昨年はサーティースが亡くなり、今年に入り創成期のF1を支えたD・ガーニーが去る1月14日に87歳で亡くなりました。古い時代のドライバーのため、恥ずかしながら顔と「あることで有名な」名前くらいしか知りません。今更ですが、彼についてクローズアップして功績を称えたいと思います。
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ダン・ガーニー 1931年4月13日生まれ(アメリカ)
   1959年 フェラーリからデビュー 在籍11年
       優勝4回                       歴代52位
       表彰台19回                  歴代49位
       参戦数86戦                  歴代83位
       ポールポジション3回     歴代54位
       ファステストラップ8回  歴代43位
       チャンピオン0回
       ※戦績は2018年1月現在でF1時代のみ

スポット参戦も含めると、アメリカ国籍のF1経験者はイギリス国籍と並ぶ157人で最多タイとなります(ただしインディアナポリスのみの参戦者を除けばもっと減ります)その中でチャンピオンはP・ヒルとM・アンドレッティ(父)の2人となり、ガーニーはチャンピオンにはなっていません。しかし、優勝回数は4回を数えてヒルの3回を上回り、表彰台回数はアンドレッティと並ぶ最多タイの19回。参戦数でみるとE・チーバー、アンドレッティに続くアメリカ人3番目に当たる数を誇ります。

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ガーニーのモータースポーツデビューは24歳と比較的遅く、1957年に開業2ヶ月目のアメリカ・リバーサイドサーキットで2位表彰台を獲得することで世に名前が知れ渡るようになります。F1へは28歳となる59年にデビューしています。初年はフェラーリをドライブし、2戦目となる第6戦ドイツGPで予選3番手から2位、第7戦ポルトガルGPでも3位となって、参戦4戦中3戦の入賞、2戦の表彰台を獲得するなど、幸先のいいF1キャリアとなりました。
60年の第2戦モナコGPからBRMでドライブをはじめ、内容は芳しくなかったものの翌年61年からポルシェに移籍。62年第4戦ルーアンでのフランスGPで自身初、ポルシェ初で唯一の優勝を獲得するとガーニーのキャリアはクライマックスに達します。63年からブラバムへ移籍し、チャンピオン経験者J・ブラバムに負けず劣らずの走りをみせて3年間の29戦で2勝、10回の表彰台登壇にファステストラップも記録する活躍をみせました。
晩年の65年には自身が所有するチーム「アングロ・アメリカン・レーサーズ(AAR)」をF1に持ち込み自らドライブする形をとり、3年目にはしっかり優勝し、68年後半と70年は同様に自身立ち上げのチームから参戦するB・マクラーレンとともにマクラーレンの創成期を支えてF1から身を引いています。

ガーニーは先ほど書いたチーム代表をはじめF1以外のカテゴリーにも積極的であったのも有名です。F1で活躍し始める傍ら、62年からインディカー(CART)にも参戦して優勝、デイトナ500にも毎年参戦。アメリカ出身ならではの数々のレースを総ナメしています。さらにはインディ500最多勝を誇るA・J・フォイトとコンビを組んで1967年のル・マン24時間レースではアメリカ人初優勝を果たしています。この表彰式で与えられたシャンパンを振りまいたのがいわゆる「シャンパンファイト」のハシリと言われていますよね。今のレースシーンにも残るガーニーの遺産の一つです。
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またガーニーといえば「ガーニーフラップ」となるデバイスの名付け親としても有名ですよね。ウィングで得られるダウンフォースを増大させる目的で、ウィング後端部をアングルなどで上方に立ち上げ、ウィング上面の気流を乱すものです。昨シーズンのメルセデスにも写真のリヤウィング最上部にある水平の縁取りがそれです。しっかりあります。ウィング枚数に制限があっても手軽にコース特性に合わせて着け外し可能です。F1以外のカテゴリーでも多く用いられ、アフターパーツとしても、もっというと改造前の市販状態で意匠上取り入れられていますよね。これは印税なんてないだろうな。あったらとんでもない収入になりそうだ。
あと今は一般的に使用されるフルフェイスのヘルメットもF1で初めて使用したのは1968年の第5戦オランダGPのガーニーが初とのこと。身長が高いため、フォードGP40も頭が当たらないように工夫した特別仕様車でレースをしていたなど、初お目見えやアメリカ人初などの記録を多く持っています。
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最近ではアロンソがインディ500や将来的なル・マン参戦を狙ったデイトナ耐久への参戦と、他カテゴリーへ果敢に挑戦する者もいます。掛け持ちは少数派ですが、アロンソ同様にガーニーも同時期に、それも自らのチームで戦って、勝利も重ねた数少ないドライバーの1人です。先日表舞台からは引退を発表したレジェンド、S・モスと同様、F1では残念ながらチャンピオンになれませんでしたが、チーム代表や空力デバイスにまで名を残すアンドレッティに負けないアメリカを代表するマルチプルドライバーでした。
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ガーニーの名は今後もクルマと密接な関係を築いていくことでしょう。生涯をモータースポーツに様々な角度で寄与し、遺した人生。遅くなりましたが、ご冥福をお祈りします。

追伸 最近ライブドアブログの設定が変わったため、画像のサイズや位置、フォントが調整できません。。見辛いかと思いますが、頑張って調整できるようにします。