたキャラミの旧レイアウト。このストレートの起伏もすごいですよね。下ってからまた上りに転じます。
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ロズベルグの勝ち。キレキレです。これでまだ終わりませんよ。残るターゲットはあと1人。チームメイトの「レッド5」もちろんいきます。
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たった1勝でも俺はチャンピオン経験者。まだまだ若造のお前には負けんぞ!(ロズベルグはマンセルの5歳上)
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かわす。スタートで失敗したけどこの日は完全にロズベルグの日か!と思った矢先にターン1で
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タイヤスモークを上げて
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止まり切れずコースオフ。土煙の先を知らぬ顔したマンセルがトップを取り戻す。せっかく6位からごぼう抜きをみせてくれたのに、これで水の泡です。

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レース中盤に近付くと、地味にマクラーレンも隊列を組みつつ追い上げてきていました。デ・アンジェリスをかわしています。前のNo.2がプロスト、後ろのNo.1がラウダ。まるで教習を受けているかのよう。
ラウダはターボの不調によりリタイヤし、プロストが独りぼっちになると、また後ろから轟音を立てて騒がしいのが近付いてきました。な、何とコースオフしたはずの「ホワイト6」だ。いつの間に?!
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ロズベルグはコースオフしたもののエンジンはかかっておりレース復帰できました。そして今日の勢いをそのままにレースを諦めるどころか俄然やる気満々です。
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プロストも簡単にかわします。優勝こそ逃しましたが、予選順位から一つ上げるのにおおわらわなロズベルグがドライバー・オブ・ザ・デイで間違い無しでしょう。

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《決勝結果》
 1 N・マンセル(ウィリアムズ・GY)
 2 K・ロズベルグ(ウィリアムズ・H・GY)
 3 A・プロスト(マクラーレン・TP・GY)
   ※TPはタグポルシェ(ポルシェエンジン)

出走21台中、完走は7台かつ同一周回フィニッシュはわずか3台とサバイバルなレースとなりました。リタイヤはターボ不調をはじめとしたエンジントラブルが大半を占めています。キャラミは標高が1,500mを超える高地にあり、エンジンへの負担も多くなります。
ウィリアムズで3年目となるホンダは確実にポールポジションと優勝、そしてレースの追い上げが可能なエンジンであることを証明しつつあります。チャンピオン獲得もそう遠くない話です(実際にコンストラクターズチャンピオンとなるのは1986年)

勢いよく抜きまくってきてからのコースオフというギャグみたいなレース内容をみせたロズベルグですが、ロズベルグに限らず昔々はこのようなレース展開は非常に多く、抜いた勢いでクラッシュしたり、抜く時にトップもろともクラッシュしたりなどは日常茶飯事でした。それからみると今のF1は非常にクリーンでお行儀のよいレースがほとんどです。今よりもマシン差、信頼性だけでなくドライビングテクニックでも差が出やすかったこの頃の油臭さや泥臭さ、男らしさが表れるレースもなかなか面白いです。ロズベルグはこの後息子のニコもチャンピオンとなり史上2組目のF1親子チャンピオンとなるわけですが、前にも書いたように同じ血を受け継いでいても「力とノリでドライブする父」と「理論と慎重さでドライブする息子」の対比をみるのも非常に興味深い。

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今回振り返るのは今はなきGP、サーキットで取り扱った南アフリカGPです。ヨハネスブルグにあるキャラミサーキットでの最後となる1993年の開幕戦が、今のところのアフリカ大陸で最終のF1レースとなっています。近年積極的に開催地を模索するリバティメディアではありますが、今後アフリカ大陸での開催はなかなか話題には出てきませんね。開催は難しそうです。
前年92年はウィリアムズに大敗を喫したセナは「いいマシンに乗れるまで休養したい」などとシーズン開始までに意向が決まらず、とりあえずマクラーレンと「1戦ずつの契約とドライブ」という形で現地入りし、ヨハネスブルグ空港では取材陣に取り囲まれています。柄シャツを着る日本を代表する某ジャーナリストにもマイクを向けられていますね。今よりだいぶ見た目若いなぁ。何せ25年も前ですから、この時は33歳。
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93年から速度低下を目論んでウィングの取り付け位置の変更や幅の減少、タイヤ幅も狭くするレギュレーションが採用されました。F1に慣れたドライバーも特にリヤが粘らず、多くのスピンが見られます。でもこの方はご満悦なご様子。
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ハッキリしない立場に振り回されているのは、この年からマクラーレンのエースを担うべくロータスから移籍を果たしたハッキネン。
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ボクはサードドライバーだ、あははは。若かりしハッキネンを見ると、今のハートレイの眼差しとどこか被って見えます。目をもっとキツくしたら、似ていませんか?元木大介の方が似てるかな。

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セナが本当に乗りたかったのはこちらでした。ガレージでいつもの屈伸運動を入念に行うウィリアムズFW15C。こちらに乗る方は
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1年振りにF1の舞台に戻ってきたプロストで既に決まっています。不遇なフェラーリを挟んで休養とチャンピオンからは少し間がありますがチャンピオンマシンを横入りしてきた腕や如何に?!

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その他、今や名ばかりのチームと化したザウバーもこの年から元祖メルセデスエンジンを搭載し、ベンドリンガーとレートのコンビで参戦開始しています。

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予選は開幕直後で扱いがおぼつかないドライバーが多い中、フォードV8の旧型エンジンでもマシンをドリフトさせながら先にベンチマークを築くセナ。
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「ウチ、大丈夫だよね?!」とお決まりのF・ウィリアムズの反応。今のガレージアクションといえば、メルセデスのヴォルフが有名ですが、この時代は何かとウィリアムズの動きが映し出されていましたよね。大丈夫です、プロストはそれを0.09秒を上回り、ブランクを感じさせないポールポジションを獲得。予備予選無し、参戦者上限の26人出走のうち、日本勢はフットワークの鈴木亜久里が20番手、ラルースからティレルに移籍した片山右京は21番手と続いています。
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《予選結果》
   1 A・プロスト        (ウィリアムズ・R)
   2 A・セナ               (マクラーレン・Fo)
   3 M・シューマッハ(ベネトン・Fo)
   ※Foはフォード、タイヤは全グッドイヤー

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スタートはポールのプロストがハイテク過ぎに動揺してもたつきく。2年生にしてチャンピオンマシンを駆る4番手ヒルと3番手のシューマッハが避けるようにセナの後ろに並んでいきます。
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やはりまだ2年生かな2位に浮上したヒルは経験不足により単独スピンで後退し、先頭集団はセナ、シューマッハ、プロストのオーダーで落ち着きました。今でいうとハミルトン、ベッテルに食らいつくフェルスタッペンの構図か、こういうバトルになるとシーズンも盛り上がるのですがー。
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プロストは落ち着いています。昨日今日出てきたイケイケの若いシューマッハと格が違う。間合いを取りつつコントロールラインでルノーV10エンジンのフルパワーで背後につけ、13周目にあっさりとシューマッハとフォードV8をたしなめてしまいました。これでセナと早々と直接対決となります。
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同じフォードV8の旧型でも、相手がプロストとウィリアムズとなればセナも易々と前を開けません。プロストが左に振れば左へ、
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右に振れば右と、意地の張り合いで言葉なき会話をするかのようにシンクロしています。
なかなか隙を見せないセナに対して、ペースが明らかに速いプロストはタイヤ交換前に前に出ておきたい。
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1コーナーをアウトから攻略。10周かけてやっとトップを奪い取りました。セナは力が抜けたように3位のシューマッハにも隙をつかれて一気に3位にまで降格していきます。
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シューマッハが上位3人で最も早くピットに向かう。セナも合わせこんでピットへ。
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ベネトンがロリポップを上げた頃にはピットロードをセナが先に抜けていく。これが百戦錬磨の名門チームです。セナ逆転。

プロストはセナに充分な差をつけて余裕のピットをこなす間、ピットで先行された仕返しを図るシューマッハ。ブリアトーレからゲキが飛んだか
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インを狙ってラインをこじ開けるも
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タイヤをヒットさせてスピン。逆襲はなりませんでした。ピットに戻ってピーピーピー!これは大物になるに違いない。
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レース終盤は雨が落ち、レインレースが大の苦手なプロストはペースを落とします。セナは遠く後方で余裕余裕!周回遅れに出会ってもブルーフラッグ要らずで相手せず。カリカリせず。
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あちらでもこちらでもそちらでもスピンやトラブルによりバタバタとマシンが減り、終わってみれば26台出走中、完走扱い7台、トップと同一周回は1分20秒遅れの2位セナまでという激動の開幕戦を終えました。

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《決勝結果》
   1 A・プロスト    (ウィリアムズ・R)
   2 A・セナ           (マクラーレン・Fo)
   3 M・ブランデル(リジェ・R)

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結果的にはポールトゥウィンではありますが、復帰戦でいきなりやってのけてしまうプロストは大したものです。一見楽勝とも言えるチャンピオンマシンを手にし、この年のチャンピオンをさらって完全引退をした計算尽くのプロストはレース中に決して無理はせず、飛ばす時と引く時と冷静に見極めることができるドライバーの一人でした。今シーズンも黄色いガレージに帯同していますので、爪の垢を煎じて誰かさんに飲ませてやりたいくらいです。
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皆さん、夏休み期間中ゆっくりできていますか?!関東は7月に目一杯暑かったのに8月に入ると台風もあって少しだけ暑さがおさまっています。まだ8月上旬だから油断はできませんね。熱中症やゲリラ豪雨には細心の注意を払っていきましょう。
F1の夏休みはリカルドの想定外の移籍発表に触発されてああでもないこうでもない想像が飛び交っています。ただでさえ暑いのに「ストーブ」で例年以上にアツいですね。極端に暑い時期や寒い時期には行われないF1も一昔前は暑いイメージしかないアフリカ大陸の2箇所で行われていたことがあるのをご存知ですか?!今回は暑い時に暑そうなところの話「アフリカでのF1」をみていきたいと思います。

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1つ目は南アフリカでのF1です。南アフリカは地図で見るとこの位置
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アフリカ大陸の南端、数少ない南半球のGPでした。緯度はオーストラリアと似たような位置にあります。南アフリカはアフリカという名前がつくヨーロッパのような国で、昔はイギリスの仲間でした。金やダイヤモンドの原産国として、比較的な裕福な国でもあります。その一方で様々な人種が集まり貧富の差も激しく、アパルトヘイトと呼ばれる動きもあって治安は決してよくありません。F1もそうですが、2010年のサッカーワールドカップもよく行えたなと思ってしまいます。当時とても話題になりましたよね。
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南アフリカGP
《イースト・ロンドン》
  所在地 :東ケープ州バッファロー市
  F1開催 :1962,63,65(3回)
一周距離:3.920km
初代優勝:G・ヒル(BRM)
最多優勝:J・クラーク(2回)
最多P.P. :J・クラーク(3回)
最速P.P. :1分27秒200 J・クラーク(1965)
最多F.L. :J・クラーク(2回)
最速F.L. :1分27秒600 J・クラーク(1965)

イースト・ロンドンはインド洋に面する海岸にあります。市街地から少し離れた緑の中に設営されて1960年代に3回行われました。一周4km弱とこじんまりとしたスケールと単純なレイアウトです。当時は当然観れていないので結果しかわかりませんが、クラークが3回中3回のポールポジションと2回の優勝を挙げるという得意サーキットでした。

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《キャラミ》
  所在地 :ハウテン州ヨハネスブルグ
  F1開催 :1967〜80,82〜85,92,93(20回)
一周距離:4.094km(1967)
                  4.104km(1968〜85)
                  4.261km(1992,93)
初代優勝:P・ロドリゲス(クーパー)
最多優勝:N・ラウダ(3回)
最多P.P. :J・スチュワート(3回)
最速P.P. :1分28秒300 J・ブラバム(1967)
                  1分02秒366 N・マンセル(1985)
                  1分15秒486 N・マンセル(1992)
最多F.L. :A・プロスト(2回)
最速F.L. :1分29秒900 D・ハルム(1967)
                  1分08秒149 K・ロズベルグ(1985)
                  1分17秒578 N・マンセル(1992)

キャラミでのF1は記憶にある方も多いと思います。キャラミは内陸にある大都市ヨハネスブルグの北に位置し、サーキットは標高1,500mの高地にあります。ケープタウンと並んで観光や金融など知名度の高い都市ではありますが、どちらも同じくらい治安も悪く一時期は「ヨハネスブルグの街中は『リアル北斗の拳』のよう」なんて揶揄されるくらい凶悪犯罪や事件が蔓延するところでもあります。先日話題になったブラジルGPの比較にならないくらい街の危険度は高いです。
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キャラミは大きく2つのレイアウトで行われました。面白いのは通常のレイアウト改良とは異なり軽微な変更ではなく、レイアウトの半分以上を南側に新設、さらには走行方向を逆転させている点です。採用初年の67年は図の青いラインのようなレイアウトを時計回りで行われていました。見たところ平面的には単純な構成ではありますが高低差もあり高速コーナーであるため先の見通しも悪く、77年のGPではコントロールライン付近で停止したシャドウのR・ゾルジの消火活動に向かったマーシャルの手に持つ消火器が高速走行する同じシャドウのT・プライスの頭部に激突し、轢かれたマーシャルもプライスも即死する事故が起きてしまいました。コースを横断したマーシャルからも、プライスからもお互いが死角だった点が悲劇を生んだと言われています。また今のようにハロが搭載されていればマーシャルはともかくプライスの即死は免れたかもしれない痛ましい事故でした。
しばらく時を経た85年シーズン末に大規模改修に踏みきり、青ラインで危険度の高い事故区間を廃止、中間セクションだけを活かして南側に反時計回りのレイアウトを採りました。しかし継続的な開催はなく、93年を最後に南アフリカのみならずアフリカ大陸でF1は行われていません。


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モロッコGP
《アイン・ディアブ》
  所在地 :カサブランカ市
  F1開催 :1958(1回)
一周距離:7.618km
初代優勝:S・モス(ヴァンウォール)
最多優勝:S・モス(1回)
最多P.P. :M・ホーソーン(1回)
最速P.P. :2分23秒100 M・ホーソーン(1958)
最多F.L. :S・モス(1回)
最速F.L. :2分22秒500 S・モス(1958)

南アフリカ以外にモロッコでも開催されたことがあります。モロッコは北半球に属しヨーロッパのスペインやポルトガルにも近いです。気候区分こそ異なりますが、緯度だけでいえばカサブランカ市は北緯33度で九州の福岡市と同位置になります。順番が逆になってしまいましたが南アフリカGPより前の58年最終戦にカサブランカのアイン・ディアブの市街地サーキットで行われました。市街地サーキットは航空写真から探すのに苦労します。ましてや開催から60年も経つと、都市計画変更したりして名残すらなくなってしまうこともあり得ます。レイアウトをみると四角くスケールも大きいです。マシンはなかなかな高速度に達し、大西洋へ向かう傾斜地にあるため勾配もありました。
たった1回だけの開催にもかかわらずレース内容は白熱したもので、M・ホーソーンと首の皮一枚のS・モスによる最終決戦が繰り広げられました。モスが終始レースを牽引していますが、モスのチームメイトであったヴァンウォールのT・ブルックスが上位走行中にリタイヤ、さらにはホーソーンが所属するフェラーリのP・ヒルが順位入れ替えを行いホーソーンの順位が上昇、そのままホーソーンが初戴冠となりました。またヴァンウォールのもう一人、S・L・エバンスはクラッシュで炎上した際の火傷で命を落としてしまいます。

近年は年間開催数も21戦まで増え、リバティメディアはさらに増やす考えもあるようです。ただそのターゲットは北アメリカやアジア、ヨーロッパでの話であり、今回のようなアフリカ大陸でのF1復活には繋がらなそうです。


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